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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第一幕:崩落の日常
3/26

【第一章】平和の崩落

 

 「来たか」


 薄暗い部屋に男の低い声が小さく響く。

 窓の外から照らす月は鈍く輝けば周りの星を隠し、月明かりが差し込む部屋の影も濃く闇に溶かしていた。

 室内へ背を向け、まるで鈍い月の明かりを浴びるように窓から空を見上げる男の姿。


 「来たか」と何者かの来訪を背で受け止めた男の背後、ドアの入り口だろう場所では、小さく……ただ静かに存在する影があった。

 だが、その影を気に止めることはなく、男は大窓から月を見上げたままの姿で言葉を続ける。


 「国など、しゅを討てば簡単に崩れるものだ」


 月明かりに照らされた男の顔は安らかな表情で目を閉じ、口元には怪しく笑みを浮かべていた。

 そんな男の言葉を受けても応答を見せない後方の小さな影は、ひざまずき、その言葉ただただ静かに聞いている。

 すると、終始黙ったまま、静かに言葉を聞くその者の方へやっと男が振り返った。

 その顔は月による逆光により影をまとうが、先程と変わらず、不敵さを口元に浮かべながら見下ろすように小さく笑う。


 「アナタのような者が実力派騎士とはな。

  世の中何があるかわかりませんね」


 男は笑みを浮かべながら軽く鼻で笑うと、騎士と呼ばれたその者はうつむいたまま、まるで男を真似するように口角を緩く上げて控えめに笑い返した。

 その様子を見た男はまるで愉快そうに、再び淡く輝く月を見上げる。

 

 「今宵の月は美しいな。まるで穏やかだ……。

  ………。人は、何が起こるかなんてわからない。

  未来など予知できん。

  何かを起こす者がいても、気付くことは決してできない」


 何の感情も伺わせぬ様子を言葉に乗せ、同じくらい淡々とした声色で男は意味深な言葉を並べた。

 その言葉を受けて初めて、後ろで控えていた存在は口元を小さく動かし、やっとのハッキリとした応答の言葉と共にその存在を強める。


 「……しかし、事を起こすと動きが生まれる。

  その動きがあれば、人は気付くことができます」


 今まで黙っていた騎士が口を開くと、それは決して驚くことではないのだが、今までが黙ったまま口を開くことがなかった為、少しだけ驚いたような表情で目線を向ける男。

 しかし、すぐにその表情は先程の淡白な様子から転じて、怪しく不敵な笑みへと変わり、小さく笑い声を零す。

 

 「ははは。

  だからこそ、その動きを生まないアナタを呼んだのですよ。

  ―――頼みましたよ……」


 男が楽しげに言えば、騎士はただ静かに頷いた。

 ……まるで、これからの事が楽しみで仕方ない、悪戯を企むように……。



 中央地区に位置する王国、アルメリア。

 『調和の国』と呼ばれるに相応しいほど国民性は穏やかで温かく、国土もほとんどが大きな泉や森に囲まれ、自然を無闇に壊すことはなく合間合間に街が存在する美しい自然に溢れている王国。

 四方には各大国が存在し挟まれている地域ではあるが、周囲の森による天然要塞が侵攻を難航させ、かつ、静かで穏やかな国の印象ながら、今の時代までどこの国にも侵されず存在するほどの軍事力の高さから侵攻すら躊躇ちゅうちょさせるという。


 しかし、ここから戦争が勃発する事は今までの歴史を辿っても全く無く、周りに存在する数多くの国と友好的である。

 それが幸か不幸か、中立国であるこの国には各国の情報も多く入ってくる。

 その為に、いざ対立や戦争が始まると、敵味方問わず、侵略する者される者問わず、あらゆる方面からの協力要請が絶えない。だが、救いの手にも限度はある。それに、中立を守る国としては敵味方の区別を安易につけられない苦悩も襲いかかる。

 今現在、まさにその困難のただ中であった……。



 「リオン、大丈夫か?」


 城内の玉座に少し疲れた様子で座る青年の姿があり、彼に声をかけたのは、奥の部屋から出てきた大柄な男性だった。

 深い深海を思わすような灰味がかった青の髪を肩上まで伸ばし、原色より少し濃い青色の瞳を持つ者。

 体格も良く豪快そうな男性だが、今は少しだけ弱った印象を感じさせる。


 「ち、父上!今日は一日休んでいて下さいって言ったじゃないですか!」


 先程までどこか疲れていた様子だった青年の表情は一転し、驚きながらも怒りに近い声で父、その人に言い放った。

 その青年は濃い紫色の髪を無造作に肩まで伸ばし、翡翠色の瞳を持つ、印象の綺麗な男性だ。


 「そんなことでいちいち怒ってたら一国の王にはなれないぞ〜?」


 「そんなことでいちいち心配してる暇があるなら休んでいて下さいよ……」


 父親の陽気に延びた声に、最初だけ同じ言葉だったが、強めの口調でハッキリと返す青年。

 この大柄で陽気な男性は、こう見えてアルメリア王国の国王オーシャン。

 そして、玉座に座るのがその息子の王子リオンだ。

 どうやらオーシャンは少し前から体調を崩しており、リオンが代理として今の国王の仕事をしているようだった。

 しかし、リオンに任せたものの、今の時期が時期な為、心配になり寝られなかったのだろう。

 だから様子見に戻ってきたら怒られた。

 まあそんなところだ。


 「で。どうだ、近況は……?」


 「あまり良くないですね。

  東が戦争を仕掛けているのは変わらずです」


 急にオーシャンがキリッとした真剣な表情で話し出すも、リオンは慣れているらしく、同じように切り替えた真面目な表情、声色で答える。

 手元に持っていた書類を見てため息をつけば、オーシャンも「そうか……」と小さく呟いては苦しそうな表情を浮かべた。

 喜怒哀楽の転調。根の真面目さ。

 こうしてみると確かに親子だな、と感じる。


 「一体、東に何があったというんだろうな……」


 ふと、オーシャンがポツリと呟く。

 その言葉は目線を床にうつむいてこぼされ、苦し気で寂しそうに聞こえた。

 オーシャンの言葉につられるように、同じくらいリオンも表情をかげらせてうつむき、その言葉に対して見つかりもしない答えを探そうとしてしまう。

 二人の間に長い沈黙が生まれた時、その静かな空気を裂くようなバタバタと慌ただしい足音が廊下を駆けて来て声を荒げる。


 「リオン王子、大変です!!」


 その足音のぬしは、この国の伝令の兵士。

 普段は冷静で的確に伝達をする彼には珍しく、血相を変えては息を切らし、肩で激しく息をしていた。

 まずは何よりも「大変だ」と、できる限りの大声と響きを持って伝えた後、勢いそのままにひざまずいてはうつむいて息を整えるように数回深呼吸する。

 そんな彼の様子だけで一大事だとわかるが、それほどの事態だということに、早く情報を知りたくて焦りがオーシャンとリオンに走った。

 

 「何だ、どうした!?」


 本当は伝令の彼に息を整える時間をあげたかったが、焦りから先に声を上げたのはオーシャン。

 今はリオンが代行していたはずの中での国王の声に、兵士がハッと顔を上げた。

 いや、ハッとじゃない。ギョッとしている。

 なにせ、体調を崩して寝込んでいるはずの国王陛下が目の前におり、弱った様子ながらも変わらぬ強い声を返したからだ。

 居ないと思っていたはずの者がそこにおり、代行のリオンに代わり指揮を執るかのように力強く立ち、伝達を待つ姿。

 ……正直、まずは休んでてくれと言いたいだろう。

 状況が掴めず軽く混乱を起こしたが、兵士は再度深く頭を下げて息を大きく吸った。


 「東の国、グランヴァル帝国の勢力に北東の街は半壊!

