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第15話 月下美人のワルツ

 ~ラーナ~



 今宵は満月だ。


 姫さまとマルティナさま、それにサーシャとあたしは四人で『月桂樹の塔』の裏手にある泉で身を清めていた。


 “泉”と言っても温泉だ。


 それに“身を清める”と言っても、要は女子四人、温泉に浸かってガールズトークに花を咲かせながら、楽しく懇親を深めているだけなんだけど。


 それでも一応これは婚儀の前の、神聖な儀式の一つ。


『ニヴルヘイム』の街を夕方に発ち、竜車に揺られて『月桂樹の塔』に着く頃には、すでに満月が美しく輝いていた。


 姫さまは到着してすぐ、塔の最上階の窓に丁寧に『月光華(げっこうげ)』を括りつけた。

 今は月明かりをその花弁全体に浴びているはず。


 『月光華』に月光浴をさせる準備を済ませてから、あたしたちは食事を済ませ、四人で連れだってこの泉に来ていた。


 ちなみにキロンは塔でお留守番。



「ねえ、ラーナはさ、キロンが好きなの?」


 唐突に——本当に唐突に、姫さまはそう聞いてきた。


「え、ななな、なにを!?」


 完全に油断していたあたしは、ものの見事に動揺してしまった。


「好きなんでしょ?」


 あたしはサーシャに非難の視線を向けた。

 あの子は笑って肩を竦めた。


「なにを今更。いつまでも隠せるワケないでしょ。あんた、すぐ顔に出るんだから」


 サーシャめぇ……!


 少なくとも姫さまだけはまだ、気づいていなかったのに。


 ちなみにその隣のマルティナさまは目を逸らした。


「どうなの!?」


 姫さまは追及を緩めない。


 湯船の中で、姫さまの裸体が密着するんじゃないかというくらい、近づいてくる。


「……す、好き……というか……」


 あたしは観念して、消え入りそうな声で答えた。


「……い、イイなとは、カッコイイなとは……その……思います……」


「まぁ!素敵!」


 姫さまは幼い少女のように瞳を輝かせた。


「い、いえ、ただの片思いですから……」


「叶うと良いね!ううん、叶うよ!いつかきっと!」


 ——あなたがそれを言うのね……


 あたしは複雑な思いで姫さまの向こう側のふたりを見た。


 さすがにサーシャも苦笑し、マルティナさまは気まずそうにまた目を逸らした。


 でも姫さまはあたしの視線なんて気にしない。

 構わず続けてくる。


「ラーナ、恋って素敵よ。私も、ルイーズのことを考えるだけで、幸せになるもの!」


 瞳がキラキラと輝いていた。

 人間達の世界で言う、”恋する乙女”とは、きっとこういうのを言うのだろう。

 

「ふふふ。妬けますね、姫さま。あまりにもストレート過ぎて、こっちが恥ずかしくなっちゃいます」


 サーシャが笑って言った。


「どうして?何も恥ずかしくなんてないわ。だって素敵なことだもの!」


 姫さまはおもむろに立ち上がると、両手を広げて全身で月の光を浴びる。


 それから月明りの下で、優雅にくるりと回った。

 

 その右手は"彼"のしなやかだか大きな左手に、その左手は"彼"の引き締まった逞しい右腕の上に。


 姫さまのその瞳は、間違いなく今はこの場にいない、愛しい男性(ひと)を見つめていた。


 彼女の軽やかなステップに合わせて、巻き上げられた泉のしぶきが宙を舞う。

 月光を反射して、雫が星屑のように煌めいていた。


 それは明日の婚儀で披露される円舞曲(ワルツ)

