第2話 運命の掠め取り、悪役御曹司のスマートすぎる孤児院ジャック
あれから月日は流れ、気づけば僕は六歳になっていた。
前世の記憶をしっかりと保ったまま、美咲財閥の御曹司としてスクスクと育った僕には、この数年間で地道に積み上げてきた大きな誇りがあった。
それは、幼い頃から周囲の大人の好感度を上げるために、ありとあらゆる愛嬌を振り撒き、礼儀正しさを徹底してきた努力の結晶だった。
その結果として獲得したスキルは、伊達や酔狂ではない。
肉体的な基礎を底上げする『体力増強(弱)』。
頭の回転や反応速度を高める『思考加速(弱)』。
対象のステータスや情報を一目で暴く『鑑定』。
卓越した調理技術が得られる『料理』。
いざという時の護身術である『格闘術』。
どれをとっても、六歳児としては反則スレスレの強力なラインナップが揃っていた。
だけど、ここで慢心するわけにはいかない。
六歳という年齢は、ゲーム『ラブグラ』の世界において、絶対に忘れてはならない極めて重要なターニングポイントだった。何せ、この時期に同い年の五つ子ヒロインたちの運命を大きく変える、あの危険を孕んだ一大イベントが起きるのだから。
原作ゲームの知識によれば、その事件の舞台はとある閑静な孤児院の庭先だった。
街で起こったコンビニ強盗の犯人が、警察の追跡を振り切ってその孤児院へと逃げ込み、怯える五つ子の一人を人質にとろうと刃物を突きつけるという、一歩間違えば大惨事になる緊迫のシチュエーションである。
本来のシナリオであれば、そこに剣道の稽古帰りで竹刀を抱えた主人公、高梨理玖が颯爽と現れ、その竹刀を構えて勇敢に強盗犯と対峙し、「もう大丈夫だよ」と優しい言葉をかけてヒロインたちを救い出す。
それが、主人公と五つ子ヒロインたちの運命的な最初の出会いとなるはずだった。
そして、それから十年近い時を経て、高校に入学した時に再び運命の再会を果たし、物語が本格的に動き出す──というのが原作の筋書きだ。
「だけど、それはあくまで『主人公が主役だった場合』の話だよね」
僕は自宅の広い庭で鍛練に励みながら、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
僕は、この日のために何ヶ月も前から緻密な計画を練り上げていた。
あのイベントの発生日時と場所は、ゲームのデータから完全に把握している。主人公の理玖よりも早く強盗犯に立ち向かい、すべての美味しいところをごっそり掠め取ってしまえばいいのだ。
僕が頭の中で組み立てた完璧すぎるシナリオはこうだ。
まず、五つ子たちが遊んでいる孤児院の庭先を、近くの物陰から監視する。
やがて原作通り、ナイフを手にした血走る目のコンビニ強盗犯が飛び込んできて、五つ子に襲いかかろうとする。
その瞬間、主人公よりも一足先に、スキルで強化されたこの六歳児の肉体で強盗犯を瞬く間に制圧する。
そして、怯える五つ子たちに満面の笑みで救いの手を差し伸べ、「もう大丈夫だよ、僕が守るから」と優しく声をかける。
結果、五つ子たちから最大級の感謝を勝ち取り、僕は彼女たちの『運命の王子様』の座を完全にゲットする。やったね! 大成功!
「完璧すぎて、震えるね」
計画の美しさに酔いしれながら、僕は準備を整えた。
美咲財閥の車で近くまで送ってもらい、そこからは自分の足で目的地へと急ぐ。
ゲームの知識という最強のチートを武器に、僕は五つ子ヒロインが暮らす孤児院の敷地へと足を踏み入れた。
§
孤児院の裏手に回ると、砂場や古い遊具の置かれた小さな中庭があった。
そこでは、まだあどけないけれど、将来の絶世の美貌を予感させる五つ子の少女たちが、楽しげに小さなボールを投げ合って遊んでいる。
「あっちだよ、一果お姉ちゃん!」
「こら、五姫、あんまり走ると転ぶよ」
「うう、ボールが変なところに……」
「四季、しっかりしてっ!」
「皆、おやつの時間だって」
なんと愛らしい光景か。
だが、感傷に浸っている暇はない。僕はすばやく近くにそびえ立つ大きな欅の木の幹の影に身を隠し、息を潜めてその様子をじっと観察した。
『思考加速』のスキルが脳内でフル回転し、周囲の音や風の動き、時間の流れを鮮明に捉える。すべては計算通り、寸分の狂いもない。
その時──。
ガサッと、中庭の裏手に続く塀の向こうから、荒々しい足音が響いた。
「くそっ……! 警察のやつらめ、しつこすぎる……!」
来た!
