【第六章】異国の王
やっと出会うことの出来たグランヴァル軍の薔薇の騎士、シエル。
最初こそフォルテが挑発した為に、シエルとフォルテの間に激しい火花が散ったが
何とか沈静化し、リーゲルのフォローもあり、話し合いの場を設ける事ができた。
いきなり突っ込んだ話をするのも警戒されるだろうし、
個人的にもそんな険悪な話し合いにはしたくない。
だから、情報でしか知らなかった自分の為、情報と事実を照らし合わせる様に
名前から聞いていく事にしたリオン。
すると、警戒される事や不審がられる事もなく、シエルはしっかりと答えてくれた。
聞き慣れた〝シエル〟という名前。やはりそれが薔薇の騎士の名前。
スムーズに進んでいく話し合いの中、そろそろか…。
なんて少し構えては、核心に迫る為の話し合いを進めていく。
「シエルさんはグランヴァルの将軍なのか?コイツらをまとめて倒したというし。」
コイツら、と言いながら親指を立てた拳を後ろにやり、フォルテ達を指し示す。
すると、シエルは目を伏せて緩やかに首を横に振る。
「いえ、将軍はこちらのリーゲル殿のままです。
私は現皇帝の用心棒…、護衛騎士として雇われた身です。」
よし、ここまでは聞いていた通りの返答だ。
だが、ここから先は知らない事であり、知る事ができなかった事。
…まさに突っ込んで聞くことを余儀なくされる。
無意識にもそう考えれば、リオンは体中に力を込め、しっかり息を吸う。
「現皇帝とは何者だ?」
瞬間、ザワッと辺りの木々が揺らぐ。
そして周りが一気に静まり返り、ただ返答の声を待つ。
無音の中、風が吹く音だけがこの空間を支配していた。
リオンのサラリとした紫の髪と、シエルの艶やかな紅い髪を風が撫で遊ぶだけ。
さすがに答えないか。
そう諦めかけた時、シエルが言葉の為に小さく息を吸う音が聞こえた。
「…名は、ギラード・ロンガル。」
「え」と、疑問にも驚きにも取れない微妙な声があちこちから聞こえた。
まさかの素直な返答に、アルメリアからもグランヴァルからも、
予想外というニュアンスの声が零れたのだ。
そんなことを気にも留めず、シエルはそのまま言葉を続けていった。
「…元々は名門貴族、ロンガル家の次男。帝王代理政治執行部、
俗に言う『門閥機関』の一人で、周りからも危険視されてきた野心家ですよ。」
サラリと答えては望んだ以上に色々詳しく教えてくれた。
が、どこか自分の主を語るにしては、呆れたような微妙な表情で
目を逸らして話していた気がする。所々聞き流してしまったが、
どうやら元々は皇帝の代わりに政治業務をこなす機関の人間で、
己の野心の為なら、皇族をも手にかけるくらい危険人物ということらしい。
それを聞けば今の状態にもひとつ合点がいく。
リオンの隣で手を顎に触れて考えていたルキアが、
ひとつひとつ丁寧に整理していくように確認する。
「そうか…。バイドが病で倒れたからそこを狙って、
機関の人間という権力を使い、皇帝の座を奪えたのか。
…ん? なんで皇子のラルファースが就かなかったんだ?」
ひとつ整理すればまた謎が生まれるとはこの事か。
ルキアが素直なままにシエルに疑問をぶつけるが、
そこでまさかの首を傾げ返された。
だが、シエルはすぐに隣に立つリーゲルに聞く形を取れば、
彼は不思議そうにシエルを見つめ返してからポンッと両手を打つ。
「あ、そうか。お前その時いなかったな。」
「え、いなかった?」
「ギラードが皇帝の椅子に就いてから雇われたらしくてな。」
リーゲルとルキアが話を交わす中、
リーゲルの言葉にシエルは小さくもハッキリ頷いていた。
つまり、ギラードが就任前の事はリーゲルや騎士達しか知らないようだ。
