絵本
夜更け。ベッドに横になって、佳奈はぼんやりと天井を見つめていた。
夕方の、小夜との会話を思い出して、バタバタと足を動かしては、もんどりうつ。
『……わからないよ』
『わからん、か。まあ、そうやろうね』
『あの……暁って?』
『私と双子の兄で、去年の冬から絶賛意識不明中の馬鹿』
『え?』
『バイクの事故でね。霊体だけ、何処かに行ってるみたいで、自分の体にも戻れてないのよ、あいつ。探査専門のくせに……』
それだけ言うと、小夜は疲れたからと、帰って行った。
「なんで、私の夢に出て来たんだろう?」
答えを知っているのは、おそらく本人だけだろう。佳奈はそのまま、眠ってしまった。
*
ああ、また夢だ。
佳奈はなんとなくそう思って、辺りを見渡してみた。夕暮れの図書館の閲覧室に、佳奈は一人で座っていた。
夢だと思ったのは、他に人がいないからだ。窓から差し込む光は、オレンジ色に染まっている。本来なら、まだ図書館には利用者がいるはずだ。貸出カウンターには、司書の姿もない。
「ほんま、よく会うよな」
背後からの声に、佳奈はどこかほっとしたように振り向いた。
「暁さん」
「あれ? 名前……」
「小夜ちゃんから聞きました。私、佳奈って言います」
「そっか、小夜から。俺のこと、他に何か言ってへんかった?」
佳奈の隣の席に座って、暁はにっこりと笑った。
「言ってました。確か……探査専門のくせに自分の体に戻れない馬鹿って」
「おー、予想通り!」
暁は嬉しそうに手を叩くと、真剣な顔で佳奈を見つめる。
「ほんまは、体が何処にあるかわかってるねんけど。何かに邪魔されて帰られへんねん」
「何かって?」
帰れないということは、目覚められないと言うことだろう。佳奈は不安そうに暁を見つめた。彼は肩を竦めると、再びにっこりと笑う。
「さあ。そんなことより、佳奈ちゃんは帰った方がええよ。そろそろ、あの子が来るから」
「あの子……?」
暁は頷いて、こども図書のコーナーへと続く廊下に目をやる。廊下に面して、トイレがある。そして、その向こうにはーーー
「見つかったか」
その言葉と同時に、暁が佳奈を突き飛ばした。真横に倒れながら、佳奈はそれを見つけた。
*
「おはよー、佳奈!」
夏休みはいつの間にか終盤に差し掛かっていて、登校日を迎えていた。
久々に訪れる教室で、佳奈を迎えたのは、可愛らしく駆け寄ってくる彩と、その姿を呆れながら見つめている里香だ。
「おはよう。彩はともかく、佳奈と会うの久しぶりやな」
「そうだね。私も夏期講習取れば良かったかな」
彩と里香は、部活の引退まで受験勉強があまりできていなかったので、夏期講習を受講していた。だから、佳奈に会うのは久しぶりなのだが、二人は毎日のように顔を合わせていたはずだ。
「あー、でも、うちらは短大組やから。夏期講習取ってても教室違うよね」
「そっか、佳奈公立やっけ?」
「うーん、無謀だとは思うんだけど」
そんなことないよー、と彩が笑う。
そんなやり取りをしていると、担任の先生が入って来て、生徒達がわらわらと席につく。先生が夏休み明けの連絡や、進路の話をする中で、佳奈はぼんやりと窓の外を見ていた。
「そしたら、連絡事項はこのくらいで。あとは、文化祭のことでも話し合いしといて。時間になったら帰ってええから」
そう言って締めくくると、先生は教室を後にした。入れ替わりに、文化祭委員ーーークラスでも目立つ男子と女子が率先してなっていたーーーが前に出て、文化祭の出し物を決めていく。
この学校の文化祭は、毎年三年がホールを使って劇をするのだが、進学校と言うこともあって、準備期間が短い。それでも、毎年質の高い劇が発表されるので、他校からも見学に来る人がいるのだという。
