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【一日一篇】

【一日一篇:正月】一万分の一の奇跡

作者: 黒木琥珀

 一月一日の元旦。とある古びた小さな神社を、一人の少女が訪れた。年の頃は小学校に入ったばかりというくらいで、歩く動作はまだふらふらとおぼつかない。腰まで届く長い髪は三つ編みにされ、頭の後ろで二つにまとめられている。手には親に持たされたのだろうか、百円硬貨が一枚握られていた。

 神社の境内は、昨晩降った新雪で一面真っ白い絨毯のようになっていた。まだ誰にも汚されていないその領域を、少女は決意のこもった眼差しを持って、堂々と踏みしめた。頭の中では、それこそレッドカーペットを歩く映画スターのような気分なのだが、その足取りはやはりたどたどしく、右往左往しながらも何とか目的の場所にたどり着いた。

 少女の目の前には賽銭箱があり、その横には台の上に置かれた六角柱形の箱があった。その木製の箱の側面には、赤い手書きの文字で『三途の御神籤(おみくじ)』と書かれている。その下には、おみくじの料金だろうか、『百』という文字がちまっこく記されている。

 少女がわざわざ早起きをして神社に来たのは、まさしくこれのためだった。彼女の住む地域では、古くから伝わる伝説があった。この神社にある『三途の御神籤』には、死に近づいた人間の運命を変える力がある、というものだ。その条件の中に、おみくじを引くのは正月三が日の早朝、それも必ず一人で来なければならない、というものがあった。そしておみくじを引く際は、救いたい人間の名前を言わなければならない。

 少女は今まさに重い病によって峠を越えようとしている母親の名前を呟いて、手に持っていた百円玉を賽銭箱に投げつけた。続いておみくじの箱を持ち、がしゃがしゃと振った。

「……でない」

 もう一度振る。やはり出ない。確かに、中でおみくじの棒が互いにぶつかる音がするのだが、一向に出る気配がない。憤りのあまり、少女は持っていたおみくじの箱を、力いっぱい地面に投げつけた。さくっという軽快な音がして、箱が地面に突き刺さる。

 少女が(きびす)を返して帰ろうとしたその時、背後から老人とも子どもとも思える、奇妙なしわがれ声が聞こえてきた。

「――これ、そこのおなご。おみくじを引きたくば金を置いてゆけ」

 突然聞こえてきた声に、少女は驚いて後ろを振り向いた。恐る恐る辺りを見渡すが、人影は見受けられない。

「違う、そっちじゃない。お主の足元じゃ」

 声に従って足元を見ると、そこには一匹の白い猫がいた。色が白いから、雪に混じって気づかなかったのだろう。尻尾が二つに分かれているのが少々気になるが、そういう種類の猫なのかなと、少女は納得する。

「……お金、払ったよ。ちゃんとお賽銭箱に入れたもん」

 猫が喋ったという事実は、少女にとってはあまり関係がなかった。問題なのは、料金をちゃんと払ったのにおみくじが出来ないことである。明らかに、不当な取引だ。

 少女の浮かべる不満そうな表情を見て、猫は不敵に微笑んだ。猫は四本の足をのんびりと動かしておみくじの箱のところまでいき、前足を使って器用に雪から引き抜いた。

「見ろ、箱の底に『万』という文字が書かれているじゃろう。百円じゃなく百万円じゃ。まだ全然足りておらぬぞ」

 猫の言う通り、箱の底には確かに『万』の文字があった。少女には百万が百と比べてどれくらい大きいのか分からなかったが、到底払える金額ではないことは理解できた。

「……ずるい。そんなの、払えるわけないよ」

 あまりのことに泣きそうになりながらも、少女は何とか言葉を返した。ここで引いてしまったら、母親の命は助からない。

「むう、ずるいとは失敬じゃのう。死の運命を変えてやろうというのだから、それ相応の代償は当然であろう」

「……だいしょう、なんて知らないもん。ずるいよ、私は子どもなんだから、子ども料金にしてよ」

 少女の言葉に、猫はしばしの間考え込む様子を見せた。少女はその間、何とか涙を堪えて立ち続けていた。

「なるほどのう。確かに大人と子どもでは、支払い能力に差はあろうな。よかろう、おみくじを引かせてやる。ただし、授ける『命』はお主の払った百円分じゃ。残りの九十九万九千九百円は、大人になってから払いに来い。その時に、相応の『命』をお主の母に授けてやろう。それでよいか?」

「……うん」

 よく分からなかったが、おみくじを引けるならそれでいいかと、少女は頷いた。

「よろしい。ではおなごよ、わしを殺すのじゃ。死の運命を変えるには、わし自身があの世に足を運ぶ必要があるのでのう」

「え……こ、ころす? だめだよ、生き物は殺しちゃだめだって、お母さんが……」

「その母を救うには、わしを殺す必要があるのじゃ。早ようせい。心配せずとも、お主のような(わっぱ)でも殺せるように、肉体の力を弱めておくでの。――ほれ、そこの石を取って、わしの上に落とすのじゃ」

 そういって、猫は二又の尻尾でちょいちょいと近くにあった拳大の石をつついて見せた。少女はそれまで、一度足りとも自分の意思で生き物を殺したことがなかったが、それが母のためならと、震える手で石を持ち上げた。

