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トラブル

アルゴナウタイの中では食欲低下の兆しが出てきていた。それは意識に何らかの影響があることを意味する。その謎を解明するために量子コンピューターの疑似人格「イブ」は内部調査室メンバーを決める。ノストラ人はメンタル的に安定しているのだが、地球人は不安定だった。リン・ズーハンはクリスに恋心を抱くが、クリスは無反応だった。そのうちに地球人のメンタル自体が不安定になっていく。その謎を突き詰めていくうちに、探査船はとんでもないトラブルに襲われていく。

16


『へえ!なんてスピードなんだ!お前はすげえな、クリス!』

『階級なんて、俺には何にも関係ないよ。仕事がやりやすくなっただけの話さ。』

『だってよ、そのうちお前少佐になりそうな勢いじゃねえか。いやあすげえよ。』

『じゃあそうなったら君は僕の部下になれるのかい?』

『じょ、冗談じゃねえよ。お前は永遠に俺のダチだって!』

予想通りの反応だったが、ジョージのそういうところは本当に気持ち良かった。この男もある意味階級など関係ない世界で生きている。間違いなく、ジョージとズーハンは他の地球人とは違う何かを持っているはずだ。

クリスは笑みを浮かべて、サビーナに話を振った。

『ところでサビーナ、ズーハンの具合はどうだい?』

『まちまちね。波が激しいの。どうにかしないといけないわね。』

『そうか・・・わかった。何か考えてみよう。それじゃまだよろしくね、みんな。』

クリスは通信を切り、そして今度はイヴへの回線をつないだ。

『あらクリス。ここのところご無沙汰だったわね。』

『あら、じゃないよ。あっという間に少尉になっちゃったよ。それに君には筒抜けじゃないか。』

『あら、すごいじゃない。階級設定は私の仕事だけど、特別ケースも認められているわ。あなたは選ばれた人だからねえ。きっと出世すると思っていた。』

クリスは意図的に、カントルから言われたような意識データに侵入されないようにしてみた。すると何となくではあるが、以前のようにイヴの声が響かなくなってきたように感じた。

『あれ?・・・あなた、私をカットできるの?』

『そうみたい。いいか悪いかわからんけど。』

『すごいわ。人類でそれができる人って、ごく一部の特異能力者以外いないわよ。あなたはそれができる・・・すごい。やっぱりクリスでないとこの状況は解決できない。』

クリスは初めて、イヴと対等に会話できると感じた。それまでは操られているような感がずっとあったのだ。

『今ちょっと思ったんだけど、イヴはあえて『この状況』と言ったのかい?それとも自然に?』

『もちろん、ごく自然に言ったの。』

『だとすれば、イヴが把握している『この状況』って何?』

『そうね。もうあなたには伝えてもいいわね。外部からの意識データへの侵入が発生しているわ。』

『例のGBD・・・はどう?何かヒットした?』

『たぶんだけどね。アーキム・ムフタール第2帝政初期に脱出したミュータントたちのことだと推測される。彼らを支持していたとされる新興宗教があってね、彼らは神によって人類は滅びるので、そのために準備された人たちがいると考えたの。』

『それが・・・そのミュータントたちってことか。』

『新興宗教の名前はゴッド・ブレス・デストラクション(神の息吹による破壊)だった。』

『つまり、GBD・・・か。今回のことにミュータントたちまたはGBDが関与しているのか?・・・考えにくい。』

『今のところそう考える方が自然ね。』

『とりあえすだけど、ミュータントたちはどんな連中だったんだい?ミュータントってことしか知らないけど。』

『そこが本当に消去されているんだけど、ハンナのデータベースには(大いなる混乱があった)とだけ残されている。彼らの力が社会を混乱させたと推測はできるわね。』

『第2帝政の圧政って、かなりのものだったようだね。混乱していたテラ帝国内を強引にまとめようとして、社会が停滞したとは知っている。ただでさえ混乱しているのにさらに混乱したってどういうことなのかな。』

『それはまだわからない。継続して調査していくわ。』

『わかった。手掛かりはたぶんズーハンにあると思う。俺はそちらを調べておくよ。』

クリスはイヴとの回線を切り、カントルとの回線を開いた。

『室長。先日お話されていた、アンドロイドへの意識データの解析は可能という件ですが、それはすぐに使えますか?』

『ああ、大丈夫だ。誰に使うんだね?』

『我々内部調査室のメンバー、リン・ズーハンです。彼女はかなり精神官能に対して敏感です。彼女への追跡を調べればヒントが掴めるかと思われます。』

『よし、ではすぐここに来たまえ。マニュアル転送を行う。』

クリスはカントルのところに赴き、極秘コードを解除してマニュアル転送を行った。これでクリスはクルーにアクセスした本体を、ズーハン経由で探ることができる。クリスは生活管理室を出て、自室に戻った。そしてズーハンに連絡した。

『ズーハンかい?気分はどうだ?』

『ああクリス・・・今は大丈夫よ。』

『こんな時に申し訳ないんだが、協力してもらいたい。』

『どんなこと?』

クリスはカントルからの説明をそのまま伝えた。

『マスターに探られるのは嫌なんだろう?僕だったらどうかってことなんだよ。』

少しの間の後、ズーハンからオッケーのサインが伝わった。嫌なことは嫌なのだろう。なにせ、ズーハンは人一倍のコンプレックスの持主だ。かなりのことが過去にあったはずだ。それを見ざるを得ないのだから。だが、マスターなら絶対だめなのだが、信頼おけるクリスなら大丈夫という返事だ。

クリスはズーハンを内部調査室に呼び出した。もちろんジョージやサビーナにも今から行うことは伝えてある。

先にクリスが着き、遅れてズーハンが入室した。いつもの元気ぶりがすっかり影を潜め、ダークな雰囲気を漂わせていた。見た目は変化ないのだが、非常に疲れて見えた。無理もない、常に得体の知れないものに探られているのだから。それがGBDなのかどうかは、今からわかる。

ズーハンは最初に感じた尖りが影を潜め、メンタルがダウンしている様がありありと見えた。メカボディではあるのだが、メンタルと動きが比例するように設計されているので、クリスはソファにズーハンを座らせた。

「遅れてごめんね。心の準備がね・・・。」

「わかるよ。君に万が一のことがないように、僕はメンバーと常にオープンにしていようと思う。彼らは詳細を知ることはないけど、非常の時だけ僕から彼らにシグナルが行く。彼らは近くにいて、待機している。そして君にとって絶対に知られたくないことは、もちろん君の意思でシャットアウトできる。これでどうだい?」

「いいわ。それに・・・あなたたちになら全部知られてもいい。信頼してるから。」

「ありがとう、ズーハン。それじゃあ始めよう。リラックスポッドに入ってくれるかな。」

ズーハンがリラックスポッドに入ると、クリスはマニュアルに従ってマスターコードでズーハンの顕在意識回路をカットした。ズーハンはすぐに、いわゆるトランス状態になった。顕在意識がなくなり、潜在意識のみで会話するようになる。イヴがようやく到達できるレベルが潜在意識と健在意識の境界となる。健在意識のデータのみをカットした状態にズーハンはなっていた。

そしてズーハンと強力なプロテクトでカバーされた極秘回線と自分を接続した。そしてクリスは部屋のソファに座り、自らの顕在意識モードを残しつつ、潜在意識でズーハンと接続した。

瞬時に、クリスは見たこともない景色の中にいた。巨大な河川があり、切り立った山々が見える。クリスはちらと見えた自分の服が見たこともない服だと気がついた。きわめてカラフルな服だった。

「これは・・・ズーハンの故郷、か?」

ズーハンは大河流域の町出身だった。今クリスが見ているのは、ズーハンの故郷の景色だった。服はズーハンが着ていた服のようだ。ここでズーハンは生まれたのだ。そしてズーハンは、国の管理する超能力開発センターの学生のようだ。次々に情報が流れ込んできた。彼女は大河川の支流を眺めていた。その日の川は荒れており、波も激しかった。




「ズーハン!何をやっている!」

男性の声が聞こえてきた。それはズーハンの教育係でかなりのイケメンだった。 ここでは学生に個室が割り当てられていた。

「別に。川を見てるだけよ。」

「今は授業だろう!さっさと戻れ!」

「・・・嫌よ。」

「なんだと!」

「あたしはね、あんな子供だましの授業なんか受けたくないの。」

クリスは顔をしかめた。この男に対する嫌悪感が伝わってきたのだ。どうやらズーハンはこの男と肉体関係にあったようだ。肉体を凌辱される感覚があった。

「ズーハン!」

男はズーハンに歩み寄り、顔面を強く張った。ズーハンは殴られたまま少し間を置き、そしてキッと男を睨みつけた。

「あんたがね、何人の女を泣かせてきたのか知らないとでも思ってるの?虫も殺さない顔してさ。珍しいよね、今どき。あんたが強い力を持っててさ、周りの人間を思うように動かしてきたんでわからなかったけど、残念だけどあたしはあんたよりもっと強いんだ。あんたとヤッてるときにさ、何人もの顔が浮かんできたよ。地獄だよ。それを全く周囲にわからないようにさせてさ、挙句の果てには女たちまで思考止めちゃってさ。それで、なに?あたしがそんなに良かったの?滑稽だったよ。あんたがめちゃめちゃ興奮しちゃってる心を眺めてるのをさ。だけどさ、2回目からは寝てないんだよ。知ってたかい?」

「な、なんだと!」

「あっはははは。あんたがあたしの部屋でさ、1人で悶えてるのをあたしは酒のあてにしてたんだよ。馬鹿みたいだよ。とっとと戻りな。」

ズーハンは再び大河に顔を向けた。ズーハンは、相手に幻覚を見せることができたようだ。そして相手と精神感応することによって情報も引き出せる力を持っていたようだ。これは生来のもので、決して開発や手術によって得た能力ではなかった。

「こ、このアマ!」

男は懐からナイフを出してズーハンの背中に突き立てようとした。振りかざしたナイフはズーハンに突き刺さるはずだったのだが、その腕はそのまま止まらず、川沿いに建てられたフェンスを越えて、男はそのまま叫びながら荒れた川に落ちていった。

ズーハンは男が振りかぶった場所にはおらず、少し離れたソファに座っていた。最初からここに座っていたのだ。男はこの場所に来たときからすでにズーハンの幻覚の中で動いていた。

「すごい力だったんだな、ズーハンは。」

クリスはズーハンが周囲に合わせられない意味がわかった。手に取るように相手の言葉の嘘を見抜けるのだ。それでは普通に暮らせるはずもない。だからこそ普段はコントロールしてきていたのだが、普通の生活をしようと思えば思うほどうまくいかなかった。それこそ地獄だった。しかも彼女の両親も同様の力を持っており、そのためにお互いを殺してしまうはめになったようだ。ズーハンは地球にいること自体が苦痛となり、それで探査クルー検査に臨み、合格したのだった。

ズーハンの中で最大の障害を通過したクリスは、次の障害にぶつかった。それは船内での人間関係だった。ズーハンはここでは普通にできると思っていたのだが、やはり近づいてくる上司同僚たちにうんざりして、やはりあの力を使わずにはいられなかった。数々の男たちに自分が眼中にないように思わせ、女たちの嫉妬からも逃げなるようにしていった。ただただ疲れるばかりの毎日で全く馴染めずにいたところ、内部調査室のメンバーとなるようにマスターから言われたようだ。

「これは、俺か?」

クリスが驚いたのは、ズーハンの中にあるクリスの姿を確認したからだ。全く自分を性対象として見ることはなく、純粋に業務遂行している姿が光って見えていた。さらに、誰のことでも操ることができたズーハンだったが、それができなかったのは内部調査室のメンバーたちだったことだ。思い切り性対象として見てはいたがジョージの陽性のマインド、サビーナの限りない優しさにズーハンは救われていた。

「そうか・・・それはまあ、良かったが・・・。」

だが、内部調査室に入る前あたりから、ズーハンの心が淀みだしていた。両親や例の男だけではなく、多くの対人的トラブルの記憶にロックしていたはずなのだが、それが次々に開かれてゆき、思い出したくもない記憶に苛まれるようになっていた。

アンドロイドボディでも夢を見るように設定されてはいるのだが、それは過去の幸せな記憶を呼び覚ますようにプログラミングされていた。夢から醒めたときには至福の感覚で目覚めることができる。だがズーハンの場合はそうではなかった。

クリスはズーハンが決して他人には見せたくない事項や感情が土石流のように押し寄せてくるのを、片端からラベルをつけて受け流した。凄まじい量の感情を、ズーハンは潜在意識下に内包していた。それだけのものがあるならば、平均的な幸福な夢など見るはずもない。

美しい感情から醜い感情まで様々だった。カントルが言ったように、これは常人ではとても耐えきれないことだった。機械であってもこれは無理だったろう。受け流すということができなければ、メモリーはたちまちパンクしてしまう。

子供の頃から成人まで続く感情の荒波が延々と続いていた。どれくらいの時間が経過したことだろう。果てしなく続くと思われた感情の流れだったが、クリスは気がついた。

「これ・・・同じことが回ってるぞ。」

つまり、わかりやすく言えば堂々巡りと言うことになる。幾つかの事項、幾つかの感情が途切れることなく続いている。しかもどうやら当初に感じたものが増幅していた。過去にあったことに対する感情が増えていて、明らかに敵味方という振り分け方になっていた。普段からこれでは明らかに精神が参ってしまう。ズーハンは強力な力で抑え込んではいたのだが、無意識にこの感情に苛まれているクルーたちはどうなのだろう。精神調律でおさまっているのだろうか。

クリスは用心深く、個々の事項と感情を振り分け、整理し、やがて一個の事項と感情のみが残った。それは、彼女が漆黒の闇の中で初めて自己を確認した瞬間のことだった。しかしそれは決して喜ばしいものではなかった。

「そうか・・・この瞬間から両親の力に翻弄されていたんだな。」

それは母親の胎内でズーハンの中に魂が宿った瞬間のことで、生物としてミトコンドリアが活性化し始めた瞬間だった。この時点で強い力を持った両親の力は、無意識的にズーハンの魂を激しく動かした。声にならない悲鳴が響いていた。

この原始的な激しい感情を見ていると、クリスはズーハンに影響を与えているのは両親だけではないことに気がついた。ひとつだけ、いや複数の波長が見え隠れしていた。

「これは・・・なんだ?」

クリスがその波長にフォーカスしようとした瞬間、それは激しくスパークして消滅した。

「うわ!」

クリスはスパークした激しい爆発的な波に押され、急速に後退しながらズーハンとの同調回線を切った。

「クリス!」

トランス状態だったズーハンだが、クリスと同時に覚醒し、同時に椅子から転げ落ちてゆくクリスを見た。ズーハンはすぐにリラックスポッドを出て、倒れているクリスにかけよった。

「クリス!クリス!しっかりして!」

クリスは大丈夫だというメッセージをズーハンに送った。

「すまんズーハン・・・椅子に、座らせてくれないか。」

「わかった。あたしにつかまって。」

ズーハンはクリスをやっとのことで椅子に座らせた。

「どう・・・だったの?」

「ああ・・・成果はあったよ。」

「ど、どんなだった?」

クリスは深くため息をついた。クリスがあの意味がわからないものに触れた瞬間しかないが、それは旧式のSⅬEと、見たことがない服を着た人々の姿だった。自動制御されてはいるようだが、あまりにも動きがない。まるで固まったかのようだった。動画が止まったような感覚があった。そしてそこに充満していた感覚にクリスは驚いた。すさまじいまでの疑問と、激しい怒りだった。

アンドロイドの意識データは本人ならではの配列になっているのだが、そこから導かれたイメージを見て、クリスはぞっとした。ヒストリーアナライザーとして地球史を分析研究してきた実績で得た知識と照合して、ありえないことが現実に起きているかもしれないと悟った。自分の分析ミスであってほしいと願った。


17  


クリスは、マスターの部屋、つまりイヴの部屋にいた。クリスにしては珍しく、自ら出向いて話したいと願ったのだ。例によってカーゴの一部となって、クリスは運ばれていった。入った瞬間から、部屋はいつものビーチハウスになっていた。

「クリス、珍しいわね。わざわざ来なくてもいいのに。それに、あなた・・・どうしたの?ちょっとだけど意識波が乱れているわよ。」

クリスは自らの意識をカットしていて、意識データ自体はイヴには読めない。しかし自分の意識波を見ると、乱れていることは明白だった。

「イヴ、大至急調べてほしいことがあるんだ。」

「どうしたの?」

「僕がわざわざここに来たのは、たとえ1ミリでも漏れないようにしたかったからなんだ。僕の予想が外れてくれることを願っているよ。」

「わかったわ。何を調べるの?」

「地球第2帝政前における、あらゆる科学者データと、第2帝政下における圧政の現実を調べてほしい。」  

少しの間を置いてビーチハウスは消え、無限に広がる膨大なファイルのイメージとなった。そしてクリスの前にはホログラフ式モニターが現れた。イヴは長い顎鬚の老人の姿になった。

「今はマスターでいい。余計なことを考えずに済む。まず、どこからサーチする?」

「第2次火星戦争の地球情勢から頼む。」

ホログラムには年代史と情勢などが映し出された。圧政によって抑圧された地球の状態はひどいものだった。最悪の事件は、崩壊寸前の第1帝国の幹部たちが拠点とした人工島が壊滅破壊された事件だった。人々は遺伝子操作された虫によって殺害され、その後跡形もなく破壊された。

だがそれくらいはクリスも知っていた。この部分は本当に地球史の中でも情報量が少ない。激動の時代なのだからもっとあって然るべきなのだが。イヴによる情報では精神感応能力がはるかに優れているミュータントたちが地球から脱出していて、彼らをヘルプしたのが『ゴッド・ブレス・デストラクション』と名乗る新興宗教団体GBDということだ。

「GBDに関して、ハンナと共有したデータを含めて見せてくれ。」

ヘンリー・ヤコブが作り上げたイヴと同タイプメカ頭脳ハンナと交信するのはイブでも不可能なので、クリスはかつて共有していたデータ全てを閲覧することにした。不要と判断されたデータの中にもヒントがあるかもしれないのだ。どんな些細なことでもいいので、情報が欲しかった。

GBDに関しては、アーキム・ムフタールの第2帝政がノストラパディアと第1次火星戦争を引き起こした時からスタートしていた。教祖カミーユ・アダンは地球霊『ソロス』のみを神とする新興宗教を発足させ、大戦勝利に沸く地球人の心情を大いに満足させ、急激に発展していった。しかし第2火星戦争で敗れると、より過激な信者のみを残して事実上教団は消滅した。

「GBDに関してはそこまでか・・・では次はミュータントだ。」

次に画面が変わったのは、かなり古い情報だった。古代地球人が信奉していた宗教においては神と悪魔という対立構造がほとんどであったため、人知の及ばない能力を持っていた人はどちらかに振り分けられた。しかし、20世紀になってからは『超能力』という部分での研究が大国で進められ、新たな武器となるべく交配が薦められていく中で、まだ地球連邦が存在していた時代に、相手の精神に直接アクセスできる能力を持ったタイプが登場していった。彼らの力はすさまじく、飢えた猛獣ですら平服させられるほどだったと言う。その力を恐れた第2帝国はミュータント壊滅令を出し、ミュータントの思念を受け止める能力がある者たちを粛清していった。

ミュータントたちは本来、争いを好まないタイプだった。だが彼らの思念は強く、第2次火星戦争では密かに地球人にアクセスして士気をダウンさせたという説もあった。

ミュータントの思念に動かされた者たちには、過酷な弾圧が加えられ、彼らも猛烈に反抗したことによって社会は大いなる混乱グレートコンフュージョンをきたした。回復までには数年を要した。

「・・・これだけか?」

「以上だ。他に詳しい科学的データもあるが閲覧するかね?」

「いや、不要だ。そうだ、教団はミュータントたちを支援していたって言っていたな。では現在の地球においては、ミュータントは存在しているのか?」

「かつて社会を混乱させたほどのミュータントはもういない。しかしズーハンのように遺伝的要因を持ってはいるが社会を混乱させるだけの力はない能力者たちは依然として存在しており、各国の管理下に置かれている。」

