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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第一幕:崩落の日常
4/26

【第二章】不穏なる者

 

 ラルファースと別れたルキアとアルメリア軍は、王国に無事帰還する。

 帰還してすぐにルキアは、自分で見て体験した事、グランヴァルやラルファースの事を報告する為に謁見えっけんにいた。

 玉座に腰掛け、少しツラそうなまま話を聞くのはオーシャン。

 その隣には、リオンと少女が立っていた。


 「そうか、バイドのヤツも倒れたか…」


 話すのすら少し苦しそうにオーシャンは小さく呟いた。

 その様子を隣で見ていたリオンは、心配そうに目を伏せては小さくため息をつく。

 東の皇帝を心配しての意味もあるが、今はその意味を隣へと持っていってその人物を見据える。


 「父上も倒れる前に休んでくださいよ?

  さっきまでツラそうにしてたっていうのに、

  報告を聞く為に起きて来られるなんて…」


 そう、先程までオーシャンは体調を崩し眠っていたという。

 それなのに報告を聞く為、と無理に起きてきたというのだ。

 そんな無茶を平気でする父を看病していたのが、このドレスの少女。

 淡い紫色の髪を肩で緩く巻いて揃え、水色の瞳を持つ可愛らしい少女だ。

 このアルメリア王国の王女で、リオンの妹、エクナリス・マーティンス。

 通称エクナ。

 無邪気で天真爛漫な明るい性格をしているが、今はその顔に悲しみが浮かんでいた。


 「ラルファースが指揮官だったなんて…。

  戦争をあんなに嫌ってたのに、どうして…?」


 今にも泣きそうな表情と震えた声で言う姿を見ると、おそらく誰よりもショックを受けているようだ。

 そんなエクナの言葉にいち早く反応を返したのはルキア。

 それは誤解を解くかのような、慰めるような、優しくも力強い口調で言葉を選ぶ。

 この場で唯一証言できるのは、直接会った自分だけだから。


 「エクナ、違うんだ。

  ラルファースは自ら進んで軍師になったワケじゃない。

  東の…ある人に言われたんだろう」


 「ある人…。

  それがお前の言う、今の東を統べる存在なんだな?」


 ルキアの言葉にリオンが素早く返す。

 普段の丁寧な客人への口調ではなく、日頃使い慣れた私語で話していた。

 おそらくコレがリオンという男の本来の個人の姿、本来の口調なのだろう。

 ルキアも同じだ。

 以前からルキアは王族にすら『様』や『殿』などを全く付けず呼んでいる。

 この理由、実はルキアが初めて彼らと出会った時まで遡るのだが、オーシャンやリオン達自らが「呼び捨てでいい」と言った為だ。

 のちにここにバイドとラルファース達が加わった。

 その過去の話はいつか改めて話そうと思う。

 いつもの口調のリオンの言葉に、ルキアが静かにハッキリと頷くと、リオンは不意に声のトーンを落とした。


 「だけど、それが誰なのかはわからなかったと」


 急に、何となく嫌味っぽい響きを持ってそれは発せられた。

 その何とも言えない敗北感を感じつつ、ルキアは渋々もう一度頷いた。


 「へえ…」


 物凄く静かに呟いたリオン。

 ルキアが渋々頷く姿を見て目を細め、口元は微かに笑っているように見える。

 嫌味だ。明らかに。

 軽く笑いながらも、嫌味を含んで言い切ったように聞こえた。

 その態度、言葉にルキアの何かが切れた音がした。…ような気がする。

 見下みくだすように視線を投げてくるリオンに対して、ルキアはしっかりと目線を合わせて強く睨み付けた。


 「つまり何ですか、リオン王子様?

  お前は、ラルファースの首根っこを掴んででも聞き出せと、

  そう言うんですかねえ!?」


 「俺の親友にそんなことしたら、お前を罪人として吊し上げるぞ」


 「だったらそんな理不尽な嫌味言うんじゃねえよ!