おそらくシエルが先程語ったギラードの生い立ちや過去は、
本人が聞かずとも喋ったか、シエル自身が秘密裏に調べ探ったかだろう。
なんとなく、雇われたとはいえ、
得体の知れない人物にホイホイついていくタイプではなさそうだ。
それは置いておき、リオンがリーゲルに詳細を教えてほしいと言えば、
ギラードの用心棒のシエルに遠慮したのか、
リーゲルは彼女を見たがシエルは「気にするな」と頷く。
「あの日、急に陛下が倒れられ、ギラードが就任した二日間、
ラルファース様はご不在だったのです。
倒れた父の為、心当たりのある薬草を集めに行っておられて、
帰って来られた時にはもう国の王が代わり、
〝国の未来を決める大切な時にいなかった〟とギラードに言われ…。
とても見ていられませんでした…。」
「薬草は見つかったのか?」
「いえ。見つからなかったせいで、余計に…。」
リーゲルの語った話に絶句してしまう。
せめて薬草が見つかっていれば話は変わったのかもしれない。
自分達の気付かないところでラルファースは一人苦しんでいたのだな。
と、既に遅くも、己の無力さと申し訳なさを痛感する。
だから今もギラードに逆らう術も見付からずに、彼の下で動いているのだ。
ギラードの強引な就任に国民が納得しているとも思えない。
だから小規模でもデモが起きてしまっている。
今の国の状態に、バイドもラルファースも無力ながら屈辱を味わっているだろう。
だから、今は自分達、外の人間が国を取り戻し、
本来の皇族に返すのが目的であり、平和への道だ。それは決して揺らぐことはない。
アルメリア側もグランヴァル側も確かな決意を固めた時、
ずっと何か考え込んでいたシエルが納得したようにため息を零した。
「…なるほど。全て彼の筋書き通り、って事ですね。
バイド様を毒で臥せさせ、
飛び出したラルファース様のいない内に就任式を行なう…。…とんだ策略家だ。」
「「毒!!?」」
多分、シエル以外のほぼ全員が声を揃えた。
それもそうだろう。病だと聞いていたからこそ、
命そのものが意図的に危ぶまれている事に驚くのは当然だった。
すると、こんな感じの反応が来るだろうとわかっていたのか、
シエルは冷静なままに言葉を続ける。
「…ええ。あの状態は毒を盛られた症状にとても近い反応でした。
そしてその毒は…今も盛られているかと。…何もしなければ、そろそろ…。」
シエルは意味深な言葉を残し、そこで言葉を止めてしまった。
ほんの少しだけ、口角が上がり笑っているように見えたが
リオンはあえて冷静を貫いた。
「目的はバイド様の暗殺か?」
「…ええ、そうでしょう。」
「自分が皇帝のままでいる為だけに?」
「…おそらく。手腕を見る限り、
バイド様の平和的政治とは真逆の、戦争による絶対的独裁派ですが。」
「その独裁の為に二つの国を消したのか?何がしたい?」
「…それはわかりません。」
「国を消したのは貴女なのか?」
「…そうです。」
「………。何故、バイド様が毒に侵されていると知っても何もしない?」
「…? 私はギラードの用心棒です。主の作戦の妨害などしません。」
「―――――ッ!!」
何かが切れたかのように冷静を崩し、
ただ込み上げる激情のままにシエルに掴みかかるリオン。
先程暴れたフォルテでさえ「おい!」と言うくらい、
突発的で感情のままの行動だった。
淡々とした連問だったが、リオンにとっては重要な意味を持っていた。
掴みかかるリオンは悔しそうな残念そうな、
そんな様子でシエルの胸倉を掴んでいた。
「よくわからねえよ…!
貴女は主のギラードをどこか疑っているような時もあれば、
素直に従う時もある!少し話しただけだが、どこか俺達と似た所があると思った!
