【第十一章】平和の音は風にそよぐ
二日後。
あの戦いから何の音沙汰もなく、静かで平穏な日々が流れていた。
中央王国アルメリアも帝国グランヴァルの復興に幾多の兵を送り、
早くいつもの状態に戻り、友好的な関係に戻していきたいと願って協力していた。
そんな城内は以前の穏やかな静寂を取り戻しているようで、
玉座に座る者もどこか落ち着いて腰を据えているようだ。
と、そこへパタパタと軽い足取りでこちらへ向かってくる駆け足が耳に届く。
王間へと辿り着くと一礼して、玉座に座す者へと一通の封書を手渡す。
手紙を手渡された者は青の大柄な男。
差出人の名を確認すればふわりと口元に緩やかな笑みを作り、
その表情はとても落ち着いた様子を伺わせる。
アルメリア国王、オーシャンだった。
体調も回復へと向かい、もう玉座へと復帰しては指揮を執っていた。
といっても、今はただ各国の状況を知り、まとめている状態だ。
戦のように慌ただしい状態ではない為、病み上がりの体でも
難なくやり遂げているのだろう。
そこにあった差出人の名前は、東の皇帝バイドのものだった。
彼ももう元気なのだろうか、と嬉しく思いながら伝令を下げ、
届いた手紙へ目を通す。
文頭はお互いの身の無事を祝うものから始まっており、
その文字や言葉選びは品が伺えてバイドらしいものだった。
続くのは、グランヴァルを正してくれた感謝と復興支援の感謝、
そして謝罪の言葉が並んでいた。そんな皇帝の律儀で生真面目な手紙に対して、
「お互い様だろ」なんて笑顔で小さく呟くオーシャン。
そして、やはりその手紙の文面に『紅茶』という単語があり、
バイドの毒も自分の毒もそれが解毒したのだと確信する。
知らないところで、同じ知らなかった人に、同じように助けられた者同士、
ということに笑ってしまった。手紙を読み進めて最後に差しかかった時、
何か気になる事が書いてあったようで少しだけ眉を顰めた。
それでも、やはり相変わらずの丁寧な手紙に安心したように微笑めば、
ひとつの息をついてから手紙を折りたたむ。
気になる部分はあったが、お互いの無事と変わらぬ様子にホッと一息零す。
「父上、笑ったり悩んだり忙しそうでしたね?」
想像していた友の生真面目な部分がよく似た存在の声にハッとする。
同じくらい生真面目な声を持っている我が子。
朝の飛竜の世話を終わらせたリオンが戻ってきたのだ。
病み上がりのオーシャンを一人きりにさせるのが心配でやってきたのだろう。
オーシャンもリオンの何だかんだ優しい面は知っている為、
あえてからかうこともおちゃらけることもなくご厚意に甘える。
正直、今までの少しの間とはいえリオンが国の指揮を執っていた為、
まだ状況が完全に掴めているわけではない。
それに、なんて丁度良いタイミングで戻ってきてくれたのか。
バイドから届いた手紙の一部のことは、
自分よりリオン達に伝えるべきだと思っていた。
その事を伝えればリオンは緩く首を傾げてオーシャンを見る。
「今バイドから手紙が届いてな。
あの一件についての謝罪と感謝の言葉をもらったよ。
まあ、そこは良いんだが…少し、気になることを書いていてな。」
「気になること? 俺の関係で、ですか?」
「ああ。リオンだけじゃなく、ルキアにも関係してるが、
今はいないみたいだからお前にだけでも伝えておこうと思ってな。
あの薔薇の騎士…確か、セルディアくんだったな?
