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 智が送り狼になるわけもなく、私は無事に送り届けられた。

 2月末に、バイトをやめた。

 新しい生活が、少しずつ近づいてきている。


 3月2日。

 智に誘われた発表会に行く。場所は同じところなので、前回よりは緊張しない。


「天音さん!」


 智は入り口で待っている。暇なわけ、ないよね?

 今日はなぜか、開演より早い時間を指定されていた。だから、早めに来たんだけど、智は準備の真っ最中じゃないのかな、と思うんだよねぇ。


「お招きありがとうございます、だけど。準備は終わったの?」

「大丈夫です」


 なら、いいのかな?

 入り口にある受付はまだ準備中だったけど、やっぱり智がパンフレットを受け取って、私に渡してくれる。前回以上に女子の視線が鋭いんですけど。


「天音さん、会場に入る前に、こっちに来てもらっていいですか?」


 智に、会場とは違う部屋に案内される。小さな、防音室のようだ。部屋には『練習室』と書いてある。


「大丈夫? 部外者入れても?」

「大丈夫じゃないですか? この時間にこの部屋は借りるように言ってありますし」


 良いのかな?


「まあ、座ってください」


 智に促されて、部屋に置いてあった椅子に座る。


「天音さんだけに聞いてほしかったので」


 智が、バイオリンを準備して、構える。

 おお。こんなの、初めて。ワクワクする。


 智が奏で始めた旋律は、『愛の喜び』だった。

 私は何も考えずに、無心になって智の演奏を聴く。

 終わった時には、拍手も忘れて、降ろされる手の先を見ていた。


「どうでしたか?」


 智の声に我に返る。

 いろんな感情があふれてくる。一つずつ取り出して、智に感想を伝える。


「良かった。すごく心に響くものがあった。智の弾くこの曲、すごく好き」


 言い終わると、涙があふれてきた。何で泣いているのかは、自分でもわからない。智が泣く私を見て、ひどく慌てる。


「泣かないで下さい」


 智がハンカチを私に貸してくれた後、私をなだめるように、背中をなでてくれる。子どもじゃないんだけどな。


「今の、僕の気持ちを込めて演奏したんです」


 背中をなでてくれながら、智がそう話す。感謝の気持ちかな?


「天音さん……」


 名前を呼ばれて、顔をあげる、智が言葉を続けようとした時、ドアが勢い良く開く。


「上原君。練習終わったなら、準備に戻ってくれない? 人手が足りてるわけではないんだよ?」


 智の同級生なのか、言葉遣いは同年代に対するものだ。どうやら、準備はまだ終わってなかったらしい。


「……わかりました。すぐ行きますから」


 指摘されたことがばつが悪いのか、智の声は堅い。私も突然ドアが開いたことにびっくりして、涙は止まっていた。


「ごめん、智。わざわざ時間作ってくれたんだね」

「そうですよ。上原君、準備で忙しいのに、邪魔されてかわいそう」


 女の子が私の言葉にかぶせる。


「僕が来てくれるように頼んだので、天音さんが責められる筋合いはありません。それに、この時間は先生にも、先輩にも許可は取ってあります。僕の受持ちの所の準備も終わらせてたはずです。邪魔をしたというのであれば、それはご自分のことですよね?」


 その女の子の言葉に、私よりも早く智が反応した。智の言葉が冷たい。こんな声、出すことあるんだ。智が私の表情を見て、あ、と何かに気付いた顔をする。


「行きますから、そこ閉めてくれませんか」


 智の声が幾分和らぐ。


「でも……」

「下里さん、あなた、上原君の邪魔する暇あるの? あなたの担当の所、準備が進んでなかったわよ」


 部屋に入ってきた下里さんの言葉を止めたのは、4年のバイオリンの人だった。


「立花先輩」


 智もほっとしたような声を出す。そうそう、立花さんだ。

 下里さんと呼ばれた女の子は、踵を返して去っていく。


「私も邪魔してごめんね。下里さんがこっちに向かったの見えたから、まさかと思って来てみたら、やっぱりね」


 立花さんは私を見ながら、肩をすくめる。

 何が、やっぱり、なんだろう?


「いえ。先輩。助かりました」


 智の声が、いつものような声に戻っている。


「で?」


 立花さんは、面白がるような表情で、智と私の顔を見る。


「何ですか?」


 私の言葉に、立花さんが、智だけを見る。どうしたんだろう?


