お泊り会のようです②
王宮を出て、マルス家へ向かおうとしていたアイリスたち。
しかしそこには思わぬ先客がいて…
「あら?」
アイリスは、今王宮にいるはずのない人物に驚きの声を上げると、その人物はこちらを振り返った。
「チェルシー伯爵、なぜここに?」
伯爵は、どうやらアイリスたちが出てくるのを待っていたらしく、
「クレーヴェル殿に用事があり、一足先にこちらへお邪魔したのですよ。」
と微笑んだ。
「クレーヴェルに、ですか?」
アイリスは後ろにいるクレーヴェルを振り返った。
しかし、クレーヴェルも伯爵の用事を知らないらしく、アイリスの顔を見てフルフルと首を振った。
「…どのようなご用事でしょうか?」
「危険なことではありませんよ。少し彼と話をしたいだけですので。」
警戒するアイリスを安心させるように、伯爵は笑顔のまま言った。
「それに、公爵様にもお許しを頂いております。」
「お父様が?」
メルキュール公爵が許可したと聞けば、ここは引かざるを得ない。
「…分かりましたわ。ですが、どのような用なのかは教えていただけませんの?」
伯爵はフム、と言ってわずかに考える素振りを見せたが、
「それはここではお話しできませんな。」
と言った。
端から教える気などなかったのだろう。
「そろそろよろしいですかな。クレーヴェル殿、まいりましょう。」
伯爵はそう言うと、馬車の扉を開けた。
「姉さん。」
クレーヴェルがアイリスを見上げる。
「きっと大丈夫よ。また後で会いましょ。」
不安そうなクレーヴェルに笑いかけると、アイリスは伯爵の方を向いた。
「どうか弟をよろしくお願いいたしますね。」
(クレーヴェルを危険な目に合わせたら許さないわよ…)
上目遣いに伯爵を一瞥すると、伯爵はふっと笑って
「もちろんです。」
と頷いた。
クレーヴェルが渋々馬車に乗り込むと、伯爵は馬車の扉をぱたんと閉じた。
(大丈夫かしら…何か嫌な予感がするわ。)
ざわめく気持ちを抑え、マルス家に向かうためにアイリスも馬車に乗り込んだ。
「ルビー!」
「アイリス様!」
マルス家に到着すると、ルビーとマルス公爵夫人がアイリスを出迎えてくれた。
女の子らしい服に身を包んだルビーと、以前のかっちりした服と違う優しいラインのドレスを身にまとった公爵夫人は、出会った頃よりもリラックスした明るい表情をしている。
「ようこそおいでくださいました!!」
「ルビー。レディなのですから走るのはおやめなさい。」
アイリスに走り寄るルビーに夫人が注意した。
…マナーに厳しいところは、以前と変わらないようだ。
「はあい。気をつけます。」
しかし、ルビーが以前のように夫人の顔色を伺うことなく明るく返している辺り、この二人の親子関係はだいぶ良好になったのだろう。
(仲がよさそうでよかった…)
アイリスはそんな二人をみて、思わず頬をほころばせた。
「本日はこのような急なお願いにもかかわらず、お許しいただき感謝申し上げます。」
「いいえ。来てくださり私共も嬉しいですわ。」
夫人はそう言うとアイリスに近づき、
「ルビーも、アイリス様がいらっしゃるのを夜も眠れないほど楽しみにしておりましたから。」
とこっそり囁いて、ニコリと微笑んだ。
「まあ、私と同じですね。」
アイリスと夫人はフフフと笑いあった。
「お二人だけで何をお話しているのです?」
ルビーが横から割って入った。
「何でもないわよ。それよりルビー、アイリス様にお見せするものがあるのではなくって?」
夫人がそう言うと、ルビーは思い出したように手をたたいた。
「そうでしたわ!アイリス様、こちらへいらしてください!」
「え、待ってルビー!」
そう言って屋敷へと入っていくルビーを、アイリスは慌てて追いかけた。
「ご覧くださいませ、アイリス様!…あら?」
ある一室の前で止まったルビーは、アイリスを振り返った。
が、あまりの足の速さにアイリスは追いつくのもやっとだった。
「ちょ、ちょっとまって…ルビー、速すぎ…」
肩で息をしながら言うアイリスに、ルビーは慌てて駆け寄った。
「ごめんなさい、つい気分が上がってしまって…」
申し訳なさそうに謝るルビーに、
「だ、大丈夫よ…。」
アイリスは言い、しばらく息を整えた。
「ルビーは足が速いのね。」
感心して言うアイリスに、ルビーはかあっと赤くなった。
「そ、そんな。いつもお母様には走らないよう言われていたのに…。」
「いいじゃない。私もよく怒られるもの。」
アイリスはそう笑いかけると、
「お待たせ。さあ、行きましょ。」
と言って部屋の扉を開けた。
「まあ!」
アイリスは部屋の中を見て驚いた。
目の前には、以前の何倍も広くなった秘密の部屋が広がっていた。
「すごい!」
アイリスは部屋に足を踏み入れ、色ごとに整頓された布や、ハンガーではなくきちんとマネキンに着せられたドレスを見て回った。
「本格的な感じがするわ!素敵!」
「お母様がこの部屋を私にくださったのです。今では二人でドレスを作ったりもしているんです。」
嬉しそうに笑いながら、ルビーは白いドレスを着たマネキンの前に立つ、アイリスの隣に並んだ。
「このドレスも、今お母様と作っているんです。」
「すごいわね…」
アイリスはドレスの袖を手に取った。
柔らかな手触りのシルクが手を滑っていく。
「実は、お見せしたいものはもう一つありますの。」
アイリスが振り向くと、ルビーは一枚の紙をアイリスに差し出した。
(なんだろう?)
