鏡界~キョウカイ~
鏡……それは現代において自分自身を客観的に見る為の道具として使われ、古来は神秘的な物として主に“こちら”と“あちら”を繋ぐ祭祀の道具として使われてきた。
“こちら”とはすなわち、今僕らがいる世界のことで“あちら”とは僕らの考えを逸脱した世界ということだ。
今の世の中では鏡に映った自分を自分自身だと皆誰もが常識として認知している。しかし、太古ではどうだっただろうか?
人類は水面に映る自らの姿をすぐに自分自身だと受け入れただろうか?
僕はそう思えない。
一番賢いのは人間……だが、一番愚かなのも人間だ。
一番賢いのならば争いなど起こらない。だが、今日でも世界のどこかでは争いが起こっている。
欲に塗れ、断固として他者の考えを受け入れようとしない……そんな者が争いを起こしているのだ。
もし、人類が初めて自身の姿を知った時……その時、人類は驚き、石を投げ、波紋に揺らめく自身の醜い姿を呆然と眺めていたであろう、と僕は思う。
信じられないものを目の当たりにした時……人はすぐにはそれを受け入れられない。戸惑い、考え、納得してから初めて受け入れることが出来る。
猫や犬なんかは鏡に映った自分を自分自身とは気が付かず、威嚇し吠え立てて敵意を剥き出しにする。
それを滑稽だ、愚かだ、と人間は笑うが僕から見たら笑う人間こそが一番滑稽だ。
猫や犬の行動は寧ろ、原始から受け継いでいる本能をそのままに出しているのだから別に不思議ではない。そう考えて見ると強がっているのは彼らではなく人間の方なのだ。
さて、鏡に映った自分自身と似たようなものがある。
それは双子だ。
鏡映しのようにそっくりな人間が二人生まれる……世界には同じ顔の人間が三人現れるだとか、ドッペルゲンガーだとか色々とあるが、鏡にもある神秘という言葉を使うならとりわけ人間の生命の神秘と言わざる負えないだろう。
しかし、人間はこの神秘をあまり快く思わなかった。
同じ顔を持つ人間が二人というのは気味悪がられ、特に貧しい昔なんかは家督の相続といった風習まで絡んできてどちらか一方を切り捨てることが多かった。
口減らしや間引きといった風習がその例といってもいいだろう。
そして、この双子というのは昔、あとから生まれてきた胎児を兄または姉としたというのだから、現代の双子の兄、姉は時代が違えば扱いも酷いことになっていただろう。
さて、今回僕は鏡や双子、具体的にはもう一人の自分について述べた訳だが、それはこれから述べることに深く関わってくるからである。
※※※※※※※※※※※※
とある村で人形に魂が宿ってしまった女子高生、村崎由利と出会った僕は彼女の協力の元、彼女に殺され、同じく人形に魂が宿った人間達の研究を行っていた。
人間の身体とは違い、人形の身体には神経が無い為、その身を裂こうがどうしようが彼らは身体的な痛みを伴わなかった。
ただ、元の人間としての心がそれを許さないのか彼らは持てる力の全てをもって抵抗しようとした。すなわち、人形達の反乱である。
しかし、慣れない人形の身体では為す術もなく、あらん限りの抵抗をした彼らはほんの僅かな非力とも呼べる僕の手によって押さえられた。
中には、人形の身で物を落としたり、飛ばしたりする者もいたがそんな彼らも僕に憑く紫の怨霊により瞬く間に恐怖の底へ突き落とされた。
そんな彼女達の協力もあり、僕の命と死に関する研究は飛躍的に進んだ。
まず魂の入れ物となる身体だが、これは別に肉体でなくてもいいらしい。
その証拠に由利へは様々な人形を器にして人間を殺すよう頼んだ。
普通の人形から土で出来た土人形、日本人形からフランス人形、ぬいぐるみからマネキンまでありとあらゆる物を使用した。
その結果、魂の器は肉体でなくとも良いがいくつか条件があることを見つけた。
その条件とはなるべく人の形に近い物であり、尚且つ人が丹精込めて作った物……更に欲を言えば少し使い込まれた物が良いということだ。
人間の肉体は各臓器が連動し、それが老いや何らかの欠損によって機能しなくなると死ぬ。
人形の場合、それら臓器や関節等が無い分、身体が裂かれても死ぬことは無いが動きがやはりぎこちない。ましてや、これが動物のぬいぐるみといった物になるともはや話すことしか出来なくなる。だから、やはり人間に近い形のものでなければならない。
丹精込められて作られた物が良いというのはそれだけ人の手と想いが加わり、より魂が馴染みやすいという意味だ。これは使い込まれたものにも同じことが言える。
このようなことを僕は研究する内に発見したのだが、そんな最中……僕はふと、あることに関して疑問に思った。
それは由利人形が自身が人形になった経緯についてである。
人形になる前……つまり人間だった時、彼女は学校内にあった鏡の中にある自分自身に引き込まれたという話しであった。
そこから様々な怪異に遭い、ついには彼女自身が怪異になってしまったということであったが……果たしてそうだろうか?
