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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第一幕:崩落の日常
6/26

【第三章】異形の影

 

 東のグランヴァル城での密談と暗殺騒動から、早くも3日が経った。

 このたった3日でも穏やかで静かな日々が過ぎていたのだが、

 この日は慌ただしかった。

 まるで、あの平和だった3日間を忘れさせるかのように…。

 謁見えっけんでは相変わらずリオンが玉座に座り、

 駆け込んできた伝令の話を神妙な面持ちで聞いている。

 だが、その話の内容は至って平常心では聞いていられなかった。


 「グランヴァルが…また北東に攻め込んだのか!?」


 「はい。今し方、北東の伝令から入った情報ですので、確かです!」


 駆けて来たせいで汗が首を伝う伝令の姿を見て、

 急を要すと直々に突き付けられた気がし、悔しそうな焦りの表情を見せた次の瞬間、

 チッという王子らしからぬ舌打ちが聞こえた気がする。

 いや、もちろん〝気がする〟のではなく本物だ。


 「ここ数日やたら大人しいと思ったら、この準備だったってわけか…!」


 明らかに苛立いらだつリオンが、頭の中で何かないかと必死に策を巡らす。

 そんなリオンの前には、伝令の兵士、その横にはルキアの姿もある。

 彼女も一緒に、何か考えるようにうつむいていた。

 言葉が途切れたのを見計らい、兵士が手元の紙を広げて読み上げていく。


 「北東で防衛していた軍は二万、対す東軍は四万。

  東軍の進攻進路から、狙いは北東地域および、北国リュースの占拠かと。

  もし援軍が間に合わないなら、何よりも先に北国への援軍を求む。

  とのことです!」


 「くっ、やはり多いな…。」


 報告を聞けば、すぐにその兵の多さに奥歯を噛み締める。

 しかし、四万で驚いてもいられないことはわかっていた。

 グランヴァルは武力国家と恐れられていた帝国。

 今目立つのが四万の兵であっても、増援を準備しているかもしれない。

 それに何より強い。

 そんな軍に一気に二ヶ所の国と街が狙われてしまったのだ。

 アルメリアもグランヴァルに匹敵する強さを持つが、兵の数はとても敵わない。

 分散して向かわせれば数で返り討ちにされるかもしれない。

 それに、あまり援軍を送り過ぎても自国の防衛が手薄になれば、

 直接こちらの国を奇襲されるかもしれない。

 そんな数々の不安と問題点が一国の王族の頭に渦巻く。

 国を、民を、命を…。それらを守るべき立場という重圧と責任が重くのしかかる。

 ふと、そんなリオンの苦しそうな表情を見て、隣に控える人物は顔を上げた。


 「リオン。オーシャンは?」


 強く、しっかりとした意志を持った眼差しと声が向けられる。

 そんな言葉を聞きつつも考えを巡らすことは止めず、

 声の方向を向けばルキアと目線がぶつかる。


 「いや、朝倒れられてな…。今は寝てる。が…、何だ?」


 頭を右手で抱えたまま、リオンは若干下を向いたまま、目だけを合わせて応える。

 頭がいつもより回転が鈍い。

 やはりまだ自分にはこの立場は早過ぎたのか…。

 なんて自虐的な弱音が心に湧き上がっていた。

 目を合わせたままだが、どこか心ここに在らずなリオンの心情を読み取り、

 ルキアが「ふぅ…」と静かに息を吐いた。


 「じゃあ、お前に許可を取ればいいな?」


 「だから何が言いたいんだ?」


 「リュースへの援軍には私が出る。」


 苛立いらだちを含んだ声で答えたリオンだったが、

 あまりにも危険な船に乗ってきたルキアの発言に、リオンも兵士も驚いていた。

 そんなリオンの鈍くなっていた頭の回転が、確かに一度止まった。

 兵士は目を丸くしたままルキアを見ては固まっている。

 「…は」と小さい吐息が口から零れると、それを引き金に声を張り上げた。


 「馬鹿なこと言うな!!北へは東が本気で陥としに来る!

  そんな場所にお前は――ッ!」


 「危険なのは兵士達も同じだろ!?

  それに北にはカレンとフォルテもいる。

  アイツらと合流出来れば防衛も叶うはず!

  だから私の方には千でいい!他は北東に回してほしい!」


 「「千…!?」」


 リオンと兵士の声が重なって聞こえる。そりゃそうだろう。

 北東に四万の兵を出している東。

 勝てばその兵が北国へやって来るというのに、それをたったの千でいいと言うのだ。

 確かに彼女は強い。しかし、あまりにも無謀過ぎる。

 これではただの捨て身じゃないか…?


