第18話
ある意味、お紺が悲惨すぎるかもしれない。
ついに、その時がやってきた。
よもぎは白装束の上に裃を着込むと、金庫から永十手を取り出した。
水晶より透明な地肌が、いつもより青白く光って見える。
昨晩のうちに、内藤にも同様に使者が来たことは確かめてある。時間を合わせ、再び雉子橋門で落ちあうことにしている。
予想通り、門の前には内藤が先に着いていた。隣には梅村が立ち、後ろには駕籠が控えている。
内藤は、未だに腕を吊っている。
約束の時間より半刻前とはいえ、夕暮れが近いからか、門を通る者はいない。
「内藤殿、お待たせいたしました」
「よもぎ殿」
感情が高まっているのだろうか、それとも怒りのためか、内藤はひと声絞り出すのが精一杯の様子だ。
「内藤殿、申し訳ございません。事ここに至ってしまいました」
よもぎは内藤に深く頭を下げた。
いかなる理由があれ、薫を奪われた責はよもぎにある。その思いが、より深く頭を下げさせる。
だが、内藤は首を横に振る。
「よもぎ殿、そなたに責があるわけではない。逆に、ワシこそ巻きこんで済まないと思っておる」
逆に、内藤が深く頭を下げてきた。
「内藤殿、今は責を言いあっても仕方ありませぬ。ここから先が勝負です」
「そうじゃな」
よもぎは内藤とともに門をくぐった。
以前訪れた時と同様に、本道からすぐに脇道へ逸れると、三体のお庭番衆が出迎えてくる。
再び二人と二体が猪牙舟に乗りこむ。
舟に揺られながら、よもぎは不思議な違和感を覚えた。
(一体だけ、前と違う?)
カラクリだから気配を感じない。まさに前回はそうだった。だが、一体から微かに気配が感じられる。
単なる気のせいだろうか。普通なら感じないほどの違和感。
(いや待てよ? まさか、上様の策とやらに関係あるのか? それとも考えすぎか?)
今考えても仕方が無い。それに、下手に口に出せば吉鉦の策を壊してしまいかねない。
(どうもいけないね、今こそ落ち着かないといけないのに)
すべてのものに対し、過敏に神経を尖らせてしまう。
今は、心を静めて来るべき対決に備えなければならないのに。
そんなことをつらつら考えていると、舟が着いたようだ。
前回と同じ道を通り、裏出丸へと到着する。
入口をくぐると、一体のお庭番がそのまま付いてくる。あの気配を感じる一体だ。
「内藤殿、一体付いてきますが」
「さて、ワシも初めて見るが、上様が操っておるのだ。何らかの理由があるのだろうて」
そのまま廊下を行くと、以前訪れた吉鉦のいる座敷の前にたどり着いた。
お庭番のカラクリは、よもぎたちの後ろで片膝を付いて頭を下げ、動かなくなった。
「上様、両名参りました」
「その場にお庭番はおるな。二人はしばし待つように」
涼やかな声とともに、手を掛けずに襖が開く。
座敷の中央には、吉鉦が独り立っていた。
その声に反応したのか、ピクリとも動かなかったお庭番が急に立ちあがり、よもぎたちの前に進んで座敷へ入っていった。
音もなく襖が閉まると、低い振動が足元に伝わってきたが、やがてすべてが沈黙する。
「よもぎ殿、あのお庭番について、なにか聞いておるか?」
内藤が問いかけてきた。しかし、よもぎにも答える術はない。
「いえ、何も。ただ、上様にはなにか策があるようで」
「そうか、ならば待つよりあるまい」
内藤は納得したようにそう言うと、そのまま座り込んだ。
「よもぎ殿も座るが良い。四半刻もすれば戻るであろうよ」
お主の時もそうであったがな、と言う内藤に促されるまま、よもぎも胡座を掻いて座り込む。
「で、その腰に挿してあるのが永十手かの」
内藤は興味深そうに、よもぎの腰を見る。
よもぎは、脇差代わりに挿してきた永十手を取りだすと、内藤の眼前に突きだして見せた。
「何とも美しいものじゃな。実物を見るのは初めてじゃが」
永十手は、透明な刀身にうっすらと光りをまとっている。あの、薫に起こった現象がごく緩やかに続いているような感じだろうか。
(お城の中だからか? もしかしたら、上様が近くにいるからかもしれないねえ)
さすがは親子というべきか。由来を知っているだけに、何とも言えない気分ではあるが。
「もしかして、上様に持ってくるよう命じられたのか?」
「いえ、ご老中に」
そうよもぎが言うと、内藤の顔が見る間にこわばった。
