第三のフラグがやってきたようです③
クレーヴェルの魔力によって絶体絶命の危機に陥ったアイリス。
憎しみに満ちた顔を見せるクレーヴェルの真実とは…
「ミホ!見て見て!」
「おーすごい!白い花がこんなに咲いてる!」
「これはね、シロツメクサだよ。」
「え、クローバーじゃないの?」
「それは葉っぱの方でしょ。花の名前は、シロツメクサって言うの。」
「へえー詳しいんだね。」
「うち好きなんだ~。かわいいし。」
「あれ、でもたしか、クローバーって花言葉結構怖いんじゃなかった?」
「え、そうなの?」
「うん。確か意味は…「復讐」だった気がするよ。」
「えー。私が聞いたのと違うよ。」
「別の意味もあるの?」
「うん。私が聞いたのは、もっと違う意味で…」
「アイリス!!」
力強い声がして、体にまとわりついていたどす黒い水がパチンと弾け、アイリスの体は空中に投げ出された。
地面に着く直前、アイリスは清く輝く水に受け止められ、ゆっくりと地面に降ろされた。
「アイリス!大丈夫か!?」
「うう…」
目を開けると、出かけていたはずの公爵がアイリスを抱えていた。
「パパ…?何でここに…?」
「その話はあとだ。お前は安全な場所に。」
公爵がそう言うと、使用人のコナーがアイリスを抱きかかえた。
「ま、待って!クレーヴェルが!」
屋敷に向かいながらアイリスを抱えて走るコナーの後ろに、公爵とクレーヴェル、そして見知らぬフードの男が立っているのが見えた。
「!?」
フードの男が、クレーヴェルに向かって何か唱えている。
次の瞬間、クレーヴェルが真っ黒な霧に包まれた。
「ぁああああ!」
クレーヴェルは苦しそうに発狂している。
「クレーヴェル!お願いコナー、降ろして!」
「お嬢様!ダメです!」
抱えられていたコナーの腕から抜け出したアイリスは、クレーヴェルのもとに走った。
「クレーヴェル!」
「アイリス!こっちに来るな!」
公爵が叫ぶが、アイリスはかまわずにクレーヴェルに向かって言った。
「クレーヴェル!あなたのお母さんは、あなたに復讐してほしいなんて思ってない!そんな意味で名前を付けたんじゃないわ!」
―だって、「クローバー」のもう一つの花言葉は、
もう一つの意味は…
「あなたはお母さんの「希望」だから!!」
その瞬間、クレーヴェルの周りを囲うように、水が流れた。
美しく、そして優しい水だった。
アイリスはとっさに父親を見上げたが、公爵もあっけにとられてその様子を見ている。
(この魔法は、いったい誰の…?)
見ると、クレーヴェルが何かと戦っているように両手を掲げている。
(もしかして、クレーヴェルの魔法?)
清く滑らかな水流は、クレーヴェルを渦巻く黒い霧を晴らしてゆく。
その時、アイリスはクレーヴェルの横に立つ、一人の女性を見た。
優しく微笑みながらクレーヴェルに寄り添うその姿を見て、アイリスはすぐにクレーヴェルの母親なのだと分かった。
母親はアイリスの方を向くと、優雅な仕草でお辞儀をした。
≪ごめんなさい。…ありがとう。≫
アイリスには、その女性がそう言っているように感じた。
アイリスは頷いて立ち上がると、クレーヴェルに向かって両手を掲げ、満身の力を込めた。
すると、体中に温かい力が駆け巡り、アイリスの中から魔力が湧き出してくるのがわかった。
アイリスは体をぐっと前に押し出し、クレーヴェルの周りの黒い霧を消そうとしている水に波長を合わせた。
「力が足りない…!」
しかし黒い霧は水流に負けじと勢いを弱めない。
「私も手伝おう。」
そう言って、公爵とベールの男も手を前に掲げた。
すると水の勢いが強くなり、黒い霧ががどんどん消えていく。
「うあああ!」
クレーヴェルの体力も限界に近付いているようだ。
「クレーヴェル!頑張って…」
「ね、姉さん…!」
苦しむクレーヴェルの横で、母親が耳元で何かを囁いた。
その時、フっと霧が消え、クレーヴェルはゆっくりと前に倒れた。
「クレーヴェル!」
アイリスと公爵が駆け寄り、その体を起こした。
クレーヴェルは気を失い、ぐったりとしていた。
