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リコレクトコード  作者: 有須乃
~第一幕:崩落の日常
14/26

【第九章】毒霧が晴れた先に…


 グランヴァル帝国を襲った一連の事件は、首謀者のギラードの消失という事態で

 ひとまずは終わりを告げた。王権は毒から立ち直ったバイドに戻り、

 ラルファースも皇子として無事に戻ることとなるだろう。

 それを達成したのは、アルメリアのリオン達と兵士達、

 グランヴァルのラルファースとリーゲル達騎士団の協力のおかげである。

 そして、第一線に君臨していたのは亡国ルシフェリアのセルディアとアーバント、

 そしてドール達屍の協力。

 圧倒的で見慣れない技を駆使して戦うルシフェリアの二人は、

 その強い力でギラードから真実を聞き出すが、

 彼が告げた残酷な現実の前にセルディアは倒れてしまう。

 なんとかギラードを撃退しグランヴァルを取り戻したが、

 今度はアルメリアに怪しい影が落ちた。

 王城、帝国を取り戻したバイドとラルファース、

 倒れたセルディアと、彼女の執事アーバントは戦力から外れるが、

 その影の正体を暴くためにリオン達はアルメリアへと帰還を急ぐ。


 〝ライアという名前…、ギラードの話で聞いた。…毒を盛ったと…。〟


 その真意を知る為、戻ってきた。

 突然の転移魔法の力により、アルメリアとグランヴァルの間の街道まで来ていた。

 中央国アルメリア王国は目の前で、アルメリア城も目視できるくらいのすぐ傍まで

 一瞬で送られたのだ。魔法の光に目を閉じる前に見たのは、

 セルディアを筆頭に魔法を発動させる者達と、敬礼する者達。

 そして、口を揃えた「行ってらっしゃい」の声。

 柔らかくも強い眼差しを並べた笑顔。

 転移に驚きながらも、見送ってくれたみんなに心の中で感謝を告げる。


 そして見つめるは、目指すべき帰る場所…アルメリア城。

 見た目には何ら変化もないが、セルディアが言った言葉が本当ならば、

 自分達は気付かない内に敵を城内に入れてしまい、

 きっとまだその悪行を好き勝手に続けているのだろう。

 そう思えば思うほど一気に体に力が入り、緊張から心臓がキュッと締まる。

 それを何とか落ち着かせ、ひとつの大きな息をつけば、

 リオンは歩みを進める為に大きく一歩を踏み出した。それに続くように、

 ルキア、フォルテ、カレン、兵士達も足を進めて王城への帰還を急いだ。


 リオン達の帰還を見た国民達から歓声が上がるが、リオンはそれを静かに、

 そして不安を与えないように気丈に受け答えた。

 これから城内で何が起こるかなんてわからない。

 もしも、彼女がギラードと同じ目的ならば戦いになり、

 国民すらも巻き込んでしまうかもしれない。

 そんな不安を確かにいだきながらも、決してそれを表に出すことはなく、

 確かな足取りとたくましい姿で王城へと向かう。

 この姿に、国民は東のグランヴァル帝国の奪還を達成し帰還したのだと思うだろう。

 …間違いではない。ならば、今はそれ以上の言葉はいらない。

 次の目的の場所へ向かうだけだ。


 城下町を越え城門をくぐると、先に帰還の知らせを聞いていたのか、

 城内への扉の前にエクナがひとり待っていた。

 すぐにリオン達の姿を見付ければ小さくも手を振って、

 それだけじゃ満足できなかったかのように小走りに駆け寄ってきた。


 「おかえりなさい!みなさんご無事で、お早い帰還で何よりでした!」


 にこりと可愛らしい笑顔を浮かべては安心したように微笑むエクナの様子を見れば、

 何かあったわけでもなく、いつも通りのように見える。

 ただ自分達の帰還を待ってくれていたようだ。

 そして、この一番近くにいるエクナでさえ、彼女の狙いを知らない。

 セルディアも言っていたが、

 『別人であってほしい』という言葉を強く思わざるを得ない。

 とてもこんな場所で、しかも彼女と一番近しいエクナに突然告げるには、

 理解に時間もかかるだろうし、信じられないかもしれない。

 悪いと思うが、今はそんな時間すら惜しい。

 自分達がグランヴァルへ向かい、帝国奪還を達成したと知れば

 計画を急ぐかもしれない。下手をすれば、毒など遠回しな手ではなく、

 エクナがここにいる今こそ強行突破の手段が容易たやすくできてしまうかもしれない。

 別人なのか、目的は何なのか。

 本当の事を知るには直接会うしかない。

 リオンがエクナの出迎えを軽く礼を述べるまでに留め、意味深な目配せをすれば、

 ルキア、フォルテ、カレンは黙って頷き、

 兵士達はエクナに敬礼をしてから一足先に城内へ向かう。

 北東支援へ行き、先に帰還しているだろう第二部隊への報告と、

 警備体制を敷く為だ。

 状況がわからずも、みんなの異様な緊迫感にさすがに気付いたエクナは、

 笑みを抑えて真剣にリオン達と向き合う。

 こういう時の理解の早さと対応には、さすが一国の王女だなと感じる。

 本当は状況を説明してほしいと思っているのだろうが、

 今はただ黙って言葉を待ってくれるエクナに、

 自分でもいまいち理解が及んでいない状況ではとてもありがたかった。

 もし、凶行が本当ならば、説明している時間すら惜しい。


 「エクナ、ライアさんは今どこにいる?」


 「ん? 今、お父様の看病してると思うよ?」


 まさに今が〝その時〟なのかもしれない。そう感じた時、

 リオンは駆け出さずにはいられなかった。

 「すまん」とだけ告げると一足先に駆け出して行き、現場へ向かう。

 その後を痛いくらい真剣な眼差しのフォルテが続く。

 置いてきぼりのエクナに対し、ルキアは「来るか来ないかは任せるよ」と、

 ぽふっと肩に片手を乗せて言うと、そのまま返事を聞くこともなく駆け出した。

 それぞれの個性が伺える様子と焦りに、

 エクナは一大事と感じながらも反応が遅れてしまい立ち尽くす。

 そんな彼女の傍にカレンが歩み寄ると、ふわっとした声色で優しく言葉をかける。


 「もー、先陣達は必死だなぁ。王女様を除け者にするんじゃないよー…。

  ……でも、仕方ないか。」


 唯一優しく気遣って言葉を向けてくれたカレンに、

 エクナは状況がわからない頭でも必死に理解しようと彼女を見上げる。

 その視線に気付いて、カレンは呆れたように先陣達の後ろ姿を見ていた視線を

 エクナに向け、にこりと微笑んだ。


 「エクナリスさん、私達は帝国である事実を知ったんです。

  それを、今から確認に向かいます。それで…それは、

  エクナリスさんにとって、きっと…とても残酷なことかもしれません…。

  …それでも知りたいなら、一緒に行きましょう?

  本当の意味で、お父様を治してあげるために。」


 微笑む柔らかい表情でも、まるで不安になる心を癒すように優しい説得、

 問いかけをするカレンは、相手を思いやる一心だった。

 そして同時に、残酷な現実を知る勇気はあるか、と問われているようにさえ思えた。

 頭が混乱し、いまだに言葉の意味も状況もよくわからないが、

 そんな気遣いをしてくれるカレンの優しさと笑顔は天使のようにさえ思える。

 いや、正真正銘、彼女はリュースに伝わる伝承の『天使族』の血を引く人間だから、

 間違いではないのだが…。

 足手まといになるかもしれない。でも…。


 「…まだ、よくわからないけれど、

  お父様のお体が治るのであれば、わたしも、行きます。

  みなさんの足手まといになるかもしれない、けど――…」


 「そんなことないよ。リオンさんは巻き込みたくないんだと思うけど、ね。

  でも、私が守ります。…行きましょう、エクナリスさん!」


 「…はい!」


 差し出されたカレンの手を取って、ふたりは遅れながらもリオン達の後を追った。

 目指すはオーシャンの王室。

 心配し、気遣ってくれるカレンからも何が起きているのかは教えてくれなかったが、

 エクナはひとり、心の中で何が起きてもいいように覚悟を決めていた。

 みんなみたいに戦う力はほとんどない。

 でも、志だけは、心の強さだけは負けてない。それだけは揺らがない。

 普段は可愛らしく儚い印象の王女様だが、今の力強い眼差しと覚悟を決めたような

 凛々しい表情を横目で見て、カレンは優しくもクスリと小さく笑った。

 …この方なら大丈夫。そう信じて。


 この時からずっと、エクナは先程見た〝あるもの〟のことが気になっていた―――。


 少し遅れたものの、オーシャンの部屋の前でリオン達の姿を見つけ追い付いた。

 エクナを連れたカレンに気付いたフォルテが、

 一瞬こそ「正気か」って目で訴えてきた気がしたが笑顔で返せば、

 仕方ないな…と困り顔をしつつも彼の口元が小さく笑った気がした。

 フォルテの後方でエクナを背にかばうように立つカレン。

 その姿を横目で見て確認すれば、リオンは少し控えめに扉をノックする。

 中からは、いつもの優しげで少し色気のある「は~い」という声が届く。

 不審に思われないように、いつも通りに…。

 そう思いつつ、無意識にりきむ体を落ち着かせて、

 いつも通りの態度と声色で返事を扉越しに返す。


 「すみません、俺です。リオンです。今入っても大丈夫でしょうか?

