7-8.悪魔の陳情
あの女悪魔は、おそらく敵だ。そうだというのにミランダは、「もしかして」とか「きっと」とか、予想の言葉を使わなかった。女悪魔がミランダの姉というのは、ほぼ確実なのだろう。
「あれはミラージュ姉さんです。間違いありません。私やミラーレ姉さんにはわかるんです。ミラージュ姉さんは自分の姿を持たない悪魔で、いつも私かミラーレ姉さんの姿をしていました」
「その気になれば、誰にでもなれるのか?」
「なれるはずです。でも、ずっと昔に……」
ミランダの動揺は大きい。だが、立ち止まっているわけにもいかない。ミラージュというあの悪魔は、シオネラの魂を取り込んだ。力が格段に上がっているはずだ。その力は未知数。精気を吸って力が上がった今のミランダでも、どこまで相手取れるのかわからない。俺にしても、既にへとへとだ。早いとこ、他の皆と合流しなければならない。
「しかし問題は……」
アリゲーリの辿った道をなぞらえるよう仕掛けられているならば、この後は第九階層に戻って、エーリアルと戦わなくてはならない。今の俺では絶対にエーリアルを倒すなんてできないから、ミランダの協力は必至だ。しかしエーリアル、俺相手なら多少の手加減もありえそうだが、ミランダ相手にそうもいくまい。
「隆志さま、行きましょう。どうして姉さんが現れたのか私にはわかりませんが、いま他に優先すべきことがあるのはわかります」
躊躇い思案していた俺に、ミランダが強い瞳でそう言った。確かに、今は考え込んでいるときではない。ミランダの今の力も、多少の底上げ分は別として、恒常的なものではない。魂を喰えば別だろうが、精気を吸っただけでは、精々一日分の増強だろう。この先どの程度の時間が掛かるかわからない以上、少しでも早く先に進みたい。
「わかった先を急ごう」
ミランダは頷いた。そうして俺たちは、広間の先の扉を開けた。
「ここは……」
出迎えたのは、豪雨と風。やはり第九階層に戻された。
「ミランダ、エーリアルと戦うことになる。気を引き締めておけ」
「はい、わかりま――」
雷がミランダの言葉を遮った。目にも止まらぬ速さで、ミランダは扉を後戻りしていた。
「おい、どうした!」
「はっ、すみません、体が勝手に……!」
「雷か、そういえばそんな設定あったな」
「ピキー!」
良い案あるよ、とでも言いたげに、ヴェルギリが触手らしきものを伸ばした。ヴェルギリは俺の体から離れて、ミランダの顔に取り付いた。フェイスハガーみたいになってる。耳も塞いでいるようだ。
「あっ、すごいです、隆志さま。なにも見えません、聞こえません! これでもうなにも怖くないですね。痛っ」
歩いたミランダが壁に当たった。馬鹿やって和ませてくれるのは良いが、ヴェルギリいないと今の俺は無防備だし、それでどうやって戦うんだよって話だし、少し恨めしくなった。
結局、ミランダは耳当てとバイザーをすることになった。これはヴェルギリの体の一部と瘴気で作ったもので、耳当ては雷の音のみをシャットアウト、バイザーは目元を覆い、雷の閃光を弱めてくれるという。ヴェルギリにそんな能力があったなんて初めて知りました。ちなみにデザインは子犬がモチーフで、瘴気によって毛並みのモフモフ感が再現されている。
「ヴぇーたんはすごいですね!」
「なんか納得いかない」
そして俺たちは特に難なく歩を進めた。途中で敵を倒すのはミランダで、ヴェルギリはそれを片っ端から喰った。ヴェルギリから精気を分け与えてもらうことで、俺も少しは回復している。
やがて辿り着いたのは、異空間だった。天井はなくなっており天高く、どす黒い煙のような雲が絶えず空を覆っている。地面は隆起の多いごつごつとした岩山で、フムヴィウス山を模しているとわかる。雨は降っていないが、風が強かった。まるで岩がごろごろと並ぶ荒野のような光景。
エーリアルは、最大の岩の隅に腰かけていた。俺とミランダは岩を登り、岩と岩とを跳び越えて、エーリアルの背後に立った。
