【第七章】奪還の刃
突如現れた影の怪物を撃破して安心したのも束の間、
東の帝国グランヴァル城から爆発が起き黒煙を上げた。
現皇帝ギラードという男が、自らの野望を達成する為に動き出したと言い、
異国の王セルディアは負傷しながらも一足先にグランヴァル城へ向かう。
残されたリオン達もグランヴァル城へと急ぐのだった。
爆発が起き黒煙が上がる城内は酷いくらいに荒れていた。
所々窓ガラスは砕け、壁や扉には凹みや穴が空いており、
メイドや執事といった使用人達が逃げ惑っていた。
悲鳴の声が少なく感じるのは、城内警備の騎士達が全員出払っているせいだろう。
しかし、荒れた城内を動く影は、騎士が出払っている状況にしては
とても多く見える。逃げるように駆ける影は使用人達だろうが、
その沢山の影達はゆっくりと物怖じせず歩いていた。
おそらく、ギラードを信頼する私兵や部下達なのだろう。
中には不自然な動き方をする影もあり、何が起きているのか、
外からでは城内の様子はとてもわからない。
その城の上階、バイドの寝室がある部屋からは人の声があった。
二人の兵士に両腕を掴まれ、窓側に接する形でバイドは拘束されていた。
背後には開け放たれた窓。
両腕を拘束された状態ながらも睨み付ける視線の先にいたのは、
高慢そうに不気味に笑うギラード。
相変わらず人を見下すような嫌らしい笑みをその顔に浮かべていた。
状況は一刻を争うだろう。それはバイドの背後で開け放たれた窓が証明している。
勝利を確信し、嫌らしい笑みはそのままに、
加えて嘲笑うように首を傾げて「ハッ」と笑いを零した。
「アナタの執政では民は堕落、兵も使い物にならなくなり、
折角の武力国家が平和ボケに腐るだけですよ?
ですから、ワタシが代わりに執って差し上げようというのに。」
無意識の言葉でさえ嫌味のパレードなのはきっと無自覚だろう。
口調は丁寧なのだが、言葉選びと使い方が色々残念だった。
ただそれもギラードだからこそ、大した違和感もないというから不思議だ。
そんな嫌味のパレードを、同じように笑って一蹴する強者が存在する。
「病に臥せったこの数日間、お前の執政を見せてもらったが…
あんなもの、独裁以外の何物でもない。
いつの世も、強制的に強いるだけの独裁者に付いていくほど、
…国民は弱くないぞ…。」
もちろんこの男、バイド以外の何者でもない。
病人とは思えない、拘束されている身とは思えないほど強く鋭い眼差しと声。
本来の皇帝らしい威厳と覚悟に満ちた、誇りと意志の強さ。
病魔という名に隠された毒で弱った様子を全く感じさせない姿。
何かが狂い出している事に気付いたギラードは、笑みはそのままに、
だが、明らかに落ち着きを欠いた様子を伺わせる。
長い間毒を盛ってきた。いくら逞しく強い者であっても、
この期間中三食に毒を盛れば弱り、衰弱していてもおかしくはないはず。
むしろ、死んでいても不思議ではない。
それなのに、両腕を拘束しているとはいえ、自力で立ち、
ここまでの覇気をぶつけてくるなど予想外だった。
それでも、ギラードは強気の姿勢を一切崩さずにいた。
それは何より、バイドが拘束されているという事実が
目の前に確かに存在しているからだ。
「フフ…鎖に繋がれた犬が良く吠える…。
アナタは病と思っているようですが、
食事に毒を盛られていると知らずに平然と口にするお姿。
…フフフ、笑ってしまいましたよ。
ですが、存外しぶといですね。すぐにくたばると思ったのですが。」
とうとう完全に、荒さと嫌味と残酷な言葉のパレードを露骨にぶつけてきた。
丁寧な言い方でこの残酷な語句が並ぶと、いっそ笑えてきてしまう。
もちろん、そんな言葉を直接向けられたバイドも
変な笑みが浮かんでしまったようだが、すぐに払拭すれば強気に笑う。