  父上が心配で様子を見に来たんです。」


 「もちろんよ。無事な帰還でよかったわ~。

  鍵はかけてないから、入ってきていいわよ~。」


 「あ。友も見舞いに来ているのですが、構いませんか?」


 いつものやりとり。

 扉を挟んでいるのだから表情は見えないとわかっていても、

 苦笑いと少しのぎこちなさで言葉を繋げていくリオン。

 だが、この多少のぎこちなさは普段からライアと接する際には常時こうなので、

 ライアもルキアも違和感には思っていないようだ。

 が、ルキアの隣でフォルテがなんとも言えない微妙な顔をしているのを見ると、

 端から見ると不安になるレベルのぎこちなさなのだろう。

 確かに言葉はしっかりとしている。

 だが、声がわずかに上ずっているような、普段のリオンのそれじゃない。

 それをルキアは「いつもこうなんだよ…」とフォルテを諭すと、

 彼は複雑な表情のまま頷いた。

 …まあ、いつもこうなら、いいのか。と。

 正直な所、フォルテとカレンはライアと初対面となる。

 リオンほどの男がぎこちなさで声がおかしくなるなど、どんな人間なのかと、

 内心とてもたかぶっていた。

 威圧的…ではない。声からして怖い意味ではないのだろう。

 ならば、こいつが緊張するのはよほどの美人、しかも大人過ぎる意味での美人か。

 もしくは、声と外見の凄まじいギャップか、と。


 「…やれやれ。世の中の美人過ぎる女は怖いねぇ…。」


 小さくも絶大なため息を零しながらフォルテがやれやれと首を振る。


 「…な、なに…。どうしたの、急に。」


 「いや? お前には程遠い話だから気にすんな。」


 「うぐぐ…。突然失礼ね…。」


 こっちが反応してあげたというのに、この返答は思ってもみなかった。

 カレンが子犬のように唸る中、それを聞いていたルキアが小さく笑う。


 「可愛いんだけど、すごい色っぽい人でね。私もちょっと緊張するんだよ…。」


 だなんて、苦笑いで言い出すもんだから

 フォルテもカレンも「え」という顔で固まった。

 同性から見てもそんななのか、と。

 すると、さっきまで反発していたふたりが揃って扉を眺めてはため息をついた。


 「…世の中、よくわからんな。」

 「…世の中、よくわからんね。」


 似た台詞、似た声色で揃える二人。

 そんなやりとりの中、ライアからの返答がないことに気付く。

 …あれ?さっきリオンは

 『友も見舞いに来ているのですが、構いませんか?』と問いていた。

 が、返答が来ない。

 リオンが軽く振り返ると、緩く首を傾げた後…


 「…やらかした、か…?」


 と、一言。

 いやいやいや、ただ見舞いに来てる友人がいると言っただけで

 警戒されることないだろう。と口を揃える。

 しかし、微妙な沈黙があるのは確かだ。はやる気持ちを抑えながら、

 ただごく普通に問いかけようと声を出そうと息を吸い込んだ時。


 「誰が来てるの?」


 やっと返ってきた言葉がこれだった。

 しかも、明らかに声色が変わり、いつもの優しく色気の含まれた声などではなく、

 暗さと威圧感の含んだような音で、とてもしっとりと落とされた言葉。

 扉越しだというのに、傍にいるような独特の恐怖感すら覚えてしまう。

 最初はとてもじゃないが耳を疑った。それでも、ここでを作ってはいけないと、

 高鳴って乱れる心臓を鎮めることもせずに、恐怖心をいだいたまま、

 引き気味ではありながらもしっかりとした声を保つ。


 「ルキアとフォルテとカレン、です。」


 心に反して声はしっかりとしていたことに我ながら誇らしく感じるも、

 また数秒、ライアからの返答が返って来なくなってしまい不安を覚える。


 「………。わかったわ、どうぞ~。」


 聞き慣れたいつもの声で、いつもの様子に戻って返ってきた。

 先程の独特な声は空耳かと思うくらい、様変わりしていたように思える。

 それでも、安心することはなく、気の抜けない状況を作り出す。

 そう、それはライアが明らかに警戒を示したからである。

 もし、何ら警戒も疑問もいだかないのであれば、

 こちらも警戒することもなかっただろう。

 ――詳しくはわからずも、何かある。

 そう思わざるを得なくなったのは、ライア自身が撒いた種である。


 …彼女は一体誰に警戒をしたのだろう? まさか…。


 そう心の中で自己完結しながら、ドアノブに手をかけて扉を開く。

 開いた部屋からまず気付くのは、涼やかな風に乗って香るほのかな甘い香り。

 もちろんオーシャン自らが使用する香とは別物で、ライアが持ってきたものだろう。

 そして目に映るのは、ベッドで眠ったままのオーシャンと、

 その傍で看病するライアの姿。

 この様子を見る限りだと、不審な様子はどこにもない。

 様子を伺いつつも、変に思われないように足を踏み入れるリオン。

 それに続いてルキア、そしてフォルテとカレンとエクナが入室する。


 「あなた達がフォルテくんとカレンちゃんね。

  リュースが襲撃された時にケガをしたって聞いたけど、

  元気そうで良かったわ~。」


 「…ああ、…どうも。」


 「っあ、挨拶もせずすみません。あなたは、ライアさん、ですよね?

