第四のフラグがやってきたようです②
クレーヴェルに残った闇の魔力を消すことを打ち明けられたアイリス。
弟を心配するアイリスはこれからのことに不安を感じるが…
アイリスは部屋に戻り、今日のことを考えていた。
「詳しいことは、クレーヴェルに話してから話す。」
と公爵に言われ部屋に帰ってきたものの、アイリスはクレーヴェルのことが心配でならなかった。
(あの子のことだから、きっと負い目を感じてしまうはずだわ。)
公爵はクレーヴェルのためにも、このことは屋敷の使用人含め誰にも言わないようにと言っていたが、クレーヴェルはアイリスたちに手伝ってもらうという時点で十分責任を感じてしまうだろう。
(今頃、お父様が話しているときかな。)
アイリスは窓から外を眺めて思った。
ゲームのシナリオを知っていれば、クレーヴェルを幸せな方向へ導けるのだろうか。
しかし、アイリスにはそれができない。
(しーちゃんだったら、あの子を助けられたんだろうな。)
かつてしーちゃんが言っていた言葉を思い出す。
ヒロインと結ばれるキャラクターは、皆心に傷を負っている事が多いのだと。
そしてその傷をヒロインが癒すことで、彼らは結ばれるのだ。
それならば、クレーヴェルが闇の呪いにかけられているこの状況は、ヒロインもとい運営にとって好都合と言うわけだ。
(これも、ただヒロインと結ばれるための設定に過ぎないのね…)
アイリスの気持ちを表すかのように、外では雨が降り始めていた。
「はあ…」
アイリスは、なんだかやるせない気持ちになってカーテンを閉めた。
気分転換に散歩でもしようと、アイリスは傘を持って庭へ出た。
庭ではマリーゴールドの花が鮮やかな黄色の花を咲かせているが、雨に濡れて今はその色も霞んで見える。
アイリスは、自然と裏庭の先にある広場へと向かっていた。
あの日の事件以来、アイリスとクレーヴェルはなんとなくあの場所を避けていた。
しかしなんだか今は、あの場所へ行けば、何かわかるのではないかと思う気持ちがあった。
アイリスはしとしとと雨が降る中、数か月ぶりの広場へと足を踏み入れた。
「あ…」
広場に入った時、アイリスは先客がいることに気が付いた。
相手はアイリスの声に立ち上がって振り向いた。
「アラン様、なぜここに…?」
アイリスは驚いたようにそう言い、傘もささずに立つアランへと近寄った。
「風邪をひきますわ。」
傘を差しだそうとするも、アランの服は濡れていなかった。
よく見ると、アランの体の周りには薄い空気の層ができている。
「風の魔法…」
アイリスがそう呟くと、アランはふいっとそっぽを向き、また元のように地面にうずくまった。
「何をしていらっしゃるのです?」
アイリスは、何の変哲もない地面を見つめるアランに聞いた。
「…僕は、父に頼まれたことをしているだけです。」
「地面を観察することが、ですか?」
アイリスが聞くと、アランはふうとため息をつき、
「そうです。」
とそっけなく言って、再び黙り込んでしまった。
「…。」
アイリスもアランにならって地面を見つめるが、いくら凝視しても地面は地面のままだった。
「何を見ているのですか?」
アイリスはアランの隣にしゃがんで聞いた。
アランは無表情に地面を見つめたまま、
「呪いの痕跡です。」
と言って指さした。
(…いや、何も見えませんけど。)
アイリスには見えないが、彼には見えているのだろうか。
「申し訳ありませんが、私には何も見えないのですが…」
アイリスがそう言うと、アランは
「僕にも見えません。」
と言った。
(見えないのになんで指さしてるのよ。)
中々話が進まずにいらいらしてくるアイリス。
「…見えないのに、なぜ指をさしているのです?」
そう聞くと、アランは
「…なんとなく?」
と無表情のまま首をかしげた。
(適当!?)
「で、ですがそれでは調査にならないではありませんか。」
アイリスはいぶかしげに言った。
しかし、アランは気にするふうでもなくひたすら地面を見つめている。
(今は話しかけるだけ無駄そうね…)
そう考え立ち上がろうとしたその時、ふいにアランが
「ここに、アイリス様もいたのですか?」
と口を開いた。
「え?」
「この場所から少し離れたところで、あなたの魔力を感じます。」
アランはそう言って、広場の中央辺りを指さした。
魔法の水に閉じ込められた時、アイリスが立っていた場所だ。
「ええ、いましたけど…」
アイリスがそう答えると、アランはアイリスを見つめながら、
「それであなたは、弟君にここから攻撃されたのですね?」
と言った。
「攻撃されたのではありません。あれはあの子の意志ではなかったのですから。」
アランの言葉にアイリスはむっとして言い返したが、アランはそれを無視して、
「場所はあっているのですね?」
と繰り返した。
「…ええ。あってます」
(失礼な子ね!やっぱり婚約破棄しておいてよかったわ。)
アイリスは内心怒りながらもそう答えた。
「なるほど…」
アランは何か考え込んで、
「すみませんが、その場所に立ってもらえますか?」
と言った。
「なんでですか?」
「弟君を助けるためです。」
クレーヴェルのためと言われれば従うしかない。
アイリスはしぶしぶ指示された場所に立った。
「これでいいですか?」
「結構です。」
アランはそう言うと、
「そこでアイリス様は魔力を使ったのですね?」
と聞いた。
「はい。」
「それをもう一度やってください。」
「なん―」
なんで、と聞こうとしてアイリスはやめた。
どうせさっきと同じ答えが返ってくるだけだろう。
アイリスとしてもこの場から早く去りたかったため、傘を置き、当時を思い出して手にありったけの魔力を込めた。
降りかかる雨を押しのけるようにして手を広げ、アイリスは目を閉じ集中した。
すると掌がひんやりと冷たくなり、アイリスに降りかかっていた雨の感覚が無くなった。
目を開けると、アイリスの周りには王宮のパーティーの時のような薄い水の膜ができていた。
(やった!)
