なにか怪しいようです
意外な出会いがありつつも、無事目的地にたどり着いたアイリス達。
しかし、アイリスはそこで気がかりなものを見てしまい…。
「着きましたわ。」
ニコニコしながら、ルビーはユヌ・ケイプと書かれたガラス戸を開けた。
「わあ…。」
アイリスはその店内を見回して感嘆の声を上げた。
白と桃色で統一された可愛らしい内装に、薄いベージュの木の床が落ち着いた印象を与える店内は、少し古風な裏通りの中ではよく目を引くが、他の店から浮いて見えることはなかった。
「マルス令嬢、メルキュール令嬢。ようこそおいでくださいました。」
店の奥から、ふっくらとした女性が出てきた。
「ごきげんよう。アイリス様、こちら店長のハイネ夫人ですわ。一人でこのお店を経営されていましたの。」
「フランソワ・ハイネと申します。」
「ごきげんよう。アイリス・ロ・メルキュールです。」
「マルス令嬢からお話は伺いました。メルキュール令嬢もご出資してくださり、心からお礼申し上げます。」
ハイネ夫人は恭しく挨拶すると、首にかけていた巻き尺を置き、カウンターから出てきた。
「とても素敵な店内ですね。」
アイリスは再び店内を見回して言った。
「ありがとうございます。」
ハイネ夫人はにっこりと笑うと、アイリス達に椅子をすすめた。
ゆったりとした動作で紅茶を入れる夫人に、ルビーはアイリスのスケッチブックを差し出した。
「今日は、アイリス様のデザインを持ってきたんです。」
夫人はカップを置いてスケッチブックを受け取ると、パラパラとページをめくった。
本物のデザイナーに、自分の書いたデザインを見てもらうというのはとても緊張する。
ダメだしされるのではないかと不安になり、アイリスはそわそわと周りを見回した。
するとふと、ガラス越しに、見覚えのある人物が映ったような気がした。
(え?)
アイリスはもう一度見ようと目を凝らしたが、その人物はすぐに角を曲がり姿が見えなくなってしまった。
(お父様…と、チェルシー伯爵?)
公爵達が王都に来ることは聞いていたため、ここにいること自体に驚きはしなかったが、アイリスが不思議に思ったのは、公爵の様子だった。
どこか焦ったような表情を浮かべていた公爵は、まるで人の目を気にしているようだった。
(何してるんだろう。)
それに、本来一緒にいるはずのクレーヴェルがいないのも気になる。
(ずいぶん切羽詰まった顔をしていたけど…。)
「このデザインですが―。」
不意に夫人が口を開き、外を見ながら考え込んでいたアイリスは慌てて顔を上げた。
「―とても革新的で素晴らしいです。」
「ほ、本当ですか?」
夫人はにこやかに頷くと、スケッチブックをアイリスに向けた。
「はい。中でもこのドレスは今まで見たこともない斬新なデザインです。」
和服をモチーフにしたデザインで、アイリスの一番のお気に入りだ。
「特に、この胸から裾にかけての流れるような切れ目が素晴らしいですわ。これは一枚の布を胸のところで重ねているのですね?」
さすがはプロ。
一枚絵を見ただけで、構造までも把握してしまうのか。
「ええ。バスローブの様な形のものを、腰のリボンで止めているのです。」
アイリスが身振り手振りで説明して見せると、夫人はサラサラと紙にメモしていった。
「私はこの袖の部分も好きですわ。」
ルビーは、振袖をイメージして描いた長い袖を指さした。
「舞踏会で着たら、踊っているときにたなびいて、とてもエレガントでしょうね…。」
ルビーはうっとりとしたようにそう言い、夫人もそれに同意するように頷いた。
「美しく動くようになさるのでしたら、レースなどのなるべく軽い素材の方がよいかと。エレガントさに、繊細な美しさが加わりますよ。」
「なるほど…。」
アイリスはその様子を想像してみた。
ワルツに合わせて踊る人々。
その中で、ひときわ目を引く重厚感のあるドレス。
くるっとターンをする。
それに合わせて、ふわりと軽やかに広がる、レースの袖―。
(素敵…!)
