第14話
ついにSF化。
「よもぎ殿、こちらへ来て、ここにお座りなさい」
吉鉦が指差したそこには、いつの間にか見慣れない形をした椅子が置かれていた。
よもぎは、正体不明の椅子に、ちょっと退きながらも座る。特に何も起こらない。
「では、準備します。力を抜いて、気を楽にしてくださいね」
吉鉦はそう言って、よもぎの黒眼鏡を外す。
「あっ! それは」
声を上げるよもぎ。黒眼鏡を外すと、左目が開けていられないほど眩しいのだ。
すると、吉鉦がそれを制し、目を覗き込んできた。
「ははあ、よもぎ殿も三九郎さまと一緒で、生体光波端子が遺伝しているのですね。ならば、これを使いましょう」
そのまま、頭全体を覆うように、丸いつるっとした笠のようなものをかぶせてきた。
「上様、その生体、てえのは何なんです?」
「それも、これからすべて分かります」
そう言われては、何も言い返すことが出来ない。
「今から、この江戸の真実をお見せします。強制的に頭へ映像を送りますので、すこーしだけ頭痛がしますけど。ええ、すこーしですから」
吉鉦は、言葉の途中から、何とも例えようのない笑みを浮かべる。そう、まるで釈迦を堕落させる第六天魔王のような。
「う、上様? 性格変わっていませんか?」
「そんなことありませんよ」
そう答える吉鉦の視線は、斜め上四十五度を向いていた。
「こんな状況でなければもっと楽しいのでしょうが……」
そのまま片手を頬に当て、うっとりと目を瞑り、ほうっ、とため息を付く。
「……今、“もっと”とか言いませんでしたか?」
いいかげん、相手が上様だというのを忘れそうだ。
「気のせいです。ええ、気のせいですとも」
内藤がいたら何と言うだろうか。もしかしたら、黙って肯いてくれるかもしれない。
「こうしていると、三九郎様と過ごした楽しい日々が甦って来るようです」
満面の笑みで答える吉鉦。
(祖父さん! アンタいったい、どんな日々を過ごしたってんです!?)
一瞬、見えるはずのない虚空に祖父の顔が浮かんだ気がした。その顔は泣き笑いだったが。
そして、もちろんよもぎの心の声は、無情にも聞き届けられることはない。心の声なのだから仕方ないが。
「お覚悟は?」
まさに、まな板の上の鯉になった気分だ。
「ああ、もう! アタシも江戸っ子だ、すっぱりやっておくんなさい!」
よもぎは腹を決めた。
「では、行きます!」
刹那、吉鉦の声が急に遠ざかり、目の前が七色の光で満ちていく。それは、今まで見たことのない光景だった。
(な、何だこれは!?)
よもぎの目の前を、いくつもの光景が過ぎ去っていく。と同時に、聞いたこともない言葉が一気に頭に焼き付いていく。
見渡しきれないほど広大な赤茶けた荒野に、突然現れる半円状の覆い。その中に海ができ、取り残されるように大きな島がいくつか浮かび上がる。
(これが……これが日の本の成り立ちだというのか!?)
大惑い星、本当の名は地球。そして、この地の名は火星。
そこへ訪れる巨大な空翔る船。乗り込んだ多くの人々の中に、若干十八歳ながら天才科学者と謳われ、この計画の中心人物として参加していた吉鉦がいた。
吉鉦は、皆からカオルと呼ばれていた。
(そうか、カオルというのは上様の本当の名だったんだな)
打ち上げられる太陽衛星、運び込まれた種子から促成され、植えられた木々。鳥も、虫も、獣たちもすべて天翔る船からもたらされた物だった。
数多くの巨大なカラクリたちが船で作られ、箱のような天を衝く建物がいくつも造られた。
だが、突然破局が訪れる。
旅立ちの星、地球からの通信。そこで起こった大戦。その報が、カオル達にもたらされる。
故郷へ戻ろうとする人々。帰還船を残し、母船が去っていく。だがカオルだけは、多くのカラクリとともにこの地に残ることになった。この地の開拓や研究が終わっていなかったため、責任者の一人であるカオルはこの地に残り、開拓を進めながら皆の帰りを待つことになったのだ。その期間は、ほんの数ヶ月の予定だった。
“でも、皆は戻れなかったのです”
沈んだカオル……吉鉦の声が響いた。
帰還船は、いくさに巻き込まれたのだろう。船からの音信は途絶えてしまった。地球は軍事大国が覇権を争い、世界は内乱状態となっていた。
“私は、もう戻れない自分の立場を理解し、ここで生き抜く決意をしました”
突然場面は変わる。
巨大な空間に、ギアマンの箱が規則正しく無数に並んでいる。そのひとつひとつには、男女問わず裸形のヒト、ヒト、ヒト。種族も、犬族系や猫族系、狐や熊、馬や猿など、すべての種族が揃っているようだ。
