夜の学校
書きたいネタを詰め込みすぎてしまいました。
携帯電話のアラームがけたたましく鳴っている。
佳奈は苦しげに目を開けて、音の鳴っているあたりに手を伸ばした。なかなか見つからない。
「あー、もう……」
諦めて起き上がると、携帯電話はすぐに見つかった。液晶には、午後14時の文字。
「……何時から鳴ってたんだろ」
確か、セットしたのは10時頃だったはずだ。
軽く身支度を整えて、リビングに降りてみると、祖母の姿がない。
定年退職後も、やることがないからと駅前の駐輪場に働きに出ている祖父がいないのはいつものことだが、祖母がいないことはあまりない。
ふと食卓の上に目をやると、メモ書きが置いてある。
『お友達とランチにいっています。お昼は冷蔵庫にそうめんが入っています。今日は観測会でしたね。気をつけて』
「観測会……あーっ!」
佳奈は慌てて壁時計を見上げた。
集合時間は15時半。
佳奈の叫び声に、モロがうるさそうに唸った。
*
佳奈が階段を駆け上がっていると、目の前に長身の男子生徒の後ろ姿が見えた。
「あ、十和田くんっ」
思わず声をかけると、彼はゆっくりと振り向いて、困ったように笑った。
「あ、藤野さん来た。よかったー」
十和田圭佑は、天文部の部長だ。佳奈と同じ学年で、クラスは違うが、人見知りな佳奈が話しかけられる数少ない男子生徒の一人だ。
立ち止まった圭佑に追いついて、一緒に階段を登る。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
「いーよ。言うても、まだ俺と小夜しか来てないし」
「そうなの?」
時刻は15時半。集合時間はとっくに過ぎている。
「あいつら時間にルーズやからなー。だから早めに設定してんけど、やっぱりみんな遅れるってメール来たわ」
「あ、メール……その手があった」
あいつらとは、後輩たちのことだろう。
みんな圭佑にメールで遅刻の旨を伝えているのだろう。連絡なしで遅れて来た佳奈は、少し居心地の悪いような気分になった。
「だから、いーよって。どうせ時間通りに集まっても、やることはなかったんやし。泊まりに使わしてもらう部屋掃除したり、夕飯の準備するだけやしな」
「そうなんだ。でも、ごめんね」
改めて佳奈が謝ると、圭佑は頷いた。
「でも、よかったなぁ。参加できて」
「あ、うん。折口……小夜ちゃんのおかげ」
ああ、と圭佑が笑った。
「あいつ、世話焼きなとこあるからな」
「小夜ちゃん、もう来てるんだよね?」
「ん。調理室におるよ。カレーに入れる野菜切ってる」
「荷物置いたら、手伝いに行くね」
泊まりに使うのは、三階のレクリエーションルームだ。天文台のある屋上は、専用の階段からしか上がれないのだが、レクリエーションルームはその階段の隣にある。
「藤野さん料理できるん?」
「カレーなら作れるよ。おばあちゃんのお手伝いしてるし」
「なら安心やなー。小夜は料理下手やからな」
佳奈はちょっと首を傾げて、圭佑を見る。
「そうなの?」
「そうなの。見た目は完璧やねんけど、味がなー……なんつーか、甘いねん。何を作っても甘い。どうやったらそうなるねんってくらい。豚キムさえも甘くなるねん」
熱弁する圭佑を見て、佳奈は思わず笑ってしまった。
「仲良いんだね」
圭佑と小夜は、仲が良いことで有名だ。
圭佑は長身でアイドル顔な上、好青年という感じなので、女子からの人気がある。天文部という、およそ活発とは言えない部活の部長をしていながら、クラスでは、良く言うとやんちゃと評されるグループに入っているようだ。
その上、小夜はあの通り美少女だ。その二人が仲が良いということは、周りにはある種の誤解を生んでいたりもする。
「さすが、公認カップルだね」
そして、転校生である佳奈が、その誤解を間に受けているのも仕方がないことでもある。
「あー、ちゃうから。俺と小夜はそんなんじゃなくて……まぁ、あれ。ただの幼馴染……」