彼女の状態は良くないらしい。」
「えっ!?」
予想外の人物の予想外の状態に続く言葉が出てこない。
重症を負ったのはもちろん知っている。
だが、あの強さを見せつけられ、あの気丈さを見せつけられていたから、
どこかで〝必ず大丈夫〟という自信が胸にあったのだ。
グランヴァルでゆっくり養生していて、また会えると信じて疑わなかった。
「よ、良くないって…養生に時間がかかるとか、そういうことですか…?」
振り絞った言葉は良い方へと考えた言葉だ。
それ以外の悪い報せは知りたくない、そんな甘い考えが胸に渦巻く。
「そこまで詳しくは書いてなかったんだが、
どうやらあの戦いの後、療養中に倒れたらしい。
今も意識が戻らず、執事の者も帰って来ていないとか。…どうなってんだ?」
「い、いや、わからない…。
セルディアさんは安静のはずだし、そんな中で倒れた? アーバントも行方不明?
何が起きてる…?」
リオンが深刻に考えて頭を悩ませていると、オーシャンもどこか心配そうに
顎に手を触れていた。考えても全くわからず答えが出ない中、
再び廊下を複数の足音がバタバタと走る音が届く。
伝令の時とは違う、どこか慌ただしい様子に「悪い報せじゃないだろうな…」と
構えていると、最初に扉を開いて飛び込んできたのはルキアだった。
他の伝令の兵士を引きずるように現れ、
その伝令の兵士は完全に息を切らして肩で呼吸を繰り返していたが、
対すルキアは息ひとつ乱れず涼しげで明るい表情を浮かべていた。
明るい報告なのだろうとは、彼女と長年共にいてその表情で伝わるのだが、
二日三日で復興は終わらない。ならば何が起きたのだろうと二人はルキアを見る。
「二人ともいい報せだ!
消滅したと思っていた北国のリュースと、南国のアスルが元に戻っているんだ!」
明るい表情から飛び出した言葉に二人は思考が一瞬にして停止する。
消滅した国が元に戻ったというのだ。
…そんなバカな。
「そ、それに…、薔薇の騎士と戦って…敗れた兵士…全員が、
それぞれの国に…帰ってきた。という報告も…っ!」
整え終わらぬ呼吸で、途切れ途切れに言葉を続ける伝令を見れば
嘘ではないと信じざるを得ない。しかし、あまりにも現実離れしており、
信じがたい事ばかりで頭がいまいちついてこない。
死んだと思われていた兵士達。
セルディアと戦って敗れた兵士達も無事に帰還したというのだから、
彼女は殺してなかったのかと不思議な感覚を覚える。
殺したと思っていたが、まさか気絶させていただけなのだろうか?
誰一人も殺さず? と。
正直何が起きているのか全くわからなかったが、良い報せであることは変わりない。
そのひとつの事実だけで、リオンは自然と笑顔が浮かんでいた。
「そうだ。なら早くあの二人に…。」
「カレンとフォルテには既に伝えたんだ。
そうしたら、早々に故郷へ帰って見に行ったよ。」
キリッとした誇らしい様子で笑うルキアに、今はただ正直に
「よくやった」と思ったが口にはしない。ただ目配せだけで軽く頷いてみせた。
そのちょっとしたやりとりだけで、ルキアは何も不満はなさそうで
口元に笑みを浮かべて笑っていた。
「だが、少し引っ掛かるな。
まさかとは思うが…戻したのが彼女だとすると、戻すのに力を使いすぎたとかか?