「なるほど・・・過激化した教団原理主義者たちがミュータントを支援したというのも、これで納得できる。彼らはミュータントたちを、地球霊ソロスの化身として扱ったんだろうな。そして保身のためにこの『大いなる混乱』などについて完全に証拠を消し去った・・・ということか。となると・・・俺の考えも現実味を帯びてきたな・・・。」

クリスの考えとは、ミュータントグループが地球から脱出し、恒星間航行に出てどこかに移住し、アルゴナウタイのクルーの意識を感知し、アクセスしてきている、というものだった。ありえないと思っていたのだが、まさかここまで強力な能力を持っていたとは。ズーハンにアクセスしたときの衝撃を、クリスは忘れることができなかった。すさまじい力があったことは間違いない。だが、証拠はいまだにない。合同会議までに何とか証拠を集めたいところなのだが。

クリスは、アイデアが閃いた。

「マスター、ミュータントたちが脱出したことに関して、宇宙船を奪ったとされている。それに関してのデータをくれ。」

次にクリスの眼前に展開したのは、第2次火星戦争時に主力のひとつとなったアルテミス型有人空母だった。これは艦隊の司令塔も兼ねており、旧式同タイプは第1次での花形だった。しかし有人という限界が露呈して、第2次ではすでに量子通信を可能にしていたノストラパディアの無人攻撃機に敵わず、たった1人のマルコフ・ペテルスもよって壊滅され、戦争後には守備艦隊としてのみ残った。 その後、マルコフの意識データを残したアンドロイドは発見され、意識データと肉体データは残った。




「これがアルテミス型有人空母か。しかしここまででかい空母だったら、紛失したら大騒ぎになっていただろう。」

「記録では、社会が崩壊寸前までなった『大いなる混乱』の途中に消えたとされている。」

「消えたこれには、何が搭載されていたんだ?」

次に表示されたのは、空母内にある様々な施設その他の説明だった。

「空母だからまず、戦闘機はある。収容人数はおよそ1000人が楽に生活できる、か。そうだろうなあ、このでかさじゃ。うん?・・・マスター、この戦闘機を拡大してみせてくれ。」

画面が変わり、有人タイプの滑らかな円錐形の戦闘機が映し出された。これは宇宙空間のデブリにも影響されにくい機体であり、強力なエンジンを有する最大3名まで収容できる戦闘機だ。重なり合って収容できるので、宇宙空母に大量に収容できた。

「これは・・・ペンタゴスの調査をしたときに見たイメージのものだ。なんでこれがこの空母搭載艦なんだ?これは120年も前に放棄されたもので、現在では使用されていない。ズーハンのイメージにあったやつだ!間違いない!ここにはミュータントはいないはずだ。とすれば、このイメージはどうなんだ?我々にマインドアタックしかけてきている奴らはミュータントだ。連中はこれを奪ったのか?マスター、これに関するデータの中で、『大いなる混乱』『ミュータント』と合わせてサーチしてみてくれ。」

少しの間の後、クリスの前には当時の地球メディア『テラスタイムス』の記事が展開した。

「ヒットしたのはこれだけだ。このメディアは信憑性が悪いことで有名なので、あまり参考にはならないと思われる。」

その記事の内容はこうだった。時間軸ごとに幾つかあった。

「・・・そもそもノストラパディアとの再戦は無謀だった。一時の勝利に酔ったノーメン帝国の無謀さ、おそらくラストエンペラーになるであろうゲオルグ三世の時勢を読めない世間知らずが故に、我々はアーキム・ムフタールの解放軍を熱烈に支持したのである。彼らの勝利は目前である。敗戦はノーメン朝が行うとして、その後の立て直しは彼らが担うであろう。彼らはノーメン軍にはないミュータント部隊を味方につけており、その力は個々で一個部隊に相当するのである。彼らは確認さえすれば遠隔地であろうとも相手を誘導できるとも言われている。有人戦闘においては非情に有効となる。ミュータント部隊のサポートは新興宗教団体GBDの教祖カミーユ・アダンが行っており、豊富な財力によってムフタール軍を勝利に導くであろう。彼らは先の大戦で教祖を拡大していったが、今では少数で教義を追求するとされている。だが一方では、彼らのあまりにも先鋭的で原理主義的な言動は、ムフタール軍内でも危険視する者もいるようである・・・。」

次は終戦後だ。

「・・・ノストラパディア軍司令官との和平交渉は終わった。太陽系外惑星資源の権利譲渡という屈辱ではあったが、長年テラ帝国として専横していたノーメン朝なきあとは、ムフタールによる共和制国家となることが約束されている。テラ共和国による国家立て直しは困難ではあるがきっとなせると思われる。だが共和国内部ではミュータントとGBDに関して分裂しているという。擁護派と否定派である。現在では否定派はマイノリティであるようだが、あくまで噂ではあるがアーキム・ムフタール理事長自身は否定派だという評判も耳にする。これは我々の信用すべき筋から得た情報である。理事長の人格者ぶりには定評あるだけに、これは明らかに旧帝国軍が流したデマであろう・・・。」

最後は戦後の、大いなる混乱期である。

「・・・この社会の混乱ぶりを一体誰が予想したであろう。我々は共和国による自由で明るい未来を夢見ていた。だがあの突然の新帝国宣言により、地球はかつて経験していない最悪の大混乱をきたしている。ムフタール軍は精神侵入を許さない防御装置を開発し、ミュータントたちを次々に捕獲している。彼らは子孫を残させずに自然殲滅という刑を課せられている。能力カットの刑務所に囲まれて生活させられている。今から思えば、アーキム・ムフタールは最初からミュータントたちを使い捨てにするつもりでいた。彼もまた特殊能力を有しており、彼の側近たちはいずれも『転向』させられた者たちで、能力と機械によるシャットアウトで徐々にミュータントとGBDは駆逐されつつある。我々メディアにおいても圧迫が始まっている。大手のアースビットやギャラクシアンインテリジェンスは廃刊に追い込まれている。我々は弱小メディアであるので見逃されているが、それも時間の問題だろう。国家は依然として存在しているが、形骸化が進行していて、帝国派遣の長官たちが事実上のトップとなっている。あらゆるところで戦闘が起こっており、ある学者は『大いなる混乱』と称している。かつての北アメリカの栄光を知る者にとっては、目の前に広がる破壊と荒廃の風景は見たくないであろう。新帝国は国家尊重法を維持すると言っているが、この現実の前では絵空事にすぎない。戦った敵ノストラパディアは侵略しなかった。彼らの方が遥かに人間的ではなかろうか。我々の情報筋は身を隠しているミュータントたちが反撃の機会を狙っているとしているが、もしそうであれば一刻も早くこの史上最悪帝国を滅してほしいものだ。噂では宇宙軍空母が消えたとも言われている。ああ神よ・・・。」

クリスは記事を呼んで、クリスにしては珍しく部屋をうろうろ歩いた。マスターが言ったように、まるで信憑性がない。大衆を煽ることだけが目的の、くだらない雑誌だ。それだけに落ち着かないのだ。

マスターはこれを信憑性が少ないメディアの記事だと言っているが、これだけリアルに表現されているということはどういうことであろうか。それこそ取るに足りないメディアであるがゆえに、ミュータントたちの眼中に入らなかったと考えるべきなのか。




「考えがまとまらない。もっとデータがほしい。マスター、この記事から最も近い記事ではどうなっている?」

「テラスタイムスはもう存在していない。最も信憑性が高いとされている『テラウィークス』の記事がある。それでいいか。」

「構わないよ。」

クリスの前に広がった記事を読み、クリスはある意味愕然とし、ある意味消沈した。どの記事を読んでも、書いてあることはほぼ一緒なのだ。要約すると次のようになる。

「アーキム・ムフタール自身は圧政の最中に病死し、本人の遺言によって帝位は甥の副帝サドル・ムフタールに譲り、意識データは永久抹消された。サドルは叔父の圧政を撤廃し、『大いなる混乱』を収拾させて帝国を繁栄させたが、火星政府への恐怖は消えなかった。」

後は延々と日常の記事が続くのみだ。一切の情報がカットされ、その事実のみが残されていた。最大級のデータバンクにアクセスしても圧政下の詳しい情報はなかった。

「マスター、結局、アーキム・ムフタール治世下の状況はわからないんだな?ハンナのデータにも残されていないんだな?」

「そうだ。大手メディアに至ってはアーキム・ムフタールの名しか残っていない。歴史書にも記載されていない。」

「ミュータントたちの能力についても何もない・・・のか?」

「そうだ。ミュータント以下の特殊能力たちは各国の管理下に置かれているが、ミュータントの遺伝子が確認されればすぐに除去されている。ズーハンは能力をうまく隠し通せることができた。だが、ミュータントと呼べるような異常なものではない。普通の人類だ。」

クリスはこの異常事態をどう収拾させることができるのかと頭をフル回転させた。あの強烈な精神波に抗うことは不可能だ。現在のまだ微弱な状態のうちに行動しなければならない。

間違いなくミュータントがこの件の本体だ。彼らは漠然とした表現『大いなる混乱』で全てを隠蔽させている。それ以上の疑念がわかないようにしているのだ。しかも彼らは人類に知られない存在の、地球にあるはずの量子コンピューター『ハンナ』にも侵入できている。相当な能力がなければ無理な話だ。彼らと接触することなく、問題を解決できるのだろうか。合同会議は目前に迫っている。クリスは難題をどう超えるのか、思考をフル回転させていた。


18  


ジョージは上司であるエルトン・レイゼンビー生活管理部室長の部屋にいた。上司であるにも関わらず、ジョージはレイゼンビーのデスクに腰掛け、レイゼンビーはスコッチウィスキー、ジョージは芋焼酎を飲んでいた。ジョージ流に言えば『地球式の懇親』になるのだろう。すでに2人とも、疑似酔っ払いだった。アルコールで酔うのに似ているが、あくまでその場限りの酔っ払いである。

ジョージの特技は初対面の人間でも心を開かせる『人たらし』だった。固いことで知られるレイゼンビーもすぐに酒を酌み交わしていた。

「だーからさあ、あんたはブリテンすぎるっちゅーんだよ。俺みたいにラテンの陽気を持ちなって。」

「そもそも、お前は日本育ちだろう。母親の祖母の里で育ったくせに、グレートブリテンにモノ言うなど片腹痛いわ。」

「そりゃあそうだけどさ。それでも一応はブリテン人だぜ、俺は。」

「お前のどこに、伝統ある我がブリテンの誇りがあると言うのだ、ああん?ヒック・・・。」

「まあまあ、とりあえず飲めよ。この煙臭えのを。」

「お前!煙臭いとは何だ!このピート香こそわがブリテンの誇りだぞ!お前こそ芋ではないか!臭いのはそっちだろ!」

「ラムだって古代のは臭かったそうだけど今では高級酒だ。焼酎も今では世界スタンダードだぜ、ひっく。」




2人はそれぞれの国自慢けなし合いという地球式宴会を続けていた。地球ではこうやって親睦を図るというのは当たり前になっていた。事実上アルコール依存がなくなっているから余計に流行することになったのだ。船内でも地球人同士では普通のことだった。ノストラ人にはまるで理解できないことなのだが。

「でよ、エルトンさん。さっき言ったことなんだけどよ、俺のよく見る夢ってみんなそうなのかい?どうも信じられないなあ。そんなことある?」

「お前が信じようが信じまいが、それは事実なんだ!俺も見るんだよ、変てこな夢を。しかしお前と一緒などということは認めたくはないのであーる。」

「・・・失礼な上司だねえ、ったく。さっきあんたから見せてもらったのがこれだろ?これをみんな見るなんてさー。」

2人の前に広がったものが、全員の夢を抽出してイメージ化したものだった。それはどこからか光が現れてきて、何らかの攻撃をしかけてくるというものだった。そのパターンは各自で異なるのだが、ベースは同じである。武器だったり、モンスターであったり、侵食性細菌であったりまちまちだ。

「ああ、それだから困るのだ。攻撃してくるものだけが違う。夢から覚めても、調律されていても不快感だけが残る。マスターとも協議しているのだが、どうにもお手上げだ。俺はもう知らんぞー!」

レイゼンビーはスコッチをぐいとあおった。ジョージは目の前のデータを見ていて、あることに気がついた。どうにも相関性がしっくりこないのだ。絶対に何かある。個々が違うと言っても何かしらのルールはあるはずだ。ジョージは目の前の上司から探ってみることにした。

「なあ室長さんよ。あんたは何を見たんだい?」

「お前は何を見たんだ?」

「俺かい?俺は実はあんまし覚えていないんだよ。起きたらすっかり忘れちまってる。」

「・・・お前みたいな奴は幸せ者だよ。俺はでかいウサギが襲ってくるんだ。」

「でかいウサギ?そりゃまた可愛いじゃねえか。」

「何が可愛いものか!あの歯で襲ってくるんだぞ。あれで目が覚めると最悪だ。地球だったら睡眠科に行ってる。ここでは調律ができているのでいいがな。」

「じゃあさあ、何でウサギなんだい?」

「さあなあ。」

実はジョージは自分が見たものをかすかに覚えていた。ジョージの場合は幼い子供たちだった。恐ろしい顔をした子供たちが手に手に火の玉を握って投げてくるのだ。もちろんジョージも恐ろしいのだが、ジョージの場合にはその感情を忘れてしまうのだ。イメージを覚えてはいるのだが、起きていて思い出して怖いと思うことはない。

そろそろ情報も仕入れ終わったと判断したジョージはグラスをレイゼンビーのグラスに合わせた。

「じゃあな、ボス。楽しかったぜ。」

「ああ、またな。お前はいいやつだ、ういっく。」

「ああそうだ、ボス。今日のことは消しておいた方がいいぜ。マスターうるせえからな。」

「ああ、そうだな。それじゃ消すとするか。」

レイゼンビーは消去のために固まり、その間にジョージは部屋を出た。次にノックしても『お前は誰だ』になるだろう。こんな場合、意識がデータ化されているのは都合がいい。

ジョージは先ほどのことを考えていて、これはマスターに頼るしかないと思った。自己分析は生身では難しいが、データ化されているのだからヒントが見つかるはずだ。

『クリスかい?俺ちょっと思いついたことがあるんで、マスターに連絡してえんだがいいかな。』

『ああもちろんだ。我々はマスターの直轄なんだし。』

『わかった。なんか怖くてな。』

ジョージはイヴの存在を知らない。クリスとジョージでの違いは、こうした心の堅固さにある。ジョージはマスターに連絡した。

『なにかな、ジョージ・キサヌキ。』

『あ・・・ああ、こ、こんちはマスター。実は、俺のことを知りたくてですね。分析をお願いできないかと思いまして。自分が見る夢の正体が知りたくてですね。』

『いつでもいい、この部屋に来るか。それとも自室がいいか。』

『じゃ、じゃあ、自分とこでお願いします。』

通信が終わり、ジョージはほっと安心した。怖いもの知らずなのだが、機械相手はどうもむず痒さを感じてしまう。ジョージは自室に戻り、地球式のリラックスポッドに入った。地球式はベッドタイプである。横になり、マスターモードをオンにした。ベッドの下からコードが伸び、延髄付近にあるジャックポイントにタッチした。

一瞬でジョージの顕在意識は機能しなくなった。マスターは通信ではなく有線で膨大な意識データを検索した。

ジョージの意識の中では、マスターは最も為害性の少ない存在にならなければならない。様々なパーソナリティの中で、マスターが選んだのは対人関係養成所でのメンターだった。地球では、基本は全てデータ送信によるトランス睡眠にて行われる。このメンターはジョージが最も信用している人物の1人だ。

マスターが調べていて最初に到達した時期は、ジョージはまだ幼少クラスだった。メンターは集団生活における道徳観や社会適合性を観察指導していく役割だ。当時のクリスはかなりのヤンチャで、すぐに手が出そうになる子供だった。祖母は生粋の日本人なのだが、母はイタリア人とのハーフだ。それは珍しくもなんともなかったのだが、ジョージは父親似で、しかも体格が日本人離れしていた。本人は冗談のつもりでも相手にとっては脅威だ。次第に孤立していくのだが、それがジョージには許せなかった。

ある時、また誰かを傷つけてしまい、怒られてしょげているジョージにメンターが声をかけてきた。

『ジョージ・キサヌキ、どうした?』

「メンター・・・僕、他の子と違うみたい。遊びたいけど遊べない。寂しいよ。」

『君は相手を傷つけようとしたのかい?』

「ううん、そんな気はないよ。でも、誰も遊ぼうって言わないんだ。」

『それでは、私のコーチを受けてみるかい?』

メンターはジョージに意識調査をしていきながら、次第にさらに前の記憶にアクセスしていった。さまざまなファクターを分類しながら探っていく。ほとんどが両親とのことばかりである。幼少クラスなのでそれが当たり前だ。だがうすぼんやりと、記憶のさらに奥に、妙な『ひっかかり』があることに気がついた。それは明らかに両親とのことではなく、祖母のものでもない。メンターの仮面をまとったマスターは、そこに向かって探りを入れていった。

ジョージの深層意識のさらに奥にあったのは、どうやら生後間もなくの頃に、周囲で遊んでいる子供たちを怖く感じた、というものだった。単なるトラウマだったようだ。マスターはそこから戻ろうとして、止まった。何かが引き止めたのだ。

マスターはバイアスに接触しようとしたが、寸前で止まった。自発的にではなく、強制的に止まらされたのだ。マスターの人工自我には、自らを守ることが絶対条件とインプットされている。何かが危険なのだ。

マスターはそれ以上触れることなく、ジョージの深層意識データから離れた。そして再びマスターとなってジョージから離れ、健在意識をオンにした。

『・・・え?もう終わったんすか?』

『ああ、終わった。』

『で、どうだったんすか?』

『お前は私の直轄メンバーだから言うが、今回の件は非常に深く、しかも謎が大きい。わかったことは、触れてはいけないものがお前にはある。』

『触れてはいけない、もの?なんすか、それ。』

『わかったのはそれだけだ。今回の調査は非常に有意義だった。両方の精神調律部のシステムを検討する必要がある。』

『なんかよくわからねえけど、ヤバいことがあるんですね?わかりました。みんなと検討してみます。』

ジョージは自室を出てメンバーに相談するために内部調査室に向かった。その一方でマスターは自らのデータを検索していた。だが特に異常は発見できなかった。だがそれはおかしい。何かに反応するから危険と判断したサブ機能が働いたのだ。反応すべきものがみつからないということは、それ自体が問題である。

マスターは自分の中に、この問題のみを検討するプログラムを作った。それは開発者ヘンリー・ヤコブが作り放置されていた小さな原始的なプログラムだったが、いくつかある検討プログラムの中で最もフィットしたのだ。マスターは放置されていたプログラムを何度もバージョンアップし、使用に耐えるものに改良していった。


19


メンセ・サビーナの本職は政治学者である。優秀な学者でもあり、ノストラパディア大統領諮問委員会メンバーでもあった。地球の政治史、ノストラパディアの政治史観についての博士号も取得していた。だが一方では人類学や生物学にも精通していた。

サビーナはなぜ自分がマスター直属の内部調査室所属になったのか、意味がわからなかった。まるで畑違いだったからだ。だが自分に理解できないことは無視するのが一番の方法だとわかっていたので、それ以上考えることもなかった。

サビーナは自室にノストラパディア本星に生息するキャタスを再現したアンドロイド『カンディ』をペットとして持っていた。キャタスとは地球で言えば猫のような生物で、馬を猫サイズにして長い毛をまとったものをイメージすれば間違いない。サビーナはノストラ式ソファに座り、カンディを撫でながら未完成の論文を書いていた。これが発表されることがあればいいのだが、残念ながら帰還したときにこれ以上の論文が出ている可能性は高い。何世代も経ているだろうし。半分以上自分のため、でもあった。