開いてみると、それはルビー行きつけの服屋「ユヌ・ケイプ」との契約書だった。
「実はあのお店、もうすぐ閉店するところだったのです。なので、私がお店を買ったんですの。」
「え、それってつまり…」
「はい。今は私のお店です。」
それを聞いた途端、アイリスは思わずルビーに抱き着いた。
「すごい!すごいわルビー!夢をかなえたのね!」
以前、ルビーは自分の店を持ちたいと言っていた。
そのために、家族に内緒にしながらずっと努力していたのだ。
それを知っていたアイリスは、まるで自分のことのように嬉しかった。
「ルビーのお店だったら絶対王都一、ううん、世界一人気になるわ!」
嬉しそうに涙を浮かべながら言うアイリスに、ルビーも瞳を潤ませた。
「はいっ…ありがとうございます…!」
二人は涙で顔をくしゃくしゃにしながら抱き合った。
「…フフ、二人で泣くなんてなんだかおかしいわね。」
「他の方が見たら、きっと驚きますわ。」
二人は涙を拭くと、互いに笑いあった。
「あらためておめでとう、ルビー。なんだか感動しちゃったわ。」
「ありがとうございます。私もお店を持てる日が来るなんて、夢のようです。」
アイリスは嬉しそうに笑うルビーを見つめた。
涙に濡れたルビーの赤いまつげが、昼の日差しに鮮やかに照らされてキラキラと輝いた。
「あ、そうだ。今日は約束したドレスのデザインを持ってきたのよ。」
思わずその可憐さに見とれていたアイリスは、持ってきた荷物の中からスケッチブックを取り出した。
「ありがとうございます!私は本に描かれているデザインやお店に売っているものしか作れないので、教えていただきたくて…」
「私のデザインなんて参考になるかしら。」
アイリスはパラパラとスケッチブックをめくりながら呟いた。
「アイリス様のデザインはどれも斬新で素敵です!私は大好きですもの!」
ルビーは真剣な顔をアイリスに近づけた。
「王宮のパーティーのデザインも、見せてくださる絵もどれも全て、アイリス様は素晴らしいです!」
「え、ああ…そう言ってくれて嬉しいわ…」
力説するルビーに押される。
(そんなに褒められちゃうと照れるなあ。)
「それなら私のデザインをルビーにあげるわ。お店で服を売るなら、ほかのお店のデザインを売るわけにいかないでしょ。」
ルビーはぽかんとした表情でアイリスを見つめ、そしてすぐ真っ赤になって首を振った。
「そ、そそそんな!アイリス様のデザインを使うなんて恐れ多くてできませんわ!」
「いいわよ。私のデザインくらい、いくらでも使ってちょうだい。」
アイリスはそう言ってスケッチブックを差し出すが、ルビーは首を振ったまま受け取ろうとしない。
(別にこれくらいいいのに…でもルビーを手伝いたいしな…)
アイリスはしばらく考えると、はっといい案を思い付いて笑顔を向けた。
「そうだわ!ルビー、私を雇えばいいのよ!」
「え、アイリス様を…ですか?」
「そう!デザイナーとして雇ってくれれば、ルビーにデザインをあげれるし、ルビーも遠慮しなくて済むでしょ?」
(我ながら名案ね!)
