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こども

 小さな祭壇の前に座って、小夜が深呼吸する。美しい、桜色の唇で、粛々と言葉を紡ぎ始めた。


「かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ つくしのひむかのたちばなのをとのあわぎはらに みそぎはらへたまひしときになりませる はらへどのおおかみたち」


 佳奈と美沙子は、小夜の後ろに控えて、ただ座っているだけだ。圭佑は落ち着き払った様子で、小夜を見守っている。


「なんて言ってるの?」

 

「祝詞だよ。まあ、見てたら?」


「もろもろのまがごと つみ けがれをあらんをば  はらへたまひ きよめたまへともうすことを きこしめせと かしこみかしこみももうす」


 拝礼をして、小夜は懐から三枚の紙を取り出した。それを宙へと投げる。

 人の形に切られた紙だ。ひらひらと、紙が舞う。そのうちの一枚が、まるで意思を持っているかのように、まっすぐに佳奈の胸に飛んで来た。


「え、何?!」


「……動かないで。それが貴方達を守ってくれるから」


 困惑する佳奈に、小夜が凛とした声で言う。

 何から、とは、佳奈は聞かなかった。

 満足げに笑って、小夜は目の前の穴を睨みつけた。


「さて……」


 小夜は祝詞を続ける。

 言葉の力に呼応するように、穴から黒い靄が立ち上り始めた。それは、小さな塊を形作る。塊が、ひとつ、ふたつ、みっつ。

 どんどん数を増やす塊を、佳奈は恐ろしいモノのように感じていた。

 ふと、隣を見ると、美沙子が青白い顔をしている。悲痛な表情だが、恐怖を感じている風ではない。


「美沙子さん?」


「佳奈ちゃん、あれ……赤ん坊や……」


「え?」


 美沙子の言葉に、佳奈は黒い塊に目をやる。よく目を凝らして見れば、確かにそれは、赤子の形をしている。


「臨…兵…闘…者…」


 小夜が、言葉に合わせて、縦と横、交互に腕を振る。


「九字、だよ」


 佳奈が尋ねるよりも先に、圭佑が言った。


「皆…陣…烈…在…前!」


 最後の言葉と同時に、掲げた腕を勢いよく降ろす。すると、黒い靄が霧散した。

 霧散した靄は、小夜の後ろの三人に、荒々しく飛んでいく。だが、小夜の言葉通り、三人の胸の前に浮かぶ人型が、靄を拒んだ。


「こいつ!」


 小夜は、髪留め紐を解いて、それで輪を作り、穴に投げ入れた。霧散したはずの靄が、輪の中に集まって、縛られる。

 それが合図になったのか、三枚の人型が、縛られた黒い靄の周りに集まる。そのまま、輪の周りを廻る。その円が、徐々に狭くなっている。

 そして、最小限の円になった時、靄が掻き消えた。


ーーーおぎゃあ……おぎゃあ……


 その場にいる者の耳に、赤子の泣き声が聞こえた。


「さすが、ひよりさんの式だな……」


 沈黙を破ったのは、圭佑の言葉だった。

 黒い靄の……いや、赤ん坊達の泣き声を聞いてから、皆動けずにいた。


「……どういう……」


 説明を求めた佳奈の言葉を、携帯電話の着信が遮った。小夜が懐を探って、携帯電話を取り出す。


「もしもし。うん、ありがと、ひーちゃん。流石やなー……そう、そっか、よかった。ほんま、ありがとうね。ごめんね、デート中に」


 電話の相手と談笑する小夜を、美沙子が不思議そうに見ている。


