第三のフラグがやってきたようです②
今日は弟のクレーヴェルに屋敷を案内する日。
張り切るアイリスだが、クレーヴェルの様子がおかしくなって…
「ん、朝か…」
目を覚ますと、部屋には朝日が差し込んでいた。
結局、さっきの夢の続きを見ることはできなかった。
(う~ん。やっぱり思い出せないなあ。)
もぞもぞと起き上がって伸びをすると、アイリスはベッドから降りて、カーテンを開けた。
いつもはマルタに起こしてもらうのだが、少々早く起きてしまったようだ。
ヌーヴェル・マリエが置かれている窓辺にもたれかかって外を見ると、庭の木々が朝露に輝いていて、とても美しかった。
今日はクレーヴェルに屋敷を案内する日だ。
「散歩にはうってつけの天気ね。」
今朝は早めにダイニングへ行こうと、前日に用意してもらった服の家から、今日着るものを選ぶ。
「やっぱり、この服は趣味じゃないわ…」
シンプル目なもの、とリクエストして選んでもらったのだが、やはりどれもリボンやフリルのたくさんついたドレスばかりだ。
「あー。また、アンナの服借りようかな。」
そう思い、一番シンプルそうな服を手に取った。
腰に大きなリボンのついたオレンジ色の長袖のドレスだったが、他のドレスよりかは大分ましだった。
「どのドレスを見てもリボンばっかり。アイリスはリボンが好きだったのかな…」
なんとなくリボンを触っていたアイリスは、机の方を見ると、何かひらめいたようにニヤリと笑った。
「そうだ…ここをこうすれば…!」
ダイニングでは、クレーヴェルと公爵がアイリスが来るのを待っていた。
「アイリスはどうしたんだ?」
「先ほどお呼びしたところ、すでに起きてらっしゃいましたよ。」
マルタがそう言うと、ダイニングの扉が勢い良く開いて、アイリスが意気揚々と入ってきた。
「おはようございます!遅れてごめんなさい!」
「おはようアイリス。やっと来たかい。」
「おはようございます、姉さん。」
三人は朝の挨拶を交わした。
「マルタもおはよう。」
アイリスはにこやかにマルタに声をかけたが、マルタはアイリスを見たまま固まっている。
「ん?マルタどうした?」
公爵が声をかけると、マルタはぶるぶると声を震わせながら言った。
「お、お、お嬢様…そのドレスはいったい…」
「あぁ、気が付いた?自分なりにアレンジしたのよ。どうかしら?」
アイリスはふわっと回って見せた。
リボンを取ってしまうついでに、今日の天気に合わせて長袖をカットし、フリルの代わりに他のドレスからとった小さなレースを縫い付けたのだ。
「ア、アレンジって…」
「おお、よく似合っているなぁ。」
呑気に言う公爵に、かみつくマルタ。
「似合ってるな、じゃありません!公爵家のご令嬢が、ドレスにはさみを入れるなど!」
「まあまあ、落ち着いて。アイリス、それは自分でやったのかい?」
マルタをなだめながら、公爵は優しく聞いた。
「そうですわ!」
自慢げにそう答えるアイリスに、公爵は、
「はっはっは。そうかそうか!アイリスはものをアレンジする才能があるんだなあ!」
と言って大笑いした。
「旦那様!」
「まあいいじゃないか。似合っているんだし。」
肩を震わせながら言う公爵に、マルタは何を言っても無駄だと思ったのか、
「アイリス様の行動には、命がいくつあってもついていけませんわ…」
と言って、ふらふらと奥へ下がっていってしまった。
「マルタは真面目ねえ。」
人ごとのように言って席に着くアイリスに、公爵は笑いが止まらないといった風に涙を拭いた。
ちらっと横目でクレーヴェルを見ると、彼もおかしそうに笑っていた。
その様子に、無意識にほっとするアイリス。
食事が運ばれてくると、パンを取り分けてくれたアンナが
「マルタさんどうしたんですか…?厨房に来たと思ったら、ジャガイモ袋の上に放心状態で座ってるんですけど…」
とアイリスにささやいた。
「大丈夫よ。きっと。」
と、アイリスは笑いをこらえながら返した。
「コックたちが心配していろいろ言ってるんですけど、反応がないんですよね。」
アンナは首を傾げながらそのまま下がっていった。
(マルタには、ちょっと刺激が強かったかしら。)
他のドレスにも、同じような加工をしたことは黙っていようと思った。
「そうだアイリス、今日はクレーヴェルに屋敷を案内するんだろう?」