「何ゆえじゃ」
「詳しい事は判かりませぬ。ただ、今回の件に深く関わっているとしか」
「そうか。ならばもうすぐ分かるであろうよ」
そう、津島が来たらはっきりすることだ。
よもぎ達は、やけに長く感じる四半刻を過ごした。
ただ何も言わず座り込むよもぎの身体に、微かな振動が伝わった。
「内藤殿」
振動は、少しずつ大きくなる。
「どうやら、戻られたらしいな」
不意に振動が止まると、襖がひとりでに開く。
中を見ると、吉鉦だけが立っていた。
「二人とも入るが良い」
促されるまま座敷に入ると、そこにお庭番の姿はない。
「上様、お庭番は?」
内藤が尋ねると、吉鉦はふわりと華がほころぶような笑顔を見せた。
「地下の、奥の間にいます」
(この状況の中で、何ゆえそれほど美しい笑みが出来るんだろうねえ)
よもぎには、その笑みが理解できなかった。
「ともかく、もうすぐ津島が現れるだろう。岡田、永十手はあるか?」
急に面を引き締めて、吉鉦がこちらを見た。
よもぎは何も言わず、腰から永十手を引き抜いた。
永十手は、先ほどよりもはっきりと光っていた。だが、薫が触れた時に見せたような、激しい点滅ではない。包み込むような、優しい青白い光だった。
吉鉦は、差し出された永十手をゆっくりと受け取ると、水晶のようなその刀身を掻き抱き、愛しそうに頬ずりする。
理由を知るだけに、それを黙って見ていたよもぎだったが、隣の内藤が痛ましそうな、それでいて暖かい視線を投げかけているのに気付いてしまった。
(ああ、内藤殿も知っているのだな)
そう思うと、自分に対する歯がゆさと、吉鉦への申し訳なさに心臓が痛む。
ふと顔を上げ、天井を見つめた吉鉦は、顔を厳しく引き締め、だが全身で名残を惜しむように、ゆっくりと永十手をよもぎに返してきた。
「どうやら、招かざれる客が……薫!?」
そこで、突然吉鉦が虚空を見つめながら、驚きの声を上げた。
「上様!? いかが致しましたか」
釣られたのか、内藤の声も高まる。
「あ、いや、まるで薫が先導しているように見えたのだ。主膳、気にするな」
よもぎの頭の中で、昨日余之助から受けた報告が甦る。
(もしやお紺を守るためか?)
「上様、敵の手勢は?」
情報を把握したいので、よもぎは吉鉦に問いかけた。
「津島を入れて九人。中に女が一人と町人が二人いる。あとは薫」
なるほど。津島と浪人者四人、倉田屋と番頭、そしてお紺と薫か。なぜか津島の家中のものはいないようだ。家中の者を巻きこまぬようにか、或いは秘密を守るためか。
そう言えば、津島の家は急成長しているのだ。股功の臣などはいないはずだ。
ならば、あの浪人達はそれほど信頼できるのだろうか。それとも、あの浪人達は、実は家臣だったのだろうか?
ともかく、吉鉦の誤解を解いておく必要はありそうだ。。
「上様、その女は私の手の者で、薫姫とともに捕らえられたのです」
「そうか、では敵は七人か」
七人。将軍の居城へ攻め入ろうとする軍勢にしては、いかにも少ない。それほどまでに策に自信があるのか、なにか訳があるのか。
「二人も見るが良い」
吉鉦が片手を振ると、虚空に突然絵姿が浮かぶ。
驚きに、よもぎは声を上げそうになるが、何とか気力で抑えこんだ。
そこには、薫とお紺と、そして津島たち七人がその場にいるように映っている。
薫の腰に刀はないが、身は自由だ。隣には、片手になった浪人者が立っている。
お紺も普通に歩いているが、絵姿越しにも顔色が悪い。
身を縛られているわけではない。だが、それでも逃げたりは出来ないのだろう。何より薫の身を案じるなら、お紺とて下手なまねは出来ない。言わば、心を縛られているようなものだ。
しかも、あの事件の黒幕によって。
お紺にとっては、身を斬られるよりつらいだろう。
先ほどとは違う意味で、よもぎは声を噛み殺した。
(お紺、すまねえ)
胸に溜まったままの怒りを、気付かれないように小さなため息とともに外へ吐きだす。
そうすると、先ほどの疑問が浮かんでくる。
「上様、いかにお城の中とは言え、何ゆえに津島たちはあの手勢で」
「それは……」
よもぎの疑問に吉鉦が答えようとした時、九人の背後に二人のお庭番が立つ。
それに気付いていたか、津島が後ろを振りかえると同時に、あの銀の鑑札を突きだした。お庭番はその場で動かなくなる。
