第四のフラグがやってきたようです③
クレーヴェルにかけられた呪いを調べることになったアイリス。
調査中、クレーヴェルに異変が起こり…
「いやあー今日はいい天気だなあ。」
「そうですな。」
「ここの料理は口に合うか?」
「はい。おいしゅうございます。」
チェルシー伯爵がそう言うと、公爵は満足そうに頷いた。
「そうだろう?ここの料理人は皆腕がいいんだ。アイリスもそう思うよなあ?」
「…そうですわね。」
チェルシー伯爵親子が屋敷に来てから一日経ち、彼らは本当に屋敷に泊まったようで、今朝もこうして一緒に朝ご飯を共にしている。
(伯爵は良いとして、何でこの子までいるのよ!)
アイリスは斜め横にいるアランを睨みつけた。
アイリスの視線には気づかずに、アランは無表情でパンを口に運んでいる。
(まあ、クレーヴェルが元気そうでよかったけど。)
アイリスは横に座るクレーヴェルに視線を移した。
やはり、昨日公爵が言っていた通り少しショックを受けていたようだが、なぜだか今朝朝食を食べに降りて来たらそんな雰囲気は一切なくなってしまったようだ。
(まあ、元気に越したことはないけれど…どうしてかしら…)
アイリスはちらりとクレーヴェルを盗み見た。
すぐにクレーヴェルがアイリスの視線に気づいてにっこりと微笑む。
(なんか殺気を感じるんですけど!?)
アイリスはぎこちない笑顔を浮かべて、すぐに視線を逸らした。
(…なんでこの男がここにいるんだ!)
クレーヴェルは目の前に平然と座るアランを睨んだ。
魔導士として有名な家系の息子だということは知っているが、その素っ気なさ故に、美貌につられて話しかけた何人もの令嬢たちが泣かされてきたという噂もある。
(父さんは、こんな奴と姉さんを婚約させようとしていたのか)
陽気にしゃべる公爵にまで、クレーヴェルの殺気が飛び火する。
「ひっ」
「どうしたんです、公爵?」
「い、今なんだか寒気が…」
「ふんっ」
クレーヴェルはぶすっとした表情でぶちっぶちっとパンをちぎった。
(ひいい~クレーヴェルやっぱ怒ってるよね!?え、私何かしたっけ。)
クレーヴェルの様子を見て、内心ひやひやするアイリス。
「そ、そうだ!今度また王都へ行くんだが、アイリスたちもたまには遊びに行ったらどうだ?」
クレーヴェルの殺気から解放された公爵が、思い出したように言った。
「では、ルビーのところへ行けるのですね!」
アイリスは公爵の提案に目を輝かせた。
「もちろん行きたいですわ!」
すると公爵はにっこりとして、
「そうかそうか。では、マルス家にそのように知らせよう。」
と言い、マルタに手紙を送るよう指示した。
「ああそうだ、ついでにクレーヴェルは新しいコートを買っていくといい。」
「コートですか?」
「ああ。神殿がある場所は、とても寒いからな。」
公爵の言葉に、アイリスは動きを止めた。
クレーヴェルも驚いた顔をして公爵を見つめている。
「―では僕を神殿へ連れて行ってくださるのですか…?」
目を見開きそう聞くクレーヴェルに、
「もちろんだ。」
と公爵は微笑んだ。
「っ…」
クレーヴェルは泣きそうな顔をしてうつむいた。
神殿に行く、それは時期公爵の位を継ぐ者にしか許されない。
つまりメルキュール公爵は、クレーヴェルを時期公爵家の当主として認める、ということだ。
「…ありがとうございます。」
クレーヴェルはそう言って、安心した様な笑顔を見せた。
(これで、クレーヴェルの気もほぐれたかしら。)
アイリスは、その様子を見て微笑ましく思った。
なぜなら今日は、クレーヴェルの中にどれだけの闇の魔力が残っているのか調べる日だからだ。
そのため、今日は皆どことなく緊張していた。
「では、私は午後アトリエに行くことにしますわ。」
「アトリエ?」
「ええ。次回会うときにドレスのデザインを考えると、ルビーに約束していたのです。」
近頃のルビーはマルス夫人の指導の下、ドレス作りの腕をめきめき上げていた。
(どんなドレスを作ろうか楽しみだわ。)
アイリスはワクワクしながら言った。
ちなみに、午前中はクレーヴェルの検査に同席する予定だ。
「それはいい。なら、茶会のドレスはそれで決まりだな。」
公爵はそう言うと、どこからか手紙をピっと取り出した。
「この前のお前がデザインしたパーティーが素晴らしいと、色々なところから茶会の誘いが来てるぞ。」
(ええ、お茶会ですか…)
茶会は家同士の親睦を深めるために開かれるが、蓋を開ければ貴族たちの水面下での情報戦だ。
笑顔で話しているように見えても、みな腹の探り合いをしている。
(面倒くさいなあ…)
公爵はそんなアイリスの心を読んだのか、
「まあ、新しい友達ができるかもしれないだろう?」
と優しく言った。
(まあ、社交デビューの練習だと思えばいっか。)
「わかりました。ではこの中から一つ選んできます。」
アイリスは心の中でため息をつきながら言った。
「よしよし。ではそろそろ私も仕事にとりかかろうかな。」
公爵はそう言うと、ナフキンをテーブルに置いた。
「ごちそうさま。おいしかったよ。」
「ごちそうさまでした。」
アイリスたちも個々に立ち上がり、それぞれ準備に取り掛かるため解散した。