…が、…思い違いか…。」
激情の中の悲しみが湧き出てしまい、そのまま言葉にも現れてしまう。
それは、特に言葉の最後に感じさせた。
甘過ぎるかもしれない、詰めが甘いと言われるかもしれない。
だけど、どこかでシエルと考えが似ているような予感は確かに感じていた。
それが崩された事に〝自分の甘さ〟を痛感させられ、更に、
冷徹に暗殺を傍観するシエルに苛立っていたのだ。
「貴女は意味や理由もわからないまま、命じられれば国を――、人を殺すのか!?
もう少し人徳のある人だと思っていたよ…ッ!!」
悲しみを遥かに上回る怒りと疑心に、珍しいくらいリオンが声を荒げると、
確かにシエルの表情が変わる。
リオンの強い瞳から目を背け、どこか苦しそうに顔を歪めた。
リオンが落ち着いたのを見計らい、悔しそうに俯くと
青い光がシエルの手を包む。
その手が胸倉を掴むリオンの手にそっと触れると、白い閃光がパチン!と弾ける。
静電気のような軽い痛みに胸倉から手を離せば、
シエルは表情を陰らせたまま服を正す。アルメリア軍とグランヴァル軍の間、
というよりもシエルとリオンの間に言い様のない緊張感が走る。
そんな静かな中、アルメリア軍のフードを被ったローブの者が小さく呟いた。
「青い光の魔法…、この力は…。」
小さく呟かれた声に気付き反応したのか、シエルが声の主の方を睨むように見る。
このローブで顔や姿を隠した者は…アーバントだろうか?
だが、何故ローブ姿なのだろう?
使用人であることはわかっているが、戦闘能力についてはわからない為、
身を守る為の手段だろうか。姿や顔は隠されてよく見えないが、
ローブの下の深い黒に近い紫の瞳とシエルの深緑の瞳がぶつかり合う。
すると、シエルは息が止まったように酷く驚いた表情をする。
そんな様子を眺めては、アーバントは何かに確信したように、
その瞳にシエルの存在を捉え続ける。
フイッと素早く視線をシエルから外されてしまうが、
二人の再会を許さないかのように辺りの木々や草原が
ザワザワと大きな音を立て始める。
「何だ!?」と全員がその異質な風に気付いては辺りを見渡す。
風が吹き荒れて音を立てているだけだが、一転して暗く沈んだ空と荒れる風に
言い様のない不安を抱く。
ガサッ!と風のせいではない、微かな音に気付いたシエルは一気に振り返り、
グランヴァル軍の最後方へ目を凝らすと、
グランヴァル帝国側の街道からこちらへと、
黒い影が地面の中を物凄いスピードで向かって来ていた。
「全軍下がれッ!!!!」
突然放たれたシエルの叫びに近い大声が響けば、
素早くリーゲルが騎士達を自分の後ろへ来るように指揮を下す。
即座に応じた騎士達は急いで避難を始めるが、黒い影が速い。
逃げ切れない。
そう思えば、シエルは向かい来る影の方へ自ら駆け出していく。
「あ、おいっ! 危険だぞ!! さが――…!」
影の方へ駆け出して行くシエルを反射的に止めようと声をかけたリーゲルの目に、
彼女の真剣な眼差しが映る。影の存在を射貫くような、
「止めてみせる」という強い決意を宿す瞳を真っ直ぐ向けていた。
そんな覇気と姿勢に続く言葉を失ってしまう。
…何故、こんなにも真剣に止めようとしている?
自らの身をかけてまで、先陣に立つなど…?