  リオン王子から聞いてますっ。」


 突然に初対面から無愛想をかましたフォルテに焦り、

 カレンがフォローするように話を繋げた。

 それに対してライアもくすっと小さく笑うが、フォルテはライアをじっと見ていた。

 それに気付いたカレンが疑問を浮かべて見上げるが、

 一足先にライアが視線をフォルテに合わせた。


 「………? フォルテくん、どうかしたの?」


 こてんと可愛らしい仕草で首を傾げたライアに対し、フォルテは視線を外さない。

 その異様な様子に、先にオーシャンの傍に行っていたリオン、ルキア、

 エクナも振り返る。カレンは、魅入ったと思っては心配そうに彼を見上げていた。

 確かに美人であるが、「ちょっと、しっかりしてよ…!」と。

 その時――。


 「…アンタからは、独特ないばらのような影を感じるな。」


 ポツリと、雨粒が葉を打つような静けさと存在感をもってその声は落とされた。

 突然落とされた静寂の中、全員はフォルテを見つめる。

 リオン達は緊張感を持ったような、真剣で、

 どこか不意に訪れた敵対心の剥き出しに、

 凍りついたような眼差しでフォルテを見る。

 ライアは言葉の意味がわからないようで、素直に疑問を瞳に宿した眼差しだ。

 そんな周りを置いて、フォルテは続く言葉を口にする。


 「一見穏やかさを装ってるが、その心底(なか)に一体どんなヘ――、ぃってえッ!!?」


 突然フォルテから変な声が飛び出した。

 その横では、カレンが彼の背中を強くつねっていた。

 鋭くライアを見据えていたフォルテだったが、急に訪れた痛みにカレンを睨む。

 確信を得る前に喧嘩売ってどうすんの、と無言の圧力をカレンから感じた。

 そんなコントのような光景を見せられて、

 ライアはまったく気にしていないかのようにくすくすと可愛らしく笑う。

 今は、その笑ってくれたことに安心してしまう。

 リオンは小さく笑えば、視線をオーシャンへと戻して顔色を伺う。

 相変わらず顔色は良くなく、眠っているのに軽く眉をしかめて、

 どこか苦しそうにさえ見える。体調はまったく良くなさそうだ。


 「父上、最近寝込むことが増えたけど、大丈夫だろうか…?」


 本心のままにリオンが小さく呟いてはオーシャンの様子を眺めるが、

 病と毒の違いを顔色で判断できるほど医療に精通していない。

 ルキアもわからないが、様子を伺っては心配そうに見つめていた。

 彼女にとっては、マーティンス王家の人間は命の恩人であり、主人。

 普段はリオンの側近のように存在しているが、

 エクナにもオーシャンにも忠誠を誓っている。いつもたくましく元気な彼の、

 ここまで弱ったような様子を見るのは心苦しいものがあった。

 毒の重症度もわからず、それぞれが不安と心配から声を零す中、

 フォルテとカレンもそこに加わる。


 「んー、ラルファースさんが探そうとしてた薬草の名前、

  こうなるなら聞いとくんだったなぁ。」


 不意にカレンがそのふわりとした声のまま、素直に後悔を口に出す。

 それは、おそらくここにいる全員が思っていたことだろう。

 同意するようにリオンも頷くが、続けて考え込むように手を顎に運ぶ。


 「でも、あいつが見付けられなかったってことは、

  今は生えてないのかもしれない…。」


 「あ、…そうですよね…。」


 リオンの憶測ではあるが高い可能性を感じさせる返答に、

 カレンもガックリと肩を落とす。しんみりしたような空間が訪れ、

 これだけの人数がいる中での静寂は不安をあおってくる。


 「大丈夫よ。オーシャン様も必死に戦っているもの。

  みんなに心配はかけたくない、俺が倒れるわけにはいかないって、

  ずっと言ってたわ。」


 そんな静寂を裂いたのは、ふわりとして優しい声だった。

 その声が告げたオーシャンの思いに胸が締め付けられる。

 国王としての威厳か責任か。

 体が蝕まれ日々弱る体でも、心だけは強くたくましくいるその思いに、

 リオンはグッと拳を握った。


 「…東の、グランヴァル皇帝陛下…。

  あの方が倒れられた原因は、ギラードによって盛られた毒だったんです。

  …物騒な世の中だよな…。」


 無念さを吐き出すように放たれた言葉は、静かな空間に絶大な存在感を持った。

 痛々しさをも感じさせるリオンを見て、ルキアも表情をかげらせて言葉を失う。

 だが、その事実をひとり知らないエクナは酷く驚いたようにリオンを見る。


 「ど、毒!?バイド様は毒殺されようとしていたの!?」


 「ああ。だけど、彼はもう体調が良くなっていたよ。

  ラルファースにも何もなかったから、安心してくれ。」


 リオンの強くも穏やかな声で告げられれば、毒殺されかけたという報告に

 驚いていたものの、部屋に入る前に覚悟を決めていたからか、

 変にパニックにならないで聞き入れることができた。

 何より、二人とも無事という事実が聞き入れられる一番の理由だったかもしれない。


 「いち早く気付いてくれた人がいてな。

  きっと、その人が何か対策をしてくれてたんだ…。」


 驚いて冷静を欠いてしまうと思ったリオンは、

 自分の知っていることを安心させるように語る。そんな気遣いを感じてか、

 エクナもふわりと微笑んで安心したように胸を撫で下ろした。

 だが、その間の様子にさえリオンは気を配っていた。

 リオン達がエクナに話を続けている中、ライアがその話を少しだけ

 驚いたような表情で聞いていたのだ。

 もちろん、皇帝の毒殺という内容を聞いて驚かない人などいないだろうが、

 ライアの様子はそういう驚きではない予感がした。

 そんな考えは全く顔に出さず、ハッと何かに気付いたように

 リオンはライアへ振り返る。


 「そういえば、報告がまだでしたね。

  王都防衛中、東の街道にグランヴァル軍の姿を見かけたので、

  本来の作戦を変更し追跡したのです。

  ですが、グランヴァル城に火の手が上がり、向かった先で、

  今の皇帝を名乗るギラードという男に出会ったんです。

  その男は、本来の皇帝のバイド様を暗殺し、

  自分が皇帝になろうと企んでいたので俺達で阻止しました。

  結果的に死んだのか、逃げられたのかは不明です。」


 淡々と、それでも力強い口調で状況を報告するリオン。

 ライアはその報告を真剣に聞いていたが、

 どこか不機嫌なように眉を小さくしかめていた。


 「まさかあの陛下が毒を盛られていたとはね…。

  解毒の効果か、元気そうだったから心配ないと思うけど、

  あの剣(さば)きはさすがの一言だったよ。」


 話に合わせてきたのか、ただの素直な感想か。

 ルキアがほっとしたような表情で付け加えた。

 それに対しては、あのたくましさと毒をも諸共としない頑丈さ、

 そして病み上がりだというのに力強い剣戟けんげき…。

 あの姿を思い出しては、ほっとしたような、呆れるような微妙な心境になるが、

 とりあえず頷いておいた。内心本当に、元気そうな様子に安心したからだ。


 「あの人がいち早く気付いてくれていなかったらと思うと…、

  さすがに肝を冷やすよな…。」


 ぽつりとリオンが呟くとフォルテ達も頷く。


 「へえ~、そうなの。さすがはグランヴァルの臣下達といったところなのかしら?

  バイド様に盛られた毒を素早く見抜くなんて。」


 先程の違和感は払拭されたように、ライアは素直な感想を言葉にしていく。

 だが、リオンはその反応こそ待っていたかのように口角を微かに上げる。

 もちろんその様子は本当に微かなもので、

 周りには感じ取れないくらいのごく小さな笑みだった。


 「それが、バイド様の側近でも騎士でもなかったのです。

  もともとはギラードに雇われていた、〝彼の〟騎士だった人なんですよ。」


 「…えっ!?」


 明らかな反応が返る。しかし、あえてそれには応えずにライアの反応を待つ。

 しばらくは考える様子を見せるライアだが、

 深く考え込んでしまい話し出しそうにない。何か心当たりがあるのは確かだろう。

 だが、それを吐かせるにはまだ言葉が足りない。

 そう考えたリオンは、あることを告げる決意をする。

 心の中で、ある人に謝罪の念をいだきながら…。


 「もしかして、ご存知でしたか?

  ギラードの用心棒に雇われていたシエルさんのこと…。」


 「――シエル!?まさか、あのむすめ…!?」


 動揺からか、心からの言葉が口を突いて出たようだ。そんな言葉が口から出ても、

 ライアは何も気にしていないかのように再び考えを巡らせている。

 シエルという人物は知っているが、何故毒に気付けたのか、

 何故ギラードを裏切るのに彼の騎士になっていたのか…など、

 複雑な表情で考え事をしていた。


 「裏切られたんだそうですよ、ギラードに。

  平和を実現すると言って雇われたのに、

  その平和は陛下を犠牲にするものだった…。

  シエルさんはバイド様にとても献身的でしたから、許せなかったんでしょうね。」


 普段は無愛想に加え、あまり多くを語らないリオンなのに

 今はとても饒舌じょうぜつな気がする。

 もちろんそれはルキア達も薄々感じていたようで、お互いに顔を見合わせていた。

 だが、何となく理由がわかる気もする。


 「そう…。そんな契約があったのね…。

  でも、バイド様に献身的と知っていたなら、

  ギラードも毒で暗殺なんて伝えないんじゃないかしら?

