無事なようです
夢の中でメルキュール夫人と出会ったアイリス。
果たしてクレーヴェルたちは無事なのか…
「-リス!アイリス!」
誰かが、自分を呼んでいる声が聞こえる。
(ウウ…)
ふいに体中の痛みが戻り、思わず顔をしかめる。
目を開けると、自分を抱きかかえる父親の心配そうな顔が見えた。
「パパ…?」
「ああ、アイリス!」
アイリスの声に、公爵は心の底のから安心したように笑った。
「よかった…本当に…!」
ぎゅっと公爵に抱きしめられるアイリス。
その瞬間、かすかにバラの香りがした。
「大丈夫か?痛いところは?まったくお前たちは、言ったそばからなぜ危険を冒すんだ!」
心配する言葉とお説教を矢継ぎ早に言われ、まず何から答えればいいのか迷ってしまう。
「大丈夫ですわ…ええと、お父様、痛いですわ。」
「あ、ああ!すまない…。」
とりあえず聞かれた順に答えると、公爵はパッとアイリスを抱きしめていた手を離した。
「それと、なぜ危険なところに、ということに関してですが、あれはクレーヴェルが勝手に言ってしまったからであって―」
ハッとしてあたりを見回すが、アイリスがいるのは先ほどまでの魔石のあった場所ではなかった。
「そうだわ、クレーヴェル!あの子は、あの子は無事なんですの!?」
辺りにクレーヴェルがおらず、半ばパニックになるアイリス。
「どうしましょう!探しに行かないと…!」
「落ち着きなさい。あの子は無事だよ。私たちは念のために魔石から離れたところにいるんだ。」
「ではクレーヴェルは今どこに…?」
アイリスがそう聞くと、
「あの子の中にある闇の呪いが、完全に無くなったかどうかはまだわからないんだ。だから、まだあの場所にいるよ。」
と公爵は少し眉根を寄せた。
「お父様…その…。」
アイリスはもじもじと公爵を見つめた。すると公爵はふっと優しい表情に戻り、
「ああ、行ってやりなさい。」
と言ってアイリスの肩にマントを羽織らせた。
(魔石はもう大丈夫なのかしら…?)
魔石に近づいても、以前のように魔力を吸い取られているような感覚はなくなり、圧迫感も消えている。
ただ、予想以上に魔力を吸い取られたせいで、うまく足に力が入らない。
(これはしばらく魔法は使わないほうがよさそうね。)
そんなことを考えていると、一分とかからず魔石のある場所についた。
魔石近くの切り株にはクレーヴェルと老婆、アランが座っていた。
そして、その少し離れているところにはマルシャンが立っていた。
老婆はクレーヴェルの両手を持って目を閉じ、なにやら考え事をしているようだった。
「クレーヴェル!」
クレーヴェルの無事な様子を見て安心したアイリスは、思わず大きな声をあげてしまい、アランにシーっと注意されてしまった。
ハッとして静かに三人のもとに走り寄ったアイリスは、
「クレーヴェルは大丈夫なんですの?」
と小さな声でアランに聞いた。
アランはこくりと頷くと、ちらりとアイリスに目を向けた。
「…あなたは?」
アイリスは一瞬キョトンとしたが、アランが心配してくれているのだと気づき、慌てて大丈夫だと返した。
「アラン様は大丈夫ですか?」
そう聞くと、アランは無表情のまま頷いた。
「…おばあ様方は何をされているのですか?」
アイリスは目をつむったままの二人を見た。
「…診察しているようです。」
相変わらずのアランの説明不足の答えに、要領を得ないアイリス。
(何の診察よ!)
