炎の魔獣
ティラノくんって羽毛生えてたらしいけれど、イメージ図の頭頂部、ハゲてません?
炎の化身、ザラマンデル。炎を操るその力は広大な森をも一瞬で焼き払ってしまうほど、と言い伝えられている。
グルアアアアアアアアアアアッ
そんな太古より存在する伝説の生物が、今僕らの目の前にいる。その事実が身を震撼させた。
いったいどうやって入ってきたのだろう。ここには古代魔法の結界がかけられていたというのに!
この鱗を持つ炎の化身の竜と違うところは、ティラノサウルスのような体形をしていることと、大きさが大人よりも一回り以上回っていること。それから翼がないことだ。炎の鬣を揺らめかせる、その巨体から発せられるエネルギーで周囲の気温がどんどん上昇していく。熱い……!
[そんな、まさか……]
[あのザラマンデル様がなぜここへ!?]
島の老竜たちがザッと戦闘態勢を取った。僕らドラゴンは長生きで、老竜たちの中には5000歳を超えている者たちも少なからずいる。もしかしたらその言い伝えに出くわしているドラゴンたちがいるのかもしれない。ちなみに父さんは3000歳、母さんは2500歳ほどだ。僕らなんてまだまだ若僧なんだな、って感じさせられるよね……
『竜族らよ』
しゃ、喋った!?僕たちはドラゴン形態に戻ると唸り声、竜の言語しか発せられなくなる。それは声帯が獣のそれになるからで、しょうがないことなんだ。だけどこの目の前の生き物は違った。声が聞こえてくる。否、直接脳内に言葉をたたきこまれているような感覚だ。これは、一体……!?
『余は今、念話で直接貴様らの脳内に意思を伝えている。余は貴様らに用があるのだ』
[はっ。して、それは一体?]
老竜のうちの一体がザラマンデルの前で、背筋をピシッと伸ばして座った。犬で言うきっちりとした”お座り”の姿勢は、学校の号令の”気を付け”と同じような感覚なんだ。ちなみにヴルカンは僕らのうなり声もきちんと言語として読みとれているらしい。同じ鱗を持つ者だからなのかな。
『余は感じ取った。この島の強大な2つの力を』
周りがどよっとざわめいた。そして島民全員の目線がきっきに僕らへ集中した。え?な、何?不安になってエレクの服の裾をつかんだ。エレクも顔をしかめていて、よく分かっていない状況だ。他にも成人式を迎えていない子竜たちが、戸惑ったように目線をうろうろさせている。
『力を封印することで隠したようだが、四大魔神の中でも頂点に屈する余をごまかせるとでも思ったのか』
なおもこちらをじろじろと見てくる大人の竜たち。それと何やら怒っている様子のザラマンデル。僕らはただただ身をすくめることしかできなかった。
と、老竜の一匹、この島では一番長生きの地竜こと”長老”がザラマンデルの前へと繰り出した。その齢、なんと2万を超えるといわれている。
[そのようなことは断じてありません。わしらはあの幼子2匹が力の使い方を誤らないよう、枷をはめただけなのです]
『なんということを!!』
グオオオオオオオオオオオオオオオッ
ザラマンデルが咆哮を上げる。その方向に含まれる怒気は、空気をビリビリと振動させ、気の細いものは卒倒してしまうほどだった。
[それを伝えれば、きっとあなた方が2匹を連れ去ってしまうと思ったからなのです。2匹は竜の子、竜の子は竜が育てるのは当然のことです!!]
『黙れっ!その2匹は余らを導く先導者ぞ!!』
再びザラマンデルが咆哮を上げた。そして老竜を蹴り飛ばしてしまった。なんということを!
どういうことなんだ。全く話が読めない。それに、もしも僕らのことを言っているのだったら、それは間違いだ。だって僕は前世の記憶を持っているとはいえ、ただの子竜なんだ。村の子竜たちと比べたってちょっと素早いだけで何の変哲もない普通のドラゴンだもの。エレクは知らないけれど……
『ああ、心配しないでください、白と黒の君。ああ、なげかわしや。あなた方はこの羽トカゲどもに力をそがれ、封じ込められていたのです。なんという屈辱でしょう!おかわいそうに……大丈夫です、今助けて差し上げます。このようなトカゲどもなど、すぐに滅し終わりますから』
こいつは何を言ってやがる?
