第10話
記念すべき二桁投稿。
このため、ちょっと艶シーン?(15禁にすらなりませんが)
由美かおるは偉大(ぉ
少々鬱シーンもあり。ご注意下さい。
「殿さま」
その日の夕方、お紺が小さな風呂敷包みを両手に抱えて、屋敷にやってきた。
「すまないねえ、お紺。仕事のほうは大丈夫かい?」
「ええ、お弟子さんにはちゃんと話しておりますよ」
「悪いね、巻き込んじまって」
「殿さま、水臭いことは言いっこなしですよ」
首を少々傾け、切れ長の目を細めて微笑むお紺。金色の長い豊かな髪が、夕方の暖かい光に包まれて後光のように輝いている。その、やさしくふわりと包み込むような空気と、なぜかうれしそうな姿に、よもぎの心臓がほんの少し高鳴る。
(やれやれ、お紺は艶っぽいねえ。ガラにも無く緊張しちまうじゃないか)
よもぎは、頭を掻きながら軽く頭を下げる。
すると、廊下の奥から何事かと薫が出てきた。
「岡田どの、いったいどうしたん……」
「あらぁ、薫ちゃん」
お紺の声を聞いて、ピタリと硬直する薫。からくり人形のようにぎこちなく動くと、回れ右をしてそのまま部屋の奥へと歩き始める。
その様子に、思わず吹き出すよもぎ。ちょっと意地悪く声をかけてみる。
「嬢ちゃん、どうしたんです?」
その言葉に、薫は背中をビクリと震わせ、ちらりと振り返った。
「え、いや、あの、その、な、なんでもない」
「殿さま、ちょいと失礼いたします」
すると、艶のある声とともによもぎの脇を涼やかな香りがするりと駆け抜けた。
「えっ!? あッ!」
気が付くと、薫はお紺に後ろから抱きかかえられていた。
「薫ちゃあん、逃げることないんじゃないのぉ?」
顔に満面の笑みを浮かべながら、薫をしかと捕まえるお紺。逃れようと、じたばたもがく薫。まるっきり、以前の着物事件の再現だ。
「は、離してくれっ、って、何で抜けだせん!?」
薫も、武術を修めているはずの自分が、なぜこんな戒めから抜け出せないのか、あせりながらも不思議顔だ。
もちろん、薫が女相手に本気を出していないこともあるだろう。だが、もともとお紺は合気術も達者だ。よく見ると、細かな技を駆使していて、決して薫を逃がさない。
まあ、一見そんな高度なことが行われているようには見えない。むしろ狐が子猫をいたぶって遊んでいるようにしか思えないのだが。
これぞまさに技の無駄遣い。いや、薫の訓練と思えばこれでもいいのだろうが、いい加減話が進まない。
「あー、もう、二人とも座敷へ入んなさいな」
呆れたよもぎに促され、薫もお紺も暴れるのを止めた。息荒く、顔を赤くした薫の袴の裾が捲れ上がって、白く透明感のあるふくらはぎが露わになっている。お紺は裾の乱れすらない。この辺が技量の違いか。
やっと大人しくなった二人の肩をぽんぽんと撫で、よもぎは先に座敷へ入った。
「は? しばらくお紺どのと一緒に?」
薫の身辺警護をかねて、お紺が薫に張り付くことを説明すると、薫は困ったような、苦いような、なんとも言えない表情を浮かべた。
「殿さま、こんな感じですかねぇ」
その言葉とともに後ろから薫に抱きつくお紺。どうも、いつもよりはっちゃけているようだ。その原因に、なんとなく思い至ったよもぎは、ため息をひとつ付く。
「まあ、それで構わないから、嬢ちゃんを守ってやっておくれ」
構わなくないーっ、と絶叫して暴れる薫を無視して、お紺がよもぎを見据えた。
「ええ、あたしの命に換えましても」
その時、お紺の目はまったく笑っていなかった。
よもぎは、その目を見て深く頷いた。
「なら、夕飯を食べて風呂でも浴びて、早めにおやすみなさいな」
「もちろん一緒に、ですよね?」
お紺の、満面の笑みを浮かべた問いかけに、こちらもにやりと笑って頷いてみせる。こうなったらお紺は、片時も離れないだろう。そう、自分の妹のことを忘れられない限り。
「ああ、一緒で構いませんよ」
「岡田どのっ!」
「警護なんだから仕方ないでしょう。それとも、男の添い寝のほうがいいですか?」
「ひ、ひとりで大丈夫だっ!」
それを聞いた薫は、顔色を赤から青へと忙しく変える。
「それは却下。アタシは内藤殿から直々に頼まれていますから」
薫はがっくりうな垂れた。
「それとも、お紺のことが嫌いなんですか?」