  それでも毒の存在に気付けたってなると、あの子、すごい子だったのね。」


 やんわりと、違和感のないくらいにゆっくりと物事の本質を確かめてくる言動に、

 ライアの抜かりなさを感じさせる。

 もともと頭の回転の早い人なのは知っていた。話術が巧みなことも。

 だが、リオンには確固とした確信と、ある切り札の存在を隠し持っていた。

 そして、それがどんな結果をもたらすのかも、少なからず察しはついている。


 「とても強く、とても不思議な方でした。シエルさん、実は王様のようで――あ…。

  シエルさんの本当の名前は、セルディアって言うそう――」


 「セルディアですってッ!!?」


 「!」


 ライアらしくない突然の大声にリオンだけではなく、ルキア達も固まってしまう。

 つい声を荒げてしまったライア自身も、

 驚いたように口元に控えめながら手を添えていた。

 が、明らかになったことがいくつかある。

 リオンの饒舌じょうぜつの意味は、ライアの本性と本心を引き出す為の演技。

 そして、まんまとリオンの罠にまったライアが見せたのは、

 セルディアを知っているという事実。それが何を意味するのかというと、

 ギラードと戦っている時に彼女はこう言っていた。


 『あの事件は我が国の民が滅びたことで、誰も知らないはず…。

  そこに生きる人も、存在も。』と。


 だが、ライアは明らかにセルディアを知っている口振りを零した。

 唯一、クレスレイムの人間とは交流があったという話から、

 そこの国出身だと言われればそこで話は終わるのだが、

 あえてそれは告げずにライアを見つめる。

 リオンの演技に呆気に取られていたルキア達も、その視線をライアへと向ければ、

 視線を受けたライアは「ふ…」っと小さく息を吐いて目を伏せた。


 「そう…。あのむすめはセルディアだったの…。

  ならば『どうして』なんて、考えることもないわね。

  あの子はそういう子。正義を護り、悪を断罪する…。

  あの子自体が罪の塊だというのに…。」


 ポツリポツリと思うままの言葉を吐き出していくライアは、

 今までの優しい雰囲気と柔らかいままの彼女だった。

 セルディアを『あの子』と呼び、褒めたと思えば叱咤しったするような…。

 それでも、どこか不思議な言葉を並べたように聞こえたのは間違いないだろう。


 『あの子自体が罪の塊』。


 それは亡国となったルシフェリアでの惨劇の話のことなのか、それとも――…?


 「………やっぱり、早々に片付けておくべきだったわね。

  なんでこんなに時間かけちゃったのかしら…?」


 不意に落とされた言葉はとても冷たく、とても強い覇気をまとって向けられた。

 もちろん、その声はライアのものだ。

 不気味な響きをもって放たれた言葉にリオン達は視線を彼女へ向けると、

 グッと前髪を掻き上げる動作をすれば、鋭い視線とぶつかり合う。

 その瞳は、いつもの桃色の瞳ではなく、不気味に輝く金の瞳を宿していた。

 そう、それはどこかで見た瞳と類似していた…。


 「まったく、仕方のない子ね…。知らなければ無事でいられたのに。」


 急に変わる口調と態度に、リオン達は臨戦態勢を取る。

 先程見舞いに来た友に対し警戒したのは、

 やはりセルディアの存在だったのではないかと予感する。

 シエルが本当はセルディアだったと知らず、

 毒を見抜かれていたことを知らなかったとはいえ、

 グランヴァル城にて戦闘があった報告は王城の伝令からライアにも届いており、

 何かを察したセルディア本人、

 もしくは彼女の息がかかった者が来ることを恐れていた。

 何よりも、シエルとギラードの関係は『裏切られた』という言葉だけで

 破綻していることがわかる。シエルがセルディアでなかったとしても、

 彼女本人が来ることを恐れていたのだろう。


 …だとしても、何かが噛み合わない気がする。

 ライアは、シエルがセルディアだと知らずにいた。

 もし、シエルは『ギラードの用心棒』、セルディアは『恐れるべき存在』という

 別人ごとの解釈をしていたのなら、元・用心棒のシエルが駆け付けてくることを

 警戒することはないだろう。

 下手を言えば、シエルが告げ口をする前に排除も出来たかもしれない。

 そいつこそ裏切り者と、嘘つきとも言えるかもしれない。


 ならば本当にセルディアを警戒したのか?

 だが、ライアは確実にセルディアという人を知っている。

 それなのに、用心棒のシエルと、国王のセルディアの区別がついていなかった。

 自分達が見たセルディアという人物は、影の怪物に襲われた時に本当の姿を現した。

 そこで、アーバントは『セルディアだ』と確信していた。

 ………いや、アーバントは初対面の時から気付いていた気もする。

 たしか、本当の姿を見せる前から「王」と呼んだ気がする。

 それでも、劇的に変わったわけではない。


 …シエルとセルディア、二人はよく似た姉妹なのか?

 いや、そっくりならばそれはそれで警戒したはずだ。


 「どういうことだ…?お前も、ルシフェリアを焼いた共犯なのか?」


 臨戦態勢を取る先頭で、リオンが重く低い声で慎重に問う。

 すると、その言葉を聞いたライアは一瞬こそ驚いた表情をしたが、

 すぐにその表情は笑みに塗り替えられる。

 クツクツと笑う様子は、やはり"あの者"を彷彿とさせる。


 「一体、どこまで喋れば気が済むのかしらあのクズ…。

  得体の知れない子なんて用心棒に雇って、自滅してるんだから笑いものだわ。

  ましてや、それがセルディアだったなんて。」

 

 次々と思い出しては笑みを増していくライアは、もはや今までの彼女ではなかった。

 蛇のような瞳と、妖艶な雰囲気はいつにも増して不気味さをまとう。

 そんな豹変した様子を目の当たりにし、リオンとルキアはもちろんだが、

 ずっと一緒に看病してきたエクナは青冷め、

 信じられないと言わんばかりに震えて両手を握っていた。

 そんなエクナをカレンが肩をいて支えている。

 ふと、ライアは笑みを消してうつむいてしまい、空間を静寂が支配する。


 「…共犯だなんて言わないで。どうせここで最後なんだから教えてあげるわ。

  ルシフェリアを焼いたのはワタシ達。でもね、焼けと命じたのはワタシよ。」


 「な…ッ!?」


 突然のライアの自白に頭が真っ白になってしまう。

 最初にその話を聞いたのがギラードからだったからか、戦ったのが先だったからか、

 ギラードが首謀者でライアが共犯だとばかり思っていた。

 しかし現実は逆だったらしい。

 この蛇のような不気味な金の瞳…。ギラードとライアは酷く似ていた。

 どこかで繋がりがあるのではないかと確信はしていた。

 だが、それは予想を越えた返答だった。


 「何故、ギラードとお前はルシフェリアを?ルシフェリアが何かしたのか?」


 驚き真っ白になった頭を何とか巡らせて、

 リオンは真相を知りたくて言葉を投げかけていく。

 ここで戦うのはまずい。だが、せめて真実を知りたい。

 そんな葛藤の中、必死に言葉を選んでいく。

 甘い考えかもしれない、現実を見ろと言われるかもしれない。

 それでも、たとえ今が敵であっても同じ時間を同じ場所で過ごした人。

 何か理由があるんじゃないかと、そう信じたかった。

 そんな必死さが顔に出たのか、ライアは少しの沈黙の後、

 リオンを眺めてから小さく笑うとため息をついた。


 「…何もしてないわ。もともと、ルシフェリアの王族も国民も大人しい種族だもの。

  ただワタシ達は、そこに伝わる王家の力場りきば…技術が欲しかったのよ。

  でも、その力場りきばの場所を知り、技術を操れるのは王家のみ。

  だからルシフェリア王を脅迫したの。

  でも答えはノー。娘二人を襲うと言っても聞かなかったわ。

  そしたらね、ある男を脅したら力場りきばの場所吐いたのよ。

  だから、あとはルシフェリア王家の人間をさらえば技術が手に入る。

  ――はずだった…。」


 どこか思い出しては懐かしむように、それでいて悔しそうな、

 呆れたような複雑な表情で目を伏せた。


 「力場りきばの技術を操れるのは、国王と第一正統後継者の二人だけ。

  なのに、第一正統後継者の長女は一度も姿を見せたことがないのよ。

  妹はよく街に出て来たんだけど、姉は滅多に姿を見せず、

  式典の時は常に黒い装束で身を包み、

  護衛をつけていたから本当の姿なんて見たこともない。

  だから国を焼き払って引きずり出すしかなかったのよ。

  結局、姿を見ることもできず逃げられたけどね。」


 口元に薄ら笑いを浮かべながら語られた真実は、

 とても残酷で自分勝手で非道な行ないだった。私利私欲の為に国を焼き、

 今回はアルメリアとグランヴァルの王を毒殺しようとした。

 決して許してはならない敵に対し、リオンは行き場のない怒りを覚える。

 何か理由があるんじゃないかと考え、

 少しでも気を許してしまった自分を呪いたくなる。

 そんな怒りを含んだ眼差しをぶつけても、

 ライアは涼しい顔でクスクスと笑みを浮かべていた。

 人の命を道具のように、私欲の為なら踏み潰すような彼女に、リオンは拳を握る。


 「そんな理由で国を焼き払って、

  そこに生きるたくさんの人の命を奪い、そんなに楽しいか?

