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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第二幕:未知の歴史へ導く者
18/26

【第十二章】揺れる心は何を見るか




 『――――死にたいの?』


 「…死にたい。…そう思っていた。だけど、今は………?」


 『迷っているのね? いいのよ。

  あなたは生きるべき、生きていていい人だわ。』


 「…必要と、されるのだろうか?」


 『ええ、必ず。あなたは愛された王様。望まれてなった王様よ。

  それに、一番必要としている人がいるじゃない。』


 「……………。………どう……、なのだろう………?」


 『見ていればわかるわ。彼はあなたを誰よりも大切にしてる。

  だからあなたは、彼の為に生きることも出来るの。

  たとえ王様でなくなったとしても、そんな道もあるのよ。』


 「それは、…できない…。私と彼では決して相容れない理由がある…。

  ………それに…、彼は………。」




 ―――――――死 ん で し ま え ば い い の に 。




 『逃げてッッ!!!』



 「ぐッ……!?」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アルメリアで陰謀を働いていたライアを撃退し、

 消滅したと思われていた北国のリュースと、

 南大都アスルが何事もなかったかのように還り、封石を含め、

 住民も兵士達も何ひとつ欠けることなく無事に現れた。

 消したとされた本人セルディアは、グランヴァルにて療養中での返還。

 そして、バイドから届いた手紙にあった不穏な様子、

 各街の返還に胸騒ぎを覚えた者達は、それぞれの場所からグランヴァルへと向かう。


 東の帝国グランヴァルの城内の一室、そこには見慣れた顔が揃っていた。

 ルキア、リオン、カレン、フォルテ、そしてラルファースだ。

 六人は特に何かを話しているわけでもなく、

 その目の前にあるベッドで横になったまま眠り続けているセルディアの様子を、

 誰もが不安そうな表情で見守っていた。

 そう、何故不安そうな表情で見守ることになっているのか。

 それはもちろん彼女の様子にある。

 安静に眠ったまま養生しているはずなのに、

 冷や汗を浮かべては苦しそうな呼吸を繰り返しているのだ。

 その手は苦しみや痛みを逃そうとするかのように、

 布団をぎゅっと強く握ったまま緩むことがない。

 ベッドの横にしゃがみ、汗を濡れタオルで拭っているラルファース。

 その横では、二人の屍がタオルを絞ってセルディアの額のタオルを替えていた。

 これ以上することも出来ることもない他の者達は、

 ただ見守ることしかできないのだ。


 「……っう! ぐ…ッ。」


 こう、時々酷く苦しそうな声が漏れては布団を強く握るのだ。

 いったい何が起きているのかわからず、心穏やかに見守ることも、

 といって何か出来るわけでもなくもどかしい気持ちになる。


 「アーバントはいったいどうしているんだ!?

  療養中のセルディアさんを置いて、

  長期不在にする奴じゃないと思っていたんだが…。

  あれだけ会いたがってた相手がこんなに苦しんでいるのに。」


 少しだけ怒りを含んだような、焦ってでもいるような不安定な声は

 リオンから放たれた。しかし、ここにいる全員が思っていたことのようで、

 執事の長い不在に疑問の声が溢れる。もちろんラルファースが知るわけもなく、

 彼が異変に気付いて駆けつけた時には、もうアーバントの姿はなかったのだ。


 「うーん。なにかやらなきゃいけないことでもあったのかな?

