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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第一幕:崩落の日常
9/26

【第五章】悪しき策略の中で


 各地に漂う緊張感という名の凶器。

 その凶器を剥き出しに突き立てるグランヴァル帝国。

 他の国は一丸となってその刃から国を守る為静かに構える中、

 刃を向けるグランヴァル帝国は他国とは違い、事態が激しく動いていた。

 国民は今の政権に疑問と不信感をいだき、デモすら起きている。

 だが、それを取り次ぎもしない現皇帝政権。

 もはや、これは独裁政治に過ぎなかった。

 その波紋は国が誇る精鋭部隊、帝国騎士にすら広がっていた。


 そんな帝国騎士団の訓練場。

 普段は訓練の剣撃や魔法の爆音が響くこの場所だが、

 今日は全体的にバタバタとしており、人がせわしなく歩く音や駆ける音が続く。

 その中でも目立つ姿が二つ。

 周りが慌ただしく動いているというのに、

 二つの影だけは立ち止まって話をしていた。

 一人はあの東の女騎士、シエル。

 そして、もう一人は東帝国軍の将軍、名前はリーゲル・ハイドン。

 精鋭揃いの軍を統率する実力者で大柄な男だ。

 <暗い橙(ダークオレンジ)>の髪を短く切り揃え、オレンジの瞳を持つが、

 今その瞳は苛立いらだったように鋭くシエルを睨んでいた。


 「本来我らはアガルタ王家のつるぎ

  あの男の手駒にされるつもりは一片足りともありませんぞ。」


 不満や怒りを隠すことなく、低音の声は圧力を持ったまま言い放たれた。

 二人とも、顔は一度たりともちゃんと合わせてはいない。

 急な出動命令に慌ただしく動き回る騎士を眺めながら話していたからだ。

 リーゲルはシエルを睨むが、シエルが全くこちらを見ずに騎士達を眺めるから、

 目どころか顔すらも合うことがなく、それでもそのままに話は進められていった。


 「それに今度は西ですか…。北や南を消して…何が目的だ?

  二部隊で中央を残し、西を襲うなど。」


 痛いくらいの強い不快感を持ってその言葉は向けられる。

 それでも、受け止めたシエルは何事もないかのように涼しい顔をしたままだ。

 むしろリーゲルの感情の変化を楽しんでいるようにも見える。

 不愉快そうなリーゲルを余所に、シエルは少しだけ口角を上げて言葉を返した。


 「…さあ? いくら用心棒といえど所詮は部下。

  あの方の考えを聞ける立場ではございませんよ。

  …それよりも進行の手順ですが、一方は西への進攻。

  もう一方は動き来る中央軍からの防衛です。」


 「は? 中央軍、だと!?」


 長い友好関係を繋いできた国と闘うというしらせに、

 リーゲルは驚きを隠すことなどできなかった。

 それに〝中央軍が動く〟と確定してきたシエルにも驚いてしまう。

 何故そんな事がわかるのか、勘だとしても、

 ただの勘に軍隊を動かす必要があるのか。

 そんな勘ごときに帝国騎士を動かすというのか。

 シエルじゃないなら上からの命令だろうか?

 だとしても上も何故そんな事がわかるのか。

 考えても考えても、全てが予測不能だった。

 それに、中央軍は東帝国軍と互角か、多少上回るという実力がある。

 とても一部隊で相手にできる相手じゃない。

 あまりに自暴的な作戦に、リーゲルの頭はついていけなかった。

 そんなリーゲルの姿を横目で見たシエルは、

 整列と割り振りに迷う騎士に向かって命令を下す。


 「…実力のある者は、西を攻める第一部隊として集まってほしい。

  実戦経験豊富者もだ。

  実戦経験の少ない者や新人は、防衛の第二部隊へ。」


 突如響いたシエルの強く通る声に、とりあえず言われた通りに配列を組む騎士達。

 だが、もちろん明らかにおかしい事には誰もが気付いていた。

 まず、実力差があまりにも大きくありすぎること。

 防衛部隊が新人や経験の浅い騎士ばかりのこと。

 もちろん、こんな部隊で防衛ラインを張ったって即潰されるのは目に見えてわかる。

 そして、全騎士出動という事態。城を守る騎士が配置されないというのだ。

 これにはさすがに賛同できず、リーゲルは声を荒げて反論した。


 「お前達は我らに城を…国を捨てろというのか!?

  自らの国を捨ててでも西を潰せというのかッ!?

