名前を思い出したようです
乙女ゲームに転生してしまったことに気づいた私。
王子との婚約云々よりも、転生先の悪役令嬢の名前さえ知らないこの状況をどうにかしないと!
紅茶で汚れた服に目もくれず、私は部屋の中を探し回った。なにか、自分が生まれ変わってしまったこの少女について手がかりがあるかもしれない。
「一番手っ取り早いのは、やっぱり日記よね。」
そう思い、本棚を探してみるが、この少女は本が嫌いだったのか、全く手に取られた様子のない本の上にはうっすらと埃が積もっていた。
「この調子じゃ、日記なんてつけてなさそうね…」
本棚を探すのは諦め、書き物机の引き出しを開けてみる。するとそこには、色とりどりのお菓子の包み紙がたくさん入っていた。
「うわっすごい量。この子、隠れてお菓子ばかり食べていたのね。」
半ば呆れながらふと机の上を見ると、ひとり少年が描かれた小さな絵が飾られていた。先ほど父親に見せてもらった婚約者の肖像画の方がはるかに大きかったが、手に取って見てみると、少年の金髪の髪から薄い青色の目に至るまで緻密な筆遣いと繊細なタッチで描かれたその小さな絵からは、モデルとなった少年の整った容姿が伝わってきた。
(この机、本棚みたいに埃が積もっていて一度も使用されてないみたいなのに、絵が飾られている所だけ埃がないってことは、この子は何度もこの絵を手に取って眺めていたんだろうなあ)
そう思うと、この意地悪そうなお嬢様にも乙女心があったのだなあと、少しかわいく思えてくる。
「となると、この絵の男の子がさっきメイドさんが言っていたエドワード王子の可能性が高いわね…」
そうつぶやき、手に持った絵を再び机の上の戻し、改めて部屋の中を見回してみる。
「本当に広いなあ、この部屋、。ひょっとしたら私の家くらいあるんじゃ…」
小さな女の子には広すぎる部屋は、豪華な調度品で飾られていながらもどこか閑散として見えた。大きな部屋に一人で急に心細くなった私は、さっきまでいたベッドに駆け寄り、ふかふかな毛布にくるまった。小さいころ家で一人留守番をしていた時、寂しさを紛らわすためによくやっていた方法だ。いつも使っている布団ではないのに、不思議と寂しさが無くなっていく。
(ああ、落ち着く…)
安心した私は、そのまま眠りに落ちていった。
〈——様!——様!〉
(うるさいなあ、今眠いのに…)
≪…ああ、なんてことだ!おい、しっかりしろ!≫
(あれ、この声は、おとうさん?)
〈しっかりなさってください!——様!〉
(え、どういうこと?この声は誰?)
≪ミホ!目を開けてくれ!ミホ!≫
(ミホ…って、私の名前だ!おとうさん、私はここだよ!)
〈——様!ああ誰か、旦那様をお呼びして!〉
(違う!私がいるべきなのはお屋敷じゃない!)
≪ミホ!≫
(私は…)
〈——様!〉
(私の本当の名前は——!)
「「アイリス・ロ・メルキュール!」」
そう叫んでがばっと起き上がると、辺りは闇に包まれていた。
(え、うわっ暗!)
明かりをつけようと慌てて周りを探る。布に触れて、自分がカーテンのようなものに囲われているのだと気付くと、急いでベッドを降り、カーテンの外に出る。
窓から差し込む月明かりに照らされたのは、あの豪華な部屋だった。どうやら夜になるまで眠っていたらしい。
(やっぱり、夢じゃないんだ。本当に私は別の世界に来ちゃったんだ…)
夢の中で自分を呼んでいた前世の父親の声を思い出すと、涙がこみあげてくる。
(おとうさん…もう、会えないの?)
見知らぬ世界に放り出された寂しさと、実の親に会えないのではないかという不安感に、涙がとめどなく溢れて来る。
しかし、心のどこかで、この屋敷に戻ってこられてホッとしている自分がいることに気づいた。
(これは…この子の気持ち…?)
はっと顔を上げ、鏡に映る自分を見る。以前の黒髪とは違う金色の髪は、月明かりに照らされキラキラと輝き、その幼い顔は涙にぬれ悲しそうに歪んでいるが、グリーンの瞳だけは鏡の向こうからきっと自分をにらみつけていた。
≪しっかりしなさい!≫
そういわれている気がした。
涙を拭いて、立ち上がり、埃を払って書き物机に座った。一番上の引き出しからメモ帳を取り出して、中を開く。
(そうだよね。泣いているだけじゃダメ。この世界で生き残るんだ!)
ペンを持ち、メモ帳に文字を書いていく。
(とりあえず、分かっていることだけでも書いておこう。)
身分:お嬢様(お金持ち)
父親:優しい・パパ呼び必須
世界:乙女ゲーム(?)
状況:部屋から駆け出した表紙に頭をぶつけ、気絶→前世の私の記憶が戻った?
気絶する以前の記憶はない
婚約者がアラン・チェルシーからエドワード王子に変更予定
名前:
(私の名前…)
「アイリス・ロ・メルキュール…」
夢で聞いた名前を改めて声に出してみると、意外にもストンと胸に落ちた。
振り返って鏡に映る自分の顔を見る。
「アイリス…ね。素敵な名前。気に入ったわ。」
そう言って、鏡の中のアイリスの目を見つめた。
(よりにもよって、あの意地悪そうな目に元気づけられるなんて…)
ふっと頬を緩めたアイリスは、再び机に向かった。
名前:アイリス・ロ・メルキュール(悪役令嬢)
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