しかし、聞こうとする前に老婆のほうに動きがあった。
「…なるほどねえ。」
そうため息をつくと、老婆はクレーヴェルの手を乗せていた両手を下した。
「あ、おばあ様…。」
アイリスの声に気づいた老婆が振り返った。
布の巻かれていない老婆の、真っ白く白濁した瞳がアイリスをとらえる。
「ああ、嬢ちゃんかい。目が覚めたんだね。」
優しそうに目を細める老婆。
「ね、姉さん!」
「動くんじゃないよ!」
慌てた様子でクレーヴェルが立ち上がろうとするが、老婆に一喝されて渋々腰を下ろす。
「まったく…。あんたたちは大人の言うことを聞かずに!どんなに危険なことだったかわかっているのかい!?」
一瞬にしてまた元のしかめ面に戻り、老婆はアイリスたち三人を叱り飛ばした。
「ご、ごめんなさい…。」
老婆の圧に、おとなしく頭を下げる三人。
「まあ、嬢ちゃんが投げてくれた奴のおかげで助かったんだけどね。」
ハッと顔を上げると、老婆は恥ずかしそうに頬をポリポリとかいた。
あの時アイリスがとっさに投げたのは、老婆からもらった鉄の塊だった。
老婆によると、あの鉄クズに宿っていた闇の呪いを魔石が吸い込んだことで、容量オーバーし、魔石の暴走が収まったのだという。
(あれは本当にお守りになったのね。呪いの品なんて言っちゃって、申し訳ないわ…。)
アイリスは心の中でお守りに感謝を伝えた。
「…まあその、なんだ…助かったよ…。」
そっぽを向く老婆に、アイリスはふっと微笑ましい気持ちになった。
「こちらこそ、ありがとうございました。感謝してもし足りませんわ。」
アイリスの言葉に、老婆はきまり悪そうに咳ばらいをすると、
「それで、あんたの魔力のことだけどね。」
と、それには答えずに話題を移した。
「あんたん中に巣喰ってた闇の魔力はすっかり消えた…って訳じゃない。わずかだがまだ残ってるんだ。」
「そんな…。」
「心配はいらないよ。そう簡単に出て来やしないさ。だけど、念のためにこれを持っていなさい。」
そういって、老婆はクレーヴェルに首飾りを差し出した。
その首飾りには小さなクリスタルが結わえられていた。
「この魔石から作ったんだ。こんなに小さいからもう暴走しないとは思うけどね、一応魔法をかけておいたよ。」
「ありがとうございます…。」
クレーヴェルが受け取ると、クリスタルはキラキラと光を反射させた。
「おやおや、この魔石はあんたを気に入ったようだねえ。」
老婆の言葉に、アイリスとクレーヴェルは「ええ!?」と顔を見合わせた。
「あの石は私たちを殺そうとしたんですのよ!?」
老婆はそれを聞いてへっへっへと笑うと、
「オオカミはウサギを、ウサギは草を喰う。それが自然界の掟さ。あの石にとっちゃ、人間も動物も平等なんだ。」
と言った。
「人間が勝手に食物連鎖から抜け出しただけでね。」
老婆は魔石を見つめた。
アイリスも魔石のほうを向くと、魔石は以前の輝きをなくし、落ち着いたブルーグレー色をしていた。
「…。」
アイリスは立ち上がると、魔石へと近づいた。
「…あなたは、お腹が空いていただけだったのね。」
魔石に触れると、ひんやりとした冷たさが両手に伝わってきた。
(こんな所で縛り付けられていて、寂しかったのかしらね…。)
動けないようにだろうか、巨木にがっしりとつかまれている魔石を、今では不憫にすら思えた。
「その魔石はね、あんたのことも気に入っているみたいだよ。」
遠くから老婆が声をかけてきた。
「え?」
「ほらそこ、見てみな。」
老婆が指さす場所を見上げると、魔石をつかむ木の幹に、大きなひびが入っていた。
「その木は魔石を支えるために生えていたんだがね、年が経つにつれてどんどん締め付けられていったようだね。あんたのおかげで苦しくなくなったようだ。」
「そうだったんですのね…。」
アイリスは魔石のつるつるとした表面を撫でた。
石の中で、ブルーグレーの靄が嬉しそうに揺らめいた。
「あら?」
ふと、手のひらに魔力を感じたアイリスは声を上げた。
魔石の中から、水の魔力がアイリスのもとへと返されたようだ。
「おやおや、あの魔石が魔力を返してくれるなんて。珍しいこともあるもんだ。」
老婆が感嘆の声を上げた。
「…返してくださるの?」
アイリスの問いかけに答えるかのように、魔石は続いて水色の光、青い光、透明な光など、淡く光る様々な魔力を放った。
それらの魔力がそれぞれの持ち主のもとへ帰ると、魔石は再び元に戻り、その中には黒い靄だけが残った。
「おやおや。太っ腹だねえ。」
感心したように言う老婆は、魔力が戻ったおかげか、先ほどよりも元気に見えた。
「ありがとう。」
アイリスはそう言って魔石に感謝を伝えると、クレーヴェルの元へ戻った。
「じゃあ、そろそろ帰るとしようかね。」
そう言うと、老婆はよっこらせと立ち上がった。
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