  だから王子らしくないって――」


 「お前みたいな女っぽくない奴に、“らしくない”なんて言われたくないな!」


 「ぐっ、テメェ…。

  その嫌味な態度が二度と出来ないように、刀の錆にするぞ」


 「お前こそ、その失礼極まりない思考の頭を、竜に(かじ)らせるぞ…?」


 ギリギリと二人は睨み合ってはうなっている。

 物騒だ、物凄く。

 だが、別にこれは珍しくなどなく、いつもの口喧嘩である。

 こんなことを言い合っていても、決して仲が悪いワケではないのがまた不思議だ。


 「まあまあ、痴話ちわ喧嘩げんかは後にして…」


 「「ちわ…ッ!?」」


 オーシャンが笑顔でサラリと言い二人を制すると、二人とも息ピッタリに返してくる。

 『喧嘩するほど仲が良い』とは、二人の為にあるように思えてしまう。

 二人が渋々静かになるのを見計らって、オーシャンは真剣な顔付きに戻る。


 「つまり、今のグランヴァルを統べるのは“あの人”。

  しかし、それが誰なのかはわからない、か……」


 ふむ…と小難しい顔で腕を組んでは考えていた。

 しかし、すぐに考えるのをやめ、顔を上げればただ強く頷く動作をした。

 その顔はどこか安心したような、とても穏やかに笑っているようだった。


 「バイドが仕組んだワケじゃないってわかっただけで安心だ。」


 病に倒れた最近は失われていた、穏やかで優しい微笑みを浮かべ、オーシャンは表情と同じくらい優しく、安堵のため息ごと吐き出すように言った。

 その彼の穏やかな表情は、周りの張り詰めていた空気すら和らげてしまうものだった。

 本当に仲が良いんだなと感じ、オーシャンの大きく優しい人柄すらわかるくらいだ。

 リオンやエクナ、ルキアもつられるように微笑みを浮かべる。

 久々に感じる和やかなムードの中、リオンはふと気付いては笑みを消して話を続けた。

 まだ安心などできないと、わかっているから…。


 「一番危険なのはあいつか。

  ラルファースが逃げて来た場合はこちらで保護が出来るが、

  こちらから出向いて保護すれば、誘拐とされるだろうしな…。

  それに逃げられるか? ルキアの攻撃を防ぐ怪物がいたんだろ?」


 割と真剣に話して言った言葉だったのだが、突然ぷっ、と笑う声が聞こえた。

 もちろん、ルキアだ。

 リオンが“怪物”と称してきたその言葉に、思わず吹き出してまで笑ってしまう。

 ちゃんとした“人”で、“女性”だと言ったのに、リオンがそう称してきたからだ。

 もちろん、他の三人は何故ルキアが笑っているのかがわからず、不思議そうに顔を見合わせていた。


 「実力は確かに怪物並みだけど、怪物なのはその戦闘能力だけだよ」


 くすくすとまだ笑いの残る声で伝えると、再び三人は首を傾げる。


 「どういうことだ? 恐れるべきは力だけだと?」


 誰よりも先に、“怪物”と称した張本人のリオンが聞くと、笑みを浮かべたままのルキアは、彼女の姿を思い出しながら言葉を繋げていく。


 「パッと見じゃ、とても怪物なんて思えないよ。

  その戦闘力(ちから)を見て初めてそう思うはず。

  外見は同性から見ても、ものすごく綺麗な人だったよ」


 あの力は脅威だったものの、少しだけ懐かしむように言う。

 おそらく本心からそう思ったのだろう。

 実際に初めて姿を見た時に、異様な雰囲気と共に綺麗な人だと思っていた。

 だからこそ印象強いのだ。

 その様子を三人は見ていて、リオンは「ほお?」と小さく声を出すも、それほど興味はなさそうだ。

 しかし、残る二人は急に笑顔を浮かべていた。


 「同じ女性のルキアくんから見ても、そんなに綺麗な人だったのか…」


 興味があるかのような響きを持ってその声は発せられた。

 その声のぬしはもちろんオーシャン王である。

 無類の女性好き…ではないのだが、美しい女性に興味がないと言えば嘘になるらしく、何かしら敏感に反応するのが彼である。

 今、そう言った彼の表情からしても、会いたいと言い出しそうな勢いである。

 そんなことわかりきっているからこそ、一足先にルキアは先手を打つ。


 「ただ、かなり厄介な相手には違いないけどな…」


 ルキアのその一言に、三人は改めて警戒を心に留めた。

 それにはさすがのオーシャンも、続く言葉を飲み込んでは沈めたようである。

 油断はできない。

 もしその者が本気で動くようになれば何が起きるかなどわからない。

 つまりは、グランヴァルを本気にさせることがかなり危険な状況である、と突き付けられたも同然だからだ。


 「まあ、昔から美しい花にはトゲがある。と言うじゃないか!」


 突然明るく豪快な声で言い放つオーシャン。

 ルキアの先手の一撃は案外早くその効果を失くした。

 楽観的にもほどがあるというか、オーシャンらしいといえばそれで片付けられてしまうのだが…。

 不意打ちを食らい、一気に緊張感を失ったリオンが盛大にため息を零す。


 「もう、父上。…寝ててくださいよ」


 息子から父へ辛辣しんらつな言葉が紡がれたが、当の本人は全くのスルー。

 エクナも笑い出すもんだから、リオンが黙らざるを得なくなり頭を抱えた。

 実はエクナもかっこいい女性に憧れをいだくせいか、オーシャンと話の馬が合う時が多いのだ。

 そんな他愛のない会話で盛り上がる王族の会話を聞いていて、ルキアはふと何かに気付いたように、彼らから視線をらして呟いた。


 「トゲ、か。

  そういえばあの女性(ひと)も…薔薇を思わせる外見だったな…」 


 ルキアはふと、そんなことを思っていた―――。




 静かで風の流れる室内。

 綺麗に物が整った部屋は、持ち主の几帳面さを感じさせる。

 豪華な装飾や高級な家具が並んでいるが、あまりにも整っており生活感がない…。

 そんな空間に二つの影があった。


 「…此度こたびの領土進行は、アルメリア軍の援軍により敗退いたしました」


 「…そうか…」


 その影は先の戦の話をしていた。

 しかし、戦といってもその声色はどちらも静かで、刺々しさは微塵にも感じさせない。

 一人は、寝台の上で上体だけ起こして話している男性。

 もう一人は、その寝台の傍で立ったまま話す“あの女性”…薔薇の騎士だった。

 寝台へ背を向けたまま、食事を運ぶワゴンをいじっていた。

 ここは、この寝台の上の男性の部屋で、今は食事中のようだ。

 といっても量は少ししか減っておらず、あまり食べていないのが一目でわかるくらいだ。


 「すまんが、もう…いい…」


 フォークを置き、小さく呟くように男性は言う。

 かなり弱った様子で顔色も決して良いとはいえない。

 男に片付けを催促する声を掛けられてやっと振り返ると、その皿を見た女騎士は、珍しくギョッとしたように表情を崩し驚いていた。

 そして、視線を皿から男性へと流して捉える。


 「し、しかし、まだ全然召し上がっておりませんが…?」


 微かに揺らいだ音で紡がれた言葉。

 その通りだ。一目でわかるくらい、数口分しか減っていない。

 大の大人、しかも大柄な男が食べる量にしては少なすぎるくらいだ。

 女騎士の言葉ももっともだが、男性は気分が悪そうにうつむき、目を伏せていた。

 これ以上口に運ぶ気配すらない。


 「胃が受け付けなくてな…。…すまん…」


 「…バイド陛下…」


 そう。この弱り切った男性こそが、本当のグランヴァル皇帝…

 バイド・アガルタ。ラルファースの父親だ。

 少し灰味がかった金髪を伸ばし、後ろでひとつに結んだ、夕日色の瞳を持つ者。

 オーシャンとは旧知の仲で、二人揃って大柄で病気知らずと有名だった。

 そんな王がここまで弱っている。そんなことを誰が想像できるものだろうか。

 少なくともバイドを知る人間からすれば、想像など簡単にできないだろう。

 もう何を言っても食べる気のないバイドを見て、女騎士はカップとティーポットを手に取った。


 「…では、これだけでも召し上がってください」


 そう言えば、淹れたての紅茶が入ったカップをソーサーに綺麗に置いて渡す。

 手慣れているその手付きは、相手を思いやる気持ちを感じさせるが、元はどこかの使用人だったのだろうか?