いや、実際に人形に魂が宿っているのを見るとそんな話しも本当に思える。
これは息抜きも兼ねて調べてみるのも面白そうだ。
そう思った僕は会社に休暇を取ることを伝えた。
※※※※※※※※※※※※
数日後の深夜……黒いコートに身を包んだ僕は再び由利と出会った氷上高校の前に来ていた。
学校の前には血に濡れた包丁を持つ由利人形が立っている。
「あら、久シ振リネ……」
「あぁ。実は君の遭遇した怪異が気になってね。ほら、前に鏡に引き込まれたって言っただろう? それを見たくてさ……」
そう言うと僕は正面玄関へと歩み寄る。
僕の流した都市伝説は上手い具合に広がり、警備は厳重なものとなっていた。
とはいえ、警備員や監視カメラが付いている訳では無い。精々、金網が張り巡らせていたり、ガラスが頑丈になっているくらいだ。
やはり、田舎なのだろう。
「……物好きネ」
「怪しい物を調べる……それが君達に関わるきっかけになっているからね」
「デモ、ワタシが案内スルにも校内は広いワ。その中で怪異全てヲ―――」
「全てじゃない。僕が興味あるのは鏡の件だけだ。鏡だけなら学校に入る必要も無い」
「ドウイウこと?」
尋ねる由利に僕は答えた。
「古代より鏡は光を集め、光を生み出すものと考えられてきた。だが、その光を生み出す鏡が生まれたのは夜……すなわち闇だ。暗がりの中ではガラスや波紋の無い水面はたちまち鏡の役割を果たす」
僕は学校のプールを見る。残念ながらそこには水が張っていなかった。
だが、その方向にあるものを見つけた。
それはゴミ捨て場のような場所なのかいくつものゴミ袋が積まれている。
僕はその場所に向かった。
「つまり、闇の中こそより自分自身が鮮明に見えたということさ。最もその鏡は光を生み出したりなんてしないけれど……」
「……よく分カラナイけれど、取り敢えずゴミ捨て場に鏡は無いワヨ?」
「分かっている。ほんの些細な興味さ」
思った通り、到着したそこはゴミ捨て場だった。
そこには燃えるゴミから燃えないゴミ、粗大ゴミまで大小様々なゴミが乱雑に置いてある。
その置いてある粗大ゴミの中、僕は珍しい物を見つけた。
「ほぅ……テレビが捨てられているな」
それはゴミとしてはあまり見ないブラウン管テレビであった。
その黒い顔を覗くと僕自身の顔が反射してよく見える。
その中にいた僕は口元に笑みを浮かべていた。
そんなに鏡の怪異を楽しみにしていたのだろうか?
我ながら闇の中で笑う姿は何とも不気味だ。
まぁ、僕自身自分でも変わりつつあることは自覚している。
何気なくそんなことを思いながら自分の姿を眺めていると突如、その中の自分の目が怪しく煌めいた。
その途端、テレビの画面から青白い腕が二本飛び出し、僕の首元を掴んだ。
かなり強い力でテレビの中へグイグイ引き込まれていく。
僕は抵抗せず、ジッとその様子を見たままテレビの中へ入っていった。
※※※※※※※※※※※※
村崎由利……彼女の話しでは鏡の中へ引き込まれた直後、そこは普段と変わらない校内だったそうだがそこに鏡は無かったという。
彼女は引き込まれた直後、気を失った訳ではない。ほんの僅かばかり目を離した隙にそこは自分の居た世界ではなく、別な世界だったのだ。そして、元の世界に戻ってきた時には彼女は人間では無かったのだ。
とすると、引き込まれた僕も別な世界の同じゴミ捨て場にいなければならない筈だが、どういう訳か……僕は見知らぬ場所にいた。
そこは灰色に塗れた世界とでも言った方がいいのだろうか?