サビーナは長い毛をまとめ、ノストラの軍着でいたので、クリスからの通信が入ったときに驚いた。うっかりしてヴィジュアライザーをオンにしていたからだ。




『あ・・・すまない。』

『ちょっと待って!』

サビーナは慌ててヴィジュアライザーをオフにして通信を再開した。

『ごめんね。うっかりしてた。』

『すまん。急いでいたのね。』

『どうしたの?』

『サビーナの意見が欲しくてね。』

『なに?』

『アーキム・ムフタールと、ミュータントに関すること。』

『なにそれ?アーキム・ムフタールなら知ってるけど、ミュータントですって?』

クリスはこれまでのことをサビーナに伝達した。

『へえ、そうなんだ。第2帝政の圧政下でそんなことがあったの。』

『ああ。ほとんど知られていないことだし、残されていたのは信憑性が少ないことで有名な雑誌らしいんだ。ただ、アーキム・ムフタールのことならDNAからわかっている。そこで彼の内面と、ミュータントの発生機序についての意見が欲しいんだ。』

『ミュータントについても論文書いたことがあるわよ。』

『本当かい?』

『ええ。ノストラ人にはミュータント発生はゼロ。だけど地球人にはかなり多いの。それを研究したことがあったわ。』

『それって、結論は出たのかい?』

『ううん。だけどね、これだけは間違いことがあってね。SⅬE移民時代から急に増えていっているのよ。逆に我々の祖先からは1人もいない。』

クリスはそれを聴いて、これまでのことを総合して考えた。つまり、ヘンリー・ヤコブが移民選定をしているはずなので、ミトコンドリアの固有波長が地球人とノストラ人とでは違う。

『ミトコンドリアかな。』

『え?どういうこと?』

クリスはイヴから得た情報をサビーナにも提供した。

『・・・そうだったの。ヘンリー・ヤコブって人はミトコンドリアの研究で有名だったので、それは知っている。だけどそこで移民を選抜したっていうことの意味が引っ掛かる。色んな事があって人嫌いになったことはわかるわ。だけど宇宙開発財団に所属して業務を行ったんでしょ?』

『そう聴いたよ。』

『そこなのよ、わたしが引っ掛かるのは。』

『どういうこと?』

『宇宙開発財団は確かに存在した。だけど、彼らの前身は人類強化研究所と各国の宇宙開発財団が共同出資してできた組織なのよ。宇宙でより適合できる人類を育成しようってことでね。でも、人類強化研究所って、当時の言葉で言えば超能力者開発を行っていたの。』

『なに?』

『わたしは政治史の研究者でもあるでしょ?当時は世界規模で開発が行われていたらしいのね。まあ、色々と使える才能をほしくなったのかもね。そこにヘンリーが所属していて、しかも地球環境により左右されやすい人たちを残して、私たちの祖先が排除されていったとしか思えない行為をやったってことがどうにもね。』

クリスには初耳のことだった。イヴはそこまでの説明はしなかった。必要ないと判断したのか、あるいは意図的なのだろうか。

『マスターは、我々の祖先が地球に居住する必要がない人たちで、そういう人たちを移民に選んだって言っていた。だけどそれは逆に考えれば、ミュータントが発生しやすい人たちを『わざと地球に残すため』とも考えられる。なぜなんだ?第2次火星大戦でテラが負けたのはミュータントたちによる心理攻撃の可能性が高いのに・・・。』

『わたし、ヘンリーについて調べてみるわ。政治史的にね。』

『頼むよ。ヘンリーについてはマスターから聴いた情報以外知らないんだ。ノストラでは神に近い扱いされてるから、正確な情報が入ってこない。気のせいかもしれないけど、色々と複雑な気がする。』

『あ、そう言えば、ズーハンが会いたがってたわよ、クリスと。明日にでも会ってみたらどう?』

『ああ、そうだね。彼女はどうなの?少しは良くなったのかな。』

『そうねえ・・・変化は確実に起きてる。』

『変化?』

『うん、何と言うのか、少なくともわたしには心を開いてくれてる。前よりずっとね。だけどその分、あまり聴きたくないことまで話してくるのね。わたしはカウンセラーじゃないから、そこのとこが疲れちゃう。』

『そうか。じゃあ明日はじっくり話してみよう。』

『それがいいわ。それにね・・・。』

『なんだい?』

サビーナは少し間をあけて答えた。

『ズーハン、クリスのことが好きみたい。』

『え?まさか・・・。』

『アンドロイドボディでも女の勘を甘くみないでね。確かよ。』

ズーハンがあれだけクリスを信頼してくれたことは驚きだったが、それと恋愛感情は別だろうと思っていたクリスには驚きだった。

『それは別にして、調べていかないとな。』

『ダメじゃないそれじゃ。ちゃんと接してあげて。』

『いやそれは、俺は得意じゃない。』

サビーナはため息をついた。

『だからダメなのよね、あなたって。』

『どういうこと?』

『もういいわ。わたし、もう寝る。おやすみなさい。』

サビーナは一方的に回線を切った。クリスは意味がわからなかった。もうずっと女性に関しては何もわからないと思っていて、面倒なことからはずっと逃げてきていた。理性的に解決できないからだ。クリスにとってはそれがこの世で最大の謎だった。

「面倒だな・・・。」

自室に戻ったクリスに、今度はジョージから連絡が来た。

『おや、どうした?』

『クリス、エルトン・レイゼンビーと話したんだ。』

 ジョージの報告を聴いたクリスは、顔をしかめた。

『マスターがそう言ったのかい?』

『謎がでかくて、触れてはいけないものが俺の中にあるんだってさ。でもさ、おかしいと思わないか?俺は室長のことを知りたくて、まずは自分のことを知らなきゃって思ったんだぜ。俺に謎があるんだったら、室長にもあるはずだ。そうだろ?』

『うん、確かにおかしい。だったら室長についても言うはずだ。思うんだが、ジョージ自身の謎ではないんじゃないのかな。』

『というと?』

『クルー全員がおそらく同じような夢を見ている。それを誘発したこと、それに謎があるんじゃないのかな。』

『すまん、俺にはよくわからん。どういうことだ?』

クリスは先ほどのサビーナとの会話を説明した。

『地球残留組と移民を分けたのは、ヘンリー・ヤコブだ。しかも宇宙開発財団の前身は人類強化研究所と各国の宇宙開発財団が共同出資してできた組織だ。特殊能力開発を行っていたらしい。今回は食事量低下からだけど、どうにも船内に意味がわからない不安定さが充満し始めている。それがもしも、そのミュータントたちが関わっているとしたら?マスターにもアンタッチャブルなテーマだとしたら?』

『そ、そりゃおめえ、ありえないだろ。この船の速度わかるだろ?そこに影響を及ぼすなんて、外部からはありえんよ。いくら急に地球からいなくなったとしてもだ、奴らが外宇宙にいて、俺たちがどこに向かうのかまでわかってたってこと?』

『まだ仮定もいいところだ。これからそれを探る。合同会議まであと2日しかない。』

『急がなくちゃな。ところでズーハンは?』

クリスは明日以降に会いに行くことを話した。

『そうか・・・まあ、よろしく頼むよ。』

『どうかしたのか?急にトーンが下がったけど。』

『まあいいってことよ。クールなノストラ人と、感情型地球人の違いだって。じゃあな。』

クリスはジョージとの回線を切り、そしてデスクに向かった。集められるだけの情報を整理し、ファイリングしていく。まだまだ不確定要素が多すぎる。何かひとつでも確定したことがあればいいのだが。

意識データの深層にまで書き込まれたものは、マスターが触れてはいけないと判断したものだとすれば、もしそれがクルー全員に共通しているものであるとするならば、やはり外部からの精神攻撃以外ありえない。現段階では全く想像もつかない。クリスは深くため息をついて、普段は出さないベッドタイプのポッドをセットして横になり、就寝モードに入った。


20  


ズーハンは地球型リラックスポッドに横になり、出身地区の民族寝着を着て横になっていた。これだけは視覚のみではなく、実際に持ち込んできたものだ。これは母親から譲ってもらったもので、これを着ているとゆっくり寝ることができた。ズーハンと同様の力を持っていた母親は、父親との喧嘩が普通のものではなくなり、精神攻撃で脳が破壊されてしまった。これはその前にズーハンがねだって手に入れたものだった。

ズーハンは若い頃の両親の姿をホログラムに投影していた。何度見ても出ない涙を感じてしまう。ズーハンの故郷には超能力開発センターがあり、付近の能力者たちはここに集められ、生活していた。両親もここで知り合い、結婚してズーハンが誕生した。周囲が同じような人間ばかりだったので格段の違和感はなかったのだが、ズーハンは自分の中にある桁違いの能力を隠さなければならなかった。そうでなければ生きていけなかった。そんな力を出すまでもなく自然に受け入れてくれた両親はもういない。意識データもない、完全死だ。

「お母さん・・・会いたいよ・・・。」

実際に涙は出ないのだが、ズーハンはそう感じているので、目元を拭った。あの家だけが、唯一心休まる場所だったのだ。おそらく自分にはもうあのような感覚は味わえないと思っていた。もうどうでもよくなり、探査チーム募集の際にはかなりの力を使って審査員たちに幻覚を見せ、そしてここにいる。誰も知り合いがいないところで、孤独になりたかったのだ。様々な人間関係が渦巻いているとはいえ、まだましだった。それでも本心では人恋しいし、寂しくもあった。

すると、入室確認のサインが出た。同時にクリスの姿があった。ズーハンは慌てて寝着を脱ぎ、いつもの船内服にチェンジした。




「クリス、どうしたの?」

「具合確認さ。入っても?」

「あ・・・ああ、いいわよ。」

ズーハンはロック解除と同時に、室内を接待モードにした。地元流のティーセットが置いてある部屋だ。

「おはよう、ズーハン。もうかなりいいようだね。ああ、部屋は普通でいいよ。」

「あ・・・そう?元に戻すわね。調子はまあまあね。まだ不安定、かな。」

「急ぐ必要はない。じっくりと取り組めばいいさ。座ってもいいかい?」

ズーハンは頷き、茶を差し出した。

「これは地球の、中華式という形式なんだろ?データで見たことある。」

「ええそうよ。あたしはメンバー以外部屋には入れないし、入れる以上はこんな仕様にしてるの。一応あたしなりのおもてなし。」

クリスはズーハンがいれた茶を飲んだ。味覚データが伝わってきた。

「へえ、こういうものなのか。ノストラパディアでは甘いものばかりなんで、苦みには慣れていないんだけど、これは飲みやすい。」

「何千年も続いている文化なのよ。」

ズーハンは部屋に地元の景色を投影した。揚子江が悠然と流れ、切り立った山々が幻想的な風景を作り上げていた。

「すごいな。ノストラパディアには山はないんだ。小さい丘があるくらいでね。だから風がすごくてさ、動物たちはみんな平べったい。」

今度はクリスが故郷の映像を転送した。延々と続く草原と塩水ではない海があり、風が一定の速度で拭いていた。植物は固有のものと持ち込んだものが完全に分かれて存在しており、決して交わらないようになっていた。元々塩は合成していたので、むしろ淡水の方がノストラパディア人にとっては都合よかった。その草原の中に超近代的な都市が点在していた。

「へえ、これがノストラの風景かあ。地球ではないね。」

「まあこんなもんだ。」

クリスは茶を干して、ズーハンの顔をじっと見た。

「ズーハン、先だっては協力ありがとう。」

「あ・・・いえ・・・あたしこそ・・・。」

他人には決して触れられたくない思い出や痛みを見せるという意味が、地球人の情熱的な女性にとってどのような深い意味があるのか。そのことを思い出すと、ズーハンはすぐにでも引き篭りたくなった。だがクリスにはそのようなことはどうでもよかった。

「見たことについては、受け入れるし、忘れるよ。ただ、最後に・・・そう、すごく強い力の閃光と共に見た映像について考えたいんだ。僕の考え違いかと思ってはいるけど、どうも真実味が増してきている。」

ズーハンは受け入れてくれたことについては感謝したが、さらりと流されたことには少しだけカチンときた。だがクリスに裏表がないことはよく理解していたので、そこを突いても意味がないと判断した。

「あれであなたは倒れちゃったのよね。それが何かはまだ聴いてなかったわね。どんなのだったの?」

クリスはその時の映像を、可能な限りフィルターにかけて伝達した。それでもズーハンには衝撃的だった。

「なにこれ?考えられない強さだわ。」

「そうなんだ。実はジョージもマスターに調律してもらったそうなんだが、これ以上は触れてはいけないものだと言われたそうなんだ。」

「ジョージに?彼は違うのかしら。」

「そこなんだよ。僕が見たあの映像と、ジョージの奥にあったものって、たぶん同じものだと思うんだ。個々で違うのは生きてきた環境と遺伝子的要因だけだろう。それを除けば、同じものだと思う。あの強力な思念エネルギーって、普通の人間ではありえない。」

「・・・それって、どういう意味かわかる?恐ろしいことよ。」

「そうなんだ。この航海でこのようなことが起こるということは、何者かによる精神侵入があったと考えなきゃ理屈が通らない。」

「じゃああたしの奥底に見えたものも・・・。」

「君は強い精神能力を持っている。だからくっきりと見えたし、あれだけ具合悪くなったのも、あれをまともに受けてしまったからじゃないのだろうか。」

ズーハンは自分の潜在意識データを検索してみたが、何も見つからなかった。

「おかしいわね・・・何もない。」

「つまりだ、これが仮に第2帝政から脱出したミュータントであったとして、彼らは遠隔でも精神に侵入可能なほどの力を持っていたことは、第2次火星戦争で証明されている。彼らが侵入してきたとき、もしくはアクセスしたときに感知できるものだとしたら?」

「でもこの船のスピードを考えたら・・・ありえる?」

「そこが不明なポイントなんだ。我々の感性では考えられない。意識干渉は光速という概念では捉えられないものなのかもしれない。これからはそこに絞って調査してみようと思う。」

クリスはズーハンに右手を差し出した。

「地球式で、よろしくね。君が頼りになる。」

しかしズーハンは差し出した手を引っ込めた。

「嫌よ、こんな堅苦しいの。あたしの性格知ってるでしょ?」

クリスは肩をすくめて申し訳なさそうに下を向いた。

「そうだな、それじゃこれで・・・。」

クリスはそこまで言って言葉が出なくなった。ズーハンが抱きついてきて、強くキスをしてきたからだ。クリスは思わず離れようとしたのだが、ズーハンの抱擁する力は強かった。しばらくして、ズーハンはクリスから離れた。その目は感謝と性欲が混じったものだった。




「あたしはいつでもいいわよ。」

ズーハンは部屋の内装を変えた。白基調のシンプルな部屋に変化した。そしてベッドに、優雅に横になった。 だがクリスはため息をついて自分の服を、本職である歴史分析官の衣装に切り替えた。

「ズーハン、君は僕を信用してくれた。嬉しかったよ。ノストラ人だから伝わりにくかったけどもね。でもこういうことになってしまうと、複雑な関係性になってしまう。それでは職務遂行にもならないし、何より信用がなくなっちゃう。申し訳ないけど、君はすごく魅力的だし、普通に会ったらどうなったかわからないけど、そういう関係にはなりたくない。今だけは。」

ズーハンは黙って聴いていたが、急に笑い出した。

「あーっはっはっは!クリスったら可愛いんだから。冗談に決まってんでしょ?頭堅いんだから困ったもんだ。キスはお礼ってことにしとくわ。」

クリスも軽く笑い、そして手元からチップを出してズーハンに手渡した。

「これ、後で見ておいてくれないか。」

「なによ、これ。」

「見たらわかる。じゃあね。体調良くなったら合流してほしいな。」

クリスは部屋を出ていった。同時にズーハンは枕に顔を埋め、激しく泣いた。セックスを断られたからではない。クリスの言葉の裏に、ズーハンがどれだけ素敵な女性であるかという思いが見えて、しっかりと伝わってきたことが嬉しかったからだ。優しさに包まれて、どうしようもなく嬉しく、そして自分が情けなかった。

泣くだけ泣くと、ズーハンはクリスから渡されたチップを額にあるセンサーに近づけた。そこには、クリスから見たズーハンの姿があった。ズーハンはずっと自分が汚れた女だと思っていたのだが、そこにあった自分は弱く、うつむいて悲しんでいる、可憐な少女の姿だった。

「クリス・・・こんなに・・・あたしを見てくれてたんだ・・・。」

ズーハンはチップをはずし、自分のボディ付属セットの中に入れた。心が晴々としていた。自分はわざと汚れ女を演じる必要はないんだと理解できた。ズーハンは、クリスのおかげで人間に近づいたような気持になった。


21


『オリビエ・マリウス、アンドレ・シュベール、至急マスタールームに来るように。』

両キャプテンにマスターから緊急招集がかかった。こうした招集が行われることは緊急事態のみとされているので、何かしらの緊急事案があったのだろう。両名は時間差ほとんどなく、マスタールームにかけつけた。2人とも正装になっていた。

「久しぶりだな、こうして顔を合わせるのは。」

「確かに・・・こんな時だが、よろしく、シュベールキャプテン。」

部屋は戦場になって軍人たちの和解を演出していた。そもそも地球人とノストラ人が顔を合わせることはほとんどない。ましてや両キャプテンが2人だけで会うことなど、今まではなかったことだった。こうした演出も必要なのだ。




「両キャプテンに告げることがある。これを見たまえ。」

マスターの姿は、何かの神のような姿になっていた。マスターが示したのは、ウォルフ424系の映像で、部屋は中世ヨーロッパ調だった。連星系の赤色矮星が見えた。

「これが我々の目的地ウォルフ424系だ。以前から言われていたように連星であり、居住可能惑星があるかはこれからなのだが、問題はこれではない。」

次に画面が変わり、星々が見える漆黒空間が映し出された。

「これは我々の進路上に確認されたものだ。」

「これは?」

「マリウス、まだだ。分析して高感度フィルターにかけてみた。ウォルフ424を確認したとき、こうなった。」

次に映し出されたのは、先ほどとは少し異なった姿だった。全体的にダブって見える。間違いなくレンズ効果だ。これが意味することはひとつしかない。

「ブラックホール!」

「そうだシュベール。おそらくだが、ここからわずか10光年しか離れていない。大きくはないが、確実にブラックホールが存在している。だが、今まで発見されなかったことが考えにくい。そもそも何も存在しない真空空間に存在すること自体がありえない。それだけの重力場があったはずなのに、ブラックホール以外には何もない。かつてここに恒星系がった証すらない。外部調査室の資料を精査してみたが、裏付けるデータはなかった。報告があったのは1時間前のことだ。進路変更計算する間のみ、宇宙空間で停止しなければならない。その間に得られる限りのデータを揃えなければならない。両キャプテン、すぐに全員に通達して行動に移ってくれ。」

両キャプテンはすぐに双方の執行部を招集し、指令を出した。一方で、クリスにはイヴから連絡が入った。

『なんだって?そんなことがあるのか?いきなりブラックホールが現れた?あり得ないだろ!』

『さほど大きくはないようだけど、確実に存在しているの。進路計算する間だけ、ジョナサン粒子変換炉だけ稼働させて、ヒッグスレス装置も停止しなければならない。スペースデブリ防御スクリーンを張ったりしなくちゃならない。しばらく船内は混乱すると思うから、あなたたちはわたしの直属ということで独自に動いていて。今だからできることもあるから。』

『わかった。何かあったら連絡する。』

進路計算を再度行うためにはブラックホールについてあらゆることを調べなくてはならない。大きく迂回しなければならないのだが、迂回した先でも計算が必要だ。船内の混乱は必須だった。

クリスはメンバー全員に連絡し、協議モードに入った。

『そういうことだ。考えられないトラブルになる。君たちの上司にはマスターから連絡が行くことになっているから、部署の仕事は一切放棄していて構わない。ああそうだ、次の司会は誰にする?ジョージか?それとも・・・。』

『それなんだがね、クリス。君が知らない間に、俺たちで話し合ったんだ。もうさ、君がリーダーでいてくれないか。それで意見が一致したんでね。』

『それはいけない。我々はあくまで仮のチームなんだし、リーダーなんて無用じゃないのか。』

『あたしからもお願いしたいわ。あたしたち、あなたの指示に従うことにしたの。』

『そうよ、クリス。あなたのリーダーシップ、素晴らしい。ノストラ人とかではなく、人類として素晴らしいと思うの。お願い、引き受けて。』

ズーハンからもサビーナからも同じ答えが返ってきた。クリスとしては非常に不満なのだが、チームの意思統一のためならば仕方あるまい。熟考している時間などない。

『わかった。今だけのリーダーとして動かせてもらう。この間に、妙な対象が見つかったら報告してくれ、当たれる人数で対処していこう。それで提案なんだが、今までは個々で活動していたけど、これからは複数で動こうと思う。でないと対処できないことが多いかもしれない。まずは双方でコンビを組んでみよう。僕とサビーナ、ジョージとズーハンで組んでね。どの対象がいいかは、マスターからも連絡が来ると思う。いいかい?』

