第3話
お気に入りに登録してくださった方がいたので、狂喜乱舞して第3話投下。
我ながら安いものだ。
追記:切りが悪かったもので、ちょっと文章を追加しました。
すでに読まれた方がいらっしゃいましたら、深くお詫びします。
四ツ目通りは、深川十万坪から本所まで真直ぐに走る。広い通りの両脇に連なる武家屋敷は、さすがに夜四つともなると既に寝静まっており、あたりには初夏らしく蛙の声だけが響いている。
担ぎ役の小者が持つ、御用提灯とがん灯の灯りが、先を行くよもぎの足元を照らしていた。
長持を先導して歩きながら、よもぎはさりげなく暗がりに目配せをする。後を付けてきたり監視するような気配は感じない。どうやら、襲撃者はあれで全員だったのだろう。
四ツ目橋を越え、長持ちとともにゆったりと歩く。顔見知りの木戸番をいくつかやり過ごし、半刻もかからぬうちによもぎの屋敷が見えてきた。
門内に入ると、屋敷前には小さなかがり火が焚かれ、余之助が立っている。
「ご苦労様でございました」
こちらに向かって、深々と頭を下げる余之助。
「余之助、この長持を奥の間へ案内しておくれ」
余之助はひとつうなずくと、軽く小者達を促した。そのまま屋敷に上がる小者達。よもぎもその後を着いて行く。
屋敷の中では、外から見えない場所の灯りがすべて燈され、それなりに明るい。
屋敷の中ほどにある座敷は、十二畳ほどの広さで、普段は客の滞在用として使っている。
小者は、端の方に長持を降ろすと肩を廻す仕草をする。いかに軽いとはいっても、ヒト一人を半刻近く担いでいた訳だ。さすがに疲れたのだろう。
「いや、ご苦労様でした。こいつで一杯やっておくんなさい」
よもぎは、小者達の手にさりげなく小粒を握らせた。喜びながらも恐縮する二人を余之助に門まで送らせる。
その間に長持のふたを開ける。中では、若衆が未だ目を覚まさずに丸まっていた。膝を抱えたような仕草は、小猫を思い起こさせる。
「余之助、早かったねえ」
戻ってきた余之助に、よもぎは若衆を上から見下ろしながら声を掛けた。
「へえ、その報告はいたしやすが、その前に旦那、それは?」
「ああ、そうだねえ、先にちょいと手伝ってもらおうか」
そう言って、長持の前から体をずらす。長持に近づいた余之助は、中を覗きこむと、細い目を見開いた。
「旦那、お持ち帰りですかぃ?」
「まあ、そんなところさね。じゃ、布団を敷いておくれ」
余之助は、それを聞いてますます目を見開く。
「え!? 旦那にそんなご趣味があるとは、知りませんでしたねぇ」
「バカお言いでないよ。さあ、敷いたら足の方を持っておくれ」
軽口を叩く余之助に、よもぎは軽く笑いながら、再度促した。
余之助は押入れから布団を取りだすと、素早く部屋の中央に敷く。そのまま長持に両腕を突っ込むと、若衆の足を抱え込んだ。
「男の足なんぞ抱えても、うれしくありやせんがねぇ」
「ほらいくよ」
よもぎは、余之助の軽口を相手にせず、若衆のわきの下から腕を挿しいれ、一気に持ち上げた。一瞬余之助の姿勢が崩れる。思っていたより軽かったのだろう。何とか持ちなおして、若衆を静かに横たえる事が出来た。
明るいところで見た若衆の寝姿は乱れて、白い布団にはまとめられた長い黒髪が広がり、袴から伸びる足は、ふくらはぎまで露わになる。
「おや旦那、ケガしてますねぇ」
よく見ると、肩と膝のあたりに血がにじんでいるのが分かった。
「余之助、手当てするから薬箱を持っておいで」
屋敷には、薬商も顔負けの貴重な薬物が数多くある。これは、よもぎの父親が医術を修めていることに関係している。
その影響か、よもぎもかなり薬に詳しい。若衆が一服盛られていることに気づいたのもそのためだ。
余之助が、奥から使いこまれた大きな薬箱を重そうに持ってくると、よもぎはふたを開けながら命じる。
「まずは、袴を脱がせておくれ」
「やれやれ、女の着物なら得意なんですがねぇ」
「いいから早くおし」
ぶつくさ言う余之助を尻目に、よもぎは薬鉢でキズに効く塗り薬を擦り混ぜ調合する。
「うひゃぁ……」
衣ずれの音とともに、余之助の氷が蕩けたようなため息混じりの情けない声が座敷に響く。
「何よろけたような声を出しているんだい」
よもぎが呆れて振り向いてみると、余之助が口を半開きにして、袴を手に持ったまま膝立ちで固まっている。
その視線は、着流しの裾を割って、半ば露わになった腿に注がれていた。
「い、いやぁ、たまげたなぁ。吉原の遊女でも、この色気は出せませんぜ」
確かに、産毛ひとつ見えない真っ白な足だ。その分、血のにじんだ右膝の擦りキズが妙に痛々しい。
「これがホントの色若衆って奴ですかねぇ」
