夢の少年
佳奈と美沙子が風呂から上がってリビングに戻ると、そこには珈琲を飲んで寛ぐ小夜の姿があった。
「あ、美沙子さん、珈琲いただいてます」
「うん、どうぞ。よかったら佳奈ちゃんも飲んでね」
そう言われて、佳奈は適当なマグカップを出して来て、コーヒーメーカーから自分の分を注ごうとする。
「あ、待って……」
美沙子が制するように言って、他のカップを出してきた。
「それ、わたしのやから」
そう言って、佳奈が持っていたカップを受け取ると、大事そうに食器棚に戻した。それから、代わりのカップに珈琲を注いで、佳奈に手渡してくれる。
「……あれ?」
「どうしたん?」
ふと首を傾げた佳奈に、美沙子が尋ねる。
「あの黒いのは?」
そこでようやく、美沙子も思い出したかのようにキッチンを振り返った。
「ああ、片付けたよ」
さらりと言った小夜に、二人の視線が集まる。彼女はしばらく優雅に珈琲を飲んでいたが、視線に耐え兼ねて一つ息を吐いた。
「いつまでもあんなの見ときたかった?」
佳奈が首を振ると、小夜は満足げに頷いた。
「せやろ? だから、片付けといてん」
「片付けるって……」
「ちょっと虐めて、追い出しただけやから、また来ると思うけど」
今度は美沙子が首を傾げる。
「また、来るん……?」
「うーん。だって、原因までは取り除いてないから。浄霊できてないし」
「原因?」
「霊魂が集まるってことは、その場所に何かがあるか、その人に何かがあるんよね。わたしは除霊苦手やから、無理矢理祓ったりできひんし」
やはりあれは幽霊とかの類の物なのかと、美沙子が顔を顰めた。
「浄霊とか除霊って……?」
佳奈がわからないと言うように小夜を見つめると、彼女は苦笑する。
「霊を祓うのには、大きく分けて二通りの方法があるねん。一つは、浄霊。霊を説得して、穏便に成仏してもらう方法。なんでこの世に留まっているのかを突き止めて、納得して成仏するように仕向ける。もう一つは、除霊。これは、力技で霊を祓う方法。霊魂ごと消してしまうから、成仏することはないねん」
小夜は一つ、大きな溜息を吐いた。
「少し虐めたり、牽制するくらいならできるねんけど……わたしは力が弱いみたいで、浄霊専門やねん」
「そうなんだ。じゃあ、どうして美沙子さんの家に、あんなのが現れたのかを突き止めないといけないんだね」
「そうゆうこと。美沙子さん、なんか心当たりない?」
それまで大人しく小夜の話を聞いていた美沙子だが、話を振られて慌てたように首を振った。
「まぁ、そうやんな。場所に憑いてるパターンやと思うんやけど……」
「それ、違うと思うねん。ここに引っ越してきた時には、物音がすることはなかったし、この家自体、更地に戻してから建てたばっかりやし」
不安そうに、美沙子は周りを見た。
「あんなにはっきり見えたのも、今日が初めてやし……」
「そっか。ところで、美沙子さん、珈琲お代わりもらっても?」
頷きながら、美沙子は小夜のカップを奪って、珈琲のお代わりを淹れる。
その様子を見つめながら、小夜が確かめるように口を開いた。
「美沙子さんは、飲まへんの?」
「え? ああ……うん。夜だし……」
「えー! せっかく女の子三人でお泊まりやのに? 夜更かしせんの?」
小夜が抗議すると、美沙子が困ったように佳奈を見た。だが、佳奈も小夜と同じような顔をしている。
「佳奈ちゃん……?」
「私、友達の家に泊まったこと、あんまりないんですよね……」
「……わかった。でも、珈琲はあまり飲めないから、紅茶にしとく」
観念したように首を振って、食器棚から紅茶用の茶器を出してきて、美沙子はお茶を淹れる準備をする。
その姿を見ながら、小夜が美しい顔を険しく歪めるのを、佳奈は見逃さなかった。
*
真夜中。佳奈は目を覚ました。
夜更かしをして、小夜と美沙子と話していたのだが、いつの間にか眠ってしまったようだ。起き上がって周りを見ると、二人が布団に包まって眠っているのが見えた。
立ち上がって、廊下に出る。
(真っ暗だ……)
廊下は暗く、果てのない闇のようだった。
佳奈は、惹かれるように階段を降りて、庭に出た。
「危ないよ」
「……小夜ちゃんも起きたの?」
不意に、制止する声が聞こえて、佳奈は振り返った。小夜だと思った。
そこにいたのは、いつか夢で見た男の子だった。学ランを来た、美少年は、庭へと続く大きな窓に腰掛けて、こちらを見ている。
「え……?」
どこから入ったのだと言おうとしたが、佳奈は首を振った。これは、夢なのだろう。
「おいでよ」
自分の隣に座るように、少年は床を叩く。