(これが、ご先祖様ってことか)
遺伝子操作により生み出された融合人類。火星の苛酷な環境でも生き残れるように、強化されたヒトビト。
“戦もなく、人々のモラルが高かった時代。閉鎖された中でも安定し、限りある資源を有効に使っていた、理想的な循環型社会のモデルとして、私は日本の江戸時代を選び出しました”
全ての建設が終わると、自らの体を保存して思考パターンを機械に移し、この箱庭の日本を見守ることにした。
そして、いつ終わるとも解らなかった創世の叙事詩が幕を閉じた。
* * *
にわかには信じられなかった。
しかし、今見た光景は、一体何と説明すればよいのか。
すべてはヒトの、いや、吉鉦と名乗るこの女の手によって造られたものだった。太陽も、海も、そこに生きるヒト達さえも。
「信じられんが、本当の話なんだろうねえ……」
丸笠を外されたよもぎは、椅子で脱力したまま、傍らに立つ吉鉦を見上げた。
「そうです。これがすべての……江戸の始まりです」
よもぎは、深いため息をついた。風邪をひいたときのように頭が熱い。二、三度頭を左右に振って、改めて吉鉦を見た。
すると、なぜかあの剣術について語った薫の顔と、吉鉦の今の顔が重なって見えた。
全ての母なる存在であるはずなのに、そこにいたのは、持ちきれないほどの重荷を背負わされ、それでも前を向いて歩こうとする、か弱くも毅い娘だった。
(ああ、あのときの顔だ)
よもぎの中に、薫の時と同じように、この娘を守りたいという気持ちが湧き上がった。
「このことを知っているのは、他にもいるのかい?」
思わず、薫に話すように言葉を発してしまった。一瞬吉鉦は目を見開くと、柔らかく微笑んだ。
「全てを教えたのは三九郎様とよもぎ殿、あなた方だけです。主膳も、かなりの部分を知っています」
そして吉鉦は笑みを消し、言葉を続ける。
「一部だけ知っているのは、歴代の老中と側御用取次の一部のみ」
「なぜ、こんな大事を他人に?」
よもぎが疑問を口にすると、吉鉦は視線を落とした。
「太陽衛星の維持の為です。十年に一度の燃料補給と、百年に一度の新衛星打ち上げのためには、材料を集めるだけで莫大な資金がかかります。それを老中にすら知らせないというのは不可能ですから」
その資金を貯めるために、在りもしない大奥を設定したらしい。しかも、それを隠れ蓑にして商人達から材料を買い集めたのだと吉鉦は言う。
(ははあ、大奥なら大金がいつの間にか消えていてもおかしくないって寸法か)
そして、買い物の指揮を取るのは側用人。なるほど、よく出来た仕組みだ。
「普段の私は機械の体に意識と姿を映し出した、言わば立体映像みたいなもの。こうして、貴方と向かい合っているこの身は、仮初の姿なのです」
(そうか、あの陽炎の様な存在の希薄さは、写し身だったからか)
二人の間を、緊迫した沈黙が流れた。
しばし心を落ち着けたよもぎは、ついに最大の謎について聞く決意をした。
「上様、本当に何でも聞いていいんですね?」
「もう、貴方に隠しごとをするつもりはありませんよ」
吉鉦は、優しく微笑む。だが、その笑みに翳りが見えてしまうのは、よもぎが彼女の重荷を知ってしまったからだろうか。
「今までの話では、薫姫や上様が狙われた理由が解りません。そもそも、なぜ薫姫が……」
言葉が途切れてしまった。薫の存在理由を問おうというのは、あまりに彼女が哀れすぎる。そこに思い至ってしまったからだ。
だが、吉鉦はそこを察してしまったようだ。
「私がいけなかったのです」
ふと、吉鉦は顔を伏せ、つぶやくように言った。
「すべては、貴方のご祖父である三九郎様との出会いから始まりました」
「祖父さんとの?」
「私は、三九郎様を愛してしまいました」
血を吐き出すような言葉だった。
「あの気高きお心、全てを包み込むような毅い意志に、いつしか惹かれてしまったのです」
吉鉦は顔を上げない。ただ、下を向いてつぶやくだけだ。
「しかし、私はすでに生身ではありません。ヒトを愛することなど出来ようもない。……私は全てをあきらめる為、何もかも見せることにしたのです。この星の真実も、保存されているだけの体に意識を戻し、カプセルから出ることすら出来ない自分まで見せて。そうすれば、三九郎様も離れていくだろうし、私自身もあきらめがつくだろうと」