「まだ、です」

「え?」


 智と立花さんの会話が、良く分からない。


「本当に下里さんタイミングが良いというか悪いと言うか……」


 立花さんの言葉に、智がすぐに反応する。


「タイミング最悪です」


 何が、最悪なんだろう?


「上原君からすればね。じゃあ、私も行くわ」


 部屋から出ようとした立花さんに、智が言葉を続ける。


「でも、もう僕も準備に戻らないといけないとは思うんで」

「いいでしょ。一人ぐらいいなくたって。ばれないばれない」

「先輩。良くそんなこと言いますね。男手がないって前回の演奏会でこき使ったの、先輩じゃないですか」

「……そうだけど」


 立花さんが私を見る。


「私は良いんです。むしろ準備の邪魔してるのは本意じゃありませんし」

「上原君も天音さんも、まじめすぎるわね」


 立花さんがため息をつく。


「でも、もうちょっとぐらいなら、大丈夫でしょ」


 立花さんが続けた言葉に、智が私を見る。


「いや。完全にタイミング外しました。今は無理です」

「何が?」


 智の言葉の中身が、全く理解できない。でも、誰も私の疑問には答えをくれない。

 何がタイミング外したんでしょうか?


「こだわるわね。そんなこと言ってたら、できなくなるわよ」


 立花さんの言葉に、智が詰まる。


「まあ、いいわ。じゃあ、私は行くわね」

「あ、立花先輩!」


 部屋を出てドアを閉めかけた立花さんを、智が呼び止める。


「また何かあったらいけないんで、天音さんと一緒にいて貰っていいですか?」


 また? 何か? 何かがあるの? またって、何?


「了解。ホールの前にはいるから」

「お願いします」


 立花さんが完全にドアを閉めた。


「ねえ、話がさっぱり見えなかったんだけど」

「天音さんは気にしなくても大丈夫な話です」

「えぇ。全部無関係そうには聞こえなかったけど?」

「僕、準備があるので、行きますね」


 バイオリンのケースを持って、智がドアを開ける。


「あ、逃げた」


 私の言葉に、智が笑う。


「逃げません。後でまた」


 うーん。準備があるのは本当だろうし、今回はこれぐらいで許してあげようかな。


「じゃあ、後でね」


 私は智が開けてくれたドアから出て、智の後について、ホールへ向かう。

 ホールに行くまでの道で前回も感じた鋭い視線は、まだまだ残っている。やっぱり、智は狙われてるんだな。

 ホールの前まで行くと、立花さんがいて、私たちに手を振ってくれる。


「じゃあ、天音さん。楽しんでいってくださいね」


 智はそう言って、去っていく。


「聞くより見る方が、面白いわね」


 立ち去った智の後姿を見ながら、立花さんが呟く。


「何がですか?」

「こっちの話」


 立花さんはそれだけ言うと、私をホールの中に促す。さっきはこの校舎の前に来ていた人もほとんどいなかったけど、この時間になると、ホールを半分埋めるくらいには来ている。


「天音さんは、クラシック聞くの?」


 席に座って、私がプログラムを開くと、立花さんが聞いてくる。


「私は授業以外で聞いたことなかったです。智……上原君がCD貸してくれてたんで、ちょっとは聞くようになりましたけど」

「ああ、CDね」


 立花さんはその話を知ってるのか、納得したように頷く。


「智……上原君は、その話を?」

「天音さんはいつもの呼び方でいいわ。上原君に時々相談されてたから」


 智は考えて貸してくれてたんだな。


「それで、上原君のCDを貸した効果のほどはどうだったのかしら? クラシックに興味は持てたの?」

「昔に比べたら、興味はわきましたよ。智のセレクトしてくれた曲、結構好きなのが多くて」

「そうなんだ。好きになった曲とか、あった?」


 立花さんの言葉に、すぐには曲の名前が思い出せなくてプログラムを見てみる。


「あ。『愛の喜び』とか好きですよ。智、今日やるんですね」

「さっき、聞いたんでしょ?」


 ああ、練習室にいたから知ってるんだな。


「はい」

「どうだった?」

「そうですね。心に響いてくる、っていうか。とってもあたたかな気持ちになると言うか。CDで聞いてたのも好きでしたけど、智の演奏はまた別の……何かがあるって言うか。智の演奏したこの曲は、もっと好きになりました」