  アルメリアとグランヴァルもそうするつもりか?王を狙った理由はなんだ!?」


 怒りをそのままに、頭は冷静でも心からの怒りの声をぶつけるリオン。

 するとライアは、すぐ傍にあった棚へ寄り掛かるように体を預けると、

 目を伏せて小さく笑った。


 「簡単なことを聞かないで。理由はひとつ…、『封石』よ。」

 

 さも当たり前のように言い放ったライアに対し、全員は絶句し、

 言葉を返すこともなく彼女を見つめた。

 『封石』は、かつて世界を恐怖に陥れた『魔神』と呼ばれる災厄の存在を封じた

 石のことである。今や遥かな時代での出来事であり、

 その封石は五つに分かたれて各地で保管されているもの。

 そんなバカみたいに現実離れした話でも、リュースとアスルを消滅させ、

 アルメリアとグランヴァルの王を滅ぼそうとしているのだから辻褄が合ってしまう。


 「手始めに、あまり兵力の高くない北と南を狙ったギラードが、

  シエルを使って探させたようだけど、封石は見付からなかったそうね。

  誰かが持って行ったのか隠したのか…。

  でも、必ずどこかにあると疑わない彼は、

  国を滅ぼしてでも探せと命じたのでしょう。だから二ヵ国を消した。

  だから、ワタシはアルメリアに乗り込んで、中から探し出すつもりだったわ。

  毒で倒れた王様の看病する為と言ってね…。」


 そこまで言うと、ライアは笑みを消して、顎に手を当てて深刻な表情をする。


 「…でも、あの子がセルディアだとするなら、

  ギラードの目的に気付いて先手を打たれたのかもしれないわね…。

  姿さえわかっていれば…。」


 ぽつりぽつりと悔しさと怒りを零すライアに対し、

 リオン達はオーシャンとエクナを守るように戦陣を組む。

 もしここで戦いになるのなら、二人に危害がないように

 早急に撃退させなくてはならない。彼女は危険だ…。そう感じては緊張が走る。


 「シエルって名前だけで、もしかしてって思わなかったのか?」


 緊張の中不意に届いたのはフォルテの声だった。

 その言葉にライアは笑みを深めて視線を合わせる。


 「思うわけないじゃない。シエルなんて名前、探せばたくさんいる名前よ。

  『メルセディオ』と名乗られれば別だけど。

  それに、ワタシ達が知るシエルとは外見が違いすぎるもの。

  妹のシエルは、桜色の髪に緑の瞳。姉のセルディアは姿すら知らなかった…。

  見知らぬ姿のシエルなど、関係の無い、全くの別人だと思っていたわ。」


 それだけ姿を見せなかった第一王女というのも珍しい気がするが、

 そのおかげで毒殺を防げたのかもしれないと思うと、

 なんて偶然なんだろうと思う。

 それに、そこまで徹底して姿を見せない第一王女が次期王様となるのに、

 国民は疑問に思わないのだろうか?それとも、何か理由があったのだろうか?

 理由はどうあれ、ギラードとライアは繋がっており、

 ルシフェリアを焼き払った張本人であり、

 シエルとセルディアと関係のある人物だと知ることができた。

 何よりも、この世界にとってとても危険な存在だということも…。

 戦うしかない。戦って、早々に撃退して安全を確保し、

 オーシャンの毒を治療しないと命が危ない。リオンが控えめに構えると、

 ルキアも刀に手をかけ、フォルテも後ろ手に鎌を構える。

 カレンはエクナを後ろへ下がらせるように連れていく。

 だが、その手を離れてエクナはライアへと向き直った。


 「…ライアさん…。お父様を助けたいって言ったのはウソだったんですか…?

  なかなか良くならないお父様を見て泣いてたわたしを慰めてくれたのは…、

  わたしが惨めだったからなんですか…?

  ぜんぶ…、お父様を殺そうとしてついた、ウソだったんですか…っ?」


 胸の前で両手を強く握り、今にも零れ落ちそうな涙目で

 ライア一人を見つめて声を張る。

 今までの優しく接してくれた『家政婦ライア』は嘘偽りであり、

 演技だったと思い知らされ、エクナは膝から崩れ落ちそうだった。

 ましてやそんな人が、一緒に助けようと奮闘していたと思っていた人が

 毒を盛った張本人であり、自分達の目的の為に一国を焼き、

 人々を焼き殺した残忍な人間だと、世界を脅かす敵だと痛感しては心が激しく軋む。

 危ないとカレンが肩を支えると、エクナは止め場を無くして涙を零す。

 それでも、答えを聞きたくてライアをじっと見据えていた。

 泣きながらも必死に現実を受け止めようとするエクナを見て、

 ライアは体を預けていた棚から体を離し、腕を組むような動作をすれば

 片手でやれやれといった様子を見せた。


 「毒を盛った人間が、回復を願うわけないじゃない。

  泣き喚いていたアナタを励ましたのは、うるさかったからよ。

  ずっと居座られてもジャマなだけだもの。

  全部嘘。

  全てはアナタを始めとした全てを信用させて、封石を探すため…。

  その為なら、ワタシはどんな演技だってするわ。」


 「そ、んな……!ぜんぶ、ウソだった…なんて…っ。」


 「エクナリスさん…!」


 残酷で、心を傷付けるような言葉を並べ、

 現実を叩きつけられたエクナは膝から崩れ落ちてしまう。

 なんとかカレンが支えるも、涙は止まらなかった。

 エクナを後ろへ下がらせて、リオン達は戦う準備を整えた。

 いつでも来い。そんな気迫を宿す。

 だが、戦闘体勢に入った一行を眺めてはライアも軽く身構える。

 その瞳はやはり慣れぬもので、

 ギラードと同じくらいにゾクリと背筋を走る冷たさを感じる。

 何より、ギラードより明らかに高い覇気をぶつけてきているのだ。

 まさか、こうもあっさりと本性を見せてきては

 ここまでの殺気を向けてくるなど予想外だった。いや、予想外ではない。

 今までのライアからは全く想像がつかないくらい、

 悪意と殺気が入り交じったような気迫を向けてきている。

 予想を超えすぎて、今でも同一人物とは思えないくらいだ。

 無意識にも臆してしまうのを見破ったのか、不意にライアはクスクスと笑う。

 そして、控えめに笑ったかと思えば、ロングスカートをふわりと振り払うように

 横へ手で払うと、そのまま手をまっすぐ横で構えた。


 「お荷物の王様とお姫様をかかえてワタシには勝てないわ。

  アイツが負けたってことは、セルディアを取り逃がして、

  街の奪還すらままなってないんでしょうね。…あの役立たず…。」


 クスクスと上品に笑いながらも毒のある言葉を並べていく。

 こう言葉を聞いていると、ギラードの丁寧で残酷な言葉に似ている気がする。

 むしろ、ライアの方が黒幕であり格上とさえ感じる。

 ライアが放つ覇気は確かに強力だが、

 リオン達はもっと強い覇気の存在を知っている。

 だが、心を折られた挙げ句、強い覇気に当てられたエクナは

 動けなくなってしまっていた。

 もともと戦いに出ることも少ないのだから無理もない。

 今は安全な場所で無事でいてくれればそれだけで構わなかった。


 「あら、ワタシの気に顔色ひとつ変えないなんて…。

  …いいわ。少し、本気を見せてあげる。」


 蛇のような金の瞳が一層鋭い光を宿すと、辺り一面を黒い影が駆け抜けていく。

 そのまま真っ暗な空間が包み込んでいくと、一瞬にして闇の中のような空間へと

 変貌した。真っ暗闇といっても目は利き、人の姿は昼間のようにハッキリと見える。

 しかし、他は真っ暗闇という異質な空間だった。

 一体何が起きたのかわからず、辺りを見渡していたその時だった。

 突然体中に重りがのしかかったように、全身に急激な圧迫感と重力が

 リオン達を襲う。その重さ、息苦しさに耐えられず、

 次々と床に叩き付けられるように倒れ伏していく。


 「グ、ァ…ッ!キ…サマ…っ、何、しやがった…ッ!?」


 床にギリギリと押し潰されるような圧迫感と、呼吸がままならない窒息感、

 重さに軋む体の痛みを必死に耐えながらフォルテがライアを睨んで言う。

 フォルテの前にいるリオンとルキアも何とか耐えているようで、

 辛うじて体を起こすように持ち上げればライアを睨んでいる。

 だが、フォルテの後ろにいるエクナとカレンは苦しそうに咳込んだ。

 体力も身体も丈夫なフォルテでさえ、声を発するのすら難しい状態だというのに、

 ルキアみたいに剣士として肉体を鍛えていない華奢な二人にはあまりにも重すぎる。

 フォルテの言葉を聞いて、この力…この人は危険だとリオンの本能が強く訴える。

 身動きもできず、このままでは確実に圧死するか窒息死するだろう状況に負けず、

 強く睨んでは抵抗してくるリオン達に免じてか、ライアは小さく笑う。


 「ワタシの魔力で重力をちょっといじらせてもらったわ~。…フフフ。

  こんな簡単に捩じ伏せられるのに、どうして手こずるのかしらね、あの男は。

  シエル…セルディアも強いというけれど、ワタシとどっちが強いかしら~?