どこを見渡しても灰色の空間ばかりが広がり、所々に四角や丸といった窓のようなものがある。
その窓のようなものの中は眩い白々しい光が差し込んでいた。
さしずめ、鏡の世界といったところだろうか?
辺りをよく見渡して見ると傍には人形の由利が倒れている。
恐らく、僕と一緒に引き込まれたのだろう。
「どうなっているんだ? 君が言っていたことと随分違うみたいだが……」
「ワタシにも分カラナイワ。ここはドコ?」
疑問に思う中、僕はふとあることに気付く。
見られている―――直感だがそう感じた。
よく心霊関係の類で三面鏡の中にいる自分から視線を感じることがある、という話しを聞いたことがあるが、これがそうであろうか?
なんせ、辺りは鏡ばかり……鏡の迷宮も顔負けの場所だからだ。
こんな時は視覚に頼るより直感に頼る方が良い。
「……包丁を貸してくれ」
僕は由利から包丁を借りると目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。
僅かな音、気配を逃さないよう集中する。
すると、微妙にだが空気が変わったような感じがした。
あらゆる方向から感じていた視線がある一点だけ強い気がしたのだ。
僕は無意識に任せてその方に包丁を振り切った。
何かが当たる確かな感触……そして、直後に何かが割れる盛大な音が辺りに響き渡る。
目を開けて確かめてみるとそこには一枚の割れた鏡の破片が散らばっていた。
「よく気が付いたな……」
それを認めてすぐ、僕と同じような声が反響して聞こえ、散っていた筈の鏡の破片が再び集まり始めた。
まるで逆回しのビデオでも見せられているような気分だが、集まった破片は元の鏡の姿ではなく、どういう訳か僕自身の姿へと変わっていった。
何もかもが瓜二つ……まるで双子のようだ。
ただ、一点……瞳に宿る怪しい光を覗いてはだが。
「僕に双子の兄弟はいない筈だが……それに彼女と僕じゃ招待する会場がだいぶ違うようだけど?」
「わたしは君の心そのものの映し身だ。それに彼女が巻き込まれた怪異とは関係ない」
「だけど君は僕をここへ引き込んだ」
「今に限ったことではない。いずれこうするつもりだった」
僕の姿で似ても似つかぬことを話す映し身とやらはそう話した。
どうやら、僕は以前から彼に狙われていたようだ。
「怪異に出会いし者は再び怪異に出会う……君の世界では幽霊にあった者は霊感が付き、再び目にするそうじゃないか。それと同じだよ。真実を見た者はそれを認め、受け入れなくてはならない。拒否は自己の破滅だ。頑なに拒否する者は最後の手段として自らもその姿を変えることとなる。そう……彼女のように」
もう一人の僕はそう言って由利を指差した。
なるほど、怪奇現象に巻き込まれて逃げ続け、自らも怪奇な人形となってしまった彼女はまさに今言った通りだろう。
今日でも世界各地では身体を蛇や竜に変えた者の伝説や異世界に引き釣りこまれた者の伝説が数多くある。
「なるほど……じゃあ、今度は君が僕を彼女のように変えると?」
「……君は大罪を犯した。様々な怪奇なものと触れ、それを認めて心身共に変わった。認めるのは良い……だが、問題はその怪奇なものを自らの闇の糧とし己を邪な者を変えてしまったことだ。更に君は死した命を蘇らせようとしている。死者蘇生と異なる世界の存在を知ることは世界の理に反する」
「……愛しい人の為に動く。それのどこが罪なんだ? それは人間の感情として当然じゃないか?」
僕の声にはいつの間にか強い怒気が込もっていた。