短く考えていた頃には、シエルはもう影の傍へと辿り着いていた。
駆ける勢いそのままに、片手に青い炎を宿し構えに入った時だった。
「ソウエン…ノ…王……。」
「!?」
地面から飛び出した巨大な影はシエルの前に立ち塞がるように現れ、
低く不気味な声でそう呼んだ。
巨大な影の怪物は、手を振り下ろすようにして向かい来る。
シエルは、一瞬かなり分の悪そうに顔を顰めて舌打ちをすれば、
青い炎を宿した片手を突き出し、それを支えるように、
もう片方の手も突き出しては巨大な青いバリアを張って、
怪物の攻撃からみんなを守る。
その直後、怪物が振り上げていた手を勢いよく落とすとバリアにぶつかり、
ガツンッ!!という鈍い音と共に、激しく青いバリアにノイズが走る。
「―――くッ…!」
青いバリアがノイズで強く揺らぐと同時に、
激しい衝撃を受けてシエルが苦しそうに息を吐く。
それでもなんとか意地で踏ん張ると、バリアは揺らいだが維持し、
自らもそのまま立ち塞がってバリアを張り続ける。
だが、巨大な影の怪物は、そんなシエルの苦痛は知らず、
次の手とばかりに再び構えようと体勢をゆっくりと直す。
あきらかに分の悪そうに顔を顰めるシエルだが、
それでもそこから退こうとしなかった。
「いけませんッ! 王ッ!!!」
ローブ姿の者が必死に叫ぶその声と呼び方に、シエルは驚いた表情をしたが、
やめる事も下がる事もせず、ただバリアを最前線で張り続ける。
そんな強い意地と決意を全て凍らせるかのような影の声に、思考が止まる。
―――周りの世界が全て停止したような……。
そんな不気味な錯覚にシエルは襲われる……。
「………蒼炎………、……喰ウ……。」
ドスッ、と体に鈍い衝撃が走る。
巨大なバリアを難無く貫通し、元々は手だった部分を、
黒く細いナイフ状に変えて突き刺したのだ。
突然の錯覚からの衝撃に、一体自分に何があったのかわからず、
衝撃から遅れてやってきた体の激痛に顔を歪めて痛みに耐える。
腹部へ視線をやると、黒いナイフ状のものが、
深々と自身の腹へと突き刺さっていた。
グラリと体が崩れそうになるも、必死に踏み留まっては影の怪物のナイフ状の手に
自身の手を付いて、体を何とか支える。
支えを失い、貫かれた青い巨大なバリアの壁は、
まるでガラスが粉々に砕け散るようにガシャーンと砕け散った。
周りは未知の怪物に戸惑い、手も足も出せずに、
ただどうすればいいのか迷うだけしかできずにいた。
腹部を突き刺され、上手く体に力が入らない中でもナイフを引き抜こうとするが、
とても引き抜くだけの力を込めることができない。
そんな姿を見ても怪物は止まらない。
空いていた左手もナイフ状に変え、シエルへと上から振り下ろそうと構えていた。
「このままじゃダメだ!みんな行くぞ!!」
リオンが気丈にもしっかりした声で叫んで命令を下せば、ルキアとフォルテが
「おう!」と返事を返し、武器を手に怪物へと駆ける。
すぐさま自らも魔法を撃つ構えに入り、素早く詠唱を始めるリオン。
カレンも続いて詠唱を始め、リーゲルは騎士達に待機を命じてから大剣を手に、
自らもルキア達の後に続く。
それぞれが戦闘体制へ移行し、一早く攻撃体勢が整ったのはリオン。
さすがの魔力だ。
彼の周囲には濃い紫の光の玉が浮遊し、今か今かとその猛威を燻らせている。
隣で詠唱を終えたカレンと目を合わせると、二人は強く頷いて手を突き出す。
「爆撃せよ、闇の風刃!」
「貫いて!火竜の牙!!」
紫と赤の光が強く輝けば、その光は各属性の攻撃へと姿を変え怪物に向かう。
紫色の光は鎌鼬のように刃へと姿を変え、
怪物の頭へ向かい、衝突と同時に爆破する闇の魔法。
赤色の光は巨大な炎の竜の姿に変化し、怪物の上体を貫いて燃やす炎の魔法。
ふたつの魔法がぶつかれば激しい爆煙が上がり、煙が晴れて見えたのは、
確実に影の怪物の頭は消え、上体には大きく風穴が空いていた姿。
これは効いてる!そう安心したのは束の間。