 明日、恋人と踊り、そして結ばれ、夫婦(めおと)になるための、誓いの舞踏。


「……姉さまは少し恥じらいを覚えてください。そんな恰好で……なんというか、堂々としすぎです」


 マルティナさまが(たしな)めるような目で姫さまを見上げた。


「なんで?ここには女の子しかいないんだから、別にいいじゃない」


 でも姫さまは、笑うだけで相手にしない。


「私的にはそのままでいいです、姫さま。眼福です。ごちそうさまです」


 サーシャは真顔でアホなことを言っていたけれど。


「うふふ。ありがとう、サーシャ」


 姫さまは、当たり前のように受け入れた。

 マルティナさまは呆れた顔をしていた。


 けれど、本当はその場にいた誰もの目が姫さまに釘付けになっていた。


 満月を背景に、一糸まとわぬ姿でひとり泉の中舞い踊る姫さまは、この世の者とは思えないほどに美しかった。


 その完璧な美貌、完璧なプロポーション。


 それは女でも見惚れて目を逸らせないほど。

 その天真爛漫で自信に満ちた性格も、頷ける。


 その美しさは常に正義で、その美しさの前には全てがひれ伏すだろうから。


「ねえ、ラーナ」


 姫さまは、あたしにその魅惑的な瞳を向けた。

 そして微笑んだ。


「私幸せよ、ラーナ。だから、あなたもそうなったら、嬉しいな」


 姫さまは、完璧だ。

 見た目だけでなく、性格も。


 ——だから、ときどき辛くなるんだ。


「私もそう思ってるわ、ラーナ」


 でも、今度はサーシャがそう言った。


「……私はまだ恋を知らないから」


 人間はみな、誰でも当たり前に恋をするらしい。


 でも、あたしたちは違う。

 人間より遥かに長い寿命をもっているけれど、人生のほとんどの時間を老いとは無縁の肉体で過ごすけれど——その生涯で“恋”をする者は、決して多くはない。


 だから、産まれてくる子どもも少ない。


「私もよ。私はきっと、生涯〈戦士〉でいると思うけれど……でも、だからこそあなたを応援したいわ」


 そう言ったのは、マルティナさまだ。


 第二王女のマルティナさまは、もし姫さまが結婚しなければ、王家を維持するために恋とは無縁の伴侶をもらったかもしれない。


 けれど、姫さまが恋をした。

 だから、妹のマルティナさまは安心して〈戦士〉の道を選んだ。


 別に〈戦士〉が恋をしてはいけないなんて法律もないし、子を産んではいけない掟もないけれど、マルティナさまの場合は、自分が生涯恋をしない予感があったのかもしれない。


 でも、あたしだって、好きで恋をしたわけではない。


 むしろ、こんなに辛いなら、こんなにも胸が苦しいなら、恋なんてしないほうが良かったとつくづく思う。


「あたしなんか……可愛くないし、スタイルも良くないし……」


 思わず、みっともない本音が漏れた。


 あたし以外、みんなキレイだ。

 姫さまは規格外にしても、マルティナさまも姫さまに似た美しい顔だし、サーシャも清楚な超美人。

 それに二人とも姫さまほどでないにしろ、スタイルもすごく良い。


 でも姫さまには、あたしの劣等感など分からない。


「何言ってるの!?ラーナはこんなに可愛いのに!?」


 姫さまはあたしのところにパシャパシャと駆けてきて、その両手で私の両手をとって立ち上がらせる。


 月明りにあたしの裸体が晒される。


「ほら、こんなにも綺麗!」


 でも、あたしは姫さまと並んだ自分を勝手に比較して、ひどく恥ずかしかった。


 そのあたしの表情に気づいたのか、サーシャが言った。


「私たちはさ。姫さまやマルティナさまやレノラさまみたいに、あんまりにも美女に囲まれ過ぎてるせいで、目が肥え過ぎちゃってるのよ。もしも人間たちが私たちを見たら、きっとみんな、一瞬で惚れちゃうわよ」


 そう言って笑った。


「そうね」


 マルティナさまも頷いた。

 でもその後で、形の綺麗なその眉を少しだけ(しか)めた。


「……ただ、“惚れる”と言えば聞こえはいいけれど、人間たちから見ると私たちは“美しすぎて危険”なんだそうよ。”男を惑わす”だとか、”情欲を掻き立てる”だとか……人間たちの文献を調べていたら私たちの同族に関する記述があって、そういう()()()()()()ことがたくさん書いてあったわ」


「“美しすぎて危険”なんて……私たちは罪な女ですね。ふふ」


「笑いごとじゃないのよ、サーシャ。気を付けなきゃって話」


 マルティナさまは少しだけ呆れたように首を振った。


「人間なんかにいくらキレイとか言われても、惚れられても、少しも嬉しくない……」


 あたしが思わず呟くと、サーシャはマルティナさまに向かって、


「まあもちろん、私だってラーナをそこらの人間の男になんかにやる気はないですけどね。寿命も大分違うし」


「分かってる。でもこの先、いつか人間との共存を考える時が来るなら……念のため気を付けないとね。邪なことを考える輩も、中にはいるかもしれないから」


 それを聞いて、ああ、マルティナさまは人間との共存を考えているんだ、とあたしは思った。


 “文献を調べている”というのも、その可能性を考え始めたからなのかもしれない。


「もう、マルティナったら。またあなたは、そうやって悪い方にばかり考えて。まだ何もされていないのに、人間をまるで悪者みたいに言わないで」


 姫さまはそう言って、月夜に青く瑞々しい裸体を晒したまま、両手を腰に当てて頬を膨らませた。


「……念のための用心ですよ、姉さま。何かされてからでは遅いですからね」


 マルティナさまはそう言って、湯船の中で肩を竦める仕草をした。


 ——あたしはぼんやりと、やだな、と思った。

 ちょっとだけ、胸がざわざわした。


 それが何故だか分からない。

 サーシャも、どちらかと言えば人間に興味を持っている節がある。

 あたしだけ、やっぱり心が狭いのかもしれない。


「ラーナ」


 いつの間にか暗い思考をしていたあたしに、姫さまはまた無垢な瞳を向けた。


「はい?」


「あなたは、キロンに告白しないの?」


「……しないですよ……」


「どうして?」


 ——それは、あなたが。


 彼はあなたが好きだから。

 あたしなんかではなく。


「どうして?あなたはとてもかわいくて綺麗で、恋はこんなにも素敵な……」


「姫さまとあたしは違うからですよっ!」


 思わず、姫さまを遮って声を荒げてしまった。


 姫さまは、驚いて、それから少し傷ついた顔をした。


 あたしのそれはたぶん、ただの八つ当たりだった。

 キロンが姫さまに恋をしているのは、姫さまのせいではない。


 でも謝ることもできず、あたしはただ姫さまの綺麗すぎる瞳から目を逸らした。


「ごめんね。ラーナ……」


 少ししてから、姫さまの方が謝った。


 あたしはそのとき、答えられなかった。

「いえ、あたしのほうこそ」とすぐに言えば良かった。


「勝手なことを言ってごめん、ラーナ。……でも、でもね」


 姫さまは背景の満月すら霞むくらい、可憐に微笑んだ。


「やっぱり恋は素敵だと思うの。だから……だから明日の私を見てて。ラーナに恋をしてよかったって思ってもらえるくらい、私はちゃんと幸せになるから」


 その幻想的な光景に、あたしはまた言葉を失った。


「……姉さま。せめて前隠してください、前」


 それから、マルティナさまの呆れ顔に、サーシャと一緒になって笑ってしまった。


 姫さまも笑っていたし、マルティナさまもなんだかんだで笑ってた。



 ——そしてあたしは結局、「ごめんなさい」を言う機会を逃してしまった。


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