 私が言い終わるのを、立花さんはぽかん、とみている。


「どうか、しました?」


 私の言葉に、立花さんが我に返る。


「いやぁ。上原君、すごいな、と思って」

「何がですか?」

「私たちって、いくら上手に弾いてもね、人の心に響かせることができないと、意味はないと思うのよ。上原君はそれができたんだな、と思って」


 ああ、そうなんだ。上手なだけでは、何も響かないのか。


「何だ、心配して損した」


 立花さんが、ポツリとつぶやく。


「何か、智、立花さんに心配されるようなことあったんですか?」

「……まあ、入学したころは、この子大丈夫かな、って思うような演奏してたから。この1年で、すごく変わったな、と思う」


 そうなんだな。入学したころは、先生の言葉がとげになったままだったから、不安な気持ちが演奏に出てたのかもな。

 立花さんと話をしていると、あっという間に開演の時間になった。



 ***



 発表会が進むにつれて、智が最近貸してくれてたCDの意味が理解できた。この発表会で演奏される曲が入ったCDを貸してくれてたんだ。おかげで、聞いてても、つまんないな、と完全には思うことはなかった。好きじゃない感じの曲は、やっぱり好きじゃないんだけど。

 曲を聞くにも、予習ってありなんだな。

 智、先生に向いてるかもね。クラシックに興味がなかった私に、これだけ演奏を聴かせられるようになったんだから。


 智の演奏の順番になる。智が舞台から誰かを探しているのが分かる。どうしたんだろう?

 智と目が合うと、智が安心したような顔をする。何だろう?

 智がバイオリンを構えて、一呼吸おいて、演奏を開始する。


 会場全体が、智の演奏に飲み込まれたみたいだった。それまでの演奏が、お世辞にも完成度が高いとは言い難かったから、上手さが際立っている、というか。

 智の演奏は、拍手の勢いが増した気がする。


 あと一曲で終わりか。でも、時間が。

 演奏の時間が押したみたいで、予定の終了時刻は超えている。まだ楽譜の台を並べたり、楽器を設置したりして、時間もかかりそうだし。

「すいません、立花さん。私、用事があるので、先に帰ります」

「え?」

 立花さんが慌てる。

「上原君に何か言われてる?」

「あとで、と言われましたけど、ちょっと今日は難しそうです」


 用事が何時に終わるのか、私も良く分からない。


「用事って、どうにもならない?」

「ごめんなさい。ちょっとそれは無理です。約束はこっちが先だったので、その用事も時間ずらしてもらったので」

「そうなのか」

「あの、智に、発表会の演奏も良かったって伝えておいてもらえますか? 電話は後でするつもりですけど」


 もう、智にCDは借りてないし、この後の日で会う約束をしている日もない。下手したら、ゴールデンウィークまで会うことはないかもな。

 立花さんにお辞儀して、私は席を立つ。


 校舎の外に出ると、寒さを急激に感じる。あのホールの中、人がひしめいてたから、暖かかったもんな。


「天音さん!」


 私の腕が、掴まれる。

 あ、デジャブ。前の発表会の時も、同じようなことあったよね。


「智、ごめんね。この後用事があって」


 振り返ると、智の息が切れてる。慌ててきたのが分かる。


「どうして、私が先に帰るの気付いたの?」


 もう、智は舞台には立ってなかったのに。


「舞台そでの入り口にある窓から、校舎の玄関が見えるんです」


 ああ、それで気付いたんだ。


「あ、舞台に立っての演奏も、すごく良かった。お客さんの反応も良かったよね」

「ありがとうございます」


 そう言った後、智が言葉を続ける。


「天音さん、卒業式までの間に、どこか会える日ってありませんか?」


 卒業式までに……。


「……それは、結構難しいかも。予定が詰まってて。ほら、私卒業式の次の日には東京帰っちゃうでしょ? だから、色んな人との約束が、その期間に詰まっちゃったんだよね。旅行もあるし」


 皆こっちに残るわけじゃないから、いまこっちにいる皆で過ごす時間は残り少ない。


「卒業式の日は?」

「終わったら、謝恩会があるから。その後は、友達の家で騒ぐことになってる」


 私の言葉に、智がため息をつく。


「卒業式の日、会場にお祝いに行きます」

「わざわざいいよ」

「いえ。行きます」


 これは、ひかないだろうな。ありがたく、気持ちを受け取るか。


「気を遣わせてごめんね。それじゃあ、卒業式の日に」

「はい」


 智も、まだ会は終わってないから、慌てて、校舎に戻っていく。

 私も、自分の用事を思い出して踵を返す。

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