バリバリと黒い電気が怪物の体を駆け巡ると、徐々に頭と風穴が修復し、
何事もなかったように再生する。
確かな威力とダメージだったはず。
それなのに元通りに再生した事に衝撃を隠せない。
ならばとばかりに、ルキアが自慢の速さで駆け抜け刀を抜く。
その瞬間。一瞬にして刀の一閃が走ると怪物を一刀両断する。
居合いと呼ばれる瞬間の一閃だ。
怪物の体が二つに分かれているのを見れば、今度こそ!と思う。
しかし、再び同じように電気が駆け巡るとすっかり再生してしまう。
驚くルキア目掛けて怪物の左手が振り下ろされるが、瞬時にそれを避わす。
その左手が下りた隙に、フォルテとリーゲルが同時に地を蹴り、
一気に頭と体を二人で切り裂くが、再生すれば簡単に振り払われてしまう。
「ど…、どうなってんだ…?」
ルキアがどうしようもないといった顔で、影の怪物を見上げて力無く言う。
怪物が周囲に意識をやっている時に、シエルは自力で怪物のナイフ状の右手を、
体から少しだけ引き抜く事に成功する。
「このまま一気に…」そう思い体に力を入れた時、怪物が気付いてしまう。
「…喰ウ……、大人シク………シロ。」
「うッ…ぁ…!」
再び ドスッ、という重い音と共に深く刺し込まれ、
シエルの口から呻き声のような小さな悲鳴が漏れた。
痛みで気絶してしまいそうになった時、右上から振り下ろされる手が見えた。
「クッ」と歯を食い縛る声がすると、鉄同士が激しくぶつかり合った時のような
耳を劈く音が鋭く響き渡る。振り下ろされた怪物の左手を刃が防ぐ。
その刃の正体はシエルの右手に握られた大剣だった。
青いガラスのような光がキラキラと散り、
シエルの髪色が微妙に変わっていくのが見える。
薔薇色の髪は少しだけ暗い色を帯び、
両サイドの髪には黒い紫色の髪の束が細く入った髪へと変わっていった。
まるで何か、騙し鏡が砕け散ったかのように青い光が輝きながら散り、
本当の姿が現れたような…。そんな幻想的な光景だった。
状況に似合わずも美しい光景に見入ってしまった中、
ローブ姿の者が、何かが吹っ切れたように一気に駆け抜けた。
「お、おい! やめろ、危険だ!! アーバントッ!!!」
リオンの必死な制止に全く聞く耳を持たず、丈の長いローブが邪魔になったのか、
乱暴に脱ぎ捨てれば手で何かを構えていた。
その構えた手に金色の光が集まれば、細かな細工の美しい黒と金の大鎌が姿を現し、
両手でしっかり握ったまま駆け抜けていく。
同じく鎌を扱う者にフォルテがいるが、フォルテの鎌より大きい。
そのあまりにも美しくも凶悪な武器を手にし、怪物にさえ物怖じせずに立ち向かう
アーバントの姿に、全員が驚き立ち尽くしてしまっていた。
確かに〝ただの使用人〟ではないような予感はしていたのだが、
戦闘能力に関しては不明なままだった為、予想を遥かに越える
逞しい姿を目の当たりにして、唖然としてしまったのだ。
止めることも、後方で戦うことも忘れて、彼の姿に目を奪われてしまった。
影の怪物との距離が十分詰まった時、大きく一歩強く踏み込んで空高く飛び上がり、
怪物の眼前で大鎌を大きく振り構える。
怪物がアーバント目掛けて左手を勢いよく振り払ったが、それを大鎌で振り払うと、
払った際の鋭い音と同時に金の光の粒が輝き散り、空に星を描いた。
難なく弾かれたことに怯んだ影の怪物に対し、
追撃とばかりにアーバントは大鎌を構え直す。
「失せろ。」
低く、覇気と殺気を含む声が放たれ、構えた大鎌を左から右へ力一杯に振り払うと、
金の月閃が怪物の首を刎ねる。
すると先程とは変わり、斬り口から崩れていくように粒になって消えていく
影の怪物の姿がそこにあった。動き、反撃する様子もなく、
斬首された人間が抵抗なくそのまま崩れ落ちていくように倒れていく。
影の怪物の下、そこではシエルが完全にナイフを引き抜いては後退り、
距離を取っては倒れていく怪物の様子を見ていた。剣を魔法でしまい、
刺された腹を左手で押さえながら苦しそうな呼吸を繰り返している。