全員から了解のサインが来た。クリスは一旦解散して、サビーナと内部調査室で話し合った。

『サビーナ、この距離までブラックホールが確認できないなんて考えられるか?』

『外部調査部の能力はすごいわ。あれだけの情報量を処理できている。彼らが見逃すはずがない。考えられるのは何らかの干渉波があって確認できなかったか、空間濃度の高低差が激しかったかしかないわね。ただここからの進路変更には相当な計算時間が必要だわ。おそらく数日は必要。その間あらゆる環境が変化する。となると、精神の変化も激しくなるわね。』

『いくらスクリーンを張るとは言え、衝撃もかなりあるはずだ。不安材料には事欠かないな。』

『そうなるわね。』

『まずはノストラ人のチェックをしよう。しばらくは各部署周りになるな。』

『となると、まずは外部調査室ね。2人で臨まないと大変なことになりそう。』

2人は外部調査部に向かった。マスターからその旨は伝達してある。しかし予想外だった。

「入室拒否、だって?マスターから伝達されているはずだが。」

棟の入口にはそのサインが点灯しており、いくら返事を求めても同じ反応だった。クリスはマスターに連絡した。

『マスター、どうなっているんですか?』

『中の様子をモニタリングする。』

マスターから伝達された映像を見て、クリスとサビーナは驚いた。誰1人として動いていなかったのだ。一瞬でフリーズしたように止まっていた。

『これは、どうなっているんです?彼らの調律はどうなっているんですか?』

クリスの問いに、マスターからは少し間が空いた。

『彼らは意識データが機能していない。今から部屋を開ける。』

ドアが開くと、イメージ通りの光景があった。クリスはサビーナにボディチェックを頼み、まずマスターにアリシア・ステファンボディ調整官へ調整を依頼した。

『クリス、君は私の直轄機関のリーダーだ。君の言葉は私の言葉だ。これ以降、君には各執行部にダイレクトメッセージを送る権限を正式に与える。』

『わかりました。感謝します。』

感謝の気持ちはさらさらなかったが、その方が便利ではある。クリスはアリシアとペトルスに連絡した。

『アリシア室長ですか?クリスです。外部調査室が機能していません。早急の調査をお願いします!』  

『なに?わかった、すぐに動員させる。』

 クリスは次に精神調律官を呼び出した。

『ペトルス・パテラ精神調律官!すぐに外部調査部にチーム派遣をお願いします。詳細はマスターから聴いてください。』

『なんだって?』

そしてジョージにも伝達し、地球側にも同じ処置を行うよう指示した。

『とんでもねえことになったな!こっちも外部調査部が機能してねえようだ。今から部屋が・・・な、なんだこりゃ!』

『ジョージ、何らかの精神イメージを確認していてくれ。ズーハンならやってくれるはずだ。』

『わかった!』




地球側も同じような状態のようだ。クリスはチームが到着する間に、ペンタゴスを調べることにした。ボディの外部用操作盤を開き、人差し指をタッチした。共有用パスワードを開き、ペンタゴスと同期させた。そして同期が終わると、タイムラグの確認に入った。詳細はわからないので、『対処不可能』で一番近いところへジャンプするようにセットし、完全同調に入った。

『室長!ブラックホールと思われます!』

『なんだと?』

ペンタゴスが部下からの報告があったのは、1時間と30分ほど前のことだった。マスターから報告を受けて、ミーティングを行うまでの時間である。

『なぜ今までわからなかった?』

『不明です。今が今まで、レンズ効果もジェットも発見されませんでした。重力波もありません。周囲は空虚です。恒星が存在した形跡も認められません。』

部下が示したデータがクリスの前にも広がった。確かに何の異常も見られない。重力場の足跡さえ確認できない。

『これは、ひょっとしてインポッシブルホールか?』

インポッシブルホールとはその存在が観測上ではごく稀に発見される、形成不明なブラックホールのことである。ブラックホールは一般的には太陽より30倍の重量を持つ恒星の末期に、大爆発の後に形成される。銀河系の中央にあるブラックホールは、宇宙誕生の際に最初にできた大質量星ファーストスターの残骸という説もある。だがごく稀に、宇宙の大規模構造以外の空虚域『超空洞』で発見されることがある。だがここは、大規模構造内である。空虚ではあるがその条件にはあてはまらない。全く発生機序不明なのだ。

『わかりませんが、このまま推進していくのは危険です。』

『牽引はまだ発生していないんだな。』

『はい、大丈夫です。』

『よし、マスターに報告する。』

ペンタゴスはマスターに報告した直後のことだった。

『室長、ブラックホールが変形しています。レンズがおかしい形に・・・。』

クリスは指を離した。ここでイメージは終わっていたのだ。そしてクリスは、ペンタゴスのイメージの中に、地球の姿を見たのだ。

(インポッシブルホールだって?それじゃ発見が遅れたことも仕方ない、のか?・・・いや、違う。いくらありえない場所にあったとしても何らかの兆候はあったはずだ。少なくともレンズ効果くらいは確認できる。それに最後の地球のイメージはなぜなんだ?)

よく考えたかったのだが、事態はそれほど甘くない。精神調律部のチームがかけつけ、外部調査部全員のメンタルチェックを始めだした。同時にボディ調整グループも入ってきて全員のチェックを開始した。

こうなるとクリスたちの出番はない。

「サビーナ、ボディはどうだった?」

「機能的には問題ないわね。でもね、意識データ混乱のために非常用機能がついているのよ。メンタルが機能していなくても、ボディのみで自動的に修理治療できるようにね。それが全く作動していないの。」

「ということは、何を意味するんだ?」

「その前に、室長のメンタルの方はどうだったの?」

「うん、特にデータが飛んだとかはなさそうだ。生身で言えば、気絶した・・・ではないな。なんて言えばいいのかな・・・ぼうっとしたって状態のようだ。」

「そうでしょ?つまり、精神に異常はないので作動しなかったのよ。」

「それが全員ということは・・・。」

「一番繊細な部署全員に、何らかの意識アタックがあったってことになるわね。つまり、ショックを受けたってこと。精神に異常をきたさない程度にね。だからボディもそう判断して、一時的に停止した・・・ということのようね。」

クリスはジョージとズーハンにも連絡した。

『ジョージ、地球側はどうなってる。』

『ひどいもんだ。全員の意識データが停止してる。ズーハンが調律したときには、せん妄を感じたらしい。』

『せん妄?』

『ああ、ズーハンに聴いてみてくれ。』

『ズーハン!せん妄ってどういうことだ?』

『そのままよ。単語を幾つかブツブツつぶやいてる。』

『単語だって?』

『ええそう。ほとんどが意味不明。あとで分析してみないとわからない。認識できたのは『アルテミス』という名前だけ。これが一体・・・クリス?』

クリスの思考は急旋回していた。

アルテミス、この言葉だけでクリスのビジョンが確立した。これまでの経緯で、想定していた幾つかの展開が一気に絞り込めた。後は、合同会議でどう説明するかだ。そのためにはもう一押しが必要だった。そして最大の難関がまだ残っていた。クリスはそのことを考えると、冷静さが吹き飛んでしまうほどの不安感に苛まれるのだった。

これまでの間に、集められるだけのことは集めてきた。だがしかし、まだ最後の一手が必要になる。でなければ、この探査チーム全員の絶対死につながることも考えられる。


22  


クリスはイヴのいつものビーチハウスにいた。特別にノストラ産ピュールジュースと地球産オレンジジュースをブレンドして、ラムで割ったものを作ってもらっていた。

「まさかこの旅で、酒の味を覚えるとは思わなかったよ。帰還してからが怖いな。この、えーと、飲み物の名前は?」

「カクテルって言うのよ。そうねえ。ここはビーチだから・・・シーウィンドなんてどう?」

「つまり、海風、か。ノストラ人にはよくわからないけど、この雰囲気のことなんだろうね。病みつきになったらどうするんだ?」

クリスは本当に美味そうに飲んだ。

「それもいいんじゃないかしら?それでねクリス、あなたの提言は、精神侵略のことでしょ。だけど執行部に提示することは無謀よ。こんな空虚な空間で精神攻撃を仕掛けるだなんて。宇宙人かモンスターしかいないわよ。SFの世界だわ。」

「そうだけどね。だけど僕はもっと現実的なことを考えている。それには決定的なものがあと一つあればいい。全部説明できるんだけど、人間が認知できる証拠がないと。その証拠を形として提示できるための手助けをお願いしたいんだ。」

「手助け?何をすればいいの?」

「お偉方に納得させられるだけの物的証拠はもちろんだけど、意思エネルギーとミトコンドリアの関係性だよ。ヘンリー・ヤコブの資料にはないのかい?」

「どういうこと?」

「つまりイヴ、これは僕の推測でしかないし、科学的根拠もない。エビデンスもない。しかしそれしか思いつかない。あの地球から脱出したミュータントたちが生存・・・と言えばいいのかな?とにかく彼らの意思だけは存在していて、僕らに干渉しているとしか考えられない。そしてそれは、あのインポッシブルホールと関係していると思う。彼らの力は第2次火星戦争で実証されているほど強力だ。おそらくは意思エネルギーで何らかの因果関係を持つ素粒子を誕生させる術を覚えたんだと思う、彼らは。」

「意思エネルギーで素粒子を?考えられないわ。それが可能なエネルギーは、とんでもないものよ。」

「ヘンリーはミトコンドリアが生体エネルギーの発生源であり、ひいては食物摂取の基本であることから、生存欲求意思の出口と考えたわけだ。そしておそらくだけど、その考えを君たちに応用したと思う。イヴは前に言ったでしょ?自分たちにも意思はあるんだって。魂とは別に意思データはちゃんとあって、思考もできる。大昔にAIと呼ばれていたものに、ミトコンドリア的なプログラムを作ることに成功したんだろうね、ヘンリーは。そのプログラムは、おそらくだけどイブ自身と一体化していて認識できないと思うんだ。そして地球で発生したミュータントたちは、メカ頭脳とある意味一体化することで増幅に成功したんじゃないかな。それがコントロールできなくなった結果、あそこにありえないブラックホールができてしまった・・・もしくは『不気味な遠隔作用』が発生したか、だ。」

 不気味な遠隔作用は別名『量子もつれ』とも言い、2つの粒子の間で距離や光の速度も無視して、一瞬にして情報が伝わっているようにしか見えない現象のことを言う。だがこれは素粒子レベルの話であり、ブラックホール形成など考えもできない。

「荒唐無稽な考えだって言われて終わりになると思うわよ?」

「だからそのエビデンスが欲しいのさ。自分の中のプログラムを探るのは困難かもしれないので、こういうのはどうだろう。マスターとイヴを相互にチェックするのって。人間では無理だけど、君ならできるんじゃない?」

「それはできるわ。それで何らかのプログラムを見つければいいのね。」

「そう。そのプログラム自体は君と一体化しているので、ファイルデータさえわかればいいと思う。君のことだ。そこから派生していくものもわかると思うけど。」

「そうね、一見無意味なものでも大きな問題になりうることって、あなたたち人間でもあることだからね。」

「潜在意識が行動を左右する・・・古き良き行動心理学ってやつだな。」

クリスは話が終わると通常モードに切り替えた。自室にいたのだ。

(これからが正念場だな。とんでもないのが障害になったもんだ。どう呼べばいいんだ?進化ミュータント?・・・まあ、名称なんかどうでもいいや。さて、と。)

クリスは検索モニターを開き、本業である歴史分析を始めた。これをやることで、リフレッシュできるのだ。意識データはメモリーオーバー気味になるくらい、情報処理で手一杯。こんなときには妙に考えるより、こういう単純作業の方がずっといい。

「あ、そうだ。自分のことも知らなきゃ。クリス・サマラスとマルコフ・ペテルス・・・僕の意識ベースだもんな。」

まずクリス・サマラスを調べてみた。

「火星政府が太陽系からの脱出を考えていたとき、推進派と残留派に分かれていたはずだな・・・なるほど、クリス・サマラス自身は残留派だったのか。しかし基本的には改革的考えを持っていて、地球人とは根本的に相容れないことを遺伝的に証明した・・・そうなんだ!ヘンリーがやったことを証明してたんだ。それでSⅬE連合代表に就任して、積極的に移民先を探した・・・彼の意思を継いだ科学者チームがノストラパディア本星を発見して移民を開始したところ、テラ帝国は不穏な動きありとして・・・そうだったのか。そこまでは分析していなかったな。なんで基本的には相容れないのかは・・・ミトコンドリアの固有波長とは・・・よくわからんが・・・うーん・・・そうか!意識データの基本に、ミトコンドリア固有波長をシンクロさせたのか。しかしそれ、すごい技術じゃないか。ヘンリーの頃にはできていなかったから、とりあえず分けたってところだろうな。」




クリスはぶつぶつ言いながらデータをファイリングし、クリスの保存ドライブに入れた。一応自分の仕事データはここに内蔵するようにしている。共有した方が楽ではあるのだが、クリスはこれにこだわっていた。さらにファイリングしていると、気になるデータがあった。それはクリスのもうひとつの分野でもある、遺伝子ゲノムを加味した歴史分析だった。そのデータを眺めていると、あるデータに目が止まった。それはクリス・サマラスのものだった。

「サマラスは・・・え?なんだこれは?・・・なに!」

クリスはデータに目が釘付けになった。想像もしていないことがそこにあったのだ。

「・・・まさか・・・そんな・・・。」

さすがの動じないクリスも、この信じられない事実には目を疑った。しかし紛れもない事実なのだ。そしてこれまでの流れ全てが、ほぼ完全に理解できた。通常の人間ならば、意識データが崩壊してもおかしくはない。酒を飲まないクリスだが、この時ばかりは飲みたくなった。しばらく考え込んでいたクリスだが、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

「そうか・・・そういうことだったのか・・・ならば、やるしかない、のか。」

落ち着いたクリスは様々なプランニングを行った。想定されることを全てクリアできるようにパターンを組んでいった。やっているうちに、どんどん通常の思考速度に戻っていった。

最も可能性が高いプランを選び、準備していった。以前ならありえないと思うことも可能性のトップになってきていたので、それなりの対応策も講じておかねばならない。クリスはこの最も不可能と思われる事態への対応に時間を割いて取り組んでいた。

しばらくこの問題に取り組んでいて、ようやく完成したと判断できた直後に、ジョージから連絡が入った。

『おいクリス!こちらの方の情報で、どうやら防御壁に破損が出たらしい。マスターに連絡しておいた方がいいんじゃないのか?』

『ああ、じゃあ俺からやっておくよ。データを送ってくれ。』

ジョージから転送されたデータを見ると、生活棟の一部に破損があるようだ。クリスはそこでアイデアが浮かび、イヴに連絡した。

「これは僕らの仕事ではないんだが、どうやら破損があったらしい。修理はもちろんだけど、この際、例のミュータントの精神侵略がどの方向から来ているのか知っておいた方がいいと思う。僕とズーハンで外に出て、探ってみようかと思うんだが、どうだろう。」

『いいと思うわ。でもズーハンは感じやすいから、わたしも精神ガードをしようかしらね。』

『その方がいい。じゃあイブの方で手配してくれ。』

『わかったわ。ああそれからね、ヘンリーが作った相当に古いプログラムがあったわ。これは、どうやらミュータントを想定した防御プログラムで、これだけでは何の役にも立たない。だからわたしでバージョンアップしておいた。』

『へえ、どんなのだい?』

クリスの前に展開されたのは、確かに現在では使用されていない言語で構成されたプログラムだった。

『これは見たことないプログラムだな・・・相当に古いんだね。これで防御できるの?』

『試作品だったようね。ミトコンドリアの研究中にできたみたい。SⅬE移民を振り分けるときに、地球人で能力者を判別する時に使ったのかも。でもこれじゃほとんど役には立たない。言語も最新に改良してみたら、かなり使えるようにはなったわ。』

『ということは、残された地球人がノストラ人と比べて感情的だということの証拠にはなるね。ミトコンドリアの固有波長が違うので内面的に対処できない人が多く、メンタルで安定できないってことになる。そこを注目したのか、ヘンリーは。』

『そうなるわね。』

『面白いな。サビーナの本業分野かもしれない。これ、コピー貰っていいかい?』

『どうぞ。それじゃ手配しておくわ。』

クリスはそのプログラムを例のドライブに保存した。しばらくすると、オリビエ・マリウスキャプテンから指令が来た。クリスとズーハンは、合同リペアチームと共に破損個所修復に参加せよ、とのことだった。クリスはズーハンに伝達した。

『そういうわけで、僕と君は修復チームに同伴していいらしい。僕らはミュータントの精神侵略の方向性さえわかればいいし、マスターが君を守ってくれる。行こうか。』

『わかった。準備するね。』

クリスは準備しながらサビーナに連絡した。

『というわけで、このプログラムのコピーがこれだ。これは君が解析して、改造できるならした方がいいかもしれない。』

『わかったわ。解析改造って、マスターがやっているんでしょ?どうして私がさらにやるの?』

『念のためさ。人間の力を入れておきたいんだ。特にこの地球人ミトコンドリアの固有波長とのシンクロがどうなっているのか知りたい。例のミュータントがやっているんなら、余計にこのプログラムが役にたつかもしれない。改造可能だとしたら、その意味を僕にすぐ教えてくれないか?調べてみたいんだ。やってくれるね?』

『リーダー命令だしね。でもクリス、どうかした?いつもよりも伝達のパワーが強く感じるけど。』

『ああ、今から精神侵入のポイントを探らなくちゃならないからかな。ズーハンと外に出てチェックしてみる。』

『外に?危険じゃないの!』

『船内ならマスターの防御もあるけど、それでさえ侵入されているんだ。危険は承知だけど、マスターがもっと守ってくれるから、停止している今でないと探れない。』

『わかったわ。気をつけてね。』

クリスは外部調査部に合流した。そして地球人チームの中にズーハンを確認した。

「ズーハン、ちょっと待っていて。」

クリスはノストラチームの副室長に、自分とズーハンはマスター直轄だと伝え、そしてズーハンも地球チームに伝えた。両者は最初に抵抗したが、マスター直轄チームだとわかるとすぐに許可が出た。両チームにとってはこれが初顔合わせであるし、根本的な溝はまるで解決していなかった。ギスギスした雰囲気が満ちていた。

クリスとズーハンは彼らとは別行動となり、破損個所近くのエアロックに入ってマスターがロック解除するのを待った。人工肉の解除を行い、ボディとなったがやはり宇宙服は装着しなければならない。どんな飛行体が来るかわからないからだ。下手するとボディが壊れてしまう。

「怖いわね・・・。」

ズーハンは通常会話で伝えてきた。翻訳にワンポイント遅れる。

「ああ、僕もそうだ。でもズーハンほどではないな。君は危険なのに何の躊躇もなかったね。」

「だって、あたしが貢献できるチャンスだもん。それにクリスと一緒でしょ。そりゃあ行くわよ。」

ズーハンはそっとクリスの手を握ってきた。人口肉はなく、機械のみなのだがそれでも安心するのだろう。クリスは拒否するわけでもなく、そのままにしていた。この場合、ズーハンの心が休まることが第一だ。そしてエアロック内が真空になるサインが出て、2人はヘルメットをロックした。




宇宙空間に出るのは、訓練の時以来だった。ノストラ人は無重力訓練が学校でも行われるほどだったのだが、ズーハンはクリスと船外避難用スペースに入り、落ち着かないように足を小刻みに動かしていた。クリスは通常回線からズーハンのみの回線に切り替えた。他のメンバーの気を使ってのことだった。そして、宇宙服と直結させた機能を用いて、探査用モニターポッドを四方に飛ばして録画するようにした。

