後編
「お兄ちゃん」
改札口の向こう側にマリンが立っていた。
「おお、久し振りやな」
改札を出ると久し振りに会う妹を抱きしめた。ん? 何やら違和感が……。なんだかお腹の辺がふっくらしてへん?
「マリン、お前、もしかしておめでたか?」
「うん、そうやで。もう五ヶ月やねん」
「おおー……そんな話、聞いてへん」
「オカアチャンには話したよ? お兄ちゃんとオトウチャン、二人ともなかなか連絡がとれへんから生まれてから話そうって思ってたんかも」
「オヤジもいよいよ爺ちゃんか」
なんともかんとも嬉しいニュースだ。これは是非ともオヤジの艦にもう一度立ち寄って知らせねば。
「お兄ちゃん、彼女と別れたってほんま?」
「またそんなズケズケと……」
いきなりの言葉に顔をしかめる。もう遠慮もなんもあったもんちゃうなあ、こいつは。誰に似たんや、オヤジか。
「だってもう三十歳やん? そろそろお嫁さんもらわんかったら出世に響くってオトウチャンが愚痴ってたってオカアチャン言うてた」
「はー……別に出世なんてどうでもエエねん、俺は飛べてたらそれで幸せなんや」
「アホちゃう? 康平君にも新しい彼女できたのに。そんなんやったら坊主にでもなったらええねん」
世の中の坊さんに失礼なこと言うとるわ……。
「誰かいいひんの? 同じ艦にようさんいるんやろ、女の人って」
「あんなあ……」
「あ。ほな、うちの友達を紹介しよか? モデルやから皆可愛いよ?」
「もう堪忍してくれ……」
まさか妹から彼女の心配をされる日がこようとは……お兄ちゃん情けないわ。
「誰かピンと来る人っていいへんの?」
止めてあった車に乗り込む。自分が運転しないで車に乗るって新鮮や、しかし運転するのはアッパラパーな妹。ちょーっと怖いからポケットにあったレイバンをかけて目を閉じた。
「んー……可愛いなと思った整備士の姫ちゃんには彼氏がおったしなあ、康平から手を出すなって忠告されたし。あとは……ああ、お好み焼き屋のお姉ちゃん、可愛かったなあ。なんか小動物みたいやった。あ、美味かったから店のカードもろうてきた」
「今日会うた女の子のことを話してって言ったわけちゃうのに……」
やれやれと溜息をつかれてしまった。
「いやいや、お好み焼屋のお姉ちゃんはほんまに可愛かった、うん、実に可愛かった」
「でっ?! ほんまにいいへんの?」
「だいたいなあ、なんで俺が彼女と別れたって決めつけんのや?」
信号で停車した時にマリンがこっちを見た。
「え? ちゃうん? だってオカアチャンがパトちゃんがキャルがいなくなってガックリしているって……」
パトちゃん言うな。
「確かにいなくなってガックリしてる。けどなあ、キャルと俺が別れたなんて一言も言うてへんで?」
「そうなん?! ほなどうなってんの?」
俺の彼女、キャロライン・フォード。アメリカではちょっと名の知れたパティシエや。ほら、そこの君、アメリカのスイーツは大味で美味しくないとか今思ったやろ? まあ確かに日本に比べれば大味や。たまに青い色が入っていたりしてアメリカ人の俺でもドン引く。
だが俺のキャルは俺と同じで日本育ち、但し大阪じゃなくて東京やけどな。そんな彼女が作るスイーツが日本風やってのは当然のことで超美味いねん、いやマジで。
「俺がお好み焼きお好み焼きうるさいんでとうとう怒ってなあ……」
「……捨てられた?」
「ちゃうわ! だから別れてたって言ってへんて言うたろ、人の話きけ」
「ほな、なんなん? わけ分からへんわ」
「キャル、今、大阪におんねん」
「は?!」
ガクンッと車が変な動きをした。マリン、お腹に子供もいるんやかさかい運転する時はもうちょい慎重にせんと、お兄ちゃん怖くて目ぇ開けられへんわ。
『私、大阪で粉モンの修行してくる!! ロイが他のお店に見向きもしなくなるぐらい美味しいお好み焼きをマスターする!!』
半年ほど前、彼女はそんなことを叫んで大阪へと旅立っていった。職人魂おそるべしってとこやね。そんな訳でキャルはただいま俺の伯母ちゃんちに居候をしながら粉モンの修行に励んでいて、毎日のようにお好み焼きのことや教会で作ったお菓子の写真が送られてくる。っつーわけで遠距離恋愛中ってことや。
「それって修行を口実に捨てられたとかやないよね?」
「……毎日のように I love youなメールが来てるのに? それになあ、キャルの性格からしたら捨てるならはっきり捨てる宣言しよるで」
なんつーか男らしい女やから、あいつ。
「お兄ちゃんは?」
「俺? 俺がなんなん」
「浮気とかしてへんやろうね」
「せえへんよ。今は仕事で手一杯やし、俺、胃袋をキャルに掴まれてるし」
そりゃ俺も健全な男だから可愛いなあとか思うことはあるけど、キャル以外の女と付き合いたいとか抱きたいなんて全く思わへんし。
「今回の来日では連絡したん?」
「いや、急に決まったことでなあ、連絡も何も」
「いつまでいられるん?」
「航空祭が終わるまでだからあと二日? 大阪までの移動は許可されてへんし、その後は直ぐに母艦に戻ることになってるしでなあ……」
「アホちゃうのん? そんなんさっさと電話せな。大阪からこっちまで新幹線で三時間かからへんからキャル、知らせたら絶対に会いに来るって。はよ電話!!」
「お、おう」
マリンに押し切られて電話をする。
『ハロー? ロイ、こんな時間に珍しいね』
『おう、実はな今、日本に来てるんだが』
電話の向こうで何か叫び始めたので思わず耳から電話を離した。これは喜んでいると思ってええんかな?