  ワタシの手で、殺せるかしら? フフフッ!」


 ギリギリと床に押し付けられて、藻掻くリオン達を上から眺めながら笑みを深めて

 悠々と言う。その笑みはサディスティックなものとよく似ており、

 藻掻き苦しむ様子を楽しんでいるかのように見える。


 「――ッ、は…!……お前達、封石を手に入れて…どうする、つもりだ…!」


 何とか体を起こして呼吸を整えながらルキアが気丈に言い放つ。

 その片手は、相手に見えないように腰の刀を握っていた。

 その姿を横目で見たリオンは気付きハッとする。


 「(まだ、こいつは負けてない。それは俺だって同じだ。

   隙だ…、一瞬でも隙さえ見えれば…!)」


 横目で見たルキアの姿にほんの小さく笑うと、

 リオンはマントの中に手を隠して同じようにライアを睨んだ。


 「フフフ…。どうせここで死ぬんだもの、教えてあげる。

  ワタシ達は魔王様と共に、この全世界を支配するのッ!!

  従わない者など許さない、邪魔する者など許さない。

  愚かな人間を滅ぼして、ワタシ達の理想郷を造り上げるのッ!」


 狂気に駆られたような様子でライアは声高らかに叫ぶ。

 その目的を聞き、その場にいた誰しも全員が凍りついたように表情を固まらせた。

 遥かな過去の時代の悲劇を繰り返すというのか、と。

 いつの時代か、魔神の力を使って同じように世界を支配しようとした者がいた。

 だが、その魔神の絶大な力の前に召喚士は絶命――…。

 還ることも叶わなくなった魔神は自身の力に暴走し、混乱し、

 生という生あるもの全てを喰らい始めた。

 命あるものが恐怖と絶望に震えては散っていった、悲劇のときを…。

 今や伝承という形でしか知ることができないとはいえ、決して繰り返してはならない

 禁忌なのはどこの国でも同じように伝わっていたはずだ。

 それでも、この二人は繰り返すというのだ。

 よほどの自信があるのか、切り札でもあるのか。または、ただ、狂っているのか…。


 「でも、中央国ここの封石の在りは今でもわからないのよね。

  だから、アナタ達を消してからゆっくりいただくわ~。」


 フフフッ♪と陽気に笑いながら重力の圧力を強める。

 気を失いそうになるくらいの息苦しさに襲われ、

 声にならない声が喉を突いて零れるだけだった。

 悪趣味にも、目の前で酸素を求めて藻掻くリオン達を笑って眺めているライア。

 その笑みはサディスティックな、見下ろしては嘲笑う笑みそのものだった。


 「…お…兄、様……っ。くる、し…っ、助け……て…。………にい、さ…ま…。」


 後ろから泣きながら助けを求めてくるエクナの声が聞こえた。

 もうほとんど意識を失いかけている中、譫言うわごとのように呟いては必死に抗っている。

 どうにかしてエクナとカレンだけでも退避させたい。

 だが、振り切れる力もすべもない状況に、

 ただ悔しそうに床を拳で押し付けて歯を食い縛る。


 「くそッ! エクナ……ッ!!」


 リオンの強い悔しさの声と表情を目の当たりにし、

 ルキアからも悔しそうな「クッ」という声が漏れる。

 その手はまだ刀から離れていない。今も機会を伺っているのだ。

 その後ろ、カレンは意識を保ち、エクナに声をかけて意識を保たせようとしていた。

 すると、エクナは閉じていた目を開くと涙目で前を見る。

 その時、ずっと気になっていた物が視界に映る。

 そう、それは城内へ入る前から気になっていた物。

 それは、あの時と今ではハッキリと、明らかに様子が違っていた。

 フォルテの腰に掛けている袋。

 その袋から淡い光が微かに漏れていることに気付く。

 エクナの目線を追って気付いたカレンは視線を合わせると、エクナが微かに頷いた。

 エクナを安心させるように頷き返して微笑めば、エクナを後方に控えさせたまま、

 こっそりとカレンはフォルテの近くへと体を引きずる。

 その事に気付いたフォルテが視線で「前に来るな」と訴えた気がしたが、

 今はそれを無視して小さく声を囁く。


 「っ…、フォルテ…、それ…!」


 「は……?」


 小さくやり取りしたおかげか、何とかバレずに伝えることができた。

 フォルテも袋の微かな輝きに気付き、

 片手で袋に触れると何か硬いものに手が触れた。何か硬くて温かい光を放つ物。

 これが何かはハッキリとわからないが、もしかして、という心当たりはあった。

 これはフォルテの出身国アスルでも、とある魔術師が使っていた物の輝きと

 温かさに似ている気がする。


 「(まさか…。でも、何故こんなもの…?予知してたとでも言うのか…?)」


 ふと不思議な感覚と懐かしい感覚に考え事をしてしまうが、

 今はそんなことを考えてる時などではないと我に返る。

 すると、小さく背後から声が届く。


 「それ…さっき、から…気になって、ました…。ぅ…、くっ…。

  ……そ、れ…。…光…の……?」


 「光の…。…やっぱりそうか…。ありがとよ、…気付いてくれて。」


 「何…? それ、一体なんな―――」


 「あら~?」


 「!!」


 ひそひそ話のように話していたが、油断していたのか、

 ライアの独特な声が耳にハッキリと届いた。

 その瞬間、カレンの体が床に押し付けられて軋んだ。


 「あぁッ! ぁ…、ああぁぁぁッ!!!」


 「何を話していたのかしら~?こんな状況でなめられたものねぇ。

  先にアナタをぺちゃんこにしてあげようかしら?」


 「「カレンッッ!!!」」


 前にいたリオンとルキア、そしてフォルテの声が耳に重なる。この女は本気だろう。

 カレンのみの重力を強めては笑って様子を楽しんでいた。

 このままでいいわけがない。当たり前だ。そして今、切り札を手にした。

 これは絶好の好機!