そこまで一気に告白すると、吉鉦は顔を上げ、真っ直ぐによもぎを見つめてきた。機械の体であるその目に涙はない。だがよもぎには、吉鉦が深い慟哭の中で、静かに泣き続けているように見えた。
「それでも、それでも三九郎様は私を愛していると告白して、カプセル越しでしたが愛してくださいました」
そのときを思い出していたのだろう。吉鉦の表情が、一瞬だけ幸せそうな微笑みに変わる。
ふとよもぎは、お紺から聞いた話を思い出した。そうか、これが薫の見た映像だったのか。
「そこから、私は生身の体を取り戻す為の研究を始めました。ですが人間の遺伝子をそのまま火星に対応させることは、困難を極めました」
それは、動物達の遺伝子を人と融合させるより難しかったらしい。他の動物には備わっていた遺伝子の一部が、なぜか人間には完全に欠損していた為だという。
「三九郎様がいるうちに何とかしたかった。でも、でも……間に合わなかったのです」
吉鉦は両手で顔を覆い、崩れそうになった。慌ててよもぎは立ち上がり、吉鉦の肩を支えた。
吉鉦は、小さく礼を言うと両手を下ろし、話を続ける。
「研究は続けました。そして十年前、ついに私の卵子から完全な人体の生成に成功しました」
よもぎは吉鉦を先ほどの椅子に座らせた。吉鉦は、それすらも気づかぬまま、ただ言葉をつむぎ続ける。
「でも、その体にはいつの間にか生命が宿っていたのです。……それが、薫です」
「何ですって?」
それが事実なら、薫と吉鉦は確かに親子であると言える。だが、何と数奇な誕生か。
「元々、体は六歳程度まで促成していました。ですから、気づいたときにすぐカプセルから出すことが出来、私の娘として教育を始めたのです」
ならば、よもぎにはどうしても聴いておきたい事があった。
「薫姫は、そのことを?」
「知っています。カプセルの中で学習する時に知覚していたようです」
薫にとっては、あまりに重い事実だろう。
「当然薫の事は、時機を見て私の娘として発表するつもりでした。ですが、それは薫が嫌がりました」
「それはなぜ?」
「あの子は、自分の生まれを気にしていました。私と自分はどう違うのか、単なる複製品ではないか、と。私が何度もそうじゃない、と言っても、どうしても納得してくれませんでした」
その話は親子の会話として、あまりに悲しすぎた。
そう、それはまるで、生身ではない為に恋慕をあきらめようとした、吉鉦の姿そのままではないか。
「最後に薫は、剣を通じて自分自身が何者か確立できるまで待って欲しいと言って来ました。そうすれば、娘と名乗っても自分の存在そのものを肯定できるから、と」
吉鉦が、再び両手で顔を覆う。
「私は、薫の言うとおり待つことにしました。私にとっての三九郎様のように、誰かが薫を救ってくれることを願って」
そこで吉鉦は突然顔を上げ、夜叉のように目を鋭く光らせると、両手を握り締めた。
「そして五年前に、あの男が老中となりました」
「それはまさか、津島甲斐守?」
「そうです。津島は老中となり、四年前に太陽衛星打ち上げのための責任者になりました」
やはり津島か。よもぎの頭に、あの縦に裂けた鋭い黄金色の瞳が浮かんだ。
「津島は衛星打ち上げに関わるうちに、地球と火星の関係に気づき、私に地球との交易を始めるよう進言してきました」
吉鉦は、その時の事を思い出したのか、顔を伏せた。
「当然私は、地球の内乱に巻き込まれてはならないと言い拒否しました。もちろん津島の記憶を消し、罷免しようとも。ですが、津島は事前に手を打っていたのです」
「その手とは?」
「いつの間にか一部の管理者コードを自分のものに書き換えていたのです。しかも、保存していた私の本体と、三九郎様を人質にしたのです」
「祖父さんを?」
死者である雁母を、どうやって人質にするというのか。
「三九郎様の思考は、あの方が亡くなる前に相談して、記憶と意識の二つに分けて保存していたのです。眠ったままの意識は人質として押さえられましたが、記憶の大半は永十手の中に保存されています」
「それはまた、どうして?」
「あの方を復活させるためです。三九郎様の細胞は保存して培養し、意識とともにあります。だからその永十手は、すべての機能のマスターキーであり、三九郎様の復活の鍵でもあります」
「これが……」
右腰から永十手を引き抜く。すると、軽く明滅をしている。
「ああ、それは共鳴現象です。私に近づくと、マスターキーである永十手が反応するのです」
(そうか、嬢ちゃんと永十手が共鳴したのは、そのせいだったのかい)
よもぎの頭の中で、またひとつ謎が解けた。