 「お前の腕はわかるが、千…?お前は馬鹿か!!?」


 「バカはどっちだ!悩んでる時間なんてねえんだ!

  この時間に何十、何百と兵が死んでいくんだぞ…ッ!!」


 口調はどうあれ〝戦争〟という脅威を突き付けられる。

 リオンは口を閉ざすが、ルキアの言う通り時間がない。

 …無謀な策だ。普段ならとても許可が出せない。

 だがルキアの言うことももっともだ。

 ルキアの〝無謀でもそれしかない〟という我が儘、

 自分が〝行かせたくない〟という我が儘。

 …明らかに、自分の我が儘の方が自分勝手だ…。

 すると重い口を開き、その瞳に鋭い光を宿す。

 国を、民を、命を守る…一国の王として―――。


 「わかった。北東に五万の兵を!北に千の兵を送れ!

  …ルキア、リュースを頼む。それと、必ず生きて帰れ。いいな?」


 「了解です、リオン王子。」


 リオンの威勢のいい声の裏側に潜む不安の眼差し。

 その眼差しに気付き「心配すんな」と言う代わりに、

 自信を宿す笑顔を浮かべてみせる。

 ルキアと兵士がお互い頷き合い部屋を出ようとした時、先に扉が開かれた。


 「リオン王子大変です!戦闘中の北東軍は半壊し、少数の兵で東軍と戦闘中!

  北軍も既に多数の兵が討たれてる模様!」


 「なっ、早い! …くそっ!

  ルキア!第一・第二部隊!頼んだぞ!!絶対に生きて帰れ!」


 「「はっ!」」


 ルキアと兵士は声を揃えて戦地へ駆け出していく。

 今来た伝令も、次に備えて一礼しては走り去っていった。

 外がざわめく中、リオンは一人椅子に深く座れば考え込んでいた。


 「早い…、あまりにも侵攻が早過ぎる…。どういうことだ?

  北東が攻められたのはほんの一時間程前のはず。

  それなのに北東はもう半壊?北に多数の戦死者?