一瞬、呼吸が詰まる音がすると、
小さく震えた、消え入りそうなか細い声が零された。
「……っ…この、力…は……。」
誰にも聞こえない、とても小さな声でそれは呟かれた。
「………ー…、……バ…ン…、ト………?」
重々しい轟音と地響きと共に、大地を窪ませて影の怪物は倒れ、
サラサラと黒い粒となれば空気に溶かされて消えていく…。
「強い…。」
唖然としたままリオンがぼそりと呟いた。
影の怪物の消滅と同時に静かな風が再び流れれば、リオンの髪を優しく揺らす。
消滅した影の怪物は視界から消え、倒された木々が痛々しくそこに存在するだけ。
その視界の前でグラリと小さな体が揺らぎ、
制御もままならず崩れ落ちそうになるシエルの姿に焦点が合う。
自分が駆け寄ろうとするよりも前に、彼女に駆け寄る姿はアーバントだ。
着地と同時に駆け出す姿を見ると、やはり普通の使用人などではない、
戦闘慣れしているようにさえ見える。
シエルの体が地面に付く前に肩を支え、片膝をついてしゃがんではシエルの体を
抱き抱えるアーバント。
戦闘中、多方向へ散っていたルキア達もその場所に駆け付け、
リオンや両軍も駆け寄る。
「王! しっかりして下さいっ、王ッ!!」
抱き抱え、必死に呼びかけるアーバントの腕の中にいたのは、
少しだけ雰囲気の変えたシエルがボロボロに弱った姿だった。
今、こうして自分達みんなが無事で済んでいるのは、
最初に彼女がバリアを張って守ってくれたからなんじゃないかと感じる。
あの最初の一撃が振り下ろされていたら、
一体何人が潰され、一体何人が犠牲となっていただろう。
だが、今にして思うと、あの最初の一撃はアルメリア軍…
リオン達を目掛けて振り下ろされたような気がした。
ならば何故、彼女はこんなになってまでバリアを張りに行ったのだろうか。
…本当に彼女は敵なのか、それすら疑問に思ってしまう。
それでも国を滅ぼしたのはとても許せる事ではない。
複雑な心境ではあるが、シエルの無事を願う。
さすがに目の前で、守ってくれた人に死なれるのは後味が悪すぎる。
それにアーバントの目的が妹の死で終わるのはあまりに酷すぎる。
…だが、違和感を覚える。
アーバントはシエルを〝王〟と呼んでいる。
姉より妹の方が地位が上なのか、女性に女王ではなく〝王〟などと呼ぶだろうか?
そう考えていると、シエルの目が弱々しく開いた。
「…バカ、な…。……アーバント…?」
消え入りそうな声と疑うような眼差しでシエルが小さく言えば、
アーバントはその口調と姿に本当に嬉しそうに笑った。
そして、とても泣きそうな顔をした。
お嬢様の妹をも大切にしているのだな、と誰もがそう感じては微笑んでいた。
その時…。
「本当に…、ご無事で、良かっ……。……っ! ……セルディア王 ―――ッ!!」
男泣きというより、もう本気で ぎゅうううっ と抱きしめて泣くアーバント。
「ぐぇっ…!? おい、バカ、…痛っ! …く、苦しいッ! よせ…ッ!」
腹を刺されているというのに何て事すんだ、と本気で苦しむシエルにハッとした。
のも遅いが、名残惜しそうにいそいそと抱きしめるのをやめる。
「…このバカヤロウ」と腕の中でシエルが痛みによる涙目で言うも、
アーバント本人はとても喜んで微笑みながら謝っていた。
…そういえば、先程アーバントは知らぬ名を口にした気がする。
「アーバント? 今、セルディアって――」
リオンがそこまで言った時、すぐ後方、グランヴァル帝国方面で爆発が起きる。
「今度はなんだ!?」そう振り向けば、グランヴァル城から黒煙が上がっていた。
「…やはり…、動いたか…ッ…。」
懸命に立ち上がろうとするが、さすがに体に力の入らないシエルが悔しそうに言う。
無理に動くのを止めるアーバントと、何が起きているのか気になる全員。
今何を言うべきかわかっているシエルは、アーバントに支えられながらも
懸命に声を振り絞って早口に伝える。
「ギラードが動いたんだ…。このままでは…グランヴァル城が、完全に陥落する…!