「倒れてからは、毎日吐くくらい体調を崩したんだ…。
二回目、三回目と、まともに食事を食えないくらいにな。
出された食事は、せめて一口二口だったよ。
紅茶は一日中飲みまくってしまったがな。」
ギラードの口調に便乗したのかストッパーが緩んだのか、
バイドにもどこか言葉に乱れや荒さが見え、
お互いが遠慮のない言葉をぶつけ合っていた。
負けじとばかりに、二人は口角を上げて見下すような笑みを浮かべているが、
状況と反して明らかにバイドの方が優勢だ。
状況に怯えている様子も、ましてや恐怖すら感じていないように見える。
先程までは勝利を確信して疑わなかったギラードだったが、
今になって〝何か〟が自身の思い描いていた思惑と相違している事に気付く。
そして、その〝何か〟が一体何なのか。それは今、バイドの口から明かされた。
―――〝紅茶〟。
もちろん何の気にする必要のない、至ってどこの家庭にもある品物なのだが、
今はとても大きな意味を持っている気がしてならない。
食事と紅茶は別々に出し、多少の差とはいえ同時には出していなかった。
そもそも、毎食時毎回なんて出していなかった。………気がする。
ふとそんな事を考えていたら、扉を開け放したままの部屋の前を守っていた
鎧兵士の一人が、スススッと何かを見つけたように歩いて行った。
横目の視界にその動きは確かに認識でき、気付いたギラードとバイドは
「何だ?」と不思議そうに扉の方に顔を向ける。
入り口から壁の方へ見えなくなってしまいよくわからないが、
何かを見付けてそちらへ向かったのだけはわかる。
しかし、突然ガシャンッと鉄鎧が倒れる音がし、
もう一人の鎧兵士が歩いて音の方へ向かう。一歩、と足を踏み出した瞬間
ピタリと動きは止まり、ギラードとバイドの見つめる目の前で、
そのまま糸が切れたように倒れてしまった。
鉄鎧が倒れる時の耳に痛いくらいに響く音しかせず、他には音が聞こえない。
それでも風は不自然に乱れている。
この乱れ方は魔法の類のせいだろう。
そう思う中、ギラードにはこの感覚に見覚えがあった。
信じたくない、そう思えば思うだけ血の気が引いていく感覚に襲われる。
「…間に合いましたか。」
カツ…と靴を鳴らして、ゆったりと大きな存在感を持ってその姿は現れた。
目が合う人物は四人。
バイドを拘束する兵士二人と、拘束されるバイド、その前に立つギラードの四人。
登場こそゆったりと現れたが、それまでに駆けて来たせいか、
うっすらと汗を浮かべて少し肩で息をしていた。
状況を見渡してすぐさま理解すれば、
その独特な雰囲気と鋭い瞳でギラード一点を射抜く。
「オ、オマエは…シエル…か? なぜ、ここにいる!?
西の消滅は確認されていないぞ!!」
見られた焦りを露骨に披露するギラードを無視し、
小さく息を整えれば無言のまま部屋へ足を踏み入れる。
転移魔法でここまで来たら光や空気の振動で気付かれてしまう為、
城内のどこかへ一度跳んでからここへ駆けてきたのだろう。
腹部の傷が痛むのか、少しだけ傷を気にしたがすぐにギラードに向き直り、
低い声で何事かを問い質す。
ギラードは見られた相手が相手の為、バイドには悠々と見せ付けていた威勢の良さや
見下す態度は消え去り、相手にただ純粋に怯えていた。
「こっ、これは…その、だな…。
陛下が毒で苦しいと仰るので、ら、楽にして差しあげ――」
「毒? 何ですか毒とは。陛下は病…。…そうでしたよね…?」
無表情から放たれる有無を言わさぬ圧力をぶつけられ、
「あっ」と隠す暇もなく明らかな反応が出てしまっていた。
確かに二人は毒殺の計画を話していた。
しかしそれは密会でのみ話されていたこと。
本人や私兵とはいえ、公然で話すことは許さずにセルディアが先手に牽制をした。
「し、しかし、これはオマエの進言があってのこと…!
