怒られたようです
犬に追いかけられたり、カエルが風で飛んできたり、不思議なことが次々と起こり、困惑するアイリス。
しまいには何者かの力によって王子と二人で川に落ちてしまって―?
バシャン!
上から水しぶきが降ってくる。
「…へ?」
突然のことに理解が追いつかない。
王子に手を貸してもらって起き上がると、ズキズキと背中のあたりに痛みを感じた。川の底に打ち付けてしまったのだろう。
「殿下、大丈夫ですか?」
そう心配して声をかけると、
「大丈夫です。それよりも、アイリス様の方は大丈夫ですか?」
見ると、エドワード王子は足先しか濡れていないのに対し、背中から落下したためだろう、アイリスは全身びしょぬれだった。
「ええ、まあ…。」
侍女のマルタに見られたら終わりだなと思いながら曖昧に返事をする。
王子はキッと橋の上をにらみつけると、
「お前だろう、出てきなさい。」
と言った。
アイリスが橋を見上げると、小さな人影がこちらを見下ろしていた。
「…レオン王子」
「レオン、言いなさい。なぜこんなことをした。」
エドワード王子の声は厳しい。
レオン王子はアイリスをにらみつけながら黙り込んでいる。
「レオン、なぜこんなことをしたのかと聞いている。」
エドワード王子はより口調を強めて言った。
「…から。」
ぼそぼそとレオン王子が言った。
「なんだ。」
「兄上を!守りたかったからだ!」
レオン王子が顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「…私はそんなことは望んでいない。」
エドワード王子は冷たく言い放った。
「でも、でも今日だって、本当は具合悪かったのにそいつが来るから無理したんだろ!婚約なんかしたら、もっと無理するじゃないか!」
レオン王子は泣きそうになりながら言った。
それを聞いて、アイリスは困惑した。
「殿下、それは本当ですか!?」
(執事は、元気だって言ってたのに!)
「会える日なら、いくらでもあったじゃない!どうしてそんな嘘をついたの!?」
王子の両肩をつかみ、思わず声を荒げてしまう。
(大事になってしまうかもしれないのに!)
しかしそれよりも、一日中横にいながらそのことに気付けなかった自分が恥ずかしかった。
「…あなたも、思いますか?」
エドワード王子がぽつりと言った。
「…え?」
「あなたも、私は役立たずだと思いますか?」
そう聞く王子の顔がとても寂しそうで、アイリスはつかんでいた手をはっと離した。
「…私は、次期国王となるために様々な努力をしてきました。しかし、脆弱なことに変わりなかった…。体が弱いことを理由に公務を休むと怠け者だと言われ、参加すれば足手まといだと言われてきました。それならいっそ、私が我慢すれば誰にも迷惑は掛からない。私さえ我慢すれば…。」
「それは違うよ!」
アイリスは叫んだ。
「どうして、一人で抱え込むの!あなたのこと大切に思っている人は、沢山いるのに!」
前世でつらい時に常にそばにいてくれた家族や友達の姿が、エドワード王子を心配する国王やレオン王子、執事たちと重なる。
アイリスの言葉に、エドワード王子の目が大きく見開かれた。
「つらい時は言ってもいいんです。もっと、周りを頼ってください…」
脳裏に浮かぶ、前世での記憶。
家族に心配をかけまいと、熱があるのを隠して登校し続けていた私に、親友のしーちゃんが言ってくれた言葉。
「もっと頼って」と。「体質は人それぞれ違うのだから」と。
その言葉で、体が弱い自分をずっと責め続けていた気持ちが楽になった。学校や行事を休むことは、他の人に迷惑をかけることではない、自分を大切に思っている人に素直になることだと、気付くことができた。
「あなたが無理をするのを、あなたを大切に思ってくれる人は願ってない。みんな、あなたが幸せになるのを願ってるから。」
心の底から、アイリスは訴えかけた。
自分に嘘をついてまで、他人に迷惑をかけまいとするエドワード王子の疲れた顔が、かつての自分と同じに見えた。
「アイリス様、泣いているのですか…?」
気が付けば、アイリスの頬には大粒の涙が流れていた。
目の前にいる王子が、独りぼっちだと、理解してもらえないのだと思っていることが悲しくて。
「あなたは弱くない。でも、支えてくれる人も必要だわ。」
泣きながらそう言うアイリスの言葉に、はっとエドワード王子はレオン王子を見上げた。
橋の上で泣きそうになりながら自分を見つめる弟の姿が、王子にはたまらなく心強く感じた。
「…私は、今まで何も見えていなかったのですね。」
そう言って、エドワード王子は微笑んだ。
そして、涙をためながら自分の前にいるアイリスに笑いかけると、
「ありがとうございます。アイリス様。おかげで大切なことに気が付けました。」
と言って、アイリスの濡れた頬にハンカチを当てた。
「っごめんなさい、不躾なことを…」
八歳児の涙腺はこんなにも緩いものなのかと自分で驚きながら、アイリスは誤った。
「いえ、うれしかったです。僕に真正面から意見を言ってくれる人は、中々いませんから。」
王子はいたずらっぽく微笑んだ。
(待って、私めっちゃ失礼なこと言った気がする!)