  東は二部隊を動かしているのか? …いや、それでは自国が…。」


 本当は戦地に自分も向かいたい。自分の目で見て戦略を立てたい。

 そう思う心を殺し、せめてここからでも、

 何か最良の策くらい立てられないかと考えを巡らす。

 しかし、あまりにも圧倒的な東の侵攻の早さと強さに、正直混乱していた。

 父、国王オーシャンが倒れた不安と、国と民を守る重圧に潰されそうなリオン。

 完全に切羽詰まってしまっていた。

 そんな中、ふわりとした香りが目の前に差し出される。


 「苦しそうな顔してるわ…。少し、心を休めたらどうかしら?」


 差し出されたのはハーブの優しい香りの立つ紅茶だった。

 ゆっくりとした動作でその紅茶を受け取ると、

 澄んだオレンジ色が緩やかに揺れ香りを漂わせる。


 「あ…、ありがとうございます。ライアさん…。」


 少し疲れた様子で紅茶を飲むリオンを、優しく微笑み見守るライア。

 まるでその姿は聖母のような、柔らかく包み込むような雰囲気を感じさせる。

 ふと、この爽やかで優しい香りにリオンは軽く首を傾げる。


 「この紅茶は?」


 「あっ、これ、ただのカモミールティーなの。

  本当はもっとリラックス効果のあるハーブや花を使いたかったんだけど、

  手持ちになくて…。

  せめて香りだけでも安らいでもらえたらって思って…。」


 申し訳なさそうに、ライアは微笑みから眉を少し下げて苦笑いに変えて笑った。

 しかし、今のリオンにはただそれだけでもありがたかった。


 「その気持ちだけで十分です。

  このカモミールの香りも、今の俺にはとても安らげます…。」


 ぽつりぽつりと静かに言うリオン。

 どうやらやっと落ち着けた様子で、そのまましばらく黙ったまま目を閉じた。

 切羽詰まった思考や気持ちを鎮め、落ち着かせるように。

 国王には早いなんて言わない。ただ急過ぎて心身共に疲弊ひへいしていたのだろう。

 とても弱った様子だった。


 「オーシャン様に続き、リオンくんまで倒れられたら大変ですもの。

  だから、しっかり休める時は休んでね?」


 変わらずのふわふわした話し方で言われ、

 その優しげな声と笑顔にリオンはただ静かに頷いた。

 安堵の中、民や兵士の無事を祈りながら…。



 再び訪れることとなった北東地域の雪原地帯。

 しかし、前回の時よりも明らかに違うことがわかる。


 ―――戦争らしい音が聞こえない…。


 ふと、不気味な違和感を覚えながら雪を踏みしめていくアルメリア軍。

 すると、先頭を歩いていた兵士が不意に足を止めた。


 「こ…、これは…っ!?」


 アルメリア軍の兵士が口を揃えて声を発した。

 眼前に広がる光景は、普段の景色とはまるで別物のようだった。

 白銀の雪の上に転がる無数の兵士達の死体。

 風に触れ、少し黒みがかった血液が雪の白を染める。

 刃で斬られた四肢や頭、引き裂かれた身体、爆死した死体…。

 辺りの空気は、死臭や火薬臭が支配していてむせ返りそうだった。

 その数々の死体を避けて歩みを進める中、残された衣服を見てあることに気付く。

 背中や腕章にある印…それは確かに北東軍を示す物だった。


 「あの短時間で敗退したというのか…?」


 「ここは音がしない…。まさか全て北に!? 急ぐぞ!!」


 ここで立ち止まっていては意味がない。

 転がる多数の死体を避けては北へ駆け出す。

 進軍する途中、兵士の耳に鋭い音が届いた。

 刃のぶつかり合う音、爆発音…戦争の音だ。


 「奥でまだ戦闘中のようだ!みんな行くぞ!!」


 アルメリア軍の軍師が叫び、兵士がそれに答える。

 急いで援軍に向かうと、北東軍と東軍が戦っていた。

 しかし、北東軍の方が圧倒的に兵数は少なく、

 不利の状況に置かれていると一目でわかる。

 それでも諦める事なく、北を守る為に全力で防衛しているのだ。

 駆ける勢いはそのままにアルメリア軍は武器を手に掲げた。


 「中央軍!北東軍を護衛し、東軍を撤退させろ! いくぞッ!!」


 「中央軍だと!? くそっ、もう少しだったのに…!」


 「た…、助かった…!」


 二度目の妨害に、東軍は驚きながらも苛立いらだちをその声に乗せて吐き出した。

 対す北東軍は、もちろん援軍に安堵している。

 中央軍の援軍により、圧倒的強さで東軍を抑え始め、

 東軍の勢いを鈍らせる事に成功する。

 そんな中、アルメリア軍師が指揮の合間に空を見上げた。

 その目には、戦時を忘れさせるくらいに澄んだ空が広がっている。

 その頬や髪を静かで冷たい風が流れていく。


 「北から戦いの音は聞こえない…。

  北が防衛に成功したか、第一部隊が成功したのか。

  …または…、……いや…。」


 悪い事を考えそうになって軽く頭を左右に振り、指揮に集中する軍師。

 少し踏ん張ればここは撤退させられるはず、だから…。


 「(ルキア、第一部隊、頼む…!)

  終わらせるぞ!全力で押し出せぇぇッ!!!」


 中央軍の地を揺らす様な呼応を揃えた声が響き渡り、

 ドッと兵士の士気が上がり東軍を圧倒する。

 おそらく、このままの勢いで北東地域防衛は完遂できるだろう。


 しかし、北の無音には別の意味が存在していた―――…。




 白の大国・リュース。

 万年無くなる事のない雪が地を染めている白銀の世界。

 静かで美しい景色を見られる為、人気の観光地にもなるこの大国。

 しかし、今は静か過ぎるくらい無音の世界がその地に広がっていた。

 ただ虚しく冷たい風が流れていく。

 そこへ複数の足音を響かせ何かがやってきた。


 「!? ルキア!あれを見ろ!」


 「? あれって何を…。 ――――ッ!?」


 見られるような、見るようなものが無いと思って走っていたルキアだが、

 唯一目で見られる物を指差され、その違和感にやっと気付けた。


 「えっ。ど…どういう、ことだ…!?」


 現状を理解出来ずに困惑した声色で、そのまま素直に言い放った。

 本来そこにある、見られる物が見えなくなっていた。つまり…


 ―――〝街が無くなっていた〟のだ。


 ただの雪原と化した平地に点々と人の姿を見ることができて、やっと気付けたのだ。

 確かにここに街があった。しかし今は無い。

 そうなればあの人達は街の人達だろうか?状況を聞けるだろうか?