「はーい、じゃあ、またね」


 電話を切った小夜が、三人を振り返った。


「質問の前に、片付けしよか」


 その表情は、晴れやかで、美しかった。


 *


 庭を掘り返して見つかったのは、九つの髑髏だった。

 それは、明らかに子供のものだとわかる程、小さかった。


「もともと、この土地で、美沙子さんが体験した物音についての報告はずっとあってんけど……」


 リビングでお茶を飲みながら、圭佑が言った。

 庭の穴は埋めて、祭壇も片付けてある。小夜は普段着に着替えて、先程までの異質な雰囲気はなくなっている。

 圭佑が言うには、美沙子の家の建っている土地は、圭佑の家のものらしく、床下に鼠か猫がいるのではと、歴代の住人から相談が相次いでいた。


「毎回、業者を入れて調査はしてたんやけど、何も出てこなかった。だから、ずっと放ってたんだけど」


 迷惑をかけてすみません、と、圭佑が美沙子に頭を下げる。


「いえ、そんな……」


「今回も、同じ事が起こってるって、小夜から聞いて、いろいろ調べてはみたんやけど」


「あ、だから図書館に二人でいたの?」


 佳奈が思い至ったように言うと、圭佑が頷いた。


「でも、やっぱり何も出てこなかった」


「そこで、私が直接見に来てみたら、今までと違う事が起こっていた。これは、危ないかなって思ってんけど……」


 小夜はお茶を口に含む。


「昨日も言ったけど、私は霊と話せても、祓ったりはできない」


「でも、さっきは……」


 佳奈が疑問を口にする。


「あれは、私じゃないんよ。私の三つ上の従姉妹がね」


 陰陽師なのよ。

 小夜が言うと、美沙子が信じられないとばかりに声をあげた。


「陰陽師って……」


「映画とか漫画みたいやんな。でも、ホンマにすごいねん。遠隔で式を飛ばして、除霊しちゃえるくらい」


 皮肉めいて笑う小夜は、やはり綺麗で、佳奈は見とれてしまう。


「昔は、そんなに力強くなかったのになー。悔しいわ。あ、でも、あの子達を縛ったのは私の力なんやけどね!」


 胸を張る小夜に、美沙子は言いづらそうに口を開いた。


「その……陰陽師さんが祓ってくれたってことは、もう出ないの?」


「うん。あの髑髏は、ただの頭蓋骨になったから。あの子達は可哀想やけど、消されたよ」


「消すって……」


 そんな、と悲壮な顔をする美沙子に、小夜が厳しい目を向ける。


「しゃあないやん? あんな、言葉も知らないような霊に、浄霊は通用せんし。美沙子さんは、あのままがよかった?」


 叱られた子供のように、美沙子は俯く。

 その目に涙が溜まっているのを見て、佳奈は驚いた。


「美沙子さん?」


「でも……あんな、子供やのに……」


「……あのままやと、美沙子さんやお母さんだけじゃなくて、お腹の赤ちゃんも、被害を受けてたと思うけど」


「なんで、それを……!」


 小夜が大仰に溜息を吐くと同時に、美沙子が弾かれたように顔を上げた。その目には、恐れが現れている。


「わかるよ。だって……見えてるから」


「え?」


「美沙子さんのお腹、あったかそうな色で光ってるもん。初めて会った時から、ずっと。お母さんを守る光が、見えてたよ」


 やっと納得できたと、佳奈は胸を撫で下ろした。小夜が何故、美沙子に会いたがっていたのか。佳奈には、小夜の考えがわからず、美沙子に、害をなそうとしているのではと疑っていたが、そうではなかったのだ。