少し残念そうに笑って、圭佑は顔の前で手を振った。
「そうなの? でも……」
「噂って怖いな。あ、でも、俺は小夜に惚れてるで」
「えぇ?!」
「ここだけの話な。これ、みんなには内緒やで」
圭佑は人差し指を立ててニッと笑う。
気づくと、レクリエーションルームの前についていた。佳奈は荷物を部屋の隅に置いて、圭佑を振り返った。
「……ほんとに付き合ってないの?」
「うーん……何度か話はしてんねんけど。まぁ、小夜は今それどころやないし、俺は、暁の代わりやから」
「暁?」
佳奈が首を傾げると、圭佑がはっとしたように口元を押さえて、苦い顔をした。
「あー……聞かんかったことにして。たぶん、勝手に話したらあかんやろうし」
「う、うん」
「こんな話してる間に、小夜が激甘カレー作ってまうわ。藤野さん、せめて食べれるカレーにしてきて」
おどけたように言う圭佑に、曖昧に笑って、佳奈は調理室へと向かった。
*
部員が全員集まって、夕食も済ませた後、いよいよ屋上で観測会が始まった。
部員たちはみんな、屋上にレジャーシートを敷いて仰向けに寝ている。長時間空を見つめるのには、横になった方が楽だと、圭佑が言ったからだった。
星に関する知識の乏しい佳奈は、下級生に混じって顧問の先生の講義を聞きいていた。小夜と圭佑は、望遠鏡のセッティングのため、ドームの中だ。先生の話が終わると、みんな思い思いに星を見たり、写真を撮り始めた。
「佳奈さん」
小声で、佳奈の隣で寝転んでいた女の子が、声をかけてきた。
「ん?」
「小夜さんと圭佑先輩って、やっぱり付き合ってるんですか?」
「え?」
「実は、麻美が圭佑先輩のこと……」
「やだ、優子!」
聞こえていたのか、少し離れたところから、恥ずかしそうな声があがった。
(なるほど……)
佳奈は納得したように頷いた。
「いいやん、別に。で、どうなんですか?」
優子は少し麻美を睨みつけてから、再び佳奈に向き直った。圭佑のことを好きなのは、麻美だけではないのだろう。気がつくと、周りの女の子達が耳をそばだたせている。
「いや、そうゆうのは本人に聞いた方がいいんじゃないかな?」
「聞けないから、佳奈さんに聞いてるんですよー」
今度は、麻美が佳奈に詰め寄った。
佳奈は少し迷ったが、正直に聞いたことをそのまま伝えることにした。
「そんなんじゃないみたいだよ。ただの幼馴染って言ってた」
「そうなんですかー。よかったー」
麻美がほっとしたように笑った。
その隣で、優子が険しい顔をしている。
「でも、言ってたってことは、本人に聞いたってことですよね? まさか、佳奈さんも……」
「いや、違うから」
慌てて佳奈が答えると、優子が可笑しそうに笑った。
「あ、佳奈さんがつっこんだ!」
「ほんまや!」
そんな話をしていると、ドームから圭佑が顔を覗かせて、声を張り上げた。
「お喋りもいいけど、望遠鏡の準備できたでー」
途端に、黄色い声がいくつもあがったのが可笑しくて、佳奈はくすりと笑った。
*
観測会を終えて、天文部の面々は、布団をに包まりながら、ペンライトを一つずつ持って話をしていた。だか、明かりがともされているものは二つだけだ。
レクリエーションルームで布団を敷いて、部長である圭佑が電気を消した後、誰かが怪談を話そうと言い始めたのがきっかけだった。
「でね、その子が勢いよく扉を開けたら……」
誰かが、ごくりと喉を鳴らした。
話していた子は、その音を聞いてから話を続けた。
「女の子の姿はなかったんだって。ほっとしてその場を離れようとしたら、耳元で……帰さないよ……って」
いやーっ、と、誰かが叫んだ。
「はい、わたしの話はお終い」
そう言って、話していた子はペンライトを消した。
怪談を一つ話して、ペンライトを一つ消す。
そう言い出したのは、圭佑だった。百物語の蝋燭の要領だと言って、人数分のペンライトを出してきたのだが、恐らく最初からそのつもりで用意してきたのだろう。
