14
「あのさ、智?」
私は混乱している頭の中を整理するために、口を開いた。
「何ですか?」
智はまだ突っ伏したままだ。
「どうして遠距離恋愛になるの? 智、留学でもするの?」
智は不機嫌な様子で、起き上がる。
「そんなの、天音さんが東京に帰るからじゃないですか」
「だって、月末にはこっちに戻ってくるけど?」
「だから………何で?」
何でって、私の方が聞きたい。
「私、こっちの会社に就職したんだけど」
「え?」
智が止まる。
「言ってなかったっけ? 色んな人に聞かれたから、話したつもりになってただけかな?」
「でも……飲み会の時……東京に帰るって……」
「ごめん、あの時酔っ払ってたから、智の話聞かずに返事したりしたのもあったかもしれない」
「それ、何気にひどいです」
智がいじけたように言う。
「ごめん。だって、智がそんな勘違いしてるなんて、思いもしないし」
「地元が東京だって聞いてから、きっと就職先は東京なんだろうな、とずっと思ってて。最後の最後に確認と思って、あの時聞いたのに……」
「ごめん」
とりあえず、混乱の原因の一つは、智の勘違いから来るところだったってことだね。
「それで、告白しようとしたのって、いつのこと? 私には、全く見当がつかないんだけど……」
「言いたくありません」
智は顔を窓の外へ向ける。
「私が混乱してる原因の一つなんだけど」
「その言い方ずるいです」
そう言われてもね。
「思い当たらないんだよね」
いつ、そんな雰囲気になったっけ?
「3月の発表会の前に、練習室で演奏を聴いてもらったときです」
ぶっきらぼうに智が言う。
「あ」
あの時の色んな人の会話がピースにはまる感じがする。
「わかりましたか?」
「ごめん。そんな話だとは気付いてなくて」
「天音さんが鈍いのは良く分かってます。だから、謝らないでください」
「鈍いって、ひどい。そんなに鈍くないよ」
「僕のアプローチ、ことごとくスルーしてましたよ」
う。何かあったっけ?
「気付いてないでしょうね。僕も言いたくはないので、もし万が一思い出したら教えてください」
あ。
「クリスマスに、って話は、ケーキの話じゃなくて、一緒に過ごしましょう、って話だったの?」
「……当たり前だと思いますけど。そうじゃないかな、とはうすうす気づいてましたけど、やっぱり、ケーキのことだと勘違いしたままでしたね」
……そうなると?
「初詣に誘われたのも、デートのつもりだった?」
光には確かにそう言われてたけど……。
「あれは、天音さんのお母さんは気付いてたんじゃないですか」
嘘。
「母さんが気付くわけないと思うんだけど」
「初詣に行く話、したんですよね?」
「したよ」
「誰と、って聞かれなかったですか?」
「聞かれた。バイト先の後輩と、って言った」
「性別聞かれなかったですか?」
「……聞かれた」
智がまた大きなため息をつく。
「それ、完全に気付いてますよ。だから、振袖着るように言われたんだと思いますけど」
そうかな?
私が首をかしげるのを見て、智は苦笑する。
「だから、天音さんは鈍いんですよ」
そんなことない!
「バレンタインデーは……」
「天音さん、絶対気づいてなかったでしょ。そんな嘘つかなくていいです」
私は頭をひねる。あ、あれ!