  それとも、なにか探しに行ってるとかかな? どこ行っちゃったんだろう…。」


 心配そうに、それでも、そんな不審の声から弁明するように

 カレンが可能性の話をすれば、少しだけ雰囲気が和らいだような気がした。

 カレンの言葉に冷静さを取り戻し、とりあえず今は無事を願うことにした。

 ラルファースはタオルを片手に首を傾げ、セルディアの様子を心配そうに眺めた。


 「ケガの治療は済んでいるから、治る時の発熱とか、

  極度の疲労からの体の不調なんだと思うけど…。

  ここまで療養中に苦しむのは、ちょっと心配だね……。」


 タオルで優しく額の汗を拭いながら呟く。

 まるで、独り言のように思った言葉を口にしただけだが、

 その心配そうな声と的確な考えに、みんなも頭を悩ませては頷いていた。

 しばらくの静寂の後、セルディアの苦しそうな呼吸が不意に止まっては

 深く息を吐く音がし、髪がはらりと動き揺れると、

 ゆっくりとした動作で弱々しく目を開いた。

 その時、うっすらと開いた視界で一番最初に捉えた人物は、

 一番近くて隣にいた人物…ラルファースと目が合う。


 「………ラルファース…、様………?」


 小さく放たれた言葉に全員が反応してベッドへ歩み寄る。

 名前を呼んだ人以外に見慣れた顔が急にずらりと並んだ為、

 虚ろな意識と狭い視界で捉えた中でも驚いたように身を固めてしまう。

 一方、名前を呼ばれて目の合ったラルファースは、

 少しだけ頬を赤らめて戸惑いながら凍っている。

 だが、その原因はこの場にいて、実際に見た全員が体感し理解していた。

 もちろん原因はこの病人、セルディア以外にいない。

 先程までうなされていた為涙目で、熱のせいでその顔は淡い赤に染まり、

 汗を浮かべては息が乱れている。

 元がかなりの美人のせいか、こんな表情、こんな姿を見てしまうと

 性別問わずドキドキしてしまう。もちろんなのだが、

 この当の本人は至って無意識の為、ひとり「?」状態でいるのでまた罪な人だ。

 周りが動揺してしまっている中振り切って、

 代表するかのようにルキアが真剣に問う。


 「あの…大丈夫ですか? すごくうなされていたけれど…。」


 きょとんとしているセルディアを見てから、そうだったんですよと伝えるように頷く

 みんなを眺めて、初めて今自身の体の怠さに気づき、同時に何かを思い出す。

 何故、眠っていたはずなのにこんなに疲れているのか。

 その原因を思い出しては、静かにひとつのため息を零した。

 そして、少しだけ皮肉そうな、悲しみと笑いを含んだ微妙な笑みを口元に浮かべ、

 口角だけを上げてみせた。


 「…そうか…。生きて……いるんだな………。」


 ぽつりと呟かれた言葉だが、意味はとても深く重いものであり、

 その言葉を耳にした全員は目を丸くして、まるで自分の耳を疑ってでもいるように

 身動きを止めてしまっていた。いったいどういうことなのか、何があったのか、

 何故…そんな風に笑っているのか。そんな疑問だけが頭の中を延々と回る。


 「え、…あの…?」


 「いや、こちらの話です。…しばらく休めば治りますよ。」


 一転して柔らかく綺麗な笑みで微笑めば、質問したルキアは

 反射的にそれ以上の言葉を続けることができずに口を閉ざした。

 〝これ以上聞けない〟

 そんな思いが心に制止をかけてきた気がした。

 それはルキアだけではなく、他の者にも同じような制止がかかったかのように、

 続く言葉を口にする者は誰もいなかった。

 心配には変わりないが、何と言えばいいのか、励ます言葉も見当たらず

 誰もが言葉を失った時、セルディアが少しだけ視線を周りに移した。


 「…アーバントは…、外出中ですか…?」


 一番長い付き合いであり、自分の執事でもある存在の不在に

 不安になるのも仕方のないことだろう。

 こうしてみんなが集まっている中、執事だけいないとなれば探して当然だ。

 しかし、そんなセルディアの声そのものは無感情というほどではないが、

 どこか不安な響きなど宿していないように聞こえた気がした。

 だが、その彼の行方はここにいる誰一人として知らない。


 「アーバントさん、僕と父上がここに駆けつけた時にはもういなくて、

  今までの一度も帰ってきていないようなんです。」


 ラルファースが今までのことを思い出しながら告げると、

 セルディアは何も疑問に思っていないように目を伏せれば、

 次にその目を開くと天井を見上げて無感情に言い捨てる。


 「…そうですか。…まだ……。」


 瞳そのものは鋭い光を宿し、表情はどこか柔らかくも悲哀を微かに伺わせる。

 言葉を言い終えれば、何かを考えるようにフッと再び目を伏せてしまう。

 そんな意味深な言葉と動作をされれば、ラルファースはゆるりと首を傾げた。


 「まだ?」


 「い、いえ。何でもありません…!」


 不意に出たのだろう「まだ」という言葉を拾われて問われれば、

 焦ったように声を張って否定する。しかし、否定したというのに、

 その後に見せた表情はどこかほっとしたような、安心したような顔を見せた。

 どういう意味なのかはわからない。だが、落ち着いた表情だった。

 おそらく何か悪い意味ではないのだろう、と誰もが感じるほどに。

 それをきっかけにある男が口を開く。


 「消えた街を戻したのはオマエの力か?」


 フォルテの話題の転換、その内容に全員が反応しセルディアの返答を待つ。

 問われた本人は一瞬だけ何故か驚いた表情を見せたが、

 すぐに他のことを考えるのをやめて、問われた質問だけに集中する。


 「…どこまで知っているのですか?」


 まるで必要以上は話さないとでもいうかのように、質問に質問で返す。

 そんなセルディアの反応に、フォルテは少しだけ面倒くさそうに顔を歪めた。

 その表情をいち早く察知しては、あわあわとしたカレンが

 飛んでくるように割り込んで来た。


 「あーっ、あのですね!街が戻ったって聞いて、私たち街に戻ったんです!

  そしたら、セルディアさんが女王様に許可を取りに来たって…。

  …あっ、フォルテの方はどうだったか知らないけど、

  そんなところでしょっ!?ねぇ!?」


 …パニックと必死さが露呈しており、傍観していたルキア達は呆れ顔で、

 フォルテは何かとてつもなく怠そうな顔をしていた。

 そんなカレンの動作や言葉は、きっと「落ち着いて話そうよ!」

 ということなのだろうと理解して、とりあえず落ち着いて話すことに努める。

 …もとから、言い争う予定などないのだが。


 「…まあ、そんなところだ。住民のどいつもオマエを悪く言う奴がいなかったんだ。

  いったい、どういうことだと思ってな。

  …それに、…カレンの言う許可ってなんだよ?」


 そこまで話すふたりを見て、すぐにふたつの街が両方元に戻ったのだと理解する。

 そして、ふたりとも何が起きたのかは知らされており、

 その為に残った疑問を解きたいのだと。

 隠すこともない、とセルディアは一度だけ強く頷くと口を開くことを選んだ。

 心の中に、とある疑問だけを宿して…。


 「…そうですね。私の力か、と問われれば少し語弊があります。

  私は元々、ギラードが封石を狙っていると知り、

  守る為に街を消したふりをして隠し持っていました。

  元の場所へは、アーバントが戻しに行ってくれています…。

  …こんなように、私は動けませんから…。」


 どうりでここにアーバントがいないことに納得する。

 …しかし、何かほんの少しの違和感があるような…?


 「そっか…。じゃあ、私たちがリュースで戦った時のあれは演技…。

  ギラードを思い込ませる為の演技だったんですね…。」


 カレンがまさに申し訳ない、というように落ち込んだ言葉を綴るが、

 それが本気で思い込むほどの演技だったからこそギラードすら欺けたのだろう。

 バレてしまえばその時点で全てが終わってしまっていた。

 それはローゼアント自身が気にしていた最悪の結末となっていたはずだ。

 「ごめんなさい」と続けたカレンの横、

 そこでリオンはひとり顎に手を運んでうつむいていた。


 「街という生活のある物でもあるし重大…。だから、とりあえずとはいえ、

  ギラード達がいなくなった今、返還を選んだってことか…。

  …………。――ん?ちょっと待てよ…。もう街は戻っているんだよな?

  じゃあ、なんでまだアーバントの奴帰って来てないんだ?」


 カレンが申し訳なさそうにしょんぼりした中、

 思考を巡らせたリオンが名推理を披露する。

 が、最後に一番考えも付かない疑問が出ては首をひねる。

 そんなリオンにつられるように全員の頭の上にも「?」が浮かぶ。

 ただひとり、セルディアを除いては…。

 彼女は街が戻っていると知った時に驚いてから、どこか表情は悲しそうな、

 バツの悪そうな、複雑な様子を見せていた。

 そして、誰にも見せないくらいとても小さく表情を陰らせれば、

 同じくらいとても小さく掻き消されるような声で呟いた。


 「………やはり、あの声は……。」


 「…え?」


 セルディアの自問自答のような独り言の呟きが微かに届き、

 言葉こそ何と言ったかまで聞こえずとも、

 何かの音を聞いて反応を返したのは一番近くにいたラルファースだった。

 彼にしか聞こえなかったことを確認しては、

 不意にふわりと微笑んでは黙ったまま首を横に振った。

 彼にだけ向けられた表情。

 考え事に意識が持って行かれている他の者には気付かないくらいの微かなやりとり。

 その表情や静かな仕草は、柔らかく微笑んでいるというのに、

 その奥ではとてもつらそうで、今にも泣きそうなのをこらえているように見えた。

 言いようのない不安感をいだいたが、何も言葉が出ることはなかった。

 すると、黙って聞いていたフォルテが、突然薄ら笑うように鼻で笑った。


 「そりゃ、執事が長い間留守っていうのも変な話だろ。」


 当たりぇだろ、と言う代わりに言い放った。


 「長い付き合いだと言っていたしな。

  執事じゃなくても、連絡もなく不在だと不安になって当然だ。」


 推理を披露したリオンすら、当然だな、とばかりに続ける。


 「まったくだよ。あるじであり王様、王様であり女性。

  そんな大事な人に心配かけさせるなよなぁ…。」


 ホントだよな、とルキアすらも話に乗っかってきてしまう。


 「!? ち、違うんだ。そうではなく、ただ…彼、は……。」


 ひとり焦っては不安定な言葉を飛ばすセルディア。

 不安定に途切れた彼女の言葉をフォローするように、ラルファースが焦っては

 みんなを止めるように続けた。


 「ちょっとちょっと、みんな。勝手に話しすぎだよ。王様本人を前に…!」


 フォルテ、リオン、ルキアと話が盛り上がっては批判という結論に至り、

 言いたい放題で盛り上がるので、内容が内容でもあった為に

 驚いて否定したセルディア。唯一、三人に乗ることなく制止の言葉を投げてくれた

 ラルファースには感謝したくなる。

 ただし、弁明したくとも、否定まではしっかり言えたものの、

 その後に続く言葉は力なく消えてしまい、

 セルディアはひとり、己の心に居座る感情に怯えた。

 その様子を近くで見ていたラルファースは、絶対に言えない何かがあるんだと、

 ひとり確信を得ていた。

 そしてそれは、絶対に自分が聞いちゃいけないことなのだとも…。



 自分の心に巣食う疑心。

 それは間違いなくセルディアの心にあった。

 何もなければ、笑って弁明も、安心して帰りを待つこともできたはず。

 だが、今の自分はそれができない。


 それは、自分の中で〝彼〟を疑う自分がいるから。


 弁明したかったが、誰かに潔白を証明するには自分が信じていないとできない。

 しかし、自分は彼を疑っている。

 そんな自分が、相手へと彼の弁明などできるはずがない。


 ――――信じたい。


 …だが…


 ――――できない…。


 彼を疑っている自分に苦しくなり、声が消える。



 「―――こんなに…、弱かったっけ……?」



 おもむろに零した言葉は空に消えた。


 どうして信じてあげられないのか。

 どうして本音で接してあげられないのか。

 どうして―――――……




 …………本当のことを教えてあげられないのか…………。




 どうしようもなく目を閉じた。

 どうしたらいいのかなんてわからない。

 どうして、父も全て知っていてこの道を選んだのだろうか…。

 それが、まだ、まったくわからなかった…。

 いつまでこのまま、決して交わらない道を歩まなければならないのだろう…?