しかし、安静の中どうやって元に戻したんだろうか?」
ふと頭に過った疑問を小さく呟いて分析していくリオン。
その言葉はしっかりとルキアへと届き、その言葉の意味に気付くことがあって
即座に反応を返してきた。
「ん? 何の話だ? 戻す力…彼女って、セルディアさんのことか?」
「ん、ああ。俺達が別れた後、療養中に倒れたらしい。
その後の経過も良くないらしくて、今も意識が戻らないそうだ。」
「なっ!? あの人が!?」
酷く驚きながらも〝あの人が〟と出たところを見ると、
どうやらリオンが思っていたことと同じことを思っていたようだとわかる。
知っているからこそ、予想外の状態に驚きを隠せなかったのだと。
二人のそんな反応を間近で見ていたオーシャンは、
不意に小さくフッと笑いを浮かべて二人を見た。
「二人とも、行ってきなさい。」
その言葉に二人は一斉にオーシャンへと向き直る。
「ここは大丈夫だ。それよりも今はその人の無事を願うべきだろう。
それに、皆の話、バイドの手紙を読んでいてわかったのは、
その人は俺達の仲間だ。俺とバイドを助けてくれた命の恩人だ。
我々の敵ではない。友なら行くべきだ。」
口は笑っているが、その眼差しはとても真剣なまま告げるオーシャン。
病み上がりではあるが、あの紅茶の作用なのかはまだわからないが、
みるみる回復へと至っては玉座に帰ってきた国王。
その頼もしさと逞しさは健在で、力強い口調と瞳に
ルキアとリオンは顔を見合わせては安心したように頷いた。
が、急にいつもの陽気な笑顔になると嬉し楽しそうに続ける。
「元気になったら俺に紹介してくれよ!」
「わかってま…っ、………え?」
つい急いで向かおうとしていた為、適当な返事をしてしまって
後からハッとしたリオン。最後までは言い切らなかったが、
振り返ると満面の笑顔で手を振る父に、色々と負けた気がした。
北の雪国リュースには見慣れた街並み、見慣れた風景が広がっていた。
そこに訪れていたのはカレン。彼女の母国だ。
真っ白な雪は太陽の光を反射し、街全体をキラキラと輝かせている。
雪の冷たさに負けないような温かい木造建築の家が並び、
きちんと鋪装されている道を歩けばその温かさが感じ取れる。
すれ違う人達は何も変わることなく、カレンを見かければ
「おかえり!」と笑顔で挨拶を返してくる。
何一つ変わることも欠けることもなく元に戻っている街を、
ただ呆然としたまま足を進めて眺めていた。
人々も、まるで何もなかったかのように生活しているようで、
それが更にあの事が嘘だったように思えてしまう。
隅々まで見回るように歩いていた時、最後に辿り着いたのは小さな祠のある
雪の積もらぬ丘。
そこは神聖な場所とされており、丘のすぐ下には王宮がある。
祠の加護か地脈の影響かは詳しく知られていないが、
王宮と丘の周りには雪が積もることなく溶け、青々とした草花が咲き誇る。
研究者はそこだけ地熱が高いということで、
雪が落ちても溶けて水となると考えているようだ。
そんな神聖な丘にひとつの人影を見た。誰なのかは何となく察しがついている。
丘の上からどこか遠くを眺めるように立ち尽くし、景色を眺めている存在。
その姿にゆっくりと歩み寄っていけば、足音か気配に気付いたその人は振り返り、
カレンの姿を見た時一瞬こそ驚いた表情を浮かべたが、
すぐに穏やかな笑顔で迎える。
「ああ、カレン。よくご無事で…。
あの時はよく戦ってくれましたね、ありがとう。」
しっとりと落ち着いた声で微笑む姿を見ると、
どうやら彼女は覚えているようだった。いや、住人もみんな覚えているのだろう。
国を襲われ、消滅させられたことを。それでもみんな触れてこないだけなのだと。
彼女はリュース大国の女王、ローゼアント・マイルス。
おっとりとしておりどこか神聖な雰囲気を持つ、白に近い水色の髪を靡かせ、
宝石のようなピンクの瞳を持つ女性。
美しい氷の女王の名が相応しい人だが、その執政は民を想い、
戦争や侵略に対する対抗策すら即座に立てられる切れ者でもある気丈さを持つ。
それ故支持率も高く、民も安心して暮らせているのだ。
カレンが属する暗殺部隊は女王が作ったものではなく、
女王を守りたいと思った個人個人が組織を作り、戦士の集まりからやがて
暗殺部隊として結成された、いわば第二の騎士団といったところだ。
どこか遠くを眺めるローゼアントと、同じように彼女が眺める何かを見ようと
視線を遠くへ投げるカレン。
しばらくの静寂が流れ、そよ風が二人を優しく撫でていく。
雪国らしい、冷たくも心地良い風。
その風に懐かしくなったのか安心したのか、不意に優しく微笑んだカレンに気付き、
ローゼアントは少しだけ寂しそうに問いた。
「まだ、あの方を恨んでおりますか?」
「え?」
〝あの方〟。それが指す意味はもちろん決まっていた。
それなのに、どうして女王はそんな寂しそうな顔をしているのか。
ただ、それを問われた時、自分が今もその人物が憎いと、
同じ目に遭わせてやりたいという復讐心を抱いているのか考える。
無意識の内か、もしくは事実を知った時からか、
その答えはどこかで出ている気もしていた。
カレンの悩むような、答えが出ているかのような微妙な表情を読み取ったのか、
ローゼアントは寂しそうな表情を変えて小さく微笑めば、
丘から見える景色へと目を移した。
「あの方は、街を消す前にわたくしの所へいらしたのです。
封石を隠せと。一時的に街を消すと。
事情を知って、わたくし自らが皆に内緒で許可をしたのです。」
「どうして、私達には内緒にしたのですか?