佳奈は、それに従うことにした。
「あそこ、見える?」
佳奈が隣に座ると、少年は庭に据えているパラソルの辺りを指差した。
そこには、白い光が集まっていた。
「……綺麗、ですね」
「あれは、鬼火だ」
「鬼火?」
「そう。あそこにーーー……」
少年が何かを言っている。
しかし、佳奈には上手く聞き取ることが出来ない。
「え? なんて言ってるの?」
「ーーー……」
少年は、少し悲しそうに笑った。
*
「佳奈っ!」
大きく揺り起こされて、佳奈は、はっと目を覚ました。目の前に、美しい少女の顔が迫っていた。
「……よかった、起きた」
「小夜ちゃん、私……」
状況が飲み込めずにいると、美沙子が心配そうな顔をして、声をかけた。
「佳奈ちゃん、ぐったりして……声かけても起きひんし……」
「私……夢を……」
佳奈は起き上がって、額を拭った。
寝間着が汗でぐっしょりと濡れている。
「夢?」
小夜が、不満げに顔を歪めた。
「うん。学ランの男の子と、話してたんだけど……」
「学ラン?」
「そうなの。小夜ちゃんそっくりの、イケメン」
変な夢よね、と佳奈が笑うのとは反対に、小夜は拳を震わせている。
「……あいつ! わたしにはちっとも姿見せないくせに! 何、佳奈を危ない目に会わせてんの?!」
「え?」
「佳奈、あんた、霊魂だけで家の中歩いてたんよ!」
「えぇ?!」
「幽体離脱! すっごい危ないねんけど! それを……あいつ!」
ひどく無茶な事をしていたのだろう。小夜がとても怒っている。それは、佳奈だけでなく、美沙子にもわかった。
しかし。
「あいつ……って?」
「うちの馬鹿兄貴!」
「え……えぇ?!」
思いもよらない小夜の返答に、佳奈は驚くしかなかった。
夢は、夢ではなかったらしい。
多くは語らないが、小夜の様子から、佳奈にはあの夢が意味のあるものだとわかった。不思議と怖くはなかったが、危険なことをしたのだろう。
小夜の機嫌は、昼を過ぎても治らなかった。
「で、あいつ、なんて?」
「え、うん。あの……庭の、パラソルのところが光ってて、鬼火で……」
小夜の眼力に、佳奈はしどろもどろになりながら、夢で見た光景を説明した。
「なるほどね。しかし、それは……うーん」
難しい顔をしている小夜を、佳奈ははらはらとしながら見ていた。そんな二人に、美沙子がお茶を出してくれる。
「庭、掘り起こしてみる?」
「いいんですか?」
「うーん、あんまり、よくはないけど。それで、変な事起こらなくなるなら、いいかな」
小夜は、更に難しい顔をする。
少し考えてから、携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけだした。
「あ、ひーちゃん? 久しぶりー。あのさ、ちょっと頼みたいねんけど……」
話しながら、廊下に出ていってしまった小夜に、佳奈と美沙子の視線が集まる。
それからしばらくして、部屋に戻ってきながら、小夜は更にどこかに電話をかける。
「今日ひまー?」
*
夕方、美沙子の家に、圭佑がやって来た。
日焼けした肌によく似合う、黒いタンクトップ姿で、肩にシャベルを担いで、首にはタオルを掛けている。
「ほんま、人使い荒いよな、お前」
「報酬に釣られて来たくせに……」
「報酬?」
佳奈が尋ねると、圭佑は慌てたように手を振った。
「なんでもない、こっちの話!」
「いいやん。デートするからって言われて来たって、言えばいいやん」
「なっ……お前なぁ!」
ああ、と佳奈は頷いた。
確かに、これは意地悪したくなるだろうな、とここにはいない友人を思い浮かべる。
「さて、そろそろ始めよか」
ぱんっ、と小夜が手を叩く。
圭佑が諦めたように首を振って、パラソルとデッキチェアを除けた庭先に進んで行く。
「小夜ちゃん……何が出てくるのか、知ってるの?」
「さあ。まあ、大方予想はつくけど」
圭佑が庭を掘る姿を見ながら、美沙子が不安げに小夜に尋ねる。小夜は曖昧に笑って答えると、踵を返して美沙子の部屋に上がって行った。
「準備があるんだろ」
更に不安そうにしている美沙子に、圭佑は地面にシャベルを突き刺しながら言った。
しばらく黙々と庭を掘り返していた圭佑が、険しい顔で地面を睨む。
「ああ、やっぱりなぁ……」
そう言って、圭佑の隣から地面を覗き込んだのは、巫女装束に身を包んだ小夜だった。髪を、珠の着いた綺麗な紐で纏めている。
腰に手を当てて、大きな溜息を吐いた。
「圭佑、祭壇用意して」
「それ、俺にさせる?」
圭佑が土で汚れた手のひらを差し出す。
小夜はそれを見ると、苦笑して、佳奈に振り返った。