8-7.結末の前哨
憤激の匂い立つような気配、赫灼とするミラージュの眼光、激突する刃……。
魔剣の能力によって地面が隆起し、大木が視界を遮るように生長し、肌を切り裂くような冷気が通り、つんざくような雷鳴がとばしる。天変地異のような攻撃を易々とはいかないまでも掻い潜り、ミラージュは精密な刺突を繰り返す。ヴェルギリによる触手の援護と、ベアトリによる飛翔は、そんなミラージュの刺突を上手く切り抜けさせてくれる。残るは、俺が振るヴェルギリの刃が、ミラージュの肌に触れるのみ。
「ぐっ」
「ぬう!」
会話はない。叫びもない。ただ漏れる息が呻きとなるだけだ。
時折に交じるシコラクスの援護は、使い魔によるミラージュへの追撃。自力の差もここにきて埋まり切り、僅かに優るこちらの総力。切り崩すような攻防が続き、やがて訪れを免れない一瞬の隙。
布を裁つように確実な一刀は、深々ミラージュの腹を切り裂いた。
膝を折るミラージュの、周囲を四本の魔剣で囲い、止めの態勢をとる。
「降伏しろ。抗拒するなら容赦しかねる」
ミラージュはただ無言、表情に色もなく、敗北と抵抗を衡器に乗せて、それがどちらに傾くか凝視している状態だ。
ミラーレが俺の視界に、するり、と割って入る。ミラージュを庇うように抱き寄せる姿から、敵意など感じ取れよう筈もなく。それはただ、哀れに命を乞う保護者の姿。諦念をした瞳に宿るのは、もしもこの子を傷つけるのなら戦うことも辞しはしないが、敵わぬことは承知している、という、悲愴な戦意。
「どのような罰も受けます、ミラージュにも受けさせます。ですが、どうか命だけはお助けいただけないでしょうか」
ミラーレは割合に大きな声でそう言った。
「……私からも、お願いします」
俺の後ろに立っていたミランダも呟いた。
「旦那の裁量だぜ」
キャリバンが言う。
「とはいえ多くの悪魔を手に掛けたからの、罪は軽くないぞえ」
シコラクスは乗り気でない。
「ピキー」
「それじゃあ、アントニウスの目的を白状すれば、命を助ける、ということでどうだ」
「そんなもの――」ミラージュが嘲笑をする。「すぐにでもわかるわよ」
「どういうことだ?」
「隆志、アントニウスはこの下の階層におる」
シコラクスは事もなげに、どこから取り出したか煙管を吹かす。顔を背けて吹いた煙は広がり消えて、白々しさを誤魔化さんとし演出される。そして誤魔化しきれない沈黙。
「お前はどこまで知っているんだ」
「ほほほ、妾を誰と心得る。仮にも第二魔界の王じゃ。なんでもかんでも知っておるわえ」
「だったら説明しろよな」
シコラクスは煙管を吸った。吐き出される煙は溜め息の代替だ。
「説明しなかった理由は二つある。一つはアントニウスをおびき出すため。それと一つは、ここに来るまでには、終わらせておくつもりだったのじゃ」
「なにを?」
「無論、アントニウスとの決着じゃ。だが、あやつめ、妾をもこの再現劇に組み込みおった。お陰で今ここにこうしているのよ」
話が読めない。ミラージュを見る。抵抗は諦めている。アントニウスの目論見になんらかの確信を持っているのか、表情だけは揺るぎない。
「……先に進もう。でなけりゃ、話も進まないんだろう?」
「隆志よ、お前の仲間は揃っているぞ。先へ往くのは無意味じゃないかえ」
シコラクスの指摘に、ミラージュが咬み付くような笑みを浮かべる。
「無駄よ、ここまで来たんだもの。そいつは先へ進む。誰よりあんたが知ってるでしょう、大魔女?」
シコラクスは返事をせずに、ただ嫌そうな顔をした。
さてシコラクスの指摘はもっともで、俺が先へ進む意味はない。けれど、ここまで来た以上、途中で引き返すのも後味悪い。アントニウスがもし悪事など企んでいるのなら、それを止めさせるのも旧友としての務めだろう。結局、エーリアルがどうなったかも確かめなければなるまい。
「俺は先へ行こうと思う」
「ピキー」
「隆志さまに付き従うのが役目です」
「旦那に任せる」
「待て」
歩き出そうとする俺たちを、シコラクスが呼び止める。
「ここで、妾の知っていることを説明しておく」
「珍しいな、お前が説明するなんて」
「下へ降りた途端に殺される、ということもあり得るからの。その身構えじゃ」
シコラクスは魔術を使いミラージュとミラーレの拘束を済ませると、億劫そうに語り始める。わしゃわしゃと髪を掻き乱す姿は、どことなくキャリバンに似ている。
「そもそも、今回のビルの魔界化は、ある儀式の下拵えじゃ。魔界の再現、そして、魔王アリゲーリを再現すること、それがアントニウスの狙いだった……のじゃ」
ミランダが首を傾げる。話の内容にか、荒っぽくなってきたシコラクスの雰囲気にか。
「はぁ。アリゲーリ役は隆志、ヴェルギリ役はヴェルギリ、で、妾の役目がミランダちゃんじゃな。アントニウス役やら、その他の軍勢役はおらなんだが、もしかすると妾かキャリバンがその役目を果たしてしまったかもしれん。妾は出来得る限り、再現を崩そうと動いておったが……。どこまで上手くいったか判断付かぬ。妾の狙いは、アントニウスと決着を付けることじゃが、なによりも先ずアントニウスの目論見を阻止することが先決じゃった」
それから気怠そうに語られた事の顛末。要するに、アントニウスとシコラクスによる熾烈な情報戦だった。
アントニウスの目論見はシコラクスにもわからない。だがしかし、第一魔界に俺を近付けようとしている、という推測は立ったらしい。俺が地上にいる限り、その心配はほぼないはずだが、ある方法が見つかった。第一魔界を地上に召喚する儀式。それこそが、今回のこのビルの魔界化というわけだった。
アントニウスの居所をいつまでも掴めなかったシコラクスは、ある決意を固めた。
「腕を喰わせてやる代償に、あやつの動きを封じることにしたんじゃよ」
それは儀式のお膳立て。このビルも、状況も、儀式のためにうってつけだったのだ。だからこそアントニウスも動き出す。アントニウスは罠と知りつつ、シコラクスは肉を斬らせて、決着を付けようとした。
「第一魔界は縁が全てを結ぶ世界じゃ。魔界を忠実に再現することで、本物の魔界との縁を強くする。それにより、第一魔界を地上に召喚するわけじゃ」
「アリゲーリの行動まで再現させようとしたのは?」
「……さて、な」
シコラクスは答えなかった。
「さあ、先へ進むのなら、もうこの辺で良いじゃろう。全部、終わらせるぞ」
「ああ」
そうして、俺たちがいよいよ最後の階層へ進もうとしたとき、地鳴りが起こった。
敵襲、意識したときには既に、俺たちを支えていた地面が黒い泥へと変質し、そのまま全員、奈落の底へ引きずり込まれた。