「古来より規律に対して抗い、打ち破ってきたのは人の感情だ。欲望、憎悪、羨望、愛情……それらは時として先人達を越え、時として大きな変革を起こした。そうやって人間は成長してきた。言うなればそれもまた世界の理とやらだろう。無知は罪……誰かはそう言ったが、それならば知ることは罪では無いじゃないか。 愛する者の為なら人間は何だってする。非道なこともすれば国一つ傾けることだって出来る……人間とはそういう欲望に忠実で愚かな生き物だ。邪なことは今に始まったことじゃない、元からなんだよ」
「哀れな……愛する者の為に己を犧牲にし、世界に歯向かうというのか!?」
哀れなのはそっちだよ。なんせ、世界というものに縛られてロクに見聞を広めようとしない……可哀想な蛙だからだ。
もし、もう一人の僕の言う通り、この世界が僕と今は亡き恋人、縁との再会を望んでいないのだとしたら……僕は世界を去り、新たな世界へと行くだけだ。
そう、僕と彼女が共に過ごせる世界へ。
「大切な人のいない世界に反旗を翻したところで、僕には躊躇いも恐れも無い」
「……危険だ。やはり君はこの場で消す!」
もう一人の僕がそう言った瞬間、僕はすかさず彼に向かって手を翳し、その足元に無数の人の形をした影を出す。
僕が名を与えた影の者達、ヌルだ。
だが、ヌルが彼を囲んだ直後、周りにある鏡から一斉に強烈な光が発せられ、ヌル達はあっという間に姿をかき消した。
「君はここを鏡の国だと思っているかも知れないが、厳密にはここは様々な世界の鏡から成り立つ光と闇の狭間の世界だ。この世界は闇は強すぎる光によって消え、光は強すぎる闇によって消える。つまりその双方が生み出す影はここでは使えない」
「ナラ、ワタシが行くワ!」
彼の言葉を聞いた由利は僕から半ば強引に包丁を奪うと、もう一人の僕の元へと駆け出す。
だが、その途中で彼女は急に目の前に現われた鏡によってその中に吸い込まれるように入ってしまった。
「彼女はこの件には関係ない。安心したまえ、元の世界に返しただけだ」
どうやら、由利が入っていった鏡が僕の世界に通じるものらしい。
このまま由利が彼を押さえ込んでくれたらすぐにケリはつけられただろう。
とはいえ、ヌルも使えない以上もう一人の僕を抑え込むのは難しいようだ。
だが、最低でもこの世界ではあの力は使える。冥婚の時、縁が僕にくれた力……僕と縁あるものを結ぶ力。
「優しいな……なら、代わりの者をこの場に出そう」
そう言うと僕の背後から紫色の炎と共に怨霊の紫が姿を現した。
生前の美しい姿とは違う殺されて無惨に変わり果てた姿……だが、縁本人であることに変わりは無い。
けれど、紫はこの異様な世界には馴染めなかったのか、珍しく僕の身体の中に入るようにしてすぐに消えていった。
「紫!?」
「彼女は闇が強すぎる……故にこの世界では姿を出せないのだろう。君の中へ入っていった。さぁ、今度はどうする?」
力は使えるがこの世界ではほん一瞬だけのようだ。
つまり、一気に彼を消すことも出来ないということなのだろう。
優勢から拮抗……いや、状態としてはこの世界に詳しいもう一人の僕のほうが有利だろう。劣勢という訳だ。
「何もしないなら、今度はわたしが代わりの者をこの場に出そう」
そう言ってもう一人の僕が指を鳴らしたと同時に周りにある鏡が一枚……また一枚と砕け、その中から何人もの僕が現われた。
一気に形勢は多勢に無勢……更には孤立無援ときている。
「さぁ、これだけの数に呑まれれば君自身タダでは済まないだろう。最も命乞いをした所で何も変わりはしないが……」
もう一人の僕がそう不敵に笑みを浮かべる中、僕はあることに気付いた。
さっき紫は僕の中に入るようにして消えていった。そして、この世界では表立っていなければ力を使うことが出来る。
直接、僕にくれたとはいえ縁こと紫も僕と結ばれたものの一人……しかも、その結び付きは強い。
ならば……怨霊としての紫の力を僕は使える筈、いや紫だけではない。ヌルや穢れた花嫁、人形の由利の力だって彼らを呼び出さずとも僕自身が使えるのでないか?
