第9話 ニンゲンの少女
~王女~
「あった!」
私は思わず声を上げていた。
鬱蒼とした森の中で、木漏れ日を浴びた紅い蕾。
アマリリスだ。
まだ蕾だし、今はほんのり紅いだけ。
一見すればごく普通の咲き掛けの朱頂蘭にしか見えない。
それでもその花弁に光の精霊の加護が宿っていることは、直接視界に入った今なら確信が持てる。
蕾の内に秘めた強い光の魔力がわずかながらこぼれ出ていたから。
私は駆けて行って、傷をつけない様この上ないくらい丁寧に、そっとアマリリスを摘んだ。
よく見ると、蕾は僅かに開きかけていて、内側の赤い可憐な花弁が良く見えた。
「綺麗……」
『月光華』をそっと摘まみ、ポーチの中から小瓶をとり出そうとした、その時だった。
「——!!」
私はようやくその気配に気づいた。
(人間……!?)
距離にしておよそ十メートル。
普段ならありえないことだった。
気配を殺すのが得意な野生動物でさえ、いつもなら三十メートルも近づけば必ず察知できる。
油断していたとしか言いようがない。
『月光華』探しに夢中になり過ぎて、気づくのに遅れた。
大失態だ。
だが、幸い向こうはまだこちらに気づいていないようだ。
私は咄嗟に木の幹の陰に身を隠し、近づいてくる人影に目を凝らした。
(え?子ども……!?)
そして私は目を丸くする。
それは幼い娘だった。
背丈は恐らく私の腰辺りくらいしかないだろう。
こんな森の奥深くに、明らかに場違いな光景だった。
ど、どうしよう……
このまま隠れてやり過ごす?
でも、いくら魔物がいないとは言え、野生動物はいるのよ?
肉食の子もいるし、草食でも縄張り意識が強い大型の子たちもいる。
あんな小さな子一人で帰れるの……?
私は息を殺して幼女を観察しながら思考を巡らせる。
が——
(あ、危ない!)
直後、幼女は木の根に足を取られて転倒した。
運悪く斜面に倒れ込んで、そのまま転がり落ちていく。
「!」
私は一瞬の迷いもなく木陰から飛び出した。
考えるより先に、身体が勝手に動いていた。
転がり落ちた先で固い木の幹に衝突する寸前、風魔法を唱えて木と幼女の間に空気のクッションを生み出す。
そのまま幼女は風の層に守られながらゆっくりと土の上に横たわった。
すぐさま駆け寄って怪我の具合を確認する。
(良かった。私でも治せる)
頭を打って気を失っているものの、額が少し割れているだけだ。
他に外傷はなさそうだし、頭のほうも出血はあるが、傷は浅い。
あまり治癒魔法は得意ではないけれど、この程度なら造作もない。
『水の精霊よ……』
私は少女の額に手を当て、呪文を詠唱した。
傷口が光に包まれ、見る見るうちに閉じていく。
「これでよし……と」
私は少女のおでこに傷痕が全く残っていないことを確認してから、自分の膝の上から彼女の頭をそっとどかし、土の上に寝かせてその場を去ろうと……したのだが。
「お姉さん……だぁれ?」
「!」
思ったよりずっと早く、少女の目が覚めてしまった。
「……お顔が……青い?」
「!!」
はっとした。
そこでやっと、相手がニンゲンであることを再認識した。
(しまった!)
今更ながら、慌てて自身に色素変化の魔法を掛けようとして——
「お姉さん、すっごくキレイ……!」
思わず呪文の詠唱を止めてしまった。
少女が目を輝かせて、満面の笑みを浮かべたからだ。
ニンゲンはみんな、私たちを恐れるはずではなかったの?
「あなたは……」
「わたし?わたしはねえ、リコだよ!」
名前を聞かれたのと勘違いしたようで、女の子はニコニコと笑ってそう名乗った。
「そ、そう……リコ。素敵なお名前ね。あなたは、私が怖くないの?」
「なんで?ぜんぜんコワくないよ?お姉さん、すっごくキレイだもん」
「そう?……ありがとう」
「お姉さんはもしかして妖精さん?耳も尖ってるし、何よりキレイだし!」
元気よく喋り続ける少女に若干気圧されつつも、私もそのあまりに無垢な笑顔につられて思わず頬が緩む。
「ねえ、リコ?あなたひとりなの?……どうしてこんなところに」
私が尋ねると、そこで初めてリコは思い出したように目を見開いた。
「あ!そうだ!おくすりさがさなきゃ」
「え?お薬?」
突拍子もない言葉に思わず聞き返す。
「そう!お母さんがくるしそうなの。だから森におくすりをさがしにきたの!」
「あなたひとりで……!?」
「そうだよ」
女の子はコクリと頷いた。
「どくなんだって。お父さんが言ってた。でもどくなおせるくすりがないんだって。森のなかにならあるかもって、大人のひとたちが言ってたの。だからわたし、くすりをさがしに来たの」
「毒?」
「そう。体中にむらさき色の丸い点々ができて、けっかんもうかび上がっちゃって、ひどいねつで……息もすごくくるしそうなの!」
リコは今にも泣きだしそうな顔でそう言った。
——全身の斑点、血管の膨張と高熱に呼吸の異常……なるほど、それはきっと……
「まものにかまれたんだって言ってた……」
「魔物?」
「そうだよ。うさぎのまものなんだって……大人のひとが、アルミ……なんとかって」
「アルミラージに毒はないわ」
代わりに黒くて長い角があるはず。
その特徴に気づかないなんてことは、まずないだろう。
それに非力なニンゲンが一角兎獣と遭遇して、生きているとは思えない。
兎型の一角獣アルミラージは食欲も旺盛な魔物だ。
何よりそのレベルの魔物が、ルイーズたちの探知網に引っ掛からないとは思えない。
「それはアルミラージじゃないわね。きっと毒兎よ」
「どくうさぎ……それはまたべつのまもの?」
「毒兎は魔物じゃないわ。この『寂寥の森』に棲む固有種。普通の野生動物よ。毒があるけどね」
毒兎は肉食性ではない。
あくまで自己防衛のために外敵を噛み、毒を注入する。
わたしたちには効かないけれど、他の動物——特に赤い血の流れる動物——なら全身に紫色の斑点が現れ、血管が膨張し、高熱を伴う。
鳥竜で森の中を行く際、時々運悪く驚いた毒兎にウマの脚を噛まれることがある。
即死に至る猛毒ではないが、一時的に麻痺をもたらす。
数分で回復するが、数時間経ってからまた別の症状が出るのが特徴だ。
毒の回りは遅いが、大抵の場合は一週間程度で死に至る。
いや鳥竜で一週間だ。
それより小さな人間なら、二、三日といったところか。
厄介なのは、普通の毒消しがほとんど効かないことだ。
「リコ。あのね……」
泣きそうな顔で話す少女の髪を優しく撫でてから、私が口を開いた、その時だった。