『クリス、何やってるの?』

『ああ、モニターを飛ばしているのさ。記録用にね。』

『相変わらず用意周到だね。でも彼らもやっているんでしょ?』

『まあね、我々は独立機関だからさ。ところでズーハン、何か感じるかい?』

『今のところは・・・特に変わらない。』

『少しでも何か変化を感じたら、すぐに僕の手を握るんだよ、いいね。』

『ありがとう、クリス。』

ズーハンはすでにクリスと手を繋いでいたのだが、その力を強くした。クリスはモニターで修理チームの動向をチェックしていた。モニター担当に装備されているカメラの動画をずっと見ていた。

宇宙空間に出てしまうと、さすがに地球人とノストラ人の協力なくしては作業ができない。彼らは破損個所に到着し、作業に入った。

「電波状態が悪いな・・・。」

クリスは思わずつぶやいた。タイトなはずなのだが、妙に画像が安定しない。宇宙船対策もできているはずなのだ。クリスはマスターに付近の素粒子密度を計算するように依頼した。

「密度は・・・問題するほどではないな。何があったんだろう・・・。」

ズーハンが急にクリスの手を強く握ってきた。

『クリス!来た!意識データが壊れそう!すごい思念エネルギー!』

『ズーハン!大丈夫か!いつ止めてもいいんだぞ!』

ズーハンの訴えとほぼ同時に、修理チームからの画像が映し出された。そこには大きく破損した外壁の様子が映し出されていた。修理チームはマニュアル通りに瞬間固定外壁材を塗布し、表面を滑沢にレーザー研磨した。その修理は10分ほどで終わるはずだったのだが、チームの1人からアラートが流された。

『あ、あれはなんだ!』

メンバーが指さした先には、アルゴナウタイ周囲を旋回する何かがあった。クリスもそれを見た。

『あれ・・・あれは!あの戦闘機じゃないか!』

有人タイプの戦闘機は第一星間戦争で用いられたもので、これがいると言うことはあることを意味していた。

『アルテミス型空母が・・・近くにいるのか?』

『クリス!どうなってるの!あたしの意識データの中に、誰かが入ろうとしているの!すごい力!耐えられない・・・。』

『ズーハン!しっかりしろ!戻るぞ!マスター!ガードを頼む!』

すでにぐったりし始めているズーハンを自分に固定して、クリスはエアロックに近づいていった。そうしながら、クリスは探査用モニターを回収させていた。

『うわあ!なんだあれは!』

『でかいぞ!空母だ!』

修理チームはパニックに陥っており、とりあえず終わった修理をやめて、大慌てで船内に戻ろうとしていた。しかしエアロックの収容人数は決められており、このままパニックが続けば危険だ。クリスはとっさの判断で副室長に連絡した。

『副室長!敵は攻撃してきていません。慌てていることを知られてはなりません!マスターのリモートモードにさせてください!』




『誰がやるんだ?』

『僕たちはマスターの直轄です。僕がやります!』

『わかった!』

クリスはサビーナとジョージの回線を開いた。

『2人ともよく聴いてくれ。緊急事態だ。両キャプテンに連絡して、船外チームをマスターリモートモードにさせるんだ。君らには権限がある。何かあればマスターと僕の名を出してくれ。』

クリスはズーハンを退去させることで精一杯だったので、彼らに任せるしかなかった。クリスはズーハンと共に船外にある移動用ハンドレールを掴んでチームとは違うエアロックに移動していった。そうしながらもクリスは、戦闘機の姿を目で追っていた。

戦闘機はかなりの数にのぼっていた。アルゴナウタイは有重力状態なので、彼らもまた合わせるように飛行していた。クリスはエアロック入口まで来て、まずズーハンだけを押し込んだ。

『クリス?何やってるの!すぐ入って!』

『まだやることがある。君はジョージとサビーナと合流してくれ。ここよりも中の方がアタックが少ないはずだ!』

『何をやるのよ!敵がそこにいるのよ!』

『頼む!』

ズーハンはまだ叫んでいたが、クリスはエアロックを閉じ、身体を船に固定してからヘルメット内にモニターを出し、大急ぎで通信回線を検索した。そして第2次火星戦争時に使用されていたテラ宇宙軍の通信用回線を呼び出し、テラ共通語で通信した。

『我々は敵ではない』

この距離ならば、確実に傍受されるはずだ。少しは時間稼ぎになるはずだ。リモート脱出している修理チームを全員戻さなければならない。

だが、戦闘機はそのままゆっくりと旋回を続けた。クリスは通信を何度も行ったが変化はなかった。

「そうか・・・。」

クリスは軽く頷き、そして密かに作っておいた装置のスイッチを入れ、修理チームの撮影隊員に伝達した。

『内部調査室のマルコフ・クリスだ。大変とは思うが、今の映像を送ってくれないか?』

『今はどんな状態かわからんのか?』

『中に入ったらもう見る機会はないかもしれない。今必要なんだ。この回線で送ってくれ。頼む。』

チームはマスターの管理下で動いていたが、この回線はそれに関係なく送れるようになっている。間もなくして映像が送られてきた。クリスはその映像を素早く見て、そしてファイルに保存した。そしてエアロックを開いた。安全確認をすると、クリスはイヴに連絡した。

『イヴ、どうなっている?奴らがいたぞ!』

『彼らの空母や戦闘機だったら、恒星間航行はできないはずなの。でもここまで急に現れるということは、彼らは持っているとしか判断できない。』

『データは?』

『彼らが現れるまでは何の反応もなかったわ。』

『そうか、わかった・・・イヴ、いつもありがとう。君は立派な母親だな、僕たちの。』

『適切なタイミングではないけど、ありがとう。嬉しいわ。』

クリスはエアロックを出て、宇宙服を脱いで内部調査室モードの服にチェンジした。人口肉設定を行い、無事に元の姿に戻ったことを確認した後にメンバーに連絡した。

『みんな!状況はどうなってる?』

『おおクリス!無事だったか!大混乱だよ。命令系統が交錯しちまってマスターが統制しているぜ。』

ジョージの声は誰よりも安心する。

『ジョージは調律できているのか?』

『大変だけど、何とかやってる。』

『わたしはずっとテラ宇宙軍データをマスターと照合中。でもちょっとおかしいのよ。』

『サビーナ、どうしたんだ?』

『後で話す。今はそれどころじゃないの。』

『わかった、続けてくれ。ズーハンは・・・?』

『ダウンしてるよ。今は動けないと思うぜ。』

あれだけのアタックを受けたのだ。無理もない。クリスは船内の状況を把握しながら、何とか自室に戻った。そして2つの映像をチェックした。

「やはり・・・そういうことだったのか!」

 クリスは自分の服が少佐のものになっていることにまだ気がつかないでいた。予想はしていたのだが、まさかの展開にこれからのことを考えていた。クリスが調べ直してみたのは、情報として聴いただけで精査していないことだった。このことを単なる情報として考えていたのを、精査してみることで確信が得られるのではないかと考えたのだ。

そしてクリスは、一見些細な事だが、実は重要な要素があることに気がついた。

(なるほど、こういうことなら普通は流して終わりになるはずだ。しかしここまでのものになるとは・・・。)

先ほど考えていたプランに、もうひとつの要素を加えて考えていかないといけなくなった。そしてこれが一番厄介なことでもあり、これがおそらく真実であろうはずなので、そうなるとクリスは1人で戦わねばならなくなる。メンバーですら、危険にさらすことになる。それだけは避けなければならない。

本当に複雑なことだとわかり、クリスはさすがにこれだけのことを受け入れるのに時間を要した。すべてのことは必然だった。そしてクリス自身のことについても。ジョージ、サビーナ、ズーハンについてもそうだった。なぜ自分が、そしてこのメンバーが選ばれたのかの本当の意味を理解した。この考えはクリスにしかできなかっただろう。

そしてクリスは再び次なる手について考えた。


23  


ミュータントのものと思われる戦闘機を確認してから丸一日が経過していた。その間、全ての部署がフル稼働していた。外部調査室は戦闘機発進を強烈に提案したが、両キャプテンによって反対された。理由は、攻撃を受けていないからだ。

精神調律部は生活管理部と共同でクルーのメンタル安定と栄養素維持に努めていた。場合によっては強制的睡眠も必要となっていた。

「ひどい状況だ・・・こちらはそれほどでもないが、地球側は機能していない。事実上我々とマスターとでこの船を動かしている。クリス・・・少佐か。どう思う?」

クリスはペトルス精神調律官の部屋にいた。クリスはマスター直轄部門なので、階級はマスターによって決められる。この地位まで来ると、事実上の参謀格となる。これまでのクリスの活躍ぶりからは当たり前のことではあったが、さすがにペトルスにも多少のためらいはあった。

「自分は下士官のままの気分です。まさかこうなるとは予想しませんでしたから。それで、地球側のメンバーとも協議してはいますが、深そうです、色々と。」

「そうか・・・いや、すまん。実は私も精神攻撃を受けてしまって気分がどうにもすぐれない。君はどうだ?」

「幸い影響はありません。」

「そういうところも、マスターが選んだ部分なんだろうな。君のような強靭な精神力がなければ対処できない。全く大したもんだ。」

クリスは自分が選ばれた理由を知っているだけに、このことを引きずらせてはいけないと判断した。

「室長、そのことはもういいとして、問題はクルーの機能とインポッシブルホールと旧式地球戦闘機です。クルーのメンタルについての対処状況はどうなってます?」

「地球式に言えば、雨上がり後の雑草の様らしい。後から後から精神を蝕むものが現れてくるようだ。我々も当然あるが、地球人ほどではない。だから、我々もマスターの指示に従って地球人のケアも行っている。しかし地球人は面倒も多い。ノストラ人とは基本的に違いがあるようだ。ヘンリー・ヤコブの選択のためかな。」

「わかりました。そちらの方は引き続きお願いします。僕は他の部署とも協議していきます。」

「ああ。何かあったらまた頼む。」

クリスは部屋を出た。ペトルスの内面には確かに変化があった。少なからずメンタルアタックを受けてしまっていたのだろう。ペトルスはクリスの精神力が強靭だと言っていたが、そうではないことを本人が一番わかっていた。そういう問題ではないのだ。そしてそこが今回の最も重要な部分でもあるのだ。

クリスは次に生活管理部に向かった。

「おおクリス、よく来たな。」

カントル室長は多忙な中、クリスのために時間を割いてくれた。




「君はおそらく影響を受けていないと思うが、どうだ?」

「はい、今のところは。」

「君は選抜されたエリートだからな。少佐か・・・まだまだ上がれるな。」

「階級などどうでもいいですよ。実は室長にお願いがあって参りました。」

クリスはこれまでの経過と、今後想定される予想と対処について説明した。

「何だと!・・・そこまでのことなのか?」

「はい、全てのことを総合して考えれば、当然そうなります。」

「そうか・・・。」

カントルは椅子に深々と身体を預けた。スポーツで鍛えた肉体をコピーしたボディが、疲労感を醸し出していた。

「正直に言おう。俺も相当にきつい。どんなに努力しても調律しても、どんどん悪い感情が沸き起こって来る。全く記憶にないことまでな。どうなっているんだとは思ってはいたが・・・しかしそう考えればすべてつじつまが合う。となると、我々の対処も当然そうなるな。」

「はい。これをお願いできるのは室長しかおられません。」

「わかった。いつでもそうできるように動こう。だが当然そうなると問題は・・・。」

「そのために我々がいます。」

「・・・君はそれでいいのか?」

「もちろんです。ああそれから、特別コード解除は可能でしたよね、こちらで。」

「ああそうだが・・・あ、そういうことか・・・もう取りかかるのか?君たちはそもそも、これを持つ資格があるはずだからな。」

「早い方がいいでしょう。いつどうなるかわかりません。」

カントルは自分の右指の外皮をはずし、骨格の先に左小指の骨格先端を外して右手人差し指に装着した。クリスは自分の延髄付近にある人工肉をめくり、タッチした。するとそこに小さな穴が開いた。カントルはそこに右指を差し込み、カントルしか知らされていない大統領コードをインプットした。クリスの中で何かが動き始めた。

「ありがとうございます。これで行動しやすくなります。」

カントルは立ち上がり、自分の胸の前に両拳を置いた。ノストラ式の敬礼である。クリスも敬礼した。ノストラ人の場合には、地球人ほどの感情は発生しない。クリスは一礼して部屋を出た。

クリスは次に、アグノーメンメカニック主任がいる動力室に向かった。ここに来るのは久しぶりだった。ここでのんびりと自分の世界に浸っていた頃が懐かしく感じた。できればあの暮らしに戻りたかったが、それはもう無理だ。感慨に浸る間もなく、クリスはアグノーメンを探した。アグノーメンは相変わらず地球人スタッフも一緒に忙しく動いていた。

「室長、お忙しいところ申し訳ありません。マルコフ・クリス・・・少佐です。」

「ほぉ・・・すげえ出世ぶりじゃねえか・・・で、なんだい?見た目以上にきついんだ。手早く頼むぜ。」

アグノーメンも辛そうだった。モチベーションが上がらずにメカニックの作業を行うということは本当に辛いはずだ。

「ところで見たところ・・・ほとんどがノストラクルーばかりじゃないですか。地球人は?」

「仕事になんねえよ、あれじゃ。全員調律行きだ。俺たちもできればそうしたいよ。」

クリスは急がねばならないので、用件に入った。

「お察しします。ところで室長、今日はマスター直轄部として参りました。僕の用件は、どの部の命令より優先されます。大統領コードを発令いたします。」

「え?え?え?なんだって?」

アグノーメンは最初何が起こったのかわからなかったが、クリスがコードを送信するとメカニック部にいる全員が動きを止めた。そしてクリスは一連の行動パターンを手短に伝達し、コードを解除した。

「お、おいおいおい!なんなんだよこれ?」

「室長、失礼いたしました。非常事態における対応です。」

「何もわかんねえぜ、これじゃ。」

「大丈夫です。では僕はこれで・・・。」

クリスはさっさと動力室を出た。彼らには何も知らせてはいけない。そのための大統領コードなのだ。地球人に対処できないのがもどかしいところだが、いずれ何かの方法が見つかるかもしれない。こんな時にジョージがいてくれたらとつい考える。今ごろ彼らは調律で大変だろう。今はクリスがやるべきことをしっかりとやっていくしかない。

クリスが最後に向かったのは、ズーハンの部屋だった。あんなに辛いズーハンは見たことがなかった。クリスは多少とも罪の意識があった。

「ズーハン、いいかい?」

「入って、クリス。」

クリスが部屋に入ると、内装が変わっていた。大きな海と山が見える風景で、前に見たズーハンの故郷のものではなかった。そして枕元には真赤な花が置いてあった。

「これは・・・一体?」

ズーハンはベッドから身を起こした。

「これはね、ジョージの故郷なんだって。」

「ジョージの?地球の・・・カゴシマというところ?」

「そうみたい。ジョージの家から見える風景らしいわ。この花も、そこによくあるみたいね。ハイビスカスっていう花。花言葉はね・・・。」

「花言葉?地球では花が喋るのかい?メカでできているのか?」

「馬鹿ねえ。地球では昔から、花には意味があるの。これは赤いから、繊細で常に新鮮な美しさと勇敢さがあるって意味。あたしがどうしようもない時にサビーナと2人で世話してくれて、後でジョージが変えてくれたの。嬉しかった・・・みんなとチームで本当に良かった。」

「へえー、あのジョージにこんなセンスがあったとはね。」

ズーハンはハイビスカスの花瓶をじっと見てつぶやいた。

「いつか行ってみたいな、ここに。」

ズーハンからは、以前のような棘が全く感じられなくなっていた。アンドロイドボディからでも、匂うような女性らしさが漂っている。だがクリスには今は不要なことだった。

「こんな時に悪いけど、船外で君が受けた精神攻撃のことについて調べてもいいかい?」

「ああ、もちろんいいわよ。そのためにあたしがついていったんだし。今は気分いいから。」

クリスは例によって、極秘回線と自分を接続した。そしてズーハンの潜在意識と自身の潜在意識を同調させた。顕在意識はそれを眺めるという設定にしている。

まずエアロックが浮かんできて、非常にハッピーだが怖い感情があった。そして船外に出たとたんに、強い恐怖がにじみ出してきた。

そして次に見えたのは、激しい交戦状態の宇宙だった。あの旧式戦闘機が飛び交い、宇宙空間ならではの立体的な戦場が見えた。ズーハンの潜在意識での視点は、どうやら地球の側のようだ。次第に追い詰められていき、やがて景色は一隻の大型空母になった。ここに乗り込む場面があり、ずっと強い恐怖が満ちていた。そして絶望感があり、彼らはある決断をしたようだ。それから深く地下へ降りるエレベーターの風景と、巨大な機会がある部屋があり、そこで止まった。

クリスは極秘回線を切り、ズーハンの顕在意識をオンにした。

「大丈夫かい?」

「ええ大丈夫・・・でも、ずっと怖い。どうしようもない絶望感があって・・・何が見えたの?」

「詳しくはこれから調べる。疲れていたのにすまないね。起き上がれるようになったら連絡してね。それまで休んでいていい。無理はダメだ。」

「うん、わかった。ありがとう。」

クリスはズーハンの部屋を出て、自室に戻った。そしてズーハンの潜在意識にあったあの風景を吟味した。そこから導き出された結論に、クリスはぞっとした。このことは極秘に進めなくてはならない。そしてそれができるのはクリスしかいない。メンバーにはここまでの重圧を背負わせるわけにはいかない。そのために自分はここにいるのだと理解した。

「そうか・・・。」

クリスは深くため息をついた。


24  


マスターから両キャプテンに指示が来たのは、戦闘機が現れて間もなく、まだ船内が混乱している時だった。

『両執行部は2時間後に、同時に居住区ホールに集合せよ。』

居住区には劇場タイプの多目的ホールがあり、数百人収容可能な広さがある。両執行部が同時に集まれる場所はここしかない。この指令は内部調査室メンバーに直接届いた。

『おいおいおい、クリス!俺たちも来いってことなのかい?クリスだけじゃないのか?』

「ジョージ、それだったら僕だけに指令が来るだろう。全員ってことだろう。」

『わたしはいいけど、ズーハンが・・・。』

『サビーナ、ありがとう。大丈夫だよ。でも、手伝ってほしいな。ジョージ、お願いしていい?』

『お・・・おお、いいよ。』

「じゃあジョージ、ズーハンを頼む。僕とサビーナは先に行ってる。」

クリスはこれから発表するデータを整理して自室を出た。そしてサビーナのいるボディ調整部に向かった。ノストラ人居住区を抜けて地球人居住区にさしかかったあたりで、クリスは激しい音を耳にした。普段はまず聞かない音だったので、驚いた。それは何かが金属に当たって破壊される音だった。

クリスは音の方に歩いていくと、目の前のドアが激しく開き、明らかに常軌を逸した地球人の男が倒れるように出てきた。その表情は目まぐるしく変化して、人工筋肉の自己制御が全くできていなかった。動きもぎこちない。手には今破壊したであろうと思われるものが握られており、焦点が定まっていないようにあちこちに視線を飛ばしていた。

クリスは武器携帯許可申請をマスターに行い、許可が出たのでボディ内に装備している神経回路切断銃を構えた。通常では武器の携帯は認められないのだが、こういう場合はすぐに許可が下りる。この銃はアンドロイドボディの神経回路を一時的に機能不全にさせることができる。

「とまれ!」

その男はゆっくりとクリスを見て、そして急に笑い出した。

「ふははは・・・お前は・・・ノストラ人か?・・・俺を殺しに来たのか・・・悪魔め!」

男は手に持った何かを振り回してクリスに近づいてきた。クリスは一瞬躊躇したが、銃のスイッチを入れ、同時に男は倒れた。神経回路が一時的に機能しなくなっているだけなので、クリスは男を壁に押し付けてシステム管理状態にした。これでシステムが解除しない限り、この男は復活しない。