だが、よもぎの目には津島の手よりも前にお庭番が止まったように見えた。
「鑑札を見せずとも、薫がいる以上、お庭番は一切手は出さぬ」
悔しそうな、哀しそうな声で吉鉦がつぶやく。
「迎え撃ちますか?」
「いや、まずは話を聴くよりあるまい」
よもぎの問いに、ため息混じりに答える吉鉦。乱戦になれば天井裏の余之助が動ける分有利かもしれない。あくまで最後の手段だが。
「迎え入れよう」
吉鉦の言葉と、津島達が玄関前に到着するのは、ほぼ同時だった。
* * *
襖が開くと、そこには先頭に浪人者三人を置き、真中に立つ津島の姿があった。薫はその隣にいる。後ろには、大男がお紺に並ぶように立ち、最後に倉田屋と番頭が身を隠すように続いている。
「上様。気は変わりませぬか」
津島は、ひとり吉鉦の前に進み出ると、開口一番言い放つ。
(良く通る声だ)
それほど大きくないのに、ずしりと重みを感じる声。吉鉦の声が凛とした、と表現できるなら、津島のそれは岩礁にぶつかる波浪にも似て、圧力を感じずにはいられない。
だが、よもぎにはそこに勝者の傲慢はないように思えた。というより、動きが変だ。
「変わらぬ。それより薫、薫に怪我はないか!」
「上様」
薫が前に進み出て、津島の横に並ぶと、そのまま土下座する。
「こたびの我が不明、お詫びのし様もありませぬ」
その、感情のすべてが凍りついたような声に、びくりと震え絶句する吉鉦。
よもぎも、まさかの展開に驚いた。だが、油断なく周りの動きには注意する。
すると、津島が薫の横に立ったまま、苦い顔で一瞬倉田屋を睨みつけるのが見えた。
(なるほど、余之助の言ったとおりだねえ)
お紺の顔も白い。その表情には、悲しみと痛みが彩られていた。
言わば、お紺こそが人質だ。その存在がよもぎと薫を制し、そのために吉鉦たちまで制することが出来る。主筋の薫に刃を向けなくて良い分、心理的にも人員的にも有利になる。見事だ。
だが、その分お紺の心はズタズタになる。
(お紺、本当に済まねえ)
よもぎは、己の情けなさに泣けてくる思いがした。
「岡田、永十手はあるか」
硬直した空気を振り払うように、津島はよもぎに向き直った。
「これにございます。しかし」
ちらりと吉鉦を見る。だが、すると吉鉦は、左手を横に出し、よもぎを制した。
「津島、今更なぜ地球を重視するのだ。この火星だけで十分に廻っていくのだ。それで良いではないか。今火種を抱えこむ必要はあるまい」
「なればこそ、今地球を手に入れれば、後慮の憂いは無くなるというもの。やはり、お分かりいただけませぬか」
何度も繰り返してきたのだろう。二人の会話は儀式めいていた。
(先の先か、後の先か、といったところか)
地球が脅威にならぬうちに取り除くか、触って巻きこまれぬようにするか、考え方の違いなのだろう。
よもぎが思うところ、どちらにも一理ある。ただ、正確な地球の現状を知らぬ以上、口出しは出来ない。
「ともかく、今は私が勝者です。ぜひにもマスターキーをお渡し願いたい。また、刀も全て預かります」
マスターキー。よもぎの記憶では、永十手はこのお城すべての機能に対する鍵になっているということだった。
吉鉦の伸ばされた左手が震える。吉鉦の葛藤する心を映し出しているように。
「姫と上様の、御身の保証は致します。ご決断を」
動かぬ吉鉦に、さらに津島が迫る。
逡巡の末、吉鉦の左手が力なく下げられた。それを静かに見る津島。
「岡田、キーをこれへ」
よもぎは前へ進み出て津島の前に出ると、永十手を津島に直接手渡した。
その時、ぼそりと津島が、よもぎにだけ聞こえるように話しかけてきた。
「ワシは修羅を征く。上様と姫を頼む」
「ご老中……」
視線を津島に向けると、津島はこちらを見ることなく、剛然と顔を上げていた。
(まさかご老中は、地球との戦いから二人を遠ざけるために?)
考えすぎかもしれない。だが、奇妙すぎるこの考えに、よもぎは納得してしまった。
(どうあろうが、ご老中が上様達を傷つける事はない)
その確信はあった。ゆえに、よもぎは大人しくよもぎは内藤の横に戻る。
すると小柄な猿侍が、よもぎと内藤の両刀をひったくるようにして奪い、そのまま襖の外に出した。これでこちらは完全に丸腰だ。
「上様、地下室へご案内を」
吉鉦は何も言わず、ただ右手を天に掲げた。