(クレーヴェルの検査まで、まだ時間があるわね…)
アイリスは自室に戻って机に積まれた数々の手紙を見た。
「先にこれを片付けちゃおう。」
アイリスが椅子に座り手紙を開封し始めると、マルタがノックして部屋に入ってきた。
手には何やら大きな箱を持っている。
「マルタ、何それ?」
マルタはドスンと箱を机の横に置くと、
「全てアイリス様への手紙です。」
と言って、箱を開いた。
「ええ!?まだ招待状があるの!?」
アイリスはうんざりしたように言って箱をのぞいた。
箱の中には数えきれないほどの手紙が入っている。
(うええ~面倒くさいよ~)
「これ全部見なきゃいけないのー?」
机に置かれている手紙だけでもかなりの数があるというのに、箱の中の手紙まで足したら莫大な数になる。
「読み終わるのに三日はかかりそう…」
アイリスはそう言って、マルタをちらりと見た。
「…なんでしょう?」
アイリスの期待のまなざしに、嫌な予感がするマルタ。
「手伝って、くれるわよね?」
アイリスは笑顔で言い、箱の中身を指さした。
「…わかりました。ではアンナも呼んでまいります。」
マルタは深くため息をつくと、部屋を出ていった。
しばらくして、マルタはアンナを連れて戻ってきた。
「連れてまいりました…ってお嬢様、何をなさってるのですか?」
部屋に入ったマルタはアイリスの姿を見て驚いた。
アイリスの周りには手紙が散らばっていた。
「えへへ…トランプみたいにかっこよくシャッフルしようと思ったら失敗しちゃって…」
アイリスは慌てて手紙を拾い上げながら言った。
「何訳のわからないことをおっしゃってるんです。さあ、ここは私たちが片づけますので、お嬢様は公爵様のもとへ行ってくださいませ。」
アイリスは部屋から追い出されてしまった。
「ちぇっ。まあいっか。もうそろそろ時間だし。」
アイリスはそう言って、公爵の部屋へと向かった。
「パパ。いますか?」
「おおアイリス。今ちょうどクレーヴェルも来たところだよ。」
アイリスがドアから顔を出すと、公爵がこちらに気づいて声をかけた。
公爵の横には、クレーヴェルが緊張した面持ちで座っている。
「パパの部屋でその検査をするんですの?」
「ああ。今日はクレーヴェルの状況を見るだけだからな。」
公爵はそう言って、アイリスの後ろに視線を投げかけた。
アイリスの背後には、チェルシー伯爵とアランが立っていた。
「あ、ごめんなさい。」
アイリスは急いで部屋に入り道を開けた。
「ありがとうございます。アイリス嬢。」
「…。」
伯爵はにこやかに礼をして部屋へと入った。
その後ろから、何も言わずに続くアラン。
(やっぱ来るよね。)
密かに、アランが来ないように願っていたアイリスは落胆した。
(これ以上フラグを立てたくないのに!)
しかしアイリスは、アラン対策の良いアイデアを持っていた。
(前世でのしーちゃんからのありがたい助言よ!)
しーちゃん曰く、アランのような無口で人見知りするタイプは、こちらから話しかけない限りフラグが立つことはないのだそうだ。
そればかりか、フラグを立てないでいるとストーリーにすら入ってこないこともあるのだとか。
(しーちゃん。ありがとう!さすがだわ!)
アイリスは心の中でしーちゃんを褒め称えた。
これは昨日寝る時間を削ってまで思い出した秘策だ。
(関わらないのが一番。関わらないのが一番。)
アイリスは自分に言い聞かせるようにそう思うと、アランとは反対側の壁へ寄った。
「では、はじめましょうか。」
伯爵は部屋に鍵をかけた。
アランは伯爵の荷物から何やら取り出すと、伯爵にそれを手渡した。
「今日使うのは、この魔法の紙です。」
伯爵が手にしているのは、紙を筒状に巻いたものだ。
「これはなんですか?」
「これは闇の魔力を量るときに使われるものです。この紙は書いた人物の持つ魔力に反応を示します。ですから、闇の魔力が体に残っていればそれにも反応する、ということです。」
伯爵はそう言って長テーブルに紙を広げた。
紙はテーブルの端から端まで届くほど長い。
「今回の場合、クレーヴェル殿の中の魔力の多さもわかりませんし、魔法省に行って追加の紙をもらいに行くことはできませんので、少し余分に持ってきました。」
伯爵はクレーヴェルに羽ペンを手渡した。
「では、思ったことをそのまま書いてください。」
クレーヴェルは緊張した様子で羽ペンを手に取ると、テーブルへと近づいた。
「そう難しいことではないので、あまり緊張なさらずに。」
チェルシー伯爵はそう言うとわきへ下がった。
クレーヴェルは不安そうにちらりとアイリスを見た。
(大、丈、夫。)
アイリスはそう口で表し、ガッツポーズをして見せた。
クレーヴェルはそれを見て頷くと、深呼吸して紙に向かった。
カリカリカリ…
静かな部屋の中に、クレーヴェルの書く音だけが聞こえる。
(…本当にこれで分かるのかしら。)
全員が静かに見守る中、アイリスは何となくそう思った。
紙は特に変化しているようではないし、クレーヴェルにも異変があるわけでもない。
(もしかしたら闇の魔力なんてもう残ってないのかも―)
アイリスがそう思った時、
ガリガリガリッ!