毒を強めろと!死ぬことを進めたのはオマエではないか!?」
「…毒を強めろとは言ったが、斬り殺せと私は一度でも言ったか?
強行手段に出ろと。その手で殺せと、一度でも申したか?」
「――…ッ…!」
毒殺を計画して仕込んできたが、それでもなかなか死なないバイドの生命力に
痺れを切らし、とうとう自ら手を出したのはギラードである。
セルディアからは毒殺の話しかされていなかった。
その事実に、それ以上口を開くことが出来ずに押し黙ってしまう。
人間は恐怖に直面すると、こうも素直になるものだろうか?
言葉を失い動揺するギラードと、セルディアの登場。
そしてまさかの対立に、未だ頭がついて来ていない様子のバイド。
何が何だかわからずに、ただ言葉は出ずに眺めていることしかできずにいた。
その時、不意にセルディアの緑の瞳がふと、こちらに向いた。
「…ああ、その二人は…。」
バイドを拘束する二人の兵士を視線に捉えれば、
セルディアは何かに気付いたように声をあげる。
この二人の兵士はギラードの部下ではあるが、就任時から投入されていた為
面識はあって当たり前なのだが、セルディアはとんでもない事を口にする。
「…報告は、叶いましたか?」
………は?
二人の兵士すらポカンとした顔のままセルディアに視線を返していた。
ギラードに至っては、報告ミスを思わせる彼女の口ぶりに嫌な予感しかしなかった。
パキンと指が鳴らされるが兵士に異変はない。
ただのハッタリか?
そうギラードは嘲笑ってやろうかと構えた、その時だった。
「…アナタ方お二人が見た事を、報告しなくていいのですか?」
語りかけるようなセルディアの口調に兵士は二人してハッとし、
急に「しまった」と顔色が優れない様子だ。
まさに〝何で今まで忘れていたのだろう〟と強い後悔に苛まれているかのように。
「…あ、あの…ギラード様…。
本当はすぐお伝えしようとしていたのですが…。その…、えっと…。」
「じれったいな!さっさと言わんかッ!!」
「ッは、はい! ラルファース皇子とアルメリアのルキアが、
戦地で密会している姿を目撃いたしました!」
「初めての北への進行で邪魔された時なのですが、ラルファース皇子は裏で――」
「いつの報告をしている!! もうわかっておるわッ!!!」
「すみませんッ」と萎縮した兵士二人を見て、
ギラードは苛立ちを露にして怒鳴り付ける。
〝もうわかっている〟。
それは今この城内にラルファースがいない時から気付いていた。
危険を察して逃げたのだと。
本当はバイドとまとめて始末する予定だった。だが、彼は父を見捨て逃げたのだと。
三人が荒れたやりとりを交わす中、
セルディアはいつもなら笑って眺めてやろうとしていたが、傷のせいか全く笑わず、
ただ真剣に様子を見ているようだった。
「…ギラード、アナタにも逃げ場はありませんよ。」
ひたっ…と水滴が水面に落ちて冷たく広がるように、
冷たい淡々とした声が場を支配した。
嫌な汗と共にセルディアへ振り返れば続く言葉を待つ。
「…以前現れた北東の暗殺者。…彼らも生きています…。」
冷たくも短く告げられた言葉は驚愕の事実を告げた。
覚えているだろうか?
密談を聞かれ、ギラードの始末を狙った暗殺者二人組の事を。
あの二人は、自分の目で確かに泡を吹いて絶命した姿を確認した。
それなのに、生きている?