 きっと、もっと早い時に言える時はあったのかもしれない。

 しかし歳月は無情で、あっという間にその時は流れて消えてしまった。

 そしてここまで来てしまった。

 もう、いつ言おうが「今更何故」と自分を憎むだろう。

 それでもいいのかもしれない。

 だが、それでもまだ、自分に言える勇気がなかった。


 いつまで……〝彼〟を欺き、〝彼〟を疑うのだろう……?



 「誰にだって言えない秘密のひとつやふたつ、あるってものさ。」


 「……っ!?」


 突然届いた低く届く声に意識が戻り、驚いて目を開いた。

 …もしかして、自分の心に耳を傾けていたとはいえ、気でも失っていたのだろうか。

 今、声の存在で一気に現実に戻ってきたような、不思議な感覚がしていた。

 そんな声の方へ視線を向ける。

 その独特で低く落ち着いた声のぬしはバイドだった。

 部屋に入ってきた時は意識が飛んでいたのだろうが、

 今ルキア達の方へ歩いては彼女らにその言葉を向けていた。

 自分ではない。それを確認してはこっそりと胸を撫で降ろす。

 もし自分に言われようものならば、心の中を見透かされたのかと驚いては

 恐怖をいだくだろう。批判で盛り上がるルキア達の方へ歩み寄っては、

 「そういうものだからあまり憶測で決めるものではないよ」と諭しては

 笑顔で制した。バイドの登場でもすでにそうなのだが、

 その諭された言葉にルキア達は言葉を止めて苦笑いで謝っていた。

 どこか、この場の雰囲気は穏やかな空気が流れているような感じがして、

 セルディアもくすりと小さな笑みを零す。


 「人は誰しもあまり言いたくないこと、言えないことはあるものだ。

  それを言えというのは我が儘ではないかな?

  ……なあ? そう思わないか?」


 言葉の途中、不意にこちらへ話を振られて言葉が凍る。

 おそらく、他意はない。

 だが、それでも自分の状況が状況の為に過剰に反応してしまうし、

 瞬間的に言葉が出るほど頭がよく回ってくれないのだ。

 きっと、場を和ます為の行為なのだろうが、

 少しのが出来ては辛うじて頷くことが出来た。


 「…え…、ええ…。そう、ですね……。」


 不安定な音で綴った言葉ではあったが、それでもバイドは言葉を返してくれたことに

 「そうだよなぁ」とばかりに笑って返してくれた。

 違和感はあったはず。それでも、平然とした様子のままで返す。

 その優しさか配慮か、バイドという皇帝の人柄に感謝したかった。

 ルキア達の方へ笑って返すと、セルディアの方へ歩み寄り体調を伺う。


 「この国と国民、そして私達を救ってくれてありがとう。

  だが、その為にキミが必要以上に無理をしてくれたのはわかっているつもりだ。

  …体調はもう大丈夫か? 安静にと言ったのに倒れたから、心配だったんだが…。」


 後半、〝安静にと言ったのに〟の部分で笑ったバイドは、

 呆れたような、どこか我が子の悪戯を笑う親のような顔をしていた。

 そんな笑顔と落ち着いた声で問われれば、心から申し訳なさそうに

 苦笑いを浮かべては小さく謝るセルディア。

 現実のような夢のような、まるで幻影のような悪夢に悩まされていた疲れはあるが、

 体調そのものに関しては不調は感じていなかった。

 それだけグランヴァルの医療班の設備や、医者の技術力が高いのか、

 それともセルディア自身の自己治癒力の高さなのかはわからないが、

 疲労感以外に不便は感じていなかった。といっても、様々な力を犠牲にした為、

 力にはまだ何かしらの欠損があるかもしれないが、生活の面では不調はなさそうだ。


 「安静にしていたはずだろう?