見れば、目を血走らせ、ボロボロの服を着た男が、ギラギラと光るナイフを片手にフラフラと飛び込んできた。その凶悪な気配に気づき、五つ子たちは一斉にピタリと動きを止める。
「きゃああああっ……!?」
悲鳴を上げる五つ子。男はゆがんだ笑みを浮かべながら、一番近くにいた長女めがけて突進していく。
まさに、原作通りのあのイベントが始まった瞬間だった。
「おっ、ちょうどいいガキ共だ! おい、お前ら、おとなしく人質になれぇ!」
強盗犯のセリフとほぼ同時に、物陰から飛び出した小さな影が、信じられないほどの爆発的なスピードで砂埃を巻き上げて突進していく。
そう、他でもない、この僕だ。
「ヒャッハー! 正義の使者、美咲朔夜様とは俺様のことだーーっ!!」
静かな孤児院の庭に、まったく正義の使者らしくない世紀末的かつ狂気に満ちた叫び声が轟いた。
『格闘術』と『体力増強(弱)』のスキルを全開でブーストさせた六歳児の跳び蹴りは、常人の想像を遥かに超越している。
「な、なんだこのガキ──ぐはあっ!?」
ガツンッ、という凄まじい衝撃音とともに、刃物を振り上げようとしていた強盗犯の鳩尾に、僕の小さくも硬い踵が完璧に突き刺さった。
身長一〇〇センチそこそこの幼児のキックをまともに食らった男は、白目を剥いて宙を舞い、そのまま背中から盛大に地面へと崩れ落ちて、そのまま動かなくなった。一撃で完封である。
「は、はう……?」
あまりの急展開に、男を取り囲むようにしていた五つ子たちはその場でポカンと口を開け、言葉を失っていた。
そして、その物音を聞きつけて、中庭の入り口から慌てた様子で飛び込んできた少年の姿があった。手にしっかりと竹刀を握りしめている。見れば、いかにも正義感の強そうな顔立ちをした少年──主人公の高梨理玖その人だった。
「ハァハァ……! 皆、大丈夫かっ……!? 僕が助けに──って、えっ?」
理玖は目の前の光景を見て、盛大に足を滑らせかけた。
気絶して白目を剥いている凶悪な強盗犯と、その傍らでホコリを払いながらフッ、と涼しい顔で佇む、仕立ての良い服を着た一人の上品な幼い少年。
「み、美咲朔夜……っ!? なんで、なんでお前がここにいるんだよ……!」
理玖が信じられないものを見るような目で叫ぶ。
僕は思わず小首を傾げてみせた。
ん? なんで彼は僕の名前を知っているんだ?