 「ああ、これはいただこう…。毎回、ありがとう…」


 弱っている体ながら、ふわりと品の良い笑顔を向ける。

 それがとても儚く見えるのは状態が状態だからだろう。

 バイドは紅茶の入ったカップを受け取るとゆっくりと飲み始めた。

 毎度、食事の時には必ず飲んでいるらしい。

 もちろんその紅茶を毎回淹れているのは、この女騎士だ。

 何故か、控えめだが じっ と紅茶を飲むバイドの姿を、感情の見えない表情で見つめる女騎士。

 そんな時、ふと、バイドが紅茶を飲む手を止めて何かに気付く。


 「ん…? 今回のは、ハーブか何か…、か?」


 「…はい。グラスローズという花を煎じ淹れたものです。

  薬草の一種で、薬の効果を高める薬煎茶(やくぜんちゃ)です」


 一瞬、女騎士はバイドの声にハッとしたように目線を逸らした気がした。

 だが、それを隠すように、何でもなかったように淡々と説明をした女騎士の様子は、もう普段通りのものに戻っていた。

 王室にグラスローズの柔らかなハーブの香りが漂っており、花の柔らかな香りとハーブの爽やかな香りを、静かにじっくりと紅茶と共に楽しむ。


 「グラスローズか…。…良い香りだな…」


 ぽつりと目を細めて微笑む。

 優しい味と柔らかな香り、温かい温度が体を癒していく気がした。

 じっくり堪能すれば何かを吹っ切るように、飲み干したカップを傍の机に戻し、次に乱暴に薬を口に放れば水で流し込んで、そのまますぐに布団へ倒れるように埋もれた。

 女騎士が一瞬「?」と不思議そうな顔をした気がするが、バイドはそのまま片腕を顔の上に置き、目元を隠すような姿勢で動かなくなり、じっとしてしまった。


 「………………」


 女騎士は少しだけその姿を見てから目線を外し、ただ静かに片付けを始める。

 王室には、片付けの際に食器同士がぶつかり合い発せられる、小さくもカチャカチャという音しか耳に届かない。

 他の音は存在を消されたように何も聞こえない。

 おそらくこの片付けの音が消えてしまえば、息の音しか聞こえない静寂の空間となるのだろう。

 開け放たれた窓の外も静かで、風すら吹いていなかった。

 そして、そろそろその食器の音も収まっていき、この王室が再び無音の世界に閉ざされようとしていた。


 「―――なぁ……」


 無音の世界に帰する寸前にバイドの口が小さく開いた。

 あまりにも絶妙なタイミングだった為、たったその一言だけでもとても大きな存在感を持って聞こえる。

 片付け途中の女騎士も、その存在感のある声に全動作を止めてバイドを見た。


 「私の息子…。…ラルファースは、元気か…?」


 バイドは相変わらず腕で目元を隠したままだった。

 表情はよくわからないが、子を想う父親らしく、心配そうに女騎士に問いかける。

 その質問の意味に対してか、バイドに対してか、決して耳に届かないくらいの小さなため息を零す。


 「…皇子は、戦争は嫌いだと仰っておりました。

  先の戦でも、大変その御心を痛めておりましたよ…」


 無表情で感情の見えない淡々とした声で言った騎士だったが、すべてをわかっていた。

 バイドの言う『元気』とは、戦争で『心』を痛めていないか心配という意味だということを。

 しかし、その女騎士の答えに応えることなくバイドは黙ってしまった。

 その姿を見て女騎士はさらに続ける。


 「…人は、誰しも本心では殺し合いなどしたくないものです。

  それに何より、皇子は優しくまだ若い…。

  戦争など、本当は――」


 「キミもか?」


 まだ話の途中、しかも先程まで黙っていたバイドが急に割り入ってはそう短く言った。


 ―――“キミ『も』”…。


 その言葉にどんな意味があるのかわからず、女騎士は思わずも硬直してしまった。

 その表情は、何か怒りと苦しみを一気に噛み砕いたような複雑な表情をしていた。

 もちろん、目元を隠すバイドにそれは見えていない。


 「キミも、戦争は嫌いか…?」


 バイドの意図も表情も、隠されていて全くわからない。

 だが、女騎士は何かを感じ取ったのか、表情を戻せば片付けのしまいに取りかかる。

 バイドには完全に背を向けたまま、こっそりと小さく、その口を静かに開いた。


 「…私も同じですよ。戦争など無くなるものなら無くしたい。

  …………だから私は、無くす為に動いている…………」


 ぼそりと最後に放たれた言葉は小さく呟かれ、バイドの耳に届かず消えた。

 それがどんな意味なのか、それは誰にもわからない。

 女騎士の表情も影に落ち、読み取ることは叶わなかった。

 その返事から少しの静寂が過ぎた時、突然バイドの口から苦しそうに詰まる息が漏れた。


 「陛下…!?」


 苦しく詰まったような息が聞こえ、女騎士はすぐに振り返り声をかける。

 だがそれは全く別のものだった。

 目元は隠されている為表情はよくわからないが、下唇を噛みしめている。

 それに、微かに肩を震わせていた。

 その様子に気付いた女騎士は、驚き振り返った勢いを鎮め、ただ静かにバイドの言葉を待つように口を閉ざす。


 「……無力な王だな…、私は……」


 震える唇から放たれた言葉も小さく震え、苦しみをも感じ取れる。

 すると、言葉の終わりを見計らっていたかのように腕の影から水滴が零れ、頬に一筋の跡を残して伝い落ちていった。


 「…息子やキミ、国民や兵も国も…。

  ここに生きる命が…みな苦しんでいるというのに、私は何もできない…っ。

  ただ毎日ここから天井を見上げてばかり…。

  見るべきは地だというのに、私は…っ、何もしてやれない…ッ!」


 病にその身を侵されているからか、声に力はなく、悔しそうな声だけが切なく響いた。

 だが、その悔しさと無念さ、怒りすらもその言葉で酷く伝わって来る。

 これが東の皇帝バイドの本来の姿。

 国の未来を考え、民を想う、真に強く真に真っ直ぐな王としての姿。

 息子のラルファースが戦争嫌いで優しいように、その父もまた平和を愛し、民の為に命をかける男なのだ。

 悔し涙を流し苦しむバイドを見て、女騎士は最後の食器をワゴンに片付けた。

 そのまま完全に向き直らずに立つその表情は、変わらず影に落ちたままだった。


 「…大丈夫ですよ。その心配もすぐ、―――必要なくなります」


 表情が全く読み取れない。声色も無機質で感情が無い。

 何を伝えたいのか、どんな意味なのかもさっぱりわからなかった。


 「…今のは、どういう…?」


 涙を拭い、やっと表情を見せたバイドが驚いたまま問う。

 しかし、女騎士の表情はもういつものに戻っていた。


 「…さあ、もう休まないと治るものも治りません」


 いつもの声色、いつもの表情でバイドに布団を掛け直す女騎士。

 先程の存在は本当に今の彼女だったのか?