 そんな胸騒ぎと、現実離れした現状に困惑したまま駆けていた足を止め、

 ゆっくりと歩み寄ることにした。

 きっと、急いで目で確認したって理解出来ないかもしれないから、

 せめて落ち着く時間が欲しくて…。

 しかし、ゆっくりと歩みを進めて確認していく中、何か様子がおかしいと感じる。

 少しだけ足を早めて近寄れば、更に異質な光景が眼前に広がる事となった。


 「こ…、これは……?」


 「街を…、喰っている…のか…?」


 そう。目の前には石造りの街の壁や、残った街の欠片を、

 異質な存在が食らい付いては喰べていたのだ。

 いや、〝喰べる〟とは違うのかもしれない。

 噛み付いた場所から紫色の光の粒となって、消えてしまっているのだ。

 ゆっくりと辺りを見渡すと、その異質な存在は数十と複数いることがわかる。

 あまりにも見慣れない光景に固まる兵士達をよそに、

 ルキアは必死に何かを探すように見回していた。

 すると、その瞳が何かを捉えては、その表情から血の気が引いていった。


 「カレン!!フォルテ!!」


 悲鳴に近い声が絞り出され雪原に響いたが、呼ばれた二人は全く反応を示さない。

 ルキアの目線の先には、ピクリとも動かない二人の男女が

 真っ白の雪の上に倒れ込んでいた。

 衝動のままに駆け寄ろうとしたが、できなかった。

 唯一、そのルキアの声に反応した人影があり、その者がこちらを振り返ったから。

 カレンとフォルテと呼ばれた二人が倒れ込んでいる側で、

 その者は静かに立っていた。


 「お前は…ッ!!」


 見覚えのあるその姿に、血の気の引いていた表情は力を取り戻し、

 怒りと微かな恐怖が心に浮かぶ。

 スラッと背の高い細身の長身、白く丈の長い服とあか色の髪が風に流され、

 その髪から覗く深緑の鋭い瞳…。一人の兵士がハッとし、声を上げる。


 「薔薇の騎士!?」


 その見た目とルキアから聞いた情報を一致させ、兵士がその者を呼んだ。

 だが、その呼び名を聞いた瞬間、兵士達にどよめきが走る。

 ルキアの素早い一撃を防ぎ、強い力を持つ者…。

 いわば切り札と呼べる者のまさかの出陣に、一気にその身に緊張が走ったのだ。


 「まさか、あの異形いぎょうの者も…あの者が!?」


 「どういうことだよ!だってアレ、人間じゃないだろ!?」


 女騎士の無慈悲なまでの無表情。その後ろで街を喰す者。

 威圧感と不気味なまでの恐怖感をぶつけられ、兵士達は完全にひるんでしまっていた。

 その中でただ一人、気丈に口を開く者がいた。


 「お前が、兵を…街を? ――カレンとフォルテを…ッ!?」


 強い怒りを持った声で叫ぶルキア。

 その怒りをぶつけられた女騎士は、言葉を返すことなくただ静かに見つめていた。

 反応を見せない女騎士を睨むが、肯定も否定もしないその姿に

 苛立いらだちは増すばかりだった。

 カレンとフォルテ。

 その二人とルキアは古くからの知り合いであり友人で、国は違えど交流があった。

 そんな友人がやられ、街は壊され、

 それでも何を感じずに無表情でいる女騎士の態度に、徐々に冷静さを失う。


 「お前が…カレンと、フォルテを……ッ!!」


 うつむいては呟くように同じ事を繰り返す。

 悔しさと怒りでいつ駆け出してもおかしくない状態のルキアの肩に、

 一人の兵士、隊長が手を置いた。


 「おい、落ち着け!真っ向からぶつかっても勝てる相手じゃ――」


 「うわああああああああああああッ!!!!」


 パシンッと肩に置かれた手を叩き払うと同時に、

 感情が爆発したように叫んでは刀を構え突進して行く。

 もう、先日身をもって覚えた相手の強さなど思い出せないくらいに、

 頭に血が昇ってしまっていた。

 作戦や技などなく、ただ力任せで衝動のみの行動。

 理性を失ったまま全力で向かい来るルキアを、

 ただ静かに見つめている女騎士だったが、予想外の者が反応を返してきた。


 「ウゥゥッ!!」


 街を喰す複数の異形いぎょうの者の様子を見ていた、一人の異形いぎょうの者。