  何故、療養中に倒れるようなことになったんだ? 何かあったのかい?」


 こちらを労る言葉に返す言葉を迷ったが、

 大雑把にも少しだけ素直になることを決めた。


 「…お恥ずかしい話にも…最近、おかしな夢を見て……。

  あまり、ゆっくり休めていないのかもしれません…。」


 ぽつりと呟くように落とされた言葉。

 ただし、それは事実であり、あまり熟睡という睡眠は取れていなかった気がする。

 今回だけではない。〝あの日〟からずっと繰り返し見ているもの。

 もう何日と穏やかな睡眠を取れていないのだろうか…。


 「…ふむ。悪夢か……。」


 そう、悪夢。繰り返し同じ悪夢に苛まれる苦痛。

 心穏やかに眠ることもできず、ただ、悪夢に振り回されているだけ。

 ここにいる全員、セルディアの壮絶な過去の話は

 大雑把で断片的ながらにも知っている。

 そのせいなのではないかと、何となくだが察しはついている。

 バイドはギラードとの戦いの中で断片的に聞かされ、

 ライアからの話はリオンが文で、ラルファースを含めたふたりに伝えていた。

 だから全員が、彼女がルシフェリア王国の国王だということ、

 そしてガスによる大火災で国を滅ぼされたと知っている。

 下手に言葉をかければ過去の傷を抉ることだろうと思い、

 そんなことは間違っても口にはできずにいた。


 「うーん…。こういう時にどんな言葉をかけたらいいのか私にはわからんが、

  きっとティアノやラリティア王妃なら、キミを支えてくれるのだろうがなぁ…。

  力になれなくてすまない…。」


 バイドは腕を組んだまま、真剣な表情で唸って告げた。

 そんな様子に「お気になさらず」と声をかけるが、ふと、

 聞き慣れない名前を聞いた気がしてセルディアは首を緩く傾げた。


 「…ティアノさんと…、ラリティア王妃様…?」


 「ん? …ああ、そうか。キミは知らないかもしれんな。」


 ルシフェリア王国は外交から外された、いわば孤立した王国。

 外交自体は西のクレスレイムが行ない、

 その情報をクレスレイムとルシフェリアの交友時に伝えるという、

 隣国にのみその存在を知られた秘密の庭園王国だ。

 だから、ルシフェリア王国という名前、国すら知らない人がいても

 何ら不思議ではないほどなのだ。

 知っているのは隣国のクレスレイムの住民くらいだろう。

 もしくは、よほどの歴史研究家かよほどの外交好きか。

 だからその分、ルシフェリアの住民は他国の情報に疎い。

 ましてやライアの話にもあったように、その第一王女と言われる次代国王は、

 即位する前に暗殺などに狙われない為に、その姿を滅多に見せないと言っていた。

 自国でも、まれに姿を見せても黒の装束に身を包んで現れるほどで、

 その姿を見られる機会も少なく、他国になんて一度も外交に出たことはない。

 外交するのは従者の者。位の高い臣下の者だ。その第一王女、

 現在の王であるセルディアが知らなくてもあまりおかしくはないのだ。


 「ラリティア王妃は、中央のアルメリア王国の王妃だよ。

  赤い髪と黄緑色の目をした美人でな。あのオーシャンの奥さんだ。

  で、ティアノは私の妻さ。こいつもまた美人でな。

  私とオーシャンは腐れ縁のような昔馴染みなんだが、

  どうやらふたりも似たようなものらしいんだ。」


 本当に楽しそうに笑顔で話すバイドは、今の平和を心から喜びながらも、

 どこか昔を懐かしむ言葉のように聞こえた。

 その意味も、ある考えが浮かんでは気付くことが出来る。


 「バイド様の奥様…ティアノ皇妃…。…どこかでお会いしたでしょうか……?」


 グランヴァルにギラードの用心棒として侵入してからのしばらくの間、

 王族のバイドとラルファース、そして城の騎士団や使用人と面識はあったが、

 皇妃の存在とは面識が無く、早くに亡くなっているのかとも考えていた。

 もしかすると最後の考えが当たっている可能性もあるが、

 聞くなら今のタイミングだと思い、思い切って聞いてみることにした。

 すると、バイドもラルファースも顔を見合わせてから困ったような表情をした。


 「いや…実は行方がわからなくてな…。

  捜索隊に捜させてはいるのだが、何せ手掛かりもなく難航中なんだ。」


 「ギラードに城を奪われる前、

  父上が体調を崩した時に僕が薬草を採りに行ったのですが、

  その後に母上もどこかに出掛けられたらしくて…。

  父上はすぐに捜索隊をギラードに知られないように派遣してくれたのですが、

  今も何も報せはないんです…。」


 「必ずどこかで生きてくれていると信じているけどな。

  普段こそお淑やかなやつだが、やる時はやるやつだ。」


 バイドとラルファースは心配で仕方ないのはもちろんだが、

 それでも絶対に生存を信じていると力強く言い切って見せた。

 皇妃が行方不明となると不安ではあるが、その力強さに信じることを選ぶ。

 その話を聞いていてリオンが言葉を付け足した。


 「そのティアノさんを追って、親友を捜すと飛び出したのが母上…。

  アルメリア王妃のラリティア・マーティンス。

  少なくとも、母上が見つけてくれていれば何も心配はないさ。

  ―――強いんだ、すごく。父上が背中を任せるくらい。」


 ここで初めて、グランヴァルとアルメリア両国の王妃様が

 今現在行方不明だと知らされる。重大な問題ではあるが、

 ふたつの国の人間が信頼し、無事を信じ待っているという姿に、

 セルディアは温かい気持ちを味わっていた。

 信頼される王族の帰りを待つ国民と家族。その欠片でも感じることが出来て、

 外の国の人間はここまで温かい者なのだと実感する。

 閉息された世界で、父と妹、そして使用人だけの温かさを感じて生きてきた。

 それ以外の温かいものなんて知ることも、考えることもなかった。

 だからこそ、ふたつの国の王妃の無事を共に信じることを決めた。


 「ふたつの国の御妃様…、

  ふたりが無事に戻ってお会いできる日を楽しみにしています…。」


 ふわりと告げられた本心からの言葉に全員が微笑んだ。

 どこか塞いでいたセルディアが、初めて笑って優しい言葉を零したからだ。

 初めて、希望を口にしたからだ。


 「そうだな。そうすれば、執事の彼に話しにくいことも、

  彼女達になら話しやすいかもしれないしな。」


 「あ……。」


 「…気付かれないとでも思ったかい?」


 「……………。」


 突然のバイドの確信に似た言葉に目を逸らしてしまう。

 自分でもどうしたらいいのかわからない、

 出口のない迷路に迷い込んでいる悩みの存在。

 それは、端から見るとわかりやすいものだったのだろうか?


 「ちょっ、父上…!」


 焦ったようにラルファースが制止の声を上げる。

 だが、何もバイドも責めるつもりも聞き出すつもりもなく、

 ただ、少しでもここにいる間は安らかにいて欲しいという気遣いだった。


 「もちろん聞き出すつもりはないぞ?

  だが……、どうしてもキミ達は遠慮し合っているように見えるんだ。

  いや…正確にはセルディアくん、キミが避けているように見える。

  何か複雑な理由があるのだろうと思う。

  でもな、アーバントくんは歩み寄ろうとしているよ。

  わからないなら、あえて歩み寄るのも手だと思うぞ。

  逃げるだけじゃわかるものもわからなくなり、やがて届かなくなってしまう。

  そうなれば、歩み寄りたくなっても手遅れになってしまうんだ。」


 「……わからないから、…歩み寄る……?」


 「そう。最初は怖く、どうしていいかわからないかもしれん。

  でも、人の事なんてわからないことばかりなんだ。

  もしかしたら傷つくかもしれない。

  もしかしたらわかりあえるかもしれない。

  だったら、閉じ籠もるより、駆け続けていた方がキミらしい。」


 優しくも厳しく言い聞かせるようにバイドは真剣に言葉を綴る。

 その表情は小さな笑みを浮かべながらも真剣で、

 端から話を聞いているラルファースもリオン達も聞き入ってしまうほどだった。

 真っ正面から言葉を向けられているセルディアはというと、

 何か言葉に心を動かされるものでもあったのか、

 驚きながらも噛みしめるように話を飲み込んでいた。

 その聞き入れてくれている姿を見て、

 バイドは不意に表情から笑みを消し真剣そのものの顔となる。


 「―――国をうしなっても、キミは王だ。

  王が人と歩み寄ることを忘れてはいけない。悩みに負け続けていてはいけない。

  民は、堂々とした王の姿を見たいと望むものだ。」


 皇帝としての威厳。国を統べる者としての姿勢。それを見せられた気がした。

 言葉を受け取ったセルディアは、うつむいてはその言葉を頭で、

 心で復唱し飲み込んでいく。しばらく無言の静寂が流れたが、

 その静寂はセルディアにとって大切な言葉を知り、整理する時間だった。

 ひとつの息を落として落ち着けば、お礼を述べようと顔を上げ…ようとした時、

 先を越されて豪快に笑う声が響いた。


 「なーんてっ!柄にもない説教をしてしまったかな。

  ごめんな。私じゃティアノ達のようにはいかないな。」


 セルディアだけじゃない。

 話を真剣に聞いては考えさせられていた全員が言葉を失っていた。

 一通り困ったように笑い飛ばせば、

 バイドも少しだけトーンを落ち着かせて言葉を続ける。


 「なんだかんだ言ってもな、王だってひとりの人間だ。

  悩みなんてごまんと、そりゃあ毎日あるくらいだよ。

  でも、そんな悩んで弱った姿は国民には見せない。

  その為に、話せる理解者が必要になるんだ。

  キミには、それに気付くことが大事かもしれないな。」


 自分の事を話題にしながらも、こちらを気遣い支えてくれる言葉。

 確かに…自分は国をうしない、民を殺されて自暴自棄になっていたのかもしれない。

 人を信じることをやめて、逃げていただけなのかもしれない。

 心に整理をつけてバイドに心からのお礼を述べる。

 すぐには変えられないだろうが、いつかそう考えられるようになりたいと。

 いつか、死んでいった国民にも胸を張って感謝を言えるような…。

 墓を建て、その墓前に堂々とした姿で面と向かえるようになりたいと…。

 小さな希望を宿した瞳は、少しだけ光を宿したように揺れた。


 「…っ!? や、すまん! 泣かすつもりはなかったんだ!」


 「あー、父上。女の人泣かしたー。」


 かっこいい父親の姿を見ていたが、それが招いた泣かすという結末に、

 息子のラルファースが珍しく茶化す。


 「皇帝陛下が他国の王様泣かすなんて国際問題かなー?」


 それに続けとルキアがニヤニヤと笑いながら茶化し続けた。


 「なっ…。こ、こら。ラルファースっ、ルキアくんもっ! 茶化すんじゃないぞ!」


 二人して楽しそうに笑っているものだから、

 泣かしてしまった罪悪感を覚えていたバイドも、まるで挑発に乗せられたように

 声を上げてしまっていた。それでも三人ともどこか楽しそうで、

 場の空気は明らかに穏やかなものへと変化している。

 周りすらつられて笑う中、フォルテだけは茶化す矛先を変えて、

 口元にはハッキリとした笑みのまま病人を見下ろす。


 「へえー…。王様も泣くんだなぁ?」


 「な…、泣いてなんかないですよッ!!」


 ニヤリと笑ってはセルディアに意地悪な言葉を向けたフォルテ。

 もちろん、そんな心配なんて微塵もないからかう言葉に強く反発するセルディア。

 そんなわきゃわきゃした雰囲気を、大人しいふたり、

 リオンとカレンは傍観してはふたりで笑っていた。


 「とりあえずというか、体調は良さそうで安心しました。

  俺達の国の為に戦ってくれて、本当にありがとうございます。」


 わきゃわきゃする中を割り切って、リオンは丁寧な言葉でお礼を述べる。

 その言葉にセルディアは一度の小さな頷きを返せば、

 穏やかなままにその小さな口を開いた。


 「いいえ…。少しでも、私という存在が役に立てたのなら満足です。

  それに、私には今まで通りに接してくれて良いですよ。」


 無理に丁寧に接したり、王だからとへりくだられるのは嫌なのか、

 普段通りで良いという言葉にリオンは隠れて安堵の息を零した。


 「…ああ、わかった。では、お互いそれでいかないか?