 そんな錯覚すら起こしてしまう気がしていた。


 「き、キミは一体……」


 「それでは、失礼致します」


 王の言葉を遮って、そのままワゴンを手に部屋から立ち去っていった。

 最後に見たその横顔は、不敵な笑みを口元に浮かべているように見えた―――。




 「ラルファース皇子様のご帰還です!」


 女騎士がワゴンを戻し、廊下を歩いていた時、兵士の一人が声高らかに叫ぶ声が聞こえ、集まっていた兵士達が一気にざわめき出す。

 この国の皇子の帰城に備え、兵士達大勢が迎える体制を敷いているようだ。

 その中を、ラルファースが後ろに二人の臣下と軍を引き連れ、堂々とした面持ちで歩みを進めている姿があった。ざわめいていた兵士達は、残存の兵の多さに一気に歓声へと声を変えて盛り上がっていた。

 これでも敗戦だったとは、もちろん全員に伝わっていたはずなのにこの歓迎ムードだ。

 まるで、敗戦でもその被害の少なさにラルファースを賞賛するかのように。

 そこへ、一人の兵士がラルファースに歩み寄っていった。


 「皇子殿下、先の戦の指揮お見事でした。

  急な用なのですが、“あの方”がお呼びです」


 “あの方”という単語が出た瞬間、ラルファースの表情が一瞬強張ったように見えた。

 しかしすぐに表情を戻せば、ひとつ大きく頷いて見せた。

 その様子を別の通路から静かに見ていた女騎士。

 その瞳はただまっすぐにラルファースに向けられていた。

 表情はなくただ真剣に。何を想い、何を見ているのか。

 優しく見守る眼差しなのか、冷酷に監視する眼差しなのか。


 「騎士様」


 不意に背後から声がかかる。呼ばれた女騎士は完全には振り返らず、少しだけ肩越しに振り返り兵士の要件を待つ。


 「“あの方”がお呼びです。謁見えっけんに来いと…」


 「…わかった」


 短く返事を返すと、一度だけ視線を兵士から外す。

 その目線に気付いた兵士は首を軽く傾げるが、そのまま女騎士は視線をラルファースの方へ向けた。


 「…この国は、例え敗戦の軍師でも、皇子の帰還をこんなに喜ぶのですか?」


 急に向けられた敬語に兵士は一瞬ドキリと硬直した。

 しかし、すぐに言葉を理解すれば兵士は笑みを浮かべて答える。


 「はい。我が国や軍は、

  バイド様とラルファース様のおかげで成り立っていますから。

  お二人は何より大切な方です」


 本心から浮かぶ笑顔と声色から、本当にそう思って発せられた言葉だとわかる。

 何より、二人のことを話すこの兵士はとても楽しそうで嬉しそうだ。

 すると、視線がラルファースの方へ向けられている為その顔は見えなかったが、小さく ふっ と笑うような息遣いが聞こえた気がした。


 「…そうですか」


 短く返事を返すと、今度はくるりと身を返して兵士の真横を横切っていく。

 その去り際に兵士は肩にぽんっと手を置かれて、一瞬とはいえビックリしたような顔をしたまま、去り行く女騎士の後ろ姿を目で追っていた。


 ◇


 帰還を果たした軍の二人、その二つの足音と話し声がグランヴァル帝国内の廊下に響いていた。


 「おい、あれってどういうことだ?」


 「知るかよ。

  だが、あの皇子と中央の侍がいたってことは、情報を流してんじゃねえか?」


 二人の兵士は静まり返った回廊を歩く。

 人通りの無い場所で、ヒソヒソと話す声が響いて聞こえるくらい静かな場所。

 それでも二人は情報を掴んだせいか、楽しそうにニヤニヤと笑みを浮かべて話している。


 「つーことはだ!これを見つけたオレらは大手柄か?」


 「かもしれねえな。

  こんな貴重な情報持っていけば褒美ももらえたりして?

  なんせ皇子様が裏切りだぜ?」


 こらええ切れずゲラゲラと笑う二人の兵士。

 北東の戦場で、ラルファースとルキアが共にいたのを目撃した兵士だった。

 今回のラルファースの戦結果は敗退。

 それに続き裏切りなんて知られれば、確実に身は危ぶまれるのは誰にだってわかること。

 それはもちろん、この二人の兵士もわかっている。


 「こんなことが知られたら、皇子様、殺されたりして?」


 「さすがにそれはねえだろ。

  ただ“あの人”から、少しでも不審な動きがあれば伝えろって言われてたしな。

  何がどうあれ、報せるべきだろ?」


 「そうだな。へへへ…じゃあ行こうぜ」


 嫌らしい笑みを零しながら、二人は“あの人”の所へと向かって行った。


 ◇


 一方のアルメリア城は、やはりグランヴァルの事で話が持ち切りだった。

 同時に警戒と対策や対応、全てを早めに決めようと話し合っていたようだったが、今はどこか明るい声が耳に届く。


 「へえ〜、あかい髪に緑のの美人騎士…」


 エクナだ。

 どこか、未だ見たこともないその姿を自分勝手に想像し、一目見てみたいとでもいうような憧れを感じさせる。

 その相変わらずの危機感のなさに、実の兄のリオンはハッキリとため息を零した。


 「エクナ…。…敵だぞ?」


 ピシャリとリオンの冷たく低い声が一喝した。

 すると、エクナはハッとしたようにその明るさを消してはうつむいてしまう。

 しかしその、“一目見たい”と思っている危機感のない人物はもう一人いる。


 「いやしかし、そんな綺麗な人なら見てみたいじゃないか!」


 豪快に笑いながら言う。そう、忘れてはならないこの男がいる。

 喜怒哀楽のコロコロとした変わりよう、明るく好奇心旺盛なさま

 エクナは、オーシャンとよく姫君なのだ。

 意気投合した二人はまるで「ねー。」とでも言うように顔を見合わせて笑っていた。


 「まったく、この父娘おやこは…」


 リオンがやれやれと、しかしどこか微笑ましそうに呟く。

 その相変わらずの様子を見ればルキアも静かに笑っていた。

 もし今が戦争中でなければ、この笑顔はいつまでも保たれるのに、と誰もがそう感じ思っていただろう。

 すると、そこへ奥の部屋から黒髪の女性が出てきては駆け寄ってくる。


 「オーシャン様!

