第15話
今回はちょっと短めですみません。
「む?」
余之助と屋敷の前に来ると、奇妙な違和感があった。
「旦那!」
余之助も異変を感じたらしい。
駆け足で門内に入ると、馬が三頭庭木に繋がれている。一頭は見た事のある馬だ。
「旦那! この馬は」
間違いない、津島の馬だ。
「余之助、隠れろ」
「へいっ」
そのまま余之助は壁を伝い、勢いよく屋根へと駆けあがる。
よもぎは玄関を駆け上がると廊下を走り、客間までひと息にたどり着く。
襖を勢い良く開けると、そこには津島とあの袴の剣客、さらに大男がいた。津島は座って茶を飲み、剣客は刀の鯉口を切り、大男は太い木刀を携え、津島の左右を固めるようにたたずんでいた。
「遅かったのう、岡田よ」
「ご老中、これは一体!」
津島は、左手を広げたままこちらへ向けて突きだす。静止の合図だろう。よもぎは、言葉を止めた。
「岡田、上様に会うたか」
それは、質問と言うよりは確認だった。
よもぎは、敢えて答えない。それよりも、この屋敷に他のヒトの気配がないのが気になる。
「岡田、そちは以前、ワシをたばかったな」
津島は、返答を気にせずに続けた。
「何の事です」
「姫は、この屋敷に居ったではないか」
やはり、すでに薫は津島の手に落ちたらしい。
「まあ、前回は突然だった故、隠しだてしたのは仕方あるまい」
そう言いながら、津島は獰猛な笑みを浮かべる
「ともかく、姫を無事に匿っていた事、礼を申す」
白々しく、頭を下げてきた。
「姫はいずこに?」
よもぎも、その三文芝居に乗ることにする。
「安全な場所じゃよ」
開けた障子から外を見上げて、茶をすする津島。
「してご老中、何ゆえにこの場にお残りで?」
津島にしてみれば、ただ薫を連れ去り、後でこちらに永十手を差し出させれば良かったはずだ。
津島は、ひとつため息を付いてこちらを見た。
「言ったであろう。ワシはそちが欲しいと」
「味方になれ、と?」
「そうじゃ、悪いようにはせぬ。この津島、誓っても良い」
再び津島は茶をすすり、座敷には沈黙が流れる。
よもぎは、頭の中を目まぐるしく動かす。
(今、この場で津島を人質にする事はできるか?)
いや、剣客を自分が抑えたとして、余之助が大男を相手にしている間に津島は逃げてしまうだろう。こちらの人数が二人と知っていたとしか思えない。
(恐ろしい男だ)
よもぎは頬をひとすじの汗が流れるのを感じた。冷や汗と油汗が混じったような、嫌な感触だ。
ともかく、こちらの不利は隠せない。今は出来るだけ情報を引き出すしかない。
「ご老中、その前にいくつかお聞きしてよろしいか」
「何なりと聞くが良い」
その声に、勝者の余裕が聞き取れたのを、苦く感じる。
「一緒にいた女はどうしました」
「無事じゃよ。だが、抵抗されたのでな、若干怪我をさせてしまったのは詫びる」
これには余裕を消し、真摯に頭を下げる津島。
この男は自称する通り、確かに手段を選ばぬ悪だ。だが、己の美学には忠実なのだろう。
「どうやってこの屋敷に潜入を? 小人数でも、かなり警戒していたはずですが」
「岡田、ヒトが行う以上、完璧なものなどあり得ぬよ」
まるで、師匠が弟子に諭すようだ。
「そちの屋敷に出入りする商人、その中に倉田屋の頼みを断れぬ者がいたのに気付かなんだか」
そうか。元々出入りの者と一緒なら、怪しまれる事はない。
それにしても恐るべきはこの男、一体どれほどの知謀を持ち、どこまで手が伸ばせるのか。よもぎは密かに戦慄した。
「人数が少なかったゆえ、霧噴射できる眠り薬を吹きかけてな」
再び茶をすすりながら、内藤の屋敷は人が多すぎたからな、その手は使えなんだがと、津島は独り言のようにつぶやく。