『このような野蛮で下劣なこの牢獄から、余が救い出して差し上げましょう!』
俺はエレクドリス。皆からはエレクと呼ばれている。隣のラウルとは親友の関係だ。
今日は島のフェスティバルの日。朝、ラウルと意気揚々と島の中心部の会場へ行って、チーム全員で力を合わせてスカイゴールを勝ち抜いて、それで他の競技を見て、皆でご飯を食べて、ラウルが怒って……
それで目の前の赤い怪物に壊された。
赤い怪物はフェスティバルをめちゃめちゃにした挙句、訳も分からない理由で怒って、爺さんを殴り飛ばした。爺さんの鱗はひび割れ、血がにじみ出ている。
もう後100年ほどで寿命が尽きてしまうかもしれないほどの高齢の竜を、殴り飛ばした。
[なに言ってやがる!]
我慢の限界だ。
[何が羽トカゲだ!それに親父もお袋も島の皆も野蛮なんかじゃねぇ!俺はここがいいんだ!てめえなんかに誰がついていくかよ!]
怪物から放たれる重々しい威圧感が恐ろしい。殺されるかもしれねぇ。だけど、止まらない。
[よぼよぼの爺さんを殴り飛ばしておいて、それをさも当然のようにふるまってんじゃねえよ!てめえみたいなデカブツに殴られて、爺さん、死んじまったかもしれねえんだぞ!それぐらい考えろよ糞野郎!]
普段感情を表に出すことは苦手だ。でも、今日は素直に表に出た。心の思うことをぶちまけた。
[俺はここを出たくなんかない。島の成人式の旅立ちの試練を超えたらまたここへ戻って暮らすつもりだ!]
だけれど、怪物は聞いちゃいなかった。
『ああ、哀れな黒き先導者よ。洗脳されてしまったのですね。許せない、許せない、許せない。我らが導き手にこのような仕打ちを……まっこと許せぬ。余は今から貴様らを一匹残らず燃やしつくしてやる。ああ、心配することはありませんよ。お二方。余も極悪非道ではござりませぬ。一瞬で苦も無く墨へと変えましょう』
は……?
キュインキュインキュインキュイン
怪物が全身に炎をまとい、力を溜め始めた。辺りの温度がすさまじい勢いで上昇してゆく。
[な、にやってるんだよ?]
『掃除です。汚いものは片づけなくてはならないのですよ』
[やめろよ]
『何故です?』
[やめろって言ってんだよ]
『?あなただって不要なゴミは燃やすでしょう?炎属性を持つ者同士、ご理解いただけると思ったのですが……』
[やめろ!]
『ふむ。あなたは掃除があまり上手くないのですね。では、私がお手本を見せてあげましょう』
キュイイイイイイイイイイイイイン
[やめろ、やめろやめろやめろやめろ]
のどから血が噴き出すほどに強く、叫んだ。辺りの竜たちは皆、死を覚悟して目をつぶっていた。なんでだ、どうしてなんだ。俺のせいなのか?おれのせいでみんなが、しぬ?
目を見開けば、親父とお袋が見えた。二人は、にこりと笑っていた。それはそれは寂しげに。
キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ
[やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお]
シュポン
おかしい。何も起きない。
目を開ければ、あれだけ燃え盛っていた炎がすっかりと消えていた。辺りを見渡せば皆もいつまでも襲ってはこない、真っ赤な炎をいぶかしげに思ってかちらほら目を開け始めていた。
[……どうなったんだ?]
怪物をうかがえば、何やらもがいているようであった。どこか様子がおかしい。目をカッと見開いて、ぱくぱくと開閉させる口からは、息の鳴る音さえもしない。
ふと、ラウルの存在を思い出し、さっと横を向く。
が、そこにあの真っ白な竜の影はなかった。
[ラウッ!?]
だが、一瞬渦巻いた不安も次の瞬間雲散した。なぜかラウルは人型になって、あの怪物をじっと見つめていたのだ。ほっとしたのもつかの間、次には疑問が浮かび上がる。なぜ、この非常事態に非力な人型を取っているのだろうか……
[な、なあラウ……!?]