  気楽な方が話しやすいだろう。」


 「……あ。その…あれは、演技なんです。

  昔から、本当はこういう話し方でして…。」


 「えっ!!!?」


 今、だいぶ複数の疑問と驚きの声が同時に届いた気がする。

 それもそうだ。敵対時や戦闘時はとても鋭く、覇気のある口調をしていた。

 なのに、本当の彼女は敬語で話すのが日常だという。

 リオンでさえビックリして言葉が出ない時、

 からかう為に近くにいたフォルテがとんでもなく失礼な顔をした。


 「しかも演技って…、一体どこであんな怖ぇ話し方覚えたんだよ…。

  腐っても姫さんだろ。」


 一番口も悪く態度も荒々しいフォルテには言われたくなかったが、

 そんな言葉も場違いじゃないくらい二重人格のようなものだった。

 それを演技とはいえ、一国の王…正確には女王が使っていたのだから。

 口調だけじゃあの覇気は出ない。ならば態度や仕草もどこかで学んだはずだ。

 いったいどんな奴を参考にしたのか、そればかりが気になってしまう。


 「それは、またの機会に――、…っこほ、こほ…。」


 そこで苦笑いを浮かべては教えるのを断り、小さく咳込んだ。

 病人相手に長話はいけないな、と反省する。

 隣でラルファースが塗れタオルを渡し、受け取ると口元に運んで深呼吸をする。

 少しでも潤った空気を喉に通すためだ。

 深呼吸をしながら、その演技の元となり参考にしていた人物を思い起こしていた。

 懐かしくも古い記憶。楽しくも怖い、様々な思い出の残る記憶。

 そして歩み寄る大切さ。

 昔の自分と今の自分を照らし合わせて違いを探る。

 昔出来ていたことが今出来なくなる、そんな事柄はたくさんあるが、

 二度と、一生、出来なくなるわけではない。


 ……がんばってみようかな……。


 そんな明るい思いが、すごく久々に顔を出した気がした。

 咳込んだことに対して「大丈夫」と言う代わりに小さく笑ってみせれば、

 周りはほっと胸を撫で降ろし、そろそろ安静にしてあげようと

 部屋を後にする意を伺わせる。その様子を感じ取れば、

 セルディアはゆっくり上体を起こして軽く一礼して感謝を述べる。

 無理して起きなくていいのに、と苦笑いを浮かべながらもリオン達も一礼を返す。

 今はこうして穏やかな気持ちでみんなに感謝を述べて見送れるが、

 いざ〝彼〟を前にしたら同じような笑顔を向けられるだろうか?

