第17話
都合により、UPが遅くなってしまいました。
もし楽しみにされていた方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ありません。
よもぎは、庭に立ったまま余之助の帰りを待ちわびていた。
ただ待つ事に、これほど時間の長さを感じた事はない。
胸元には、吉鉦から預かった板がある。ただの板なのに、千斤の重みを感じていた。
(事の次第を上様に告げなければ)
その思いはあるのだが、まずは余之助の報告を聞かなければ、何の手も打てない。
(もしもの時は……)
腹切って果てる。その覚悟は既に固めた。だが、すべてはこの一件の顛末を見届けてからだ。
ふと、門の屋根に気配を感じる。
「余之助、戻ったか!」
声を掛けると、屋根の上から音もなく余之助が降り立った。
「旦那、お紺の姉さんと嬢ちゃんは、倉田屋の奥座敷牢に捉えられておりやした」
「でかしたっ」
喜ぶよもぎに、余之助は首を横に振る。
「ですが、警備が厳しすぎまさぁ。とても救い出せる状況じゃありやせんぜ」
「穴はなさそうかい」
よもぎの問いに、余之助は再び首を振る。
「難しゅうござんすね」
「そうかい」
そこで、余之助がひたっとよもぎを見据えた。
「前に旦那が言った通り、嬢ちゃんの正体には驚きやした」
「分かっちまったのかい。すると、お紺もかい」
「へい、聞きやした」
よもぎは頭を抱えた。ますますお紺に申し訳がない。
「ですが、さすがは姐さんだ。全く動じていやせんでしたねぇ」
余之助の言葉が救いだった。
「それより、気になったことが」
余之助は、倉田屋草兵衛が薫をいたぶるように嘲笑し、複製品とまで呼んで蔑んだことを語った。そして最後に、吐き捨てるように言った。
「ありゃあ、とびっきりの外道ですぜ、旦那」
話を聞いているうちに、よもぎも体が熱で燃えあがるかと思うほどの怒りを感じた。噛み締めた唇から、鉄の味がするほどに。
だが、頭の芯に氷を挿しこんだように、冷静に考える自分も感じていた。
「……もっと気になることがございやしてね」
それを感じ取ったのか、余之助が、言いにくそうに言葉を続ける。
「なんだい?」
「その話を聞いてから、嬢ちゃんの様子が変わっちまいやして」
「変わった?」
自分でも硬い声だ、と思う。
「へい、詳しくは分かりやせんが、動きも喋りも、妙に硬くなって」
まずい。よもぎの脳裏に、吉鉦の言葉が蘇る。
自分の存在意義を問うてしまったのか、人形であると思いこんでしまったのか。
(それを言ったら、この火星中のヒトが造りもの、って事になっちまうけどねえ)
すべてを知ったよもぎは、それを冷静に受けとめられる。
「そうかい」
だが今は、優先すべき事がある。
「しかし、だ。そうすると分からねえことがある」
「そりゃ一体何です?」
よもぎは、大きくため息を付く。己の中に溜まってしまった熱を吐きだすように。
「今の話からすると、あのご老中と倉田屋が手を組んでいることが引っ掛るのさ」
そうなのだ。手を結んでいるにしては、倉田屋が奇妙な動きを見せている。例えば、津島が手出しをしないと決めたはずの薫に対して、倉田屋が裏で追い込むような言動を見せていることもおかしい。
「思惑が別にあるってことですかぃ?」
「ああ、多分な」
恐らく、倉田屋は別の思惑があって、津島を利用しようとしている。ここにつけ入る隙を見つけられるかもしれない。
「問題は、ご老中が気付いて泳がせているか、だが」
気付いていても、事が終わるまでは手が打てないのかもしれない。相手はただの商人とは言え、江戸一の大店だ。津島が語った対地球戦略を考えれば、これから資金はいくらあっても足りないだろう。それをもたらす相手を簡単に切る事は出来まい。
「どちらにしても、嬢ちゃん達の救出が先だ。余之助、決死の仕事になるが、倉田屋の屋敷を見張って、動きを知らせてくれるか?」
「合点です。あっしも男だ。やらせていただきやす」
「本当に済まない。恩に着るよ」
よもぎが深く頭を下げると、余之助は、にぱっと男好きのする笑みを浮かべる。
「旦那、水くせえじゃありやせんか。元々旦那に救われた命、恩返しはあっしの専売特許って奴ですぜ」
よもぎは込み上げる熱いものに言葉が詰まり、再び深々と頭を下げた。
余之助が準備のため屋敷を出ると、よもぎは懐の板を取り出した。
板にはめ込まれた銀色に光る葵のご紋を、右に半回転させると、三回強く圧す。
すると、かちりという何かがはまったような音とともに、板から小さな声がする。
《よもぎ殿、何事です》
紛れもなく、将軍吉鉦の声だった。
「上様、詫びの仕様もありませぬ。薫姫が連れ去られました」
