油絵
この小説に、感想をいただくことができました!読んでいただいた方に、少しでも怖かったと思っていただけるように、これからも精進していきます!
閉館前の図書館に、足早に駆け込んだ小夜に、佳奈は黙って付き従う。
等間隔にならんだ本棚の間を縫うように歩いて、小夜は何かを探している。図書館で探すには、少しばかり異質な「それ」は、なかなか見つからない。
本を探すはずの場所で、彼女が何を探しているのか、佳奈にはわかっていた。
「小夜ちゃん、いた?」
「おらん。何処かに移動でもしたんかな」
拳を顎に当てて考え込んだ小夜を見て、彼女が考え事をする時の癖なのだろうと、佳奈は場違いな事を思っていた。
「なあ、夢の最後なんやけど……」
「ああ。暁さんが、あっちを見て、それで……」
そう言って、佳奈が見た先には、こども図書のコーナーがある。それよりも、少し前の部屋に、自然と目線がいく。
「……小夜ちゃん、図書館の幽霊の話、知ってる?」
「ああ、あれね。それがどうかしたん?」
「うん……夢の最後に、暁さんに突き飛ばされて、私、椅子から落ちて目が覚めたんだけど。その前に、おはなしの部屋の前に、男の子が立ってるのが見えたの。小学校高学年くらいの……」
佳奈は怯えたように身を硬くする。
美沙子の家でみたような、黒い靄ではない。はっきりとした、男の子の姿を見た場所が、目の前にある。
「小夜ちゃん、幽霊って、どんな風に見えるものなの?」
「うーん……そいつらの心が見えるって感じやな。美沙子さんの家の時は、黒い靄に見えてたけど。見た目怖いやつ程、怨念っていうんかな? そうゆう気持ちが強いってのがあって……」
小夜が、やはり拳を顎に当てて考える。
「人の姿をしていれば、わりと話も通じやすいんやけど、人の姿から離れれば離れる程、言葉が通じにくくなるし」
じゃあ、と佳奈が胸を撫で下ろす。
「あの子は、怖くないってことだよね」
「……それはどーやろ」
小夜が突然、踵を返して図書館の出口に向かって歩き出した。長い髪が翻る。
図書館を出て、正面階段を降りて、バス通りを歩いていく。その後ろを、着いて歩きながら、佳奈は小夜に尋ねる。
「さっきの、どうゆう意味?」
「人の姿をしていれば、確かに話は通じるよ。言葉って概念があいつらにはあるからね。でも、図書館の噂の幽霊くんは、物に干渉する力を持ってるって話やから……」
小夜はそこで言葉を切って、佳奈を振り返った。黒い髪と、白い肌の美少女は、夕焼けの中で妖艶に笑っている。
「怒らせちゃうと、怖いかもね」
*
「ちょっと、男子ー。遊んでんと、これ運んでー」
「なあ、ここって、緑に塗っていいん?」
「あー! 布が足りん!」
様々な声が飛び交う中で、佳奈は黙々と台本を読んでいる。役を与えられている生徒が揃えば、台本の読み合わせをすると言われたので、自分の台詞を覚えてしまおうと、集中して読む。
「佳奈ー、衣装の採寸するから、立って!」
彩に言われて、台本を持ったまま立ち上がり、されるがままに採寸してもらう。慣れた手付きでメジャーを扱う彩に驚いた。
「前に妹の幼稚園の学芸会の衣装作ってん」
そう言ってはにかむ彩を見て、佳奈はなるほどと頷いた。
見れば、大道具を作っている一角では、里香が指揮を取っている。
「里香は、意外と美術とか好きなんやで。だから、美術系の学科がある短大受けるんよ」
てきぱきと、佳奈の身体のサイズを測りながら、彩が言った。
「なんか……文化祭って、みんなの意外な顔が見えるよね」
「せやなー。はい、腕上げてー」
佳奈は彩と笑い合う。
それから、しばらくして、台本の読み合わせが始まった。主役の女の子と、男の子は、台本に目を落としたまま、たどたどしく台詞を言っている。佳奈も、覚えていない部分は台本を見ながら台詞を読んでいるのだが、小夜が台本を完璧に覚えていることに感服していた。
「折口さぁん……役変わってー」
主役の女の子が、小夜に泣きつくと、小夜はふんわりと微笑む。
「あかん。わたし、この役好きやもん」
「折口さん、役のイメージぴったりやもんな。主人公たちを導く精霊の女王様!」
主役の男の子が言うと、周りから肯定の言葉が飛び交った。
「はいはい! 役は変えれないんやから、練習するよ!」
文化祭委員が叱咤すると、止まっていた練習が再開された。
なんとかみんなが台詞を噛まずに言えるようになった頃、廊下の廊下の向こうから大きな音が聞こえた。何か、大きな機材が倒れたかのような音だ。それから、人の叫び声や、怒号が聞こえた。