  城には我らがあるじ、バイド陛下とラルファース皇子がいるのだぞッ!!!」


 怒りの言葉を放てば放つほど怒りが沸き上がり、

 ガッとシエルの胸倉を掴んで本心のまま吠えた。

 本当にあるじに忠実で、守るべき者の為だけに生きる、騎士のかがみのような男だ。

 そう感じながらも、シエルは胸倉を掴む手をほどくことなく静かに口を開いた。


 「…これは現皇帝からの命令だ。

  そして、城を守りたくば自力で守れ。……アナタは第二部隊だ。」


 「!!」


 ハッとしてリーゲルはシエルを離す。

 服の乱れを正すシエルは何か…、何か雰囲気が違った気がした。

 今ではない、つい今さっき。

 …そう、胸倉を掴まれながら言葉を放った、あの時だけ。

 静かでとても冷たい中低音の声、何とも言えない力強さのある口調。

 それを目の前で聞いて味わわされたリーゲルは何かを感じていた。

 同時に、自分の配置にも何かの意味を感じ取っていた。


 「…それと、第一部隊にこの新人を加入させる。新人といえどかなりの実力者だ。」


 襟元を直しながら淡々と紹介すると、

 騎士の鎧とローブを合わせたような格好の者が現れる。

 騎士の兜をしているせいで顔は見えないが、おそらく男の魔導師だろう。

 シエルの横まで来ると、正した襟元を軽く払うシエルを

 ちらりと見るように顔を少しだけ向けた。

 だが、シエルは顔を合わせる事なく、前に並ぶ騎士達を見たままだった。

 諦めたのか、その者はフイッと顔を正面に戻せば、

 目の前で整列する騎士達に向けて敬礼する。


 「はじめまして。新しく第一部隊に加入させていただきます、ファルスです。

  よろしくお願いします。」


 明らかに急な加入に不審がる騎士達だったが、今は共に戦う存在だと割り切れば、

 それ以上何もしようとも、問いただそうともしなかった。

 不審過ぎてどうでもいいかのようだ。

 もし、あからさまに城を危険に陥れようとするならば、

 新人だろうが何だろうが斬る。

 そんな想いを隠して、帝国騎士達はそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。

 不審不満が渦巻く中「以上です」と立ち去ろうとするシエルを見て、

 どうやら今すぐ出動というワケではないと理解する。

 騎士達が、突然の命令やこのタイミングでの新人加入の事や、

 作戦の無謀さでザワザワとし出した時、

 ふと横切るシエルがリーゲルの横で立ち止まった。


 「…第二部隊への配属は、何も〝死ね〟というワケではありません。

  …第二部隊へは、私も加入します。」


 「えっ」と言おうとした時にはもうシエルは歩き出していて、

 完全に言い逃してしまう。

 ただ、代わりに出た言葉は何とも安っぽい言葉だった。


 「お前は…一体誰だ?」


 〝何者〟ではなく〝誰〟というリーゲルには、

 何かよくわからないものが引っ掛かっているようだった。

 その的確に突こうとするリーゲルの問いに、フッと小さく笑みを零すも、

 背中越しの為リーゲルには見えない。

 消し切らない薄ら笑みのままに肩越しに小さく振り返れば、シエルは立ち止まって、

 相手の目をしっかり見据えた。


 「…あの男の騎士。…そう知っている通りに――…。」


 それだけ言えば、もう二度と止まることはなく扉の向こうへ去っていった。

 ただ呆然と立ち尽くしているリーゲルのもとへ、

 二人の様子を見ていた一人の騎士が心配そうに歩み寄る。


 「将軍? どうかしたのですか?」


 騎士の声に我に返れば、ひとつの大きなため息をついて苦笑いを騎士に向けた。

 この自分の中に確かにある違和感の正体。それが隅から出てこない気持ち悪さ。

 それが出て来そうになったが出て来ず、

 ただよくわからないまま意識が飛んでいたようだ。