「蕾のバラも、そうなんでしょう? でも、これは、私が鈍くなくても、分かりづらいと思うけど」
花言葉がすぐわかる人なんて、そんなに多くないと思う。智に反論できたような気分になる。
「あれはそもそも、おまけみたいなものです。本当は卒業式の後に告白しようと思ってました。あんなことがあったので言えなくなりましたけど」
そう言うことなんだ。
私が鈍いのは、認めないといけないのかな。……認めたくはないけど。
そうだ。
「あと、もう一つだけ、いい?」
「いいですよ。もう何でも聞いてください」
なんだか、智が投げやりだな。
「いつから、好きでいてくれたの?」
「そんなこと、聞かないでくださいよ」
何でも聞いてって、言ったのに。
「嘘つき」
「嘘つきとかじゃなくて、ああ、もう。そんなこと聞いて、どうするんですか」
「頭を整理したいから? 混乱は大分解消してきたんだけど」
私の言い分に、智は諦めたように項垂れる。
「一番のきっかけは、天音さんが、お客様に絡まれてるのを見た時です。上手く対処できないでいるのを見てたら、天音さんのこと心配になってきちゃって、自分がどうにかしてあげなきゃって、気持ちになったのが、たぶん、最初だと思います」
そうなんだ。
「でも、智は、積極的に私に関わってこようとは、してなかった気がするけど」
「それは、天音さんが、男性が苦手な理由も知ってたからです。これ以上は言いたくありません。それに、一つだけって言うのにはもう答えましたし。もうこの話は終わりでいいですか?」
「それだと、疑問が残ったままになって、ちょっといや」
「天音さん。鈍いのは分かってますけど、僕に全部言わせなくてもいいじゃないですか」
智は拗ねているような声を出す。でも。
「智が何考えて私と関わろうとしてたのか、知りたい」
「何でそんなこと知りたがるんですか」
智の声があきれたような声に変わる。
「付き合うとしたら、智しか考えられないし、智が考えてることを知りたいな、と思ったから。こんな理由じゃ、駄目?」
あれ、智が固まった。あ、もしかして。
「ごめん。答えはまだいらないんだったよね? 聞かなかったことにしといて」
さっき、答えないでください、って言ってたもんね。
私の言葉に、智がはっとなる。
「天音さん、今、何て言いました?」
「聞かなかったことにしといて、って言ったよ?」
「その前です」
…えーっと。
「答えはまだいらないんだったよね? だったかな?」
「天音さん、それ本気で言ってます?」
え?
「本気で言ってるけど」
智は大きなため息をつく。そして、思い出したように明かりをつける。明るくなってから、今まで暗くて表情が分かりにくかったのに、今更気づく。
智の今の表情は、呆れている、だ。なんか変なこと言ったかな。
「……じゃあ、それを言う前に言ったこと全部、もう一度言ってください」
えーっと、何言ったっけ?
「付き合うとしたら、智しか考えられないし……あと、何だっけ……?」
智が嬉しそうに笑う。
「それで十分です」
そうなの?
「それは、天音さんの今の気持ちですか?」
「そうだね。智と付き合うのは、想像できるって言うか……」
「じゃあ、付き合いましょう」
真剣なまなざしで、智が私を見る。
「え?」
私の方が驚く。
「何が、え? なんですか?」
「答えは、今言わない方が良いんでしょ?」
「それは、天音さんの気持ちが、今誰かと付き合うってところにないと思ってたからです。昨日はあんなことがあったし」
……そっか。何だか混乱しちゃって、そこは抜けてたかもな。
「えーっと。付き合うってことになるの?」
智が照れたような表情で口を再度開く。
「天音さん。僕と付き合ってください」
「えっと、よろしくお願いします」
これでいいのかな?
「疑問そうな顔しないでください。自信がなくなります」
「だって、付き合うのなんて初めてだし」
「僕だって付き合うのは初めてですよ」
「嘘。智モテるでしょ?」
今日何度目かわからないため息を智がつく。
「それと付き合うかどうかは別問題です」
やっぱりモテるんだな。
「……私で良いの?」
「天音さんは全部スルーしてくれてましたけど、僕は何度も天音さんがいいって、伝えてきたつもりですよ」
……そう、だっけ? そんなこと言ってた?
「気付いてないのは知ってます。あんまりにもあからさまだから、天音さんの周りの方が気づいちゃってたんですよ? バイトの飲みの時、皆に色々言われたんでしょ?」
「そうだったの?」
……だから、あんなに皆に言われたんだ。
「でも、智の気持ちはともかく、私の気持ちは?」
皆、私も好きなんだという前提で話をしてたし。
「天音さん、他の男の人に対する態度と、僕に対する態度の違いも自覚してないですよね。僕も、天音さんが僕を男として認識してるのかしてないのか、途中まで判断つきかねたんですけど」
……途中まで?