みんなに話して協力すれば、こんな騒ぎには…。」
「そうですね…。それは本当に申し訳なく思います。
ですが、わたくしは恐れたのです。
リュース全体であの方を受け入れ、協力してしまえば、
あの方は疑われ、今回のように封石も民も守れなかったかもしれないと。」
心を痛めながら真剣に話す姿を見て、カレンは言葉に詰まってしまう。
もしこの事を勘繰られ、ギラード本人がここへ来てしまっていたら、
街も民も封石も無事では済まなかったかもしれない。
だから女王は苦渋の決断をしたのではないかと。
「すみません、カレン。あなたには大変な役回りをさせてしまいました。」
「い、いえ!
女王様やみなさんが無事だったのですから、それだけで私はうれしいです!」
女王のローゼアントが頭を下げて申し訳なさそうに謝るものだから、
咄嗟にカレンは慌ててしまう。
そんないつもと変わらない様子を目の当たりにすれば、頭を上げたローゼアントは
くすくすと上品に笑ってしまっていた。
「実は、あの後にその方に会っているんです。
セルディアさんって方で、とても強いんですが、どこか無理をする人で…。
…でも驚きました。まさか女王様に許可を取りに来ていたなんて。」
カレンの話を静かに聞くローゼアントは微笑んでいた。
そんな笑顔につられたか、カレンも穏やかな笑顔を浮かべながら話していく。
今まで起きたこと、知ったこと…それらを全て伝えていった。
「…そうですか。
クレスレイムにはずっと不思議な言い伝えがありましたから、
どういうことなのかなと思っていました。
いないはずなのに、国王と呼ばれる存在がいると。
同じく王のいないアスルとは違い、どこか秩序立った暮らしをしていると。
あの方…セルディア殿が、二つの国の王様だったのですね。」
「あ、そっか。セルディア様ですよね…。」
「え?」
不意に落とされたカレンの言葉にローゼアントはきょとんとしてしまう。
カレンは照れたような困ったような笑みを浮かべながら、後頭部に手を当てていた。
「つい、私達と同じように戦う人として〝セルディアさん〟って
言っちゃうんですけど、よくよく考えたら王様なんですよね…。
敵国の騎士として会っていたから、王様ってすぐに切り換えられなくて…。」
笑みを含む声で言葉を並べ続けていけば、ローゼアントは笑ってしまう。
「仕方ないですよ」と優しい声で励ましてくれれば、
カレンも「そうですよね!」なんて明るく考えることにした。
「ですが、そう接しても何も仰らなかったのでしょう?