  お休みになっていてくださいと、あれほど言ったじゃありませんか!」


 「ああ、すまんな…。ライア」


 カツカツとヒールの靴を軽やかに鳴らしながら、ライアと呼ばれた女性は小走りに駆け寄る。

 オーシャンの横へ辿り着けば、両手を腰に当てて少し怒っていた。

 頬を少し膨らまし口を尖らせている。

 が、そんな顔も可愛らしいという言葉が似合う顔立ちで、何よりスタイルの良い女性だった。

 長い黒髪は柔らかく巻いてあり、瞳は綺麗な桃色をしていた。

 顔立ちは可愛らしいのに、その姿は妖艶なほどに美しい女性だ。

 膨れた顔の瞳がふと客人を捉えると、ふっと表情を柔らかい笑みに変えた。


 「あら、ルキアちゃん」


 名前を呼ばれたルキアは、視線を逸らしては少しだけうつむいた。


 「お、お邪魔してます…」


 たったそれだけの短い挨拶程度だったが、ライアは満足したようににこっと笑った。

 すると、オーシャンが観念したように部屋に戻ろうと席を立てば、ライアがその肩を支える。

 彼女は、今のオーシャンの身辺の世話をエクナと共にする、いわば家政婦だ。

 部屋でちゃんと休むように言い付けたのに、ちょっと目を離した隙に逃げられたので連れ戻しにきた。

 …そんな感じだ。


 「あっ。ルキアちゃんも、リオンくんも、エクナちゃんも。

  無理はしちゃダメよ?何事もほどほどにね」


 「俺達なら大丈夫です。それより父上をお願いします」


 「わかってるわ〜」


 ふわふわとした声と笑顔でそう言うライアと、ひらひらと片手を振るオーシャンは奥の部屋に戻っていった。

 すると玉座に座ったリオンが姿勢を崩し、完全に椅子に背を預けた体勢でぐったりとしてしまう。

 同じくルキアも盛大に、まるで止めていた息を完全に吐き出すように、長めのため息を吐いてから顔を片手で覆う。

 同時に零れたのは弱り切った言葉。


 「どこを見ればいいのかわかんねぇ…」


 ルキアがため息混じりに意味深な言葉を吐いた。

 その言葉に、エクナとリオンも二人揃って小さく頷いていた。


 「ふふ。とってもいい人で優しいんだけどね。」


 「ああ、いい人なんだが…まともに見れん…」


 似た口を揃えた二人。

 直訳すれば、大人の女性の色気が強すぎる、ということなのだろう。

 しかし、オーシャンの看病には本当に献身的で、みんなが忙しい時には一人付きっ切りで看ていてくれる、そんな人なのだ。

 だからリオンは安心して父を任せられ、今もこうしてここに座っていられるのだろう。


 「………よし」


 一息つくと、リオンはしっかりと座り直し、王子の顔に戻る。

 先程までの緩んだ雰囲気は一気に変わり、綺麗な翡翠の瞳には鋭い光を宿していた。


 「とにかく、東への警戒は解かず動向を見る。

  そして、いざという時にラルファースを保護できる体制を敷く。

  何よりも第一に、薔薇の騎士には気を付ける事。以上だ」


 リオンの力強い言葉と声に、ルキアとエクナは真剣な面持ちでハッキリと頷く。

 その後のアルメリアの体制は防御に向けられ、各国の情報を集めながら状況に応じた対応をし続けた。

 グランヴァルの情報はなかなか手に入らないが、だからこそ警戒を一時も解くことはできなかった。




 その頃グランヴァル城内では、謁見えっけんにラルファースが招かれていた。

 謁見えっけんの扉を開き、真剣で堂々とした様子と足取りで扉をくぐる。

 いつもの穏やかな控えめで優しい雰囲気ではなく、珍しいくらいの強い凛々しさを感じさせた。


 「お呼びでしょうか?」


 良く張った強めの口調だが、どこかかげりのある声でそれは発せられた。

 決しておびえても怖がってもいない、皇子の風格そのものを身にまとっていた。

 その視線の先には、今のグランヴァルを指揮する現・皇帝、“あの人”と呼ばれる男がいた。

 その姿は、月夜の部屋で謎の騎士と密談していたあの男だった。

 年齢のせいか白髪混じりで、その暗い灰色の髪にはウェーブがある、金の瞳の老人だ。


 「ああ、ラルファース皇子。よくいらしてくれました。

  まずは、先の戦のアナタの働き、見事であったとか」


 中低音のハッキリとした口調で、口元には緩やかな笑みを浮かべたまま男は言う。


 「いえ。働きはどうあれ結果は敗退…。申し訳ございません」


 男が真っ直ぐにラルファースの目を見つめる中、負けじとその目を合わせしっかりと答えれば頭を下げた。

 すると男は緩やかな笑みを、フッと目を細めた微笑みに変えて足を組む。

 …微笑み…なのだが、その笑みを見た時ラルファースの表情が一瞬強張ってしまう。

 一般的にいう微笑みは、柔らかいふわりとした笑みだと思う。

 しかし、この男の今の微笑みは、確かに目も笑い穏やかに見えるのだが、何か心にはとんでもない黒が渦巻いているような雰囲気がある。

 たとえ誤解であっても、それを感じてしまったラルファースの一瞬の表情を見逃さなかったか、偶然か。

 男は追い討ちのように言葉を続けた。


 「確かに敗戦でしたな。

  何せ中央軍が邪魔をしてきましたからね…。

  ―――そう、中央軍が…」


 やたら中央軍中央軍と言う男の表情はどこか笑い、笑いながらもどこか苛立いらだっているように見える。

 ラルファースは無意識に身構えては男を睨み付けていた。


 「中央軍の情報の早さも、援軍の早さも大したものです。

  ですが、ワタシが指揮官ならば援軍が来ても迎撃し、

  過去の友好条約など関係なく討とうとしますがねぇ…」


 ゾクリとするような眼差しと不気味な笑みを浮かべる男。

 その男の蛇のような、全神経にまとわりつくような雰囲気を持つ金の瞳に見入られ、ラルファースは凍りつく。

 まとわりつくのは全神経だけでなく、この謁見えっけんの空気、空間にも纏わりつき、嫌な空気へと姿を変えた。

 寒気と息苦しさがラルファースを襲い、いっそこのまま気を失って倒れてしまいたくなる感覚に陥る。

 不思議と男の瞳から、目を離せなくなってしまっていた。

 蛇が首にも巻き付き、今にも絞め殺されそうな感覚。

 無意識にも歯を食い縛り、嫌な冷や汗が首を伝い落ちる。


 ――この得体の知れない男を裏切るのは、こんなに恐ろしい事だったのか――…。


 そんな恐怖がラルファースの心を一瞬にして支配した。

 もし殺されそうになったら、ここから逃げ出してアルメリアへ行こう。

 そう思った時、脳裏に父が浮かんだ。


 「(そうだ。もし自分が裏切りで逃げたら父は…、…父はどうなる?

   病で弱った父が殺されてしまうのではないか?