周りにあるのは鏡と砕け散った鏡の破片……実証してみる価値はありそうだ。
「言いたいことはあるかね?」
ドラマや映画で追い込んだ者が追い込まれた者に対して使うようにもう一人の僕はそう尋ねる。
無意味なことを……まぁ、良い。ならば一つ言わせてもらおう。
「なら一つ言わせてもらおうか」
「良いだろう」
「そのようなセリフを誇らしげに語るのは無意味だ。なぜなら、自ら敵に向かって首を差し出すことと同じだからだ」
僕はそう言い放つと共に彼らに向かって手を翳す。
すると、彼らの足元に散らばっていた鏡の破片達が一斉に宙へと舞い、雹の如く彼らを襲った。
「な、なに!?」
今まで笑みを浮かべていたもう一人の僕は途端に焦り、その他の者達は一人また一人と今度は倒れ、消えていく。
鏡の破片に身を裂かれ、切られ……倒れゆく無数の僕自身の中、最初から居たもう一人の僕は血だらけになりながらも懸命に立っていた。
「へぇ、血を流せるんだ?」
「はぁ……はぁ……な、なぜだ? 君と縁を結んだものの中にはこういったことなど出来ない筈……」
確かに……僕の知る限り、透明人間や超能力者の仲間はいない。ましてや、ヌルや穢れた花嫁、由利ですらこんなことはしていない。
だが、していないだけで実は一人こういうことが出来る者はいる。
「確かに僕の前じゃこんなことをした者はいない。けれど、それは“していない”だけであって決して“出来ない”訳じゃない……この意味が分かるか?」
「わたしは……君自身……力も記憶も同じ……なのになぜ?」
「あぁ、認めよう。君は僕自身……だから僕は君を偽物だなんて言って無いだろう? だけど、それでも決定的に違うものがあるんだよ。それは互いに違う世界に住んでいるということ……故に僕と君じゃ培った“知識”が違う」
「知識……だと?」
「そうだ。君はこの世界で生まれた。ならば、僕の世界にあるポルターガイストという現象も知らない筈だ」
ポルターガイスト……幽霊が物を動かしたり、飛ばしたりする怪奇現象だ。
一般にはポピュラーな知識だが……それはあくまでも僕の世界の話し。
幽霊なんて居そうもないこんな狭間とやらの世界じゃ無縁な話しだろう。
僕と縁を結んだものの中にいる幽霊……それは紫と穢れた花嫁だ。
まぁ、今回は紫の力としてポルターガイストを使ってみた訳だが……思った通り上手くいった。どうやら、僕の仮説は立証されたようだ。
「ポルターガイスト?」
「幽霊が行う物体を動かす力さ。本来は幽霊動かしているとされているが……どうやら強く念じることでもこれは出来るらしい。思いの強い怨霊である紫こそ出来た芸当かも知れないけど……」
もう一人の僕はそれを聞いて膝をつく。
僕はそんな彼に近付くと目線を同じ高さにし、しゃがんだ。
「まぁ、君のお陰でまた新たな力の使い方を見つけたよ。ありがとう、もう一人の僕」
「……わたしをどうするつもりだ?」
「どうする? 決まっているじゃないか」
僕は再び鏡の破片を宙に浮かせるとそれらを彼の真上に配置した。
「殺すんだよ。僕自身は二人もいらない。僕一人で十分だ」
そう言うと僕は立ち上がり、踵を返して歩き始める。
その瞬間、鋭利な雨が無慈悲にもう一人の僕に向かって勢いよく降り注いだ。
肉の裂けるような音と破片の砕け散る蝉時雨の中、彼の断末魔の悲鳴が時折聞こえては掻き消される。
余計な慈悲と態度なんていらない。
短期の目的を達するには円滑で迅速な行動が必要だ。
これで大きな山場は越えた。
あとはこの狭間の世界だ。
もう一人の僕は言っていた。“死者蘇生”と“異なる世界”の存在を知ることは世界の理に反する、と。
それは即ち、それら二つが実際にあると証明していることに他ならないのではないか?