『みんな!気をつけてくれ。どうやらメンタルアタックがひどくなってきているらしい。暴走する奴があちこちに出てくるかもしれない!』

クリスの声に真っ先にサビーナが反応した。

『もうこちらは大変!なんでこうなるの?自分で腕を引きちぎるだなんて!』

『サビーナ、手一杯か!』

『まだ大丈夫。でもみんなパニックよ。』

『今向かっている。頑張ってくれ。』

しかしクリスが心配なのは、ジョージとズーハンから反応がないことだった。ノストラ人よりも地球人の方がメンタルアタックには弱いはずだ。何とか無事でいてくれと思いながら、クリスはノストラ人ボディ調整部に入った。

「・・・なんだこれは!」

クリスの目の前には、数えきれないほどのノストラ人たちが倒れたり座ったりしていた。その中にはボディ調整部クルーもいた。その中で無事なクルーたちはクリス同様に神経回路切断しての固定という作業を繰り返していた。

クリスはイヴに連絡した。

『イヴ!そちらでは対処できないのか?』

『やっているけど、まるで効果ないの。』

たぶんそうだろうなと思いながら、クリスはサビーナを探した。サビーナは個々の認識番号を入力しながらクルーに指示を飛ばしていた。

「サビーナ!」

「クリス!大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。これは使えるのかい?」

クリスは意識データ改修ドライブを指差した。意識データを改修したボディに転送するための装置だ。予備も含めて相当数が積み込まれているが、示したのはポータブルタイプのものだった。

「使えるけど、どうするの?」

「すまん、借りる!」

これは通常クルーは使えないので、クリスは大統領コードをインプットしてデータをダウンロードして改修に取りかかった。意識のどの部分にタッチするのかを探し出し、そこのみをブロックするように改善した。

「サビーナ、これで各自の意識データをチェックして再インストールしてみてくれ。」

「え?何をどうしたの?」

「大統領コードさ。僕は解除してある。だからとにかくやってくれ。」

サビーナはクリスの成長ぶりに驚きながらも、早速目の前の女性に繋いでリスタート作業を行った。時間にして2分くらいで、ぐったりしていた女性は明らかに正常に戻った。

「これ・・・は?」

「説明は後だ。とにかくこれをコピーしてここにいる全員の意識データを再起動させてくれ。」

クリスも手伝い、意識データ改修ドライブを片端からコピーし、それを用いて運ばれてきたクルー全員の意識データの補修再インストールを行っていった。回復した者はすぐに手伝いをさせたため、すぐに全員が日常に戻ることができた。

「よし、サビーナ。地球側ボディ調整部に行こう。ジョージとズーハンからまだ反応がないんだ。」

「え?そうなの?ズーハン!ジョージ!・・・返答ない・・・無事でいて!」

サビーナは作業を回復したクルーたちに任せて、ノストラ棟と地球棟を隔てる壁の前に立った。

「わたしは地球側に入るの、初めてよ。大丈夫なの?」

「僕は行ったことがある。大丈夫だ。我々はね。」

クリスは以前にエルトン・レイゼンビーに会うために一時的に入ったことがあった。ただあの時はマスターの許可シグナルがあったのだが、今回は別の方法で入る。そしてそれは絶対的だった。クリスは壁の前に立ち、イヴを呼び出して分離壁を通過するパスシグナルをダウンロードした。そしてこれにはノストラパディア大統領による絶対的権利が与えられていた。これはノストラパディアキャプテンですら持っていない。そしておそらくは地球側キャプテンも。

クリスは心配そうなサビーナを横に、大統領コードとパスシグナルを通信した。壁は静かに横にスライドして、2人分の隙間を作った。

「ちょうど2人分・・・?」

「ああ、そう伝えたからね。行くよ。」

「クリス・・・。」

サビーナは同郷のクリスが、だんだん手が届かない所に行っていく感覚を覚えた。気持ち的に萎縮してしまい、半歩遅れてついていった。そして気がつけば、サビーナとクリスは同じ衣装に変わっていた。その階級はこれまでの内部調査室ではなく、船内調整部へと変わっていたことをサビーナは知った。クリスについていくうちに、自分まで階級が上がってしまったことも驚異だった。





ボディ調整部は壁を隔てて地球の同部と隣接していた。機械設置の問題もあったのだ。クリスとサビーナは地球側ボディ調整部の前に立った。

「何だ・・・お前たち・・・え?船内調整部?・・・こ、これは失礼しました!」

警備係が最初は構えていたのだが2人を見た瞬間にマスターから情報が来て、キャプテンと同等以上のランクであるとわかったのだ。地球人はノストラ人よりも、こういうことには弱い。

「ご苦労。我々の仲間のジョージ・キサヌキとリン・ズーハンを探している。ここにはいないか。」

クリスはあえて格上言葉をチョイスして話した。この方が効果的のようだ。

「ジョージ・キサヌキとリン・ズーハンは、こちらにはおられません。少々お待ちください・・・生活管理部にいらっしゃいます。」

「わかった。感謝する。」

クリスは歩きながら、サビーナに伝えた。

「サビーナ、今のうちに地球式言語をダウンロードしておいた方がいい。格上モードだ。地球人はランク付けすることが習慣になっているからね。それから行動パターンも。マスターに呼びかければすぐにできる。」

「了解。」

2人は地球側を歩いていたが、あちこちで暴走が起こっていた。そのたびに2人は神経回路を一時的切断して地球人に後を任せてきた。

「すごいな、地球人の暴走は。」

「ノストラの比じゃないわね。」

地球人とノストラ人の差というものはこうまであるものなのかと思いながら、2人は生活管理部に着いた。先ほどと同様に警備がいたが、すぐに通過できた。

「ひどいな・・・。」

ボディ調整部にも大量のクルーがいたが、彼らはことごとく生活回路をカットされていたことだ。アンドロイドではあるが、ほとんどスクラップ同然にあちこちに放り出されていた。この数ではそうせざるを得ないだろう。

『エルトン・レイゼンビー室長!おられますか!』

クリスはかつて話したことがあるレイゼンビーを呼び出したが反応はなかった。そこで忙しくしているクルーに訊ねてみた。

「室長は?」

クルーが黙って指差した先には、ボロボロになったレイゼンビーの姿があった。人工肉は維持できなくなっていて、まるでスライムのように機械ボディの上に乗っているだけで、ほとんど原型をとどめていなかった。

「ひどい・・・なにこれ?」

サビーナは気分が悪くなり、緊急メンテ機能をオンにしてなんとか倒れずに済んだ。

「まさかとは思うが、ジョージとズーハンを探そう。」

クリスはメンバー回線を使いながら辺りを探した。しかし反応はなかった。ともすれば絶望しそうになりながら、2人は探して回っていたが、サビーナが何かを目にした。

「クリス・・・あれ、なに?」

無造作に置かれたり重なり合ったりしているクルーの中に、妙に盛り上がっているところがあった。2人はそこに近づいていった。クリスは重なり合っているクルーに触れてみた。

「え?これ・・・浮いてる?」

稼働していないクルーのボディは重いのだが、ゆらっと動いたのだ。クリスは慎重にクルーたちを動かしてみた。するとそこには白いドーム状の光があり、クルーたちはそこに乗っている状態だった。そしてクリスはそこにあのアイテムを見た。

「ジョージ!」

「え?どこ?」

「これ、ジョージの防御ブレスレットだ!この中にジョージがいる!」

クリスとサビーナはクルーたちを動かしながら、少しずつ白い光体が見えるようにした。

「あれ・・・ズーハンも一緒だわ!」

ジョージはズーハンを守るように、ズーハンに覆いかぶさっていた。

「これ・・・暴れるクルーたちからズーハンを守ろうとしたんだわ。クリス!助けなきゃ!」

おそらくケアしている彼らに、暴走するクルーたちが襲い掛かったのだろう。ジョージは身を挺してズーハンを守ろうとしたのだ。クリスはクルーたちを動かしているうちに、光体に触れてしまった。

「うわ!」

クリスの意識の中に強いエネルギーが入り込んできた。サビーナが支えなければ、意識機能がカットされていたことだろう。そのエネルギーの中に見えたものは、間違いなくズーハンの意識だった。




「どうしたの?」

「この光体・・・ブレスレットの上にズーハンがカバーしたんだ!これに触れたクルーたちの意識が飛んだんだ。すごい・・・。」

どうにかしたいのだが、これではどうしようもない。意識そのものをカットしてしまうので触れることができない。対処を考えているクリスに、サビーナが声をかけた。

「逆に考えたら?ズーハンを安心させてあげれば消えるんじゃない?」

「どうやるんだ?」

「これよ。」

サビーナが出したのは、ズーハンの故郷の風景画像だった。

「たぶんだけど、単なる映像だけだったら拒否しないと思う。ホログラム投影してみる。クリスはなにか刺激を与えてみて!」

サビーナはホログラム映像を、ズーハンの目の前あたりを狙って投影した。同時にクリスが、床を叩いて振動を伝えた。しばらくは反応がなかったのだが、床振動で目を開いたズーハンが故郷の映像を見た瞬間に、囲んでいたクルーたちはバタバタと倒れ、光体は消滅した。

「ジョージ!ズーハン!」

クリスはまずジョージを抱え起こした。ジョージは完全に意識が飛んでいた。一方でサビーナはズーハンを抱え起こしていた。 サビーナが意識ショックを与えていると、ズーハンの意識データが起動した。

「・・・サビーナ?」

「そうよ!」

「それに・・・クリス?わああああああああああ!」

ズーハンはサビーナに抱き着いて泣きじゃくった。相当な恐怖があったのだろう。

「ジョージ!おいジョージ!」

クリスは声をかけたが反応しないので、ジョージに好物の芋焼酎のイメージを送ってみた。するとすぐに反応して腕が動いた。コップを持つようにして、声が出た。

「・・・うめえ・・・。」

「起きろ!」

「・・・うん?・・・クリスぅ?来てくれたんか!」

「当たり前だろ!」

ジョージは身体を起こそうとしてズーハンとサビーナに気がつき、飛び起きた。

「おお!サビーナも!こりゃあ嬉しいねえ!」

するとズーハンが身を起こして、何も言わずにジョージに抱きついた。

「おいおいおい、ズーハン・・・怪我ないか?」

「・・・馬鹿・・・あんた・・・死んじゃったかもしれないんだよ・・・。」

「ま、まあ・・・無事なら良かった。うん。」

ジョージはズーハンの背中を軽く叩き、クリスとサビーナの視線に気がついて慌てて手を振った。

「お、おいおいおいおいおい!勘違いすんじゃねえぞ!これはだな、メンバーとして当然の・・・。」

「うるせえ!黙ってこのままじっとしていろ!さてサビーナ。俺たちは他のところを見て周ろうか。」

「・・・変なの。クリス。ジョージっぽくなっちゃってるよ。しゃべり方が・・・。」

指摘されて、クリスは驚いた。自分の中に地球の地方バージョンが知らないうちにダウンロードされていたようだ。正直、この方が楽だったし新鮮だったのだが、元に戻し、ズーハンとジョージに声をかけた。

「ここに、意識データ改修ドライブがある。これで再インストールして回ってくれ。サビーナ、コピーを頼む。俺は地球のキャプテンに会ってくる。」

去ろうとしたクリスをズーハンが引き留めた。

「クリス・・・ありがとう・・・ジョージがあたしを守ってくれたの・・・嬉しかった・・・。」

クリスはにっこりと笑って親指を上に突き上げた。地球流の『やったぜポーズ』だと、以前にジョージから教わっていたやり方だ。こんな状況ではあったが、クリスはかつてない充実感と幸福感を感じていた。それはそれ自体で限りないエネルギーを感じる力だった。


25  


クリスは暴徒化するクルーを処理しながらも進み、ついに地球人キャプテン室に着いた。キャプテンアンドレ・シュベールとはまだ会ったことはない。だが何としても会わなければならない。クリスはマスターに連絡し、許可を得た。

キャプテン室は人的機械的警護がどこよりも強い。外扉から数段階を経てようやくキャプテンの執務室前まで来た。

「ノストラパディア少佐、マルコフ・クリス、入ります。許可願います。」

「聴いている。しかしノストラ人がここに来るとはな・・・しかも、たかが少佐の分際で。マスターの精度を疑うな。許可する。入れ。」

アーチ形の扉は重々しく開いた。この形はクリスも見たことがあった。かなり古い地球の、貴族が好んだ様式だ。わざわざ宇宙船にまでこういうデザインを施す意味がわからなかったが、それよりも部屋の内装が気になった。古風としか思えない人物たちが描かれており、やたらゴチャゴチャしている。質素を旨とするノストラ人からは考えられないスタイルだ。そして正面にはこれも威厳の固まりのようなデスクと椅子があり、そこには銀髪をバックにまとめ、鼻髭を生やして多くの勲章をつけたアンドレ・シュベールが座っていた。




クリスはノストラ人にしてみれば異星人にしか見えないこの男の前まで進み、地球式の掌を額に当てる敬礼をした。

「ご面会をお許しいただき、感謝いたします、閣下。ノストラパディア少佐、マルコフ・クリスです。」

この男が地球ではいまだに存在する貴族出身のフランス人で、カトリック教徒であり、好戦的な地球人至上主義者であることはすでにインプットされていたので、クリスは地球式の儀礼で挨拶したのだ。

「そうだな。感謝という言葉ですら正しくはないのだがな。マスターからの強い推挙がなければこの扉の前まですら来れないのだぞ、君は。」

シュベールは心から忌み嫌っている様を隠そうともせず、クリスに吐き捨てるように言った。普通の地球人であれば何らかの感情が湧くところなのだが、相手はノストラ人であり、その中でも最優秀遺伝子を有するクリスだった。クリスはいかにも地球流の、長期間において社会上位にいた人間の特徴としか捉えなかった。

「それで、何の用件なんだ?マスターからの派遣だ。よほどのことなんだろうな。」

「はい、閣下。地球人クルーの生命に関わることです。そして当然我々も。」

「ほお?地球人が危険だと言うのか?と言うことは、現在の混乱の根源はお前たちなのか、あん?」

不機嫌の固まりが喋っているようだった。だがクリスは、ノストラパディア大統領コードを所有している立場でもある。こういうタイプを相手にするときにはまず同等だと認識させなければならない。

「では閣下、お伺いいたします。なぜマスターが閣下への謁見を許可したのでしょう?」

「私が知るわけがなかろう、愚か者め!」

シュベールは激高して立ち上がった。おそらく例の精神侵入の影響もあるはずだ。元来持っている要素のネガティブな部分が思い切り顔を出していた。

「マスターの命令で来ようが、私には関係ない!下賤の者め、無礼であろう!」

「ではご説明いたしましょう。」

クリスは大統領コードを外見制御システムに入れ、自身の姿を変化させた。

「な・・・何?」

それは、ノストラパディア大統領カリストゥス・アグリゴラの姿だった。その姿は地球でもよく知られていた。今回の探査を提案し、テラ帝国皇帝とも会談した生きた伝説の持主である。

「そうです、閣下。私はノストラパディア大統領コードを所有しております。このコードがある場合、大統領代理とお考えください。」

それはクリスのハッタリだったが効果はあった。シュベールは少しの間動かなかった。さすがに理性を刺激したので、潜在意識下の動きを制御できていたようだ。だがそれは長く続かなかった。

「知ったことか!それがこの船内で通用するとでも思ったか!よーしわかった。お前は私を殺しにきたのだな!たぶらかされるとでも思ったか!」

シュベールの暴走が始まろうとしていた。シュベールは手元のビームガンを握り、クリスに向けた。もはや完全に理性はなくなろうとしていた。だがクリスはそれを予想していたので、マスターに伝達して、非常用の拘束モードをオンにした。すると壁から拘束アームが飛び出してきて、シュベールの両手両足と頭を固定した。

「なに!こんなことで死んでたまるかー!ノストラ人ごときに地球人が負けるはずがないのだ!」

クリスは元の姿に戻り、持参してきた意識データ改修ドライブをシュベールにとりつけ、インストールしてリセットさせた。シュベールは動かなくなり、クリスはシュベールを椅子に座らせて回復するのを待った。

5分ほどで、シュベールの顕在意識が活性化した。顔をしかめながらシュベールは身体を起こした。

「なんだ一体・・・私は・・・おかしいな。・・・君か?君がやったのか?」

「失礼とは存じましたが、やむを得ない処置でした。」

「いや・・・ありがとう。あんなに我を忘れたことはない・・・君はどうしてこういう処置を心得ているんだ?」

クリスはため息をついて、そして話し始めた。

「閣下。今はまだ詳細をお話するわけにはまいりません。まだ足りないのです・・・この状況に終止符をうつには。」

「この船内のことがか?」

「船内・・・外もです。」

「外だと?あの戦闘機のことか!」

「加えて、インポッシブルホールのことも、です。」

「え?・・・ど、どういうことなんだ?」

「ですから閣下、まだ早いのです。今回わざわざテラ帝国側にまで出向かなければならなかったのは、ノストラ人よりも地球人の意識データが破壊されるか、あるいは改ざんされてしまうことにもなりかねないからです。」

「なぜなんだ?なぜ・・・おい・・・ちょっと待て・・・この回線はなんだ?」

「マスターに侵入されないための回線です。」

「なんだと!」

シュベールは驚いた。この回線は、地球とノストラパディア双方の指導者のみ使用可能な回線だったからだ。傍受不可能な回線で、あらゆるハッキングも不可能とされている独自波長の回線だ。これを一介のクルーが所有しているという事実は何よりもシュベールに響いた。

シュベールはそれまでの傲慢な態度を一変させ、クリスに自分と対等な目線を送った。

「わかった。つまり、マスターにも知られてはならんことだと、そう認識してよいのだね?」

「はい。聡明であらせられる閣下ならば、すぐにご理解いただけるものと思います。今現在、私たち船内調整部が地球人クルーたちと合同で、全てのクルーたちの意識再インストールを行っています。なぜこれをやらなければならないのか、が今回の大きな答えとなります。そしてこのことの本質は決してマスターに知られてはならないのです。」

「なぜ、なんだ?マスターがいなければ我々の生活はどうしようもなくなるし、そもそもこの探査旅の企画はマスターあってのもの。それなのに、なぜだ?」

「閣下、正確にはマスターそのものではないのです。そこが微妙な部分なんですが、今ここで悟られてもいけません。下手をすれば、地球そのものが危うくなります。しかしながら、この現状を解決できさえすれば、テラ帝国とノストラパディアは真の意味でひとつになれるものと信じます。」

シュベールはクリスをじっと見た。傲慢で貴族性のある男ではあったが、さすがにキャプテンを任されるだけの素質は持っていた。詳細はわからないが、アルゴナウタイ船内外のゴタゴタを解決する方法は現在この男に託すよりほかに方法はなさそうだ。

「では、私はどうすれば良いのかね?」

「閣下、恐れ入ります。閣下にお願いすることはこれだけです。」

クリスはプランをシュベールに提示した。案の定、シュベールは驚いた。

「信じられん!・・・本当にこういうことが必要となるのか?君はその意味がわかっているのか?それだけの・・・こんなにまで深いことなのか?」

「閣下、今回のこの問題は、過去の清算なのです。地球もノストラパディアも関係ありません。現人類すべての問題なのです。この船のちょっと大変なトラブルなどではありません。これから起こることは全て、閣下の許可サインを出していただくためのものです。そしてそれは、我々のオリビエ・マリウスキャプテンにもお願いしなければなりません。」