「なんやろ?」
文化祭委員が廊下に飛び出して行く。
みんな、そわそわと居心地が悪そうにしている。何があったのか、見に行きたいと思っているのだろう。しかし、そこは分別の着いた高校三年生だ。代表で見に行った委員の報告を、じっと待っている。
ばたばたと廊下を走る音。誰かの泣き声。せーの、という男性の声。物を動かす音。
微かな音を聞き漏らさないように、教室はしんと静まり返っていた。
「二年生の教室で、ベニヤが倒れたみたい」
委員が帰って来て、そう告げた。
少しばかり顔色の悪くなった彼女は、そのまま言葉を続けた。
「女の子が一人、下敷きになっちゃって、怪我したみたいなんよ。割と分厚いベニヤで、お化け屋敷の通路にするやつらしいねんけど……」
「怪我? 何組の子?」
誰かが言った。もし、自分の後輩だったらと、心配になったのだろう。
「5組の、坂本優子って子。知ってる?」
「優子が?!」
声を上げたのは小夜だった。
立ち上がって、廊下に駆け出して行く。佳奈は、ぼんやりと足元を見つめていた。
「佳奈、優子ちゃんって、もしかして……」
「うん。天文部の後輩……」
「行かんでええの?」
「……わ、た、しは……」
佳奈は勢いよく首を振って、小夜の後を追った。
2年5組の教室の前は、騒然としていた。その中から、一際明るい声が聞こえる。
「いやー、びっくりしちゃいましたー」
「しちゃいましたー、やないよ! びっくりしたのはこっち! 大丈夫なん?」
人混みを掻き分けて教室の中に入ると、床に座り込んだ優子に、小夜が詰め寄っていた。
「ちょっと、痛かったですけど。たぶん、大丈夫ですよ」
「優子ちゃん、大丈夫? 怪我したって聞いたけど……」
佳奈がおずおずと声をかけると、坂本優子はにっこりと笑って、佳奈に手を振った。
「あ、佳奈さんまで! 怪我って言うか、ちょっと擦りむいただけですよー」
「ちょっと擦りむいただけ、って、優子ちゃん……」
肩を落とす佳奈に、小夜が目配せをする。
「大丈夫そうやし、戻ろうか」
「あーん、先輩、冷たい!」
「そう思うなら、少しは大変そうにしときや。頭打ってたらあかんから、病院には行きや」
そう言って立ち上がって、小夜は倒れたベニヤ板をなんとなく見る。それから、驚いたように目を剥いたが、すぐに何でもなかったように笑った。
「お化け屋敷、か。なかなか凝ってるみたいやね」
言いつつ、ベニヤをさりげなく触る。
「ね、佳奈、これ、すごいよね」
促すように言われて、佳奈もベニヤを触る。それは、ほんのりと熱を帯びていた。触れた手のひらに、人肌くらいの温度を感じる。
「小夜ちゃん、これって……」
それは、大きな一枚のベニヤ板に描かれた、女性の絵だった。背景を黒く塗り潰した中に佇む、色の白い女性が、此方を見つめている。その顔は憂い含んでいて、明るい場所で見る限りは、とても美しい絵だ。しかし、これを暗いお化け屋敷に置けば、確かに恐ろしい幽霊に見えるだろう。
「よく描けてるよなー。誰が描いたん?」
小夜が尋ねると、優子が答える。
「大橋くんって子です。美術なんです」
そんな会話をしているうちに、保健室から養護教諭がやってきて、優子を連れて行った。肩を抱かれて歩く優子は、心なしか、右足を引きずりながら歩いて行った。
*
その日の帰り道、佳奈は久しぶりに彩と里香と、三人で帰っていた。文化祭の準備に追われて、なかなか話せなかったので、バス停で何台かのバスを見送って、夏休み中の出来事を話す。しかし、佳奈は美沙子の家で体験したことだけは言えないでいた。
「あ、後輩ちゃんは大丈夫やったん?」
彩がふと、佳奈の顔色を伺うように言ったので、佳奈は笑顔で頷く。
「うん。ちょっと擦りむいただけって。元気そうだったし、大丈夫だと思う」
「そっかぁ。でもさ、なんか、怖いよね」
彩が怯えたように言うと、里香が笑う。
「お化け屋敷の準備で、事故が起きたから?」
「そう! なんかありそうじゃない?」
「何があるって言うんよ。毎年、お化け屋敷はどこかのクラスがやってるやん?」
そうやけどぉ、と彩が言う。
「ほんま、彩って怖がりやのに、そうゆう話好きやんな」
それから、何本目かのバスで、二人は帰っていった。
ゆっくりとした足取りで、佳奈は家に向かった。団地を抜けて、住宅街に入る。家の前まで来て、決心したように、歩調を早める。
住宅街を抜けて、古い道へ出る。石段を上がっていくと、巫女装束に身を包んで、境内を掃除している小夜がいた。
「小夜ちゃ……」