…バイド陛下が、危ない…ッ!」
シエルの本気の言葉に一気に周りに緊張が走る。
自分達でもどうにかできないかとアルメリア軍が作戦を練り始める中、
グランヴァル軍はすぐさまリーゲルの指揮のもと、
ギラード討伐に作戦を切り替えた。
この時間すら惜しい。そう思い、シエルはアーバントに小声で話す。
「…皆と両軍を頼みます。…氷の属は、いますか…?」
シエルの覚悟を宿した強くも凛々しい声に、
アーバントは呆れたようにしながら優しいため息をつく。
「…ふう、仕方ありませんね。かしこまりました。氷の属は、ルキア様です。」
「…ありがとう。…ごめんなさい…。」
アーバントが心配そうに笑うからか、シエルは申し訳なさそうに笑って返す。
一息ついてからアーバントはシエルの背を支え、
シエルが何とか立ち上がるのを見届けては声を張る。
「ルキア様!貴女の氷の力を貸して下さい!」
「は、……えっ?」
アーバントのいつもと違う覇気のある声に、
アルメリア軍の作戦会議に参加していたルキアは何事かと振り返る。
その様子に話をやめて、他の人もただそのやりとりを眺めていた。
突然力を貸せと言われてもどうしたらいいのかわからずにいるルキアを見て、
アーバントは付け足して言う。
「時間がありません! 王に、全力で! 貴女の氷の技をぶつけて下さい!」
「ええっ!?」とルキアだけでなく、その場で見ていた全員が揃って声を上げる。
ただでさえシエルは負傷している。
そんな人にまだ技をぶつけろというのは正気か疑いたくもなる。
が、二人とも理由はわからないがとても真剣で、
間違っても冗談を言っているようには見えなかった。
困惑はしたものの、意を決してルキアは刀を引き抜き、
真っ直ぐシエルに切っ先を構える。
一瞬にしてブワッと白い雪がキラキラと渦を巻き、ルキアの周りを漂い始めた。
「…よくわからないんだけど、死なないでくださいよ?
―――撃ち抜け!桜白雪ッ!!」
桜吹雪のような氷雪の刃が一気に刀の切っ先から放たれる。
そのままシエルと、後ろで支えるアーバントの姿が見えなくなるくらい
氷雪の刃が降り注ぎ、辺りにはただ白い粉雪がキラキラと乱反射していた。
…放った後だが、何かとんでもない事をしてしまったような気がしてしまう。
だが、そんな心配をよそにパキッと小さな音が耳に届けば、雪煙と粉雪の中、
シエルは身を軽く屈めてはいるものの、一人自力でその場に立っていた。
アーバントは支えていない。
後ろで両手を上にあげてシエルを見守っているだけだ。
何が起きたのかさっぱりわからないが、シエルが体をゆっくり起こしては服を正し、
しっかりとした姿で立ち直す姿はいつもの凛々しさそのものだった。
その立つ姿で初めて見えたもの、それは、
刺された腹部の傷からの出血が止まっていたのだ。
「なん…!? えっ? 何で…!?」
ぱちくりと目を瞬かせてはシエルをただじっと見つめるルキア。
もちろん周りも同じく目が点だった。
技を喰らったはずなのに無傷で、むしろ傷を回復したようにも見えるからだ。
そんな周りを置き去りにルキアにお礼を言い、丁寧な仕草で頭を下げたシエルは、
背を向けて青い光を足元に展開する。
「…ギラードもたった一人ではないでしょう。万全の準備を。
………アーバント、後は任せます。」
普段の冷静な表情のまま真剣に伝え終えると、
アーバントと目が合えばフッと柔らかく微笑んだシエル。
その表情に何の意味があったのかはわからないが、
アーバントは一度だけ強く頷いて返した。
シエルはアーバントの返答を受け取れば、リオンやルキア達全員を見渡し、
