10
「はい、ビールです」
新しいビールが渡される。
「ありがとう」
「でも、飲み過ぎじゃないですか?」
あれ?
「上原君?」
気が付くと、高橋さんが隣からいなくなっていた。あれ、いつの間に。
私の片側にいたはずの森下さんも、いつの間にか消えている。
どこ、行ったんだろう?
キョロキョロと見回すと、元々、智がいた席に、智の同期に加えて、三田さんと、光と、楠本さんがいる。あの島の人たちから、私たち、見られてるんですけど。
私が見ているのに気付いた皆が、目をそらす。見物するんじゃありません!
「えっと、上原君……もういいや。智」
「え? いいんですか?」
「だって、みんな気付いてたみたいよ」
「ああ、それで」
智が納得している。きっと、智も何か言われたんだろう。
皆、どうして、私たちをくっつけたいんだろうな。
光も、高橋さんも、私が仕事がきちんとできると評価してくれていた。智もきっと、そんな私の姿に尊敬して慕ってくれてる、とかなんだと思うんだけどな。勿論、バイオリンの恩人って言うのも大きいだろうけど。
「……東京に戻るんですよね?」
「そうだね」
智の声が耳に入ってきて、我に返る。
一応、智の話に頷いてたけど、最初の方、ほとんど聞いてなかったな。
酔っ払いだから許して。それに、今日は話聞くのに疲れちゃった。
「東京、いつ帰るんですか?」
「卒業式終った翌日には帰る予定」
「そんなに早く?」
智が焦ったように言う。
「地元の友達とも旅行に行こうって話になってて。就職したら、なかなか予定合わせられなくなるから」
「……そうなんですね」
智がため息をつく。
「どうしたの?」
「……結局、星、見に行けなかったじゃないですか。卒業式の後にでも予定が合わせられればな、と思ってたんですけど」
そう、結局智と星を見に行く約束は、果たされなかった。それは単純に、発表の準備で落ち着かない気分のまま、せっかくきれいだろう星を眺めて楽しめる気分にならなかった、と言うのもある。
「ごめんね。折角誘ってくれてたのに」
「これも、いつか、一緒に行きませんか?」
「行きたいね。……そう言えば、私もういくつか、智と果たしてない約束があるよね」
“いつか”の単語に、記憶が刺激された。何だったっけ?
「京都と、天音さんの地元の寺めぐりです」
そうそう。それは約束してた。京都か。
「京都は、ゴールデンウィークとかどう?」
「え?」
智がすごく驚く。
「何で、そんなに驚くの?」
「だって、わざわざ良いんですか?」
「まあ、就職して初めての貴重な休みではあるけど」
「込むんじゃないですか?」
あ、皆休みだもんな。
「多いかな? やっぱり、やめとく?」
私がそう言うと、智が焦る。……変なこと言ったっけ? 判断力は間違いなく鈍ってると思うけど。
「いえ。天音さんさえよければ、行きましょう」
「たぶん、今、判断力鈍ってるから、詳細はまた決めよ」
「はい」
智が嬉しそうに笑う。
そんなに京都に行きたかったんだな。
心なしか、智が元気を取り戻した。きっと、あっちの島で散々いじられて、疲れてたんだろうねぇ。
智が思い出したように、自分のグラスと私のグラスを変える。
「何?」
「天音さん、もうこれ以上飲まない方が良いです。判断力鈍ってるって、自分で言ったじゃないですか」
ええ!