  軍と住民多数の死傷者が出ており、中央国に協力と救助要請を訴えているようです!」


 あまりにも緊急を要する事態に、思わず「チッ」とオーシャンから舌打ちが零される。

 東は元々軍事力が高い。

 遥か昔の時代から自慢の軍事力で切り拓き、生き抜いてきた実力もそうだが、こうなった時に各国に手を差し伸べられるアルメリアの軍事力と同等か、それ以上の力を持つ。

 いざ戦争となれば大地や人問わず、甚大な被害が出ることもわかっていた。

 だが、戦の時代が過ぎ去ってからは、戦の力を侵略ではなく、自国の防衛と国民を守る力へ変えた先代王の施政は現在にも息づいていたはず。

 そんな少し前の東なら、このような一方的な暴力とも言える力を他国に振りかざすこともなく、他国への侵攻と破壊など予感さえさせなかった。

 そんな国が、突然、何故――?


 「わかった。直ちに北東地区に兵を送れ。

  必ずそこで後退させろ。そこで奴らを抑えなければ北が危険だ。

  ――心して向かえ!」


 「はっ」と兵士が勇ましく返事を返してはきびすを返そうとした時、オーシャンは一瞬だけ顔をしかめて兵士を見た。


 「待った!」


 踏み込んだ足を強引に止めた為、ガクンと体のバランスを崩しては何とか踏み留まる兵士。

 しかし、すぐ振り返る事はなく、乱れる息をそのままに、服の袖で冷や汗を拭う仕草をしてから振り返った。

 その様子で何かの確信を得たのか、オーシャンはしかめていた顔を一転させて笑みを向けた。


 「なあに、そんな不安そうにするな。相手は東。

  雪に馴染みなんて、北と比べてあまり無いはずだ。

  ならば、その雪を使ってやれ」


 ニッと明るくも力強い笑みを浮かべるオーシャンに、兵士も不安な顔からゆっくりと笑みに変わる。

 もちろん、それはただつられてではない。

 オーシャンの作戦と助力に、勝機はあると知らされたからだ。

 正直、自分の中でも今の東のやり方は圧倒的で、人や街を壊すことになんの躊躇ためらいもなく向かってくる為、侵略の勢いに圧されて動揺が心にあった。

 こんな国に勝てるのか?

 向かった先で殺されるかもしれない。

 そんな動揺が顔と様子に滲み出ていたのをオーシャンに見抜かれ、励まされてしまった。

 いや、それでも。明るく頼もしい彼の笑みと共に、励ましてくれた優しさと心強さを胸に落ち着きを取り戻せば、ふっ、と肩の余分な力を抜いた兵士は完全に体を返しては、精一杯の感謝の意を込めて、深々と一礼して再び駆け出していった。


 そんな姿を、彼の姿が見えなくなるまでオーシャンは笑顔で見送っていた。


 「うん。あんな風に笑顔を浮かべて戦場に向かう兵士を見送れるのは、良いな」


 玉座に座ったまま一言も発せずにいたのはリオン。

 そんな椅子の隣に立っているのはオーシャン。

 突然入ってきた事態にも瞬時に対応し、命令を下したどころか、兵士の不安の種をすぐに見抜いては取り払い、発破をかけたのもオーシャンだ。

 これには、さすが国王陛下と言いたくなる。

 

 「父上、もうここに戻りませんか?」

 

 リオンは素直な尊敬を胸にしまいつつ、代わりにふとぼやくように言葉を口に出してみた。

 が、そんな息子のぼやきを受けて、突然オーシャンはわざとらしく咳をつく。


 「ごほっ、ごほん。あー……、リオン。

  俺は疲れたから、あとは任せたぞー……」


 そしてわざとらしく声を濁しては、わざとらしくふらついてみせた。

 だが、それが演技だと誰でもわかるような全く問題なさそうな足取りで立ち去ろうとしたオーシャンに、リオンは「やれやれ」と苦笑いを浮かべては仕事に戻る。

 しかし、ふと手元にある伝書に視線を落とした時、ある人物の姿が脳裏を過った。


 「まさか、グランヴァル軍の指揮官……。

  ラルファースじゃないだろうな……?」


 小さく呟かれた自問自答のような無意識の言葉。

 感情は読めないが、無意識の中でも強い不安と否定を含んだ声色だった。

 その言葉を去る背で聞いたオーシャンは、嘘でも立ち去ろうとしていた足を止める。


 リオンとラルファースは王(皇)子同士であり、幼い頃からの長年の親友である。

 その記憶を辿っても、彼はどんな時でも優しく大人しく、戦争嫌い故にどこか臆病な印象さえ抱いていた。

 そんな友が、街を半壊させるほどの軍の指揮官で、民の命さえも害す作戦を考えたのか。と、とてもじゃないが信じられない思いだった。


 そしてオーシャンも、リオンが苦悩を感じれば感じるほど、心苦しい気持ちは痛いほどわかるつもりだった。

 何せオーシャンも、東の皇帝バイドとは古くからの親友だからだ。

 だからこそ、リオンの不安や寂しさを察し、立ち去ろうとした足を止めてリオンの方へ振り返る。


 「今や東はわからん。

  かつての友好関係を断ち切ってまでこの争いを起こしたのだからな。

  だからこそ止めてやらねばならない。

  ――俺達の手でな……」


 オーシャンの低く落ち着いた声は力強さと覚悟を宿しながら、どこか深い優しさも含んでいた。

 友だからこそ、間違ったら止めてやるべきだ。と、そう伝えられた気がして、リオンは無言で強く一度頷いた。

 本当なら色んなことがぐるぐると渦巻いて冷静じゃいられない状況ながら、しっかりとその言葉を聞き入れてくれたリオンに対し、安心したように微笑んだオーシャン。

 立ち去ろうとした足を返したそのまま、ゆっくりとリオンへと歩み寄り、こっそりと沈んでいた彼の肩に手を置いて言葉を続けた。


 「とにかく、〈東の皇子(あのこ)〉が、自らが望んで筆頭軍師になることはないだろう。

  ……大丈夫だ。今はアルメリア兵と北東地区の無事を祈ろう」


 東のグランヴァルの皇子ラルファースは、自国民はもちろん、他国にさえ戦争嫌いな穏やかな人物として有名だった。

 そんな皇子が、自ら進んで筆頭軍師に志願し、他国を蹂躙じゅうりんし、破壊する為の作戦に出陣することは滅多にないだろう。

 ましてやそれが、街を破壊するだけに留まらず、民を恐怖へ陥れては命を盾にし、他の軍隊を屈服させる、そんな侵略戦争を仕掛ける側となればなおさらだ。

 リオンはそう自分に言い聞かせて納得していたものの、内心どこかで不安を募らせていた――。




 ――北東地区に位置する雪原地帯。

 一年の内のほとんどが雪の舞う高原は美しいほど一面の白銀の世界で、雪が辺りの音を吸収したような静けさは寂しさと過酷さを教えるかのような地だ。

 しかし、今その地の静けさは失われ、遠くからでも耳を貫くような鋭い音があちこちから響き渡ってくる。

 刃と刃がぶつかり合う音と同時に、多くの人の歓声や叫び声が混ざり合って届き肌を震わせるが、雪がちらつく視界はとても良いとは言えず、得体の知れない不気味さも相まっていた。

 その音の元……激しい戦いは、北の国からそれほど遠くない雪原の端に存在する、広い樹氷の森の中で繰り広げられていた。


 「このままでは北東軍は壊滅する……!?