なら、変に気遣い過ぎるのも嫌がられるかもしれません。
自然体が一番かもしれませんよ?」
ローゼアントの言葉にカレンは再び「あっ」と零せば、
「それもそうですね」なんて答えて見せた。
しばらくお互いに笑みを浮かべたまま明るい話をしていると、
ローゼアントはふと視線を空へ投げた。
その様子にカレンは言葉を閉ざせば、どうしたのかと首を傾げる。
「カレンの言うように、きっといい人なのでしょう。
ですが、あの時のセルディア殿は国を失ったせいなのか、
とても塞いだ瞳をしていました…。」
「塞いだ瞳…、ですか?」
同じ国を背負う者の考え方、想いなのか。
ローゼアントは自分のことのように苦しそうに眉を顰めていた。
鋭く真剣な瞳をしていたのは見てきたから知っている。
だが、そこまで塞いだ様子ではなかったように思えていた。
といっても、敵だったからそんな様子を見抜く必要がなかっただけかもしれないが。
「あの瞳は心配に思えたのです…。まるで何かに怯え、死を望む者の瞳でした。
気丈で無慈悲、無感情を漂わせていても、とても苦しそうだったのです…。」
心配するような声で思ったことを口にするローゼアントを見て、ふと考え込んだ時、
不意にカレンは胸騒ぎを覚えた。死を望むという言葉にハッとしたのだ。
無理をした意味。
命を顧みない力の解放。
今も療養中という油断できない状況。
そして、死を望みながら街を元に戻した方法。
すべての考えにある結論が浮かんだ時、カレンはローゼアントを見ると、
ハッキリと彼女は強く頷いた。
それに対して深々と一礼を返すと、急いで丘から駆け下りていく。
その後ろ姿を眺めて見送れば、再び丘からどこか遠くを眺めた。
「…死なせても、死んでもなりませんよ、セルディア殿。
――どうか、戦う子等に神の御加護を…。」
もう一方の南の大都アスルにはフォルテの姿があった。
リュースの暗殺部隊に属している彼だが、生まれ育った場所はアスルであり、
故郷の出現に急いで戻って来たのだ。
消滅させられ、どうなったのか不安なまま帰ってきたアスルは、
何も変わることのない相変わらずの美しい都だった。
揺蕩う水を讃え、その水上に立っている庭園と呼ばれる大都。
真っ青の水と褐色のレンガの街並みのコントラストは美しく映え、
緑と色彩豊かな花が点在する色の豊かな場所である。
何一つ変わらぬ様子に頭を捻りながら、気の向くままふらりふらりと歩いていると、
住人から「おう!元気だったか!」、「ここのみんなは無事よ!」と
声がかけられる。みんなあの日の記憶はあるのか。
ならば何故こうも平然としているのだろう?
と、そればかりぐるぐる考えていた。
そこへ、トタトタとこちらへ駆けてくる人の姿があった。
見覚えがあるどころじゃない。
あれは…。
「兄さん! 無事だったんだね!」
7つも離れており、あまり似てないのだが唯一の家族、弟のクラウスだった。
茶色の髪を後頭部真ん中辺りの位置でひとつに結んだ、
真っ黒の瞳を持つ子犬のように人懐っこい弟。
活発であり素直明朗、そんな性格だから住人からも可愛がられており、
クールで群れるのを好まない兄のフォルテとは対照的でさえある。
そんなクラウスは相変わらずの無邪気な声で飛び付くと、その明るい笑顔のまま
ぎゅーっとフォルテを抱きしめた。
「あらあら~。」
「ほんと仲良いよなぁ、二人は~!」
なんて人々の注目の的になってしまい、恥ずかしさからフォルテはクラウスを
猫つまみのようにつまんでは、ベリッと引き剥がす。
そして、つまんだまま街道沿いから離れていった。
フォルテが無言のままやってきたのは静かな水の庭園内。
「離してよー!」「ごめんってー!」と小さな抵抗を並べるクラウスを無視し、
フォルテは一切喋らずここまで来たのだ。
他に人のいないこの庭園の中程まで足を進めれば、
つまんだままフォルテが口を開く。