「今日は飲むの。飲まなきゃやってられません」
「ダメです。大人しくソフトドリンク飲んでおいてください。新しいの注文しますから、何がいいですか?」
渋々メニュー表を見る。
「メロンソーダ」
「天音さん、そんなものありません。炭酸がいいなら、ジンジャーエールとかどうですか?」
「あ、ジンジャーハイボール」
私の言葉に、智が目を怒らせる。
「ジンジャーエールでいいですね?」
……私は大人しく従うことにした。
「智は世話焼きさんだね」
「天音さんにだけですよ」
「私って、そんなに危なっかしい?」
「普段はそうでもないですけど、今の状況見ると、心配になりますね。いつも、こんな感じなんですか?」
智と一緒に飲み会に出るのは、これが初めてか。これで最後になるんだろうけど。
「どうだろう? いつもこんな感じかな」
私の言葉に、智がため息を漏らす。
「僕が心配なんで、飲み会とか、あんまり飲まないようにしてください」
就職先、営業に配属される予定だから、それは完全には約束できないかもな。
「天音さん。聞いてます?」
「はーい」
私の返事が信用ならないと思ったようで、また智がため息をつく。
「僕が近くに住んでれば……」
そう、ぶつぶつ呟いている。どういう意味?
まあ、いっか。
私は仕方なく、智に交換されたウーロン茶を飲んだ。
さっき視線を感じた島を見ると、もう皆、私たちにはすっかり興味をなくしたみたいだった。私たち、おもちゃにされただけ?
「東京に帰る飛行機って、何時なんですか?」
声を掛けられて、智を見る。
「えーっと、ごめん。時間ははっきり分かんないんだけど、こっちを出る最終ってことはわかってる」
「向うにつくの、遅いじゃないですか。大丈夫なんですか?」
智は心配性だな。
「大丈夫。迎えは頼んである」
「それなら、良いですけど……」
実家にも心配性がいるもんで。
「空港行くとき、送っていきましょうか?」
「いいよ。空港までのバスも予約しちゃったし。それに確か、早坂さんに、その日シフトに入るの頼まれてなかった?」
この間、タイムカード押すところで、丁度、智が早坂さんにつかまってるのに遭遇した。日付を聞いて、帰る日だなと思ったので、覚えている。
「……判断力鈍ってるって言いながら、そう言うのは判断できるんですね」
え?
「誰が、判断力鈍ってるって?」
「天音さん、酔っ払ってますね。自分で言ってたじゃないですか」
「あ、言った。だから飲ませてもらえないんでしょ?」
智の前にあるビールを見て、恨めしそうに智の方を見ると、智が項垂れる。
「無自覚って、嫌だ」
無自覚? 何の話?
「智、どうしたの?」
項垂れた智の顔を下からのぞき込む。
つもりだったんだけど、フラッと体が揺れて、智の体に寄りかかるようになる。
“おお!”と、どこかから、声が挙がるのが聞こえる。何か、あった?
「本当に、もう、嫌だ」
智が、私の体を引き起こす。
「ごめんね。酔っ払ってて」
いくら酔っ払ってても、智が私に怒ってるのは分かります。
「帰り、絶対送っていきますから」
今日はみんながいるところだし、同じ方向の子がいるから送らなくていいよ、と言ってあった。
「いいよ。大丈夫だよ」
「これで大丈夫とか、よく言いますね」
智の声は呆れている。
「ごめんね」
私が智を見上げると、智が言葉を詰まらせる。どうした?
あ。
「智、身長伸びたね?」
「へ?」
話題が急に変わったことに、智があっけにとられている。
「だって、座ってて、私が見上げるって、結構伸びたんじゃない?」
「……気付いてなかったんですか?」
うーん。智の身長を気にしたことがなかったな。
「智が伸びたって教えてくれたら、気付いたんじゃない?」
「それ、気付いたって言いませんよ」
智が苦笑する。酔っ払いだからねぇ。
「どれくらい伸びたの?」
「測ってはいませんけど、5センチは伸びたんだと思います。170の友達と並んでもそんなに変わらなくなったので」
「へぇ。伸びるもんだね」
もう、私は伸びないだろうしな。
「天音さんは、僕の身長は気にならないんですか?」
ああ、確かに、智に関しては、身長は気にならないな。
「そうだね、智は気にならないね」
「どうしてか、考えたことあります?」
「どうしてか?」
どうして、なんだろうな?