 おそらく、この声を発した者がリーダーなのだろう。

 複数の異形いぎょうの者は褐色の肌に、古びた茶色のローブを身に付けているが、

 リーダーらしき異形いぎょうの者は、同じく褐色の肌に、

 所々ボロボロに裂けているが黒いコートと帽子を身に付け、

 他の者とは一風違っていた。

 その者が女騎士を守ろうとするかのように近寄ってきたのだ。

 しかし、そんな事すら視界に入らないくらいに、

 怒りでルキアは盲目になっており気付かない。


 「ルキア!よせ!喰われるぞッ!!!」


 第一部隊の隊長が叫んでも全く聞こえていないようだった。

 そのまま足を止めようともせず突き進めば、刀を振るう構えに入るルキアを見て、

 やっと女騎士が動く。


 「いい…、下がれ。」


 「ウゥッ!?」


 スッと左手で異形いぎょうのリーダーをそれ以上近寄らないように制すると、

 ルキアは刀を鞘から引き抜いて両手で強く握り踏み込む。

 下がらされ、反発しつつも驚く異形いぎょうのリーダーだが、

 それ以上近寄ろうとはしなかった。


 「うあああああああああッ!!!!」


 叫びながら振り上げた刀を全力で振り下ろすルキア。

 すると、女騎士の気迫が一気に強まり、冷たく鋭いその瞳をキッと開く。


 「こんな小娘―――」


 笑みを浮かべず、ただ真剣なままに呟かれた言葉。

 手元には蒼い炎が渦巻いていた。

 そして…


 「――取るに足らぬ…。」


 ルキアの太刀が怒りに任せて振り下ろされ、ヒュンッと風を斬る音を立てた。

 しかし、それを上回るブォンッという音がほぼ同時に耳に届くと、

 鉄同士がぶつかり合い、鋭くも濁った音が耳をつんざく。

 耳から頭に貫くような音に顔をしかめてしまうが、ぶつかり合った二人を見れば…

 ルキアの姿がない。

 刃がぶつかり合った音がした以上、確かに二人は刃を合わせたはず。

 しかしその行方は、女騎士の体勢ですぐにわかることとなる。

 女騎士は大剣を片手で握り、完全に振り切っていた。

 まさに振り払うというよりも、打ち払ったように。

 その瞳は斜め上、上空に向けられていた。


 「…ッ…、ぁ……。」


 「!? ルキアッ!!!」


 女騎士の視線を追った先、上空に舞うルキアの姿を見付けて隊長がその名前を叫ぶ。

 かなりの衝撃で気を失ったのか、手放した刀は落下して地に刺さり、

 ルキアは力無く見えた。

 隊長も他の兵士も、その圧倒的力を前に、体がすくむ感覚を覚えていた。

 怒りで冷静さを欠いていたとはいえ、その分かなりの力任せで放たれた刀を、

 たった一撃で打ち返していた…その力に。

 そんな恐怖心が渦巻く中、場違いな程の陽気な声が届けられた。


 「おーい。そこの隊長さん、受け止めろー。」


 「えっ! うぉわぁあああっ!?」


 計ったと思うくらい、的確に隊長の腕にルキアが落ちてきた。

 が、あまりに急だった事と、あまりの高さにより自分ごと

 どしゃん と倒れてしまったものの、なんとか受け止めていた。

 仰向けで倒れた隊長の上に、ルキアは無事乗っかっていた。

 その様子を見ていた女騎士は片手を腰に当ててため息をつく。


 「ふむ…、軟弱だな…。」


 「ウゥ…。」


 二人揃ってため息をつく姿は何か違和感がないくらいで、まるで姿は全く違くても、

 姉弟のように息ピッタリだった。

 隊長がルキアを抱えて体を起こす中、

 兵士達は見せつけられた異様なまでの恐怖と力の差の前に踏み出せずにいた。

 そして、それは隊長も同じだった。

 アルメリアが誇る侍であるルキアを、意図も簡単に斬り伏せてきた女騎士に対し、

 ここにいる千の兵を向かわせても敗退する予感が拭えない。

 何より死傷者が数多く出ることとなるだろう。

 不確定な勘ながらにも確信に似た自信があった。

 しかし、幸いにも女騎士も異形いぎょうの者も攻撃を仕掛けようとする様子はない。

 それを確認すると、隊長は兵士に臨戦体勢を解くように指示し、武器を下ろさせた。