「一体…何が起こったんですか?」
「…わからない。だがまずはクレーヴェルを安全なところへ運ぼう。お前も屋敷に戻りなさい。」
公爵がそう言い、アイリスは屋敷に帰ろうと踵を返した。
そのとき、フードの男がどこか別の方向をじっと見つめているのに気づいた。
(この人の顔、どこかで…)
しかし、その男性はアイリスの横を通り過ぎると、何やら公爵に耳打ちした。
公爵はその言葉に頷くと、後ろに入るコナーにアイリスを連れていくよう合図した。
「お嬢様、まいりましょう。」
アイリスはクレーヴェルが心配だったが、使用人のコナーに手を引かれ、屋敷へと戻った。
部屋についてベッドに横になると、どっと疲れが押し寄せてきた。
アンナたちは心配して傍にいると言ってくれたが、アイリスは一人で静かになりたいと言った。
今日一日で一体何が起こったのか頭の整理が追いつかない。
それに加えて不可解だったのが、クレーヴェル自身のことだ。
初めは怒りに満ちていた表情をしていたのに、黒い霧が現れてからアイリスの名を呼んだあの瞳は、まるで「助けて」と言っているようだった。
(もしかして、あれは本当のクレーヴェルではなかった…?)
そう考えると、納得がいく。
復讐心に燃え、アイリスを苦しめようとしていたあの水は濁っていてどす黒かったのに対し、黒い霧と戦っているときのクレーヴェルの魔力は清らかだった。
だとしても、その理由が思いつかない。
なぜ、アイリスを狙ったのか。
あの霧はいったい何だったのか。
悶々としているうちに、アイリスは疲れていつのまにか寝てしまった。
「アイリス。大丈夫かい?」
目が覚めると、ベッドの横に公爵が座っていた。
「…パパ。なぜここに?」
体を起き上がらせて、アイリスは呟いた。
「そうだ!クレーヴェルは!?彼は無事ですか?」
アイリスは焦って聞いた。
「落ち着きなさい。あの子はまだ眠っているよ。」
公爵は静かに言った。
「そうですか…」
複雑な気持ちでアイリスは言った。
早く目覚めてほしい気持ちがあるのに、もし、またあの憎しみに満ちた顔を向けられたらという恐怖もあった。
「お前に…話しておくことがあるんだ。」
重々しい口調で公爵が切り出した。
「クレーヴェルを引き取ったあの家を覚えているかい?あの家から、微量の魔力を感じるという情報があったんだ。」
そこまで言って、公爵はため息をついた。
「それもただの魔力ではない。あれは、闇の魔力だった。あの屋敷の誰かが、闇の力を使っていたんだ。」
「闇の力…?」
「そうだ。他のどれより最も禁忌とされている魔法。使えば一生闇を背負って生きていくことになる、危険な魔法だ。クレーヴェルを引き取った後、さらにその力が増したんだ。」
「だからパパは、今日あの屋敷へ行ったのですね。」
「そうだ。だがその途中で彼に会ってね。」
公爵が見つめる先に顔を向けると、あのフードの男性が窓辺に立っていた。
(!まったく気配に気づかなかった。)
その男性はフードを取ると、アイリスにお辞儀をした。
「アイリス嬢。お会いできて光栄だ。」
頭を上げたその顔を見た瞬間、アイリスはその顔に見覚えがあった理由が分かった。
黒髪に、凛々しそうな瞳。
アイリスが婚約破棄したアラン・チェルシーそっくりだ。
「あなたは…」
「フォークス・チェルシーと申します。アランの父親です。」
(やっぱり…)
アイリスはなんだか気まずく思ったが、相手の方は気にするそぶりも見せず、
「あの家の動向を探っていたら、今までになく強い闇の魔力を感じ、急いで公爵に知らせようとここへ向かっていたのです。」
と続けた。
(もし、お父様がチェルシー伯爵と会っていなかったら…)
アイリスはぶるっと身震いした。
もしかしたら、あのまま死んでいたかもしれない。
「でも、それがクレーヴェルと何の関係が…?」
「彼はね、アイリス。闇の呪いにかけられていたんだ。」
公爵が言った。
「の、呪い…?」
「そうだ。しかも何年も、とても長い間かけられていた。」
「なぜ…誰がそんなことを?」