それを聞いたお紺の目が潤み始める。
「薫ちゃん」
「う、いや、そうではないが」
その目を見てしまったのか、薫は激しい罪悪感に襲われたようだ。
「だったら、一緒にお風呂入ろ?」
涙目でお紺が訴える。
「え、いや、あの」
「ねっ」
「その、あの」
「ねッ!」
「はい……」
再びうな垂れる薫。
「じゃ、お風呂行きましょ」
浮かれて踊りだしそうな雰囲気のまま、薫を後ろから抱きしめるように前へ押すお紺。
「お紺」
よもぎが問い掛けると、お紺は薫の背中を押しながら、こちらを振り返った。顔には笑みが浮かんでいたが、よもぎの顔を見た瞬間、その目だけは針のように細められた。
よもぎは、声には出さず口だけを動かし、言葉を伝えた。
(後で聞かせてくれ)
理解したのか、お紺が頷く。よもぎは沈黙をごまかすために、話しかけた。
「お紺、お前さんそういう性格だったかい?」
お紺はにっこりと微笑んで切り返す。
「殿さま、女にはいくつも秘密があるんですよ」
「おや、そうかい」
よもぎは、思わず苦笑を洩らした。
* * *
岡田屋敷にある風呂は、よもぎが当主となってから、五人ほど同時に入っても余裕があるほどの広さに改築された。よもぎの数多い道楽のひとつと言っても良い。
今そこには見目麗しい二人の女性が、湯船に並んで作られた洗い場で隣り合って座っている。二人は米ぬかを入れた袋で体を擦り洗っていた。
お紺がちらりと右手を見ると、まだ未成熟で小さなお椀を伏せたような薫の乳房には、ぽつりと薄い桜色の乳首が愛らしく息づいている。
先ほどの着替えでも見たのだが、肌は白く、磁器のように滑らかだ。女性らしく微妙に締まり始めた腹には脂肪が浮いていない。腰つきはむしろ少年のように引き締まっている。剣術で鍛えているからだろう。
そして、体毛は全く見られない。確かに種族ごとに違うものだし、どの種族でも女には少ないものだ。お紺も、豊かな髪と尻尾の他には、目立って生えてはいない。
だが、髪以外にはほぼ生えていない、というのは聞いたことがない。
何より不思議なのは、その小ぶりな尻には全く尻尾がないことだ。
お紺も様々な経験をしてきたが、全く尻尾のないヒトというのは初めてだ。
観察するようなその視線に気づいたのか、薫が勢いよくこちらを振り向き、おもむろに両腕を交差して胸を覆い隠す。
「お紺どの、何度も繰り返すが、絶っっ対に私の体に触れてはならぬぞッ!」
「はいはい、薫ちゃんのいけず」
「誰がいけずかーッ!」
うふふ、と低く笑うお紺。からかうと本当にこの娘は面白い。
(殿さまに言われなくても、興味が湧くわよね)
もちろん、楽しんでいるだけではいけない。反応から見て、薫に嫌われてはいないだろう。どちらかと言うと、苦手とか戸惑っているという感じか。
(妹みたい、か)
どうしても、この年頃の男勝りな元気さを持つ娘を見ると、思い出してしまう。
「薫ちゃん、洗い終わったら湯船に入らないと、風邪ひくわよ」
「うむ」
二人は、ヒノキの湯船に肢体を沈めた。湯加減は少し温めで、ゆっくり入れそうだ。
薫とお紺は髪を解き、湯にさらす。その髪は金と黒の藻のように広がり、二人の柔らかい肢体を半ば隠していた。
湯を堪能していると、ふとお紺は隣から視線を感じた。そちらに顔を向けると、薫がじっとお紺を、正確に言うとお紺の胸元を見つめていた。ちらりと自分の胸をみると、存在感のある乳房は、金の髪を押しのけるように、半ばお湯に浮いているように見える。
ちょっと不思議に思い、問いかけてみた。
「どうしたの? 薫ちゃん」
薫は、問いかけに後押しされたのか、真剣な顔でゆっくりと口を開いた。
「お紺どの」
「何ですか?」
「なぜ、そんなに乳が大きいのだ」
その問いに、思わずお紺は吹きだしそうになった。
「薫ちゃんも、そのうち大きくなりますよ」
笑って言うと、ちょっと薫は慌てたように両手を振った。
「い、いや、そういうことではなく、お紺どのは合気の達者と見たのだが」
今度は、どう話が繋がるのか分からない。お紺はちょっと首をかしげ、答えることにする。
「ええ、たしなみ程度には。それが何か?」
「乳は邪魔ではないのか?」
今度こそ、お紺は吹き出した。