何がどうなっているのかサッパリだった。
「…あの暗殺者から北東へ、北東から各国へと情報が渡り、
たとえアナタが逃げようとしても、
各国の暗殺者がアナタを狙うでしょう。」
真剣な眼差しが、余計にその事実の重さを物語るかのようだった。
いっそ嘲笑って言ってくれた方が楽だったかもしれない。
それに、全く嘘やハッタリで脅すソレじゃない。
完全に『事実』を語る姿だ。
「…オマエのその力、本当は…何者だ…?」
血の気の引き切ったような震えのある声が小さく呟かれる。
知りたいような知りたくないような、
そんな感情が痛いほど伝わってくるようだった。
そこでやっとセルディアはフッと小さな笑みを零して、嫌味は全くない、
切なそうで力強い眼差しを向けた。
「死を与え、死を幻視させる力を持つ者…。」
力強くもどこか物悲しげに見えるが、
綴る言葉が信じがたい事ばかりで頭がついて来ない。
だが、兵士二人が見たラルファースとルキアの密会の報告の遅れも、
暗殺者の生死も、この力によるものだった。
兵士二人はラルファースが裏切ると予感し、ギラードに報告しようとして帰還した。
だが報告もせず今更思い出した。
これはセルディアの『死を与える力』によるもの。
二人の記憶の一部を殺し、一時的に忘れさせたのだ。
実はこの工作をしていた為、あの召集の日、
ラルファースとほぼ同時に召集の声をかけたのに、
セルディアはだいぶ遅れてやってきたのだった。
そして、暗殺者の生死は『死を幻視させる力』によるもの。
殺したように見せかけたが、実は気絶しているだけで生きていた。
その死体を処理する際、記憶はそのままに転移魔法で帰した。
しかし、記憶がそのままではセルディアも世界を敵に回す事になるだろう。
それは覚悟の上での行動だった。
とても信じがたい事だが、どれも辻褄の合う事実。
「まさか、オマエは…! メルセディオ!?」
ギラードの口から出た名前に、「もういいか」とばかりに確かに頷いた。
「…セルディア・リィン・メルセディオ。それが…私の本当の名前です。」
ギラードには心当たりがあった『メルセディオ』という名前に。
そして、『セルディア』という名前にも。
それが何を意味するかはわからないが、
その存在に酷く取り乱したように狼狽えていた。
同じく、バイドにもどこかで聞き覚えがある名前だったようで、
記憶を辿るように考えを巡らす。
…が、状況が状況の為じっくりも考えられず諦めた。
その名前を考えるより、重要な意味を持つあるひとつの疑問。
それは、こんな状況だからこそ簡単に頭に浮かんできた。
「キ、キミ達は…仲間ではなかったのか?」
バイドの素直な言葉がギラードの恐怖心を煽る。
だが、セルディアはそれを感じたか感じてないか、ただ無遠慮に笑う。
頬に汗が一筋、流れ落ちたのを感じながら…。
「先に裏切ったのはギラードだ。…いや、嘘というべきでしょうか。
倒れられた皇帝に代わり、国民の平和を守る。
アナタはそう言って私を雇った。その為に力を貸してほしいと。
…アナタの言う平和とは、皇帝の暗殺なのか?」
一言一言に確かな棘を持つ言葉を次々と突き立てていく。
相手が言葉を返さない様子を見ればひとつのため息を零して、
自身を落ち着かせるようにゆっくり息をついた。
その時の表情からは笑みは消え、低く落ちた声と比例して、眉間に薄く皺を作る。
「そして…、ある人を探す手伝いをすると…。
そう、契約したな…。知っていると。そう、アナタは―――…」
そのままセルディアが続けていこうと言葉を並べていた時、
それを遮る小さな笑い声が届く。
「…ちょっと待て。 ――メルセディオ?