 始めは驚き反対した兵士達も、少しずつ武器を納めてくれた。


 「アンタ…、一体何者なんだ?」


 ルキアを抱えて座ったまま隊長が女騎士に問う。

 その両手を塞ぎ、座ったままで、戦う気がない姿や静かな声色と、

 武器を納めた兵士達を見て、女騎士も大剣を地面に突き刺した。


 「…伝え聞いている通り、東の統制を握る現在の皇帝を守る者。

  ただの傭兵であり、用心棒です。」


 淡々と言葉をつづるその姿は、表情こそ違うものの、嘲笑あざわらうように冷たく、

 不気味なまでの威厳さに満ちていた。

 それでいて、女性が持つに相応しくないくらいの暗く禍々しい空気をまとっており、

 正直、とてもじゃないがただの傭兵には見えない。

 聞かれたらこう答えればいい、というように決まった答えを返す女性の言葉は

 〝嘘〟だと、そんなことはもうわかっている。


 「嘘だ。そんな力…。異形いぎょうの者を連れる傭兵がいるものか。

  アンタの目的は何だ?現皇帝とは何者だ?

  こんな…国ひとつ丸ごと喰い消すほどの目的って何だ!?」


 言葉を続ける内に、怒りと恐怖が入り交じり声を荒げてしまう。

 街ひとつを容易たやすく消し去る力を持つ敵を目の前にして、

 計り知れない絶望感を確かにいだいているものの、目的を知りたかった。

 いや、聞き出したかった。

 相手を怒らす事になっても、歯向かっても、敵わないとわかっていても。

 しかし、そんな必死な隊長にさえ無慈悲な瞳を向ける女騎士。

 見下みくだすような冷酷な瞳に慈悲という光はなく、ただ冷たく見下ろしていた。

 不意に、喉から笑い声がクツクツと零れ、とても小さな笑い声が届いて聞こえた。


 「な…、何がおかしい!」


 「可笑しいさ…。

  微力しか持てぬままのアナタがそのような事を知って何になる?

  その矮小わいしょうな力で私を――、東を止めるか?」


 瞳だけでなく、声も言葉も急激に冷たく放たれた。

 口調もガラリと変わり、威圧的になったのは誰でもわかる。

 そう……これが本性か、と。

 多少とはいえ、小難しくも圧倒的な気迫を持つ言の葉達…。

 やはり、ただの傭兵などではないと確信する。

 向けられた冷たく鋭い刃のような言葉を受け止め、

 体に力を込めれば女騎士を見上げて睨み付けた。


 「確かに俺は弱い。だが、俺には仲間がいる!

  アンタみたいな、人の仲間を持たない奴とは違う!」


 「ッ」という声が小さく零れ、隊長の言葉に顔を歪ませた女騎士。

 その表情は怒りではなく、どこか物悲しそうに見えた。…気がする。

 明らかに、たった少しとはいえ女騎士に隙ができた。

 今この場で戦ってもほぼ確実に負ける、それはわかっていた。

 だからせめて安全に逃げられるよう隙を突き、

 その隙に倒れたままのカレンとフォルテを救出し、逃げようと画策していたのだ。

 思わぬ所で隙となったものの、二人を救出する為に動いた医療班。

 しかし、そんな存在は気にも止めず女騎士の口が小さく動く。

 また冷たい言葉が刺されるのかと身構えた隊長と兵士達。

 スゥ…と深く息を吸えば隊長一点を射抜く。

 控えめで小さな呼吸だった。だがそれは、思ってもいない声を導き出した。


 「笑わせるなッ!!!!!」


 ビクッ、と誰も予想できなかった女騎士の荒げた声に、思わず肩が跳ねてしまった。

 突然の大声に恐怖を越え、唖然としてしまうアルメリア軍。

 救出に向かった医療班も、あと少しの所でそれ以上近寄れなくなってしまう。

 雰囲気が本気だ。下手をすれば二人ごと全滅させられるかもしれなかった。

 その様子を全く気にすることもなく、

 ただ純粋に怒りをあらわにし睨み付ける女騎士だが、

 やはりどこか内心は悲しみをいだいているように悲痛な様子も伺わせた。

 その姿はただただ何かを想いかばう、まるで庇護者ひごしゃのように見えた。


 「生きて見える人しか信じられぬアナタに、何かを守れるものか…!

  生き、見え、触れられる者しか人と言えぬアナタになど、何がわかるッ?

