悪霊
「美咲さんが消えたやって?」
真夜中、小坂が小夜たちの部屋をノックした。狼狽えた様子で、青い顔をしている彼に、小夜が冷静な声色で話を聞き出す。
「はい。外出された形跡もありませんし……」
「どうしてわかるんですか?」
「神隠しが起こるようになってから、旦那様が出入り口全てに監視カメラを設置しているんです。そのどれも、美咲様の姿を捉えておりません」
小夜が難しい顔をする。
「だから言ったのに。美咲さん、最後に居たのはどこですか?」
「自室でお休みされていたかと……」
小坂の案内で、美咲の部屋に向かう途中、宏樹に出会った。姉がいなくなったというのに、嫌に落ち着き払った様子だ。
「姉さんが消えたって?」
「はい……」
「だから、ここに来ちゃいけないって言ったんだけどね。由貴に消されるぞって」
「え?」
宏樹が、思わぬ言葉を発したので、佳奈は声を漏らしてしまった。宏樹は肩を竦めて、苦笑する。
「僕は部屋に戻ってるよ。お嬢さん達が、なんとかしてくれるんだろ?」
「そのつもりです」
小夜が答えると、宏樹は嫌味な笑みを浮かべて通り過ぎて行った。
「今の、どういう……?」
「さあね」
途中で圭佑を拾って、美咲の部屋に向かった。圭佑は何故か、大きな鞄を持ってきた。
部屋の前は使用人達でごった返していた。小坂が使用人達を散らして、部屋の中へ三人を招き入れた。
「う……」
異様な臭いが、鼻をつく。思わず顔を顰めた佳奈に、小坂が苦笑する。
「なんの臭いですか?」
「わかりません」
まるで、何かが腐ったような臭いだ。
小夜と圭佑は、眉一つ動かさずに平然としているが、佳奈にはとても耐えれそうになく、部屋の外に出る。小坂も後に続く。
扉は開けたままにしているので、臭いはするが、幾分ましだ。
「圭佑、臭いの元、わかる?」
「任せろ」
圭佑は鞄から、手の平よりも少し大きめの機械を出して、部屋中を歩き回る。機械のディスプレイを見つめては、何かをメモする。
小夜は、部屋に据えられたベッドに近づいた。シーツには、皺が寄っている。小夜たちの部屋のベッドと同じ素材のシーツだ。部屋に通された時には、きちんとメイクされていて、皺一つなかった。小夜はシーツに触れて、眉を寄せた。
「佳奈、これ、触ってみて」
「うー……はいはい」
佳奈は部屋に入るのを躊躇ったが、すぐに気を取り直してベッドのそばに行き、シーツを触ってみた。氷に触れているかのように、冷たい。
「……これって、霊障?」
「やろうな。圭佑、どう?」
小夜が振り返って、圭佑に尋ねた。
圭佑は、壁に向かって立っている。
「ここが一番臭いがきついみたいやけど……」
「……まさか、ここまで……」
小夜が不安そうに顔を歪めた。
「え、どうゆうこと?」
「美咲さんは、この屋敷の霊に攫われた。シーツが冷たいのは、霊が関与しているから。腐臭は、おそらく霊のものだけど……壁の中に、人を連れ込めるなんて、ただの霊じゃない」
「それって……」
「どうやら今回は、悪霊に当たってしまったらしいわ」
そこで、佳奈は気がついた。小夜はこれまで、霊の事を、悪霊と表現した事がなかった。それは、今まで佳奈が見てきたものが、悪霊ではなかったという事だ。
「手強いって話?」
「かなり手強いって話。これはさっそく、ひーちゃん呼ばなあかんかなぁ」
小夜は携帯電話を取り出して、メールを打ち始めた。すぐに返事が来たようで、小夜が安堵の表情を浮かべる。
「明日、朝一で夏乃さんと来てくれるって。それまでは……」
小夜が綺麗な笑みを浮かべる。
「攫われた人が、隠されている場所を探しましょ」
徹夜だなー、と圭佑が溜息をついた。
*
場所を食堂に移して、小夜は小坂に話を聞いている。圭佑は、屋敷を調べると言い残して、鞄を持ったままどこかに行ってしまった。
「この屋敷は、明治に建てられたと聞いています。初めは、取引先の方の宿泊施設だったとか」
「はい。ああ、でも、この屋敷は、他のところから移して来たものなんです。幕末の、横浜から……」
「横浜……それじゃあ、もともとは外国人商人のものだった、とか?」
「そのとおりでございます」
「そうですか。……宏樹さんが、先程言っていた事は?」
小坂が、言いづらそうに口籠った。
それから、小さく首を振った。
「宏樹様と東江さんは、恋仲でした」
「ええ?!」
思いの外大きな声が出て、佳奈は慌てて口を抑えた。小坂が、悲しそうに笑う。