「ご、ごごごめんなさい!そんなつもりでは!」
王子の顔を見て先ほどの行為が思い出される。
(王子に怒鳴ってるし、肩とかつかんじゃった!)
さあっと顔から血の気が引いていく。
(こ、国外追放されるかも…)
しかし王子は楽しそうに笑うと、
「気にしていませんよ。さあ、川から上がりましょう。」
と言ってアイリスの手を取り、レオン王子を見上げた。
「レオン、頼みます。」
「わかった。」
すると一陣の風が吹き、浮遊感と共に二人は橋の上に降り立った。
「これは…」
「レオンは、風の魔法が使えるんです。」
戸惑うアイリスに、エドワード王子が説明した。
王族として生まれてくる子供は、二つの魔力を持つことができるそうだ。
母親や親族の系統によって元から持って生まれる魔法と、国王のみが持つことを許される光の魔法だ。
王族には様々な家柄の者が嫁いでくる。
双子と言えど、違う魔力を持って生まれてくることもあるという。
このことで、アイリスは今までの不思議な出来事に納得した。
(ケロちゃんがいきなり飛んで来たのも、川に投げ出されたのも、レオン様が魔法でやったことだったんだ。きっとルーファスを連れてきたのも、レオン様の仕業ね…)
「なるほど…」
「さあレオン、何か言うべきことがあるんじゃないか?」
エドワード王子がレオン王子に言った。
厳しくはあったが、先ほどのような冷たさはなかった。
「…ごめんなさい。」
レオン王子はぺこりと頭を下げた。
「私からも謝らせてください。弟が、失礼をいたしました。」
そう言うと、エドワード王子も頭を下げ謝罪した。
「気にしないでください。私、水遊びは好きなんです。」
アイリスが二人に向かって言うと、二人の王子はきょとんとして顔を上げた。
(…あ、貴族の子は水遊びなんてしないんだった!)
つい口を滑らせて焦るアイリスだったが、顔を上げた二人の表情があまりにもそっくりすぎて、思わず笑ってしまった。
「ぷっあははは…」
「な、何を笑っているんだ!」
レオン王子が口をとがらせたて言った。
「だって二人とも、顔がそっくりなんですもの!」
「ふ、双子だから当たり前だろう!」
「あはははは…」
反論するレオン王子に、笑い続けるアイリス。
エドワード王子は驚いた顔をして、
「似ているなんて、生まれて初めて言われた…」
と一人つぶやいた。
ひとしきり笑うと、外の日が傾きかけていることに気づいた。
「もう、帰らなければいけませんのね…」
アイリスは自分のドレスを見ながら言った。濡れて重くなったドレスからは、ポタポタと水滴が滴っていた。
(こんな格好怒られるよね…せめてドライヤーがあれば…)
そう思い視線を上げると、エドワード王子と目が合った。その瞬間、アイリスはひらめいた。
「殿下!そういえば殿下は火の魔力をお持ちですよね!」
「え、ええ…」
食い気味のアイリスに、少し驚くエドワード王子。
「それで、レオン王子は風の魔力をお持ちで?」
「そうだが、それがなんだ?」
二人とも不思議そうな顔をしている。
「ちょっと、お力をお貸ししてもらいますわよ…」
フフフフと不敵な笑みを浮かべ近づくアイリスに、二人は不安そうに顔を見合わせた。
「これです、これ~!」
両腕を掲げ、風に髪をなびかせながらながらアイリスは言った。
少し離れたところには、エドワード王子とレオン王子が、両手を掲げながら立っている。
「な、なぜ俺がこんなことを…。」
「もとはと言えばお前が悪いんだ。当然のことだろう。」
アイリスに風を送りながら不満を漏らすレオン王子に、エドワード王子がぴしゃりと言った。
レオン王子の風の魔法と、エドワード王子の火の魔法を合わせて、川でぬれたドレスを乾かしているのだ。
(これぞ、まさに魔法のドライヤーよ!)