  何が守れるッ!!?」


 怒りのままにただ訴えかけられる言葉。

 正直、彼女が何を言っているのかはわからなかったが、

 その〝人じゃない何か〟を庇護ひごする姿勢は本気過ぎて身震いする。

 例えわからなくても、言葉の本旨である〝何か〟を、

 直接心と頭に響くよう訴えられた言葉がぐるぐると頭を回る。

 ただし、ひとつ思い当たる事は目の前にある。

 人じゃない何かを庇護ひごする、その意味。

 それは、この屍達を指しているのではないかと。しかし確証はない。

 誰も反応が叶わず呆然と立ち尽くす中、雪原の雪が動いた。


 「ウゥゥ!!」


 「!?」


 怒りが感覚を支配し、反応が遅れた女騎士に異形いぎょうのリーダーが一足先に声をかけた

 その直後、ガキイィィンッ!!という鉄同士がぶつかる音が場を貫く。

 辺りには物が動いた時に起きた粉雪が舞っていた。

 視界が悪く状況がわからないが、女騎士側に何かが起きたのは確かだ。

 徐々に粉雪が晴れ始め、その間から黄緑の髪と赤と黒の所々裂けた服がなびいていた。


 「相変わらず…お前の言葉はよくわからんな…。

  オレに〝アナタは幸せ者だ〟と言ったり…。どういうつもりだ…?」


 もう一度鋭い音が響くと二人は距離を取って立つ。

 飛びかかった男は、先程まで倒れていたフォルテという男性だった。

 明るい黄緑の髪を高い位置で結び、

 黒地に赤黒い炎のような柄が裾に入った所々ボロボロな袴を着ている。

 その一風も二風も変わった容姿に輝く瞳は深紅あかく、

 紅蓮の炎のような色を宿していた。

 医療班は辿り着けずにいた為、何もしていない。

 ただフォルテが自ら意識を取り戻したのだろう。

 距離を取り静かに睨み合う二人。

 すると、足元から顔まで見上げていき、目が合う所で視線を合わせる女騎士。


 「…死神となれたなら幸せだ。と、そのままの意味だ。

  …死してなお、ちゃんとした生人イキビトの体があるのだから。

  人として見てもらえる幸せが――…」


 その途端、急に言葉を止めて目を逸らす。

 ふと女騎士の怒りは鎮まり、悲しみのみが残る表情のままだった。

 そこへ、上空から空気を裂く音と共に、女騎士の頭上へ影が落ちてくる。

 すると上空を見ることもなく、悲しげに伏せられた瞳を閉じポツリと呟いた。


 「――あるのだから…。」


 手にしていた大剣をそのまま地面に突き刺すと、

 一瞬にして異空間が辺り一面に展開される。

 一番近くにいたフォルテはもちろん、兵士達も全員異空間の中にいた。


 「ぐっ!?」


 誰の声かもわからないくらい、ほぼ全員が一斉に声を上げた。

 その理由は明白だった。

 地に着いていた足は地から離れ、身体が浮き上がっているのだ。

 まるで、急に無重力空間に放り投げられたように身体の自由が利かない。

 異空間は青白い球体の光に包まれており、自分達はその球体の中に捕らわれていた。

 もちろんこの球体の中に、しっかりと地面に立つ女騎士の姿があった。

 その足元や周囲の異形いぎょうの者達には青白い光が無く、

 術者の捕らえたい意思やモノ、敵対象に反応しているのだとわかる。

 先程落ちて来ていた上空の影の存在も、停止させられ浮き上がっていた。

 その影の正体は、カレンと呼ばれたあの少女。

 濃い緑の髪を肩下まで伸ばし、上髪だけを高い位置で結んだ、

 白スミレの花のような柔らかい薄紫の瞳をしている。

 少しみんなと離れた高い位置で停止を食らったカレンに、

 女騎士も剣から手を離しては浮き上がり近寄った。


 「な…、なに…?」


 つい恐怖から身を震わせてしまう。

 すると、女騎士はカレンをじっと見てから口を開いた。


 「そうか、アナタはあの時の…。

  …グランヴァルを密偵するなら、

  どんなに恐ろしいものを見ても声を上げない強さを持つんだな…。」


 「えっ? …きゃっ!?」


 言い終えると同時に、女騎士は後ろからカレンの腕を片手で掴み、

 もう片手を背に置く。


 「オイ!テメェ、カレンに何す――」


 「受け止めろ。」


 「ぅおッ!?」


 ぐんっ と一気にフォルテ目掛けてカレンを押し出すと、

 そのままの勢いでフォルテの腕の中にカレンがすっぽりと収まる。

 バランスが悪く体勢が揺らいだが、それでもフォルテはしっかりと受け止めた。

 そう、以前グランヴァル城内で暗殺者との戦闘があった時の事を

 覚えているだろうか?