「お前な…。人前でだき――」
「あっ!ここ、兄さんの好きな場所だね!」
「人の話聞けよッ!!!」
静かで水の流れる音と鳥のさえずりのみが耳に届く空間。
白を基調とした大理石で出来た噴水やテラス、フラワーアーチなど、
庭園の究極体のように美しい場所だった。
正直、フォルテの印象的に黒やダークカラーなど、
不気味かっこいいものが好きなイメージに思ってしまうが、
白や静かな場所、美しいものが好きなのかもしれない。
見れば、服装こそ死神らしい禍々しさがあるが、
鮮やかなグリーンイエローの髪と整った顔立ちは、この空間で絵になりそうだった。
人前で抱きつくなと怒ろうと思ったが阻害され、盛大なため息をつくフォルテ。
そんな彼から逃れ、そっちのけで庭園内を嬉しそうに駆け回るクラウス。
…とても楽しそうだ。そしてわんこっぽい。
そんな駆け回るクラウスを眺めて仕方なさそうに笑うフォルテだが、
こうも元通りになっていることが未だに理解できずにいた。
聞いて良いものなのか、むしろ彼は知っているのか。
少し躊躇ったが、配慮なんて打ち壊して知る為に聞いてみることを選んだ。
「なぁ、この国って消され――」
「兄さんはあの人のこと嫌い?」
「お前人の話を聞けッ……って…、…………は?」
今、何て言った?「あの人のこと嫌い」…?
まさか、南に侵攻してきた時にコイツは戦ったのか? 会ったのか? 話したのか?
一気に疑問が押し寄せて来ては言葉に迷ってしまったが、
今はクラウスの問いに答えることだけに集中した。
「…好き嫌いじゃない。
何か事情があったんだろうが、国を消し、この国の人を…
お前を危険に晒したことは絶対に許さねぇ。」
「こうして元に戻っても?」
「ああ。」
フォルテのしっかりとした返事に確固たる意思を感じ取って、
クラウスは悲しそうに俯いてしまった。
「そんなことより、なんでお前が知ってるんだよ?」
その人物へ憎しみに近い感情を持っていても、素直に聞き入れようとする姿勢に
クラウスは気付き、とあることを告げる決心をする。
小さく開かれた口から綴られた出来事は、
とても不思議な出会いだったと知らされる。
「ボクね、街に買い物に出た時に、あの〝紅い髪のお姉さん〟に会ったんだ。
最初はすごく綺麗な人だなぁって見てたんだけど、
急に来た男の人達に困ってたみたいだから助けたの。
そしたら、お礼にこの国を守ってあげるって。」
会ったどころか、助けた助けられたの関係だったことに
驚きを通り越して唖然としてしまう。しかも、おそらく
ナンパされて困っていたところをクラウスが助けたという事態だからだ。
それに、お礼に「守ってあげる」とはどういう意味なのかサッパリわからなかった。
そんな兄を置き去りに、クラウスは話を続けていく。
「そしたら、この国の王は誰かって聞かれたから、
『いない』って伝えたら、すごく怖い顔したんだ…。
それで封石のことも聞かれて、始めは教えるの迷ったんだけど、
急いでそうだったから一緒に祭壇に行ったんだ。」
記憶を辿るようにしっかりとした口調で説明をしていくクラウス。
そう、このアスルには『王』が存在しない国家なのだ。
常に人々は周りの人とのルールを基調とし、多数決的ともいえる文化。
だが、それはとても不安定だということも事実である。
善にも悪にも成りうる国家という、危ういバランスを保っているからだ。
そんな中、そのルールの基盤となり、治安維持を担うのが〝強き者の存在〟である。
この〝強い〟という意味は何も純粋な力ではなく、
武力・知力・人情の三つ全てを、人々から強く支持される存在の事を指す。
元々そんな数がいるわけではないが、フォルテとクラウスも該当者であり、
強き者のひとりだ。そんなリーダー的な存在のひとりであるクラウスだが、
祭壇に外の者を近付けるのはどうなのだろう?