 いや、今はまだ時間が必要だろう。せめて、帰って来るまでに整理をつけておこう。

 そんな複雑な心を宿していた。


 ……………。

 …ああ、しまった。

 また暗い顔をしそうになっただろうか。

 やめよう。

 そんなことばかり考えるのは。

 いつか必ず、そう、いつか…向き合うんだ―――――…



 「……ん?」


 不意にバイドが何かに気付いたように小さな疑問の声をあげた。

 その声にみんなはバイドを見て、その目線が向く方へ視線を移そうとした、

 その時だった。

 目の前に何か大きな白い影が現れた。


 「王ッ、ご無事ですかッ!?」


 バサァ…ッ と、とても大きく白い翼を広げ、真っ白の羽を散らしながら

 セルディアのベッドの横へ姿を見せたのはアーバントだった。

 黒い執事服をまとう普段の彼の姿だが、

 異様なのはその背に純白の翼を宿していること。

 その後ろに降り立った黒い鳥も、部屋に辿り着くと黒い羽を散り消していた。

 アーバントの翼もまるで役目を終えたように散り消えていき、

 舞い散った羽も光の粒のように消え失せていく。

 不在で話題に挙がっていた張本人であり、セルディアが心を入れ替えようと決心し

 整理しようとしていた中での登場に、酷いくらいに驚いては固まってしまっていた。

 …何が「ご無事だ」。…今ので寿命が縮んだわ。


 「い、…今…どこから来た? 窓……?」


 「わ、わかんねぇ…。が、なんだ、今の? ……羽?」


 リオンとフォルテが驚きと不可思議な出来事のせいで混乱し、

 淡々とした口調で話を続ける中、先に気付いていたであろうバイドは

 鳥の姿を目撃していたらしい。「鳥?」と更に首を傾げるふたりをよそに、

 驚きをなんとか落ち着かせてセルディアはアーバントと向き合う。


 「…おかえりなさい。街の返還、ありがとうございました。…お疲れ様です。」


 今できるだけの笑顔でそれだけを返した。

 普通ならあんな風に登場され、「無事か」なんて問われれば何かしらの返答、

 反応があるだろうが、反応せず一切触れてこなかったことにアーバントはもちろん、

 ルキア達も不思議に思ってしまう。

 同時に、向けられたその笑顔に違和感を覚えるアーバント。

 何か、本当に言いたいことを無理矢理しまい込んだような、

 痛みを誤魔化すような笑みに見えてしまう。

 一瞬、不安そうな顔をされたが、セルディアはそれを気付かないふりをした。

 多分、彼にはバレている。でも、そうするしかできなかった。


 「え、えっと…アーバントさんって天使族…? さっきの羽って?」


 恐る恐る問いかけたのは、天使族であるカレン。

 彼女は普段こそ翼を隠しているが、かつての時代の天使族の血を濃く継ぐ者であり、

 その力を行使する時に翼が見えるとか。

 何故そんな時代の種族の血をカレンが濃く継いでいるのかは不明だが、

 今や背に翼を背負う者など天使族しかいないだろう。

 同族、仲間、親戚?そんな疑問からカレンは問うものの、

 アーバントは小さく振り返ると緩く首を傾げたまま答える。


 「いえ、わたくしは人間と幻獣と呼ばれる――…、そうですね。

  この国でわかりやすく言うならば、精霊と呼ばれる存在とのハーフなんです。」


 「せ、精霊との…ハーフ?ですか?」


 いまいち想像が付かずに、質問者のカレンを筆頭に

 全員が首を傾げて「?」となっている。人間と獣、

 はたまた霊体とのハーフなど聞いたこともなく、非現実的な話に理解がいかない。

 どう説明しようか悩むアーバントだが、ひとつの簡単な説明を思いついた。


 「ハーフ、というと肉体的な意味で想像をしますが、

  これは魂が半分ずつ混ざり合うというものなのです。

  わたくしは人間と霊凰れいおうという鳥のハーフ…。

  ルシフェリア王国でも珍しいので、

  何故(わたくし)がそんな力を持っているのかはわからないのですが…。」


 説明はできたものの、何故その力に自分が見入られたのかは知らない為、

 最後だけは困ったように笑って説明してみると、

 その説明で何となく想像がついたようで小さな納得のため息が零れる。

 そんなひとつの謎が解けた時、リオンは次の疑問とばかりに

 とある言葉を告げる決心をする。

 疑うわけじゃない。ただ、どういうことなのかを知りたいだけだ。


 「なあ、アーバント。

  街が返還されてしばらく経ったと思うが、お前今までどこに行っていたんだ?」


 まるでセルディアが押し込んだ疑問を代弁するようにリオンが問えば、

 セルディアは一瞬こそハッとしてはリオンを見たが、

 諦めてアーバントの方へ真剣なままの瞳を向ける。

 だが、予想を反してアーバントは穏やかな笑顔を浮かべては、

 明朗なままにその声を返してきた。


 「いえ、わたくしの勝手なお節介をしていたまでです。

  街をただそのまま元に戻しても、また狙われてしまっては王の面目が立ちません。

  なので、封石に結界を張らせていただいておりました。」


 セルディアは街の返還を頼んだだけだが、

 それに補足したお節介でアーバントは保険をかけていたのだ。

 あるじの面目を守る、ただその一心に。

 自分の浅はかさに頭を抱えてしまう。

 ただ戻しただけでは、まだ生存の可能性のある彼らが

 今度こそと襲いに来る可能性は十分に考えられたはず。

 それなのに自分は、ただ街を戻して終わりのように考えてしまっていた。

 自分が守らずともふたつの住民は強く、乗り切れると思ってはいたが、

 それは放任すぎたのだろうとも。

 アーバントの機転の良さと、良く気付く性格に感謝をいだく。


 「だけどよ、封石はオレの弟が持っていたが。」


 フォルテは実際に封石をその手に持っていたクラウスを見ている。

 封石に結界を張った後だったのか。

 いや、フォルテは街の返還を知ってすぐに向かった。

 そんな時間はかかっていないはずだ。

 それに、クラウスの性格上会話に必ず出すはず。

 現にセルディアらしき女性の話は出していた。なのに、その封石に

 結界を張っていったアーバントらしき人の話がでないのは不自然だ。

 ならば、あの別れた後か?

 と色々考えるが、もしアーバントが嘘をついていようものならばここで崩れる。

 小さな不信感からつい目つきが鋭くなってしまったが、

 アーバントは相変わらず口元に柔らかい笑みを浮かべていた。

 そして少しだけ真剣な声色になると、質問者のフォルテの方へと体ごと向き直る。


 「ええ、知っております。お二人が別れるところを上から見ておりましたから。」


 「うっ、上からっ!?」


 「ですから、フォルテ様と別れた後に事情を説明して、

  その時に結界を張らせていただきました。

  なので、帰るのが皆様より遅れてしまって……。

  街を戻してからは、再度、わたくしからも消した理由を二ヶ国で説明し、

  その後しばらくは、すぐに危害はないかと、街とその周辺を見張っておりました。

  ……バイド様の見た、鳥の姿で。」


 と、最後に真剣なまま言い切れば ぼふんっ と白く大きな鳥の姿になる。

 その化身化に周りの誰しもが「おおっ」と声を上げ、驚きながらも目を輝かせる。


 「ですが、急にドールが王の異変に気付いたようで、わたくしに報せてくれました。

  しかし、まだアスル都の結界が張り終わってない時で、

  王には申し訳なくも街を優先的に処置し、遅れさせていただきました……。」


 鳥の姿のまま話し、申し訳なさそうにセルディアへと視線を向けた時、

 つい驚いてしまった。セルディアの様子は落ち込んだようにうつむき、

 布団を強く握っているように見えたのだ。

 その姿に、落ち込ませてしまった、怒らせてしまったかもしれないと、

 アーバントは体ごと向き直っては頭を下げようと身構えた。

 が、それを察知したか偶然か、

 セルディアはその深い独特の緑の瞳でアーバントを捉えた。


 「…すみません、アーバント。私はいつも、アナタの機転に救われていますね…。

  アナタは…私には勿体ないくらいの執事です。」


 どこかまだ違和感の残る無理な笑顔の部分は見えるが、

 言葉こそ必死に絞り出した素直な言葉だとわかる。

 そんな様子にアーバントは一瞬こそ驚いては固まってしまっていたが、

 すぐに我に返れば鳥の姿のままぺこりと頭を下げた。

 心配かけたか怒らせてしまったかと思っていたが、

 それは感謝として返ってきたことに安心し、ほっと胸を撫で下ろす。

 同じくらいの感謝を、その胸に宿しながら。


 「それこそ、勿体ないお言葉ですよ…。

  ―――ですが、ならばご褒美…とは言いませんが、

  状況を説明してほしいものです。あと撫でてください。」


 「えっ、状況…? あ、はい。」


 後半は畳み掛けるように連続して言葉を続けたアーバント。

 一番最後の言葉を誤魔化すように繋げた感じだったが、

 セルディアは短くも返事をそれぞれ返せば、何のことか疑問をいだきながらも

 続けて向けられた要望に従って、ピョンと軽やかに一歩近付いてきた

 アーバント(鳥)を、何を疑問に思うことなくもふもふと撫でる。


 「状況…というのは、今の、この状況のことですか?」


 「はい。ドールが異変を感じていた理由と、

  皆様がここに集まっている理由は同じなのではないかと、

  そう勝手ながらに思いまして。」


 「…あ、あぁ…。そう、ですね…。」


 ふわふわで撫で心地の良い羽毛を撫でながら会話を続け、

 理由について問われれば若干分の悪い表情を浮かべる。

 言いづらそうな様子を見ていて、

 ラルファースは何も気にしていないようにいつも通りの調子で話す。


 「セルディアさん、療養中にベッドから倒れたんです…。

  それで、ずっとうなされてて…。

  どうやら、あんまり良く眠れていないんだそうです…。」


 ラルファースに代弁されて、その事実を自らの心に再度突きつけられた気分になり、

 困ったように控えめな笑みを浮かべてはセルディア本人も頷いた。

 肯定の頷きにアーバントは心配になり、

 声のトーンも静かで落ち着いたものに変わる。


 「あまり眠れていないのですか…? もうずっと?」


 「…うん。…そうですね。もうずっと…眠れていないかもしれません…。

  …ずっと、同じ夢を見るんです。

  その夢で、私は…、何度も何度も死んでいるんです…。」


 「「ッ!?」」


 初めて彼女の口から告げられた死の夢の話に全員が息を飲む。

 だが、どうにも全員、ある理由のせいなんじゃないかと

 予想がついてしまうのもまた酷なことである。

 国を追われ、うしなったからこその、焼き付いた記憶のせいなのではないかと。


 「……そう、ですか……。」


 「………………。」


 「………。悪夢を見ずにゆっくり休めればいいのですが…。」


 「………………。」


 「………。……王。―――わたくしの翼の中で休みますか?」


 「「……ッッ!?!?!?」」


 全員が突飛な発言に吹き出しそうになったのをこらえる。

 ダメだ。多分、この会話は真剣なもののはずだ。耐えろ。

 何より、あのとアーバントの声は真剣だった。

 それは間違いない、だからこそ、耐えろ。

 そんな周りの気遣いもあって、しばらくの間は変な空気になることなく通り過ぎた。

 沈黙を貫いていたセルディアの返答を待ちながら、

 アーバントは彼女の様子をただ真剣に見つめていた。


 「……………………。…………。………………。………ぷっ……。」


 不意に、沈黙の中届いた吹き出す声。

 それはもちろんこらえていた周りではない、セルディアから放たれたものだった。

 ふるふると震えては小さく笑うセルディア。


 「……ふふふ…、あはははっ…!