 「あ、いや…大丈夫だ。さっきのあの者の口調や雰囲気が気になってな。

  別人というか、どこかの誰かに似ていて驚いただけだ。すまんな。」


 ハハハッと最後に大きく笑って見せたが、不思議な感覚を胸にいだいたまま、

 リーゲルは来たる日を待った――。




 グランヴァル帝国が軍を整えた翌日の朝。

 アルメリア王国では、謁見えっけんに集まるようリオンから召集がかかっていた。

 といっても、「先に集まっていてほしい」と付け加えられたところをみると、

 どうやらリオン本人は遅れて来るそうだ。

 特別急げ、というわけではないのだが、

 だからといって遅れるわけにももちろんいかない。

 召集がかかってすぐに、おそらく一番早く動いたのは

 もちろんこの男、アーバントだ。

 手配された部屋から謁見えっけんへの廊下を、

 誰が見ているわけではなくても軽やかに、品の良い姿勢で歩き進める。

 ただし、その表情は初めて訪れた時の柔らかな表情ではなく、

 至って真剣で、少しだけ厳しい表情をしていた。

 …まるで、何かを見据えたくとも叶わないもどかしさに、

 ひとり苦しんでいるかのように。

 カツカツとかかとを鳴らしながら歩いている正面、

 ドアが小さく開かれては女性が姿を現す。


 「あら?」


 可愛らしくも柔らかい声で放たれた短い言葉。

 珍しく反応の遅れたアーバントは、少しのの後にハッと女性に視線を合わせた。


 「…貴方様は…。」


 低く感情の無い、無機質な声を返すアーバント。

 いつものような上品な笑顔など欠片もなく、淡々とした声を零す。

 そんな相手に対してもニコリと微笑み、その女性はふわりとした声で返してみせた。


 「ここの家政婦をしております、ライアです。あなたは…、アーバントさんね?」


 リオンや兵士から伝わっているのだろう。

 そりゃ同居人に名前の知らぬ者がいるほど怖い事はない。

 だから、今日までお互いに面識はなくても、

 名前を知っていることは全く不思議ではない、が、

 アーバントはライアの名前がすぐに出て来なかったようだ。


 「ああ、すみません…。ライア様でしたね。お疲れ様です。」


 微笑む事もなくため息混じりに呟くアーバントを見れば、

 ライアはこてんと首を傾げる。

 きっと疲れているのだろう。

 長旅だった為、ちょっとの休息くらいでは疲れが取れていないのだと。

 そう感じ取った。


 「お疲れのようですね…。今度、疲労を緩和させるお茶をお持ちしますわ。」


 心配そうに、それでも微笑んで優しく声をかけるライア。

 その態度に、アーバントは一瞬だけライアと目を合わせたが、

 どこか厳しい表情のまま、すぐに目をらしてしまう。


 …どうしたのだろう? 明らかに様子がおかしい。


 これ以上話していては召集に遅れさせてしまうし、

 余計疲れてしまうかもしれないと思い、ライアはぺこりと頭を下げた。


 「それではわたしはこれで。ご無理はなさらないでくださいね?」


 最後に笑顔を浮かべて言い終えれば、

 そのまま廊下の奥の方へと歩いて行ったライア。

 その後ろ姿を、先程は全く目を合わせなかったというのに、

 鋭い視線で見送っていた。

 彼には似合わないくらい、眉をしかめた独特な瞳で…。

 彼女の姿が奥へ消える前、目の前のすぐ傍に紫の糸が見えた。


 「きゃっ!?」


 どすんっ!と横腹に衝撃が走る。

 もちろん体格のいいアーバント自身には小さな衝撃で、

 何かがぶつかったくらいにしか感じなかったが、それ以上に、その声のぬしと、

 後ろに続いた人物の姿に驚いていた。


 「ご、ごめんなさい…っ!」


 「いつも走るなって言ってるだろ…。アーバント、すまんな。」


 横の角から飛び出して来てぶつかったのはエクナ。

 その後に続いて来たのはリオンだった。


 「もっ、申し訳ございません!わたくしがぼーっとしていたばかりに!

