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第6話 微かな希望

 ~ザック~


「ザック、霧の外はどうなってる?」


 偵察から帰ってきて早々、レオンはオレにそう訊ねた。


「ダメだ。どこもかしこも『大地の民』がウヨウヨいやがる。完全に包囲されてるぜ」


 オレは、やたらと濃くて重い霧のせいでびっしょりと濡れた外套をバサバサと振って雫を払い落しながら、渋い顔で答えた。

 暖炉の前でしゃがみ込み、芯まで冷え切った身体を温める。


「そうか……分かった。とにかく、お前は少し休んでくれ」


 レオンはオレに労いの言葉をかけてから、木製のテーブルを挟んで向かいに腰かけるもう一人の男に顔を向けた。


「……なあ『学者』。他に抜け道はないのか?」


「残念ですが……友軍との合流は不可能でしょう」


 『学者』はテーブルの上に置かれた水晶球を見ながら首を振った。


 『学者』っていうのは、仲間内でのこいつのあだ名だ。

 何でもこの戦争が始まる前は、地方の田舎町で教鞭をとっていたらしい。


 だから『学者』。


 本当は『先生』とか『教授』とかでも良かったんだが、オレ達はあんまりそういう偉そうなヤツって好きじゃないんだ。

 まあ、戦前は引きこもって勉強とか研究ばっかしてたようなやつだしな。

 『学者』で、間違っちゃいないだろ。


 だが今はこいつもこの部隊の幹部の一人であり、最も優れた魔法使いだ。

 その魔力と知識は、今は誰かに教えるためではなく専ら戦争のためだけに消費されている。


「包囲が薄い箇所は、瘴気が強い。それでなくても彼らが焚く退魔香を嫌って、敵軍がいないところに魔物が集中してきています。とても子どもやお年寄りを連れて突破できるとは思えません」


「くそっ……!『大地の民』と魔物の両方に囲まれてるってわけか……」


 レオンは悔しそうに呟いた。


「……俺達もいよいよお終いだな。レオン」


 レオンの隣に座るもう一人の男が、忌々しそうに吐き捨てた。


 こいつの名はジェラルド。

 オレらと同じく、幹部のひとりだ。


「どういうわけか、あの霧の内側に魔物がほとんどいなかったお陰で全滅を免れちゃいるが、外の『大地の民』どもが霧に入る覚悟を持てば、それまでだ。あの物量で俺たちはあっという間に磨り潰される。……もう時間の問題だ」


 霧の向こうで陣を引く敵の数は二万を超える。オレたちの十倍以上だ。


(確かに……ジェラルドの言う通り、これで終わりなのか……)


 オレもなんとなく最後の時が近いことを予感した。

 それはもう、受け入れるしかないもののように思えていた。


 悔しい気持ちはあるが、生への執着は血で血を洗う戦場に少しずつ落としてきてしまったようだ。

 目前に迫った死の恐怖ですら、どこか他人ごとのように感じられる。


「エリーゼ……」


 そのときレオンがふと、呟くように言った。

 それは、アイツの、今は離れ離れとなった恋人の名だった。


 霧の外の『星の民』の残存勢力は僅かだ。

 彼女が行動を共にしている主力部隊も、長くは持たないだろう。


 アイツはもう二度と、エリーゼに会うことも叶わないのだろうか。


 レオンのそれはただの小さな呟きでしかなかった。

 ただそれは、常にオレ達のためだけにその身も心もすり減らしてきたアイツの、唯一の人間らしい心残りに違いなかった。


 オレはその時、できることならせめてその思いだけは叶えてやりたいと、心の底から思った。


「……ひとつ、可能性があります」


 だから、まるで独り言を呟くように『学者』がぽつりとそう言ったとき、


「なに!?」


 暖炉の前にしゃがみ込んでいたオレは凄い勢いでテーブルに飛びついた。


「本当か!?」


「藁にもすがるような微かな希望ですが……」


「勿体ぶるなよ」

「なんでもいい。あるなら話せ、『学者』」


 オレだけではなかった。

 レオンの隣に座っていたジェラルドが、オレと一緒に『学者』に詰め寄る。


 自分で言っておきながら、『学者』は少し迷ったようなそぶりを見せたが、やがて決心したように顔を上げ、そしてレオンに目を向けた。


「レオン。()()()()()()()()()()()()。聞いたことがありませんか」


「……!」


 それを聞いたレオンは、すぐに何かに思い至ったように一瞬、目を見開いた。

 それから、静かに頷く。


「……ある。以前、やつらが話していたものだ」


 “やつら”という言葉に、僅かに嫌悪が籠っていた。

 その理由はオレもジェラルドも、それから『学者』も分かっている。


「そうです。彼らを信用するのも危険ですが……この場所にこそ、あなたが……我々が探し求めていた物——『星の民』を滅亡から救いこの戦乱を終わらせる最後の希望があるのかもしれません」


 『学者』はまだ迷っているかのように、途切れ途切れにそう話した。


「……かつて魔人に奪われた”王者の象徴”——伝説の秘宝『黄金の魔剣』か」


 ジェラルドがかすれた声で言った。


「その魔剣がいかほどのものか分かりませんが……もしかしたらそれを手に入れれば、あるいはこの戦況を覆せるかもしれません」


 俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。

 淡い期待が身を焼く。肌がピリピリする。


「……でもよ、ただ霧があったってだけだぜ?こんなところに国があるって言うのか?とてもそんな風には見えねぇが」


「ああ。まるで人がいる気配がしない。そもそもお前の魔法にも引っ掛からないんだろう?」


 オレとジェラルドは怪訝な顔を『学者』に向けた。


「ええ。私の探知魔法では森の中はもちろん、森の向こうの峡谷まで、人はおろか、魔物一匹見つかりません。何度やってもです」


「……なら、国なんてあるわけねえじゃねえか」


 途端に力が抜けた。期待をしてしまっただけに、怒りがこみ上げる。


 なんだよ。

 お前は探知のエキスパートだろ。

 お前が見つけられねえなら、そもそも何もねえだろうよ。


「……それがおかしいのです」


 しかし、『学者』は静かに首を振る。


「どういうことだ?」


 ジェラルドが尋ねた。


「霧の中も、あの森の中も、瘴気の濃度は外と変わりません。……にも関わらず、魔物一匹見つからないのです。これは異常なことです。何か理由があるはず——例えば、魔物が発生するたびに()()が駆除しているとか」


「……!」

「まさか……」


「分かりません。今はまだ、小さな可能性の段階です」


 オレとジェラルドの過剰な期待を感じ取って、『学者』は自信なさげに念を押した。


「……いずれにせよもうすぐ新月だ。やつらはまたコンタクトをしてくる。その時に聞けば分かるかもしれん」


 それまで黙っていたレオンが静かに言った。


 その瞳には何か覚悟を決めたような、強い意志の光が宿っていた。

 そしてその瞳を窓の外に向ける。


 東の空に逆三日月が煌々と輝いていた。


「おれは諦めない。例えおれ達が滅びゆく運命だとしても……最後まで、諦めてなどやらない」 


 レオンが有明の月を睨みつけてそう言った、その時だった。



「——お母さんっ!!」


 扉の向こうで、幼い少女の悲鳴が響いた。


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