  そうですね、アナタの羽の中なら安眠できそうです。」


 くすくすと笑い続けるセルディアを見ていて、こらえていた周りも小さく笑い出す。

 そんな笑顔と笑い声に、アーバントは満足そうに目を細めて

 優しそうな瞳を浮かべていた。もしかすると、

 元から笑わせることを狙っていたのかもしれない。そんな風にさえ感じさせた。

 穏やかな笑顔で笑い合う姿を、一番遠目で見守っていたバイドは

 フッと小さく息を吐けば、一度だけ目を伏せて小さく笑ってみせる。


 「もう大丈夫そうだな。良かったよ。

  私達を守ってくれたキミが、いつまでも苦しい思いのまま…

  というのは居たたまれないしな。

  ここにいる間でも、ゆっくり休んでくれ。何か不便があれば手配もするしな。」


 たくましくも優しい笑顔でハッキリとした意思で告げれば、

 ぐーっと伸びをしてから大きくため息をつき、

 「さて、戻るかー」とそのまま扉に手を掛けて一足先に部屋から退室して行った。

 その姿を見ていたリオン達もバイドに続くように、

 「そろそろ行くか」とお互いに顔を見合わせて頷き合う。

 扉に手をかけたルキアがくるりと振り返る。

 とても爽やかな笑顔を浮かべて、軽い挨拶のように片手を上げた。


 「じゃあ、また。今度こそしっかり休養してくださいね。」


 ルキアが柔らかな声で労る声をかければ、

 続いてリオンが挨拶がてらあることを伝えなくてはと思い出す。


 「敵として会っていたとはいえ、数知れない無礼を働いてすまなかった。

  でも、たくさんの国を、何より友を救ってくれてありがとう。」


 真摯な声で向けられた言葉はセルディアも思うことがあったようで、

 アーバント(鳥)をもふもふ撫でながら静かに口を開く。

 それは素直な自分の思い。

 王としての自分でもなく、今までの演技の自分でもない、ありのままの姿口調。

 もう、偽る必要もなくなった彼女は、突然ふわりと微笑んだ。


 「…いいえ、私もリオン様や皆様にたくさんの非礼を致しました。

  それはお互い様として、水に流しませんか?」


 不意に向けられた柔らかい笑顔と声に一瞬意識が持って行かれそうになる。

 敵対していた時、何より戦時下では絶対に見せることのなかった表情。

 不思議な人だな、と思いながらそれ以上を言うつもりはなく承諾することにした。


 「わかった、ありがとう…。

  そうだ。体調がよくなったらアルメリアへ来てくれないか?

  父上が会いたがっていて…、紅茶のお礼をしたいと。

  ………アーバント、お前しっかりついてろよ。」


 最後にだけ少し強めな口調でアーバントへ声をかければ、

 リオンはちゃんとオーシャンから言われたことを伝えることができた。

 …ちゃんと綺麗な理由で。

 ふたりが挨拶を終えれば帰国の足を進めようとした時、

 カレンが「次!次!」とばかりに割り込んでくる。


 「リュースを守ってくれてありがとうございました!

  …えぇっと…私達がつい襲撃しちゃったことも、

  水に流してくれたりしないかなぁ~なんて。

  えへへ。でも私、もっと強くなります!

  もっと強くなって、リュースを守れるくらい強くなりますっ!

