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江戸大乱 ~蓬莱事件控~  作者: 桃源郷
4/20

第4話

3話の修正ついでに4話も投下します。

 空が、漆黒の薄絹を一枚ずつ剥いでいくように明けていく。

 うすぼんやりとした春のもやは、挿しはじめた光に混じりあい、藍から紫、そして朱色へと染め上げられていく。

 鳥達は庭の小さな池の真横に植えられた楓にゆらゆらと掴まり、太陽を呼ぶようにさえずっている。


 よもぎの朝は早い。

 前夜どれほど遅くなろうとも、朝起きる時間は変わらない。

 薄い寝巻きを脱ぎ捨て、乳白色の使いこまれた麻の胴着と、紺が浅くなった道場袴に身を包む。

 そのまま井戸へ向かい、顔を洗って口をすすぐ。

 明け六つ(朝六時)前。まだ日が昇らぬ朝のひとときは、よもぎにとっては修行の時間だ。

 屋敷の隣には、それほど広くはないが道場を構えている。そこで、すでに習慣となってしまった朝稽古をするのだ。


 身支度を整えたよもぎは、まず板の間に正座する。左手には、銘刀会津兼定がある。よもぎの愛刀のひとつだ。

 よもぎは一礼すると、新道心影流の作法に則り刀を抜いた。この流派は、鹿島神伝直心影流の流れを汲むと言われる剣術のひとつだ。

 静かに立ち上がると、ゆっくりと刀を振るう。

 仕太刀はいないが、形を順に打っていくと、仮想の受け太刀が見えてくる。

 よもぎは、次第に剣に没入していった。


 そのまま、型稽古を数回も繰り返すと、日の出の時刻を迎える。

 黒眼鏡越しにも、朝の光がまぶしい。

 なおも、よもぎは剣を振り続ける。すると、昨晩の光景が、目の前に浮かんできた。

 覆面をした男の突き。体が自然に横に開き、再び下から切り上げる。

 昨晩より早く腕が飛んだ。

 次に、袴の男が正眼に剣を構え、向かってきた。

 よもぎは下段に構える。

 袴の男は、ゆっくりと上段に構えなおした。大きな体から威圧感が吹きあがる。よもぎも、呼吸を合わせて横構えになる。

 お互い、間合いへ一歩踏み込んだ。

 瞬間。

 鋭い一撃が、よもぎの脳天めがけ打ち込まれる。

 よもぎは、一歩横へずれてかわす。

 すると、縦に切れ込んだ一撃が追いかけてきた。竜の尾が撥ねるがごとく。

 後ろへ飛びのくよもぎ。

 追う袴の男。そのまま刀を返し、右肩めがけて袈裟懸けに来る。

 今度は左斜め前に踏み込むよもぎ。そのまま剣を横に薙ぐ。

 右に回り込み、かわす男。

 よもぎも後ろに下がる。

 再びお互いの間合いから外れた。

 すばやく向き合う。よもぎの構えは精眼。

 そのまますべての動きが止まった。

 互いにピクリとも動かない。

 そして、静かに男の姿が消えた。

「ふう……」

 よもぎは静かに息を吐き出し、構えを解いた。


「旦那」

「ああ、余之助かい。ご苦労さん」

 道場の入り口に立っていたのは、昨夜使いに出した余之助だった。

「五平の爺さんが、朝めしの支度をしてますぜ」

 五平は、近くの町屋から通ってきて、屋敷の下男のようなことをしている。

 元々は腕のいいスリだった。決して腕が衰えたわけではないらしいが、今ではすっかり好々爺だ。

「ああ、そうかい。それじゃ汗を流してくるかねえ」

 よもぎは井戸へ向かった。


 水をくみ上げ、もろ肌脱いで汗をぬぐい始めた。体からは湯気が上がっている。

 首には、紫白の糸で編まれた紐を掛けている。その先端には、金色の鍵がぶら下がる。

 鍵は、黄色の朝やけに照らされ、きらきらと輝きを放っていた。

 よもぎは、朝のこの時間が好きである。

 余之助が差し出した新しい手ぬぐいを受け取り、体と鍵をきれいに拭く。

「旦那、今日はまた一段と熱が入ってやしたねぇ」 

「まあ、昨日みたいなことがあるとねえ」

 新しい着物を受け取り、するりと腕を通す。そして、改めて余之助に向き直る。