「いいえ、邪魔じゃありませんよ。むしろ、女には武器と言えるものですし」
「武器!?」
薫はその言葉に驚いたのか、眼を丸くしている。
「あ、合気では女子は乳を武器にするのかっ!?」
これはさすがにお紺のツボに入ってしまった。盛大に吹きだすお紺。
「ぷっ! あっはっはは、あーおかしい」
笑いすぎて、思わずにじんできた涙を右人差し指で拭う。
「な、泣くほどおかしいか!?」
薫はやっと自分の勘違いに気づいたのか、顔を真っ赤にしている。
「もー、薫ちゃんたらかわいいんだからっ」
お紺は、自分の胸の中へ薫を抱えこんだ。
「なっ、なにをすっ! あ……」
暴れようとした薫が、急に黙ってしまった。
「どうしたの、薫ちゃん」
不思議に思ったお紺が問いかけると、薫はぽつりとつぶやいた。
「柔らかくて気持ちいい」
薫は右耳をお紺の胸に圧しつけるような姿勢だ。左手は、ちょうどお紺の右乳房を掴むような感じに置かれている。ただ、大き過ぎて手に余っているが。
「鼓動が聞こえる」
お紺が覗きこむと、薫は眼をつむり、安らかな顔をしているのが見えた。思わず、薫の体を両手で抱きかかえる。
「薫ちゃん、子供の頃を思いだしたのかしら」
「さあ、こうして誰かに抱かれたことなど、ないからな」
「そう」
お紺は追求しない。この、穏やかで壊れやすい時間を、少しでも長くしたいから。
ただ、右手で薫の背を、ゆっくりとやさしく叩きはじめる。
薫は、ちょっと驚いたように身じろぎしたが、すぐされるままになる。
やさしい時間が、少しだけ過ぎる。
「薫ちゃん」
「なに?」
お紺の問いかけに、ちょっとまどろんだような薫の声が答えた。
「あたしにはね、妹がいたの」
「ほう」
一拍置いて、薫が顔を上げる。
「ん? いた?」
「殺されたわ。五年前」
「何だと?」
薫の眼に、戸惑いの色が浮かんだ。
「まだ十六だったのに、阿片でボロボロにされて」
薫は眼を見開く。
「犯人は分かっていたし、忍び込んで証拠も得た。けど、手の届かない奴だった。お奉行所も手が出なかった」
「そんな」
思わず腕に力が入る。このことを思いだすと、いつもそうだ。
「それでね、何とか直接復讐しようとしたんだけど、止められたの。殿さまに」
「岡田どのが?」
「だけど、あたしは無視して、結局捕まっちまって、阿片漬けにされかかっちまった」
薫が息を飲むのが判る。
「そこを助けてくれたのが殿さまだった」
湯の中なのにあの時のことを思いだすと、今でも震えが止まらない。
「それから、阿片を抜くまでの期間は……地獄だった」
あの感触は、今でも生々しく残っている。そう、全身を毛虫が這い回り、いたるところに針を刺され続ける感触。全身の血が抜かれたように身体の中は冷たくなり、皮膚だけが火あぶりのように焼かれ続ける煉獄の日々。
そして、阿片を求めて這いずりまわり、昼も夜もなく医者や殿さまにすがりついて殴りかかり、逃げまわり、泣き叫んだ悪夢の時間。
「最後にあたしを支えていたのは、いつかそいつに復讐できる。この手で妹とあたしの敵を討てる、その思いだけだった」
お紺の身体は震え続け、薫を抱く手も力が入る。
「お紺どの! もう語るなッ!」
薫がお紺の背中に手を廻し、きつく抱きしめてきた。それで、震えが治まる。
「……薫ちゃん、もう大丈夫よ」
そう言うと、ゆっくりと薫の腕から力が抜けていった。
お紺は深く息を吐きだすと、ゆっくりと続きを話し始める。
「それからしばらくして、そいつの病死が発表された」
薫が息を飲んだのが分かる。
「すっごく怨んだ。殿さまも、世の中も、何より敵も討てなかった無力なあたし自身を……」
天井を見上げると、敵の顔に重なるように自分の顔が見える。思わず睨みつけた。
「殺したいくらい、憎んだ」
「……お紺どの」
ふと下を見ると、薫の顔があった。痛そうに、悲しそうに、こちらを見つめている。
ああ、なんてこの娘は綺麗なんだろう。その目には同情はない。そんな上から見下ろすような目じゃない。言うならば同苦だ。一緒に苦しがってくれている。
お紺は作り笑いではない、本当の微笑を浮かべた。
「でもね、もう大丈夫。敵は、殿さまが討ってくれたから」
「は?」
