第5話 運命を否定する者と、祈る者
~レノラ~
「姫さまは彼らを……人間を見たこともなければ話したこともないはず。なぜそうまでして彼らの肩を持つのですか?」
我が息子のルイーズは姫様にそう訊ねた。
その通りだと思った。
わたくしも、そして恐らくは、ここにいる皆が同じ疑問を抱いていた。
しかし続く姫様の答えには、一切の迷いがなかった。
「見たことも話したこともないからよ!」
彼女はきっぱりと言い放った。
澄んだ——澄み切った、煌めく瞳で。
わたくしはハッとして思わず息を飲んだ。
「どうして盗賊だなんて思うの?どうして見殺しにしようだなんて言えるの?どうして話し合ってもいないのに、分かり合えないと決めつけるの?」
「……!」
その言葉は、少なからずわたくしの胸を締め付けた。
姫様は一点の曇りもない瞳でルイーズを見つめていた。
「……何度でも言いましょう」
戸惑う我が子が口を開くよりも先に、キロン将軍がかすれた声で言った。
「それが我らの宿命だからです。生まれながらに決まっている。避けることも変えることもできぬ運命なのです」
さすがキロン将軍だと、その時わたくしは思った。
こういう時でも空気に飲まれず、言うべきこと、言わねばならぬことを言ってくれる。
嫌われ役も憎まれ役も、自ら進んで買って出てくれる。
本当は密かに思いを寄せる相手にそんなこと、決して言いたくはないだろうに。
キロン将軍のその言葉は、有無を言わせぬ力強さがあった。
それはわたくしたちにとって絶対的な真理だったからだ。
そうだ。わたくしたちと人間とは決して手を取り合えない。
何故なら、彼らは『光』に愛された者たち。
わたくしたちは、愛されなかった者たち。
これは誰も抗うことのできない、運命というものなのだ。
しかし姫様は違った。
“誰も”に、姫様だけは入らなかった。
そしてわたくしたち全員を見据えて、こう言い放った。
「——宿命なんて、私はそんなもの信じないわ!運命は自分で切り拓くものよ!」
何の迷いもなく。一片の曇りもなく。
その顔は凛としていて、瞳は力強く煌めいていた。
その場の状況も忘れて、美しい、とわたくしは思った。
そして同時に、危うい、とも。
姫様はそう断言した後で、「そうでしょう?」と加えて皆を見回した。
最初に目が合った妹君のマルティナ様は、しかし申し訳なさそうに首を振るだけ。
「気持ちはわかるが、さすがに今回ばかりは姉さまには賛同できない」と、その目が語っていた。
……さすがに、霧の内側で人間と共存するなどということは。と。
「お父さま!」
姫様は、今度はその潤んだ瞳を国王陛下に向けた。
愛娘の悲痛な声に、メイザ―陛下はとても複雑な表情を浮かべていた。
その御心はすでに決まっているようにも見えるし、迷っているようにも見える。
「ルイーズ!」
姫様は最後に、懇願するように我が息子を見た。
彼も真っすぐに恋人の瞳を見つめ返す。
そしてしばしの沈黙が流れた。
やがてルイーズはふと目を逸らす。
ゆっくりと溜め息をついてからメイザ―陛下に向き直った。
「……陛下。霧の内側とは言え、我々も『寂寥の森』を超えた向こう側まで足を延ばすことは滅多にありません。それに人間たちがあの広大な森の中で、この『ニヴルヘイム』に至る『扉』を見つけることができるとは思えません。万に一つそんな者がいたとして、やはり人間が我が国の〈戦士〉たちの脅威になるとも思えません」
「ルイーズ!」
「ルイーズ!」
姫様とわたくしは同時に彼の名を呼んでいた。
でも、その意味するところは全く違った。
「……」
キロン将軍は苦虫を噛みつぶしたような顔だった。
マルティナ様も困惑した表情を浮かべている。
わたくしはと言えば、自分でもはっきりとは分からない不安と焦燥感とに苛まれていた。
良くない。
これは何か、とても良くないことが起る気がする。
長い長い沈黙の後、
「……良いだろう」
国王陛下はゆっくりと息を吐いた。
「お父さま!」
姫様の顔に、花が咲いたような笑顔が戻る。
純真で無垢で、可憐で愛らしくて——それでいてやはり、危うい美しさだと思った。
「……勘違いするな。別に人間たちの永住を認めたわけではない。だが今は捨て置く。ただし、我らに危害を加えぬ限りは、だ」
そして国王陛下は立ち上がり、一同を見回した。
「もしも人間達が森を超えてこの国に立ち入ることあらば、その時は容赦なく追い払え。彼らが争いを望むなら、我らも刃を持って応えよう……それまでは我が国の者どもも、無闇に彼らに近づくことを禁ずる。良いな、皆の者。……会議は以上だ」
——ああ、決まってしまった。
Ψ
「姫様」
陛下が室内から退出された後。
わたくしは彼女を呼び止めた。
「なあに、レノラ?」
これだけは忠告しておかなくてはなるまい。
「貴女はとてもお優しい方です……ですがその優しさはとても危険です」
「?」
彼女は不思議そうな顔をして小さな首を傾げた。
その仕草も、女のわたくしが思わず見惚れるほどに愛らしい。
「貴女は未知に恋をしてしまっている……世界を愛し過ぎているのです」
けれどわたくしは、ニヴルヘイムの人々の安寧を、子々孫々の繁栄を——何より息子の末永い幸せを、願わずにはいられない。
「どうか覚えておいてくださいまし。貴女は変わらなくてはならない。——さもなくばいずれ貴女のその無垢で無邪気な優しさは、わたくしたちの命を脅かす猛毒になるでしょう。運命に歯向かおうなどすれば、いつか必ず手痛い罰を受けることになりますわ」
「……!」
彼女は最初、とても驚いたようだった。
「どうしてそんなことを言うの?」という顔をしていた。
そしてその後——深く、深く傷ついたようだった。
その絶世の美貌に隠しようのない衝撃と哀しみが滲む。
わたくしはその顔から目をそらし、彼女に背を向けて部屋を出た。
そして長い廊下を歩きながら、ひとり祈りを捧げる。
——運命よ。運命と言う名の神よ。どうか。
どうかこの胸の奥に渦巻く正体不明の不安と恐怖が、わたくしのただの杞憂でありますように。
祈る神を持たぬわたくしたちの、このささやかな祈りをどうか聞き届けたまえ。
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