  アルメリアへの要請はどうなったのだ!」


 「伝達は確かに!

  ですが、距離がありますゆえ、もう少しかかるかと……!」


 「くっ。持久戦ということか……」


 粉雪が舞う森の中、苦し気な声で話し合うのは、北東の軍師と兵のおさだろう。

 鎧に粉雪が貼り付き、白い息が色濃く吐き出され、焦りと震えが混ざる声に『壊滅』という言葉が出てくるほど、北東ほくとう軍はとう軍に完全に圧されていた。

 軍師の男がギリッと強く歯を噛みしめ眉をしかめると、喉を刺すような冷たい空気を大きく吸い込む。


 「仕方ないか……。――全北東軍に告ぐ!

  防御に徹し、隙あらば討て!

  これより持久戦に持ち込む!!」


 軍師が己の苦しさと焦りを噛み殺したように声高らかに力強く叫ぶと、北東軍はそれに応じるように気丈に大きな声を上げて返す。

 戦況は誰がどうみても圧され、油断すれば壊滅させられてしまうほど劣勢だ。それでも、せめて気持ちだけでも強く保っていないと、目の前から迫る圧倒的な力に、身も心も潰されてしまいそうだった。

 だからこそ、全員が同じ思いだと呼応し、己の心を奮い立たせる為の声を返した。

 そんな劣勢な北東軍だが、足並み揃えた味方の声に再び強い心を持って東軍を迎え撃つ。

 防御を軸にしつつも攻撃の隙を逃さない戦い方は、今まで力で圧すことで突き進んできた東軍を混乱に落とす。

 だが、軍事力は圧倒的にも見えた。

 北東軍の防御の陣形を攻略され、一ヵ所でも打破されてしまえばすぐに総崩れになる可能性もゼロではない。


 ――すべて時間の問題だった。

 アルメリアの援軍が届くのが先か、

 北東軍が壊滅するのが先か……。



 そんな苛烈な戦場の中、雪の積もった背の低い植え込みの影には何かが隠れていた。


 「……さて、どうする?」


 まるで内緒話でもするかのように密やかに、通る音を宿す中低音の声が小さく疑問を持って零された。

 戦場から少し外れた茂みに忍ぶその存在……。

 一人はどこかの男性の兵士、もう一人は袴姿の侍のような女性だった。

 綺麗な通る音を持ちつつ中低音の声で口を開いたのはこの侍の女性であり、その言葉は隣の男性の兵士に問われていたもの。

 だが、その質問の意図に男性の兵士は何とも言えない疑問の顔を向ける。


 「……何が……ですか」


 わざとか。あえて疑問として聞いていない。

 つまり、なんとなく彼女が“何を言いたいのか”をわかっているのだろう。

 何より、この男性の兵士の表情が表情だから。

 言葉より前の戦場を眺めていた時は険しい表情を浮かべていたが、その時とは打って代わり、彼女の言葉には呆れたようなうんざりしたような、そんな表情をしていたからだ。

 その表情に対して袴の女性は真剣に、だがハッキリと不快な顔をして見せた。


 「はあ? 何言ってんだ。決まってるだろ。

  いつ突っ込むかだよ。

  このまま見てたら、確実に北東は潰れる」


 剽軽ひょうきんな空気を持ちつつ厳しい現実を突きつけられ、男性の兵士は一気に表情を険しいものへ戻す。

 しかし、今度は袴の女性が「ハッ」とどこか笑うような一息をついては、突然怪しくも口角を上げて笑った。その声に美しくも残酷な色を滲ませて。


 「まあ、北東とは深い縁もないし?

  別に友好条約を結んだ相手じゃない。

  このまま見物させてもらって、東の力量を知るのも良いんだけど?」


 「!?」


 この人はなんて事をサラリと涼しい顔で言い出すのだろう。

 そう強く思いながらも、男性の兵士の表情は呆気に取られたまま凍っていた。

 開いた口が塞がらない。言葉が出ない。そんな様子だ。


 「全東軍に告ぐ!

  相手は持久戦に持ち込んだようだ!

  隙を与えず、このまま一気に打ち崩せ!!」


 今度は東の軍師が声高らかに叫ぶ。

 先程の北東軍より威勢良く、かなりの人数の東軍がそれに応えた。その呼応した声が大地を震わせるほどに。


 圧倒的有利な中放たれたそのトドメを告げるような号令は、まったくの油断も隙もない貫くような声、そして、勝利を確信したような声だった。

 その号令に応えた東軍の地響きのような猛々しい声もまた場に拡がると、強気でいたい心が挫けるように純粋にひるんでしまう北東軍。

 勝敗はわかり切っていた。

 だからこそ、相手の確固とした覇気と勝利へ突き進んでくる勢いに、再び絶望に落とされた気分を味わわされる。


 「……こんな争いを、もう、終わりにしよう……」


 苛烈な熱気が渦巻く戦場の中、その場に不釣り合いなほどのとても小さくか細い声で東の軍師が呟いた。

 先程の命令の時の声とは別物のように、その声は優しく柔らかく、かつ、戦争を酷く嫌うかのようにほんの小さく震えていた。

 ――目の前の敗者をいたわり、共に悲しむような瞳で………。

 震える声ごと息を強く飲み込めば、東の軍師はグッと力強く再度顔を上げた。


 「北東の軍師を討て!

  これで終わりにする!!」


 大きく息を吸い込んでから放たれた、先程の震えを殺した力強く貫くような言葉。

 その言葉を待っていたかのように、東軍は急に標的を北東軍軍師へ変えて進軍する。


 その様子、戦況を見ていた袴の女性が小さくため息をついた。


 「……時間切れ。

  なるほど。グランヴァルは強いな」


 隣で袴の女性が戦況を見定めては無慈悲な言葉を発する中、男性の兵士は黙って唇を噛みしめていた。


 東軍は不気味なほど他に目もくれず、北東軍の軍師一点に向かい大きく構えては、その勝利の感覚に空気を揺らすほどの声を上げた。


 勝敗は決した。

 そう心の中で呟いた袴の女性は静かに目を伏せ、静かに、長く、温かな息を粉雪舞う冷たい世界へ落とした。


 「いずれ、我が王国もあの軍の餌食と―――」


 「俺は……ッ!!!」


 「っ!」


 袴の女性の言葉の途中、男性の兵士は突然噛みしめたような声で小さく吠えた。

 突然の声、意外なくらいの怒りの声に、袴の女性は驚いてしまい男性の兵士の方をじっと見つめてしまうが、彼の様子は悲しみをただ悲観している様子などではなく、拳を強く握りしめ、悔しそうに震えていた。

 だが、彼の様子を知った袴の女性は驚いた顔を瞬間で消し、真剣で力強い瞳を向けては、彼の続く言葉を待っているように見えた。

 そんな彼女の視線に気づくこともない男性の兵士は、細く息を吸い込めば、悔しそうに噛みしめた歯をそのままに心の声を吐き出す。


 「俺は……。誰かが苦しむ顔や、無惨に死んでいく姿を見ていたくはない…。

  俺のこの小さな手でも誰かを守りたいと思った。

  だから兵士になった。

  なのに、戦を前にして何もできないなんて……、震えるなんて……っ!

  ただ……、隠れて見ているだけなんて……ッ!