「どうしてだと、思う?」
私が智に質問し返すと、智が苦笑する。
「僕が質問してるんですけど。まあ、いつか答えてください」
いつかでいいのか。じゃあ、いいや。
「じゃあ、そのうち」
私があっさりそう返事をすると、智が笑う。
笑うような内容なのかな。
「あ、天音さん。帰りは送りますから」
あ、話が戻った。
「断ることはできないんでしょ?」
もう、諦めモードだ。
「天音さん、今まで飲み会の時、帰るときは、どうしてたんですか?」
「え? 家が近い友達とか後輩が、うちまで送ってくれてたよ。皆うちまでついてきたがるんだよね」
「……それは、着いてきたがっているって言うか……」
何? 続きは?
「天音さん、いい友達と後輩持ちましたね」
ああ、それは思う。
「そうだね。だから、この大学選んで、このバイト選んで良かったと思うよ」
智は私が大学を選んだ本当の理由を知ってるから、それを思い出したみたいで、笑いながら頷く。
***
「じゃあね」
光が智に耳打ちした後、手を振って逆方向に向かう。光は地元の出身で、住んでる方向が違うんだよね。他の皆も、もうちりじりになっている。
「送り狼になるなって?」
私の言葉に、智が目を見開く。
「聞こえてたんですか? っていうか、聞いてたんですか?」
「少し聞こえたし、もう酔いは覚めてるよ」
最後はソフトドリンクしか飲んでなかったし、外の冷たい空気で、目が覚めた。
「まあ、そんなところです」
そんなところって、他にどんなところがあるんだ?
「そんなの心配しなくてもいいのにね?」
フラッと体が揺れる。
「どこが、酔いが覚めたんですか?」
智に腕を掴まれる。
「覚めたと思ったんだけどな」
智は当たり前のように、手をつなぐ。
「またこれ?」
「他に、肩抱かれて歩くのと、腰抱かれて歩くの、どれがいいですか?」
……それは、選択肢になかったな。
「これで、お願いします」
今日は、ここから、徒歩で帰る。智は飲みもしないのに、自転車では来なかったと……。これを見越してたのかな。
「いつも飲みの帰りは、徒歩なんですか?」
「いや。自転車で帰ってたよ」
「それ、飲酒運転……」
それは知ってる。
「だから、この間おまわりさんに注意されちゃって、今回はやめたの」
「もうやめてください」
「はーい」
「その返事、信用できないですね。でも、東京だと、飲みとかでも電車とかで移動ですよね?」
なぜ、東京の話?
「まあ、うちからなら、地下鉄かな。JRも駅はそれほど遠くないし」
「じゃあ、飲酒運転は心配しなくても大丈夫ですね」
あ、帰ってから、私が飲み歩くとでも思ってるんだ。
「そんなに飲まないから、安心して」
「この状態で言われても、信憑性有りません」
あーあ。智にはお酒については信用なくしちゃったな。
「私、信用ないね」
「これじゃ、無理ですね」
智が笑う。
その後に、あ、と声を出す。
「男の人と飲みに行くのなんて、できるだけやめてくださいね」
「そんなことしないよ」
何が楽しくて、男の人と飲みに行かないといけないんだろう。
「仕事上で断れなくて、とかあるかもしれないじゃないですか」
ああ、確かに。
「そんなに心配なら、迎えに来ればいいんじゃない?」
何の気なしに、そう返す。
「そんなことできるなら、したいですけど」
まあ、そんなこと無理だよね。
「無理なのは、分かってる」
だから、酔っ払いの戯言ですから。あ、やっぱり、まだ酔ってるな。
「……分かってるなら、言わないでください」
智の声が拗ねた。
「ごめんね」
「謝らないでください。仕方のない事じゃないですか」
智は真面目に答えてるな。
「酔っ払いの戯言だから、気にしないでよ」
「天音さん、酔っ払うと、たち悪いです」
「そう? いつもこんなんだけどな」
「本当に、天音さんは友達と後輩に感謝したほうが良いです」
いつも感謝してるんだけどな。感謝が足りないかな?