二都神社の娘
「藤野さん、観測会のことなんやけど」
期末試験も終わり、終業式を迎えていた。
その帰り際、机の荷物をまとめていると小夜が声をかけてきた。
きたか、と佳奈は構えた。
小夜が申し訳なさそうな顔をしている。申し訳ないのはこちらの方なのに、と佳奈は俯いてしまった。
「ご両親から、許可いただけなかったんかな?」
「いえ……あの、私、両親がいなくて。祖父母と暮らしてるんだけど、古い人だから」
なるほど、と小夜は納得したように頷く。
「お話してないんやね。それはあかんな、藤野さん。ちゃんと話さな、わからへんよ」
「うーん、なんか、目に見えちゃってるような……」
煮え切らない佳奈を見て、小夜は少し首を傾げた。
「……今日、藤野さんの家に行ってもええ?」
「えぇ?!」
「私からもお願いしてみるから。行けないのと、行かないのは違うやん?」
そうだけど、と口ごもる佳奈に、小夜は嗜めるように笑う。
「ほら、善は急げ。帰るよ」
踵を返して教室を出て行く小夜を、鞄を抱えるようにして、佳奈は追いかける。
少し振り向くと、彩と里香が「がんばー」と声を出さずに笑っていた。
*
「藤野さんの家って、この辺なんや……」
住宅地の中を歩きながら、小夜が呟いた。
「う、うん。ごめんね、わざわざ」
わざわざ来てもらったのに、観測会に参加できなくてごめんね、というつもりで口を開いた佳奈だが、緊張しすぎて半分も言葉がでなかった。
小夜はふんわりと笑って、首を降った。
「わたしの家も、この辺やから」
「え! そうなの?」
「うん。二都神社、わかる? そこがわたしの家」
二都神社は、いつも佳奈が愛犬モロの散歩の時に行く神社だ。通学路の団地とは反対方向に、住宅地を出たところにある。
「知らなかった……」
「わたし、帰るのいつも遅いからね」
確かに、小夜は部活が終わってもなかなか帰らない。副部長ということもあって、後片付けや顧問の先生への報告等、様々な仕事をしてから帰っているようなのだ。反対に、佳奈は帰るのが早い。同じ三年生の部員が、部長と副部長だけなので、下級生と一緒に下校するのが常だ。
なるほど、次からは一緒に帰ろうか、と佳奈は頷いた。
ふと小夜の足が止まった。前を見据えて、険しく眉を顰めている。小夜の視線を辿ると、美沙子が歩いてくるのが見えた。
「あ、美沙子さん」
美沙子は小夜の姿を見て、ちょっと首を傾げた。
「佳奈ちゃん。……お友達?」
「え、えっと……」
友達という単語を肯定していいものかと、佳奈が口ごもっていると、隣で小夜が頷いた。つい先程まで険しい顔をしていたはずだが、今はいつも通り、綺麗な顔で微笑んでいる。
「はい。折口小夜です。佳奈さんとは同じクラスで、同じ部活なんです」
「そうなんや。長谷部美沙子です。佳奈ちゃんとは犬友達させてもらってます」
「犬、ですか」
「うん。うちはピンシャー飼ってるんよ。佳奈ちゃんとこはヨーキー」
「そうなんですね。今日はわんちゃん連れてないんですね」
少し残念そうに、小夜が眉尻を下げた。
そんな姿すら美しいことに、佳奈は驚いた。
「ああ、今日はもうお散歩終わっちゃってん」
「え、もうですか?!」
美沙子の言葉に、佳奈は声をあげた。
「うん。ちょっと用事でね、今から難波まで出るねん」
「そうなんだ……じゃあ、また明日、お散歩で会いましょう」
「そうやね。そしたら、また明日」
軽く手を上げて、美沙子は佳奈達とすれ違って行った。その後ろ姿を見つめながら、小夜が小さな声で「今の人……」と呟いたので、佳奈は怪訝そうに彼女を見た。
「なんでもない。さ、行こか」
小夜は相変わらず、美しく笑っていた。
*
小夜を連れて帰ると、祖母は驚いたように目を見開いていたが、すぐに冷たい麦茶を用意してくれた。
「今度、うちの天文部で学校に泊まり込みで観測会をするという企画があるのですが、佳奈さんがまだ申し込みの用紙を提出されていないのですが……」
小夜がお茶を受け取りながら言うと、祖母はまた驚いたように目を見開いた。