「じゃあ、最後は小夜か……」
「あんまりこうゆうの、好きじゃないんやけど」
圭佑に言われて、そう前置きしてから、小夜は話し始めた。
「これは、私がこの学校に入学してすぐに体験した話しなんやけど」
小夜が眈々と話し出すと、先程の話でざわついていたその場が、しんと静まり返った。
「この学校って、立候補とかじゃなくて、先生が委員長を決めるやん?それで、私は前期の委員長になってしまったんよね」
しかも、入学してすぐだったので、任される仕事は山ほどあった。
その日も、小夜は出席表を書くために、放課後の教室に一人で残っていた。この学校はアナログなところがあり、座席表や出席表は今時珍しく、指定のフォーマットに手書きで生徒の名前を書いていく。それを前期の半年分、一人で書いていたので、思いのほか時間がかかっていた。
窓から差し込む光は、赤い色に変わっていて、グラウンドからは、部活見学に勤しむ生徒の声が聞こえていた。小夜は集中するため、教室のドアも窓も閉めていたが、さすがに運動部員の声は大きい。
やっとの思いで出席表を書き上げて、小夜が荷物をまとめるため、足元に置いていた鞄に手を伸ばした時だった。
ガラッと、教室のドアが開く音がした。
誰かが忘れ物を取りにきたのだろうか。だが、小夜が顔をあげても、教室には誰もいない。
「隣の教室のドアやったんかなって、その時は気にしてなかったんやけど……」
荷物を持って、完成した出席表を職員室に持って行こうと、席を立った時に気づいた。
教室の前方のドアが開いている。
この学校の教室には、廊下をに面してドアが前後に一つずつある。その前方のドアが開いているのだ。廊下を通る生徒の声がうるさくて、閉めたはずのドアだ。立て付けが悪くて自然と開いたのかと思ったが、そんなはずはなかった。
「学校の教室のドアが、立て付け悪いはずないやん? 普段の授業中でも、勝手に開かんし」
こんなこともあるかと、小夜は開いているドアに近づいた。すると、またガラッという音がした。
目の前のドアに変化はない。
恐る恐る後方のドアを見た。
開いている。
誰かの悪戯かと思って、急いで廊下に飛び出したが、人の姿はなかった。
「気味悪くなって、職員室に走って行ったんよ」
職員室の前に着いて、少し息を整えてから、ドアに手を伸ばした瞬間、ドアが勝手に開いた。小夜の手は宙を掻いた。
開いたドアの内側には、誰の姿もなかった。
誰かが中から開けたというわけでもない。
「教室から、着いてきてたんやろうね」
そう言って、小夜はペンライトを消した。
水を打ったような静けさが、レクリエーションルームを包んだ。
小夜の話は、他の部員達の話とは雰囲気が異なっていた。
はっきりとした幽霊像があるわけでもなく、誰かから聞いたという類の話でもない。妙にリアリティーのある、この学校で小夜が体験した話だ。
突然、真っ暗になった部屋のドアが、ガラッという音を立てて開いた。明かりの着いた廊下に、人影がある。逆光で黒く塗りつぶされた人影だ。
弾かれたように、女の子達が悲鳴を上げた。
「なんや、えらい声出して……」
そこにいたのは、顧問の先生だった。
「先生かー」
「驚かせないでくださいよー」
「勝手に驚いてるんやろ」
ブーイングを浴びせる部員達に、顧問の先生は困ったような顔をした。その様子を見て、くすくすと笑う小夜を見つけて、佳奈は首を傾げた。
「先生、タイミングばっちし」
「小夜ちゃん、まさか……」
佳奈が咎めるように小夜を見ると、彼女は肩をすくめた 。
「先生来るの知ってたし」
「ほんと、性格悪いよね、小夜ちゃんって」
「お茶目と言ってくれへんかなー」
まったく、と言って膨れる佳奈に、小夜はそっと耳打ちする。
―――でもな、この話の中に、嘘はないよ……
はっとして小夜を見つめる佳奈に、黒髪の美少女が妖艶に笑った。