「ですが、何も女中を殺すことはないでしょう。口封じですか」
よもぎが、さつきのことを口にすると、津島は一瞬目を細めた。そして、護衛の二名に視線を移したようだ。
よもぎも釣られて視線だけを走らせる。
剣客の表情には何ら変化はないが、大男の顔は少々引きつって見えた。
そして津島はしばらく沈黙した後、そうか、とだけ答えてきた。
よもぎはその態度に違和感を覚えた。津島はさつきの件を知らなかったのだろうか。
再び訪れた沈黙の後、津島は思い出すように話を続けた。
「しかし、他の者はすぐに眠ったが、あの狐のおなごだけは気丈にも、最後まで抵抗した」
津島はほとほと感心したように、首を左右に振りながら答える。
「岡田、あのおなごは何と申す」
「お紺、と申します」
「そうか。あの覚悟と意志。見事な女丈夫だな。この津島、感じ入ったわ」
出逢いが違っておれば、ワシが欲しい人材じゃった。そう言って笑う津島。
よもぎには笑い事ではない。お紺に深く詫びねば気が済まない。
「では、上様を、どうなさるおつもりか」
それを聞くと、津島は目をつむり腕を組む。
「説得を続ける。だが、聞き入れてもらえぬ時は、幽閉を続けるか、最悪将軍職を退いていただくより他あるまい」
なるほど、そこまでの覚悟で事を起こしたのか。
聞きたい事は、それだけではない。
「姫にはご老中の目的をお話に?」
「……その問いを発するということは、やはりそちはすべてを知ったのだな」
渋い顔でつぶやくように言う津島。
「まだ話してはおらんよ。最後まで話すつもりもない。ワシの目的には、わざわざ姫のお心を壊す必要はない。例え、その方が扱いやすくなるとしてもだ。それだけは決してせぬ」
この男でも、薫の境遇には感じるところがあるのだろう。
「それにな、以前そちに言われたことだ。ワシは悪ではあっても、外道ではない。甘いと言われようが、これは譲れぬ」
よもぎも、これには深く肯く。
「……岡田、このような手段を採るワシを許せるのか?」
よもぎは答えない。
「岡田。ワシに付くか?」
畳み掛けるように、津島が聞いてくる。
「もし、否と言えば?」
「そちの事だ。例えお家を取り潰したとしても、永十手を持って出奔するであろうよ」
そう、その通りだ。だが、津島には切り札があるのだ。
「だから、永十手とお紺とやらを引き換えにする」
やはりそうきたか。
「だが、ワシとしては、そちに心から仕えてもらいたかった。このような事がなければ、それも可能だっただろうが」
津島は、そこで深いため息をついた。
よもぎは、今はどうにもならないと判断せざるを得なかった。
薫とお紺の身柄を握られている以上、出来るのは時間稼ぎくらいだ。
よもぎは、平伏して言う。
「しばしの猶予を」
「時間を稼ぐか」
ずばり見抜かれた。再び冷や汗が額ににじみ出る。
「まあよい。明後日使いを出そう」
そう言うと、津島は立ちあがった。
「岡田、邪魔したな」
そのままよもぎの横を通りぬけ、座敷を出ていく。お付きの二人も、慌てて後を追った。
「岡田」
突然、津島が振り返り、声を発した。
「ははッ」
「雁母様は、どのような困難でも笑って切り抜けるおヒトだった。そちにも期待しておるぞ」
そう言い残し、そのまま歩き去った。
よもぎは足音が遠ざかるのを確認すると、身体を起こして正座の姿勢になる。
「余之助、頼んだ」
「合点です」
天井裏から声だけが届いた。相手が馬だとしても、屋根伝いに行けば、見失う事はないだろう。こうなると、余之助だけが頼りだ。
「ここまでは完敗か。ですがご老中、最後まで意地を張らせて貰いますよ」
よもぎはひとりつぶやいた。