従来のドライヤーより風の幅が大きく温度も調節できるため、ドレスはあっという間に乾いてしまった。
「お二人ともありがとうございます!」
すっかり乾いたドレスに満足しながらアイリスは言った。
「きちんと乾きましたか?」
「はい!特に殿下がちょうどいい温度を保ってくださいましたから、すぐに乾きましたわ!」
「それはよかった。」
「…俺も手伝ったのに…。」
仲良く微笑む二人に、レオン王子はふてくされて言った。
「あら、レオン王子もお役に立ちましたよ。ちょっとですが。」
「ちょっとってなんだ!」
「嘘です。レオン王子もありがとうございます。」
(やだ~すねちゃってかわいい。)
思わず頬が緩む。
「…なんだか顔がにやけているが。」
「そ、そんなことないですよ~」
「嘘つけ!」
ワイワイと言いあう二人を、エドワード王子はしばらく見つめていた。
そして何かを決意したように数歩近づき、片膝を折り曲げると、
「アイリス様。あなたも、これから私を支えてくださいますか?」
と言ってアイリスの手を取った。
「?もちろんですわよ?」
(友達くらいなら、バッドエンドにはならないよね。)
アイリスの言葉に、王子は嬉しそうにほほ笑んだ。
横ではレオン王子が赤くなってそっぽを向いている。
王子はふふっと笑い立ち上がると、近くに咲いていた純白の花を摘んで言った。
「今日のお詫びとは言えないかもしれませんが…これを。」
百合に似た形をしたその花は、レースのように繊細で美しい花びらがいくつも重なっていた。
「きれい…」
可憐で美しいその花を見て、まるでエドワード王子のようだとアイリスは思った。
「これは純粋な水の元でしか育たない珍しい花で、ヌーヴェル・マリエと言います。」
そう言って、リボンが取れてボロボロなアイリスのドレスに花を挿した。
野暮ったかったリボンの代わりにアイリスの腰に据えられたその花は、アイリスの薄い桃色のドレスをより一層美しくさせた。
(まあ、これで怒られずに済むかな…。)
温室から外に出ると、辺りは夕焼け色に染まっており、外では何人かの使用人が帰りの遅いアイリスたちの名前を呼んでいた。
「結構遅くなってしまいましたね。」
「大冒険でしたわ。」
本当にいろいろなことがあった、とアイリスは思った。
「王子!」
三人の姿を見た一人の執事が、慌てた様子で駆けてきた。
「げ!見つかった!」
慌てて逃げようとするレオン王子。
走り出す前に、ちらっとアイリスの方を見て、
「…悪かった。」
とつぶやき、さっそうと逃げていった。
「フフ、素直じゃないなあ。」
そう笑うアイリスに、
「あの子はそう言う子ですから。」
と言うエドワード王子。
「―あの、アイリス様?」
「なんでしょう?」
王子はしばらく恥ずかしそうにしていたが、何かを決心したようにアイリスの顔をまっすぐに見つめた。
「私のことは…その、エドワードと、呼んでいただけますか?」
そう言った王子の顔は、夕日でほんのりピンクに染まり、とても美しかった。
「殿下!アイリス!」
返事をしようと口を開きかけたその時、メルキュール公爵とマルタが心配した様子でやってきた。
「こんなに遅くまで…何かあったのかと皆心配していたんだぞ!」
近くに来るなり娘を抱きしめる公爵。
「大丈夫よパパ。ちょっと冒険してただけよ。ねえ、エドワード様?」
そう言って振り向くと、王子はぱあっと顔を輝かせ、
「はい。それに素晴らしいお宝も見つけました。」
といたずらっ子のように言った。
その言葉を聞いた途端、公爵は呆然と固まってしまった。
マルタもうれしそうに手で口を覆っている。
「お、お父様!?どうしたの!」
動かなくなってしまった父親を揺さぶるも、反応がない。
王子は、どうすればいいのか分からずおろおろするアイリスの手を取り、口づけをすると、
「また明日、会いましょう。アイリス。」
と言って、王宮へと帰っていった。
「え、ええ。また…」
そう言って王子を見送るアイリスを、意識が戻った公爵が再び抱きしめた。
「ちょ、痛っ。お父様!痛いです。」
「何てことだぁぁ…娘を嫁にやるのが、こんなにも寂しいなんてえぇ…」
そう言っておいおい泣き出す父親。
「落ち着いてください、って、ええ!?だ、誰と誰が結婚ですって!?」
「お嬢様と、エドワード王子ですよ。」
アイリスを抱きしめながら泣き続ける公爵に、呆れたようにハンカチを差し出しながらマルタが言った。
「な、なんですって!?」
一気に青ざめるアイリス。
(も、もしかして、あの時のって…そういうことだったのね!)
自分の鈍感さに嫌気がさす。
「まって、ということは…」
「お嬢様…?」
「自分から破滅に近づいたってことーーー!?」
アイリスの声が庭園中に響き渡った。
お読みいただきありがとうございます。
また、ブックマーク登録もありがとうございます。励みになります。
休日の投稿早めにしようか検討中です。