疑問に思って、顔を覗き込んだ俺は言葉を失った。ラウルの顔からは、一切の感情が抜け落ちていた。たとえるならば、”無”。いつも笑顔のラウル。そのラウルは、今
ラウルは一切の感情を教条にあらわさないままに、静かに変な動きをしている怪物を見つめていた。
と、ラウルの口が動いた。
てるてるぼーず、てるぼうず、あーしたてんきにしておくれ
あの歌は……少し前にラウルが俺に歌ってくれた歌の旋律だ……ただ、歌っている歌詞の意味は分からない。俺の知らない言葉で歌っている……
いつかのゆめの、そらのよにー、はれたらきんのーすずあげよー
いつしかその場はしんと静まり返り、ラウルの透き通った声だけが響く。空は薄暗く曇り、ポツリポツリと雨が降り始める。
てるてるぼーず、てるぼうず、あーしたてんきにしておくれ
わたしのねがいをきいたなら、あまいおさけを、たんとのましょ
雨はどんどん強くなって地面を濡らしていった。そしてようやく気づいた。怪物のおかしな動きの原因は、ラウルが何かをしたからなのだと。
てるてるぼーず、てるぼうず、あーしたてんきにしておくれ
それでもくもってないたなら
―――――そなたの首をちょんぎるぞ―――――
ぞくり
背筋に寒いものが走る。
辺りの気温が一気に下がり、雨は氷の弾丸となって地面をうつ。ぬかるんだ地面はたちまちのうちに凍り付き、恐怖とともに深々と冷たさが食い込む。
ラウルが静かに歩きだす。
「僕がこの姿になったのは、そうですね……竜言語ではなくて共通の言語で語らい、あなたに僕の気持ちをきちんと分かってもらいたかったから」
『~~ッ~~ッ!!』
「ああ、まずあなたにかけた魔法を解きますね。よっと」
ズ、ズズウンン
怪物が床に崩れ落ちた。苦しそうに肩で息をしている。
「どうして炎が消え、自らの呼吸が出来なくなったのか、疑問に思っているでしょう?」
ラウルは淡々と無表情で言葉を紡いでいく。
「炎は空気が無ければ燃えません。そして、生き物は呼吸をしなければ生きてはいけません。ここで僕の持つ魔法は風、水の魔法。さて、僕はどうしたと思います?長らく生きていたあなたならわかるでしょう」
ラウルは目を閉じ一呼吸置くと、また話を始めた。
「まず最初に言わさせてもらいます。このような仕打ちをしてしまい、申し訳ありませんでした。」
そしてラウルは深く深く、頭を下げた。
何でラウルはあんな奴に頭を下げているんだ?悪いのは向こうだろ!?怪物の方も、面食らったように目を白黒させている。
「あなたという、何万年も生きているような年上のお方を攻撃してしまったことは、深く深く反省しています。本当に、すみませんでした。ですが、僕はこのことに対する後悔を一切していません」
ラウルはしゃがんで怪物と目を合わせた。
「あなたが言った言動について、僕は許すことはできません。ここ、竜の島は僕の大切な、大切な場所です。島民たちは、皆優しく気さくで、とても温かい。あなたの理屈で言うと、野蛮で下劣な羽トカゲたちの中には、僕らの母や父も含まれます。そして、その母と父の間に生まれた僕たちも野蛮で下劣な羽トカゲ、ということになりますね」
怪物の目が見開かれた。
「今は何も言わないでください。今、謝罪を受けたところで僕はあなたを許さない。あなたの謝罪は僕とエレクだけに対する謝罪だ。僕は自分を侮辱されたことには興味はありません。しかし、島民を侮辱したことについて、黙って見過ごせるほど僕の器は大きくはありません。あなたが島民すべてを受け入れて、改めて心から謝罪を受けるのであれば……その時は考えておきます」
ラウルはスッと立ち上がると、一つ、拍手をした。すると、先ほどまでの異様な重苦しい沈黙と、芯まで凍ってしまいそうになったあの寒さが一気に雲散した。空も、あのどんよりと立ち込めた雲が嘘のように晴れて、カラッと晴れ渡った。