 あの戦闘の後に、短い悲鳴を上げて逃げ去ったもう一人の密偵…

 あの暗殺者こそカレンだったのだ。

 女騎士の周りの光が弾けると、しっかりと地に着地し、

 地面に突き刺さる剣の後ろに再び立ち構える。

 大剣の柄を左手で握り目を閉じた時、青白い光が一瞬だけ白く輝き強さを増す。


 「アンタ!何するつもりだ!?」


 表情から血の気が引いた隊長が精一杯に叫ぶ。

 今のこの状況では、全滅させる事もあの女騎士には容易たやすいだろう。

 嫌な冷や汗が首を伝い落ちていく。

 しかし、その隊長の言葉を完全に無視し、女騎士は右手を左側に構え深呼吸をする。


 「おいっ!何するつも――」


 「さあ、アナタ方にはお帰りいただきましょうか…。」


 「なに!?」


 右手を左側へ構えたまま、腕越しに鋭い瞳が覗く。

 だが、その口が告げた言葉は予想外のものだった。

 この人数全てを帰すというのだ。

 もちろん、この人数全員を魔法で帰す力も十分信じ難いが、

 それよりも、アルメリア軍やカレンとフォルテ、

 誰も撃破せず無傷で帰すということの方が不可解だった。


 「誰一人殺さず帰すのか?何故だ?

  敵兵を潰さず帰すということは、相手に再起を与えるということだぞ!?」


 今すぐにでも言葉を交わすこの場が終わりそうな中、

 今しかないとばかりにフォルテが少し早口に問いた。

 その言葉すら無視されるかもしれないと思ったが、

 女騎士もそこまで無言を貫くつもりはないらしい。

 むしろ、今とばかりにその言葉に返す。


 「…再起?できるものならやってみろ。

  だが、今回は〝北国リュースを滅ぼせ〟としか言われていない。

  それは今、この場をもって完遂した。

  …勘違いするな。敗退は――、アナタ方だッ!」


 言い切ると同時に、勢いよく右手を振り払い力を放った瞬間、

 空間が白く強い光を放つ。

 辺り一面が白い光で包まれ、目を開けていられずに視界を奪われる。

 徐々に光が収まっていき球体が小さくなっていくと、

 眼前にいたはずのアルメリア軍とカレン達、全員の姿がそこから消え失せていた。

 女騎士は、力の収まった体で一息つくと、地面から剣を引き抜く。

 そのまま無表情で、

 言葉も何ひとつ発さずに無に帰した雪原を静かに見つめていると、

 すすす…っ、と異形いぎょうのリーダーが近寄っては同じ景色を眺める。

 少しだけ控えめに、こっそりと、それでも強く拳を握り締める女騎士の手に気付き、

 理由をわかっているのか、ただ静かに寄り添っている。


 「…やはり慣れないな…、あの日の事を思い出す…。

  守らなきゃいけないのに守れなくて…、何もかも傷つけられて…。

  ………何もかもを失った――、………あの日を………。」


 沈んだ声が零した言葉を無理矢理飲み込むように、

 クッと苦しい息ごと飲み込んで顔をしかめたが、

 それを隠すように身を返して歩き出す。


 「…もう行こう、ドール…。…私達にはまだ…やることがある。」


 〝ドール〟と呼ばれた異形いぎょうのリーダーはどこか心配そうに一度だけ鳴くと、

 足早に行ってしまう女騎士の後を追いかける。

 その頃には――、街を喰べていた他の異形いぎょうの者も既にその姿を消していた…。




 一方の北東を支援しに向かったアルメリア軍第二部隊は、

 無事に東軍を撤退させ北東の防衛を完遂させていた。

 しかし、北国の様子を偵察に行っていた部隊により告げられた、

 国が丸ごと無くなったという衝撃の事実に混乱を隠すことはとても出来なかった。

 アルメリア軍第二部隊の軍師は、そのまま北東軍には療養と街の防衛を維持させ、

 自分達は仲間の無事を祈りながら作戦完遂の報告と、

 国が消えたという衝撃の報告を伝える為、帰国を目指す事とした…。




 ~第四章へ~


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