「バカお言いでないよ。さ、上も取っちまいなさい」
「へぇ」
余之助は、半分呆けたまま若者の帯を解く。つばを飲みこむ余之助に苦笑するよもぎ。
「だ、旦那、あ、あっしは何を緊張しているんですかねぇ」
「知るかいそんなの」
余之助の腰砕けな様子が、あまりに面白い。
「だ、旦那、替わって頂けませんかねえ。……これ以上やったら、何か違う世界にイッちまいそうで」
よもぎは、薬を煎じる手を止めて余之助を見た。襟に手を掛けながら固まったように動かず、潤んだ目で哀願する余之助に、思わず吹きだしてしまう。
「かかかか、お前さんの、そんな情けない様は初めて見るねえ」
「あっしだって初めてですよぅ。あっしはホントに女好きなんですよぅ、衆道なんてまっぴらでさぁ」
「あーわかったわかった、替わろうかい」
よもぎは、乳鉢を持ったまますらりと立ちあがり、半分泣きが入った余之助をどかして鉢を渡す。
「旦那ぁ、恩に着ますぜ、ホントに」
「こんなことで恩に着られてもねえ」
そう言いながらも、こうして若衆と正面から相対してみると、なぜかよもぎですら気圧される。
襟に手を掛けると、細い鎖骨がチラリと覗き、そこからは何か得も言われぬ香しい匂いが漂ってくるような気さえしてくる。
(やれやれ、こいつは余之助を笑えないねえ)
先ほど気負わずに担げたのは、暗がりだったからだろう。
こうしていても先へ進まない。よもぎは覚悟を決めて一気に着物をはだけさせた。
すると。
「こ、こいつは……」
さすがのよもぎも二の句が継げない。
白く抜けるような肌と一体化するようにキツく巻かれた純白の布。
柔らかく曲線を描き始めた未成熟な腰。
そこにあったのは、胸と腰にサラシを巻いている、男に扮した娘の姿だったのだ。
「だ、旦那」
余之助も、覗きこんだまま止まっていた。口の機能まで失くしてしまったように。
* * *
しばらく、沈黙が続いた。
やっと自分を取り戻したよもぎは、のろのろと動き出した。
「ま、娘だからって、やることは一緒なんですけどね」
よもぎは自分に言い聞かせるように、娘の膝に茶色の薬を塗り始めた。
チラリと見ると、余之助はまだ呆けている。よほど衝撃を受けたらしい。
やれやれ、と思いつつ。
「余之助、お前さんいつまで呆けてんだい」
その声に、余之助はぷるりとひとつ震えて、ぽそぽそと話しだす。視線は、娘の艶姿に貼りついたままだが。
「よかった……旦那……よかったですよ。心の底から安心いたしやした」
「何がだい」
「あっしは、やっぱり女好きだったんですねぇ。男に化けてても見極めちまうんだから」
よもぎは、思いっきり吹きだした。
「かかかか、自慢にゃならないねえ、それは」
「あっしにとっちゃあ一大事だ。……おっ、旦那」
呼びかけられて娘の方を見ると、長いまつげがひくひく動いている。どうやら、薬が切れてきたらしい。
ぽちりとした桜色の唇が、あえぐようにかすかに動いている。
「……ぅあ……ぁう……」
言葉にはなっていないが、意識が戻ってきて痛みを感じ始めたのか、ひどくうなされている。形のよい眉はしかめられ、悩ましげな表情にも見える。
よもぎは、手早く膝にサラシを巻きつけた。そのまま、左肩の治療に取りかかる。
肩は、擦りキズと打ち身のようだ。白い肌に、ところどころ紫に染まった打ち身の跡が艶めかしい。
どうも斬られた跡ではない。峰打ちをかわしたときに擦れたような感じだが、骨には異常がなさそうだ。
擦りキズには薬を塗り、清潔な綿布で被う。打ち身には膏薬を貼りつけてサラシで被う。
よもぎは一気にそこまで治療したところで、ひと息ついた。
「今夜は熱が出るかもしれないね。頭を冷やしておやり」
そう言って余之助に向き直ると、余之助は娘の肢体を覗きこんでいた。
「こら余の字! 何をしておいでだい!」
「いや、あ、あはは」
よもぎは笑ってごまかす余之助の頭を、ぽかりと一発殴ると、娘の身体を布団で隠した。
「いやいや、こんな艶っぽい脚を見せられたんじゃねぇ、酷ってもんですよぉ、旦那」
「全く、さっきまでのお前はどこに行ったんだろうねえ。いいから頭を冷やしておやり」
「へいへいっと」
余之助が、薬箱を片付けはじめたよもぎに代わり、絞った手ぬぐいを頭に乗せてやる。
すると、娘のうなされ声が止んだ。
「お、旦那、目が覚めますぜ」
余之助の声に降り返ると、娘がうっすらとまぶたを開くのが見えた。
その瞬間、何かを思いだしたかのように、娘の目は見開かれ、一気に上半身を起こそうとする。
「うくっ!?」
相当痛んだのだろう。細い左肩を抱くようにうずくまる。そのまま、顔だけ上げるようによもぎを睨みつけた。