「殿さまが、そいつの印籠を持ってきてくれたの。いつもの調子でねぇ、『済まないねえ、追い詰めるのに時間がかかっちまった』ってね」
薫が訳が分からぬ、と言った途惑いを顔に浮かべながら、聞き返してくる。
「だ、だが、先ほど病死と」
「そう、発表はね。実際には切腹したってこと」
「何と」
その印篭は、妹を苦しめた阿片の入っていたものだった。
お紺の妹は、誘拐されて無理矢理阿片中毒にされ、売られたうちの一人だった。
薬事方の役人と、数人の大身旗本の欲望によって。
「あたしは、泣きながら印篭をコナゴナになるまで砕いたわ」
あまりに壮絶な話に、薫は口を半びらきにして、文字通り唖然としたままだ。
「だから、薫ちゃん、ごめんなさいね」
お紺は薫から手を放し、正面から見つめて頭を下げる。
「なぜ、謝るのだ」
「あたし、薫ちゃんと妹を、どうしても重ねて見てしまうことがあるのよ。でも、それって薫ちゃんにはすごく失礼だから」
「私と妹御は、そんなに似ていたのか?」
興味を惹かれたのか、薫が尋ねてきた。
「顔とかじゃなくてね、おてんばでやさしい空気っていうのかしら、そういうところがね」
「お、おてんばって……」
薫も怒っていいのか落ち込んでいいのか、何とも反応に困ってしまったようだ。形の良い眉を寄せて肩を落とし、なんとも情けない表情を見せる。
「ああ、別に薫ちゃんが目立っておてんばって事じゃないわよ。ただ、ご免なさいね、あたしったら、年概もなくはしゃいじゃって」
そう、浮かれてしまったのだ。何となく妹が帰ってきてくれたみたいで、昔みたいに。
薫は浴槽の壁に背を持たれて、天井を見つめた。お紺も隣でそれに習う。
「私には、兄弟も姉妹もいない。母上だけはいるのだがな」
その言葉が、ちょっとだけ引っ掛る。
「母上、だけ?」
「あ、いや、何でもない」
気にはなったが、薫の態度を見て、すんなり流すことにした。
「ふうん、兄弟とか欲しいと思ったことはあるのかしら?」
一瞬の沈黙が過ぎ、薫は静かに答えた。
「……そうだな、兄や姉は欲しかったのかもしれない。何でも相談できるような、な」
浴室に、沈黙が訪れた。
あるのは、時折湯がはねる音だけ。
「なあ、お紺どの」
それに小さく穴を開けるように、ゆっくりと薫が切りだした。
「何かしら?」
「妹御は、そなたを何と呼んでいたのだ」
「え?」
お紺が驚いて薫を見つめると、薫は少し赤い顔でこちらを見ている。
眼を閉じ、妹の顔を思い返す。
「……そう。ねえ様、だったわね」
まぶたの裏に映る妹の顔は、少しぼんやりしているが、満面の笑顔でそう呼んでいた。
そして直後に、最後に見た、精気が抜けて濁ったよだれを流し、どろりとした焦点の合わない瞳を虚空に向けるだけだった妹の姿が思い起こされた。
頬に、汗とは違うなにかが流れたのを感じた。
「な、ならば、わ、私もそう呼んで良いのか?」
「え?」
その言葉に、思わずお紺は我に返り、まじまじと薫を見つめてしまった。
「お、怒る、か?」
薫は、顔中を赤く染めて、ちょっとうつむき気味に、上眼づかいでこちらを見ながら、恐る恐る問いかけてきた。
それを見て、ますます妹に似ている、と思う。意地っ張りで、騒がしくて、それでも姉思いでやさしくて、暖かかった。
「ううん。呼んでみて」
「お、お紺ねえ様……?」
さらに顔を赤く染めて、少しどもりながらもはっきりと呼びかけてくる薫。
突然お紺の中に、何か熱い塊が浮かび上がり、喉もとまで上がってきた。
叫びだしたくなる感情を抑えると、喉を突き抜けて眼から何かが吹きこぼれるのを感じた。目の前が雨に濡れたようににじむ。
「お、お紺どのっ! な、何かいけなかったか!?」
お紺は、自分を抑えるのに必死になった。目の前で、にじんだままの薫が、手をわたわた動かしているのがおぼろげに分かる。
とりあえず、湯舟の縁に置いた手ぬぐいで顔を拭いた。
「そうじゃないのよ、薫ちゃん。妹のこと思いだしちゃってね」
「お紺どの……」
「ほら、呼び方が戻ってるわよ」
出来るだけやさしく突っ込んでみる。
今、自分の顔は笑えているだろうか。
「あ、お、お紺ねえ様」
真っ赤になりながらも、こちらをまっすぐ見て自分の名前を呼ぶ薫。
その姿に、何があろうともこの娘を守るという決意を、固めることが出来た。