  お怪我はございませんか!?」


 慌てふためいた様子でエクナに傷や服に汚れがないかを手早くチェックする。

 何もないとわかれば、安心したように深く一度深呼吸しては力の緩んだ笑みを零す。

 …いつもの彼だ。


 「あ、ありがとうございます! …あっ、ごめんなさい? んん?」


 自分でどっちを言うべきかわからなくなり、

 首を傾げては悩みだしたエクナに男性二人は苦笑いを浮かべた。

 コロコロと変わる表情、愛らしい仕草をするエクナに

 アーバントは静かにクスクスと笑う隣、

 リオンはため息混じりに息を吐き、片手を頭に当てる。


 「もういいぞエクナ…。父上の看病するんだろ? 頼むぞ。」


 呆れたような和んだような、変な感覚のままリオンが笑って言えば、

 エクナは「はーい」と言った後に一礼して正面のドアの奥へと入っていった。

 正面のドア、先程ライアが出てきた部屋だった。


 「あの、オーシャン様のお部屋はここなのですか?」


 「ああ。といっても体調が優れないから寝たきりだけどな。

  …どうかしたのか?」


 アーバントが少し鋭い目で部屋のドアを眺めているものだから気になってしまう。

 「どうかしたのか」。

 その言葉に反応し、いつもの笑顔は消したままでリオンを見据える。

 その視線はあまりにも鋭く、冷たくてゾクリとした感覚が背筋に駆け、

 嫌な感覚を覚えてしまう。…彼のこんな鋭い視線は初めて見た。

 何より、あれほど物腰の柔らかい彼がこんな表情をするなど、

 とてもじゃないが想像がつかなかった。


 「先程、ライア様が出て来られたので…。」


 〝家政婦〟で、エクナと交代で看病していると説明はしたはずだった。

 それなのにそれを疑問とするアーバントに対し、今始めて違和感を覚えた。

 その違和感が何なのかはわからないが、何か、とんでもない予感がしていた。


 「看病が終わったんだろう、何も気にする事じゃないさ。

  そろそろ行こう、みんな待ってるぞ。」


 リオンの言葉に、まるで今我に返ったかのようにハッとしたアーバント。

 その後すぐに苦笑いを浮かべて謝るもんだから、

 どれが彼なのかがわからなくなってしまう。

 …悪い奴ではない。だが、わからない事が多すぎる。

 リオンはその思いが拭い切れないでいた。

 同時に、必ずいつかはわかる日が来る。と疑いもしない確信もいだいていた…。



 二人で謁見えっけんに行けば、

 もう既にほぼ全員の控えの兵士やルキア達、怪我を負った者達も集まっていた。


 「ルキア!? だ、大丈夫なのか?」


 リオンは、正直休んでいてほしいと思いルキアに召集はかけていなかった。

 が、今確かにここにいる。

 多分フォルテかカレンが召集を伝えたのだろうと気付く。

 ありがたいような、お節介のような、

 そんな微妙な心境のまま、彼女からの返答を待つ。


 「大丈夫だ!ただ気が飛んでただけだから!」


 …何が大丈夫なのか全くわからない。

 しかし、どうやら元気そうなのでそのまま話をする事にしよう。

 フォルテやカレンも大人しく寝ているつもりなど更々無いようだし。

 「遅れてすまない」とリオンは急ぎ足に玉座まで歩み寄れば、

 アーバントは早々(はやばや)とルキア達のいる方へと合流する。

 それを視線で確認すれば、リオンは座ることもなく立ったまま、

 早速話を進めることにした。


 「わかっているだろうが、残った国はここと東、そして西のクレスレイムのみだ。

  あの薔薇の騎士、シエルを国に近付けるのだけは一番避けたい。

  なので、東が次に西を狙った時は西への援軍も出すが、

  同時に中央防衛も展開する。

  西には申し訳ないが、手薄の時に中央を陥とされたくないからな…。」


 自身の考えと戦略を頭の中で練りながら冷静に伝えていく。

 今のこの状況、一番は西が狙われやすく絶望的かもしれないが、

 東からは最も距離があり、直線上には中央が壁として存在しているのも事実。

 西を襲撃出来るなら、中央も狙われる可能性は十分あり得る。

 そうなれば一気に全滅となってしまう。

 それだけはどうしてもさせるわけにはいかない。

 全員もそれをわかっており、ただ黙って聞いては頷いていた。

 黙って承諾してくれたみなに軽く一礼してから、リオンは再び話を続ける。


 「以前紹介したアーバントだが、彼とシエルはいつか会わせたいと思う。

  妹と確証があるわけでもなく危険だが、違うという確証もない。

  だが、戦地に送り出すのも気が引ける。

  だから、アーバントには防衛班をお願いしようと思う。」


 色々わからない人ではあるが、使用人だということは確かだ。

 戦闘能力も高いとはわからない為、前線より防衛に就かせる事は全員が納得する。

 もちろん〝いつか会わせたい〟という事も含めてだった。

 だがたった一人…そう、本人が少しだけ不思議そうに首を傾げていた。

 その仕草にリオンは気付いていたが、聞く前に視界の横で小さく手が挙がった。


 「あの、オーシャン様の体調は…?」


 カレンだった。

 特別親しいわけではないが、誰にでも優しく人懐っこいのは彼女の人柄であり長所。

 これで暗殺者なのだから世の中よくわからない。

 不安そうに言うカレンを見れば、安心させるように笑って見せるリオンだったが、

 少しだけ影のある笑顔だ。

 それが何を意味するのか、何となくでも察しがついてしまう。


 「なかなか良くならなくてな、最近は寝たきりが増えてきたが…大丈夫だ。

  あの体力自慢の父上が病魔になんて負けないさ。」


 不安の残る笑顔でも〝大丈夫だ、大丈夫であってほしい〟という願いを含めて

 しっかりとした声で答える。

 その言葉には更に〝だから絶対にここを守らなくてはならない〟という

 強い意思をぶつけられた気がした。

 決して揺るがず、どんな状況だろうと諦めない姿勢や強さ。

 それをまざまざと見せられた兵士達は、

 「やってやるぜ!」と強い士気を取り戻していた。

 わいわいとハイな状態になっている兵士に絡まれたアーバントも、

 一緒になって盛り上がっている姿が見えた。


 「おお…、すげぇ臨機応変さ…。」


 ぼそりと呟いては苦笑いを浮かべて、クツクツと小さく笑ってしまう。

 しばらく眺めて笑っていると、アーバントがちらりとこちらを見た時に

 視線がぶつかる。やはり何か気にしているように思える。


 「アーバント、何か疑問でもあったか?」


 リオン自らが声をかければ周りは静まり、アーバントの反応を伺うように見た。

 声をかけられたアーバント本人は少しだけ驚いたようにしていたが、

 すぐに一息つけばリオンの方へ向き直る。

 一緒に盛り上がっていた時の笑顔を抑え、柔らかくも真剣な表情を向けてきた。


 「何故、シエル様を国に近付けるのがそんなに危険なのでしょう?