 「…ふッ…、ハハハハハ…。」


 場違いなくらい響いた低く存在感のある笑い声。

 こんな時にこんな笑い方をするのはただひとりだ。

 そのあまりにも不気味な笑い声に、ライアもさすがに動作を止めて

 声のぬしへと視線を向けた。


 「あんまり、オレ(うち)の隊長虐めてくれんなよ…。

  こんな卑怯な手でしか戦えねぇアンタになんか、負けらんねぇんだよ…。

  こんな卑怯な手でしか戦えねぇアンタなんか、

  セルディア(アイツ)より全然()えぇッ!!」


 重力に逆らいながら立て膝へと体勢を上げれば、

 そのまま袋を開けてライアへと真っ直ぐ構えた。

 その時。

 ガッッ!!!!!という激しい衝撃音が瞬時に響くと同時に、

 強く輝く白金はっきんの一筋の光がライアの左目を突く。


 「ギャアアアアアアァァアァアアァッッッ!!!?」


 耳をつんざくような悲鳴が響くと、

 衝撃音が響いた空間はボロボロと崩れ去り元に戻る。

 白金はっきんの光が通った後には青い光の粒が舞い、

 その光はリオン達の上へと降り注ぐとすぐに消えてしまう。

 白金はっきんの光も役目を終えたように途切れては、小さく弾けて消えていった。

 その美しくも荘厳な光景に目を奪われてしまうが、ふと体の軽さに気付く。


 「! 動ける…! リオン!!」


 「ああ! 助かったぞ、フォルテ!」


 いち早く動いたルキアとリオンが先手を取る。

 元々刀に手をかけていたルキアが駆け出し、

 輝きに怯むライアと一気に距離を詰める。

 ルキアが刀を引き抜いた瞬間を見計らってリオンが魔法を放つ。

 先にリオンの魔法がライアにぶつかり、その煙の中からルキアが一閃を放つ。

 直撃を喰らってしまったライアの体は大きく揺らぎ、

 重いダメージになったのは確かだったが、それでも倒れるまでにはいかず、

 棚に片手を着いてからもう片手でルキアへ炎の魔法を撃つ。

 しかし、難なくそれをひらりと回避すれば、

 ライアは連撃で二発目三発目と撃ち込むが、リオンがそれをバリアでガードする。

 そんな二人は余裕そうに笑うと、二人で親指を立ててグッドサインを向け合う。

 ライアが左目を押さえながら二人を鋭い眼差しで睨むが、

 ルキアとリオンは急に攻撃の手を止めて揃って上を見上げる。

 その視線にハッとしてライアは頭上を見上げると、

 そこにはフォルテとカレンが武器を手に構えていた。


 「こっちだぜ!!」

 「こっちだよ!!」


 相変わらずの息の揃う掛け声と武器の振り方に、ライアは全く動けなかった。

 いや、逃げる時間も防御する時間もないくらいの素早い攻撃だった。

 カレンが赤色の魔法の剣で縦一閃に振り下ろし、

 フォルテがそれに重ねて大鎌で横一閃の一撃を放ち斬り裂く。

 描かれたのは逃げ場のない、十字の剣撃。

 暗殺者としてのはやさと、致命傷になるくらいの斬撃だった。


 「グッ、ウ!!?」


 大きく体を傾け、それでもなんとか体を支えて立つライアだったが、

 四人の姿の間から見えた二人の存在に大きく目を見開く。

 ベッドの傍で構える少女エクナと、ベッドから上体だけ起こしては手を向けている

 国王オーシャンの姿があった。


 「話は聞かせてもらったぞ…ライア…。

  よもや、弁護の予知もない…。とても残念だよ……。

  失せるがいい、どこへなりとも行け…。俺は、死なぬよ…!」


 「「紺碧の制裁をネイブル・ジャッジメント!!」」


 一気に強く青白い光が集まると、一瞬にして光の束がライアを貫いた。

 紺の光が弾け飛んで霧散すると、ライアは左目を押さえながら身を屈め、

 さすがの連撃に動けずにいた。

 それでも倒れないのは、ライアも強いのだと見せつけられている気分になる。

 苦しそうに呼吸を繰り返せば、顔を少しだけ上げて悔しそうな声を零す。


 「…愚か、ね。ワタシを怒らせる…なんて…。

  …いいわ…。魔王様の復活を急ぎ、消して…あげる…。

  待って…なさい……。」


 フフフ…。と最後に笑えば、ライアの姿は漆黒のコウモリへと姿を変えて

 窓から飛び去っていってしまう。

 人間が突然コウモリへと姿を変えたことに驚きはしたが、

 それよりも、なんとかあの絶体絶命の状況を乗り切って、早々に撃退できたことに

 安堵しては緊張から解放された。

 一同は大きく息を吸っては吐き深呼吸をする。

 フォルテはひとり腰を叩いてはカレンに心配されていた。

 酷い重力の中無理に立ち上がっては立て膝なんてしたからだろう。

 それぞれが落ち着きを取り戻せば、すぐにオーシャンのもとへと駆け寄る。

 エクナに支えられて上体を起こしているが、やはりまだ苦しそうな弱った様子だ。

 さっきの魔法も、エクナが支えて共に放った魔法であり、

 オーシャンは本来の魔力の三分の一すら満足に出せず、

 ほぼエクナの魔力のようにさえ見えた。

 無理をしている、そんなこと目に見えてわかってしまうくらいだった。


 「父上、ありがとうございます。

  でも、無理はしないでください…大丈夫ですか?」


 リオンは目覚めてくれた安心感と、無理をしているんじゃないかという不安感から、

 優しくもどこか叱るような音を含んで言葉をかける。

 すると、そんな心を読み取ったかのように

 オーシャンはフッと悪戯っぽく笑って見せた。

 まるで安心させるような、そんな顔するなという代わりに。


 「大丈夫…とは言えないが、黙って見ていられなくてな…。

  エクナ、助かったよ……。」


 「ううん、お父様のおかげ。

  お父様がいつも気丈でいてくれるから、わたしも前を向けて戦えたんだよ。

  …ありが…と…っ…。」


 そこまで言ったところでエクナは再び涙を零してオーシャンへと泣きついた。

 そんな様子を見て、よしよしとするようにオーシャンは

 優しくエクナの頭を撫でる。リオンも「よく頑張ったな」と静かに言っては

 背中をぽんぽんと叩いて小さく笑っていた。

 和やかで優しい家族の風景。

 オーシャンも何とか無事に生存し、害を退けることができた安心感に包まれていた。


 そんな光景を眺めながらフォルテは気になって袋の中を覗き込む。

 すると、そこには輝きを失った透明な水晶が入っていた。

 それをおもむろに手に取り、掌に乗せるとカレンが覗いてきた。


 「わあ!綺麗な水晶! でも、これがさっきの輝きの正体なの?」


 その声にリオン達も反応するもんだから、フォルテは水晶を手にしたまま

 ベッドへと歩み寄って見せる。みんなの視線が水晶に集まる中、

 やはりエクナは見覚えがあるかのように頷いていた。

 そして、それはオーシャンも同じ反応だった。


 「魔法を閉じ込める水晶…。

  噂には聞いたことがあったが、まさか見る日が来るとは…。」


 「一部の人しか扱えない技術だって聞いていたけれど、

  もしてかして、それって…?」


 オーシャンとエクナが揃って言葉を問うと、

 唯一実物を見たことがある様子のフォルテは、少し考えた後口を開く。

 それは遥か昔の記憶。

 それを思い出すのは決して良いことばかりではなかったが、

 今はもう心は痛まないくらい風化してしまった記憶。


 「これを渡したのはアイツ…セルディアだ。

  だが、オレはこの魔水晶を使うヤツを見たことがあってな。

  …唯一だった、それを使うのは。それくらい難しい魔法だと。

  ……つい、懐かしくなってな。」


 声色が暗く落ちて、どこか寂しそうな声色になったのは

 誰が聞いてもわかるくらいだった。

 それくらいフォルテにとっては感慨深く悲しい記憶。


 「あ、そっか。……お父様ね。」


 同じくらいトーンを落としたカレンの声にフォルテは黙って頷いた。

 もうその父親は存在していない。

 フォルテがアスル国の内乱の戦士として駆り出された時には既に他界していた。

 どの戦士より強く文武両道の男であり、剣術も魔法も卓越した技術を誇っていた

 アスルの英雄。

 そんな英雄は内乱の中でその命を散らすこととなり、

 後にフォルテは、援軍として招聘しょうへいされた時に父親の死亡の事実を知り、

 怒りに冷静さを欠いた彼も命を落とすこととなった忌まわしき記憶。

 なんの因果か、そこでカレンと出逢って今を生きる彼。

 そんな彼の中では、父親が何故魔術師として生きなかったのかが

 ずっと疑問でもあった。戦士として駆り出された時、

 後衛で魔法を使う人間なら前線で死ぬことはなかったはず。

 むしろ、父は魔法の方が得意だったはず。

 なのに、父親は魔法を一切使わず、前線で無惨に散ったという。

 ただ思い出すのは、魔法を閉じ込めた水晶を握る父親の姿……。

 それが最期の姿だった。


 ふと悲観的に考え事をしてしまった自分にハッとし我に返る。

 目が合ったカレンから少し視線を逸らすと、

 彼女は労るようにふわりと微笑んでくれた。

 無用な言葉はかけない。ただ見守るような瞳に今は感謝する。

