第8話 月光のアマリリス
~キロン~
『月光華』という花がある。
この『寂寥の森』にのみ咲く、稀少な花だ。
見た目は朱頂蘭、つまり赤い花弁のアマリリス。
しかしこの種の花のうち、蕾の間に毎晩月の光を大量に浴びた個体は、やがて光の精霊の加護をその身に宿すことがある。
光の加護は、満月の夜に十分な月光を吸収することで、その翌日に最大化する。
そして満月の次の晩、つまり十六夜の月の下で、花弁も赤色から淡い黄色へとその色彩を変え、同時に神秘的な温かい輝きを放つのだ。
この花は、光の精霊の加護を宿した後であれば、蕾の内に摘んでも適切に魔力を与えることで三週間以上はその美しさを維持する。
しかも十六夜月の夜にしっかりと輝きを灯すという特性を持っている。
古来より俺たち『ニヴルヘイム』の者どもはこの稀少な花を愛で、婚儀の際には花嫁が身に着けるのを伝統としていた。
そのため、『ニヴルヘイム』の結婚式は必ず満月の翌日の夜に執り行われる。
十六夜の晩、花嫁は月桂樹で造った冠に、淡い光を灯す『月光華』を添えるのだ。
光の精霊は元来、『癒し』と『生命』を司る。
その加護を宿した『月光華』も、強い治癒効能を持つことで知られている。
その力は下級や中級の回復薬など比較にもならなぬほどだ。
しかし、『ニヴルヘイム』の人々はこの花を治療薬として使うことは滅多にない。
俺達にとって、光の精霊は特別だからだ。
八大精霊の中で、唯一、光の精霊だけは遠い存在だと言っていい。
神に祝福されなかった我々は光の精霊魔法だけは使うことができない。
だからこそ、光は俺達にとって幸福と祝福の象徴なのだ。
『光に祝福されし子ら』に名を連ねることができなかった俺達が、神という光の代わりに、精霊の光に祝福を求めるのは、ある意味で当然の成り行きだったと言える。
故に、「自分の手で摘んだ『月光華』を枯らすことも散らすこともなく大切に育てて婚儀を迎えると、花嫁は生涯幸せになれる」などという迷信めいた風習が生まれたのも、ごく自然なことだったのだろう。
そんな理由で、結婚を間近に控えた娘たちは必ず月光華を求めて『寂寥の森』に入るのがこの国の習わしとなっていた。
そしてそれは、王族の娘であっても同じこと。
Ψ
その日、姫様は二週間後の婚儀を前に侍女のラーナとサーシャ、それに護衛役の俺を伴って『寂寥の森』に来ていた。
普段なら姫様が『寂寥の森』に立ち入ることを、周囲の者どもはあまりよく思わない。
無論、俺も同じだ。
何故なら『寂寥の森』は『霧の壁』の内側とは言え、『ニヴルヘイム』の外なのだから。
だが、彼女はこの森が大好きだった。
幼いころから侍女どもや俺の目を盗んでは、ひとりで良くこの森に遊びに来ていた。
だから彼女にとっては庭のようなものだ。
少なくとも彼女はそう思っていたし、俺達もそう思っていた。
その日も、姫様はいつものことながら俺達お付きの者たちを出し抜いて、森の奥でひとり夢中になって月光華を探していた。
ラーナもサーシャも、不覚にも俺でさえ、視界から姫様が消えても、大して焦りはしなかった。
そんなことは、いつものことだったからだ。
それにこの『寂寥の森』には魔物一匹いない。
危険などある訳もない。
——そう思っていた。
でも、俺達はその時、忘れていたのだ。
森には異物が入り込む余地があったことを。
いくらそれまで大人しかったとは言え、霧の中にやつらがいることを。
——迂闊だった。
俺の役目は、万が一にも彼女を危険な目に合わせぬこと。
それは目前の危機を排除するだけではない。
彼女の生涯にわたって幸せを守り抜くこと。
例えこの先、俺の想いが届くことがなかろうとも、そんなものは関係ない。
それが俺の役割であり使命。
俺のただ一つの存在意義だ。
——だから、それは紛れもなく俺の失態だった。