  国を消したとはいえ、前線に軍を置けば防げるのでは…?」


 …今、多分、ここにいる全員がギョッとした顔でアーバントを見た気がした。

 シエルが二ヵ国を消滅させた張本人だとは知らせている。

 しかし、屍を連れている事以外のその異質な強さや脅威については、

 話していなかったことに今気付くリオン。

 それをいち早く察知したルキアとフォルテがグルになって

 「ちゃんと教えてやれよー」なんてブーブー言ってきているが、

 見もせず相手にもせず空耳にして、全力で無視することにする。

 その完全無視の対応に、二人揃って「チッ」なんて品の欠片も全くない舌打ちを、

 王族に向かって普通にかましてくるのだから全くもってタチの悪い二人だ。

 そんな二人を視界の端に見ながらも、アーバントの問いに

 どう答えようか迷っていた時、その視界の端の一人が盛大なため息を零す。


 「もちろん、その女が北と南の大国を消滅させているからだ。

  それだけで敵には変わりねぇだろ…。

  オレ達が束になっても手も足も出ないくらい強く、妙な力を使うしな。」


 「おいっ、フォルテ!!」


 リオンが焦ってフォルテを制止するが、

 フォルテに「お前は優しすぎんだよ」と言われ、

 鋭い眼差しを向けられてはひるんでしまう。

 自分が必死になって探している姫の妹をやっと見付けたと思ったら、

 国を滅ぼした世界の敵となっており、しかも敵対する東の持つ脅威であり、

 これから戦う相手などつら過ぎる。

 そう思ってリオンは言うのを戸惑っていたのだが、言わないでいるのも酷い事だな。

 と一人反省していた。

 リオンとフォルテが視線を戻すと、アーバントは落ち込む様子もなく、

 ただ「詳しく聞かせてほしい」というように気丈に向き合い受け止めていた。

 …強い人。そう思うが、それでもやはり少しばかりはショックを受けているのが

 見てとれる。その様子を見て、

 フォルテも慎重に言葉を選んでは的確に知っている事を伝えていく。


 「デカイ剣と、見たことのないたぐいの魔法を使っていた。

  それより一番信じられんのは、屍を使役し、街を喰わせていたことだな。」


 「…屍、ですか。」


 「そういや、前も屍に反応してたな。何か知ってんのか?」


 明らかな反応を返すアーバントに対し、フォルテは母国を滅ぼされた怒りを

 完全にしまいこんで、至って冷静なままに会話を続けていく。

 普段は血の気が多く荒っぽい人ではあるが、こういう時は大人だな。と感心する。

 そんな風に静かに聞いてくれるフォルテに安心出来たのか、話したくなったのか。

 アーバントはフッと小さく笑ってから静かに言葉を零した。


 「…いえ、何だか自分がみじめに思いますよ。

  探している期間が長すぎたのか…。……まるで時が飛んだようだ…。」


 「は…、…はぁ。」


 突然の口調の変化と謎の言葉に、周りが一気に困惑してしまう。

 「はぁ」とため息をつけば額に片手を当て、目を閉じて言葉を続ける。


 「シエル様は、そんな力を使えなかったはずなのに…。」


 フォルテの言葉をバカにしたわけではなく、まるで自らを嘲笑ちょうしょうするかのように、

 自虐的な響きを持って吐き出された言葉。

 もちろんその言葉に周りは、事実との相違に更に困惑し、

 「え!?」「どういうことだ!?」なんて声があちこちから湧いていた。

 アーバント本人は、まるでわけがわからないとでもいうように

 困惑の笑顔を浮かべて項垂うなだれた。

 しかし、それは何か、確信に似た笑顔のようにも見えた。


  わけがわからない。けれど、もしかすると…。


 そんな複雑で、多数の感情が入り交じっている結果の笑みなのかもしれない。

 半信半疑。まさにそんな状態で、彼には珍しく感情がぐちゃぐちゃだった。

 すると、バタバタと慌ただしく駆ける足音が耳に届くと、

 伝令の兵士が血相を変えて飛び込んできた。


 「大変です!グランヴァル軍大勢、西に進行中です!!」


 ザワッと一気に緊張が高まる。

 すぐにリオンが椅子の側から離れ、前へ歩みながら声高らかに叫ぶ。

 アーバントも先程の不安定さは一瞬で一掃し、

 リオンが次に見た時にはもう普段の彼そのものだった。

 いや、むしろ意志が固まったかのように一層頼もしく見えた。


 「先の通り、作戦を遂行する! 総員、出撃だッ!!」


 「ハッ!」と兵士達は揃って敬礼を決めれば一斉に駆け出していく。

 ルキア達もリオンへ振り返れば「先に行ってるぞ」とだけそれぞれが告げ、

 兵士達に続いて駆け出して行った。

 リオンも急いで向かおうと段差を早歩きで降りていくと、

 ただ一人、前で待っている人物がいた。


 「参りましょう、リオン様。」


 まるで、自分のあるじにするかのように手を差し出すアーバントの姿。

 他人には違いないのだが、それでも真摯しんしに接してくれる彼のたくましさには

 何か安心できるものがあった。予想外、でもどこかで想像できていたような対応に、

 リオンはふと軽い笑みを零した。


 「本当に良くできた執事だな。…行くぞ、アーバント。」


 お互いに口角を上げて笑い合えば、急いで防衛陣へと向かう。

 それが、ある人物の命運を決める決定打になるとは、

 この時はまだ…誰も思いもしなかった。



 