ルビーは、初め思案顔で悩んでいたが、
「―では、共同事業者としてでしたら…」
と言ってアイリスを見た。
「ええ!そんなのだめよ。だってお店はルビーのでしょ。」
アイリスは思わぬ方向に話しが進み、戸惑いを隠せずに言った。
「いいえ。ここまで来れたのはアイリス様のおかげですもの。それにアイリス様となら心強いですし。」
ルビーは断固として言うと、部屋の扉を開けた。
「お母様にお知らせしてきますね!」
そうルビーは走っていってしまった。
「ええ…そこまでしなくても…」
色々な意味で取り残されたアイリスはその場でぽつりと呟いた。
しばらくすると、ルビーがニコニコして戻ってきた。
「お母様もお父様も大賛成でした!さっそくメルキュール公爵様にお手紙をお書きするとのことです。」
アイリスはスケッチブックから顔を上げると、
「お父様は賛成してくださるかしら…」
と呟いた。
「アイリス様のデザインを見た方で、反対する方はいません。」
ルビーは力強く言うと、アイリスの隣に腰掛けた。
「アイリス様のデザインした服を私が作る…とても素敵なこと過ぎて、まだ信じられません。」
「私もよ。なんだかドキドキするわね。」
アイリスが笑いかけると、ルビーもはにかんだようにそれに答えた。
その後、アイリスはルビーから店についての説明を受けた。
店の名前は、ルビーが客として通っていたころの名前「ユヌ・ケイプ」のままにすること、ルビーやアイリスは名目上の店主ということで、当時の店長や従業員はそのまま雇い続けるということなど、事細かに説明してもらった。
キラキラと目を輝かせながら説明するルビーを見て、アイリスも心を躍らせた。
(悪役令嬢がお店を持つなんて、なんだかおもしろいかも。)
それから、ドレスのデザインや店の内装のことについて話し合っていると、あっという間に夕方になってしまった。
「もう日が沈んでしまうわね。」
アイリスは窓から差し込んでくる橙色の光を見つめて言った。
「早いですね。そろそろお夕食の時間ですわ。」
「そうね。それに、もうクレーヴェルが来ていてもおかしくないのだけれど。」
いぶかしげにアイリスが言うと、コンコンとドアがノックされて一人の侍女が入ってきた。
「ディナーのご用意ができました。お嬢様、アイリス様、どうぞこちらへ。」
「はあい。」
二人は広げていた資料を簡単にまとめ、夕食を食べに下に降りていこうとした。
「それと、アイリス様。」
部屋を後にしようとしたとき、先ほどの侍女がアイリスを呼び止めた。
「はい?」
「チェルシー伯爵から言付けを預かっております。クレーヴェル様は、今日は来られないとのことです。」
「なんですって?」
アイリスは聞き間違えたのかと思い振り向いた。
「思ったよりも話が長引き、こちらへ着くのが夜遅くなってしまうとのことで、今日は伯爵家に泊まられると。」
アイリスは耳を疑った。
(初めからそのつもりだったのね…)
王宮からここへ来る途中、クレーヴェルの荷物が馬車に乗っていなかったのに気づいて怪しく思っていたが、アイリスの予想は当たっていたようだ。
(それならそうと、前もって言えばいいのに。)
アイリスには、どうも伯爵の行動が不可解に思えてならなかった。
何か隠していることがあるのではないか。
「…。」
「アイリス様、大丈夫ですか?」
黙り込むアイリスにルビーが声をかけた。
「ええ…」
ぼんやりと返事をすると、アイリスは侍女に案内されるがままに食堂へと向かった。
夕食時も、アイリスはクレーヴェルのことが気がかりで、心ここにあらずと言う感じだった。
そんなアイリスの様子を、ルビーは理由を聞こうか聞くまいか悩みながら見ていた。
「あ、あの。何かお悩みなのですか?」
夕飯からの帰り道、ルビーは意を決してアイリスに聞くことにした。
「なにかお悩みでしたら…その、私に手伝えることがあれば…」
アイリスはゆっくりと顔を向けると、口を開きかけたが、すぐに閉じて首を横に振った。
「大丈夫よ。ありがとう。」
(ルビーに話すわけにはいかないものね。)
ルビーは納得していないようだったが、アイリスは微笑んだだけで再び前を向いたため、この話はそこで終わりとなった。
その後は、二人共夫人がうるさいと怒りに来るまで他愛もない話で盛り上がった。ルビーはアイリスの気が少しでも晴れるように明るい話をしてくれたし、アイリスもそれを分かっていた。
しかし、どうしてもアイリスの頭から、嫌な予感が離れることはなかった。
翌朝、アイリスが目覚めると、ルビーは早くに起きたらしくその姿はなかった。
(ちょっと遅くまで寝すぎたかな。)
清々しい日差しの中、伸びをしながらアイリスは思った。
消灯してからも、アイリスはあれこれ考えていたため、結局寝るのが遅くなってしまったのだ。
ルビーはきっと、アイリスを気遣って起こさないでくれていたのだろう。
(ルビーはどこに行ったのかな?)
服を着替えていると、侍女が水の張ったボウルを持ってやってきた。
「おはようございますアイリス様。顔洗用の桶を持ってまいりました。」
「ありがとうございます。あの、ルビーはどこに…?」
侍女はボウルを鏡の前に置くと、少しこわばったような表情を見せた。
(?)
「…ルビー様は訓練に行っておられます。」
侍女の表情に疑問を抱いたアイリスだったが、侍女はそのまま足早に部屋を出て言ってしまったため、あとのことは何も聞けなかった。
(場所は…あの中庭かな。)
洗顔を済ませたアイリスは、部屋を出て中庭へと向かった。
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