「そうなん? 佳奈、なんにも言ってなかったやん」
「うん……なんか、言い出しにくくて」
祖母は何か言いかけたが、すぐに口を噤んで、小夜から渡された同意書にサインをした。
「次からは、ちゃんと言いや」
「わかった。ありがとう」
それから、祖母と小夜が談笑を始めたので、佳奈は着替えるために自室に上がっていった。
「小夜ちゃん、ありがとうね。佳奈、なんでかうちらに遠慮してるみたいで、あんまり学校のこととか話してくれへんし」
「いえ、数少ない同級生の部員なので、観測会に参加してもらわないと、わたしが寂しいんです」
「そうなん?」
「はい。うちの天文部は設備も整っているし、歴史もあるんで人気の部活なんですけど。うちの学年だけ、すごく人数が少なくて、佳奈さんとわたしと、部長の三人だけなんです」
「そうなんや。そんな話も、聞いたことないねんよ。……佳奈、クラスではどんな感じ?」
「そうですね……わたしはクラスで佳奈さんとは違うグループなのですが」
前置きしてから、小夜はお茶を一口飲んだ。
「クラスでも目立つ、明るい子達といつも一緒にいますね。三年生になった時から、知り合ったみたいなんですけど、とても楽しそうですよ」
そう、と祖母は安心したように笑った。
タイミング良く、佳奈が着替えをすませて降りて来て、小夜を送って行くことになった。近所だからと辞退する小夜に、佳奈はモロの散歩のついでだと食い下がった。
「折口さん、今日はありがとう」
半ばモロに引っ張られるように歩きながら、佳奈は小夜に頭を下げた。
「別にええよ。ところで、今日わたしは何度か藤野さんのことを佳奈さんって呼んでたんやけど……」
え、と首を傾げた佳奈に、小夜は笑いかけた。
「苗字で呼ぶの、長ったらしいから、これから名前で呼んでもええ?」
「う、うん! もちろん!」
「じゃあ、佳奈もわたしのこと名前で呼んでな」
う、と佳奈は赤くなって俯いた。
「それは……」
「呼んでくれないん?」
悲しそうに小夜は目を伏せた。
(くそう、こんな顔まで綺麗だなんて反則だよ)
何度か唸った後、佳奈は小さな声を出した。
「小夜……ちゃん」
「はい。よくできました」
ぱっと笑った小夜を見て、佳奈は眉を寄せた。
「小夜ちゃんって……もしかして……」
「ん?」
「性格、悪い?」
小夜は少し驚いてから、ふっと笑みをこぼした。
「そうやで。知らんかった?」
「うそ! イメージが……」
「勝手にイメージ作らんといてよ。あ、じゃあうちここやかな、また観測会の日に」
いつの間にか二都神社の前に着いていたようで、小夜はモロを一つ撫でて、神社の石段を上がっていった。
軽快に階段を昇る後ろ姿は、やはり美しかった。
散歩から帰ると、リビングでテレビを観ていた祖母が、佳奈におかえりと声をかけた。
「なんやろ、小夜ちゃんって、佳奈のクラスメイトやのに、担任の先生が家庭訪問に来たみたいやわ」
「え、なんで?」
「落ち着いてて、ええお嬢さんやし。二都神社の娘さんなんよね? 流石は地の人やわ」
「地の人?」
聞き慣れない言葉だったので、思わず聞き返した。
「ああ、土地の人って意味やで。代々この辺りに住んでる、古い家系の人。あそこの神社は、産土神社で、ずいぶん歴史があるらしいねんけど……」
「へえ、知らなかった」
「さ、そろそろご飯にしよか」
初めて聞いた言葉に、佳奈が興味深そうに目を輝かせた瞬間、祖母が立ち上がった。
「え、もう話し終わりなの?」
「うちらも外から来てるから、よくわからんよ。この辺に住んで三十年くらいやけど……」
「そうなんだ」
「まあ、興味があるなら、公民館とか、その横の歴史館にでも行き。図書館と同じとこにあるから、近いやろ」
自宅から歩いて十分ほどのところに、図書館があるのを思い出して、佳奈は頷いた。
明日から夏休みだ。
時間は充分にある。
劇中に言葉だけ出てくる「難波」は大阪の繁華街です。ミナミって言葉は馴染みがあるんでしょうが、わかりにくいかもしれませんね。私自身、大阪在住なので舞台を大阪にしてみました。