「あの屋敷の奥様です。」
チェルシー氏が言った。
「奥方は、ご主人がクレーヴェル殿の母君を選んだことが気に食わず、ずっと恨んでいたようです。その時、闇の魔法に手を染めたのでしょう。」
「彼女はクレーヴェルの母親に呪いをかけ、家から追い出させるように仕向けたのだろう。彼らが出ていき、自分が後妻に入ったということだ。」
「そんな。じゃあクレーヴェルのお母さんが病気になったのは…」
「彼女のかけた呪いのせいだ。」
公爵の言葉に悪寒が走る。
なんて残酷な話だろう。
自分の欲のために、人の命を奪うとは。
「しかし、そこには思わぬ誤算がありました。クレーヴェル殿に、水の魔力があったということです。もちろん、あの家の主人はその力を欲するでしょう。そうすれば、自分の立場が危うくなります。だから―」
「だからクレーヴェルも、一緒に殺そうとした…?」
チェルシー氏は頷いた。
「しかし今日あの黒い霧を見て、彼にかけられた呪いは母親のものとはわずかに異なるのだと分かりました。母親が彼を守るためにルヴァン地方まで逃げたことが理由でしょう。あそこには光の魔力が宿る聖堂がありますから、そこへ行けば呪いに侵されずに済む、そう考えたのでしょう。」
「ルヴァン地方」と聞いて、アイリスはピンとくるものがあった。
クレーヴェルが来た初日に、公爵が話題にしたワインの名産地だ。
(だからクレーヴェルは嫌そうな顔をしていたのね…あそこはお母さんが亡くなった場所だから。)
「闇の力が及びにくい場所にいたクレーヴェル殿に無理やり呪いをかけたせいで、呪いが曲がってかけられてしまったのでしょう。それに気づかず、屋敷に戻ってきたクレーヴェル殿に呪いをかけ続けていたため、彼は生きながらも徐々に呪いに蝕まれていったのです。」
アイリスの脳裏に、クレーヴェルの生気のない瞳がよみがえる。
あれは呪いに心が侵食されていた者の瞳だったのだ。
「ひどい、ひどすぎる…」
アイリスはあまりの怒りに拳を固く握りしめた。
「今日のことがありすぐに魔力の源をたどると、やはりあの屋敷の奥方に行き当たったため、彼女は魔法省に連行されました。最も、呪いが破られ、彼女はその反動で半死半生の状態で口もきけませんでしたが。」
悔しくて、見開いている目から次から次へと涙が溢れて出て来る。
こんなにも辛く、やるせない事件があるだろうか。
クレーヴェルがこんなにも苦しみに苛まれていたのにも関わらず、自分は何もしてあげられなかった。
「いいかい、これは他の人に話してはいけないよ。国の安全に関わる大事なことだからね。彼女がどうやって呪いをかける方法を知ったにしろ、闇の魔力の情報を知られたら、悪用する輩が出てくるかも知れない。」
「…わかりました。」
頷いたアイリスは涙をぬぐうと、公爵に向き直り、
「お父様。クレーヴェルに合わせてください。」
と言った。
「しかしあの子は―」
「目覚めていなくても構いません。傍にいてあげたいんです。」
それがアイリスにできる最善のことだと思った。
「…いいだろう。行ってきなさい。」
公爵がそう言うと、アイリスはすぐさまベッドから飛び降り、部屋の扉へと向かった。
しかしふと立ち止まると、ベッドの方に駆け戻り、公爵の首に抱き付いた。
「助けてくれてありがとう、パパ。大好き。」
そう言って、アイリスは部屋を出てクレーヴェルの部屋へと向かった。
「…何とも優しい子ですね。」
アイリスに抱き付かれ呆然とする公爵に、チェルシー氏が言った。
「しかし、クレーヴェル殿にかけられていた呪いはどうやって解けたのか…偶然か、はたまた…いや、まさかな。」
「どうかしたか?」
一人でぶつぶつとつぶやくチェルシー氏に、我に返った公爵が聞いた。
「いいえ、なんでもありません。」
そう言って、チェルシー氏は窓辺のヌーヴェル・マリエを見つめた。
「もしかすると、私の息子はもったいない人材に婚約破棄されたのかもしれないな…」
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