そう思った僕は試しに傍にあった鏡のようなものを覗き込んだ。
すると、そこには暗い部屋のような場所に座り込んでいる銀髪の少女がいた。
見る限り、覗いている先はさっきまで僕がいた氷上高校のゴミ捨て場ではない。
やはり、他の場所に繋がっているらしい。
僕は試しに声を掛けてみた。
「……そこの君、聞こえるか?」
『……えっ? 誰ですか? どこにいるんですか!?』
どうやら、僕の声が聞こえるらしい。
とはいえ、相手は僕のことに気付かないようだ。
「今、君の元に行こう」
僕はそう言うと黒いコートのフードを被り、顔を隠して、少女のいる向こう側へと足を踏み入れた。
※※※※※※※※※※※※
向こう側は現代のような電気のような明かりは一切なく、窓のような格子から射し込む月光の光源によって僅かに照らし出せれているだけであった。
僕が声を掛けた少女は僕に対して背を向け、周りをキョロキョロと見渡している。
姿がまだ知られていないのなら好都合……僕は正体を悟られないよう彼女に楔を打ち込むことにした。
「そのまま動くな。決して振り向くんじゃない。動いたら最後……君を殺す」
僕の声が再び聞こえた少女はビクリと反応し、そのまま身体を震わせる。
よし、これで良い。
僕はこの隙に暗闇に慣れてきた目ですかさず辺りを観察した。
カビと土のような匂い、部屋は四方が黒い壁のようなものに囲まれており外の様子が分かるのは月光の入る格子窓……床には木で出来た粗末な机とその上に小さな鏡、そして和式のトイレが剥き出しのまま置かれている。
どうやら僕はそこに置かれている鏡からこの世界に来たらしい。
しかし……ここはまるで牢屋だ。
これだけでも十分に奇妙だが、少女の容姿は更に奇妙だ。
彼女は銀髪のみならず、かなり汚れた着物を身に纏っている。
現代ではまず見ない格好だ。
「目を閉じろ」
僕は少し時間を置いた後、彼女が目を閉じたと思われた頃にそっと近付く。
長い銀色の髪もそうだが彼女は他にも首に首輪、両手には木で出来た枷をはめられていた。
僕は少し昔の時代のような世界に来たのだろうか?
言葉が通じる辺り、世界観は似ている……それに当てはめるとするならここは座敷牢で彼女は遊女といったところだろうか?
いや、違う……いくら遊女とはいえ、着物がここまで汚れることは無い。
銀髪……俗にいう白髪と同じならば彼女はアルビノ、昔でいえば白子だろう。
しかし、勝手な憶測は何かと支障をきたす恐れがある。
僕は彼女へ尋ねた。
「目を閉じたまま答えろ。なぜ、君はここにいる? 何か罪でも犯したのか?」
「いいえ、何も……私だって好きで十年近くもここにいる訳じゃありません。最も、もし強いて挙げるならば私が生まれてきたことそのものが罪なのでしょう」
その言葉は燐として透き通った美しい声であったが、明らかに何かに対する怒り、憎しみが強く込められていた。
僕は少し興味が湧き、詳しく聞いてみた。
「ほぅ……それはどうして?」
「……私の家はこの辺りでは昔より由緒のある神社で、その神社には昔から代々受け継がれている風習があります。それは五つになった子はと名家の子と婚儀を交わすというものです。簡単に申し上げれば許嫁を決める……ということです」
「なるほど、昔からよくあることだ。しかし、その双方の家柄とも同性の子しか生まれなかった場合、どうする?」
「それにはご心配及びません。古くからの言い伝えより私の家では女子しか生まれませんので……家はその年ごと男子のいる名家と決まっております」
ふむ、政略結婚と似たようなものか……つまり彼女の家はよほど昔より権力ある神社だったらしい。
「ならばなぜ、その許嫁がこんな所に閉じ込められているんだい?」
「私は誰の許嫁でもありません。選ばれなかったのです。私が生まれた年……その年、私の母は二人の子を身籠りました。そう、双子です。私には姉がいるのです」
なるほど、女子は必ず生まれる……しかし、それは一人のみとは限らない。
だが、それでもこの少女にはまだ行く宛てがあったのではないか?
それこそ、政略結婚なら姉妹など儲けものだろう。
「それでも、他に男子……もしくは別の年の男子と婚儀を交わせばよかったのではないか?」
「勿論、本来ならそうするところではありましたが……その直後、それが出来ない事情が発覚したのです」
「出来ない事情?」
「はい。私の母は自身の夫のみならず他の方とも関わりを持っていました。しかもこともあろうに異人……すなわち外国の方とです」
つまり、他の男と身体を交えて性の快楽に足を踏み入れてしまった……それは古きを重んじる家にとって禁忌に値するだろう。
「外国の方はすぐにこの地を去りましたが、残った母はその罰として昼夜問わず無数の男達の慰み者にされ、あげくに命を失いました。私はこのような容姿でしたから幼少の頃は“神の子”と言われていましたが、そのことが発覚して以来、この座敷牢に幽閉され、十年近く経とうとしております」
「……姉の方は?」
「姉様はもう公になってしまっている以上、殺すことも私のように閉じ込めることも出来ませんので親戚の事情の知らない方の元で暮らしております。ですが、それが一番良いでしょう」
なんと、幸薄な少女なのだろう。
自分がこのような仕打ちにも関わらず、それでも尚自分の分身のような姉を思いやる。
さっき始末した僕の分身とは異なる考えを持っている。
だが……果たしてそうだろうか?