『なんでもっと早く言わないのよ!! 日本の何処にいるの?!』
『東京。自衛隊の航空祭にうちの戦闘機を展示することになって、俺のライノもってことになったんだ。だからこっちにいられるのも長くてあと三日なんだが』
『今から行くっ!!』
『へ?』
『今から行くって言ってるのっ!! 何処に泊まってるの?!』
その行動力にはいつも驚かされるわ、キャル。
『今はマリンと一緒だが』
『だったら東京駅に着く時間をメールするから迎えに来て!』
『おい、キャル? おーい』
切りよった……切りよったで。
「……マリン、キャルが来るって言いよった」
「ほらな、やっぱ来るゆうたやろ?」
マリンの方は別に驚いた様子も見せずに俺の言葉に頷いた。
「ほな夕飯は四人でやね。美味しいお店、色々あるからキャルが来るまで何が良いか考えといて」
そして東京駅に着く時間を知らせるメールが届いたのはそれから一時間後。どんな早業で出掛ける用意しとんねんキャル。なんか目に浮かぶようや……はぁ。周りからは火の玉みたいな女だから結婚したらその火を消して回らなあかんくなるかもなぁなんてからかわれているんやけど、笑い事じゃないかもしれん。
「よかったやんお兄ちゃん。キャルに捨てられたわけやのーて」
「だから、別れたなんて言ってへんやろ」
マリンと悠人が住むマンションに到着。
「子供部屋の用意とかしとんのか?」
「うん。次のお休みの日にな、悠人と一緒にベビーベットを見に行こうって話てんねん。まだ早いやん、だからどんなんがあるか見るだけでもって」
「何か欲しいもんとかあるか? 俺からのお祝いってことで贈るけど? と言っても、made in Japanには敵わんからなあ……」
「だったら次に来た時にでも欲しいもの買ってくれる?」
「ああ、それがええかも。要らんもん買うてもしゃーないもんな」
「うん」
そして俺の火の玉彼女が東京駅に到着したわけやな。改札口からキャルが出てくるのを待つ間にマリンに小声で注意をした。
「ええか、俺等は外国人やからここでハグしてもキスしても許されるんや。だから日本語は禁止な?」
「しゃーないなあ……分かった分かった。好きにハグハグしたらええねん」
『ロイィィィィ!!』
階段から駆け降りて改札口の方へと入ってくるストロベリーブロンドのキャルの姿が。駅員さんに切符を押し付けるとこちらに駆け寄ってくる。そして飛びついて来た。いやあ、すまんこって、日本の皆様。これが俺等の流儀なもんで申し訳ない。
『会えるとは思ってなかったから嬉しい!』
『すまなかったな、会うのは無理だと思って黙ってようと思ってたんだ』
『薄情者! だけど許してあげる』
その代り今晩は寝かさないわよ、やと? それって俺の言うセリフなんちゃうん? ますます男前な性格になってきたやんかキャル。
『マリンとも久し振りだろ?』
『日本に来たこと黙っててゴメンね、マリン』
『ううん。だけどまさかお好み焼きの為に大阪に来てるなんてビックリ』
『アメリカでもお好み焼きが食べたいとか我が儘を言う彼氏のせい。けどお陰で神戸にも行けて美味しいケーキも食べられたから良しとしなきゃね』
帰国したら新しいメニューにも挑戦できそうと楽しそうに話している。
『なあ、いい加減に帰国しないか? 俺、そろそろ一人寝が寂しいんだけどな』
『ふむ……考えとく』
『おい……』
「お兄ちゃん、ほんまに捨てられるんちゃうん?」
「アホぬかせっ」
耳元でマリンに囁かれてギョッとなった俺を見てキャルが楽しそうに笑う。
『大丈夫、こんなコナモン好きな男、私ぐらいしか貰い手無いでしょ? お爺さんになるまで面倒みてあげるわよ』
……これってもしかしなくてもプロポーズなんか? やっぱりキャル、ますます男前になったわ。