   …裏切り者の自分の代わりに…)」


 今初めて味わう、絶望という暗く深い苦痛の闇。

 ラルファースは今、その絶望の渦中かちゅうに立たされていた。

 ツラくて、苦しくて、助けてほしい。息が苦しく汗が流れる。

 控えめに開いた口での呼吸さえままならなくなった時、男が口を開いた。


 「しかし、そうしなかったから我が軍は生還した。

  アナタの判断は間違っていなかったのです、さすがでした。

  今後も期待させていただきますよ」


 ………え? と、ラルファースは表情を緩める。

 一気に嫌な緊張や苦しみから解放され、きょとんとしてしまっていた。


 「え…あの…、それだけ、ですか…?」


 そのポツリポツリと呟かれた言葉に、今度は男が不思議そうな顔をして小さく首を傾けた。


 「ん? 他に何かあるのですか?」


 男が怪訝けげんな表情でこちらを見つめる姿を見ると、本当に何も知らないのだろう。

 その反応を不思議に思いながらも、どこか確かに安心した自分を感じると、ただ首を横に振った。


 「そうですか…。今回はそれだけです。

  お疲れの中、申し訳ございませんでした。」


 男の口から退室を許可されたが、ラルファースは動かなかった。

 ある疑問が心に残る形となってしまったからだ。

 動かずうつむいたままのラルファースを見て、男は不思議そうに首を傾げている。

 少しだけ、まだ震えの残る重い口を開いた。


 「あの…、あの女性って誰なのですか…?」


 「あの女性? …ああ、あの騎士ですか。

  ただの用心棒ですよ。しかし、何故気になるのですか?」


 一瞬、不意にもドキッと心臓が変な音を立てた。

 何故と聞かれたら、ルキアと一緒にいた事を自分の口から話すことになるからだ。

 もちろん、身元のわからない人間が城内にいるから。

 と言えばそれで済みそうだったが、用心棒となればこの男の護衛となる。

 つまり、答えは先に言われてしまったようなものだったのだ。

 頭の回転が一気に空回りし鈍くなり、震えが増してくる。

 答えられない自分に待てなくなり、勝手に口が開いてしまう。

 まるで頭の制御が心に行き届かないように…。


 「その人に…僕のこと―――…」


 自分の身を再び絶望に落とすような事を自分で言い始めてしまった時、急に バンッ! と背後のドアが勢い良く開かれた。

 先程までが静かだったからか、状況が状況だったからか、ラルファースは飛び上がるほどビックリしてしまった。

 扉を乱暴に開き入ってきたのは、呼ばれたもう一人…。


 「少し厄介な状況になった」


 片手を大きく広げ扉を開き、勇ましくも凛々しい雰囲気を持ってその姿を現した、声色でさえ凛とした響きを持っている人物。

 そんな様子で入って来た女騎士だったが、ふと男から視線を外してはラルファースに気付く。

 あまりに驚いたせいか、涙目でこちらを振り返り固まっていた皇子。

 まるで大きな音に驚いて震える仔犬のようだ。


 「…っと…。ラルファース皇子、いらっしゃっていたのですね。

  失礼致しました」


 入ってきた時の凛々しさは和らぎ、静かな誠実さを感じさせる。

 だが、どこか不自然な気がしてならない。

 その不自然が何なのかは、今のラルファースには見当もつかなかった。

 女騎士は、そのままラルファースにその一声だけで済ませ、「遅かったですね」と零す男の方へカツカツと歩いて行き耳打ちをする。


 「防御体制に…? わかった」


 短く話し終えると、ラルファースを見てからそのまま立ち去ろうとする。

 情報通達の為に呼ばれたのだろうか?

 そう思っていた時、男が身を乗り出して声をかけた。


 「ああ、ちょっと待ちなさい」


 「…?」


 男を振り返ったその顔は疑問の色を浮かべていた。

 やはり普段は、外に出れば仕入れた情報を通達する為に毎回呼ばれているのだろうとわかる。

 だからこそ女騎士は、呼び止められたことに対して素直に疑問をいだいているのだろう。


 「ワタシがアナタを呼びつけたのはそれだけではないのですよ。

  あと、それと―――」


 男は横目でラルファースを盗み見てから、笑って彼を手で差し示す。


 「皇子が、アナタが何者なのか知りたいようでしたよ?」


 それを聞いた女騎士は帰る足を止めてラルファースを見た。

 ラルファースは申し訳なさそうに、それでも知りたいかのように控えめに女騎士を見ていた。

 その視線に目を閉じるとひとつの息を吐き出し、仕方なさそうに言った。


 「…私はただ、その方に雇われた用心棒の傭兵です。

  皇子のような身分でもないただの傭兵なので、

  名乗るほどではないと思っていたのですが…」


 淡々と話しながら横の壁へたどり着くと、そのまま背を預けて両腕を組んだ姿勢で立つ。

 態度はどうあれ、言葉口調は丁寧で穏やかだ。

 だが答えは一貫してノー。つまり名乗る気はなさそうだった。

 そこまで一貫して言われたらラルファースも仕方なく諦めるしかない。

 そのやりとりを見た男は更に聞いてきた。


 「それともう一つ。

  アナタに自分のことを聞いてないのか、とは?」


 再びラルファースの心臓が不意に大きく跳ねた。

 自分から話さなくてもこの男から聞かれてしまったからだ。

 しかもあの時と同じ、蛇のような嫌らしい笑みで…。

 最後まで言わずに遮られた言葉だったから、心のどこかでは逃れられたと思っていた…。

 だが、それは無情にも拾われて晒されてしまった。

 男のあまりにもネットリとした嫌らしさを含んだ声、言葉は再び空気を変えた。

 心臓をギュウッと鷲掴みにされたような、痛く苦しい感覚に襲われる。

 何度味わっても苦しい風となって、彼を苦痛の牢獄に閉じ込める。

 きっと女騎士も同じだろうと、苦し紛れでも一鏤いちるの望みをかけて女騎士の方を見る。

 しかし、女騎士は違った。

 ラルファースが見たと同時か前か、女騎士は少しだけラルファースを睨むように見ていた。

 だが睨むといっても冷たいというのではなく、どこか“仕方のない”という呆れられたような目付きでもあった。

 もうどんな感情なのかわからない。

 どちらといえど心の読めないこの二人。

 まったく意味もわからずに、ラルファースは混乱してしまっていた。


 「アナタから聞いてないのか、と言われたのだが、どういう――」


 「皇子の指揮は武将のソレとは違う、命を尊ぶ指揮だと。

  …私はそう言いたい」


 男の放つ嫌な空気を一言で切り裂くような冷の風が流れた。

 男の言葉を途中で遮ってまで言葉を放った女騎士の表情は勇ましく、眼差しは鋭く男を捉えて離さない。

 横で見ていたラルファースもその瞳に見入ってしまう。

 いつの間にか空間に漂っていたあの嫌な空気は、消え失せたかのように感じ取れなかった。


 「そうか、命を尊ぶ軍師ですか。それは素晴らしい!

  どうかこれからも期待させてくださいね」


 そう笑顔で言うと、「下がりなさい」と手を上げて知らせた。

 ラルファースは一礼して扉へ向かうと、先に女騎士が扉を開けて待っていた。

 ラルファースが扉をくぐり、再度一礼して立ち去る際に女騎士を見ると、目を伏せていた為表情はよく見えなかった。


 立ち去り、歩みを進める中振り返る。

 扉を閉める時も女騎士は一切ラルファースを見る事はなかったが、目を伏せていたその口元は、微かに笑みを浮かべているように見えた――。


 女騎士は扉を閉め終えると足音が去るのを耳で聞き、足音が聞こえなくなると振り返りながら言う。


 「それで、話とは…?」


 歩きながら先程ラルファースがいた場所にひざまずく。

 その姿を見終わってから男は口を開いた。


 「その前に先の言葉、

  あの皇子が自らの褒め言葉を確認するような真似はしないだろう。

  …何があったのだ?」


 すると、スッ…と女騎士の目の色が急に変わる。

 同時に、その控えめな口元に笑みを含ませて…。


 「命を尊ぶ指揮…。つまり、戦には向かぬ、ということです」


 その言葉を聞いた瞬間、男はニヤリと笑った。

 まるでその報告を待っていたかのように。


 「ならば使い物にならぬということだな!