《何と!?》
悲痛な吉鉦の声が、鞭のようによもぎの心を打ち据える。だが、責めを負うべきは今ではない。よもぎは事実をありのままに吉鉦へ告げることにした。
一言もなく、報告を聞く吉鉦。声はしなくても、沈みきった空気が伝わってくる。
話が、薫の狙われた理由にまで及ぶと、吉鉦の声には涙が混じる。
《ああ……薫は、薫は知ってしまったのですか》
深い、あまりにも深すぎる絶望の声だった。
「……お詫びのしようもありませぬ」
守りきることが出来なかった。悔悟の苦味がよもぎの心を染めていく。
《いえ、よもぎ殿のせいではありません。すべては私と会っていた時に起きた事です》
そう、吉鉦の動きも、内藤やよもぎの来訪まで察知されていたということだ。
しかし、一体どうやって動きを掴んだのか。これが分からなければすべて筒抜けのままになる。まさかと思うが、このやりとりも傍受されているのではないか。
吉鉦は、それを否定する。この通信は、特殊な暗号が掛けられており、城の機械を通さずに直接吉鉦にもたらされる。ここからの盗聴は、城の機械すべてを意のままにしようと不可能だと。恐らくは、空からの監視ではないかと。
「空から?」
空にある監視用のカラクリを動かしていたのではないかと吉鉦が言う。本来、太陽衛星の監視用として使っている物を、地上に向ければ不可能ではない。
《そんな使い方をするとは、予想していませんでしたが》
なるほど、それならば動きを知られていたのにも納得できる。
明るいものを見るのなら、逆に夜間は使えまい。
また、直接空から見える状態でなければ見ることは出来ないという。だから、確証を得るのに時間がかかったということか。
《ともかく、薫が人質にされている以上、今は動けません》
相手の要求は分かっている。城の機械をすべて支配し、この国を手に入れて地球と交易することだ。その交渉の場には、当然薫達を連れてくるだろう。人質としてではなく、その遺伝子を利用するために。
《よもぎよ。余も覚悟を決めた》
声が凛と響いた。それは今までの母としての声ではなく、統治者としての威厳に満ち溢れた声だった。
「ははっ」
よもぎも、その威に自然と声を改める。
《よいか、ここからは相手が動くまで手出し無用》
「御意」
《余も、最後の仕掛けをするとしよう》
「仕掛け、とは?」
よもぎの問いに、吉鉦の沈んだ声が答える。
《言えぬ。何より、上手くいくかはわからぬが、是非もなし》
ため息の中に、深い決意が感じられた。
「ご老中から繋ぎが入ったら、すぐお呼びします」
《わかった》
「それともうひとつお願いがあります」
《なんだ?》
「出城の天井にひとり潜ませたいと思いますが、よろしいでしょうか」
しばしの沈黙の末、再び声がした。
《その者は信頼できるのだな?》
「アタシの友、いえ、分身です。内藤殿とも面識があります」
《……わかった。そちの切り札という訳だな》
「御意」
《ならば、鑑札をその者に持たせるが良い。安全に潜めるだろう》
「感謝いたしまする」
再び短い沈黙が訪れた。
そして。
《……よもぎ殿、頼みまする》
最後に“母”としての本音をにじませた、吉鉦の震えるような小さい声が届いた。
その声を最後に、カチリという音とともに葵の紋が元に戻る。
それを確認したよもぎは、板を懐に入れ、屋敷に入る。
白装束を用意するために。
* * *
「旦那、これから使者が来ますぜ」
翌朝、一番に駆け戻った余之助は、裃を着込んで道場で瞑想するよもぎの元へ来るなり報告した。
よもぎは目を開き、静かに余之助を見つめる。一瑠の望みを掛けて。
「事前に助けだせそうかい?」
余之助は、黙って首を横に振った。
よもぎは軽く息を吐き、落胆する気持ちを平常に保つ。
ならば、吉鉦の言う通り、相手の出方を待つしかあるまい。
「そうかい。で、使者はどんな奴だい?」
使者は、倉田屋の二番番頭だという。
「じゃあ、あっしは倉田屋へ戻りやす」
「いや、それはいい」
驚いた顔の余之助に、よもぎは事情を話す事にした。
「……そうですかい、上様からねぇ」
余之助も複雑な顔でため息をつく。無理もない。天上人である将軍からの言葉とはいえ、悔しいという思いと憤懣と、そして吉鉦の心情を図ったのだろう。
そんな情に厚い男だからこそ、余之助は最後の切り札に出来るのだ。
「その上で余之助、ひとつ頼みがある」
「な、なんです? 改まっちまって」
「アタシの切り札として、江戸城裏出丸に潜んで欲しいのさ」
余之助の顔が、殴られたように引き締まる。
「分かりやした。存分な仕度をして参りやす」
気合いの入る余之助に、決して空から見渡せるところを歩いてはならないと注意する。