声をかけようとして出した言葉を飲み込んだ。賽銭箱の隣に腰掛ける圭佑の姿を見つけたからだった。
「あれ? 藤野さんやん」
圭佑がにっこりと笑った。箒の先を見つめていた小夜が顔を上げた。
「……遅くない?」
「ご、ごめん……って、別に約束してた訳じゃないよね?」
「すぐに質問責めに来るもんやと思ってたから」
小夜はいつも通り、綺麗に笑った。
佳奈は少しばかりむっとして、圭佑の傍に寄って、同じように腰掛けた。
「あの絵、暖かかったよ。ちょうど、あれ、人肌くらい……」
「やんなぁ。霊障で動いた物は、少し温度が残るんよ」
霊障。聞き慣れない言葉に、佳奈は首を傾げた。
「霊に、障害の障で、霊障。霊に障るって意味やねんけど。ポルターガイストとかで動いた物が、ある程度の熱を持っているって報告は、昔からあるから……」
「待って待って! ポルターガイストって?」
小夜が信じられないとばかりに目を見張った。信じられないのは佳奈の方だ。彩のような怪談好きならまだしも、普通は、そういった事に関する専門用語なんて、知らない物だろう。
呆れた様子の小夜の代わりに、圭佑が説明してくれる。
「ポルターガイストっていうのは、霊的現象の一種だと言われてる現象やで。ドイツ語で、騒がしい幽霊って意味やったかな?」
「幽霊なの?!」
「いや、幽霊というか……。ポルターガイストは、思春期の子供が引き起こす超常現象って位置づけられてる。例えば、物が飛んだり、ラップ音が鳴ったり……ラップ音は、家鳴りのことやけど」
家鳴りはわかる。木造の家なんかで、材木が軋んだり、ズレたりすると、パチっと鳴ったりするあれのことだろうと、佳奈は頷いた。
「幽霊じゃないんだ」
「うん、全く別物。超心理学会とかでは、思春期の子供がストレスを溜め込んだ結果で起こるって説もあるね」
「超……何?」
「うーん。まあ、流して。今重要なことやないし」
「わかった」
「ストレスを溜め込んで、吐き出す場所がない子供が、非科学的なことでそれを吐き出してるのが、ポルターガイスト……ってところかな」
わかったような、わからないような。
佳奈は伺うように小夜を見た。
「それじゃあ、今回のはポルターガイストなんだ? 学校なら、たくさん思春期の子供がいるわけだし」
ポルターガイストを起こした子のストレスが改善されれば、今回のような事故は起こらないはずだ。
小夜は、納得できないと首を振った。
「そんな簡単な話でもないと思う」
「どうして?」
「ポルターガイストの被害者は、大抵引き起こしている本人の場合が多い。ってことは、優子がポルターガイストを起こしたことになる。あの子、ストレス溜めるようなタイプか?」
失礼な事を言って、小夜は首を傾げた。
しかし、佳奈には小夜の言わんとしていることが、なんとなくわかった。ストレスを溜め込んだ子供が、みなポルターガイストを起こすのなら、学校という場所では、物が常に動いているだろう。
「大体、ポルターガイストなんて、素質が無いと起こされへんよ。その点、優子はシロ」
「そーいや、小夜はポルターガイスト起こすけど、暁は起こさんかったよな」
「あんたも、起こさんかったやん」
懐かしむように言った圭佑に、小夜が突っかかる。佳奈は驚いた。幼い小夜は、ポルターガイストを起こす程にストレスを感じていたということだろうか。
「……というより、そんなに繊細だったんだ」
「藤野さん、声に出てる」
あっ、と口元に手をやった佳奈に、小夜が怒りの目を向けるたが、言及はしなかった。
「で、あのベニヤなんやけど」
「うん?」
「なんか、良くない感じがした」
「……それだけ?」
「それだけとは何よ。あれが倒れたのがポルターガイストであれ、他の霊的な何かであれ、狙われたのは優子で間違いないよ」
「そうなの?」
佳奈が聞いたのは、圭佑にだ。彼は肯定の意味で頷いた。
「呪詛の気配がするんやって」
「それって……」
坂本優子は、誰かに呪われているということだろうか。佳奈の脳裏に、明るい、気さくな少女が浮かぶ。
「ってことで、明日から学校も始まるし、あの絵を描いたっていう大橋少年に話聞きに行こうと思うねん。佳奈はどうする? 気になるなら一緒に行く?」
小夜が自信ありげな笑みを浮かべるのを見て、悔しそうに佳奈は頷いた。
更に、小夜は佳奈に悔しい思いをさせる事を言った。
「安心しなさい。今回は可愛い後輩が怪我させられたんだから、ボランティアで解決するから」
胸の内を詠まれたようで、佳奈はバツが悪そうに顔を顰めた。