  …今が時期か? しかし今はまだヤツが残っているしな…」


 最初こそ嬉しそうに声を上げるが、次の言葉からは独り言のように呟き出す。

 しかし、その表情はまるで悪戯を考えるかのように楽しそうだった。

 ふと、その楽しそうな表情のまま、考えるのを中断させて女騎士を見る。


 「アナタならどうする?」


 男は女騎士に質問を投げ掛ける。

 どうやらこの二人の間で、何かとんでもない企みが進んでいるようだ。


 「いえ、アナタにもお考えがあるはず。

  …まずはそれをお聞きしたいものです」


 女騎士はサラリと男の質問を返す。

 すると男は「よくわかってるじゃないか」と言わんばかりの笑みを浮かべ、

 饒舌じょうぜつに語り始める。


 「ワタシは邪魔者も役立たずも早々に排除したい。

  甘い理想を語るバイドもラルファースもな。

  真に強き王とは、黒い現実も、ツラい事実も見れなくてはならぬ。

  民が苦しもうが反発しようが、

  それをも丸め込めるほどの強さがなければならぬのだよ。

  それができぬ者に任せられるものか!

  だからワタシ自らが手を下してやろうとな…!」


 狂ったように嫌らしい笑みと、楽しそうな声色で男は語る。

 不気味なくらい本気なのが空気を伝わってビリビリと感じた。

 こんな姿、言葉を他者が見たらどう思うだろう。

 間違いなくこの男を不審とし疑うだろう。

 そんな愉快そうに話す男に対し、女騎士は一人静かに考えていた。


 「しかしながら、アガルタ王家を信頼する者は多く、

  ただでさえ今の統制がアナタであることを不審がる者は大勢おります。

  あのバカ信者共の目が醒めるまで、アナタは手を出さない方がいい」


 女騎士の冷静な言葉にハッとしたように男は表情を戻した。

 この女騎士は、この男が放つ不気味さを感じないのか、はたまた慣れてしまっているのか。全く変わらず涼しい顔をしていた。


 「そ、そうだな…。しかし、ならばどうすれば…?」


 自分が手を下したいが、下した時のリスクを考えれば下せない。

 そんな焦れったさから微妙な表情のままで女騎士に問うと、今度は女騎士が突然不敵な笑みをあからさまに見せる。

 そして、先程までの穏やかで静かな雰囲気からは想像できない言葉が並んだ。


 「まずは目の前の敵を排除しましょう。

  今のアナタにとって、一番邪魔なのは皇帝陛下…。

  ならば、先に陛下にはお亡くなりになっていただき、

  皇子には悲しみの牢獄に堕ちてもらいましょう…」


 冷酷で残虐な言葉が並ぶ中、男は満足げに笑って聞いていた。

 それに合わせてかどうか、女騎士も静かな笑みを浮かべたまま頭を下げた。


 「クックック…さすがだな。

  アナタが本当にただの傭兵なのか疑いたくなるほどのキレ者だ」


 男は周りに声が漏れないように控えめに、しかしそれでいて満足げに笑う。

 そんな笑い声が静まってきた頃、男は笑みが残るままに口を開く。


 「…ところで、例の毒はどうだ?」


 今までに聞いたことがないくらいの嫌らしい響きを持ってその声は発せられた。

 だんだんと内容が黒い闇をまとう中、そんな話をするこの二人は不釣り合いなくらい楽しそうな雰囲気だ。

 まるで暗殺の暗件を談笑するかのように…。


 「もちろん抜かりなく…。

  何の疑いもせずに口に運んでおりますよ。」


 「そうかそうか」と笑いがこらえ切れない様子の男。

 椅子から立ち上がり窓から外を見る。

 だが、不意に女騎士の顔からは笑みが消え、ただ静かに言った。


 「しかし食が細い故、毒の効果は極めて微弱なもの…。

  ここはひとつ、毒の効果を強めてはいかがですか…?」


 笑みもなく、ただ無表情で無慈悲な声が響いた。

 冷徹で冷酷な言葉。だが、しっかりとした意志を持って。

 すると男からは相変わらず笑みが零れた。理由はただひとつ。


  ―――自身の野望が、着々と実現の音を立てるから―――。


 「わかった、ならばそうしよう。

  そして、今後のことなんだが…。

  もう一度北東から北へ攻めようと思う。

  そしてその時の攻軍に、―――アナタを指名する。」


 女騎士は無言だが、どことなく驚いたように顔を上げた。

 別に嫌というわけではない。ただ意外すぎる選択だったのだ。

 自身を守る用心棒を戦場に送り込んでまで勝とうというのだから。

 いわば捨て身とも言えるような作戦だった。


 「アナタは頭も切れ、腕も立つ。だからこそ選ぶのだ。

  この作戦は絶対に失敗は許されない、だから――…」


 そこまで言い終えるか終えないかのタイミングで、何かに反応して女騎士が急に立ち上がる。

 どうやら、静かに周りの気配を感じ取っているようだった。

 男は全くわからずに、ただ女騎士の様子を見ていることしかできない。


 「ど、どうした!?」


 「誰だ…?」


 ほぼ同時に両者が口を開いた。

 ほとんど被って聞こえたはずの二人の声だったが、騎士があまりにも冷たく威圧的な声を出したせいか、女騎士の声がより深く響いた気がした。

 少しの静寂が空間を支配した後、女騎士が動いた。


 「…失礼」


 静かに呟かれた言葉からは想像ができないほど、女騎士の動きは切れがあり、速かった。

 控えめに構えられた手にはあおい光を宿し、その手を静かに突き出した瞬間、

 天井の一部を的確に撃ち崩す。

 ドオオオンッ!という地響きにも似た爆発音が響くと、崩れた天井による砂煙の中から二人の男が姿を現した。


 「なっ、何者だッ、キサマらは!?」


 男は突然の事に慌てて声を張るが、対照的に三人は静かに睨み合う。

 だが、どこか二人組の男達の方が落ち着きがないように見える。

 その様子や姿、身なりを、目を細くして女騎士が眺めた。


 「なるほど。北東軍の密偵か…」


 「!? 何故我らがわかった…!」


 密偵といえどつい声を荒げてしまう。それもそうだ。

 潜伏している場所がバレたり、密偵と見抜かれたり…。

 ましてや、どこの国かも当てられて不可思議だ。

 それでも大きな取り乱しなどなく、小さく困惑する程度の二人組。

 それをよそに女騎士はさらに続けた。


 「…いくら気配を消していても、物が動けば空気も動く。