「途中までって?」
「天音さんが僕を男として認識してるって態度とか発言が、時折見られるようになったので、一応、対象としては入るのかな、と思ってたんですけど」
「そんなこと言ってた?」
智が嬉しそうに笑う。
「言ってましたよ。教えてあげませんけど」
それこそ、記憶にないな。
「勘違いじゃなくて?」
「そうだとしたら、皆が天音さんを僕に託しませんよ」
託す?
「託すって、何?」
「バイトの飲み会の時、僕は、女性陣から、天音さんのことよろしく、って言われましたよ」
「あの時、そんな話してたの?」
「皆、付き合ってるのかどうか気になってたみたいですよ。最初は僕が怒られましたけど、結局、天音さんがあまりに鈍いんで、僕のことがかわいそうになったみたいです」
皆して、私を鈍い人認定するなんて……。
「そんなに鈍くないもん」
私がぷいっと顔を窓に向けると、智がシートベルトを外して、助手席のヘッドレストに手をかけて、身を乗り出してくる。
「天音さん」
私は窓を鏡の代わりにしてうっすらと映る智を見る。
「何?」
「今、僕が何しようと思ってるか、分かります?」
「CDでも取るの?」
車のエンジンはかかったままだけど、車を停めて話しているうちに、いつの間にか流れていた曲は止まっていた。
「違います。やっぱり、鈍いと思いますよ」
智が苦笑する。じゃあ、何?
智に顔を向けると、距離が近くてドキッとする。
「キスしてもいいですか?」
言われた言葉の処理に時間がかかる。キス? ……キス!?
「……恥ずかしいから、嫌」
私は俯く。たぶん、顔も赤くなってるはずだ。
「したくないとは言わないんですね」
智が私の顔に触れる。
「恥ずかしいって、言ってる」
「じゃあ、目をつぶったらいいですよ」
……そうなの? 言われたとおりに目をつぶると、智がクスリと笑う。
なんか、嫌な感じ。
「天音さん、怒らないでくださいよ。かわいいな、って思っただけなんですから」
智がそれだけ言うと、私の唇に、暖かくて柔らかいものが触れた。
その暖かいものと智の手が離れて、私は目を開ける。
「恥ずかしかった、ですか?」
「恥ずかしい」
私の表情を見て、智が嬉しそうに笑う。
「嫌がられなくて良かったです」
「言ったのに」
「まあ、言ってましたけど。天音さんが本気で嫌がってたら、しませんよ。時間がかかっても、僕は待ちます」
智の真剣な表情に、ドキッとする。
「……ねえ、星見に行くんじゃなかった?」
ドキッとした気持ちをごまかすように、話題を変える。
「そうでしたね。じゃあ、行きましょう」
智もあっさりさっきの表情を引っ込めて、シートベルトをつけ直すと、ハンドルを握る。
「じゃあ、出発しますね」
智が車内灯を消す。
「お願いします。あ」
言ってない事を思い出した。
「何ですか?」
智が私を見る。薄暗いので表情は見えない。私の表情も見えないだろう。返って好都合かな。
「智のこと好きかも、って言ったっけ?」
流石に、言葉にすると照れる。
「……初めて聞きました。“かも”は余計な気がしますけど、今は良いです。ただ、車内が明るい時に聞きたかったですね」
色々注文はついたけど、智の声は嬉しそうだ。
「それじゃ、行きましょうか」
「はい。お願いします」
車が、暗闇の中をヘッドライトで道を照らしながら進んでいく。
付き合うっていうのも、こういうことなのかもしれないな、と思う。
2人の未来は見えない。でも、2人の気持ちが同じ方向を向いて関係を続けようとエネルギーを発することで、同じ未来を辿っていける。
もしかしたら野生動物が飛び出して来たり、障害物があって蛇行することはあるかもしれないけど、智と一緒に、その道を辿れるといいな、と思う。
智おめでとう。by作者。