  ――俺は、ただ守りたかったのに……!

  どうして……、身体が動かないんだ……ッ!!」


 苦しそうに話す男性の兵士は悔しそうに涙を流す。

 それを驚くこともなく真剣に、静かに見守っていた袴の女性。その瞳は、先程並び立てた無慈悲な言葉とは裏腹に、とても優しい瞳をしていた。


 「……ごめんなさい……」


 遠く。東の軍師が、ふと、そう呟いたのが耳に届いた気がした。


 それと同時に、東軍の騎士が北東軍師のすぐ前へと辿り着いていた。

 その刃は、もうすぐにでも届きそうな距離だ。

 抗うだけ無駄か。死を覚悟した北東軍師は抵抗する様子も見せず、剣を手に迫り来る騎士を鋭く見据えるが、ふと過った思いを誰に聞こえることもなく呟く。


 「アルメリアは間に合わなかったか……。

  まさか、見捨てたわけでは……?」


 最後に藻掻くのはカッコ悪いという彼の信念なのか。その言葉を最後のぼやきとし、覚悟を決めた瞬間、突然小さく不敵に笑った。

 もうこれ以上抵抗したって無駄。

 自分だけが死んで済むのならそれでいい、と考えているのだろう。

 死を覚悟し、自分に刃をかけようとする騎士に向かって、最後とばかりに強く笑って睨み付けた。


 ガサッ!


 不意に、茂みの中から人が立つ。

 その音は、トドメを残した空間に大きな存在感をもって響き、誰もがその音の正体へと振り返る。


 「ふ、伏兵!?」


 どちらの軍からも、敵か味方かわからず声を上げては騒ぎ出す音が続いていく。

 その兵士達の声に東の軍師も、北東の軍師も驚いていた。

 茂みから真っ直ぐ立ち上がり、微動だにしないで立ち尽くす袴の女性は、ふと、隣でまだ隠れている男性の兵士を横目だけで見た。


 「お前のその言葉を待っていたよ。

  ――さあ、いくぞ」


 「はっ? ……え?」


 「いくぞ」の意味も、ましてや何故、『今』立ち上がっては敵兵の前どころかど真ん中に堂々と姿を見せているのか?という色んな事に一気に疑問が浮かび、困惑の表情を隠せずにいた。

 男性の兵士の困惑をわかってでもいるかのように、袴の女性は口元だけで笑みを浮かべては、その美しい眼差しは真っ直ぐ導くような強さを滲ませていた。


 「生きている限り、『時間切れ』なんて無いんだよ。

  諦めない限りな」


 そう言って袴の女性は、男性の兵士の肩に優しく手を置く。

 次いでその手をトンと軽く押せば、そのまま瞬時に太刀に手をかける。

 突然現れた彼女の存在、素早く刀を抜き放つ臨戦態勢に、東軍も北東軍も動揺をそのままに一気に武器を構えて標的を変えてくる。

 その時、男性の兵士は理解した。


 この人は、今もなにも諦めていない。

 あんな圧倒的な戦況を目の当たりにしても結末を決めず、悲観する暇があるなら動く強さを忘れていない。

 ただ恐怖で足踏みする自分に合わせてただけで、後押ししてくれていたんだ。


 ――こんな状況でも戦うつもりなんだ、と。


 出遅れたのは自分のせいだ。

 何が守りたかっただ。

 思うだけじゃ、何も始まらない。


 彼女の強さが移ったか、真似したかったのか。

 そう思った時には、もう自然と体が動いていた。

 先程までの震えも悔しさも無い、先程吐き捨てたはずの自分の決意だけが残っていた。


 「全中央軍に告ぐ!今が打開の時だ!

  行くぞおおおおーーーーッ!!!」


 突然の勇ましい声が響き渡れば、今か今かと待ち隠れていた中央軍が一斉に現れ、戦場になだれ込むように飛び出した。

 その不意打ちと素早い反応、圧倒的勢力で東軍を押し返していく。


 「ばっ、ばかな!アルメリア軍だと!?

  まさか今このタイミングで……! ぐふぉッ!?」


 東軍の驚きから発せられた声には明らかに戸惑いの響きがあった。

 それは突然の援軍、友好国の刃だからだけではない。

 動揺する視界、その正面や頭上からは大量の雪が降り落ちて来るのだ。先程までは粉雪が舞う程度だったのに、ドカドカと雪の塊が北軍を襲っている。


 よく見ると、進軍して来る中央軍は手や足を使って、わざと降り積もる雪を巻き上げていたのだ。

 そういえば、号令と同時に中央軍は“どこかから”現れたように見えた。

 その答えは簡単で、あの袴の女性と同じく雪の積もる茂みに潜んでいたり、雪が積もり小山になった場所に隠れていたり。中には雪の下に埋もれて隠れていた者もおり、号令と同時に雪と共に登場した。


 雪をうまく使った不意打ちだった。


 端から見ると過激な雪合戦ではしゃぐ大人達に見えるが、軍隊という大人数で一斉にやられると全く前が見えない……。

 そんな視界不良に怯んでいると、不意にどこかからでかい雪の塊が飛んできては意識を奪おうとする理不尽さ。

 そして、一面どこを見ても真っ白の中、突然目の前に人が現れては斬りかかって来るなど恐怖でしかないだろう。


 小細工無しの真向勝負でも屈指の実力を持つアルメリアの精鋭気鋭の軍隊による、奇抜で奇妙な作戦で一気に形勢逆転された北軍は後退を余儀なくされる。

 その間に北東軍は保護されていくものの、北東の軍師の前にいた東の騎士が目の前なのは変わらず、東の騎士は剣を構え直し、今しかないと一気に駆けては北東の軍師へ剣を掲げた。


 「軍師を討てば俺達の勝ちだ!

  悪いがその首、もらうぞ!」


 「!」


 「軍師殿!!」


 北東の兵長が、北東の軍師と東の騎士の間に間一髪で割って入る。

 ガキンッ!と剣同士がぶつかるも、東の騎士が振り払うと北東の兵長の剣が弾き飛ばされてしまう。

 捨て身故の馬鹿力か!そう思い知らされる。


 「邪魔だ!どけえぇっ!!」


 北東の兵長諸共斬り捨てるかのように、勝利を確信した故の大振りな力で剣を大きく振りかぶる。

 凶刃を目の前にしても、北東の兵長は何としても軍師だけでも守ろうと両手を広げて盾になって身を固めた。

 しかし、東の騎士は剣を振り上げたまま固まってしまい、次の時にはその剣を力無く地に落とした。


 「なん……。……えっ?」


 東の騎士の体が力無く横へ倒れた時、視界の端で長い銀糸が風に揺れているのを見た。

 ――袴の女性だ。

 その手には美しく白い太刀が握られており、柄で首を打ち付け気絶させたのだろう。


 「北東軍は撤退を。

  ここは我ら中央軍が死守する」


 それだけ言い残せば身を返して中央軍に合流して行った。

 守られた北東の軍師と兵長は、気絶した東の騎士を見てから、袴の者にただ深々と一礼する。


 それから、ほんの数分で中央軍が有利に立つ。

 東軍も後退を強いられる形勢となり、先程までの軍の勢いは目に見えて落ちていった。

 だが、一定の距離以上は後退する東軍を深追いせず、中央軍はこれ以上の進入を拒絶するように立ち塞がり、国境と戦場を守り続ける。

 向かい来るなら討つが、こちらからは仕掛けない。

 それが中央軍のスタイルだった。

 強いからこそできる戦法をやってのける、正真正銘の精鋭の軍隊である。


 「さすがアルメリア軍……。強いね」


 東の軍師がポツリと呟いた。

 その表情は敗戦に似合わないくらいに柔らかく、微かに口元に笑みさえ浮かべていた。

 どこかでこうなることを望んでいたかのように思わせる様子、その雰囲気は、先程の一瞬だけ見せた悲しげな様子に似ていた。

 目標達成直前で中央軍が立ち塞がり、これ以上の進入を許さず、自軍がその力に敵うことなく敗退するのを悲しそうに見つめる瞳は、悲しみと安堵が入り交じるように揺れていた。