「ともかく、人質を捕られた私にはどうすることも出来ません。城内の管理者コードを津島にゆだね、私はこの場所に隠れました。幸い、この場所の地下施設のことは今でも知られていませんから。城内にいる私は、私自身が造ったダミーです」
(祖父さんが、自分のせいで上様が苦しんでいると知ったら、怒り狂うだろうねえ)
記憶にある雁母の、頑固で一徹な性格を知るだけに、その様まで想像できる。心なしか、永十手の明滅が強くなったように思う。
「なぜ永十手をアタシに? じいさんそのものなら……いえ、愚問でした」
その時吉鉦が浮かべたのは、あまりに透明な笑みだった。それを見て分かってしまう。雁母の記憶、そこにありながら、語る事すら出来ないお互いの存在が、つらすぎたのだ。
よもぎは、最後に残った謎を聞く。
「では、薫姫が狙われているのは?」
「薫は私と基本的に遺伝子が同じです。ですから、マスターの資格があります。マスターである薫と、母船の鍵である永十手があれば、母船から地球への直接交信も可能です。母船本体は京の都に、御所として存在します。この城の施設でも、可能は可能なのですが」
そういうことか。だから薫姫を極秘に攫おうとし、よもぎにも接触してきたのか。
(ははあ、アタシの御役目が変われば、将軍の命が無くても永十手は返納することになる。そいつが狙いか)
確かに、目的のために全てを犠牲にする。言葉通りだ。
「薫姫をここで匿うことは出来ませんか」
「薫は生身ですから。生活するのには、ここは不向きです。それに、知られた時に逃げ場がありません」
なるほど、それで外へと逃がしたのか。
「薫は、自分が本当は何故狙われているかを知りません。私に対する人質くらいに思っているでしょう。狙われた理由が、私と遺伝子が一緒だからなどど知られたら、またあの子は悩むでしょう。とても私の口からは言えません」
力いっぱい握りしめているのか、額を支えるように組んだ吉鉦の両手が白くなっている。
薫に関わるほぼ全ての謎は解けた。
こうなれば、よもぎの態度はひとつだ。
よもぎは、座ったままの吉鉦の前に出て膝を降ろし、組まれた吉鉦の手を、外からそっと包むように握る。吉鉦が驚いた表情で顔を上げた。
「上様、すべてわかりました。アタシは、どこまでも薫姫と上様のお味方を致します」
(間違いなく、祖父さんもそれを願っているだろうしねえ)
吉鉦は、感極まったのか顔を真っ赤に染めながら、じっとよもぎの目を見つてきた。しばらく口を必死で動かしたが、言葉が出なかったのか、何度も肯いた。
座敷が地上に戻ると、再び吉鉦は将軍の姿に戻る。今度は一瞬にして変わった。
何となく、よもぎは残念な気がした。
(あの衣装、嬢ちゃんにも似合いそうですがねえ)
埒もないことを考えてみる。衣装そのものの準備はともかく、薫が素直に着るとは思えないが。
「上様、お話は終わりましたか」
襖の外から、内藤の声が聞こえた。慌てて座敷に置かれていた大きな仕掛け時計を見る。
(こんなに短時間の話だったかねえ)
時間は半刻も過ぎてはいなかった。よもぎとしては、歴史を体感したせいなのか、感覚を失うほどの時間が過ぎたような気がしていたのだが。
「ああ、主膳。もう入れるぞ」
襖が開くと、内藤が廊下で正座をしたまま待ち構えていた。
「よもぎ殿にはすべてお話しした。主膳、そなたが知っていることもすべてだ」
「左様にございますか」
内藤は、チラリとこちらに視線を向けた。よもぎがどのような考えを持ったのか、不安があるのだろう。
「内藤殿、これからもよしなに」
よもぎが頭を下げて言うと、内藤は目に見えてほっとしたようだ。
「上様、アタシは戻ることにします。あまり長くいて、ここにいることがバレてもいけませんから」
吉鉦は肯き、内藤にも聞こえぬような小さな声でつぶやくように言った。
「薫が事、よろしくお頼み申します」
よもぎは笑みを浮かべて、内藤に見えないよう右手を上げた。
再び猪牙舟にゆられていると、お庭番の機械のように見事な操船が目に入る。
よもぎは、内藤に声をかける。
「内藤殿、このお庭番達、味方として使えませんでしょうかね」
内藤はため息を付きながら答える。
「残念ながら、な。こ奴らはヒトではない。上様のお造りになったカラクリで、遠くへは出せないらしいからな。ワシにも、ヒトとしか思えんのだが」
さても不思議な技術じゃよ。内藤は、そう言って笑った。
なるほど、だから気配がないのか。よもぎは納得した。