小さく頷いて口を動かして転移魔法を起動させてその姿を消す。
―――「…気を付けて」。
声には出さなかったが、全員に口の微かな動きだけで向けた言葉を残して…。
唖然としたままだったリオン達のもとにアーバントが帰ってくると、
リオンは素早く質問を投げ掛けた。
「えっと…、あの人は何者だ?そして、お前も…?」
人智を越えたモノを目の当たりにし、引き笑いのまま質問するリオンに対して、
アーバントはいつもの穏やかで柔らかい笑みを浮かべて返す。
その表情、声色は安心したような嬉しさを含みつつも、
これからの事に不安を抱いた不安定な色を持っていた。
「あの方はシエル様ではありませんでした…。
長い間、ずっと探し求めてきた…私の主…。
我らが王、――セルディア王でございます。
あの方は強い。ですが、その分脆く、無茶をするのです…。
…どうか、皆様の力を貸していただけませんか?」
再会できた喜びはもちろんある。
しかしそれよりも、一人暴走する自らの主、王を止めたい。
その一心でアーバントは深々と全員に頭を下げた。
どこの王と従者なのかわからないが、
主と従者の関係だということはよくわかった。
何より、王様と臣下だということも。
そして、アーバントが長く探し、最も逢いたかった人、
その姫様…本人だということも。
拒否する理由もない。
何故なら、彼女はこう言っていた。
「バイド陛下が危ない」と。
その予感と共に、出血を無理矢理止めまでしてグランヴァル城に向かった。
グランヴァルを守り、本来の王族に城と政権を返す為に戦う仲間だと、
そう確信できる。
「聞くまでもないんじゃないですか?
私たちはシエルさんの正体を知りたいと同時に、
東を取り戻すのが目的ですし!」
「だな。今さらそんなお願いされなくたって追いかけるよ。なっ、リオン!」
まるで「水臭いなー」と言いたげに明るく言うカレンと、
それに異議なく頷くルキア。ルキアが突然投げてきた言葉に驚いてしまったものの、
ハッキリと頷き返したリオンも同じ気持ちだったようで、
さも当たり前のように進軍を決意していた。
そんな様子にリーゲル達騎士団も、感謝を述べては帰還と戦闘の準備を進めている。
残る一人、フォルテだが、周りの会話や反応を聞いていたようで、
全員の返事を聞き入れてから静かに口元に笑みを作った。
「はっ、当たり前だろ。東を元に戻して戦争をやめさせんのは絶対だ。
逃げたアイツを取っ捕まえて全部聞き出す。その前に死なれても困んだよ。」
鼻で笑っては毒のある言葉ばかりで返してきたフォルテだが、
つまるところ、同意してくれたのには変わりない。
みんなの優しさと意思の固さと協力に、ただ素直に深くお礼を述べるアーバント。
彼の真摯な姿を見ていれば手助けしてやりたいと思うし、
何より、どちらにせよグランヴァルの内情に行き着き、
シエルことセルディアの話を聞けるだろう。
強力ではあるが、一人無茶をする助っ人に「やれやれ」と思いつつも、
リオンは小さな笑みを浮かべてから、
アルメリア軍をグランヴァル城の進攻へと動かす決意をし、全員と力強く頷き合う。
アルメリア軍とグランヴァル軍はお互い協力し合う形を組んで進軍を開始する。
…それにしても…
女性を女王ではなく、『王』とする国などあっただろうか?
セルディアの使う力も、アーバントの使う力も正直見慣れない技だ。
一体、二人はどこの人間で、どこから来たのだろう?
…と、リオンは、今までの付き物が取れたかのように晴れやかで、
真剣な表情で隣を歩くアーバントを見ては考えていた。
~第七章へ~