  その乱れを感じただけだ。

  北東軍の密偵は…、…見ればわかる…」


 最後だけ面倒臭くなったのか、かなりいい加減に答える。

 二人組はそれを油断と受け取ったか、後に引けないという使命感と危機感からか、突然武器を構えた。

 一度覚えた恐怖は簡単には拭い去れないものの、しっかりとした姿勢で戦闘体勢を整える二人組。


 「我らの正体がバレたなら見た者を消せ、それが掟…。

  しかも、それが我が国を落とそうというのなら尚のこと」


 「それに、あなた方はグランヴァルの敵でもあるようで…。

  ここで死なれても何の問題もありますまい」


 密偵は密偵でも、どうやら戦闘要員…つまり暗殺者だとわかる。

 潜伏していた時には全く感じ取れる事のなかった殺気が渦巻いていた。

 こんな大きく強い気を押し殺していた実力は、戦わずともわかるくらい確かだ。

 それに、これほどの気を持てること自体が常人にはできないほどだろう。

 大きく強い威圧するような殺気…それを二人から感じ取れる。

 その威圧を真っ先に受けたのは男。

 戦意どころではなく、恐怖心がまさっていた。


 「き、キサマら…ワタシを、殺すというのか…っ!?」


 恐怖心から震えが混ざる、上擦った声で男は叫ぶ。

 先程の愉快そうで、余裕に笑う彼は一体どこにいったのか。

 この男は臆病だ。

 そう二人組もわかれば、追い打ちをかけるように言葉を向ける。


 「東の城内に潜り込んでまで悪事を働くというのに、御自身の護衛はたった一人。

  しかも女性ということが浅はかでしたね?」


 狙いを一点に集中し、既にひるんでいる男を追い詰める。

 二人組はお互いに顔を見合わせ、頷いて合図を交わす。

 そして、そのまま一気に仕掛けようとした時、男と二人の間に立つ女騎士が左腕を広げ、男をかばう様に立ち塞がった。


 「指一本…、…触れさせませんよ…」


 「なっ、何だとっ!」


 二対一の状況の中、女騎士が“指一本触れさせない”と言うのだ。

 二人の男相手となれば、一人の女性が不利なのは明らかだ。

 そんな中放たれた言葉は、どうしても暗殺者の二人を馬鹿にしたように聞こえてしまう。

 もちろん本人達もそう感じ取っていた。


 「我らを侮辱して、無事に生きていられると思うなよっ!」


 静から動へ、冷から熱へと気が変わり、怒りを含んだ声で叫ぶのを合図に、二人組が一気に斬り掛かる。

 さすがは手馴れの暗殺者か。

 駆け出した瞬間は見えても、すぐにその姿は空間にまぎれ、目で追うことは不可能だった。

 その実力と迫る死を目の当たりにし、恐怖から男は後退あとずさり、逃げ腰のまま辺りを見回していた。


  ――――しかし――――。


 「闇黒の咆哮(テレス・エルシード)……」


 低く、不気味なくらいに落ち着いた冷たい声が響くと同時に、空間にピシッと黒い亀裂が一瞬にして駆け巡ったように見えた。


 「グッ…!!?」


 短い呻き声が耳に届くと同時に、暗殺者が天井から二人とも落下してきた。

 女騎士の両サイドへと。

 天井を渡り、男から先に消そうとしていたのだ。

 女騎士の横に落ちた二人だが、身動きもぎこちなく、何故かどこか苦しそうだった。

 まるで金縛りにでもあっているかのようにおびえ、冷や汗を流しては苦しそうな呼吸と、焦点の定まらない視線で藻掻いては、女騎士を睨むように見上げていた。


 「…目の前の敵を甘く見ないことだ…」


 どこか不自然なくらい不気味さを持って届く声。

 その女騎士の瞳はくらく、光のない瞳をしていた。

 女騎士はゆっくりと広げていた左腕を胸元へ持っていき、広げていた掌を緩く握る。

 その掌には、やはり蒼い光を淡く宿していた。


 「な…にを…。する…つもり、だ…!」


 苦し気にやっとの思いで吐かれた言葉。

 女騎士の操る魔法なのか何なのか、ソレはあまりにも強大で、かつ見慣れないものの為、もう何が起きているのかさっぱりだった。

 想像すら追いつかない。

 蒼い光なのに決して水魔法ではない。

 それに、これほどまでに人の自由を奪い、苦しませる技など知らなかった。

 女騎士はただ掌を緩く握っているだけ…。

 何もかもが不自然で謎だった。

 心臓を直接鷲掴みにされているような感覚に耐える中、暗殺者の一人が何かにハッとしたように表情を変え、焦点の定まらない視線の中必死に捉え、女騎士を仰ぎ見て小さく呟く。


 「キ、サマ…? …ま、さか…ルシ―――」


 「!」


 暗殺者が言い終えない中、女騎士はその言葉に反応し、緩く握る手をギュッと握りそのまま横へ振り払った。

 その瞬間、まるで糸が切れたように二人は床に倒れ動かなくなってしまう。

 目を見開き、口からは泡を吐いて死んでいた。


 「きゃっ―――!」


 突然、天井裏の別の場所から女性の悲鳴が聞こえ、

 女騎士と男はすぐさまその声の方へ反応し見上げる。


 「何者だ!?」


 男が天井に向かって叫んだが、女騎士は無言のまま立ち尽くし天井を見つめていた。

 やがて、すぐに無音の空間が支配する。


 「…素早いですね。声を発してすぐ逃げ去りました…」


 感情が無く淡々と言葉を並べれば、女騎士は蒼い光を宿す左手を胸に当て、小さく祈るような仕草をしていた。

 光は一瞬炎のように姿を変え、まるで吸収されるように女騎士の中へ消えていく。

 すると、女騎士もいつもの様子に戻っていた。

 男はそれを見つめ、終わると同時に倒れた暗殺者二人組を見て呟いた。


 「…死んでいる、のか…?」


 「…はい」


 男の、怖いものを見たように震えの残る声とは対照的に、女騎士はしっかりとした口調で答える。

 すると、男はわなわなと震え出し、勢いよく女騎士へ向き直った。


 「その強さっ!素晴らしいっ!!

  その力があれば我らに敵などいない!!

  此度こたびの作戦、アナタがいれば何の心配もない!

  任せたぞ!!」


 興奮して大声で明るく楽しそうに言い放つ男。

 それに対し、女騎士は無言で男をただただ見つめていた…。




 ~第三章へ~


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