想像してみると、期待と興奮で胸が高鳴った。
それから、三人はアイリスが描いたデザインについて何時間も相談し、意見を出し合った。
ルビーのセンスのいい配色や、夫人の長年のドレス作りで培った豊富な知識は、アイリスのデザインをより良いものとしてくれた。
皆真剣にデザインについて考え、話し合いが終わったころには日が傾きかけていた。
「お二人とも、本日はお越しいただきありがとうございました。」
「こちらこそ。ドレスの完成が楽しみですわ。」
アイリスは夫人にスケッチブックを渡して言った。
スケッチブックの各ページには、今やびっしりとメモや説明が書かれていた。
「全てのドレスを今まで通り手作りするのは大変でしょうから、何人か腕のいいお針子を雇うことにしましょう。私もたまにお手伝いします。」
「お心遣い感謝いたします。」
三人は店先で別れの挨拶をし、互いのこれからの健闘を祈りあった。
アイリスとルビーは店まで迎えに来たそれぞれの家の従者について、それぞれの馬車に乗った。
「じゃあ、またね。」
「ええ。またお会いしましょう。」
アイリスは馬車の窓からルビーに手を振ると、満足げに椅子に身を沈めた。
このお店を一緒に盛り上げていく仲間として、今日はとても良いスタートを切れたのではないか。
そんなことを思いながら外を眺めていると、店にいるときに見た、公爵が入った路地を見かけた。
「ち、ちょっと。止めて頂戴!」
アイリスは馬車を止めさせると、路地の方へと向かった。
なぜ、公爵はこのような人通りが全くない薄暗い路地にいたのだろうか。
「お、お嬢様、一体どうなさいました?」
「ねえ、この路地には何があるの?」
慌てて走ってくる従者に、アイリスは聞いた。
「この路地…でございますか?そうですね、見た限り、あの古そうなアンティーク屋しかないように見えますが…。」
従者はそう言い、なぜそんなことを聞くのかといぶかしげな顔をした。
「そう、ありがとう。」
アイリスはそう言ってアンティーク屋の方へと歩き出した。
「あ、いけません、お嬢様!」
従者は、路地に入ろうとするアイリスにぎょっとしたように制止した。
「あのような店はお嬢様がいかれるようなところではございません。馬車にお戻りくださいませ。」
必死に頼む従者に、アイリスは不満に思いながらも、仕方なく馬車に戻ることにした。
「ねえ、あのお店には何が売っているの?」
馬車に乗り込む際、アイリスは従者の手を取りながら聞いた。
従者は一瞬ためらうように目を動かしたが、
「とても…禍々しいものでございます。」
と声を潜めた。
「禍々しいもの?」
「はい…。人が扱うにはあまりに強大で、危険な代物です。」
従者は慎重に言葉を選びながら言ったが、そのこと自体が、あそこで売られているものがそれだけこの世界の道理に反したものであることを表していた。
(じゃあなぜお父様はあそこにいたのかしら…。)
アイリスは無言で馬車に乗り込み、再び窓の外を見やった。
先程までアイリスがいたところとは全く雰囲気の違う、どこか隔離されたような場所。
思慮深い父親が、わざわざあんな所に出向くなんてことは、よっぽどの理由がない限りあり得ない。
よっぽどの理由。アイリスにはその理由が何なのかが推測できた。
(クレーヴェルのことね…。)
彼らがあそこにいたのは十中八九アンティーク屋を訪ねるため、そしてその目的は恐らく、伯爵が持ってきた、魔力を吸い取るあの神殿の魔石のことだろう。
あの店の雰囲気から察するに、あの魔石は合法的なものではないらしい。
しかし公爵は依然、クレーヴェルのことはアイリスたちの力で救えると言っていた。
つまり、公爵があんなところに、しかも家族に内緒で出向くまで、事態は切迫しているということだ。
アイリスはスカートを握りしめた。
父親がアイリス達を巻きこむまいと考えていることはわかる。
しかしそれ以前に、このような状況でも何もできない自分が悔しかった。
このことを知れば、クレーヴェルはこれ以上ないくらい悲しむに違いない。
(とりあえず、もっと情報を集めなくちゃ。)
アイリスはそう思い、店のある番地の番号をこっそりメモした。
お読みいただきありがとうございます。
また、ブックマーク登録もありがとうございます。励みになります。
登録者100人を目指して、頑張ってまいります。