口ではいくらでも綺麗に述べていても本心は黒く染まっている。
その証拠に僕は彼女の言葉に先程、黒い感情を感じ取った。
本心までも抑え込んでいては酷だろう。
僕は彼女の闇を解放してみることに決めた。
「本当にそう思うか?」
「……えっ?」
「表面は綺麗に染めていても心の奥底では全てを憎んでいるんだろう? 自分をこんな目に遭わせている風習、人間、母やその外国人……特に一番強く憎んでいるのは姉とその許嫁の筈だ」
「違います! 私は―――」
彼女はそこで目を開いた。想像とは裏腹にそこには美しい薄い青色の瞳が煌めいていた。
「いや、それが本心だ。もし、君だけが生まれていたら……もし、許嫁が君を選んでいてくれたら……君はこんな所にはおらず、自由に生きていた筈だ。そうじゃないか?」
彼女は目を強く瞑り、唇を裂こうとする程に強く噛む。
もはや、反論は出来ない。
「君の心も命も君のものだ。そこまで奴らに捧げる必要は無い。生まれることに罪は無い、罪があるとするならばこんなバカげた仕組みを作ったこの世界そのものだ。そうだろう? 大いに呪い、憎むと良い。そうすれば君は自らの運命を変えられる筈だ」
「ッ! でも……でも! こんな状態の私じゃ何も……」
ようやく……自身の闇、そして邪な気持ちを受け入れたようだ。
なら、僕は新たなに生まれた同胞の為、力を貸そう。
「安心しろ。限られた者しか受け入れない光とは違い、君の感情から生まれし闇は全てを受け入れる。そして、闇の奥底に眠る邪悪な力は闇が受け入れた者に強大な力を与える。そのきっかけを今から僕が与えよう」
僕は彼女に向かって手を翳した。
すると、彼女の身体は瞬く間に黒い煙のようなものに包まれた。
「ようこそ、闇の世界へ。これで君も僕ら邪なる者達の仲間だ」
※※※※※※※※※※※※
少女に闇の洗礼を行った後、僕は再び狭間の世界に戻ってきた。
そして近くにある丸い鏡のようなものを覗き込む。
すると、そこには歩いている由利の姿があった。
「由利」
『え……あ、アナタ!』
由利は暫く辺りを見渡すがやがて僕の存在に気が付くとこちらに近付いてきた。
『大丈夫? 早クこっち二戻ッテ来てよ!』
「悪いが由利、僕はこのままこっちに居ることにするよ」
『ハァッ!? 戻って来ないツモリ!?』
「……本当はそうするつもりだったんだが、実は一つやることがあってね。すぐにそっちの世界には戻るけど、氷上高校には行かない。このままこの世界を通り、僕は一度僕の故郷に戻る」
『故郷二?』
「あぁ。未練が無いとはいえ、やはり僕もまだ人間……昔の友人や思い出を懐かしむものさ。だから寂しくならないよう、ある物を取りに行く。それが済んだらまたこの世界に戻って来るさ。連絡は随時するから君は今まで通りのことをしてくれ」
『アッ、チョット!』
由利に半ば一方的に話した後、僕はその場を立ち去って鏡のようなものを順に覗き込む。
もはや、僕は普通に元の世界で暮らしてくことは出来ないだろう。
様々な闇に触れ、力を持ち、正当防衛に近い形だが殺しもした。
もう、躊躇いも恐れも無い。ただ冷徹に無慈悲に自分の欲望のままに進む。
それはプログラミングされたロボットよりもタチが悪いだろう。
けれども、もう引き返せない所まで来てしまった。僕は越えてはならない境界を越えてしまったのだ。
ならば、もうあとは進むだけだ。
少しずつ、ゆっくりと……夜の闇が光を飲み込むように。