「もう、お帰り下さい。僕もラウルもこの島から離れるつもりはないんです。お願いします。どうか、どうか僕、いや僕らの願いを聞き届けてはくれないでしょうか。無礼は100も承知です。ですが、せめて成竜の儀まではここへ居させてはくれませんか。お願いします、ザラマンデルさん!」
『なぁっ!?何をなさるのです!』
ラウルは怪物に向かって土下座をしていた。
[ラ、ラウルッ]
思わず声をかければ、ラウルはキッと鋭い眼光をこちらへ向けた。
「エレクドリスッ!いいかい、ザラマンデルさんは手加減をしてくれているんだ!ザラマンデルさんが今本気を出したら竜の島を丸ごと蒸発させて僕らを連れ出すことなんてたやすいことなんだよ!?僕の魔法なんて狭い範囲でしか使えない、ほんのちゃちなもの、そしてザラマンデルさんのクラスなら術を破ることなんて造作もないことなんだ!分かるかい!?僕らは今、
生かされてるんだよ!!」
その瞬間ハッとした。今、怪物は……否、ザラマンデルが炎の魔法を使わないのは、ラウルの意思を聞いてくれているからなのか。そしてそれは聞いているだけであって、分かってもらってはいないのか。
そうとわかれば、俺の取るべき方法は、ただ一つ。
[……お願い、します。ザラマンデル……様。どうか、この島を、救って……お救い下さい]
島や皆を今しがた消そうとしていた相手に頭を下げるのはしゃくだった。だけれど、こうもしなければ皆を救えないほど非力な自分に腹が立った。
[お願いします、サラマンデル様!お願いします!!]
[頼見ます……わしらはどうなってもいい、だが、子供たちだけは許してやって下さい……!]
島民たちも次々と頭を下げた。首を地面につくかと思われるほど下げ、体が小さく見えるよう、尾も翼も丸め込んで、小さく、小さくなる。
その状況がどのぐらい続いたのか、分からない。たぶんほんの少しだったのだろう、けれども俺らにとっては長い、長い時間に感じられた。
『……っくぅっ……!』
怪物の背に丸い魔法陣のようなものが浮かび上がったと思うと、怪物は大きく跳んだ。そしてそのまま弾丸のような超高速で飛び去って行った。その姿はあっという間に空の彼方へと消えて行った。
間。
[た、助かったのか……?]
その老竜の一言で、皆の緊張が解けた。そして皆はじけるように騒ぎ出した。
[私たち、生き残ったのね!]
[よかった、本当に良かった……!]
親子が抱き合って喜ぶその隅で、ドサッと何かが倒れこむような音がした。なんだ!?バッと全員が一斉に振り向いた。
視線の先にあったもの。それは他よりも少し小柄な、純白の鱗を持つ子竜が地面へ倒れ込んでいる様子だった。
[ラウル!!]
胸で膨らんだ風船がパンとはじけた気がした。その白いはずの体は、ぬかるんだ地面でこすれ、薄汚れていた。
四足で飛びだした。
[ラウル、どうしたんだよ!?なあ、ラウル!!]
体をゆするも、反応がない。どうしようどうしようどうしようラウルラウルらうる
[らうるらうるらう[おちつきなさいエレクドリス]……爺さん……?]
一心不乱に名前を呼びかけ、その細い体を揺さぶっていた、その時。振り返ると、怪物に蹴り飛ばされた爺さんがいた。長老だ。
[じ、爺さん!!ラウルが!!ラウリオルが!!お、おれのせいだ、おれがあんなこといったから……]
[だから落ち着けと言っておるじゃろう、エレクドリスよ。ラウルリオルなら心配はいらんよ]
[……?]
[ほれ、見るのじゃ]
老竜がラウルの首をそっと持ち上げた。すると、かすかに、でも確かに息の音が聞こえた。思わずへたり込んだ。
[よ、よかった……]
[緊張の糸が切れて、気が抜けたのじゃろう。今日はそっと寝かしてやりなさい。何しろ、今日は大きな働きをしたんじゃからな……]
爺さんが何を言っているのか、よく聞き取れない。目の前が霞がかってきた。だけど、心の中にはゆったりとした大きな安堵があった。
[やれやれ、エレクドリスの方も眠ってしまったわい]
老竜は倒れ込んだ2頭の竜の頭をそっと撫でた。
[今日はご苦労であったのう。礼を言うぞ]
何時ものように動き出した竜の島。そこには温かい風が吹いていた。
ハゲワシ