「迎えに来たぞ」
「アリゲーリ……」
しばしの沈黙が流れた。
「エーリアルは剣です」
「知ってる」
「だから、心なんてありません」
「知ってる」
「……アリゲーリ、心ってなんです? エーリアルはわからなくなりました。心っていうのは、もっと、こう、なんていうか、なんかあれなもんだと思ってます。エーリアルにはないものです」
「……それがどうかしたのか」
「エーリアルに心っぽいのが植えつけられました。先日のあのザコ悪魔です。エーリアルが動けないのをいいことに、余計なことをしてくれやがったようです。お陰でずっとメランコリィです」
「難しい言葉知ってるな。それでどうするんだ?」
「エーリアルは剣です、剣でなくてはいけないのです。だから、エーリアルが剣であることを証明します」
「どうやって?」
「剣は敵を斬るのみです。そして斬る相手は決して選ばないのです。それは心がないからです」
エーリアルはすっくと立つと、振り返って俺を見詰めた。
「戦いましょう、いつかのように。アリゲーリが勝ったなら、剣としてアリゲーリの手の内に。並ぶものない力です。アリゲーリが負けたなら、エーリアルの心と一緒に死んでください」
「まあ、覚悟の上だ」
俺はヴェルギリを構えた、が。俺とエーリアルの間に、ミランダが割って入った。
「おい、危険だぞ!」
「ちょっと待ってください、さっきからおかしいですよ! なんで隆志さまとエーリアルちゃんが戦うんですか!?」
「なんでって、そりゃあ……」
あれ、確かにそうだな。なんで戦わなきゃいけないんだ? これがアリゲーリの再現だったとしても、それが俺になんの関係がある? 律儀に従ってやる必要ないじゃないか。
「失せろ阿婆擦れ。エーリアルはこの心をどうにかしないと、剣でいられなくなりそうなんです。だから――」
「それだっておかしいよ! 隆志さまも! エーリアルちゃんに心がないのが当然みたいに! なに言ってるんですか! エーリアルちゃんに心がないなんてことはありません! 私が保証します!」
「いやミランダ、剣には心がないだろう? 剣には心がない。エーリアルは剣である。よってエーリアルに心はない。な? そこは疑いようがないんだよ」
「嘘です! 隆志さまだって、エーリアルちゃんとあんなに楽しい日々を送っていたじゃないですか! エーリアルちゃんが隆志さまに甘えていたり、ヴぇーたんと遊んでたり、見ていたでしょう!? 心がないなんて、どうしてそんなことが言えるんですか!」
ヴぇーたんと遊んでいたという辺りで、ヴェルギリが驚いていたがともかく。
「落ち着けミランダ。例えば機械だ。機械は勝手に動いてくれるが、それは心があってのことじゃないだろう? それと同じなんだ。エーリアルは相応しいと思う行動を選択しているだけで、そこに感情を伴っていないんだ」
「どうして! 感情を伴ってないなんてわかるんですか!」
「それは剣だから――」
「だったら! 隆志さまは私がどんな感情を持っているのかわかるんですか!? 私だって、本当は剣で、感情を持っていないかもしれないじゃないですか! 私だって、相応しいと思う行動を選択して生きていますよ。そこに感情が伴っているかどうか、どうしてわかるんです。剣だから、悪魔だから、人間だから……そんなことが理由なんですか? 心を持っていないから、どんなことをしても不思議ないんですか? エーリアルちゃんは、剣だから、なんて理由で心を否定されるんですか!?」
「うるさい」
ミランダは躓いたみたく口ごもり、エーリアルを見た。今までとは違う声音は重々しく、俺もエーリアルを見遣った。
「うるさい、うるさい! お前は何度も叩っ斬りたいと思ってたんです、丁度良い! 雑草みたいに刈り取ってやります!」
急に飛んできたエーリアルは剣の姿で、ミランダは足首を狙われたが瘴気により辛うじて防いだ。
「話は後だ、戦うしかない」
「そんな……」
かつての再現が始まった。