 そんな時、不意に軍師の長く綺麗な淡い金髪が風に揺れた。


 「久しぶりだな、ラルファース皇子?」


 背後から発せられた声に驚き、ラルファースと呼ばれた者は勢い良く振り返る。

 振り返った先にいたのは、あの袴の女性だった。

 戦争に対する不安や恐怖などない、真っ直ぐに自分を見つめる瞳や凛と立つ姿に、ふとため息が出た。

 ――相変わらず綺麗な人だなぁ……。なんて。

 そんなことを思わせる彼女の姿を見て、先程までの不安定な軍師の表情は薄れ、代わりに切なそうに笑う表情を浮かべ、小さくその口が動く。


 「……ルキアさん……」


 この戦乱の場では掻き消されてしまうかのような、とても小さな声でその名前を呼んだ。

 そのあまりにも切ない声色に、ルキアと呼ばれた袴の者も柔らかく瞳が揺れると、優し気なため息をつく。


 東のグランヴァル帝国皇子、ラルファース・アガルタ。

 長く美しい金髪を腰下まで伸ばし、毛先を少し上でひとつにまとめた、澄んだ空色の瞳を持つ、一見女性と見紛みまごうような容姿の持ち主である。


 その彼の前に立つのが旅の女侍、ルキア・リオソウル。

 白銀のストレートの長い髪は膝辺りまで伸び、〈青に近い緑(エメラルド)〉の瞳を持つ、美人で剣の腕も立つ凄腕の剣士なのだが、何より負けず嫌いで口が悪いのが玉に傷だ。

 今は中央アルメリアに居候しており、こうして中央軍に力を貸している、元・旅の侍だ。


 「東に何があった?

  バイドもお前も、他国に侵略戦争なんて仕掛ける人間じゃないだろ」


 ルキアは至って問い詰める意味ではなく雑談の意味を込め、気を使っては静かで優しい声色で聞いたが、それでもその問いかけにラルファースは黙ってしまった。

 彼の表情は見たことがないくらい、悲しみを噛みしめたような酷くツラそうな顔を浮かべ、ルキアの問いかけにも唇を噛みしめたようにしていた。


 口を無理矢理(つぐ)むような仕草――。

 “言えない何かがあるのか?”と感じたルキアは、少しだけ気遣いを捨て、力を強めた口調で続ける。


 「こんな戦争をこのまま続けたら、何千、何万という人が死んでいく。

  それは軍隊だけじゃない。

  なんの罪もない民間人もだ。

  ……そんなことは言わなくてもわかってる、よな?」


 こくり、とラルファースは言葉を紡ぐことはなく、唇を噛みしめたまましっかりと頷いて返事をした。

 その仕草だけで十分と判断し、ルキアもまた「うん」と納得したような、「だよな」とわかっていたように一度頷いた。


 「東になにがあったのか、なにをしたいのかわからない限り、私達はなにもできない。

  アルメリアとグランヴァルは、古くから友好関係を結んできた。

  だからこそ、こうなった理由を知りたい、守りたいんだ」


 ルキアの力強くも優しい言葉を、ラルファースはうつむいたまま静かに聞いていた。

 それでも一向に話し出す様子のないラルファースを見て、ルキアはさらに言葉を続けてみた。

 なにかを少しでも聞き出す為に、一人で背負う物を分けて楽にさせる為に。


 「……もし口止めされているなら、無理には聞かない。

  本当はどうにかしてほしくて言いたいのに、もし口にしてお前の身が危なくなるなら、私達でお前を守るよ。

  とにかく、お前は一人じゃないんだ。

  私も、中央のみんなもいる。

  たとえ、もし、バイドやお前がこんな戦争を仕組んだとしても、お前を心配してるヤツはいるんだからな」


 「……ルキアさん……」


 噛みしめる力が緩み、ラルファースが零した言葉はルキアの名前を呼ぶだけだった。それでも、確かにルキアの言葉がラルファースに届いた証拠でもあるだろう。


 ただの綺麗事かもしれない。

 話を聞いてもどうにもできないかもしれない。


 それでもルキアはただ必死だった。


 本気で心配してるんだと。

 心配してる人達がいるんだと。

 ひとりで戦わなくていいんだと。


 それは確かにラルファースに届いていた。

 その言葉を紡ぐルキアの真剣な瞳だけでもわかるほどに。


 ルキアがバイドと呼ばれる東の皇帝を呼び捨てにしたり、ラルファース皇子を『お前』と言ったりと所々口が悪いが、優しい人だということは知っている。

 なにより、そのくらいの古い仲だからこそ、そんなことはわかりきっているつもりだった。

 ルキアなりの発破と激励だと。


 だが、そんな頼もしい言葉の中、“心配してるヤツ”という言葉を聞いて、ラルファースは控えめに笑った。


 「心配してるヤツ、か……。

  ふふ。それって、リオンのこと?」


 「!?」


 「ちゃんと名前くらい言えばいいのに」


 柔らかく笑ったラルファースの言葉が告げたリオンの存在。その言葉にルキアは何故か必要以上に驚いていた。

 “中央のみんな”と先に言ったはずなのに、何故かラルファースはリオン一人の名前を挙げてきたからだ。

 そして、名前を伏せたことをからかうような意味も含んでいるように感じた。


 「リ、リオンもそうだけど、エクナだってオーシャンだって……!

  とにかく!み、みんなだ!」


 動揺が明らかに声に現れていた。

 それでも、そんな動揺を隠すように「みんな心配してんだよ!」と最後に勢いで付け足すルキアを見て、ラルファースはとうとうハッキリと笑ってしまい、同時に落ち着けている自分に気付く。


 以前はこうして他愛のない会話で楽しんでいたな、と。

 また戻れたらいいな、と。


 そう感じていた時、軽くなった体は無意識か本心か、笑いを納めたラルファースの口が開いた。


 「この戦争を指示したのは、父上じゃないよ」


 「えっ」


 予想外の言葉にルキアは全思考、全動作が止まった。

 どういうことだ?東が仕掛けまくっているこの戦争は皇帝の指示じゃないという。

 ということは、王の許可が下りていない戦争なのか?

 しかし、王の許可がないのに軍が動いているのは不自然であり謎だ。

 今の状態を含め全てが謎だった。


 「つ、つまりどういうことだ?