ハハハ、バカな。危うく騙されるところだったわ。
あの国は滅んだはず! 国も!人も!全て!!
なら何故オマエは生きている!?ハウリオンは死んだ!
メルセディオが生きているはずもないだろう!!」
一気に安心したかのように愉快に笑い出すギラード。
しかしその笑みは自棄のようにも見え、
まるで〝そうであってほしい〟と自分自身を納得させるかのようだった。
自己完結させて笑い続けるギラードを見て、セルディアは一度目を伏せてから
真剣な眼差しを合わせる。
「…ゼロは…、生きていたよ。」
冗談や脅しとも違う真剣な眼差しに射られ、その言葉を飲み込まざるを得なくなる。
それが、自分が一番認めたくなかった事実だとしても。
「バ、バカなッ!ハウリオンは死んだと聞いた!
生きているなど、信じられんッ!!」
先程から飛び交う『ハウリオン』や『ゼロ』という名前。
それはもちろん、この話題の中心に存在する人の名前であり、
死んだと思われていた人物の名前なのだろう。
こう話を聞いているとわかる事がいくつか見付かる。
『ハウリオン』も『ゼロ』も呼び方の違いであり、同一人物だという事。
そして、ギラード自身はその者の死を直接見たわけではなく、
聞いた情報だという事だ。ギラードが自問自答のように一人考え込む中、
バイドは話が全くわからずとも全てを吸収しようと話に聞き入っている。
セルディアとギラードの間にはもう『主従』という関係はない。
それはギラード自身もさすがに気付いている。
「…だが…本当はもう死んでいて、あれは似た者なのかもしれないな…。
だとしたら…私、は……。」
不意にぽつりと小さく零れ落ちた言葉。
それは間違えようもない、セルディアの声だった。
先程までの真剣な眼差しは失われ、視線を落としては悲しげな色を覗かせていた。
表情は髪に隠れていてよく見えないが、口元は苦しそうに、
それでも小さく笑みを浮かべる。
まるで、一時でも希望を見たと思い込んだ自分を嘲笑っているかのように…。
だが、これが彼女には珍しくも明らかな隙となってしまった。
彼女の小さく呟かれた言葉に、悩んでいた顔を上げたギラードの視界には、
セルディアの負傷した傷口が捉えられており、不意にその口元が緩む。
それにすら気付かなかったセルディアは、遅くもギラードに向き直る。
「だが、私が生きている理由…それが――」
「その傷、…喰われたのですか?」
「っ!?」
中低音から発せられる、不気味な響きを持った声が大きな存在感を持って耳に届く。
セルディアが向き直った時、ギラードの蛇のような瞳が怪しく輝いて
笑っている姿が目に映る。「しまった!」と明らかに身構えたがもう遅い。
パキン!と指が鳴らされると、目視では何も変わってないように見えるが、
何かが張り巡らされ、空間に違和感を感じ取れる。
違和感を覚えた次に襲い来る…激痛。
何が起きたのかわからずも身を屈め、激痛の元に視線を落とせば、
傷口を塞いでいた氷は破られて血が滴り落ちていた。
「アナタが魔法で戦うのは十分承知ですからねぇ。
魔法を使えない空間を展開させていただきましたよ?