しばらく食事をしていると、公爵が話しかけてきた。
「ええ、そのつもりです。」
「私も参加したい…と言いたいところだが、ちょっと用事ができてしまってね。今日は一日家を空けるよ。」
と公爵は残念そうに言った。
家の主に屋敷の案内など必要ないだろうと心の中で突っ込みつつ、何となくアイリスも残念に思った。
なんだかんだ言って、父親が外出するのは寂しいものだ。
「そうですか…」
落ち込むアイリスに、
「大丈夫。すぐに帰ってくるよ。クレーヴェル、アイリスのこと頼んだぞ。」
公爵はアイリスとクレーヴェルの方を向いて優しく言った。
(まるで私が世話されるみたいじゃない。)
頬を膨らませるアイリスの横で
「かしこまりました。」
と、クレーヴェルは微笑んだ。
「―ここがテラスよ!」
アイリスは扉を開けて言った。
前回公爵とお茶をしたあのテラスは、コックたちから茶会の話を聞いたクレーヴェルが一番に案内してほしいと言った場所だ。
テラスはあの日のまま、大切に保存されている。
最も、アイリスの魔力がまだ弱いせいか、甕から流れる水は止まっているが。
「…水は流れてないんですね。」
「そうみたい。私の魔力はまだ強くないから。」
アイリスは自分の手を見つめながら残念そうに言った。
「お父様みたいに強い魔力を持てれば、王宮内の小川みたいにずっと流れ続けるのに…」
「父上は、王宮内の川を引かれたのですか?」
「うん。それはきれいな川だったわ。水面がガラスみたいにキラキラしていたの。」
実際の小川を思いだし、アイリスはうっとりして言った。
「そう、そこまで強い魔力を…」
クレーヴェルがつぶやいた。
「そういえば、あなたも水の魔力を持っているんでしょう?」
この家の長男としてきたということは、水の魔力を持っているということだ。
彼が元々いた家は、メルキュール家の分家だったが、あの家はたしか別の魔力をもっていたはずだ。
水の魔法を使う者が家の主となれるのは、代々、メルキュール公爵家の者だけだ。これは貴族社会の均衡を保つのにも一役買っている。
「オリジナルズ」と呼ばれる火・風・水・土の魔力は他の魔力の生まれる源となり、その力はこれらの魔力を掛け合わせて作り出された他のどの魔力よりも強い。
したがって、これらの魔力を持つ家系を一つずつに保つことで、無駄な権力争いを避けようというのだ。
そのため、公爵家に女児しかおらず、さらにその子供が婚約をする場合、他の家から同系の魔力を持つ男児が爵位を継ぐために迎えられる。
今回のように、アイリスの婚約に際して養子をとるというのは、当然の流れなのだろう。
アイリスの父親も元はメルキュール家出身ではなく、アイリスの母マルヴァローザと結婚したことで婿養子となり、この家を継いだと言っていた。
「ええ、まあ。でも、お見せできるほど強くないです。」
クレーヴェルが伏目がちに言った。
そういえば、彼の前の家では、彼が前の家族とは違う魔力を持っていたことでいじめられたと聞いていた。
自分が言ったことにハッとして、アイリスは慌てて話題をそらす。
「き、今日は天気がいいわね!庭にでも行きましょうか!」
無理やり声を明るくして、アイリスはテラスの扉を開けた。
「はい、そうですね。」
クレーヴェルは笑顔になると、アイリスの後に付いて行った。
アイリスには、お気に入りの場所があった。
屋敷の裏庭の小道を抜けた先にある、小さな広場だ。
中央には古い石造りの噴水があり、周りを囲む木々が木陰を作っていて、アイリスにとって落ち着く場所だ。
「ここはいつも静かだし、使用人たちもあまり来ないのよ。」
王宮に行く前のあの怒涛の日々の中で、ここにきて休憩するのが、アイリスの唯一の楽しみだった。
(クレーヴェルはあまり騒がしいのは好きじゃないようだし、ここを気に入ってもらえるかも。)
「…いい場所ですね。」
クレーヴェルが嬉しそうに言った。
アイリスも「でしょう?」と言って振り返った。
…しかし、アイリスが目にしたのは、冷たい笑みをたたえた、クレーヴェルの姿だった。
今まで見たことのないようなその冷ややかな笑みに、アイリスは思わず後ずさる。
「ク、クレーヴェル?」
「はは、姉さん。どうしたの?そんなにおびえた顔をして…」
クレーヴェルがにこりと微笑んだ。
危険を感じたアイリスは屋敷に駆け戻ろうとした。