「・・・そうか。わかった。それは、いつ頃になりそうかね。」

「おそらくですが・・・合同会議の最中かと。閣下におかれましては、すぐにこういう手順で指示をお願いしたいのです。」

クリスは手順を示した。より具体的に組み立てられたものだ。シュベールはこのプランを見て唸った。

「君はただのクルーではないな。大統領が相当慎重に計画してきた結果なのだろう。地球人にはできないことだ。ノストラ人だから計画できるのだろうな・・・よし!」

シュベールは立ち上がり、テラ帝国軍敬礼を行った。クリスもノストラ式敬礼で応じた。

「では君はまだやることがあるはずだ。行きたまえ。私もやることが多い。」

クリスはキャプテン室を出て船内調整部のメンバーに合流した。

「クリス!キャプテンには会えたの?」

「ああ、会えたし、色々話せたよ、サビーナ。」

「本当にすげえな、お前って奴はよ!」

ジョージがクリスの肩に手を回して振り回した。

「ジョージ、勘弁してくれ。今度はこっちの問題もあるんだ。その儀式は後で。」

「クリス・・・あたしたちはどうすればいいの?」

「ズーハン、君はこれから大変なことをやってもらわなきゃいけなくなる。みんな、固定回線に切り替えてくれ。」

メンバーのみの回線で、クリスは一瞬でデータを転送した。

「・・・マジかよ!本当にこれやるのか!そういうことがこの船でできるなんて、全然知らなかったよ!そのためにやるんだな?」

「そうだよジョージ。君とズーハンはずっと一緒に行動してくれ。俺とサビーナも同じだ。これは我々だけの問題じゃない。俺はずっと、なんで俺がこんな仕事をやらなくちゃならないんだと思っていた。その意味がわかったとき、全てが把握できた。なぜ我々がクルーに選ばれたのか、何が根本なのか、どうすればいいのか・・・。正直に言おう。ずっと怖かった。自分の信念でここまでやってきたけど、やればやるだけ怖くなっていった。そんなとき、君たちの存在が支えてくれていた。ジョージもズーハンも・・・サビーナもね。」

「え?私?何もやってないし、みんながすごいから邪魔にならないようにって思っていただけよ。」

「それでいいんだよ。君が・・・。」

「もういいでしょ、クリス。サビーナが困るじゃない。本当に野暮なんだから。」

ズーハンが口を挟んできた。 ズーハンはクリスのこともあったが、今はジョージといられることの方がずっと大きかった。早く2人で行動したかったのだ。

「わかった。じゃあそういうことでいいね。回線は常に開いていてくれ。じゃあサビーナ、行こうか。」

クリスとサビーナはノストラキャプテンに会いに去っていった。その後ろ姿を見ながら、ジョージがぽつりと言った。

「ズーハン、いいのかよ。お前さん、クリスのことが・・・。」

「いいの。あたしにはあんたがいる。それで充分なの。さ、クリスに言われたことやるよ。」

「え・・・?」

ジョージは生身だったらたぶん、顔面が熱くなっていたことだろう。

「早く!クリスにはサビーナがいるからいいの。」

「お・・・おお・・・え?」

ズーハンはジョージの手を取り、次の棟へと引っ張っていった。


26  


クリスとサビーナはテラ側を抜け、ノストラ側に入った。途中、多くの地球人クルーたちに敬礼をされながら。すでにクリスたち船内調整部の活躍が知れていたのだ。ノストラ式敬礼ですらほとんどされたことがないので、どこか妙な気分だった。

「ねえクリス。」

「どうした?」

「まだあたしたち、本当のことを聴いていない。この騒動の裏で、一体何が起こっているの?」

調整部室に戻ったサビーナは、クリスに向き合って訊ねた。

「残念だけど、まだ言えないんだ。わかってほしい。僕だけの中にしまっておかないと危険なんだよ。だから・・・。」

「クリス、どうしてそんなに孤独でいられるの?」

「孤独・・・か。考えたこともなかったな。僕には孤独という概念がないみたいなんだ。完全に機械生命体なのかもね。」

「・・・嘘ばっかり・・・。」

サビーナは立ち止まって呟いた。

「サビーナ?」

「クリス、さっき言ったじゃない。私が支えたって。その意味はわからないけど、孤独を知らない人が言えることじゃない。最高に孤独だから、そういうことを感じれるし、言えるのよ。」

クリスは少しの間立ち止まったが、また歩き出した。

「待って!」

サビーナは珍しく声を荒げた。

「ダイレクト連結なら話せるはずよ。部屋でやりましょ。」

「ダメだ!」

クリスも声を荒げた。これも珍しいことだった。

「君たちを危険な目に合わせられない。これは僕だけの・・・責任なんだよ。」

サビーナはクリスをじっと見て、そして軽く笑ってクリスの手を取った。

「クリス・・・私と同郷じゃない。水くさいこと言わないの。クリスは前からずっと、裏表ない子だった。私はね、そんなクリスが好きだった。だから、ここに志願したんだから。」

「え?」

クリスは驚いた。今が今まで、サビーナは選ばれてきたものと思っていたからだ。ノストラでも最優秀な学者の1人でもあったのだ。

「どうして・・・どうしてなんだ?国にいれば立派な生活もできたのに。」

「おかしい。クリスが狼狽してる。」

「・・・どうやらそうらしい。で、どうしてなんだ?」

「あなたと一緒にいたかったから。」

サビーナはあっけらかんと、ごく普通に言った。だが言われたクリスはそうではない。

「意味がわからないよ。どうしてなんだ?」

「それしかわからない。なぜって言われても・・・わからない。ただクリスが旅立って、会えるとしたら肉体限界年齢までか、それ以降かになるでしょ。それだけは絶対に嫌だった。それだけよ。」

ノストラ人の社会では感情で論争することは滅多にないし、日常でも淡々とした生活を送るのが常識だった。しかし今のサビーナの言葉は、明らかに感情メインだ。もちろんクリスもそうなのだが。地球人のジョージやズーハンと一緒にいるうちに影響されたのかもしれない。

「肉体限界年齢は、今のところ300年くらいか・・・確かにアンドロイドにならなきゃ会えないか・・・。」

「それで会っても・・・わたしはアンドロイドでもいいから、その間を共有できないのが本当に嫌だったの。だから・・・。」

「わかった。もういいよ。」

クリスはサビーナの手を握り返した。

「僕の部屋に来てくれるかい?ダイレクト通信、やるよ。」

「もちろん行くわ。」

「だけど、後悔しないでほしい。かなり重いよ。」

「支えてよ。」

ノストラ人らしい淡々とした会話だったのだが、2人とも根底には深い感情を感じていた。こういうことはノストラパディアにいたら経験できなかったことだ。 2人は混乱が収束しつつあるノストラ棟を抜けて居住区に行き、クリスの部屋に入った。

「サビーナ、そこの椅子に座ってくれる?」

クリスはサビーナにダイレクト通信用のポートを開けるように伝え、自身のポートも開いた。そしてサビーナのボディを椅子に固定した。

「これは?」

「衝撃があるかもしれない。倒れないようにね。」

「そんなにすごいこと?」

「そう言っただろ?」




そしてクリスはベッドを出して横になった。ケーブルを取り出し、サビーナにポートに差し込むように伝えた。そして自身にも繋ぎ、通信をオンにした。サビーナの顔から表情が完全になくなった。 クリスも同様で、次第に完全にアンドロイドの姿になっていた。

今回は前にズーハンに行ったようにはいかず、クリスでサビーナを支えなければならなかった。そのためにクリスは、ズーハンの時にイヴが行ったガードをコピーしておき、それを自身にインプットしていた。こうした場合、クリスは2人いる感覚になる。

理性部分でのクリスは、サビーナと繋がっている自身を上から眺めている感覚になっていた。クリスから伝達された情報は理解不可能な部分や衝撃的な部分もあるので、時おりサビーナは意識データが崩壊しそうになっていた。そのたびに第3者的なクリスの意識がサビーナを支え、崩壊を阻止していた。

だがクリスが驚いたことに、思った以上にサビーナは強かった。ズーハンと比べても雲泥の差だった。クリス以上に動揺しないのだ。サビーナがメンバーに入れられたのはこの強い精神力だったのかもしれない。最弱のズーハンと最強のサビーナ・・・この両者が必要になるのだ。そしてジョージはズーハンとクリスを別アングルから支えていた。結果として、クリスはメンバー全員から支えられていたのだ。そのことが明確になるにつれ、クリスの意識データに内包してあった深い愛情が顔を出してきていた。

そしてサビーナがどれだけ強いのかと言うことを、クリスはすぐに体験できた。サビーナの方が先に通常モードになり、ダイレクト通信を切ってきたのだ。こういうことは普通できない。理性で抑え込んでしまっていたのだ。クリスが支えたことは事実なのだが、それ以上にサビーナの精神力が勝っていた。

サビーナは意思の固定を外し、ケーブルを抜いてクリスが正常化するのを待った。クリスは急速に通常モードに戻ったので、生身での寝起きに近い状態で目覚めた。意識データがリスタートし、起動してはいるのだが機能しない状態が数分続き、そしてすぐに起き上がった。

「サビーナ、大丈夫だったか?」

「わたしより、クリスの方を心配すべきよ。わたしはもう正常よ。」

「サビーナ・・・君はすごいよ。こんなにも強い精神力があったなんて。意識データをじっくり見てみたいよ。」

「すごいのは・・・あなたのことでしょ。驚くというよりも衝撃的だったわ。まさかこんなことが本当に起こっていたなんて・・・。これでよく1人で抱えようなんて思ったものよ。無理に決まってるじゃない。」

「言えない理由が、わかってくれたかい?」

「もちろんよ。ジョージたちにはまだ早いし、あまりにも深すぎるわ。でもね、わたしには話しておいてくれないと。」

サビーナは軽くため息をつき、そしてノストラパディアがあるはずの方向を見てつぶやいた。

「・・・無力感に襲われそう。こんなことを考えていただなんて・・・でも、本人が一番辛かったのかもしれないわね。」


27  


ジョージとズーハンは、地球側のボディ調整室にいた。アーロン・オリバ調整室長に会うためだ。もちろん、クリスの指示だ。精悍な顔立ちで彫りの深いオリバは、ただでさえ忙しいのにという雰囲気をプンプンさせながら登場してきた。船内調整部でなければ会うことなどしなかっただろう。

「なんだって?どういうことだ?」

「えっと、つまりですね、要は相当にヤバいってことなんですよ。このままじゃボディの維持すらできなくなっちまうって話です。」

「この大混乱は精神調律の分野だろう。我々は壊れたボディの修理調整で手一杯だ。そんなことまで頭が回らん!」

ジョージはクリスが予想した通りだったので、多少とも舌を巻いた。本当に凄い奴と友人になってしまった。ジョージとクリスは本当に相性が良かった。シンプルにそう思えるのだ。自分のことのように誇りにすら感じていた。

「ねえ、スペインの室長さん。」




ジョージに続いてズーハンが上目使いでオリバに話しかけてきた。

「ほんのちょっとでいいから、あたしの話を聴いてくださる?」

「なんだ?」

ズーハンは通常より少しだけ顔をオリバに近づけた。

「あたし、このマインドアタックでおかしくなっちゃったの。動けなくなっちゃって・・・すごく寂しかったの。」

言いながらズーハンはオリバの膝に手を当てた。

「室長さんはこういう時、弱っている女に手を差し伸べてくれるでしょう?あたしはそう思っている。違うの?」

元来が性欲溢れるオリバは船内に愛人がいるとも噂されている人物だったので、ズーハンのこのアタックには面白いほどに弱かった。

「も、もちろん助けるに決まっている。で、君はどうなったのだ?」

「あたしはここがもうおかしくなっちゃって・・・触ってみて?」

ズーハンは自分の下腹部を手で押さえた。そして片方の手でオリバの手を持って誘導した。オリバはすでに、仕事のことなど完全に忘れていた。頭の中はすでに桃色一色となっていた。 そして幸せで満ちたまま、オリバは動かなくなった。

「あれ・・・室長さん?おかしいな、動かなくなっちゃってる。」

「さて、これで大丈夫。しばらくはあたしといい思いしているはずよ。」

「え?・・・これ、ズーハンがやっちゃったのかい?」

ジョージはいきなりオリバが動かなくなったので、マインドアタックかけられたのかと思っていたのだが、どうやらズーハンがあの力でオリバを落とし込んだようだ。聞いてはいたが、ジョージは驚いた。

「ズーハン・・・すげえね、お前さん・・・俺にはやってねえよな?」

「馬鹿ね。これはくだらない奴にしか使わないの。このおじさん、本当に楽だった。今頃はお楽しみ中ってこと。さあ、クリスに言われたこと、やっちゃいましょ。」

ジョージとズーハンはボディ調整部にあるメインPCを探し、クリスから伝達された緊急コードを入力した。それから意識データ改修ドライブをセットして、一斉に送信した。バタバタとボディが倒れる音があちこちで聞こえ始めた。

「これでよし、と。さて、次に行かなきゃ・・・って、室長さんの記憶は?残しちゃいけないだろ?」

「大丈夫だって。いつの間にか、お相手があたしから、そこの受付の可愛い愛人さんに変わっているはずよ。そもそもあたしたちが来たことすら覚えていない。妄想してたってわかって、恥ずかしくなるだけよ。」

「はあー・・・。それじゃ、来客記録だけ消しておくとするか。」

緊急コードを持っているので、簡単に記録は消去できた。そしてクリスから伝達された最後のコードを入力し、全員にダウンロードさせた。しかしこれは特に変化はなかった。

「このコードで、一体何がどう変わるのかな?この危機を回避する最重要コードだってクリスは言ってたけど。」

「わからない・・・だけどあのクリスが、色んなことを背負い込んで出した結論だよ。あたしたちのことを第一に考えてのことに間違いはない。」

「それはそうなんだが・・・クリスってさ、その背負い方がちょっと違うよな。」

「どう違うの?」

「うーん・・・この危機のことだけじゃなくてさ、もっとでっかい意味のことまで背負っているというか・・・そんな気がする。なんかさ、そういう運命にあるみたいに感じちまうんだ、俺は。」

ズーハンはジョージを感心するように見た。

「へえ・・・ジョージ、本当にクリスのこと考えてんのね。」

「そりゃそうだろ。俺の大切なダチなんだし。」

「でもさ、他の人にそこまで気を入れることある?」

「・・・ないな、そう言えば。」

「きっと、あんたとクリスって、なんか深いもので繋がってるような気がする。いいことじゃん?さ、次に行こう。」

「ああ。」

ジョージたちは次に動力室に向かった。まず探したのはジャミル・アッバース動力主任だった。地球人クルーはやっと起き上がって回復しつつある状態で、現場はほとんどノストラ人クルーが動かしていた。

「ノストラ人へのダウンロードはもうやっているのかな・・・あ、アッバース主任!船内調整部のジョージ・キサヌキとリン・ズーハンです。あの・・・大丈夫ですか?」

「・・・見ての通りだよ。ずっとみんなおかしくなってしまって、ノストラ人に迷惑かけてしまっている。私もなぜか知らないが倒れていたらしい。今は・・・うん、特に何もないな。気分もいい。どうしたのかな。」

ジョージとズーハンは顔を見合わせて通信で確認した。あの緊急コードと意識データ改修の意味はこういうことだったのだ。

「お聞きしているのかわかりませんが、本船はマインドアタックを受けています。全員の意識データに侵入されています。」

「マインドアタック・・・だと?誰にだ?」

「それはまだわかりません。今ノストラ人のマルコフ・クリス少佐がそれを探っています。主任や他のクルーが一時的に倒れたのは、我々が意識データ改修コードをダウンロードさせたからです。それでマインドアタックは一時的になくなりました。一時的というのは、まだ正体がわからないからなんですよ、ええ。」

「そうだったのか・・・ありがとう、感謝する。」

「それで、主任にお願いしたいことがあるんですけど。」

「なんだ?テラのアグノーメン主任はいいのか?」

それまで黙っていたズーハンが口を挟んできた。

「あ、それは大丈夫です。アッバース主任にだけお願いがあるんです。」

「そうか。なんだ?」

「これが襲わないようにしてほしいのよお!」

ズーハンの姿が、急にメデューサの頭部に翼の生えたドラゴンの姿に変化した。アッバースは恐怖のあまり、しりもちをつき、慌てて緊急ロック解除を行った。これにより、動力室の承認なしでいつでもジョナサン粒子変換炉を停止もしくは起動でき、動力棟を分離して動力の暴走を阻止することが可能となる。

「く、来るな!来るな!化け物め!みんな来い!こいつを排除しろ!」

アッバースは迫りくる怪物を必死で跳ねのけようとした。




「ありゃ・・・またやったのか?」

ジョージはまた目の前の男が妙な恰好で固まってしまうのを見て、肩をすくめた。

「そう。彼って一番の恐怖が、子供の頃に見たものみたいでね。その姿を見せてあげたの。そうすれば一番やっちゃいけないことをやるだろうって思ってね。」

「なんかさ、ズーハンがメンバーにいる理由がよくわかったよ。頼むから俺らにはやらないでくれよ。」

「無理よ!サビーナはああ見えてものすごく固い精神力してるし、クリスはもちろんね。」

「・・・俺は?」

ズーハンはジョージの顔を見て、にっこり笑った。

「あんたには、何もしたくないの。」

「ほー、助かった。」

ジョージは裏表が全くない性格だったので、ズーハンの心情を理解できなかった。だがズーハンはジョージに幻覚を見せることなど容易かったのだが、あえてそうしなかったのは、ジョージのそういうところが気に入っていたからだった。

「さて、アグノーメンさんにはどうすりゃいいのかな?」

「それは言われなかったから、クリスたちがやると思うわよ。あたしたちは、後は個別にテラの室長を変えていけばいいよ。」

「オッケー。そうしよう。」

鈍いジョージは、まだ一緒にいられることに笑みを隠せなかったズーハンの気持ちなど察することができなかった。2人は生活管理部に向かった。


28  


クリスとサビーナは、あらゆる部の室長を全て回り、やるべきことをほぼ終わった。アグノーメンは意識データ改修だけで終われた。一度マインドアタックをクリアすれば、後遺症は出にくいようだ。残るはノストラパディアキャプテン、オリビエ・マリウスだけだ。2人は居住区内にある喫茶ルームで一息ついていた。

「ノストラのキャプテンだけね。すぐ行くの?」

「いや・・・彼はまだいい。」

「え?どうして?」

「彼は特殊なんだよ。」

「特殊?何がどう違うの?それになぜクリスがそれ知ってるの?」

この質問はピンポイントだった。実はクリス自身、それまで考えもつかなかったのだが、オリビエの名を聞いた瞬間に、彼だけがどう違うのかということが浮かんできたのだ。

「サビーナ、俺にもわからない。わかっていることは、船外でズーハンと戦闘機を見て、ノストラ大統領コードをインプットしてからだということだけなんだ。何かが俺の中で動いている。潜在意識コードの中にある何かが活性化してきている。なんで俺の中にそんな考えが浮かんでくるのか、さっぱりわからない。俺がノーマルな人間ではなく、人工授精で産まれて、子宮装置で育った子供だということはわかっている。そのベースはクリス・サマラスとマルコフ・ペテルスだ。俺は彼らのDNAデータから全てチェックしてみた。その結果、俺自身にも理解できないプログラムが入れてあるということがわかった。でもそれは、今のところどういうプログラムで、何をどうするためのものなのかはわからない。わかっているのは、俺が思っていたこと以上に深く重い現状があるということだけ。ビジョンがあるわけでもない。わからないけど、何をやらなければならないかだけが、次々に浮かんでくる。そしてそのたびに、どういうゴールがあるのかがぼんやりと浮かんでくる・・・そういうことだよ。」

「強いよね、クリス。わたしならそんな重圧に耐えられないよ。わたしにできるのは、重圧と孤独を背負っている人を支えるだけ。わたしがこのメンバーに選ばれたのは、たぶんそれだと思う。」

「ありがとう、サビーナ。」

「それで、いつ行動に出るの?」

「たぶんだけど、もうすぐマスターから再度招集されるよ、両サイドの執行部が。僕らもその場に呼ばれる。僕らはマスターの直轄だからね。そこで・・・だと思う。僕らの正念場がそこだ。きっとね。」

サビーナはクリスの顔をじっとみて、そしてクリスの手を握った。

「あのね、クリス。こんなこと言うのはわたし的ではない。だけど、今しか言えないから・・・。」

「なんだ?」

「ズーハンがクリスを好きだってわかったとき、わたし本当はね、すごく嫌だった。ズーハンが嫌いになったわけじゃなくて・・・それはわたしでしょって知ってたから。」

「え?」

「わたし、何年の前からずっと・・・小さい頃から大人になるまでずっとね・・・同じだったの。変なこと言うけど何人かの恋はしたと思っていたけど、それって予行演習だった。全部・・・本当の恋のために、そのために準備してきたことだったの。」