 今何かを聞かれたって、心配されたって虚しいだけだ。

 それをわかってかわからずか、カレンは視線を袋へと落とすと

 中身がまだ空じゃないことに気付く。


 「まだ何かあるよ?」


 「あ?」


 そして相変わらずの口の悪い返事を短く返せば、フォルテは袋の中に手を入れて、

 その中にある更に小さい袋を取り出して見せた。

 それは手で触った感じがカサカサとした小さな袋だった。

 何か茶色い細かい物が中にあるのがわかる。


 「これ、どう見ても茶葉だよな。……淹れろってことかよ?」


 「茶葉? ………。もしかして、薬草か?」


 怪訝けげんな表情で茶葉の袋を睨むフォルテに対して、

 リオンは思い当たったことを素直に口に出してみた。

 ライアの話や、本人と会って話した感じからして敵ではないと確信した。

 その人が茶葉を送ってきたとなると、

 何か効能のあるものなのではないかと思えて仕方がない。

 何よりバイドは毒を盛られていたというのに戦えるほど回復していた。

 それには何か解毒作用が効いていたからなのではないかと予感していたのだ。

 だが、詳しく聞かずに使うのも気が引けるのも事実。

 そんな中、エクナはティーセットを手にして、

 カレンはフォルテの手からその袋を引ったくった。


 「とりあえず淹れてみようよ。香りとか色とかで私が判断するわ。」


 「これをくれた方は、水晶に魔法を込めてまで助けてくださったんですもの。

  きっと、大丈夫です。」


 植物知識のあるカレンと、会ったことのないセルディアを信用するエクナ。

 カレンは趣味で薬草や自然薬の調合を行なうことからついた知識がある。

 何となくだが、今はそれを信頼するのもありだなと止める者はいなかった。

 といっても、すぐ大丈夫だからと飲ませることはあり得ないが。

 ふたりが慣れた手つきでテキパキと茶葉を煎じていると、

 ふわりとした優しくも爽やかな香りが漂う。

 その香りに周りも気が和らぐ感覚がした。

 ティーセットを用意していたエクナが、全員分のカップをお盆に乗せて

 棚の上に置いた。信頼しているのはわかるが、

 まさかの全員で毒味…試飲という行動に、ほぼ全員が「マジか」という顔をした。

 もちろんそんなことに本人が気付くことはない。

 カレンが淹れた紅茶をティーカップに注いでいくと、

 カップの中でピンクブラウンの透き通った色が揺らぐ。

 まるで宝石のような美しい色に目を奪われてしまう。

 すると、真っ先に手に取ったのはオーシャンだった。

 カレンが制止して自分もカップを手にして色や香りを確認する。

 カレンが慎重に確認する中、オーシャンはそれを横目で見ながらも

 自分も紅茶をじっと見ているようだ。


 「んんー。色も綺麗な紅茶だし、香りはもうわかる通りすごく良い香りだよ。

  毒ものって独特な匂いが残るんだけど、全くそんな感じはしないなぁ。」


 緩く首を傾げながら検証結果を告げるカレンだが、毒ものが独特な匂いというのは

 常人では嗅ぎ分けられないくらいの微々たるものである。

 むしろ、毒物検知に使われるカナリアや犬が嗅ぎ分けられるレベルだ。

 そんなことがわかるのはカレンくらいで、もともと鼻が良いんだか、

 薬草や毒草の嗅ぎ分けで鍛えたのかは謎である。

 毒草を嗅ぐのは危険だが。


 「ふむ…。これが、その…セルディアさん?からの物なのか?」


 紅茶を片手にオーシャンがしっかりとした口調で問うと、

 リオンは順を追って話すことを決める。


 「はい。以前から話に出ていた、東の薔薇の騎士。

  あれはセルディアさんという異国の者でした。

  本当はルシフェリアという国の王様だった方で、

  国を焼かれた為、傭兵として彷徨さまよっていたそうです。

  そこで、東を牛耳っていたギラードに雇われたと。」


 「………。リオン、ルキア。お前達はその人を敵と思うか?」


 「は?」


 突然の問いにリオンとルキアは唖然として反応が遅れてしまう。

 だが、少し考えた後にふたりは顔を見合わせると小さく頷いた。


 「まだ、詳しくはわかりません。

  でも、毒を盛るような卑怯な手を使うとは思えない…。」


 リオンが代弁すると、ルキアも「同じく」とオーシャンへと答えた。

 すると、それに対して言葉を返さずにオーシャンはただ静かに頷くだけだった。

 その次に視線を投げたのはフォルテ達にだった。

 不意に向けられた視線が合うと、

 ふたりはきょとんとオーシャンの方を見たまま固まった。


 「フォルテくん、カレンちゃん。

  ふたりは母国を奪われた立場の人間だ。だから問う。

  …ふたりは、その人を敵と思うか?」


 その瞬間、確かにふたりは眉をしかめた。それもそうだ。

 国を滅ぼしたのは他ならぬセルディアである。

 例え助けてくれようが、味方だとしようが許すことなどできない。

 複雑な気持ちが渦巻く中、先に答えたのはやはりフォルテだった。


 「いや、許せねぇよ。

  どんな理由があったとしても、国を滅ぼすなんてな…。…………。」


 と、そこでフォルテは目を閉じて押し黙ってしまった。

 リオン達は心配そうに彼を見ていたが、オーシャンは違う。

 どこか、穏やかなままに言葉を待っている。

 まるで、続く言葉がわかってでもいるかのように。

 大きな父親の寛大な心とふところで、我が子ではないフォルテすら受け入れ、

 包み込もうとするかのように。


 「……ただ、引っ掛かるんだ。

  国を焼かれて国を追われた奴が、

  簡単に国を滅ぼしたり人を殺したりするのかって。」


 「そういえば、ギラードを狙った暗殺者も死んでなかったそうよ。

  気絶して、自国で目覚めたみたい。

  殺さなければ殺されるから戦うってだけで、人を殺すのはやっぱり抵抗が…?

  でも、そうすると辻褄が――…」


 セルディア自身が言っていた、暗殺者は生きているという情報をどこかで噂でも

 聞いたのか、カレンはどこかから仕入れた情報を伝えつつ首を傾げた。

 複雑な気持ちと複雑な現状にふたりが頭を悩ませた時、

 オーシャンは「わかった」と言えば大きく頷いてみせた。

 その言葉の意味がわからずに全員はオーシャンに視線を向けると、

 まだ弱々しいがたくましくハッキリと笑っていた。


 「みなは優しいな。そして、誰もが衝動だけで動く者じゃなくて安心した。

  …………。みなはその人を信じているのだろう?

  ならば、俺はそれを疑わんよ。」


 そう笑って見せた次の瞬間、グイッと少しぬるまった紅茶を一気に喉に通した。

 一番焦ったのはもちろんリオンだが、大丈夫だと言ったカレンも

 さすがに焦ったように声を上げた。もう飲んでしまった事実は変えられない。

 だから、全員はただオーシャンの様子をじっと伺うことしかできなかった。

 紅茶を飲み干したオーシャン自身も、体の変化を感じ取るように

 じっと固まっては目を閉じていた。

 無音の空間が支配する中、ふとオーシャンの瞳は開かれ、

 とても穏やかなため息が落とされる。


 「……うん。ウマイな、コレ。」


 とても晴れやかで嬉しそうに言うもんだから一行は胸を撫で下ろす。

 その様子を見て、エクナは空になったオーシャンのティーカップに

 おかわりを注いだ。

 周りはまだ恐る恐るカップに口をつけるが、カレンは一足先に一口含んでいた。


 「んー!何度も思うけど良い香り!

  なんだろう、花?それともハーブなのかな?」


 植物に詳しいカレンでさえ首を傾げるものではあるが、

 どうやら本当に普通の紅茶のようで何ともなさそうだ。

 それを見て次々に紅茶を口に運ぶ。

 気付いたら紅茶の試飲会みたいになっており、紅茶の優しい香りは

 場の空気さえ和らげて微笑みさえ生み出していた。

 今のこの場は、楽しそうで心穏やかな様子を見せる。


 「もう体が軽くなった気がするぞ!」


 「そっ、そんな即効性が…!? いや!まだ大人しくしててくださいよ!?」


 大口開けてオーシャンがいつもの元気な様子で笑い飛ばせば、

 それをリオンが慌てて止める。そんなふたりの様子に周りが笑う様子は、

 以前の穏やかで楽しいあの日々を取り戻したかのような、

 懐かしくて温かい感じがした。


 「ルシフェリア王国の王、セルディアくんか。会ってみたいものだな。

  お礼もせんといかんし、美人なのだろう?」


 「……父上、後者が目的でしょう。」


 リオンの一言がグサリと刺さる。

 どうしたらこの父親からこの息子が生まれるのか。

 しかし、こんなふたりのやり取りだからこそ周りに笑顔が浮かんでいた。

 このまま穏やかな日々と共にオーシャンの体調が整うことを誰もが願い、

 良く動いてくれた彼女へ静かに感謝していた。

 今は重い怪我を負ってしまった彼女へと、この明るい光景を届けるかのように……。




 ~第十章へ~

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