しかし、クレーヴェルが分厚い水の壁でそれを阻んだ。
壁を突っ切ろうとするが、中では激流が流れていてすぐに押し返されてしまう。
「クレーヴェル!何をするの!?」
クレーヴェルの方を振り返り、アイリスはそう叫ぼうとした。
しかしその途端、アイリスはどす黒い水に飲みこまれた。
「!?」
急に視界が奪われ、アイリスはパニックになった。
足が地面から離れていくのを感じる。
徐々に息が苦しくなってくる。
アイリスは、自分を取り囲む水を消そうと全身に力を籠めるが、周りの水の魔力の方が強く、中々身動きが取れない。
「っはあ!はぁ、はぁ、はぁ…!」
何とか顔の周りの水だけをよけて大きく息を吸うと、眼下でクレーヴェルが手を上に掲げてアイリスを見上げているのが見えた。
「ク、クレーヴェル!何でこんなことするの!?」
アイリスがそう叫ぶと、クレーヴェルは片方の手をスイっと横に動かした。
途端に水で口をふさがれてしまう。
「シー。静かにしないと、他の人に気づかれちゃうよ。」
クレーヴェルが口を開いた。
「んー!んー!」
口をふさがれてもなお、アイリスは叫んだ。
「僕が何をしているのかわからないって?」
クレーヴェルは笑った。
それはあの人懐こい笑顔ではなく、蔑んだような笑いだった。
「それはもちろん、復讐だよ。」
(ふ、復讐?)
「あれ、身に覚えがないって顔してるね。公爵から聞いてないの?いいよ、教えてあげる。」
そう言うと、クレーヴェルは皮肉めいた笑いを浮かべた。
「僕は元々、あの家の子供として生まれるはずだったんだ。だけど、僕に水の魔力がないことがわかると、あいつは僕と、体の弱い母さんを田舎に追いやった。僕らを捨てたんだ。」
あいつとは、あのお屋敷の主人のことだろう。
クレーヴェルは怒りに顔をひきつらせた。
「ろくに食べ物も食べられなかったから、母さんはどんどん具合が悪くなって…それでも、お金がないから薬すら買えなかった。どんなに手紙をかいて頼んでも、あいつは返事をくれなかった。」
ぶるぶると怒りでこぶしが震えている。
「それなのに、僕が水の魔力を持つと分かった途端、あいつは僕を家に戻そうとしたんだ。…病気の母さんを残して。」
そう話すクレーヴェルは、またあの目をしていた。
虚ろで、暗い瞳。
アイリスは思わず目を見張った。
クレーヴェルは母親が病気で亡くなったから、あの家に引き取られたのではなかったのか。
「僕は行きたくないって言ったんだ。でも、言うことを聞けば母さんを治療してやると言われた。だから、僕はそれに従ったのに…なのに母さんは…!」
クレーヴェルの瞳からは涙があふれていた。
アイリスはそれを見て、胸が締め付けられる思いだった。
クレーヴェルは憎しみに満ちた顔をしているが、その表情の奥には、計り知れない悲しみが垣間見えていた。
アイリスは、もう一度、自分を囲む水を取り除こうとゆっくり力を籠めた。
「こんな忌々しい力さえなければ…!お前が婚約をするなんて言わなければ!僕は母さんと最後まで一緒にいれたのに…!」
クレーヴェルは泣き叫んだ。
「し、知らなかったの!あなたがそんな苦しんでいるなんて!」
口元の水を何とか取り除いたアイリスは、必死に訴えた。
「知らなかっただろうよ。貴族はいつも自分に都合の良いことしか見ないんだから。公爵もあいつと同じ、自分の利益しか考えてなかったんだろう?」
「そんなこと…!パパはそんな人じゃない!話し合えばわかるはずよ!」
「うるさい!黙れ!」
クレーヴェルが叫ぶと、アイリスを囲む水の圧力がぐんと強くなった。
「うっ!く…」
どす黒い水がじわじわとアイリスの顔を覆っていく。
(駄目、力が強すぎる…)
抵抗しようともがくも、アイリスの体は少しも動かない。
「ねえ、知ってる?僕の名前、クローバーって意味なんだ。」
徐々に薄れゆく意識の中で、クレーヴェルのささやく声が聞こえる。
「母さんが付けてくれたんだ…」
クレーヴェルはつぶやいた。
微笑を浮かべながら、静かに涙を流すクレーヴェルが視界に映る。
「花言葉、知ってる?「復讐」っていうんだって…」
その時、アイリスは真っ黒な水に完全に飲み込まれ、意識を失った。
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