うーん……あ、そういえば、さっき突撃する時に自分で「正義の使者、美咲朔夜様とは俺様のことだー!」って高らかに名乗っちゃったんだっけか。うっかり盛大に自己紹介してしまったらしい。まあ、細かいことは気にしないでおこう。
「ちょ、ちょっと、あなた……大丈夫……?」
呆然とする理玖をそっちのけで、五つ子の一人がおそるおそる僕へと近づいてきた。
僕はすかさず視界の端で『鑑定』スキルを発動させる。名前は『一果』。五つ子の長女だ。凛とした気高さを持ちながらも、どこか寂しげな瞳をした美しい少女だった。
「男の人なんて、みんな傲慢だったり、なよっちかったりで、どうせろくなやつがいないと思っていたけれど……あなたは、違うのね」
一果は潤んだ瞳で僕を見上げながら、そうぽつりと呟いた。
「とても優しくて、すごく勇敢だった。助けてくれて、ありがとう」
その言葉を皮切りに、他の四人の姉妹たちも次々と僕のまわりに駆け寄ってきた。
「君、とてもいい匂いだね……」
次女の双羽が僕の腕にしがみつき、くんくんと子犬のように鼻を鳴らす。
「すごいよ! あんな大きな悪い人を、一撃で倒しちゃうなんて、とっても強いんだね!」
三女の三織がキラキラとした尊敬の眼差しを向けてくる。
「怖かったけど……あなたが来てくれて、本当によかったです。すごいです!」
四女の四季が胸元で小さく手を合わせながら、キラキラと瞳を輝かせる。
「かっこいー……! お兄ちゃん、すっごい強かったよ!」
五女の五姫に至っては、僕の服の裾をギュッと掴んで、完全にメロメロといった表情で飛びついてきた。
ふふふ……よし、完璧だ。原作の主人公が入り込む隙間すらない、完全なる僕の独壇場じゃないか!
五つ子たちの好感度は、この瞬間だけで限界値まで跳ね上がったに違いない。
けれど、僕の計画はこれだけでは終わらない。ここからが真骨頂、僕が用意したもう一つの『とびきりの大計画』を実行に移す時だ。
僕は冷静さを保ちつつ、落ち着いたトーンで、目の前の少女たちに微笑みかけた。
「ねえ、君たち。こんな物騒な事件が起きるような場所で、ずっと暮らしていくつもりかい?」
「え……?」
一果が怪訝そうに眉をひそめる。
僕はスッと立ち上がり、美咲財閥の御曹司としての気品を最大限に醸し出しながら、両手を広げてこう宣言した。
「よかったら、僕の家で一緒に暮らさないか? そこには、君たちが安心して眠れる広くて綺麗な部屋があって、一流のシェフが作る最高に美味しい食事や、ふかふかのベッド、いくらでも遊べる娯楽が揃っている。今より何倍も豊かで、安全な生活を僕が保証するよ」
その提案に、その場にいた全員が息を呑んだ。
遠巻きに見ていた主人公の理玖に至っては、「なっ……!? いきなり何を言い出すんだあいつは……!」と完全に置いてけぼりを食らっている。
「なぜ……? 見ず知らずの私たちに、そんなに優しくしてくれるの……?」
一果が戸惑いながらも、真剣な瞳で僕の目を覗き込む。
僕はフッと慈愛に満ちた笑みを浮かべて答えた。
「簡単なことさ。君たちが将来、それぞれの分野で必ずや世間に名を馳せる素晴らしい人物になるからだよ。僕にはそれが、未来のビジョンとしてハッキリとわかるんだ。だからこれは慈善事業じゃない。投資さ。そのための手助けを、ぜひ僕にさせてほしい」
前世の営業マン時代に培いスキルでブーストされた圧倒的な説得力と、幼い美少年特有の麗しいルックスが融合したその言葉は、少女たちの心に深く、そして鮮烈に突き刺さったようだった。
「未来が……見えるの……?」
一果はしばらくじっと僕の顔を見つめていたが、やがてふっと緊張を解き、穏やかな笑みを浮かべた。
「……ふふ、変な子。でも、あなたのその目、嘘をついているようには見えない。あなたは信用できる。それに、なんだかとても温かい人みたいだから」
「ほんと!? じゃあ、美味しいご飯が毎日食べられるの!?」
「やったぁ、お兄ちゃんと一緒にお城みたいなところに住めるんだね!」
三織や五姫たちが歓声を上げ、双羽や四季も嬉しそうに顔を見合わせる。
「決まりだね。さあ、お迎えの車がもうすぐ来る頃だ。行こう、僕の家へ」
こうして、呆然と立ち尽くし、蚊帳の外に追いやられた主人公の高梨理玖そっちのけで、僕は五つ子たちを美咲家の新しい家族として迎え入れることに成功したのだった。
これは最高にスマートで華麗なハーレムロードの序章にすぎない。