アイリスは喜びに目を輝かせた。
するとその途端に手の力が抜け、魔力が切れてアイリスの上には再び雨が降ってきた。
「う、うわっ」
アイリスは慌てて傘を拾い上げると、アランの方を向き、
「これでいいですか?」
と聞いた。
アランはまたしばらく何か考えるように黙っていたが、
「アイリス様は、それで、何を感じましたか?」
と聞いてきた。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。あの時魔法を使っていて、何を感じていましたか?」
アイリスは当時のことを思い出してみた。
圧迫してくる水、黒く塗りつぶされた視界。
今でも思い出すたびに、あの時の恐怖がよみがえってくる。
「感じるも何も、あの時は必死だったことしか覚えていませんわ。」
アイリスがその時の恐怖を悟られないように顔を背けて言うと、アランは続けて
「そうですか。では、当時の弟君の様子は?」
と聞いた。
アイリスは傘をぎゅっと握りしめた。
いまだに脳裏から離れない、クレーヴェルのあの表情。
「…あの時の事は、忘れたくても忘れられませんわ。」
アイリスはうつむいて言った。
「あの子の憎しみに満ちたあの瞳も、呪いに蝕まれて疲れきった顔も、すべて。今でも朝起きたら、また仮面のような笑顔を浮かべる彼に戻っていたらどうしよう、また呪いにかけられていたら。そう考えてしまうんです。」
ふり絞るように言うと、アイリスはくるりと背を向けた。
泣きそうになる顔を見られたくなかった。
「私はこれで失礼いたします。調査頑張ってください。」
そう言うと、アイリスは足早に広場を後にした。
「考えないようにしていたのに…」
中々頭から離れない当時の残像を振り払うように、アイリスは庭を突っ切っていった。
(クレーヴェルの方が辛いんだから、私がしっかりしなきゃ。)
アイリスは気分を落ち着かせようとアトリエに向かった。
しばらく絵を描いていれば、落ち込んだ気持ちも治るだろう。
「ふう。」
アイリスは深呼吸するとアトリエの扉を開けた。
「…あら。」
「やはりここに来たか。」
アトリエにはメルキュール公爵がいた。
(今日はよく先客に会うわね。)
「ごきげんよう、パパ。」
アイリスはお辞儀をすると、
「どうして、ここに来ることが分かったんですの?」
と聞いた。
「ローズも落ち込んだ時は、よくここに来ていたからね。」
「お母様も?」
「ああ。ここはお気に入りの場所だったからね。」
公爵はそう言って笑うと、アイリスに椅子を差し出した。
「ありがとうございます。」
アイリスが座ると、公爵はアイリスと対面してもう一つの椅子に腰かけ、
「…クレーヴェルに話したよ。」
そう重々しく口を開いた。
「それで、あの子はなんと…?」
「やはりショックを受けているようだったよ。申し訳ないと、そう言っていた。」
謝るクレーヴェルの顔が目に浮かぶ。
きっと、アイリスたちに迷惑をかけてしまうと思っているのだろう。
「そうですか…」
クレーヴェルの気持ちを思うと、胸が苦しくなる。
「クレーヴェルは呪いを消し去ることを受け入れてくれたよ。しかし、それだけあの子の心の負担が大きくなってしまうだろう。」
公爵の言葉に、アイリスはこくりと頷いた。
優しいクレーヴェルのことだ。
アイリスたちが協力すればするほど、自責の念に苛まれていくに違いない。
「…しかし、この方法でしかあの子は助からないのですよね。」
「ああ。それに闇の魔力が体に長く居続ければ、それは徐々にあの子の心を蝕んでいくことになるだろう。」
「ではいつかはやらなければいけない、そういう事なのですね。」
アイリスは公爵を見上げて言った。
闇の魔法に心を完全に支配されれば、呪いにかけられた時以上の苦しみが彼を襲うことになる。
それだけは絶対に避けなければならない。
「そうだ。しかし今回は魔法省の助けなしで事を進める。そうなれば、より多くの時間を費やしてしまうことになるが―」
「私は、どれだけ時間がかかろうとも構いません。」
そう断言し、アイリスは公爵をまっすぐに見つめた。
アイリスのまなざしに、公爵はふっと微笑むと、
「愚問だったな。」
と言ってアイリスの頭をなでた。
「…お前は本当にローズにそっくりだ。」
公爵はそう呟くと、椅子から立ち上がった。
「では私はもう行くよ。また夕食の時にな。」
「はい。」
アイリスも椅子から立ち上がり、入り口まで父親を見送った。
「そうだアイリス。客人のことなんだが…」
ドアを開けた時、公爵がふと立ち止まって言った。
「チェルシー伯爵のことですか?」
「ああ。クレーヴェルの件で手伝ってもらう間、彼らにはしばらくここ屋敷に泊まってもらうから、アラン君と仲良くな。」
公爵はそれだけ言うとぱたんと扉を閉めて行ってしまった。
(今なんて…)
アイリスは公爵が占めた扉を呆然と見つめた。
(ここ屋敷に泊まるって言った…?)
わなわなと震えるアイリス。
これも、逆らうことのできない運命シナリオなのか。
「つまり私、二つのフラグと一つ屋根の下にいなければならないってことー!?」
そう叫ぶアイリスの言葉は、雨音に消されて誰にも聞こえなかった。
お読みいただきありがとうございます。
また、ブックマーク登録もありがとうございます。励みになります。
登録者100人達成を目指して、日々の投稿に励みたいと思います。