  東の皇帝……、バイドはどうしたんだ?」


 やっとの思いで出た言葉はあまりにも不安定だった。

 聞きたい事が定まらない、だけど何が起きてるのかを知りたい。

 そんな感情に言葉が追い付いて来ないのだ。

 だが、ラルファースはそんなルキアの感情に気付いており、一度大きく頷いては言葉を続けた。


 「実は……、父上は今、病でずっととこせってしまっているんだ……。

  急にお体を壊されて、僕にもよくわからないままでね……」


 今、皇帝バイドは病によりせっているという。

 その言葉に、ルキアもある事に気付いては声を上げた。


 「バイドも!?」


 ルキアのその反射的に出た短い言葉さえ逃すことはできず、ラルファースが明らかに驚いた反応を示す。

 バイドとオーシャンは旧知の仲であり、お互いに似た者同士の病気知らずの人物だった。

 その二人が今、同じ時期に、共に病に侵されているというのだ。


 「オーシャン様もお体を……!?」


 「ああ。多分バイドほどじゃないと思うが。

  あの人はとこせるなんて、そんな大人しく寝てないからな。

  でも、多少なりとも病にかかっているのは確かだ。

  今はリオンが国を指揮しているよ」

 

 オーシャンも病に侵されている……。

 その話を聞いた時、ラルファースはなにか心当たりがあるのか、少し考えるような動作をした。

 そして、少しした後、とても真剣な顔でルキアを真っ直ぐ見る。

 彼の真剣な表情にルキアは一瞬嫌な予感を覚え、心臓が変な音を立てたのに気付いたが、冷静を保ち、その瞳と真剣に向き合うことにした。


 「……ルキアさん。

  今の東を指揮しているのは僕でもないんです。

  その人は―――」


 そこまで言った時、ラルファースがなにかに気付く。

 ハッとして口を閉じれば、ピタリと動かずに気配だけでなにかを探しているようだった。

 戦場で漂うような殺気や狂気とはまた違った、冷気のようなもの。それを微かに感じ取ったのだ。

 戦いで発せられる闘気や熱意に満ちるこの場所には不釣り合いな、静かで突き刺さるような冷たい気の存在。

 もちろんラルファースだけでなく、ルキアも微かにその妙な気配に気付いていた。

 しかし、近くにそんな気を発するモノの気配は感じない。

 ただの雪による冷たい風なのか、そう安堵した時だった。


 「……ラルファース皇子。

  あまり自国の内情を語るのは良くありませんよ……」


 ぽん。と、背後、真後ろから肩に手を置かれたラルファースの表情が瞬間で凍りつく。

 それはルキア自身も同じだった。

 突然目の前のラルファースの背後に人が現れたのだ。

 そう、見えなかったのだ、何も。


 「ど、……どうして……」

 

 自国の者に今のラルファースの言動を聞かれたとなれば裏切りとなるだろう。

 その不安からラルファースの声は無意識にも震えてしまっていた。


 “どうしてここにいるのか”。


 そう彼は聞こうとしていたが、途中まで出かかった言葉は飲み込まれ、声が出せなくなってしまったのだ。

 だが、そんな彼の代わりに気丈に声を出したのはルキアだった。

 突然、音どころか気配もなく現れたその者に驚きから戸惑ってしまったが、ラルファースの危険を感じれば震えなど感じずに、気丈に向き合える強さがルキアにはある。


 「あれほど小さな気配でここまで近付けるなんて……。

  お前、何者だ!?」


 最後の言葉を言い放つと同時に、ルキアは太刀を遠慮なく抜き放って構える。

 刀の切っ先を向けられながらもそれにひるむことなく、その刀身と同じくらいの鋭い視線をルキアに向けた女性。

 その整った顔と冷たく鋭い瞳に、一瞬にして背筋になにかが駆け抜ける。

 綺麗な人だ。だが、同時に異様な不気味ささえ感じる……。

 人が持つにはおかしいくらい、強すぎる覇気をまとうせいなのだろうか?


 「キミは……。………。

  とにかく刀を下ろしてもらえませんか?

  私は、アナタや皇子に危害を加える気はない」


 「そんな言葉を信じて、はいそうですか、って刀を納めるようじゃ、戦場では生き残れねえよ……?」


 女性では珍しいくらいの低いハスキーな声で制止を促されるものの、ルキアは一切油断もせず、言葉に応じず立ち向かう気丈さを保った。


 薔薇を思わせるような暗いあか色の髪を後ろで三つ編みにした、深い緑色の瞳を持つ女性。

 一見華奢な体付きだが、上着の白い騎士服がそれを隠し、か細い雰囲気は妙な貫禄により打ち消されて大きく見える。

 どこか物腰が柔らかく儚い印象を受けるものの、美しくも冷たい瞳はなにもかもを見通すように鋭く、油断を許せなかった。


 ルキアのまったく警戒を解かないその言葉に、呆れたように軽くため息をついたのは女騎士。

 その表情は“仕方のない人”とでも言いたげな表情だった。

 静かに対峙する二人の間に無言の火花が散る中、間に挟まれたままのラルファースはおどおどと口を開いてあることを知らせる。


 「ルキアさん、待って。

  この人は、……知り合いだよ」


 しっかりとした言葉だというのに、届いた声には相変わらず微かに震えが残っていた。

 震えが現れる以上ラルファースのその言葉にさえ疑問が残るものの、ルキアは渋々ゆっくりと警戒を解く。


 「本当に、危害を与える気はないんだな……?」


 「ええ。もちろん」


 こちらが酷いくらい警戒していたのに対し、サラリと涼しく返されたのが無性に馬鹿らしかった。

 突然現れては振り回されている感覚が渦巻いて、ルキアはすこし苛立いらだったように刀を下ろす。

 すると、女騎士はラルファースの後ろから離れて横に立てば、ルキアの方へ胸に片手を当てて軽く会釈をした。


 「…ありがとうございます」


 「別に」


 女騎士の上品な仕草が余計に全く動じていない余裕を見せつけてきた気がしたので、短い言葉に不機嫌を乗せてとびきり無愛想に言い捨てる。

 そして、ルキアは太刀を鞘に納めれば、その場から離れようと身を返して歩みを進めた。

 これでも礼儀はあるつもりだ。

 東の者同士の会話を他国の者が聞いていいわけがない。

 今は内情を知りたいが、さすがにあの女騎士の前で堂々とは聞けない。

 よく、身成りや言葉遣いでその人の人柄が見えるなどと言うが、あの女騎士だけは全くわからないから不気味なのだ。

 仕草は丁寧で上品だし、口調も余裕を感じさせるほどの落ち着いた敬語だ。普通の人なら間違いなく好印象だ。が、彼女はそれが逆に得体の知れない脅威や不気味さにも感じさせてくる。


 「待ってください。……信じてくれたアナタだ。

  聞いていても問題はない」


 「はあっ!?」


 ――打ち砕かれた。そんな気がした。

 まさか、せめてもの立ち去るべきという礼儀が砕かれ、常識さえも砕いては余所者が話を聞いていても良いと言うのだ。


 “アナタだから”と。


 初対面なのに人をわかってでもいるように言う、まったくもって不可思議な人物だ。

 時折、敬語と私語が混ざるのも計算なのか。

 敬語を話すのが素なのか、あの鋭い喋りが素なのか。

 敵なのか味方なのか……。


 そんな疑問も一気に押し寄せるが、なによりも非常識な許可にルキアはつい声を荒げてしまった。

 ルキアのそんな反応を無視し……たワケではないが、言葉を失ったルキアをよそに、今度はラルファースが女騎士に話しかけた。


 「勝手に知り合いと言ってごめんなさい。

  あなたとは城内で数回お会いしただけなのに…」


 「? いえ、別に」


 突然のラルファースの謝罪に少し驚きつつ、柔らかい声で短く返す女騎士。

 現れた時の警告を放った冷たい声が姿を潜め、予想外の柔らかい声に気を許したかのように、ラルファースは次々と言葉を重ねていく。

 その姿はまるでお話をしたい子供のように。

 雑談ができるくらいの柔らかい関係になりたいかのように。

 ――そしてあわよくば、あなたが何者なのかを知りたがるように……。


 「僕は皇子でありながら、同じ城内にいるあなたの名前も、誰なのかも知らない……。

  あなたは何故グランヴァルに? 名前は――……」


 「…私は名乗れるほどの者ではありませんよ。

  ……それよりも」

 