といきなり音が変化した。
急いで顔を上げると、クレーヴェルが、何か一心不乱に文字を書き綴っている。
「!!」
気が付くと、紙はクレーヴェルが文字を書いたところから水色の炎が上がっていた。
「ご心配なく。あの炎は魔力を具現化したものです。」
心配して駆け寄ろうとするアイリスたちに、伯爵が言った。
すると次第に炎は水色から青、紺と色を変え始めた。
「これは…」
そしてついに真っ黒な炎へと変化した。
その炎はまるで苦痛に身をよじらせるように揺らめき、燃えている音は苦しみに耐える人の声のようにさえ聞こえた。
(あれが闇の呪い…)
アイリスはその炎を見て身の毛もよだつ思いがした。
―地獄。アイリスの頭にそんな言葉が浮かんだ。
真っ黒い炎は、奈落から這い上がってくる亡者のように威力を強めていく。
その様子は「地獄」と言う形容が一番ふさわしかった。
「これ、大丈夫なんですの?」
アイリスは威力を止めることのない炎に不安を覚えた。
あれほど長かった紙も、そろそろ端に到達しそうだ。
「そろそろ終わりにしましょう。」
伯爵はそう言ってクレーヴェルに近づいた。
「クレーヴェル殿。もうそこまででよろしいですよ。」
そう声をかけるも、クレーヴェルは無我夢中で書き続けている。
「クレーヴェル。もうやめなさい。」
公爵がそう言ってクレーヴェルの肩を触ると、ジュっという音がし、公爵はとっさに手を離した。
「うっ」
「お父様!」
アイリスが駆け寄ると、公爵の手にはやけどの跡がついていた。
「どうして…これは本物の炎ではないのでしょう!?」
アイリスがそう言うと、チェルシー伯爵は驚いたように
「まさか…こんなにも強いのか…?」
と言い、
「アラン!今すぐあれを出しなさい!」
と指示した。
アランは頷いて鞄を漁ると、取り出した小瓶を伯爵に手渡した。
「こうなれば強制的に終わらせるしかありません。」
伯爵はそう言って、小瓶のふたを開けた。
「弱い睡眠薬です。これで彼を眠らせます。」
伯爵はクレーヴェルに瓶を近づけようとするが、炎の勢いが強く中々近寄ることができない。
その間にも、紙は全て文字で埋め尽くされ、クレーヴェルはそのままテーブルに文字と書き続けている。
黒い炎はクレーヴェルを覆いつくすように広まっていく。
「クレーヴェル!!」
アイリスはそう叫ぶとクレーヴェルに体当たりした。
「痛っ…!」
体の半分に、焼けた鉄を当てられたような痛みが走る。
クレーヴェルがどさっと床に倒れると、すかさずチェルシー伯爵がその顔に瓶を近づけた。
するとクレーヴェルはピタッと動きを止め、そのまま糸が切れたように気を失った。
「ふう…」
伯爵がそう言ってクレーヴェルを抱え起こすと、
「私が部屋まで運ぼう。」
公爵が立ち上がって言った。
「でもお父様手が…」
アイリスが言うと、公爵は
「大丈夫。ほら。」
と言って手のひらを見せた。
先ほどやけどしていたはずの手は、いつも通りの手に戻っていた。
「あ…」
そう言えば、さっき炎に触れた方の腕の痛みもなくなっていた。
「あまりにもエネルギーが強かったため、あなた方の中の魔力と衝突したようですな。」
伯爵はそう言うと、
「これほどまでに呪いが強いとは思いませんでした。これはもう少し慎重に事を進めた方がよさそうですね…」
と公爵の方を向いた。
クレーヴェルを抱えた公爵はそれに頷き、
「必要なことは何でも手伝おう。」
と言ってアイリスの方を見た。
「アイリス。お前も一緒に来るか?」
「もちろんですわ。」
アイリスはそう言って父親の後に続いた。
「失礼いたします。」
お辞儀をして部屋を出たアイリスを見送ると、チェルシー伯爵は息子を振り返った。
「アラン、どう思う?」
「…不思議です。」
アランの呟きに、伯爵はニコリと微笑んで
「それは闇の魔力のことかね?それとも身を挺して弟を守った、アイリス嬢の行動かな?」
と聞いた。
「…。」
しかしアランはそれには答えず、クレーヴェルが使用した紙とペンを拾い上げた。
「これから大変になりそうだ。」
伯爵はそう言うと、面白そうにアランを見つめた。
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