 〜???〜

 「アルメリア軍、西への援軍と自国の防衛に動き出しました。」


 「やはりな。…よし、作戦を開始しなさい。」


 カツカツと小さくかかとを鳴らす足音がその場から遠退いていく。


 「フフフフ…愚かな中央軍め。己の中の毒に気付かないとは…。

  まあいいでしょう。どれほど愚かな選択をしたか、思い知りなさい…。」




 遠くの空から大勢の鳥が逃げて来ている。

 さすがに距離がある為戦いの音は届かないが、

 時々地響きや空気の振動が起きていた。その振動の正体はおそらく魔法だろう。

 魔法は自然の力を使う事も多く、爆発も起こせる。

 その為に、どうしても周りの木々や空気、大地に少なからず影響が出てしまうのだ。

 その震える空気が冷たくも男の髪を撫でて消えていく。


 「……始まってしまったか…。」


 悲しげというか、無念そのものを吐き出したかのような低く沈んだ声が届く。

 その声のぬしはリーゲル。

 グランヴァル帝国から少し離れた街道沿いで防衛班として待機していた。

 アルメリア軍が進軍してくる気配もなく、今はただ、

 見えぬ来ず敵に対して防衛ラインを展開するだけであり、

 ましてやアルメリアが攻める理由もわからない中、

 自国から離されていることに苛立いらだちさえいだいてしまう。

 それでも現皇帝からの命令で防衛ラインを敷いているが、

 何を根拠にアルメリアが攻めてくる、だなんて結論に至ったのか。

 そんなことを考えれば考えるほど苛立いらだちが増してしまうので、

 落ち着く為に空を見て深呼吸する。

 街道の高台には偵察兵が監視を続けているが動きはない。

 むしろ、お互い自国の防衛班なのだから、

 どちらかが進軍に切り替えない限りぶつかる事などないだろう。

 それもアルメリア軍が切り替える、という選択肢しかないが。

 こちらは実戦経験の浅い新人騎士達ばかりだ。

 …二人以外。だから切り替えてくれない方が正直嬉しい。


 「だが、我らがこうしている内に…西まで消えてしまうのか…。

  …許せん。どういうことなのだ…。わからん。」


 あーあ、といったような自棄やけに近い響きで呟かれた連投の言葉。

 悲しんだり怒ったり、コロコロと表情や感情がよく変わるリーゲル。

 グランヴァル帝国軍将軍として勝ち戦や領土拡大は喜ぶべき事だろうが、

 それよりも、この戦争そのものが東の一方的で、

 理由も目的もわからないものだからこそ、一人の人間として許せない部分もあった。

 そしてそれが、本来誓うべき本当のあるじ…皇帝のめいじゃないからこそ、

 尚更腹立たしかった。悲しみと怒りと落胆の混ざった脱力した言葉の後、

 岩の上で剣を抱えて座っている者が口を動かす。


 「…いえ、消えないと思いますよ。」


 まさかの否定の言葉に勢いよく声のぬしの方へ振り向く。

 シエルだ。そういえば、北と南はシエルが消したと誰かの噂で聞いたことがある。

 なのに、何故その本人が防衛班(ここ)にいるのだろうか。

 西は消さずにただ攻め込むだけなのか、状況や狙いがよくわからなかった。

 一人、頭の中で様々な考えを巡らしては答えの出ない中、

 その声は更に言葉を続けていく。


 「…ギラードは、私が侵攻班(むこう)に行っていると思っているでしょうね。」


 何もない街道の先をぼーっと見つめたまま無表情に言う。

 今までに見たことがないくらい覇気も鋭さもないその姿は、

 あぁ、本当に女の人なんだな。と思わせるくらい儚げだった。

 しかし、何かさっきの言葉に大きな違和感をいだいた。


 「うん? じゃあ何でお前、今ここにいるのだ?」


 側近、用心棒があるじの命令に背いたとは考えにくい。そもそも今更すぎる。

 別部隊が敵を潰してから楽々消しに行くのだろうか。

 と、自己完結させてみることにした。…そんな間にも返答はない。

 聞こえていないわけではなさそうだが、相変わらず何もない先をじっと見たままだ。

 あえて何も言わず黙っていると、少しだけうつむいた姿勢になり、小さく口を開いた。


 「…西そのものが、というわけじゃないですが。…故郷でね…。」


 急に口調が変わりトーンが柔らかく落ちた。

 低く落ち着いた、冷たさと優しさを含む凛とした声。

 すると、再びリーゲルは不思議な感覚に囚われ思考を巡らす…。

 ―――この声、…どこかで聞いた声…?