こういった話し合いで、佳奈が意見を出すことはない。決定したことに、ただ頷くだけだ。転校生故に、学校の歴史的なものに疎いのが理由なのだが。
「それじゃ、うちのクラスは『匣の中の物語』を劇にすることに決定です」
いつの間にか、配役まで決まっていて、佳奈は驚いた。どれだけぼんやりとしていたのだろう。自分の名前が黒板に書かれているのに、更に驚いた。
練習の日程を決め終わると同時にチャイムが鳴って、みんなが帰って行く中で、佳奈は呆然と黒板を見つめていた。
「びっくりやわ。佳奈が出演オッケーするなんて」
「ぼーっとして、適当に頷いたんやない?」
彩と里香に言われて、佳奈は素直に肯定する。
「どんな流れで話し合いしてたのかも、わからないんだけど」
「やっぱり!」
里香が天を仰ぐ。
「まず、何しよかって話してたら、小夜ちゃんが持ってた絵本に誰かが気づいて、絵本を小夜ちゃんが朗読してくれたんやけど。それがなかなか面白くて、これにしよーってこれまた誰かが言って」
彩が身振り手振りを加えて説明してくれる。その後を里香が続ける。
「で、配役決める段階で、唯一決まってなかった役を、文化祭委員が佳奈に打診すると……」
「黙って佳奈が頷いて、決定!」
彩が元気な声を出した。
「まあ、主役じゃないからええやん?」
「そうだけど、劇なんて……」
「決まってしまったんやし、やらなあかんよ」
「そうだけどー……」
何度か唸り声をあげて、佳奈はすっと立ち上がった。
「とりあえず、図書館でその絵本、借りてくる!」
鞄を抱きしめるようにして走り出した佳奈に、彩と里香は顔を見合わせて溜息を吐いた。
「うちらと行くって選択肢はないんかな?」
「意外とあの子、周り見えてないからなー」
それもまた、長所だろうと、二人は笑いあった。
*
『申し訳ありません。お探しの本は、蔵書がありません』
図書館の検索機器が、無慈悲にも佳奈に告げたのは、この言葉だった。
司書の一人を捕まえて聞けば、もともと一冊あった本は、最後の利用者が紛失してしまったのだという。絵本自体が絶版となっているため、新しく仕入れることもできないのだと、司書も残念そうにしていた。
「で、うちに来たんだ?」
神社の階段に腰掛けて、小夜が呆れたように佳奈を見た。
途方に暮れた佳奈は、小夜に借りることを思い立った。それから、二都神社の境内でうろうろしていたところを、小夜に見つかって、今に至る。
「でも残念。あの絵本、今は文化祭委員の子が持ってるねん。台本作るのに貸してるから、夏休み終わるまで返ってこんよ?」
「そんなぁ……」
「そもそも、ちゃんと私の朗読聞いてないのが悪いとは思わん?」
「うっ……」
言葉に詰まる佳奈を見て、大きく息を吐いて、小夜が唇を動かす。小夜が紡いだのは、一つの童話だった。
夕焼けに染まる境内で語られる童話は、何故か少しの恐ろしさを孕んでいる。しかし、それは紛れもなく優しい話だった。
「これが、劇にする部分。絵本のわりに文量が多いから、この章だけにしよって話になってるから」
「全部覚えてるの?」
驚く佳奈に、小夜が笑う。
「まあ……朗読かなり練習したから」
「練習……したの?」
「別件で、よ。今日のためやないよ?」
「そうなんだ。あ、ありがとう! どんな役なのかわからなくて不安だったの」
「そ、よかった」
立ち上がって、階段を降りて行く小夜に、佳奈が慌てて声をかける。
「あの! それと、今朝、夢を見たんだけど」
「夢? ……あいつが出て来たの?」
こくりと頷いた佳奈に、小夜は険しい顔をする。
「話してくれるかな?」
再び頷いた佳奈に、小夜は、今度は優しく笑った。
匣の中の物語、後日掲載します。