  だからいつか稽古付けてくださいっ!!」


 少し早足で言い切って、半ば強引に稽古の約束を取り付けた。

 普段のカレンらしくふわふわとした口調で、ちょっぴり調子のいい言葉と

 ころころと変わる表情で言い掛けられ、言われた言葉の理解に時間がかかり、

 その隙にルキアが「あっ、いいな!」と言い出し、

 「いいでしょー?私が先だよー!」なんて言い合うものだから、

 当の本人であるセルディアは置いてけぼりだ。

 否定も許可も出来ない中、そんなふたりのやりとりを見ていて

 「まあ…いいか」なんてこっそり内心で諦めたのは内緒の話。

 いつの間にか「どうせギッタギタにされる」などと茶化し合っているのだから、

 端で聞いていたリオンは呆れたようなため息を零して、

 頭が痛い、というように片手で頭を抱えていた。

 そんなやりとりが繰り返されていた中、ひとり黙ったまま三人から離れ、

 セルディアの方へ数歩歩み寄るフォルテ。ラルファースの隣のベッド横まで来ると、

 見下ろす様にセルディアと視線を合わせる。

 そして、少しだけ重そうな口をぎこちなく、本当に小さく開く。


 「…正直、死ぬのかと思ったよ。」


 急に落とされた思い意味を持つ言葉に「えっ」と素直に言葉が詰まってしまう。

 その反応を予想していたかのようにため息をつけば、

 わかるようにと説明を続けてくれた。


 「守る為に街を消したんだよな? つまり、お前が死なない限り街は安全だ。

  それなのに元に戻したから、そう…思った。」


 冷たい口調でぶっきらぼうに言い捨てるが、

 言葉そのものは心配するそれだとわかる。だが、すごく機嫌が悪そうに見え、

 説明そのものも、何もかもが怠そうに言うもんだから少し恐怖をいだくほどだ。

 それでも、先程も気付いたように、言葉の意味は気遣いそのもの。

 もしかして、照れ隠しでこんなにぶっきらぼうになっているのかとさえ過ぎる。

 無意識にも構えてしまった緊張を解き、代わりとばかりに、

 正反対なくらいに静かで穏やかに言葉を返してみせる。


 「…街は常に在るべき場所に在るべきです。

  その国なりの在り方がありますから、

  私が個人的に持ち、守るわけにもいきません…。

  …たとえどうあっても、他人には変わりありませんし。

  だから本来の姿、場所に戻した。…それだけですよ。」


 他国とはいえ、王であった者として責任は健在のようで、危難時は保護しても、

 それぞれの生活、生存は己の力で切り拓けという考えを教えられた気がした。

 民はいつでも守られていたいと望むもの。だが、王は必要以上に手を差し伸べない。

 そんな彼女の〝王としての責任と在り方〟が言葉から感じ取れた。

 これは王として育てられた教育の賜物なのか、

 それともセルディア個人としての性格なのかはまだわからない。

 優しさと厳しさ、それを同時に知った気がして、

 ふとその姿を間近で見たフォルテは自然とか何かか、フイッと視線を逸らした。

 視線を逸らしたままではあるが、まだあることを言っていないと、

 先程よりぶっきらぼうに、すごく照れくさそうに口を開いては

 ポツリポツリと言葉を落としていく。


 「………ありがとう。国を、みんなを守ってくれて…。か、……感謝してる…。」


 今までの棘々しさや荒々しさのない、

 素直な言葉を渡されセルディアが予想外から固まった。

 意外、とか、驚いた、というそんな様子だ。

 その反応に小さくチッと舌打ちが聞こえると、隣にいたラルファースが下から

 フォルテを見上げ、わざと顔を覗き込むようにしてはふんわりと笑顔を向ける。


 「あれ、珍しいね。フォルテさんがお礼なんて?」


 穏やかでにこにこした彼の柔らかい笑みが、今ほど悪意に感じたのは初めてだった。

 もちろん、ラルファースにそんな悪意はまったくない。

 だが、こちらももちろん、このフォルテという男は黙っちゃいない。


 「うっせえ…。オレだって礼くらい言える……。」


 冷たく淡々とした言葉とは裏腹に、鋭い目付きで殺気のような威圧感ごと

 返された気がした。そんな恐ろしい目付きで見下ろされたラルファースは、

 両手を一所懸命にブンブンと振っては「ごめんごめん」と笑顔はそのままに謝った。

 気が済むまでラルファースをいじめていた時、

 ふとある事を思い出してセルディアの方へ向き直る。

 今度は嫌味や無愛想さはなく、ただ普通に言葉を向けてくれた。

 正直、ラルファースに向けられていた視線のまま振り向かれようものなら、

 きっと恐さで言葉が凍り、アーバント(鳥)にしがみつくかもしれないと思っていた。

 そう、セルディアはずっとアーバント(鳥)をもふもふもふもふと撫で続けていて、

 彼もまた、話を聞きながら大人しく撫で続けられていた。


 「弟が世話になったんだってな。

  アイツ、一人で何でもかんでも背負って解決しようとする性格で、

  頼る人が少ないんだ。そんな時にお前が『守る』って言ってくれて喜んでたよ。」


 「あ、そういえばさっきも弟と……。

  ……え? もしかして、あの茶色の髪の方が…?」


 驚くというより、きょとんとした顔で言うものだから調子が狂う。

 酷く驚くようならば「似てないだろ」と冷たく言い放ってやろうと思っていたのに、

 そんな気すら失せる反応だった。

 実際七つも離れているせいで「似てない」と言われ慣れているのだ。

 ふたりが兄弟と知り、驚いて撫でる手も止まり、ふと、

 セルディアは目線を下に落としてしまう。


 「…そうでしたか…。でも、もう…

  傍で守るって約束は果たせなくなっちゃいましたね……。」


 ぽつりと悲し気に呟かれた言葉と声に静まり返ってしまうが、

 フォルテが途端に口角を上げて微笑んだ。


 「今度はオレ達全員で守ればいい。」


 急に放たれた柔らかくも優し気な声に、

 セルディアはハッと顔を上げてすごく驚いたようにこちらを見た。

 ……いやいや、そこで驚かれると素直に傷つくわ……。

 心の中で呆れていると、その言葉に対して気付いたように

 フッと表情を和らげたセルディアは、小さくも納得したようにこくりと頷き、

 安心したような笑みを口元に浮かべた。


 「…そう、ですね…。皆様なら…きっと…。」


 「あ? 皆様『と』、だろ。」


 「え?」


 セルディアがその言葉の真意がわからず見上げれば、

 フォルテはフイッと目線を外す。

 何なんだ?と思ってしまうくらいの見事な視線の流し合いだったが、

 その言葉はつまり、セルディアを『一応仲間として認めている』ということらしい。

 その事を何となく知れば、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが入り交じり、

 複雑だが確かな笑みとして現れた。

 ひとり、小さくこっそりと笑みを浮かべているセルディアに気付いて、

 横目で見ていたフォルテは急に怪しく口角を上げた。


 「…で。アスルで何人かに絡まれたって本当か?」


 「あ、え? …えぇ……まぁ……。…その、しつこく話しかれら―――」


 「なんですって…?」


 ふたりの静かでしっとりとした声での会話の中、

 不意に届けられた至近距離からの低く圧のある声に意識が持って行かれる。

 この独特の低さを持つ落ち着き払った声、もちろんアーバント以外にいない。

 真っ白の鳥の姿のまま、その紫の瞳は的確にフォルテとセルディアを交互に捉える。


 「王が野蛮な奴らに絡まれた?それはどこのどいつ――…」


 「待った待った、待ってくださいアーバント!

  確かにしつこく話しかけられて付きまとわれましたけど、

  フォルテ様の弟様が助けてくださって、何ともありませんでしたから、

  落ち着いてくださいっ!」


 普段の紳士さは消えて、まるで獲物を狙う狼のような鋭い目を見れば

 焦ったようにセルディアは弁明する。

 彼の怖さを知っている為の必死さか、とにかく必死に怒りを取り除こうとしていた。

 …溺愛? と、ここで誰もが気付いてしまった。

 今までは〝執事だからこそのあるじを大切に想う心〟と思っていたが、

 それにしては時々恋人じみた発言もあり、どこかで引っかかる違和感があった。

 それが溺愛という言葉でスッキリと落ち着くくらい納得してしまう。


 …いや、もしかすると溺愛というよりも、純粋に愛情なのかもしれない。

 アーバントはそう思っていてもセルディアが気付いていないか、

 その気がないのかもしれない。

 いや、きっとそうだ。

 アーバントは想いを寄せているのだろうが、セルディアが気付かず、

 彼女は至って王と執事という関係性を守り、

 幼い頃からの大切な人で(恋愛対象ではない)

 長年共に生きてきた唯一の同じ思い出を持つ者。

 …といった、すれ違いのような関係に思えてならなかった。


 鋭い目で殺気立つアーバント(鳥)と、

 その様子を鎮めるセルディアの姿に周りはどうしてか笑ってしまう。

 これが、この様子が、彼女達の国での日常の姿だったのだろうと。

 たとえ異国で、今は亡国だとしても、今を共に生きている以上

 変わることはないのだろうと。そう考えてしまうと物悲しくなってしまうが、

 フォルテが小さく息を零して笑うと、

 その音に気付いたふたりはフォルテを見上げる。


 「とにかく、気をつけろよ。」


 穏やかに笑いながら言うフォルテの姿に、ふたりの焦りや殺気の感情は打ち消され、

 ただ唖然としてしまっていた。

 フォルテはそんなふたりの様子を見るよりも前に振り向いて、

 リオン達の方へ戻って行き合流する。

 それを合図に四人はセルディアとアーバントに一礼したり手を上げたりして

 挨拶すれば、続いてラルファースへも軽く「またな」と挨拶すれば

 部屋を後にして行った。

 優しくも騒がしい風が吹き去っていったような、

 どこか楽しくも寂しい雰囲気だけが部屋に残される。みんなを見送れば、

 残されたラルファースも最後に体調を気にかけては平気だと知ると立ち上がり、

 彼は柔らかく優しいほわりとした笑顔を浮かべてふたりへと向き直る。


 「じゃあ、体調が戻るまでゆっくり休んでくださいね。

  アーバントさんもドールさんも、ゆっくりしていってください。」


 丁寧にお辞儀をすれば、替えたタオルと氷水の入った桶を胸に抱え、

 扉の方へ向かい戸を開く。

 背後から「ありがとうございます」と声が届けられれば、

 思い立ったように足を止めて、戸を手で開いたまま半身だけ翻すと

 「あの…」と小さく口を開いた。


 「…あまり、思い詰めないでくださいね。

  きっとセルディアさんは、生きていなくちゃいけない人なんだと思うんです。

  だから、うまく言えないけど…一緒に頑張りましょう?」


 心配する声色と勇気づけようとする声色、それをラルファースの声と言葉から

 ひしひしと感じることが出来る。その言葉の意味を理解し、

 一瞬だけ強張ったように顔をしかめるセルディアだったが、

 すぐにラルファースの優しさに気付いては静かな笑顔を返して見せた。


 「…ええ、ありがとうございます。ゆっくり休ませてもらいますね…。」


 その笑顔からの言葉を聞き、少しでもこんなことを自分が口にしていいのか

 迷っていたようで、身構えていた緊張と硬直を解いて、

 不安そうだったラルファースの表情もフッと和らいだ。


 「は、はい! 同じ王族ですし、僕にも気楽に普通に接してください!

  私語でもいいですし!

  あっ、あと、フォルテさんも言ってたけど、気をつけてくださいね?

  セルディアさん、どう見たって美人なんですから。

  アーバントさん、お願いしますね!」


 吹っ切れたように明るく…というより無邪気に言っては、

 返事も待たずににこにこと扉を閉めて去って行ってしまった。

 何というか、置き去りにされた感覚が拭えず、

 呆然としたまま三人は沈黙してしまっていた。

 しばらくは「?」も出ないくらいの沈黙が空間を流れていたが、

 この不思議な沈黙を破ったのはセルディアだった。

 そして、その口が告げた言葉は予想外な反応だった。


 「………いや、皇子様に私語はマズイでしょう………。」


 「いえ、ラルファース様は、そういう友達になりたい。という事では?

  ―――というより…王、そこですか……。」


 「ウゥ………。」


 「………え?」


 何故か、執事のアーバントのみならずドールにも呆れられてしまった。




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