そう考えが浮かんだ時、クラウスが両手で包むように何かを持って見せる。
淡く輝く輝石…、封石だった。
「でも、国の宝のコレは渡してないよ。
といっても、お姉さんが取ろうとしなかったんだけどね。」
「まあ、それを狙ってたのは蛇共だからな…。
それじゃあアイツは、何しに祭壇に行ったんだ?」
まだ頭の中で状況が理解できていないフォルテの問いに、
クラウスまでも「?」と首を傾げた。
「わかんない。
祭壇に着いたら一目散に封石のところまで駆けていったのに、
封石を見たら安心したようにしてたよ。
でもすぐに真剣な表情になって見つめてて、
でも一切手にはしようとしなくて、だからボクが手に取ってみせたの。
そしたら…。」
◇
『本来、それは誰かに守り隠されるべきもの。
だけど、持てば常に危険に晒される…。
祭壇の守りだけじゃ、誰かの手に渡ってしまうかもしれない。』
『じゃあ、ボクが持って守るのはどう?
こう見えても双剣の扱いには慣れてるし、結構この都内では強いんだ!
ルールを守る〝強き者〟の一人なんだよ!すごいでしょー!?』
『…そう。あなたは強いのですね…。
キミがそれを持つなら、私は国を…キミを守ります。』
◇
「――って、笑ってくれたんだ!」
にぱっと嬉しそうに話すクラウスの話に、やっと頭が追い付くことができた。
つまりセルディアは、クラウスと封石をギラード達から守る為に街ごと消したのだ。
幻影を屍に喰わせて、隅々まで探している演技をしてまで。
無ければ無いで、隠されたか既に運ばれたとしらばっくれればいい。
そんなところだろう。
だが、あの戦いの中でギラードは「街の解放」、
ライアは「街の奪還」と言っていたのを思い出す。
きっと、どこかで裏切っていると、工作しているとバレたのだろう。
すべてに合致がいった時、フォルテにある感情が芽生え、今までの記憶を辿る。
〝好き嫌いじゃない。国を消し、危険に晒したことは許せない。〟
自身が言った言葉にハッとする。
国を消した理由はクラウスや住人、封石を守るため。
ならば危険に晒したわけじゃない。
むしろ、消すことで守っていたということではないか?
つまり……。
「…アイツが死なない限り、街は守られる?
ならば何故、今、元に戻した?」
クラウスに聞こえるか聞こえないかのとても小さな声で呟く。
ギラードもライアも死んだとは限らない。
もしかしたら、今もどこかで生きていては何かを企んでいるかもしれない。
それなのに、何故今戻したのだろうか。
悪い予感が頭の中でぐるぐると渦巻いては確かなものへと構築されていく中、
胸騒ぎから厳しい表情を浮かべるフォルテだが、
そんな兄の不安をよそにクラウスは笑っていた。
「あーあ。あんな綺麗な人が姉さんだったらなぁ。あ。義姉さんでもいいけど!」
「ハアッ!?」
完全に沈んでいた思考を持ってかれた。
悪い予感が過っては、何とも言えない妙な不安感を抱いていた中での、
クラウスから急に放たれたとんでもない発言。
それに全力投球で否定の豪速球をぶん投げる。
「うそだよー!」なんて嘘っぽくない冗談を言われたが、
クラウスは何かに気付けば、ふと真剣な表情を向けてきた。
「もちろん、カレンお義姉ちゃんでも嬉しいよ!」
ガッ! と、瞬間フォルテの右ストレートがクラウスにクリーンヒットした。
そのままスタスタと、振り返ることなく庭園を去っていくフォルテ。
目的地は決まっていた。
すると、後ろから「いってらっしゃーい!」の声を背中で聞けば、
右手を上に上げては軽く一度だけ横に振って下ろした。
フォルテから言葉は返って来なかったが、
その片手の挨拶にクラウスは満面の笑顔でフォルテを見送っていた。
その庭園の木の上。
白と黒の鳥がふたりを見下ろしていた――――…。
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