当然、この屋敷から出る者は空から見られていると考えた方が良い。
「合点承知。あっしの腕が鳴るってモンです」
笑いながら請け負う余之助。
「済まないねえ」
「今更言いっこ無しですぜ」
余之助は背を向け、準備のため道場を出ようとした。
そして、道場の扉に手を掛けた余之助が、ふとよもぎを振り返る。
「旦那、その白装束は使わせませんよ」
今度は違う種類の笑みを浮かべ、道場を出ていった。
裃の下の白装束に気付いていたようだ。
(かなわないねえ、余之助には)
ヒトの表も裏も見てきた余之助の深い笑みには、気遣いと決意が確かにあった。
一刻ほど過ぎると、余之助が予告した通り、倉田屋の二番番頭が刻限を告げに来た。
屋敷に上げていろいろ聞こうと思ったのだが、番頭は警戒しているのか屋敷内に一切入ろうとしない。
仕方なく、玄関先で応対する。
「では岡田様、伝えましたよ。ああ、永十手をお忘れなく」
爬虫類のように醒めきった目で、よもぎを見下すようにさっさと玄関から引き上げていく番頭。
よもぎは、黙ってそれを見送り、玄関の引き戸を閉める。
「明日酉の刻か」
日没に刻限を定めたのは、政変を目立たたせないためか。
「余之助、いるかい?」
「へい」
いきなり玄関の天井から顔を出す余之助。
降りてきた余之助を確認すると、懐から鑑札を取り出し、葵の紋を廻して吉鉦に連絡を取る。
《よもぎ殿、どうした?》
「今、ご老中からの使者が来ました」
《それで何と?》
「明日酉の刻に、出丸にて待つ、と」
《そうか、であればこちらにもすぐに接触があろうな》
先に吉鉦へ連絡していないのは、不用意な接触による危険を避けるためだろう。
そして、よもぎから吉鉦へ情報が流れることを見越しているとも取れる。
「それに、永十手を持参するよう言われました」
吉鉦が息を飲んだ音が聞こえた。
《……そう、ですか。やはり》
緊張のためか、素の言葉に戻っている。よもぎは、構わず余之助を紹介する事にした。
「そこで、前にお話した忍びの余之助という者がここにおります」
「へっ?」
余之助が間抜けな声を上げた。ここで自分が呼ばれるとは思ってなかったからだろう。
《余之助、と申したか。そちがよもぎ殿の。姿が見えぬのが残念なれど、頼むぞ》
その声が聞こえたか、吉鉦は小さく咳払いすると武士の言葉に戻り、そう声を掛けてきた。
「へ、へへぇっ!」
いきなり跳んで土下座し、そのまま固まる余之助。
無理もあるまい、将軍からの直々の言葉だ。
《さてよもぎ殿、余の方も一応準備が出来た。上手くいくかは分からんが》
昨日もそんな話をしていた。
「それはどのような?」
《今は言えぬ。言わぬ方が良いだろう》
気になったよもぎが聞いても、答えては貰えなかった。無理に聞く事も出来ない。よもぎは話題を戻すことにする。
「わかりました。では、余之助は今日から潜ませます」
《わかった》
それを最後に、通信は途絶えた。
横を見ると、未だに余之助が平伏している。
「余之助、いつまでやっているんだい」
言われて、余之助は恐る恐る顔を上げた。
「全く旦那、おヒトが悪いや、いきなり上様に声を掛けられたら、誰だって恐れ入っちまいますよぅ」
「かかか、そいつは済まないねえ。だが、おかげで気分が少し良くなったよ」
空元気も元気のうちだ。
「そいつはよござんした」
余之助が裾を払いながら立ちあがる。
「それじゃ、あっしは早速御城へ向います」
「もう準備はいいのかい?」
「ぬかりはありやせんぜ、何が起こっても、何とかして見せまさぁ」
余之助は、そう言うと左腕をまくり、右手で力こぶをパチリと叩いてみせた。
「頼んだよ。あ、ちょいとお待ち」
出ていこうとする余之助を呼び止め、懐から銀の鑑札を取り出す。
「こいつを持ってお行き」
「そいつは、って、さっきの葵の御紋!?」
鑑札を見て、余之助の細い目が厳戒まで見開かれた。
その、鳩が豆鉄砲を食らったような仕草は正直笑える。
「こいつがあれば、安全に潜めるとさ」
「こ、こんな大層なモノ、あっしが持っても良うござんすかねぇ」
「もちろん上様の許可はいただいているさ」
「何だか、旦那が偉いヒトになっちまったみたいだねぇ」
「そんな訳あるかい」
ニヤリと笑って見せると、余之助もおどけたように笑い、鑑札を恭しく受け取った。
「ところで旦那、上様が言ってた、あっしは旦那の……何なんですかぃ?」
「アタシの分身ってことさ」
そう言うと、余之助はつるりと自分の顔を撫でる。
「照れやすねぇ、まぁ、ご期待に沿うてみせやしょう」
そう言ってふわりと音もなく天井へと戻る余之助。
(頼んだよ)
よもぎは口の中でつぶやいた。