「そういえば、あの娘さんは起きたのかい」

「いえ、まだですねぇ」

「昨日の様子じゃ仕方ないかね」


 話しながら座敷に戻り上座に座ると、余之助が膳を運んできた。

「で、屋敷はどうだったんだい」

「へい、死人はおりやせん。けが人が数名、主の内藤様が一番の重傷です」

 お櫃から飯茶碗にご飯をよそいながら、余之助が答える。

「死人が出なかったのは、どうやら夕餉に一服盛られていたようで。屋敷の者ほとんどがロクに動けなかったためですね」

「すると?」

「へえ、手引きをした者がいたって事でやしょう」

よもぎは、茶碗を受け取る。

「新規雇いでもいたのかねえ」

「飯焚きの女がひとり行方知れずです」

「内藤殿の容態は?」

「腕を切られてやしたが、命の心配はありやせん」

 よもぎは、声を低くする。

「で、覆面たちの行き先は?」

「四谷の普通の長屋にございました。が、ちょいとおかしゅうございます」

 余之助の声も、ほとんど聞き取れないほどに低くなる。

「おかしいとは?」

「長屋一棟を丸ごと押さえたのか、他に誰も住んでおりやせん。だとすると、金の出所が分からねぇんで」

「確かに妙だねえ」


 食事を終わると、よもぎは茶を飲み、ほっとため息をついた。

 余之助が、すかさず膳を下げる。

 それを見越したかのように、よもぎは愛用する銀細工のキセルに刻み煙草を詰め込んだ。種火から火をつける。

「お許しがあれば、ちょいと探ってみようかと思いますが」

「そうしておくれ」

 よもぎはキセルを盆に戻し、たもとから金入れを取り出して小判を三枚ほど取り出した。

「手下も使うんだろう。探索の費えにしておくれ」

「ありがとうござんす」

 余之助は押し戴くように受け取った。

「では早速」

「ちょいとお待ち」

 よもぎは余之助を呼び止めた。

「なんでやしょう?」

「娘さんに話さなきゃならない。行くのはその後だよ」

「合点です」

「あ、それと五平に言って、もう一膳用意しておくれ」

 そう言うと、よもぎは席を立った。


 よもぎは、娘の眠っている座敷の前まで来ると、閉められたままの襖へ声をかけた。

「あー、娘さん、起きましたかね」 

 襖からは何の音も聞こえない。

「仕方ないね、失礼しますよ」

 よもぎは、一応断って襖を開けた。

 そこには、昨晩の姿勢のまま静かに眠る薫の姿があった。

 昨日の立ち振る舞いからは、それなりに剣を使うように見えた。

 ならば、気配を感じて目覚めてもおかしくはないのだが、薬の影響が残っているのだろう。まだ眠り続けていた。

 障子からのやわらかい光に包まれ、薫の唇は柔らかく微笑んでいるようにも見える。

 長いまつげには光があたり、頬には赤みが差している。こうして見ると、まだあどけなさすら感じる。


 よもぎは不覚にも一瞬見つめてしまったが、すぐに首を振り、やさしく呼びかける。

「娘さん、朝食の準備が出来ましたよ」

 声に反応したのか、うっすらとまぶたが開かれる。

 首をゆっくりこちらに向けて、じっと見つめてくるが、目の焦点が合っていない。

「どうしたんです?」

 よもぎがゆっくり問い掛けると、二、三度瞬きをした。どうやら、意識がはっきりしてきたらしい。

「……ここは?」

「昨日の座敷ですよ」

 よもぎの答えに何か思い当たったのか、一気に起き上がる薫。痛みはないようだ。

 周りを見渡し、もう日が高いことを確認している。

「私は今まで寝ていたのか」

「昨日が昨日だからねえ、仕方ないでしょう」

 薫は布団から出て、よもぎに深々と頭を下げた。

「それは失礼」

 よもぎは、何も答えずに横を向いた。黒眼鏡の外れで、薫が首をかしげたのがうっすらと見える。

「どうしたのだ?」

「礼は良いから、まず着物を着なさいな」

 薫は、艶かしいさらし姿のままだった。

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