 「…大国二つも消したヤツが何言ってんだ、って話だけど…。

  それでも、どうしても私はあの国を消せない。

  あの国の人に会えない…。―――自分勝手な話だろう…?」


 クスクスと控えめに笑っては「変な話だろ」と冗談っぽく言うが、

 とても苦しそうで無理に笑っているように見える。

 そんな姿を見て〝知っている気がするが思い出せない〟という感覚が

 強く頭に渦巻いていた。しかし、急にそんな複雑な笑みを見せるものだから、

 何か気の利いた言葉ひとつでもないかと焦って、いそいそと返事を探すリーゲル。

 だが、その返事はとても簡単に見つかった。それはとある『共通点』があったから。


 「そ、そうか。お前もクレスレイム出身だったのだな。

  同族、ということか。故郷を消されるのは…許せんだろ?」


 モヤモヤの晴れない曇ったままの状態ながら、

 リーゲルなりに笑って返すことにしたようだ。

 …まあもちろん〝笑えてない〟が。

 片方の口角だけ上がり、眉間に薄くシワが浮かぶ、なんとも残念な笑顔だ。

 普通の人の目から見たら泣くか、馬鹿にされた気分になるか、キレる。

 だが、向けられた本人の顔は酷く驚き血の気が引いていた。

 それよりかおびえているようにさえ伺える。

 そんなに恐いか、とさりげなくもがっかりと肩を落としたリーゲルだが、

 さすがにこの過剰な反応は異常だとわかる。


 「何だ、どうした?」


 「…あ、いや…何でもないんだ…。無事なら…それで……。」


 今が戦時だというのに何が無事なのかさっぱりだった。

 だが、よくわからないまま置き去りに、シエルは視線を完全にリーゲルから外し、

 合わせようともせずに口を閉ざしてしまった。

 言葉やおびえ方や態度、様々な疑問は残るが今は放っておくことにした。

 明らかに〝触れないでほしい〟という態度だったからでもある。

 それでも、やはり気になり横目で様子を伺うと、

 相変わらず岩の上で剣を抱えて座り、うつむき気味に前を見つめている。

 膝を抱えてうずくまるような姿は、何か、

 重い使命や責任を一人で背負って生きる者の雰囲気によく似ている。

 元々謎だらけでわからない事の多い人物だから、

 色々と自由に想像できてしまうのも今は厄介だ。

 だが、そんな憶測の妄想をしては〝そんなまさか〟と自分の想像を笑った時、

 ふと、一瞬にして脳裏にある人物が過った。


 「―――ルシフェリア…?」


 「!!」


 リーゲルがとある人物の名を呟いたと同時にシエルが立ち上がる。

 何事かと思い全騎士が構えると、高台の偵察兵が強張った声で叫んだ。


 「し、正面! アルメリア軍、きっ…来ます!!」


 強張った声で告げられたまさかの事態に、リーゲルも騎士達にも動揺が走る。

 防衛ではなかったのか?まさか本当に切り替えたのか、

 としたら理由が検討もつかない。


 「アルメリア軍が、本当に…!?」


 「…来たか。しかし何故…?」


 こうなると読んでいたはずのシエルでさえ、

 この事実に驚きと疑問が口から漏れるほどだった。

 動揺は拭えない。しかし、自分達以外は全員新人騎士――…。

 その責務を感じてか元の性格からか、

 リーゲルとシエルは同じタイミングで最前線に並んで立つ。

 偵察兵も下がらせ、二人だけでも軍隊の盾になる様に構える形を取っていた。

 二人とも先程の表情は一片もなく、鋭く鋭利な真剣さそのもの。

 攻撃は最大の防御、刃という盾を思わせるくらいだった。

 待ち構えてしばらくし、

 街道の先…確かに軍隊と思われる大勢の影がこちらに向かって来ていた。


 待ち構えるグランヴァル軍と迫り来るアルメリア軍。


 もうお互いの面子めんつが目視できる距離まで来たというのに、

 アルメリア軍は攻撃をする様子も無く、ただ歩み寄って来るのみ。

 その先陣で、青い丈の長い品の良いローブを揺らし、

 堂々とした姿でゆったり歩く姿があった。


 「アルメリア王子直々!?」


 「嘘だろ!? 先頭だぞ!!」


 とグランヴァルサイドの騎士達が一気にざわめき出す。

 そのリオンの後ろに控える面子めんつも目視しては震え上がっていく。

 リオンの後に続くのは、ルキア、フォルテ、カレン…と

 名の知れた強者達が勢揃いしていたから無理もない。

 アルメリアが誇る、屈指の速さと技量を持つ女侍ルキア。

 リュース暗殺部隊、精鋭部隊隊長カレンと副隊長フォルテ。

 アルメリア王子であり魔導竜騎士リオン。

 こんな面子めんつを見たら逃げ出したくもなる。

 後方に控える騎士達が震え上がる中、

 最前線のリーゲルとシエルは全く顔色ひとつ変えず静かに構えていた。

 が。後ろがとてもうるさい。

 力も場数も精神面も、実力差がハッキリしている証拠だ。

 そんな異様なまでの緊張感の中、ついに両部隊は対面を果たす。


 「仲間が、この先にグランヴァル軍がいる気がする、

  なんて言うので確かめに来たのですが…。…なるほど、貴女が薔薇の騎士。

  初めまして、俺はリオン・マーティンス。アルメリア王国の王子です。」


 苦手と言いつつも、真面目でしっかりとした敬語で自ら先に挨拶をしたリオン。

 動揺するリーゲルと、少しだけ分の悪そうなシエルのその様子を先に読み、

 あえて余裕さを含んで丁寧に一礼する。

 リーゲルとリオンはもちろん既に面識はあり、知り合いだ。

 だからリオンは、シエル一本に必要以上に集中していた。

 そんなシエルも、リオンの様子や隙を探ろうと集中しているようだ。

 静かで小さな火花がくすぶる中、

 リオンの後ろからフォルテが控えめな動作ながら移動したその表情は、

 口角をニヤリと上げているような気がした。長い前髪で隠れてよく見えないし、

 位置を移動していた為動いていて確認しづらい。

 途端、ピリッと空気が微かに震えたのを的確に感知した一人、

 シエルがハッとしたのを確認すれば、フォルテは見えるように指先を払った。

 リーゲルが「ん?」と言った瞬間 ドオンッ! とその場に爆発が起きて

 砂煙が舞う。目の前で起きた突然の爆発に、一番近いリオンはもちろん、

 リオンの隣に控えていたルキアまで驚いて何事かと正面を見つめていたが、

 カレンがフォルテの右腕に飛びかかり