 ラルファースの質問を全てぶった切り、その女騎士の声は突然最初の鋭いものに戻った。

 その瞳も、その声も、全てが一気に冷気をまとった鋭いものになり、先程までの柔らかさは一瞬にして消え失せた。

 瞬間、ラルファースの顔から友好的にいこうとした柔らかさが消え失せ、血の気が引いたように恐怖で強張った


 「東の内情を語るということ……。

  つまり、その身がどうなっても構わないと……?」


 ゾクッと一瞬で背筋が凍る。

 怖いくらいの雰囲気と同じように、威圧感を含んだ声が鋭く深く心臓に突き刺さる。


 目の前の女騎士の目は妙に本気だった。

 まさに今この場で刃を向け、斬り捨てられるんじゃないかと思うほどに……。


 雰囲気も、話す時のニュアンスも、仕草も、すべてがコロコロ変わるからこそ掴みにくく、謎だからこそ異様に警戒しているのもある。

 だが、それにしても彼女が持つ威圧感は、静かでありながら圧倒的で、冷たく、異常だった。

 決して一般人じゃない。

 いや、女性が持つにはおかしいくらいの強すぎる覇気がある。

 下手な者であれば、その覇気に当てられて息を忘れ窒息するか、立つ足の力さえ失われるほどに感じる。

 逃げるべきなのか、いや、逃げても逃げ切れる自信などない。

 どうするべきか迷っていた時、女騎士はそのまま言葉を続けてきた。


 「この事をあの方に知られたら、たとえ皇子といえど排除されるでしょうね。

  それに……。

  今ここで、その手を私が下すことも許されるかと……」


 「――ッ!!」


 今の息が誰のものだったのかわからない速さで刃がぶつかり、鋭く耳をつんざく音が瞬間辺りに響き渡った。

 刃同士をぶつけていたのは、もちろんこの二人……

 ルキアと女騎士だ。

 先に仕掛けたのはルキアだったが、女騎士の早過ぎる反応と、受け止める姿に我が目を疑う事となる。


 「なっ!?」


 女騎士に防がれたルキアの刹那の太刀の一閃。

 ルキアは全国の中でも屈指の速さを誇る剣士としてその名は国境を越えて知れ渡っている。

 なのに、女騎士はその一撃を難なく防いでいたのだ。


 そして、その攻撃を防いだ女騎士が握る武器に目を疑うことになる。


 彼女自身も女性にしては背が高い方だが、その身の丈程の長さと大きさを持つ大剣を、右手、たった片方の手で握っていたのだ。

 明らかに一般的な男の傭兵が持つ大剣より大きい。

 しかも、その剣にはルキアの攻撃の重さも乗っているのにそれを片手で防いでいるのだ。


 その衝撃を目の当たりにし、一撃を防がれたルキアは瞬時に刀を弾いて飛び下がる。


 「へぇ。アンタみたいな女がそんな大きな剣を使うなんてな。

  正直油断してた。意外だったよ。

  それに、その速さと反応……。

  アンタ……、只者じゃねえな……?」


 言葉をつづる度に現実を突きつけられる予感がし、ルキアの身に一気に緊張が走る。


 “今目の前にいるのは並みの者じゃない”とわかってしまったから。


 そして、そんな者に友を守る為とはいえ、攻撃を仕掛けてしまったから。


 だけど、もう引き下がれない。


 そうわかった時にはもう、ルキアは緊張を振り払っては覚悟へ変え、気丈に立ち向かう姿勢を貫いた。


 「だけどな、友が目の前でやられるのを黙って見てられるほど。薄情じゃないんだよ。

  アンタがコイツをどーしても手に掛けるってんなら、私はこの刀を引かない!」


 そう言えばルキアは一層力を込めて刀を構える。

 その姿を見ては、女騎士も表情はまったく変えずも、下ろした剣を握る手に力を込めた。


 「や、やめてください!お願いです!

  ルキアさんは関係ないっ、僕の責任だから……っ!」


 ラルファースが声を振り絞って叫ぶが、女騎士は反応を示すことはなく黙ったままだった。

 二人がしばらく睨み合っていた中、不意に表情を微かに崩した女騎士がため息混じりに怪しく笑う。

 そして剣を握る手を緩めた。


 「…言っただろう、元から危害を与える気はないと。

  …私は手を引くが、今回の件でご自身の身が危ぶまれた事、心しておいてください……」


 それだけ言い残すと女騎士は身を返してその場から立ち去っていった。

 その後ろ姿を見送り、詰めていた息を吐き捨ててから太刀を納めるルキアとうつむくラルファース。

 少し分の悪そうな表情でルキアはラルファースに歩み寄る。


 「大丈夫か?」


 その声に弱々しく頷くラルファース。

 だが不安は解けないままである以上、大丈夫なんて保証はどこにもないだろう。

 緊張と恐怖を味わっては疲れて落ち込む様子の彼の姿を見て、ルキアは少し軽い口調で話す。


 「アイツ何者なんだろうな?

  あの手応えは普通のソレと違うぞ?

  一撃で決められると思ったのに、まさか止められるなんてなぁ……」


 まるで、自分の失敗を笑うかのようにルキアは陽気な笑顔を浮かべて笑った。

 しかしその笑顔は苦笑いに近く、彼女自身だって格の違いを見せつけられたような恐怖を覚えていたのだとわかってしまう。

 だがそれを隠して、自分のことよりも人を励ます為に笑うルキアに優しさを覚え、少しだけ軽くなった心で小さく頷いたラルファースは、ふとあることを口にした。

 

 「あの人のことはわからないんだ……」


 目を閉じて噛みしめるように告げた言葉。

 ルキアの優しさで軽さを思い出した心だが、その言葉を告げた声には沈んだ音も含まれており、一国の皇子なのに自分の城のことがわからないことへの悔しさと、寂しさを感じているのだとわかった。

 

 悔しいだろうな。悲しいだろうな。

 そう思えばルキアも彼の雰囲気に飲まれそうになってしまうが、それでも微笑んで、あえて明るく装ってラルファースから続けられる話を聞く。


 「突然グランヴァルにやって来て、最初は『商人』を名乗っていたけど、実際は“あの人”の用心棒みたい。

  名前も、どこから来たのかも知らされていないんだけど……」


 「まあ、あんなのが『商人』なワケないだろうな……」


 ラルファースの深刻そうな話の中でもルキアが冷静なツッコミを入れると、「だよね」なんてラルファースも小さく困ったように笑った。

 だが、それもそうだった。

 あんな身成りをしておいて、かつ、あんなに強い覇気と実力を持つ人が商人だったら兵士顔負けである。

 騎士のような服を着てあきないをする人などもまず居ないだろう。

 すべて、本当の姿を隠す為の嘘だろうと。

 それは、たとえたった一撃でも刃を交えたルキアが一番わかっていた。

 手練れの騎士か、はたまた暗殺者か……。


 「……僕、どうなるんだろう……」


 不意に発せられたラルファースの落ち込んだ力の無い言葉にルキアは焦ってしまう。

 そう、このたった一言でもとても深刻な内容だったからだ。

 この件から、ラルファースは中央の者に情報を流そうとした裏切り者だと、あの女騎士から確実に伝わるだろう。

 そして、女騎士が言っていたように、それを知った“あの人”がラルファースを排除しようとする可能性もある。

 このままグランヴァルに帰して良いのだろうか?