ろうそくの光に照らされ、燃えあがるようにきらめく瞳が美しい。
「狼藉者! 何奴!?」
「あー娘さん、ちょいと落ち着きなさいな」
よもぎは、娘にわざとゆったり話し掛ける。
「何か勘違いしておいでのようですね。お前さんは、助けられたんですよ」
それを聞くと、娘は青白く顔をこわばらせたまま眉を顰める。
「お前さんをかどわかそうとした連中は、とっくにおっぱらっちまいました」
「それを信用しろと言うのか!?」
娘が、斬りつけるような素早さで言う。辺りに視線を飛ばしているのは、屋敷の様子を見ているのだろう。
「信じてもらうより無いんですけどねえ」
よもぎはため息をつくが、娘の表情は固いままだ。
「まあ、治療も終わりましたし、今夜はゆっくりお休みなさい」
「治療?」
いぶかしげに、娘は自分の体を見る。すると、爆発したかのように顔が真っ赤に染まる。
「き、き、着物! わ、わ、私! 手込めに!?」
動揺しているのか、言葉になってない。必死に布団で口元まで隠すと、うっすら涙目になりながら、今度はよもぎを上目使いに睨みつけてくる。その様子が、どうにも小動物めいてかわいらしい。さすがのよもぎも、その目にはたじろぎを覚えた。
困って、後ろ頭を手で掻く。
「あー、だから治療ですってば。やましいことはしてませんよ」
第一、先ほどまで男だと思っていたのだ。だが、そんなことを言えば、娘はもっと意固地になりそうだ。
さてどうしたものかと思っていたら、娘が視線をそらし、布団からすらりとした細腕を突き出した。
「じゃあ、あの男は!?」
娘がびしりと指差した方を見ると、そこには長々と鼻の下を延ばした余之助が、布団に隠された娘の胸元を、膝立ちしながら覗きこもうとしていた。
「……余の字、外に出てお行き」
よもぎは、ため息混じりにつぶやいた。
余之助が追いだされると、やっと落ち着いたのか、娘はため息をつく。
すると、何かに気づいたように、慌てだした。
「そ、そうだ! じいは! じいたちは!?」
「じいと言いますと?」
そこで、娘ははっとしたように口をつぐみ、表情を見られないためか、うつむいた。
「どうしたんです?」
よもぎの問いかけに、娘が唇を白くなるほどかみしめるのが見えた。
「……どうしたんです?」
さらに柔らかくなったよもぎの声に、薫は意を決したのか、正面からよもぎを見つめて、力強く言った。
「治療していただいたことには感謝いたす。だが、失礼を承知ながら……そこもとがかどわかしでないなら、私を元の屋敷に帰してくれ!」
最後は、心から叫ぶような声だった。
よもぎは、薫を落ち着かせるように、腕を組みゆったりと話す。
「屋敷のことなら大丈夫でしょう。今はお役人が警護しているはずです」
薫は目を見開いた。
「えっ!? な、なぜ役人が?」
よもぎは、薫の顔に一瞬あせりがはしるのを見逃さなかった。
「いや、お願いしたからですけどね」
「で、では、全員無事だったのか?」
よもぎは、正直に言うことにした。この娘の反応を見ると、ありのまま話したほうが良いと思ったのだ。直感的に、だが。
「いや、ケガ人はいましたよ。死人はでてないはずですがね」
再び、薫の顔がこわばった。
「で、ではやはりすぐに戻らねば! あぐッ!」
「お待ちなさい」
薫は立ち上がろうとするも、やはり痛みが疾るのか、一瞬うめいて崩れ落ちた。
「言わんこっちゃない。まだ無理ですよ。せめて今日はお休みなさい」
「し、しかし」
「ああ、屋敷のことなら、すぐに見に行かせましょう」
そう言って、よもぎは横の襖を見た。
「余之助」
「へい」
襖の向こうから声が聞こえる。
「内藤屋敷へ行って、様子を見てきてくれるかい」
「合点で」
気配が遠ざかって行った。もう木戸は閉まっている時間だが、余之助ならば問題ない。
よもぎは薫に向き直ると、肩まで布団をかけてやる。
「様子は明日教えるから、とにかく寝ることです。体力をつけなければ、屋敷のヒトも心配するでしょう」
今度は、薫も逆らわなかった。
よもぎとしては、旗本内藤家の反応を見るため、わざわざ極秘でここに連れ出したのだ。そう簡単に帰すわけにはいかない、はずなのだが。
(娘と判っちまったからには、そうも言ってられないねえ)
男ならともかく、娘をさらったとなったら、後々世間さまの目というものがある。
しかし、なぜ賊はこの娘をさらおうとしたのか。その目的は?
そして、奉行所の動きとその命令の出所は?
(逆に、直接内藤家の反応を見るのも手かもしれないねえ)
とりあえず今夜は、この娘の監視もかねて、余之助の帰りを待つのが良策だろう。
よもぎは薫が眠りに落ちるのを確認すると、行灯の光を消した。