…しかし、おかしいですね。
あの影の怪物は〝闇属性の者を好んで食す偏食家〟で、
リオン殿を狙ったのですがねぇ?」
クツクツと喉で笑いながら、嫌味に語尾の伸びた声で語り出すギラード。
あの影の怪物はギラードのものであり、やはり最初の一撃はアルメリア軍…
いや、リオンを狙っていたのだ。
中央という国を最後まで残す理由がわかった。最後の最後に、
最もグランヴァルと友好的な国の王子を影の怪物に喰わせ、やがては国王、王女と、
アルメリアの人々を影の怪物が食い荒らし散らしていく様子を見せしめ、
ラルファースやバイドに反撃の余地を与えないようにする為だろうと。
最も友人の多い国であり、友好条約を結ぶほど王家にとっては大切な隣国。
それを痛めつけ、破壊されていく絶望を見せ、自分に逆らえないようにする為に…。
何よりアーバントがいなければ太刀打ち出来ないのも事実であり、
陥とす事など簡単だろう。
ギラードの悪質非道なやり方や手段を知って鋭く睨み付けるセルディア。
身を屈め、苦しくも自分を睨み付ける彼女を見下ろしながら、
笑みを増して更に言葉を繋げていく。
「ククク。どうやらあの子は、アナタの〝闇より美味な属〟を好んだようですね。
しかし、闇より美味とは何でしょう?
アナタのその傷の治療痕を見ると氷ですが、あの子は水属性は食べません。
…複合、ですね。さすがメルセディオ…。」
勝利を確信したからなのか、突然饒舌になるギラード。
もちろん状況は一気に逆転され、セルディアが圧倒的不利だ。
魔法が使えなくなり、あの巨大な剣を出す事も叶わず、
傷を押さえていたルキアの魔法も効果を消されてしまった。
それにより傷口は開き、身を屈めて手で押さえるも、
少しずつ床に血溜まりを作っていく。動けない様子を見れば、
ギラードはくるりと身を返してバイドと向き合い、軽くセルディアを振り返った。
「アナタはそこから皇帝の最期を見ていなさい。
その傷で動こうとしないことですね。
皇帝は侵入者に襲われ、逃げようと飛び降り、転落死するのです。」
ニヤリと笑っては、ローブに隠していたサーベルを引き抜いて
バイドの方へ歩み寄る。両腕を拘束され、どうしようもできずに、
ただバイドは力強く睨み付けるしかできない。だが、さすがというべきか。
弱音ひとつも吐かず、全てに真っ向から向き合う姿は、
武力国家をまとめ上げてきた皇帝の貫禄を失っていない。
しかし、バイドはとてもじゃないが動けない為、ギラードも動揺する必要がなく、
悠々とサーベルを揺らめかせていた。
揺らめかせるサーベルを相手の首元一点に突き付けると、バイドの表情は歪む。
体を反り、背後の窓から上体が軽く出てしまうが、
そのまま押し出そうとギラードはサーベルの刃を突き出していく。
「…本当に…、ナメられたものだな…。」
突然、ゾクリと空気を凍らすくらいの冷たい声が届いた。
もちろんこの者はただでは倒れず、殺される姿を黙って見てはいない。
「魔法の剣だけなワケ…、…ないだろう…?」
苦しいはずなのに、その苦痛を越えて不敵に笑う姿が
ギラード以上に不気味だった。
人間らしくない程の強い眼光を持つ瞳が、ギラード一点を確実に捉えて離さない。
傷を負い、血も流しているのだが、圧倒的な覇気は少しも弱まる事がなく、
そのまま丈の長い白い騎士服に隠れていた太刀を素早く抜き放つ。
その刀の刀身は黒く、光の当たり具合では紫色にも見える不思議な色をしていた。
ギラードも初めて見たその太刀の存在に驚きを隠せずに、
バイドに向けていたサーベルをセルディアに構え直す。
そして、焦りつつも左手を前に構えた時、魔法かと身構えたが、
ここは魔法が使えない空間のはず。
術者は関係無いのか、はたまた焦って血迷ったのか。
そう思ったが、ギラードの横には数個の光の反応が現れていた。
術者は関係無いのか、はたまた魔法ではないのか。
だが、それは信じ難い光景となって答えられた。
「アー…」
「ウゥー…」
気味の悪い低く響く唸り声と共に姿を現したのは、屍のようなモンスターだった。
しかし、セルディアと共にいたあの屍達とは
姿そのものの種類が違うように見える。
セルディアは自分と似た力をギラードが持っている事に驚いていたが、
バイドは屍の存在と、その使用者という根本的なところから信じられず、
血の気が引くくらい驚いていた。
いや、恐怖ではなく、理解不能といった感情に近そうだ。
「その女を黙らせなさい。」
ギラードの合図に屍達がセルディアに向かう。
だが、セルディアが似た力を持っている事をギラードは知らない。
「ああ、殺してはダメですよ。街の解放方法がわかりませんからね。
死なない程度に動けなくしてあげなさい。」
街の解放とは何の事だろうか?