 彼の身を案じながらそう思った時、自然と言葉が出ていた。


 「もしお前が望むなら、私達が全力で保護する。

  アルメリアに来ればいい」


 ルキアの頼もしく優しい言葉に、ラルファースは一瞬こそ驚いたように目を丸くすれば、次いで少し考えるような素振りを見せたが、意外に早く返事をし、首を横へ振った。


 「僕が帰らなかったらグランヴァルがどうなるかわからない。

  それに父上も心配だし……。

  だから、……帰ってみるよ」


 これ以上心配はかけられないと、ふわりとラルファースは少しの笑顔で返したものの、力のない笑顔は不安そうな表情を隠し切れていなかった。

 だが、ルキアは彼の人一倍の優しさと意思の強さを知っている。


 一国を守る皇帝の子。

 のちの王となる気質も、なにもかもを。


 「わかった。でも気を付けてな。

  本当に身の危険を感じたら、いつでもアルメリアに来い。

  私達はお前を必ず守るからな」


 優しく頼もしい声でもう一度ルキアが言えば、ラルファースもふわりと今度こそしっかりと笑顔を浮かべた。

 やっと見せた、彼本来の穏やかな笑顔だ。


 「ありがとう。

  いざとなったら駆け込むから、その時は任せるね」


 やっと交わせたお互いの本心からの言葉。

 柔らかい笑顔と声での会話は懐かしさも思い出させ、いつか近い内にこうして話せる日常が戻ることを願うかのようだった。


 ――二人の会話が終わる頃には、戦いもいよいよ終わりを迎えようとしていた。

 静かになった戦場を感じ、ラルファースがルキアを背に隠すような位置に立つと、正面を向いたまま少しだけ後ろを振り返る。


 「少し隠れて」


 「?」


 何が起きるのかと思いながら、ラルファースの背の影にあった茂みに身を隠す。

 完全に隠れたのを見れば、微笑んでいた顔をキリッと戻し、大きく息を吸い込んだ。


 「全東軍に告ぐ!全滅を逃れる為に此度こたびは撤退を計る!

  全軍、急いで帰還せよ!!」


 ラルファースの号令に、残った東軍は一斉に撤退し始めた。

 撤退する東軍を眺めながら、助かった安堵から北東軍は力が抜けたように雪に座り込んだ。


 力を抜いて武器を下ろしたり、無意識に緊張した手がほどけて武器を落としたり……。


 そんな様子を中央軍が見ては手を差し伸べたり、同じく隣で雪原に転がったり、何とも言えない穏やかな勝利後の風景が広がっている。

 もちろん辺りを警戒する兵士もいるのだが、それさえも手練れで強いからこその慣れた習慣に見えてくるほどだった。


 やがて、ほとんどの東軍が撤退を終えた頃、静かにルキアが茂みから出てきた。

 先程まで戦場だった雪原は元の静寂を取り戻しており、残った中央軍は、撤退した東軍が再び帰り来ないように見張りつつ、ルキアとラルファースの密談を守っていた。


 「さすがは軍師殿。お見事」


 少しからかうような笑みを含んだ口調でルキアは言う。

 それを言われたラルファースは、ちょっとだけ照れたように苦笑いを浮かべたものの、どこか嬉しそうに微笑んでいた。

 だが、すぐに現実と向き合えば笑みを抑え、真剣な眼差しを取り戻してはルキアを見据える。


 「僕も戻らなきゃ。

  突然の中央軍には驚かされたけど、ありがとう」


 突然参戦しては東軍に敗退を強いたのに、何故お礼を言われたのかわからないルキアはきょとんとしてしまう。

 その表情を見て、ラルファースは伝わらなかったかと思い、いそいそと言葉を付け加えていった。


 「あっ、えっと……。

  北東軍の援軍に来てくれたおかげで、これ以上罪のない人達を傷付けずに済んだよ。ってこと。

  結果的には、たくさん傷付けてしまったけれど……」


 最後だけ深い痛みを含んで発せられた言葉だったが、ラルファースの優しさが強く伝わる言葉だった。

 やはり彼は戦争嫌いで、平穏を強く願う皇子だなと再認識する。

 その言葉を受け止めて、やっとルキアは「ああ」と納得したようで、素直に、直球に言葉を返した。


 「でも東は敗退したに変わりない。

  ……大丈夫なのか?」


 やっとラルファースが少し無理矢理でも笑顔を浮かべていたというのに、ルキアのその素直な一言がまた不安を与えてしまう。

 だが、一瞬こそ顔を歪めたがもう迷いはなかった。

 すぐにまた、彼は柔らかくも力強い笑みを浮かべていたのだ。


 「大丈夫とは思わないよ。敗退したあげく裏切りなんて……。

  それでも僕はグランヴァルを元に戻したい、守りたいから。

  ……あの人が僕にどんな処罰を与えるかわからないけどね」


 ハッキリとした意思のある声と言葉は、とにかく真実を知りたいという、その一心なのだとわかる。

 だが、そんな決意の言葉を話していたというのに何故かルキアは返事もせず黙った。

 やはりまだ、このまま帰していいのか、とそんなことを悩んでいるのだろうか?と、ラルファースもそう思っては少し申し訳なさそうに眉を下げた。


 大丈夫だと、安心していて平気だと、いざとなったら逃げ切るから。と伝えなくてはと。

 これ以上心配をかけちゃいけないと。


 どうにか大丈夫だと伝える言葉を探していたラルファースだが、そんなタイミングでルキアがやっと口を開いた。


 「さっきから気になっていたんだけど、“あの人”って誰だ?」

 

 ――違った。

 さっきの沈黙は心配ではなく、これが疑問だったらしい。


 ラルファースも予想が外れたことで一瞬思考が止まったが、冷静さを取り戻したと同時に表情を戻す。

 気を使わせていたら申し訳なかったけれど、どうやらそういう意味ではなく、ただ素直に疑問をいだいていただけなのだとわかって逆に安心したようだ。

 しかし、同時に過るのは、また別の申し訳ない気持ちだった。

 そう、彼の口から出た言葉は予想外な答えで――。


 「それは……、……言えない……」


 「言えない……?」


 先程まではできる限り、知る限りを話して、わからないならわからないと言っていた。

 だが今の言葉は、わからないではなく“言えない”と言ったのだ。

 もちろんその真意は簡単にわかる。

 口止めされているのだと。

 裏切り者として報告される未来が決まっていても、そこだけは決して言えない理由に、皇子以上の力を持つ存在が、彼か、彼の周りを脅かしているのだろうと容易に想像がついてしまう。

 最悪、命が関わっているかもしれない。

 それならば、ルキアもそれ以上を言えなくなってしまう。


 「じゃあ、僕、そろそろ行くよ。

  今回は本当にありがとう」


 立ち去る彼の後ろ姿を、ただ静かに見送ることしかできないルキア。

 しかし、そんなラルファースの後ろ姿はどこかたくましく、堂々としていた。

 全てと向き合い、受け入れる覚悟ができたかのように。

 その背中を眺めていたルキアも、抱いた不安は拭い去ることはできずとも、どこか楽観的ではあるが、大丈夫だろう。なんとかなる。と思い、そうなることを強く信じていた。



 ――二人の兵が その密談を見ていたと知らずに……。




 ~第二章へ~

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