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未来を紡ぐ者達  作者: 聖那
第1章 邂逅
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明かされる負の螺旋

足早に石畳の廊下を踏み鳴らすレイの顔は、四六時中張り付かせていた笑顔とは逆の、憤怒の表情で紅潮していた。演習場を見下ろせる場所まで来ても、その怒りが収まることはなかった。


(陰明寺秀因!・・・・面白い。あのへらず口、二度と叩けなくしてやる)


憤怒と笑顔が同居する(いびつ)な表情は、この世のものとは思えないほどの憎悪で歪んでいた。


さらに南へと足を進め、下へ伸びる階段を下りようとして足を止めた。ゆっくりと後ろを振り返り、踊り場を飾る歴代の王達の肖像画を順に見つめる。その表情は、先程までの歪なものではなく、どこか(うれ)いを帯びたもののように見えた。


(こんな虚像に・・過去を精算することも未来を創造することもできぬ)


『おい、誰か側にいるか』


(おもむろ)に、誰もいない踊り場に気配だけが姿を現す。


『はい、レイ様』


『引き続き陰明寺の動向を全て探るのだ』


『はっ!』


声を圧し殺した返事が聞こえた瞬間、見えない姿の気配が消失した。


(きびす)を返して階段を下りるレイの足音から、怒りの感情は消えていた。

乾いた足音はゆっくりと遠去かり、辺りを静寂が支配した。



静寂を破ったのは、先程レイを論破し損ねた秀因だった。


『父上、どうやら私が知らなければならない事実が数多くあるようですね』


多少、不満気な口調の秀因を軽くかわすように、


『まぁ、そう焦らずに茶でもいただこうぞ』


そう言って祈秀は、部屋の中央に配置されたテーブルの上の、豪華に飾られた黄金色(こがねいろ)に輝く真鍮製の急須に、竹の筒に密封してある茶の葉を入れ、淡い色で彩られた陶磁器製のポットから廻すように湯を注ぎ入れる。まだ十分に温かいらしく、注がれた急須の口から一筋の湯気が立ち上る。


『父上!』


食い下がる秀因には構わず、祈秀は慣れた手つきでゆっくりと急須を回し、二つの湯呑みへと交互に、そして何度かに分けて茶を注ぎ入れた。

部屋中を、奥ゆかしい茶の香りが満たしていく。花に群がる蝶のように、その香りに誘われるがまま、祈秀は茶を一口啜った。


『ほぅ、これは絶品』


見事なまでの茶の味に、嘆息せずにはいられなかった。


高い場所に設けられたはめ殺しの窓の外には、抜けるような青空に、鉛色の雲が幾つも連なって浮かんでいた。流れる雲の動きが速いため、上空では強い風が吹いているのが分かる。


茶の香りが秀因の心を激しく揺さぶる。今までに嗅いだどんな茶にもない気品漂う香りに、渋々といった顔をしながらも、内心は、喉から手が出るくらい早く茶を味わいたい気持ちで一杯だった。


湯呑みに口をつけ、(はや)る気持ちを抑えてゆっくり、"ズズズ"と啜った。思っていたよりもぬるめだったが、口の中に茶特有の苦味が広がる。しかし、その苦味の後に溢れだすのは、口一杯に広がる旨味と、絶対的な落ち着きを与えてくれる清涼感だった。


『う、うまい・・』


『そうだろう、そうだろう。六十度くらいのぬるめの茶は、旨味が強くて最高なのよ』


茶の味のなんたるかを知っている秀因ではなかったが、これまで味わってきたどんな茶よりも美味しく感じた。

このうまい茶を味わい尽くそうと、何度も湯呑みに口をつける秀因に、祈秀は優しく、そして(さと)すように、茶よりもさらに温かい言葉をかける。


『よいか秀因。これから先、どんなに理不尽なことがその身に起きようとも、決して激情で物事を判断してはならん。冷静さを欠いた判別は、必ず己の身を滅ぼす結果となる。よいな』


ハッとして顔を上げた秀因の目に、ニッコリと微笑む祈秀が映った。


『茶を一服盛るのも悪くなかろう?』


(この微笑みに、何度教わったろう・・自分の未熟さを)


秀因は、ゆっくりともう一口茶を啜り、味わうように喉の奥へと流し込んだ。テーブルに湯呑みを置き、椅子に浅く腰を下ろして目を閉じる。

祈秀も、秀因の真向かいに腰を下ろすと、テーブルを挟んで向かい合う格好になった。


秀因は、鼻から大きく息を吸い、吸い込んだ空気をゆっくりと丹田(たんでん)まで落としていく。落としきった空気を、今度はゆっくりと口から吐き出していく。己の中の邪気を全て吐き尽くすように。

時間をかけて、何度も・・何度も繰り返した。瞼を持ち上げた秀因は、真っ直ぐに祈秀を見つめる。


『ありがとうございます。父上』


それはまるで、凪いだ海のように穏やかで、深く、静かな佇まいだった。


(ほぅ、良い面構えをするようになりおって)


部屋の西側に設けられた窓には、頂点から少し西に傾いた太陽が、分厚い灰色の雲間からその姿を見せつけるようにギラギラと光を照りつける。

外は、先程の土砂降りなどなかったかのように、急速に空模様を変化させていった。


西の窓の外にはテラスがあり、その外側を、腰の高さほどの白い壁が囲んでいる。秀因は、ふとその一角に目を奪われた。


(あれは・・・・)


白い腰壁とコントラストを描くように、一匹の黒猫がこちらに背を向け、横になって(くつろ)いでいた。頭を上げ、耳と尻尾を"ピョコピョコ"と遊ぶように動かしている。持ち上げた後ろ足の先は白く、まるで白足袋を履いているように見える。


(やっぱり!街のパン屋の前にいた黒猫)


黒い布衣(ほい)に白の足袋、まるで陰明寺(われら)のようだと感じたのをよく覚えている。気にする秀因を余所(よそ)に、日向ぼっこを満喫する黒猫だった。


『秀因』


父祈秀の真剣な声に、意識をテラスから室内へと戻した秀因の目の前には、今までにない、悲痛な面持ちを見せる祈秀が、姿勢を正し、言葉を選ぶように重い口を開く。


『この国・・否、ガイア大地全体で起ころうとしていること、そして、これまでに起こってきたことの全てを・・話さなければならん』


『ガイア大地全体で起ころうとしていることと、起こってきたことの全て?』


"ウム"そう唸った祈秀の表情に暗い翳りが増していく。


『ガイア大地が、千年以上も繰り返している暗黒の負の螺旋(れきし)を』


そう呟いた祈秀と、目の前の秀因との間に流れていた時間だけが、止まってしまったかのように、凍りついた静寂が、共有する二人の空間から全ての音を奪った。


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