 「バカじゃないの!?」と止めている姿を見て全てを察する。

 大人な面もあるが血気盛んというか短気な所、

 時々挑発的になる時が玉に傷な彼だ。

 それでも、母国を滅ぼされた事で暴走するよりはマシなのだろうが。

 砂煙が切れてきた時見えたのは、やはりリーゲルと騎士達の前で

 シエルがバリアを張っている姿だった。

 正直、今ほど彼女の強い力に感謝した事はないだろう。

 怪我人や死人が出れば一気にこちらが不利だ。話し合いどころじゃなくなる。

 そんなシエルの姿を見て、腕にカレンがしがみついたまま、

 フォルテは小さな怒りを含んだ声で棘々しく言い放った。


 「へぇ…。国を滅ぼすような奴にも守る心はあるんだな。」


 怒りと憎しみから、フォルテは明らかな嫌味を含んで嘲笑あざわらうように言い捨てた。

 その態度や言葉、何よりその急襲に、

 シエルは隠す事もせず、あからさまに怒りを見せる。

 その鋭い瞳と痛いくらいの覇気に、一瞬フォルテは困惑しひるんでしまう。

 …とても強く、突き刺すような覇気だ。

 今の内と言わんばかりに、リオンが素早く二人の間に割り入って仲裁に入る。

 いくら敵とはいえ、対話が出来そうに受け入れている状態の相手へ

 急襲を向けるのは、誉められた事ではない。

 何より、自分達は防衛班なのに進軍している以上、

 作戦を壊しているようなもの…と言っても、

 作戦を立てたリオン本人が自ら崩しても、それを責める存在などいないのだが。

 だが急襲するつもりなどない。

 リオンの態度がそれを何より明白に証明している。

 フォルテを止めるリオンやカレンの姿を見て、シエルも冷静を取り戻す。


 「……何のつもりだ…。」


 とんでもないくらい低く、明らかに苛立いらだった声が届けられた。

 聞いていた周りですらゾクリとするほどの迫力で、抜き身の凶器さを感じさせる。

 …以前からそうなのだが、

 シエルは二重人格かと思わせるくらい雰囲気が良く変わる気がする。

 口調も態度も覇気量も、全てどれが本来の彼女なのかわからず、

 同時に本来の彼女を隠しているかのようにも感じ取れる。

 それでも今の彼女はとても危険だとわかる、本気だ。

 リオンもそれを痛いくらいに感じ、

 フォルテをカレンに任せればシエルへと急いで向き直る。


 「も、申し訳ない!攻撃するつもりなんて無いんだ!

  俺はただ、貴女と話がしたい!」


 物凄く不審そうに睨むシエルの後ろで、

 リーゲルはほっとしたように表情を和らげた。

 おそらくアルメリアと戦う事だけはしたくなかったのだろう。

 今はまだ復帰できずにいるバイドとラルファースの為に。

 リーゲルはシエルに耳打ちともいえない、聞こえる音量で耳打ちをした。


 「リオン様は信頼できるお方だ。話くらい聞こうではないか?」


 落ち着いた声でそう提案すると、

 シエルはしばらく黙っていたが小さく頷いてくれた。

 その承諾に、一人見えない様に背を向け、隠れて盛大なため息をつくリーゲル。

 まるで一仕事終えた後のように。……終わってないのだが。

 明らかなお互い対話の姿勢になった時、ルキアはある事に気付く。


 「私達も、全員聞いて大丈夫なのか?」


 それは、しっかりとシエル一人に向けられた言葉。

 アルメリアからしたら全てが謎の人物である為、根掘り葉掘り聞く事になるだろう。

 それに伴い、グランヴァル皇子のラルファースでさえ「知らない」「わからない」と

 言っていた為、自国の騎士にすら知られたくない事もあるのではないか。

 というルキアの気遣いと配慮の言葉だった。

 普段は荒っぽく口も悪いサバサバした彼女だが、敵味方関係なく配慮のできる姿は、

 ルキアの良い所であり優しさだ。

 だが、聞いたルキアがふと初対面の時を思い出した。

 そういえばあの時も、人が折角気を利かせて離れようとしたのに、

 「聞いていても構わない」と配慮を折られたな、と。

 多分だが、今回もそんな予感がした。

 ルキアの言葉の意図も理解し、シエルは二度目のその確かな配慮の有り難みに、

 フッとクールな笑みを零す。


 「…いや、構わない。こうなった以上、アナタ方にも知る権利はある。

  ………。…あ、すみません。王子殿下の御前で…。」


 威厳ともいえる余裕さの途中、急に訂正して下手したてに出た変わり身の早さに、

 リオンは少しだけ笑ってしまった。

 同時にルキアは、一人内心で「ほらきた」と思い苦笑いを浮かべている。

 それも、それが嫌味ではなく自然に出たもののようで、

 シエル本人が明らかにハッとした表情をしていたからだ。


 「気にしないでくれ。

  俺も普段通り話させてもらうから、貴女も好きに話してほしい。

  ――早速だが、本題に入ろう。

  薔薇の騎士、貴女の名前を教えてほしい。」


 いきなり国については触れずに、

 個人を知ろうとするのはいかにもリオンらしかった。

 それに、情報を通じて知った事を本人からも聞いて、

 情報と事実の一致・確定させていく堅実さも感じさせる。

 シエルは一度小さく頷けば、真っ直ぐリオンを見たままに答えた。


 「…シエル。それが私の名前です。」


 知っていた名前がちゃんと返ってきただけだが、それだけでも大いに安心できる。

 それに、敬語で返ってきた事に対しても、リオンは余計安心できてほっとしていた。

 なんというか、彼女の言い切るような口調は、

 自分より上の立場の人間と話している時の感覚に似ている気がするからだ。

 つまり、威圧感というやつだ。

 自分も落ち着けたところで、リオンは自分のペースで会話を進めていくことができた。

 今のシエルは敵対心や不審感を感じてなさそうで、スムーズに進んでいく。

 このまま上手く話を聞き出せるだけでいい。

 何か今のグランヴァルの情勢や打開策、本当の敵を教えてほしいという一心で、

 リオンは真摯しんしな姿勢でシエルと向き合う。


 しかし、後には必ず核心的な事を聞かなくてはならない。

 そう思うと、恐怖や不安から、

 自然と体に力が入ってしまう自分が確かにそこにいた。




 ~第六章へ~


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