「コーヒーも飲まんしね」


 悪戯が成功した子供のように、小夜が笑った。


「……守って、くれてたの?」


「うん。あの黒い靄たちが、美沙子さんを赤ちゃんごと呼ぼうとしてたのを、ずっと守ってくれてたんやで」


「私は……殺そうとしてたのに……」


「それも、その子はわかってるよ。まぁ、生まれてきたら、忘れてしまうんやろうけど」


 美沙子は、静かに涙を流した。

 お腹の、暖かいところに手を当てて、声を殺して泣いた。


   *


 美沙子の家から引き上げる道で、颯爽と前を歩く小夜の背中に、佳奈は疑問を投げかけた。


「本当の話を、教えて。美沙子さんには言わないから」


 小夜がゆっくりと振り向いて、口角を上げる。


「なんのこと?」


「とぼけたら、藤野さんに嫌われるで」


「あれ? もう嫌われてるんやと思ってたけど?」


 小夜と並んで歩いていた圭佑も、足を止めて佳奈と向かい合っている。


「……そんなこともない、けど。それとこれとは話が別でしょ! 納得いかないの!」


「へえ、何が?」


「なんで、美沙子さんの家で、それが見つかったのか。それから……美沙子さんの時だけ、なんであの子たちが姿を見せたのか」


 それ、と佳奈は圭佑の持つ袋を指差す。

 嗚呼。小夜が声を漏らした。

 色の無い目で、袋を見る。中身は、九つの頭蓋骨だ。神社で供養をするからと、小夜が引き取ったものだ。


「余所者には、話したくないねんけど……」


「余所者って……」


「小夜、口悪くなってる」


「とりあえず、座れるとこに行こか」


 言葉とは反対に、話す気になっている様子で、小夜は微笑んだ。


   *


 公園のベンチに腰掛けて、小夜は長い足を組む。それから、ベンチの空いているスペースを叩いて、佳奈に隣に座るように促した。


「まず、何から話すかやね」


 佳奈が座ると、小夜は逡巡する。


「初めて、私が美沙子さんに会った時の事、覚えてる?」


「うん。私の家に行く途中だったよね」


「そう。その時に、美沙子さんのお腹の光に気がついたんやけど。普通の妊婦さんと、美沙子さんの光は、違ってたんよ」


 普段から、小夜には赤子の光が見えている。普通は、柔らかい光を放つはずのものが、美沙子の場合、鋭い、強い光を放っていた。

 それは、防衛反応のようなものだと、小夜は言った。


「外敵から身を守るための光。だから、美沙子さんの身の回りに、何かが起きてるんやろうって、すぐにわかってん」


 美沙子がこの辺りの住人ならば、その土地は小夜か圭佑の家のものかもしれないと、帳簿を調べてみれば、それは件の土地ではないか。

 何故こうも、この土地で怪異が起こるのか。

 小夜と圭佑は図書館や、実家の蔵を浚ってみた。


「そしたら、出てきたんよ。戦前、あの土地に住んでた人の記録が」


「……」


 佳奈は黙って、続きを促した。


「戦前、あそこには、歳を取った女性が一人で住んでた。その人は、この辺りで唯一の産婆やってん」


「それが、今回のことと何の関係があるの?」


「関係ないかもしれない。関係あるかもしれない。ここからは、想像の話やねんけど……」


 そう前置きして、小夜は話し出した。

 この辺りで子どもを産む者は、皆その産婆に頼るしかなかった。他に子どもを取り上げられる者はいないから、必然的に、全ての子どもは彼女に取り上げられる。

 そうして、何十人ものお産に立ち会えば、中には生まれてすぐに死んでしまう赤子もいただろう。そして……


「こんな子どもも、生まれたやろうね」


 そう言って小夜が持ち上げたのは、一つの髑髏だった。しかし、その髑髏は、他のものとは決定的に違っていた。眼孔が、一つしかないのだ。


「産婆は、死産の子どもや、成長できないであろう子どもを引き取って、庭に埋めた」


 ごくり、と佳奈の喉が鳴った。


「いつもは物音だけの報告だったから、気づかなかったけど。美沙子さんの時は違っていた。きっと、今まであの場所に住んでいたどの住人とも、美沙子さんは違っていた」


「それって……?」


「堕胎しようとしていたから」


「え?!」


「気づかなかったん? まあ、しゃあないか」


 佳奈には全くわからなかった。

 子どもがいるということすら、先程の小夜と美沙子の会話で知ったのだ。


「あの子達は、目の前で殺されようとしている、美沙子さんの赤ちゃんのために、行動を起こしただけ。それが……まさか赤ちゃんごと弱らせているなんて、思いもせずに」


「……美沙子さん、どうして……」


「それは、美沙子さんにも都合があるんやろうけど。そこまではわからんよ」


 小夜が、桃色の頬を膨らませる。


「でも、この話を美沙子さんにすれば、美沙子さんは責任感じるやろうから、言わんかったんよ?」


 おそらく、美沙子はあの子達を消さなければならなかった理由を話せば、決断しかねない。子どもを産む決断を。

 しかし、産むと決める理由が、あの子達のためであってはならないのだ。

 それは、美沙子と、お腹の子どものためでないといけない。


「納得できた?」


「まあ……でも、あと一つ」


 小夜は首を傾げる。


「それで、小夜ちゃんは、何を得したの?」


「ん?」


「今回の事で、普段、仕事として巫女をしている小夜ちゃんは、どんな得をしたの?」


 にやり、と小夜が笑った。

 答えたのは圭佑だ。


「うちから、報酬が出るんや」


「やっぱり! なんの得も無いのに、小夜ちゃんが動くわけないよね」


「おい、小夜、お前の株が藤野さんの中ですごい事になってるぞ」


「まあ、それもしゃあないよ。さて、私も佳奈に聞きたい事があるんやけど」


 居住まいを正して、小夜が佳奈を見つめる。


「佳奈の夢に、なんで、暁が出てくるの?」


 答えられない問いに、佳奈は困ったように眉尻を下げた。

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