そんな考えをよそに、屍はゆらりゆらりとセルディアに迫り寄っていく。
ギラードの屍が近寄れば、やっとセルディアは動き出す。
ゆったりと体を起こすが、素早く太刀を正面で横に構え持ち、周りを蒼く輝かせる。
目を閉じ、聞き慣れない言葉を呪文のように並べていきゆっくりと目を開く。
周りの蒼い光のせいもあるのだろうが、鋭い光と意志を宿し輝く瞳と、
揺らめく紅と黒の髪が人と思えない神々しさを感じさせる。
〝神〟とは少し違うかもしれない。
黒神と呼ばれる冥府の神に近い、不気味さの強い神々しさを纏っていた。
「…反逆者に死を…。排撃する! 冥府への号令!!」
強く通る声が放たれると、蒼い光が強まった場所から次々と屍が姿を現す。
この召喚系は魔法とは類が違う為、発動出来るとわかっていたのだろう。
ギラードの屍とセルディアの屍が出現し対峙すると、やはり種類が違うとわかる。
ギラードの屍は、黒い肌に暗い灰色のローブを身に着けているが、
セルディアの屍は、褐色の肌に茶色のローブを身に付けていた。
そのセルディアの姿と屍達を見て、ギラードはもちろん彼の屍達もギョッとした。
…ように見えた気がする。
「ウゥ!!」
一際高く、元気で明るい声がすると、先程扉の入り口で倒された鎧兵士の一人目が、
鎧を着けたまま駆け込んで来てはセルディアの真横に立ち止まった。
そして、邪魔だとばかりに鎧を脱ぎ捨てると、
そこから出てきたのは褐色の肌に黒いコートと帽子の屍だった。
この屍は、以前からセルディアの傍に付いていたリーダーだと思われる。
そう、確か〝ドール〟と呼ばれていた屍だ。
相変わらず元気な屍だ。…何か表現がおかしいが。
すると、倒れた二人目の鎧兵士も立ち上がっては戦線に飛び出し、
鎧を脱ぎ捨てると、やはり同じく赤の屍のひとりだった。
最初からこの鎧の中に潜んでは、セルディアが来るのを待っていたのだろう。
騎士団の分断作戦からセルディアが仕込んでいたのかもしれない。
隣に立ち、初めてセルディアの傷と血に気付いたドールは
「ウゥゥ!?」と驚いていたが、当の本人はそれを無視して太刀を握り直すと、
ドールも他の屍達も一斉に構えた。
ギラードの屍達とは違い、セルディアとドール、
そして赤の屍達は息の合った動きをする気がする。
「グッ、まさか本当にメルセディオ…アナタとは…ッ!
屍霊王ッ!もう一度死んでもらいますよ!!
オマエ達、行きなさい!!!」
「…アナタは知り過ぎな気がします。
何故、どこまで、何を知っているのか吐いていただきます…ッ!