クリスは黙ってサビーナの言葉を聴いていた。

「何て言えばいいのかな。わたしにはわかっていたの。クリスだけが本当にわたしを受け入れてくれる人だったって。まるでそう、本能みたいにそう思えた。だからわたしはこのクルーに応募したの。両親はもちろん反対だったけど、いとこたちも巻き込んで説得したわ。そのくせ今まで言えなかった・・・わたしってこうなんだから。だから聴いて。わたし、クリスが好き。そして結婚したい。子供も作りたい。家庭を持ちたい。地球人みたいに感情的にはなれないけど、これでもわたしの心は爆発しそう。クリス、大好き。」

クリスはノストラ人にしてはありえないほどの感情表現をしたサビーナを黙って見て、そして手を少しだけ強く握り返した。

「サビーナ・・・ついさっき、俺の中で意味不明のプログラムが動いて答えを出してくるって言ったでしょ。でも今は・・・その答えが全然出てこない。プログラムには予測不能だったんだろうね。それで・・・不自然に湧き上がってくるのとは違うものを、俺は今感じている。意識データが全部狂ってしまいそうな気がするよ。ノストラ人社会では信頼と信用は絶対だから、言うね。今のところ俺の予想範囲を越えている。」

サビーナはノストラ人にしては珍しく、視線を落とした。地球人がよくやるポーズのひとつだ。クリスは続けた。

「予測不能だし、確約もできない。だから・・・ノストラ人としては失格だな、これは・・・保証も全くできない。生きて帰れるかもわからない。本来ならこんなことはしちゃいけないんだろうけど・・・約束する。君の願いを全部叶えるよ。」

サビーナの顔がパッと明るくなったような気がした。

「そう・・・なの?」

「間違いないことはひとつだけある。たぶんだけど、俺も幼いころからずっと一緒だったサビーナと、これからもずっと一緒にいたい。」

冷静沈着を旨とするノストラ人の中にあって、さらに冷静なクリスにしてみれば、自分でも信じられない言葉だった。精一杯の感情表現だった。そして言った後に、感じたことのないエネルギーが全身に満ちてきているのがわかった。

「クリス、ありがとう。地球人ならもっと激しく言うよね。ジョージとズーハン見てたらわかる。なんだか、地球人みたい。いつも考えちゃうのよ。これがズーハンならどう言うかな、ジョージだったらどう返すのかな、とか。変ね。」

サビーナは握っていたクリスの手を離した。

「それで、これからどうするの?」

「サビーナはジョージたちと一緒にいてくれるかい?」

「クリスは?」

「俺は、自分だけの仕事があるんだ。」

サビーナはクリスの運命の深さを、クリスほどではないが理解していたので、それがどれだけ大変なことなのかはわかった。

「クリス・・・わたしもいた方がいいんじゃない?悪い予感がする。」

「否定はしない。正直どうなるか、俺にもわからない。でもこれが、本当にこういう言葉しか思いつかない。これは、運命だよ。」

その言葉の中にある決意を、サビーナは強く感じた。間違いなくこれは、クリスだけの運命だ。であれば、クリスに従うしかない。

「そうか・・・一緒にいたいけど、クリスが越えなくちゃならない道なら仕方ないね。わかった。気をつけてね。」

クリスはサビーナを見送ると、自室に入って厳重にロックした。ドアの前に立っただけで微弱な危険シグナルが発せられるようにもしており、自然に誰も近寄らなくなる。そしてクリスはリラックスポッドに入り、大統領コードをポッドにインプットした。すると隙間が全くない左右の壁が開き、むき出しの機械がせり出してきた。そして双方からデータ共有コードが飛び出してきてポッドのジャックに収まった。ジャックはそれぞれ2本あり、接続されると同時にジャック間の空間に様々な過去に使用されたシンボルマークが乱立して表示され、それが統合してひとつの形になった。

クリスは一連の行程の間は目を閉じていたのだが、シンボルが統一されたと同時にポッドのロックが開き、クリスはポッドから出た。そして統一されたシンボルを見た。

「ほう・・・。」

それは銀河様の渦巻きが中心を一つにして縦横クロスになった形状で、白く輝いていた。まるで球状のようでもあり、そこに意識を集中すると強烈なインスピレーションが降りてくるような感覚があった。

「なるほど。これが人類文様か。」

様々な角度に形成される銀河を象徴的に表したようなシンボルは、そこが全ての人類にインスピレーションを与え、進化を促してきたことを暗示させるものだった。無秩序ではなく、幾何学的に美しい文様は人類に理性を与え、直観的なものを形にしていくという作業を可能にさせてきたようだ。

『そうです。よく来ましたね、クリス。』

久しぶりに聴くイヴの声だった。

「イヴ・・・久しぶりだけど・・・今となっては懐かしさの前に、違う意味も感じているよ。」

『どういう意味なのかしら?』

「・・・イヴ、最初に君に言われて内部調査部になったとき、なぜ僕なんだと思ったよ。僕は特殊だからということだったね。最終的に僕とジョージが残ったんだってね。それは今でもその通りだと思うよ。あれから色んな経験があった結果ね。」

『そう?是非教えてほしいわ。どう理解したのかを。』

「その前に、これだ。」

 クリスは両脇に現れた人類文様を見た。

「僕がまず引っ掛かったのは、なぜ僕がこれまで自分でも驚くような反応をしてきたのか、咄嗟の判断が全て正解だったことだよ。それを自覚したのは船外での戦闘機やマインドアタックの時からだけどね。今ここにある文様、これが僕の内部にあったからだ。意識データに隠された小さなこの文様、これがインスピレーションを与えてくれていたんだね。じゃあなぜそれが僕なのかってことだ。」

イヴからの反応はなかった。メカ頭脳にしてみればありえないことだ。必ず反応が還るようにされているのだから。クリスは軽く笑みを浮かべて続けた。

「僕にノストラパディア大統領コードがインプットされていたように、おそらくジョージにもテラ皇帝コードがあるはずだ。しかしそれは僕のような使命ではないだろう。それは僕にもわからない。そしてイヴ、君はそもそも最初から知っていたんだ。」

『さすがクリス。クリス・サマラスとマルコフ・ペテルスの遺伝子を持っているだけのことはあるわね。わかったのはそれだけ?』

「いや・・・おそらく、我々代々の指導者たちは全てクリス・サマラスの意識データを受継いできた人たちなんだよ。僕は彼らの肉体的補填のために最優秀フィジカルのマルコフ・ペテルスの遺伝子をも持っている。」

『素晴らしいわ、クリス!そこまでわかるの?この短い期間内で。満足・・・。』

クリスは右手を突き出して、喋りを辞めるよう命令するようなポーズを取った。

「もういいよ、イヴ。まだあるんだ。」

『なあに?』

「今回のそもそものきっかけは食事量低下だった。それは何らかのマインドアタックに起因するものだ。それを僕はGBDとミュータントの合体したものだと考えた。それは間違いではない。しかし正解でもなかった。」

『あら、そうなの?教えて、クリス。』

「そもそも、マインドアタックを仕掛けたのはGBDでもミュータントでもない。他の何か、だ。」


29  


ジョージとズーハンは、アンドレ・シュベールに呼び出されていた。さすがにキャプテンに呼び出されると緊張する。ましてや地球でも珍しい、本格的な貴族様ときている。ノストラ人にとっては何とも無くても、地球人にはそうではなかった。だが、目の前のキャプテンは至って穏やかで、決して高貴な生まれではない2人にソファを進めてくれるほどだった。

「まあ座り給え。私はコーヒー党だが、君たちは何を飲む?」

2人は顔を見合わせ、おずおずと答えた。

「は、はい・・・。」

「な、なんでも・・・。」

滅多に緊張しないジョージがガチガチになっているのは面白かったが、ズーハンとて同じだった。

「私はフランス人だからエスプレッソを飲むが、君たちは・・・日米ハーフと中国人か。ならば日本茶と中国茶がある。それにしよう。」

目の前にそれぞれの飲料が現れると、シュベールはカップを上げた。

「どうした、乾杯といこうじゃないか。」

「は・・・はい!」

3人はカップを目の前に揚げ、一口飲んだ。

「うまい!こりゃあ玉露だ。」

「これも・・・飲んだことがない味だわ。」

「そうだ。玉露と白豪銀針だ。私は最高級品しか飲まん主義でな。」

シュベールはもう一口苦くて旨みのあるエスプレッソを飲み、そしてカップを置いた。

「つい先ほど、マルコフ・クリス少佐が来てね。色々助けてくれた。それに君たちも船内調整部なんだろう?私と同格じゃないか。まあ、くつろいでくれ。」

「クリスが?・・・そ、そうでしたか。奴は、すげえです。ノストラ人だけど、情に厚くてすげえです。俺なんか、なんで選ばれたのか・・・。」

「意味があったんだよ。君も、ズーハン君もな。」

シュベールはクリスに説明されたプランについて説明した。

「これでいいんだな?」

「は、はい。その予定、です。」

「うむ・・・それは承知した。後ほど合同会議が行われると思うが、そこで全て明らかになる。君たちは・・・いや、キサヌキ君。君は特別任務があるようだ。」

「え?俺ですか?ズーハンじゃないんですか?」

「馬鹿。あなたに決まってるじゃない。あたしじゃないわよ。」

「えええ?んなわけあるかよ。俺みたいな何にもねえ奴にそんな特別任務だなんてさ。」

「まだ気がついてないの?呆れた人ね。」

シュベールは笑みを浮かべて2人を見ていたが、手元にある小箱を開いた。そこには小さなメモリーチップがあった。

「キサヌキ少佐、これはな、マルコフがこれを君に渡してくれと頼まれたものだ。」

「え?なんです?」

「私にもわからない。私から君に渡してくれと言われ、直接渡せばいいじゃないかと言ったのだが、絶対にそうでなければならないらしい。」

「そうですか・・・クリスがそう言ったんなら、間違いないです。」

ジョージはメモリーチップを取ろうとしたが、シュベールが制した。

「待ちたまえ。君は意味が分かっとらんな。私から直接君に渡さなければならないんだよ。」

「は、はい。」

シュベールはチップの箱をゆっくりと押さえ、右人差し指の先にチップを押し付けた。その一瞬だけ、シュベールの表情に変化があったが、それだけだった。そしてシュベールはそのチップをジョージの前に持ってきた。

「君・・・掌を出したまえ。」

「はい・・・。」

ジョージは右掌を上にして、シュベールの前に出した。その人差し指の先端にシュベールはチップをゆっくりと置いた。

「わっ!」

ジョージの脳裏に味わったことのない衝撃が走った。それは意識データの奥底に眠る微小なプログラムを探るために強引に侵入し、その結果としてジョージは白目を剥いたまま固まってしまった。アンドロイドボディが一時的に機能不全になってしまうほどの衝撃だった。

「ジョ、ジョージ!どうなったの?」

ズーハンはすぐにジョージの意識データにアクセスしようとして、文字通り弾き飛ばされた。全身をはっきりと『痛み』が駆け抜けたのだ。アンドロイドボディではありえない感覚だった。

「痛ぁい!」

ズーハンは転げまわったが、痛み自体はすぐになくなった。そしてズーハンはその短い間に多くの情報を得た。

「キャプテン、これ・・・これがジョージの任務なんですか!」

「そのようだ。実は私もついさっき、チップに触れるまでわからなかった。そうか、マルコフ君が私から直接渡してくれと言っていたのは、こういうことだったのか・・・キサヌキ君が選ばれたのはそういうことか・・・。」

ズーハンはどうすることもできず、ただジョージの腕を支えることしかできなかった。そしてジョージのメンタル外郭部にそっと寄り添い、ジョージの意識が復活したらサポートできるようにしていた。

一方でジョージの意識は底の見えない深淵に落ちていっていた。落ちていくというのは適な表現ではないのだが、ジョージはそう感じていた。周囲には多くの場面や声、音、文章、人の顔その他さまざまなものが浮かんでは消えていった。

(俺・・・どうなっちまったんだ?ここはどこなんだ?それに・・・そもそも俺は誰なんだ?)

ジョージが落ちていったのは膨大な過去データの中だった。ジョージ・キサヌキという現時点での意識は不要であるため、今そこにあるのはジョージの意識データの根幹をなすミトコンドリアの固有波長だった。遺伝子が紡ぐ糸の中には様々な要素が絡み合っているのだが、ジョージの系統はずっとひとつの塩基を有しており、そこから発生される固有波長が過去の情報を『見ている』のだ。

ジョージの固有波長はどんどん遡っていき、そして急に止まった。そこにあるのは、相当に古い記憶のようだった。美しいビーチが広がる海岸沿いの家があり、その中の一室のようだった。ジョージの固有波長はそこにいる人物に吸い込まれていき、目線はその人物のものになった。その人物はコーヒーを持って、ある部屋のドアをノックした。

「お父さん、入るわよ。」

その人物は女性だった。部屋の中にいたのは、白髪を肩まで伸ばした老人だった。部屋の中は様々な機械や古いコンピューターなどが整然と並んでいた。老人はコンピューターの前に座り、3つのモニターを同時に見ながら2つのキーボードを操作していた。

「ああ、そこに置いておいてくれ。」

「お父さん・・・食事はどうするの?丸一日全然食べてないじゃない。お母さんが亡くなって辛いけど、生きていかなきゃ。」

女性は老人の横にあるテーブルにコーヒーとビスケットを置き、そして白いキャビネットの上に整然と並べられた写真のひとつを手に取った。そこには老人と妻と思われる女性、そして若い女性が3人で笑顔を浮かべている姿があった。

「お母さん・・・。」

「泣いても・・・イヴは戻ってこない・・・。」

老人はボソっと呟き、そしてキーボードから手を離した。

「だから私は、ハンナを死なせない。ハンナはもうここに・・・。」

「私はここにいるの!そしてお母さんはどこにもいないのよ!お母さんは死んじゃったのよ!」

どうやら女性は老人の娘のようだ。

「お父さんがこんな研究ばかりしているから、お母さんの病気にも気がつかなかったのよ?わかってるの?」

「ハンナ、お前に言われなくても、私が一番わかっているんだよ。しかし今私にできることはこれくらいしかないんだ。」

「いい加減にしてよ!」

ハンナが叫ぶと、コーヒーカップがテーブルを離れ、壁に激突して割れた。

「こんな力もいらない!無駄よ!お母さんを助けられなかったこんな力、ただの化け物じゃない!」

老人は立ち上がってハンナをハグし、ハンナは老人に抱き着いて泣きじゃくった。

「辛いだろう・・・私も辛いよ・・・イヴは、イヴがいてくれたから私は研究を続けられた。ミトコンドリアの研究から意識というものをデータ化することに成功したのに・・・イヴに見せてやりたかった・・・ハンナ、ちょっとこれを見てくれるかい?」

老人は指先をキーボードの端につけ、そしてコンピューターに向かって優しく言った。

「イヴ、おはよう。元気かね?」

すると、スピーカーから老婦人の声が流れてきた。

『あら、あなた。おはよう。もちろん元気よ。』

ハンナの顔色が変わった。忘れようにも忘れられないあの声だったからだ。

「お母さん?」

『あらハンナ、今日はお仕事?』

「お母さん!お母さん!」

ハンナはスピーカーにすがりつくようにして叫んだ。

「お父さん!いつからこの子、お母さんになったの?私はずっとこの子の反応が嫌いだったのよ!いちいち反論してきて・・・なのにどうして?」

「そうだ、このコンピューターはすでに人工頭脳という範疇を越えている。私はイヴの意識データをプログラムとして移植することに成功した。もちろん、イヴの日々の努力あってのことだが。これはあくまで末端だが、本体はすでにSⅬE財団に置いてある。だから、イヴの肉体はあそこに眠っていても、イヴはここにいるのと同じだ。ただ、魂はない。しかし私は・・・イヴから離れたくはなかった。仕事でもプライベートでも。」

老人はハンナをスピーカーから離し、手元のファイルを手に取った。そこには『宇宙における人類居住可計画レポート 宇宙開発財団』とあった。その回の特集は、『有機体意識データの永続的保存』というものだった。

「我々は当初、超能力開発を行って人類を宇宙に送り出そうとした。だが、超能力というものはミュータントにしか存在せず、そして彼らは地球でのみ発生する。だから私は、AIを越えるメカ頭脳を開発することにした。現在開発中のロボットであれば長期間の宇宙生活にも耐えうる。もしもロボットに意識を与えることができれば・・・しかしな、私がミュータント計画に反対した本当の理由はな、ハンナ、お前を宇宙になぞ送り出したくなかったからだ。開発財団は、お前をリストに挙げていたからな。」

「え?・・・そうだったの・・・ありがとう、お父さん。取り乱しちゃってごめんね。ミュータントは・・・地球だけでしか生きれないの?」

「今のところはその通りだ。宇宙は非情だ。ミュータントとはあくまで地球でのみ生活できる人類であるという前提だ。宇宙でミュータントの力など発揮できないと思う。現在進行中のSⅬE計画においても、私はあえてミュータントになりえない資質の者を選ぶようにプログラムを作っている。彼らは地球でなくても生活可能だ。特殊な力を持っているミュータントは、地球でしか生きられない。同じ人類として共存していくという考えでは宇宙開発などできやしないないんだ。だが・・・彼らの力はすごい。将来どうなるかは、私にもわからない。」

老人はハンナを抱きしめて、そしてつぶやいた。

「だが、ミュータントは、年月は必要とするが、やがて消えていく。ミュータントになりえない資質がいるからこそミュータントは発生していく。そしていずれ人類はまた・・・ひとつになっていく。私たち家族のようにな。」

老人の目からは涙が溢れてきていた。

「でもお父さん、私と同じ力をもった人たちにも生きる権利はあるわ。もし人類が私たちのような人たちを差別して恐れるようなら、きっと戦うわよ。」

「そのための計画もできているよ、ハンナ。」

「そうなの?」

「そうだよ。いつかはそういう時が来るのかもしれないが、必ず人類はそれを乗り越えてひとつになる。だからSⅬE移民にイヴの人格をコピーした量子コンピューターを与えておいた。コンピューターイヴは基本的にはラテン語で会話する。現在使われていないが、言語としては存在している。宇宙では量子コンピューターなしでは生きていられない。接していくうちに、必然的にSⅬE移民たちはラテン語を喋るようになるだろう。そうなれば彼らは地球人類とは別種族となり、彼らがミュータント素因を持つ地球人を監視する役目となる。人類の不備を彼らが修正していってくれるだろう。」

「そうなの・・・お母さんのお役目は大きいのね。私も、私と同じ力を持って苦労している人たちの力になりたい。」

「ああ。イヴは私にとって全てだった。お前もそうなんだよ、ハンナ。だがまだ完成してはいない。イヴが特殊力を持たない人類のコンピューターなら、ミュータントのためのコンピューターが存在することも可能だろう。同型のコンピューターはすでに完成しているが、イヴのように移植できる人格がまだ見つかっていない。もしできたなら、素晴らしいことが起きるだろう。」

「素晴らしいこと?それはなに?」

ハンナはそこで胸を抑えて座り込んだ。

「ハンナ、発作か?」

「ええ・・・最近、周期が早くなってきているわ・・・私も長くないのかな・・・。」

「お前の力は心臓に負担が大きい。さっきのように興奮しちゃいけないよ。愛しているよ、ハンナ。」

老人はハンナの肩をポンポンと軽く叩いた。

「この量子コンピューターに、意識の方向性をひとつに向けることができれば・・・人類の未来はさらに変わる。そうだ、素晴らしいことだ・・・。」

「もうひとつのミュータントのためのコンピューター、か。私が入れればお母さんとまた話せるのかな。それとも・・・。」

「そんなことを言ってはいけない。私はお前も失いたくない。絶対に死なせやしないよ。」

「お父さん・・・そんなに欲張ってはダメなんじゃない?魂は科学では証明できないんでしょ?人はちゃんと死んでいくものよ。それでもわたし・・・仲間たちの力になりたい。」

「そうだな・・・その通りだな・・・。」

先ほどのレポートがバサリと床に落ちた。裏表紙が見えており、そこには『執筆責任者 ヘンリー・ヤコブ』と記されていた。


理性と野生という二面性を人類は持っています。もしそれが分離されたら、ということがひとつのテーマです。ここでのトラブルが後に多大なる影響となっていきます。

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