「ふむ、それでよい。さあ、わしの頭の上にそれを落とせ。胴体に落とすとすぐには死ねんからの。わしか死んだら、すぐにおみくじを引くのじゃ」

 猫が差し出した頭目掛けて、少女は石を落とした。肉と骨がひしゃげる音がして、猫は動かなくなった。不思議なことに、血は出なかった。

 少女は自分のしたことの恐ろしさに、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて猫に言われたことを思いだし、急いで足元に転がるおみくじの箱を拾い上げた。がちゃがちゃと箱を振ると、箱の穴から一本の細長い木の棒が出てきた。その棒の先には、小さな赤い文字で『小吉』と書かれていた。

「――どれ、何が出たかの? 見せてみい」

「ひゃっ!」

 またもや唐突に聞こえてきた声に、少女は飛び上がった。足元を見ると、先ほどの白い猫が何事もなかったかのように座っていた。

「な、何で? 死んだんじゃないの?」

「我ら猫又は、死んでもすぐに生き返る。生と死の境を永遠にさ迷い続けるのが、我らの宿命じゃ。それよりおみくじはどうなった? 何が出たのじゃ?」

「あ、えっと、小吉」

「……ふむ、小吉か。あまりよくはないが、『凶』が出るよりはましかのう。まあ、とにかくおみくじにより授かった『命』は、きちんとお主の母に届けておいたぞ。百円分じゃ一日持てばいい方じゃが、『命』には変わりはない。精々残りの時間を大切にすることじゃ」

「……うん! ありがとう!」

 猫の言った皮肉に気がつくことなく、少女は満面の笑顔を浮かべてお礼を言った。その様子に、猫は不機嫌そうに顔を歪める。

「ああ、それと、残りの金を忘れるでないぞ。大人になった時――そうだな、お主が二十五歳の誕生日を迎えた次の年の元旦に、再びここに来るとよい。その時に、金と引き換えに残りの『命』を与えてやろう」

「うん、わかった。ほんとうにありがとね、猫さん」

 少女はぺこりとお辞儀をすると、心底嬉しそうに駆け出した。

 猫は憂いのこもった眼差しで、少女の後ろ姿わを見送った。



 月日は流れ、約束の日。猫はその年も、おみくじを引きに来る人間を賽銭箱の傍らで待ち続けていた。時刻はすでに八時を回り、すでに早朝とは言えない時間帯になってきた。そろそろ店仕舞いをしようかと、猫が腰を上げかけた時、神社の境内に一人の女性が入ってきた。

 その足取りはしっかりしているように見えたが、雪を踏みしめるその歩みに、猫は妙に懐かしい雰囲気を感じた。女性の視線は熱意に満ちて力強く、ダウンジャケットとジーンズという地味な格好だったにも関わらず、周囲を圧倒するような迫力があった。

 女性は猫の方に向かって歩いてきて、目の前で立ち止まった。意志のこもった両目で、猫を見つめる。

「……ふむ、お主か。些か遅刻気味ではないかの。あと半刻すれば、店を畳んでおったところだ」

「しょうがないじゃない。大人ってのは、子どもと違って忙しいんだから」

 女性は皮肉混じりに微笑むと、ポケットから札束と数枚の硬貨を取り出して、猫の前に掲げて見せた。

「九十九万九千九百円。一円も漏らさずぴったりあるわ」

「よろしい。ではその金を賽銭箱に入れるのじゃ。残りの『命』を授けてやろう」

 尻尾をぺちぺちと賽銭箱に叩きつける猫に向かって、女性はゆっくりと首を横に振り、お金をポケットに戻した。

「む、どうした? 『命』は要らんのか?」

 不思議そうに首を傾げる猫を見て、女性は可笑しそうにくすくす笑った。猫は不満そうに顔をしかめる。

「うん、もういいのよ。私ね、あの後母に神社へいったことでこっぴどく叱られちゃったの。母が言うには、他人の生き死にを勝手に決めようとするのは、その人に対してすごく失礼なことなんだって。その時は意味が分からなかったけど、今となったらよく分かる気がするんだよね。だからこの百万円は、私のために使うことに決めたの」

「……ふむ、なるほど。確かに払わなければならないとは、いっとらんかったのう。して今日は、何用で参ったのじゃ?」

「何用って……。お礼を言いに来たに決まってるじゃない。あの後母は、二年と三ヶ月もの間、生き延びたわ。医者が言うには奇跡だって。猫さんのおかげでしょう? ありがとね!」

 女性はぱちりとウインクをすると、足早にその場を去っていった。どうやらその一言を言うためだけに、わざわざ立ち寄ってくれたらしい。

「……一万分の一で二年ということは、本来ならば二万年は生きたということか。わしですら千年ぽっちしか生きとらんというのに、贅沢な人間じゃ。――さて、この『命』はもう用済みであろうから、ありがたくわしが頂戴しておこうかの。やれやれ、やっと飯にありつけるわい」

 猫が尻尾を一振りすると、二つに分かれた尻尾の間から小さなガラス玉のようなものが出てきて、地面に転がった。猫はそれを素早く咥えると、一口で飲み込んだ。人の奇跡の上澄みをすくい取り生きる猫又の、実に百年ぶりの食事であった。

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