みんな、お願いしますッ!」
ギラードの叫ぶような大声に対し、セルディアは至って冷静なままに対抗する。
二人の号令が響き合う中、バイドを押さえている兵士は頷き、
ギラードの屍達もおどおどと動き始める。
何より、セルディアは屍を使役する屍霊王。
今はギラードが使役する屍であっても、
その王の存在に萎縮してしまう屍がいても何らおかしくはない。
おそらくギラードとの誓約と、自らの王という間で動揺してしまっているのだろう。
この状態でギラードの屍は敵と値しなくなったが、問題は頷いた兵士達の方だ。
彼らはギラードの私兵であり、主の命令、
目的の為なら何を仕出かすかなどわかったもんじゃない。
「ドール!そちらは頼みますッ!」
「ウウ!」
セルディアの命に元気よく答えるドール。
すると、すぐに他の屍達への指揮を執り始めれば、赤の屍は一気に黒の屍を圧倒し、
倒し始める。ここが室内だとわかっているようで大きな戦いは一切せず、
周りに被害を及ぼさない程度に加減しながら黒の屍を倒していく。
屍達の戦いの間を駆け抜け、セルディアはギラードとの距離を一気に詰めれば
サーベルを太刀で弾き飛ばす。あまりにも速く強い衝撃を持った剣撃をぶつけられ、
サーベルを離してしまった手は強い痺れを覚えていた。
「グッ」と短い唸り声が喉から漏れてしまうも、
怪我を負いながらも一瞬で懐に入り、
強烈な一閃を放ってきたセルディアに放心してしまう。
それは端から見ていたバイドも同じだった。
とても強い人だが、ただがむしゃらに強いわけではなく、
その剣技は鮮やかでいて美しい軌跡を描く。それと同じくらい、戦う彼女の瞳は
刀身の様に鋭く相手を射抜き、後から追いかける独特な風合いの二色の髪を
ふわりと靡かせる姿は美しかった。
―――〝典礼剣舞〟。
王族が身に付ける美しい剣舞の形だ。
バイドもなかなかこの典礼剣舞を身に付けている者ではあるが、
そんな彼すら見入ってしまっていた。
…そんな時だった。
ふと、バイドの体がグラリと後ろへ揺れた。
「―――――あ。」
「陛下ッ!!!」
二人の兵士が手を離し、ドンッと体を押せば
簡単にバイドの体は窓から外へ押し出されてしまった。
すぐに後を追い、窓側で立ち塞がる二人の兵士を思い切り突き飛ばして
自らも飛び降りるセルディア。
すぐに追ったおかげでバイドの伸ばした手に届き、無事に掴む事ができたが、
落ちた場所は地上八階に相当する高さだった。
咄嗟に飛び降りてしまって全く策が思い浮かばず、
不安ながらもセルディアは地面に片手を向けた。
だが、魔法が使えない空間に囚われてしまっている為、
自力でどうにか着地するしかない。
この空間がどこまで支配しているのかはわからない。
もしかすると、地上ギリギリで空間を越え、
魔法を使えるようになるかもしれない…。
とはいえ、地上八階相当の高さから落とされた形の為、
上手く体勢すら整わず落ちていく。
体格の大きいバイドが性分からだろうが、
セルディアを抱えて守るような体勢を取る。
これではバイドを助けるどころか、彼の身を危険に晒してしまうのは間違いない。
しかも、体格や重さのあるバイドが下となる形の為、
このまま落下すれば着地も叶わず転落死するだろう。
それではギラードの思惑通りだ…、そんな事させない。
無駄だとわかっていても、咄嗟に片手を地面に向けて突き出すセルディア。
例え腕を折ってでも、せめてワンクッションになれば…。
そう、セルディアは思っていた。
落ちた時にバイドは小さく声を上げていたが、
セルディアがその手を掴んだ時から静かになっている。
気絶しているわけではない。
すると、一度だけ強くセルディアを抱える腕に力を込めると小さく呟いた。
「…すまない。」
それだけ、小さく。
その声を聞けば無力な自分に奥歯を噛みしめる。
ただ魔法が使えなくされただけで、守るべき命ひとつすら守れない自分に。
クッ、と歯を食い縛った小さな呻き声が漏れると、突き出した左手に力を込める。
もし叶うなら空間を越えてほしい――
―――地面はもう目の前だ……。
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