「坊ちゃんは、もともとあんなに軽妙な方ではないのです。東江さんが消えてから、あのような振る舞いをなさるようになりました」
「それが、神隠しとなんの関係があるんですか?」
「坊ちゃんは、東江さんが消えたのは、美咲様の所為だと思ってらっしゃいます。むしろ……」
小夜が頷いて、小坂の言葉の続きを促した。
「美咲様が、東江さんを隠したのではないかと」
「それって……」
佳奈が考えあぐねていると、食堂の扉が開いた。
「小坂、もっとはっきり言ってあげれば? 姉さんが、由貴を殺したって」
「坊ちゃん……」
「俺はそう思ってるけどね」
宏樹は空いている椅子に腰掛けて、足を組む。
「神隠しは、殺された由貴が起こしてるんだ」
「物騒な話ですね」
小夜が宏樹を見据える。
「でも、根拠が薄い」
「根拠ならある。姉さんが由貴を責めていたというのは、使用人も見ていた。この屋敷で消えるのは、20代の女性ばかりだ。由貴が消えた時、彼女はまだ18だった。それから……」
宏樹が、ふと小坂に視線を移す。
「喉が乾いたな。小坂、何か持って来て」
「かしこまりました」
小坂が食堂から出て行くのを見届けて、宏樹が口を開く。
「姉さんは、実の弟の僕を愛してる」
「……はい?」
小夜が、素っ頓狂な声を出した。
「一人の男性としてだ。だから、由貴が邪魔になって殺したんだろう」
「随分と、ご自分に自信があるんですね」
「君程じゃないさ」
そこで、小坂がグラスの乗ったトレーを手に戻ってきた。
「お嬢さんは、姉さんが生きてると思う?」
「……そうね。たぶん、まだ生きてるわ」
「どうして?」
「生きててくれなきゃ、探す意味ないやん?」
小夜が胸を張ると、宏樹が可笑しそうに笑った。
「うん、そうだね。僕も、姉さんは生きてると思うよ」
「どうして?」
ふと、宏樹の目に、悲しみの色が滲む。
「由貴は、とても……不器用な子だから」
*
「たのもー!」
翌朝、食堂に集まって朝食を取っていると、明朗な女性の声が、エントランスから聞こえてきた。しばらくして、小坂が連れて来たのは、ショートカットの綺麗な女の子だった。
艶やかな黒髪も、黒いライダースジャケットも良く似合っている。どこか小夜に似ている雰囲気のその女性は、夏野ひより。小夜の従姉妹だった。
「ひーちゃん!」
「あ、小夜ー。久しぶりだね。元気してた?」
トーストを囓っていた小夜が、勢いよく立ち上がった。
「元気やでー。早かったなぁ」
「うん、なつくんが、こっち方面に走るなら、ついでに朝日見よーって……」
きゃぴきゃぴと話す二人の後ろから、更にもう一人の来訪者が現れた。茶髪の、少し影のある男性だ。こちらもライダースジャケットを着ている。
「あ、夏乃さん! お久しぶりです!」
「うん。……これ、暁の仕事なんだって?」
小夜に声をかけられた、大越夏乃が、無表情で尋ねる。無表情ではあるが、どこか無理をしているような顔だ。
「はい、そうなんです」
「そっか。圭佑、なんか機材とか運ぶ?」
「あ、お願いします。俺一人じゃ、車から降ろせなくて」
大阪からここまで、佳奈達は依頼者の用意してくれた車で来ていた。圭佑が、大量の荷物を乗せていたのだが、高価な物だからと、他の人には触らせていなかったのだ。
「助かります」
「うん。どの部屋?」
二人して食堂から出て行ってしまったのを見て、佳奈は首を傾げる。
「誰にも触らせなくないんじゃ……」
「夏乃さんは特別。家族みたいなもんだし……機械には強いから、万が一の事も無いと思うし。ね、ひーちゃん」
小夜が嬉しそうに、ひよりを見る。
「うん、なつくんは慎重だからね。ところで、その子は?」
「あ、協力者の、藤野佳奈。前にメールしたでしょ?」
「ああ! 夢であきちゃんに会える子ね」
「初めまして。その節は、お世話になりました!」
半ば置いてきぼりを食らっていた佳奈だったが、ようやく声を出す事ができた。
以前、美沙子の家での怪異を解決した時に、文字通り力を貸してくれたのが、ひよりだった。
「んー、どの節だろ? まあ、気にしないでー」
明るい様子で、ひよりが笑う。
そして、小夜を振り返り、
「早速、何が起きてるのか、聞かせてくれるかな?」
やはり、小夜によく似た顔で、妖艶に笑った。
あれ?お化け屋敷編、あと一話で終わる予定なんだけど……終わるのか?




