一章 亡命
初めまして、トゥーダ・カタシヨです。名前の由来は、未完作品の登場人物です。基本的には、リアリティのあるミリタリー作品を書いていますが間違っていたりするところがあるかもしれません。
さて、この作品のあらすじとしては1940年代の日本がソ連の攻撃で本土を失いアメリカに亡命するという内容になっています。そこからどう反撃するのか。ぜひ、シリーズ通してお楽しみください
1941年9月11日 日本 横須賀 戦艦大和
(該当各艦、出港準備完了しました。)
(うむ、ありがとう。)
この日、日本本土が真の意味で陥ちようとしていた。1939年5月11日のノモンハンでの衝突から翌12日にはソ連が日本へ宣戦布告を行った。ソ連軍の強力な機甲部隊に加えてスターリンの航空主兵主義への転換によって大幅に強化された海軍も日本軍の行く手を阻み潜水艦による海上封鎖によって赤城が魚雷4本を受けて撃沈された。また、朝鮮半島にも進軍したソ連軍はとどまることを知らず佐世保や舞鶴、呉へ爆撃を行った。佐世保を母港とする飛龍は空襲の最中、至近弾のみで切り抜けたが呉を母港とする艦はそうはいかず蒼龍が爆弾8発を受けて大破着底、加賀も4発を受け中破。潜水艦によってトドメを刺された。空母のうち無傷で脱出できたのはまだ未完成の瑞鶴だけであった。この時、瑞鶴は機関の取り付けが中途半端で速力は20ノットも出せない状態であり幸運以外の何者でもなかった。何とかして反撃に挑んだ機動部隊も敗北し軽空母3隻を喪失した。瀬戸内海を出て和歌山県沖で潜水艦の奇襲によって止めを刺された。同盟を組んで助けてくれるはずのドイツ軍は英軍に手こずっているとか、独ソ不可侵条約があるからと言って首を振るばかり。1940年の4月からは九州や中国地方に上陸したソ連軍は日本国内の共産主義者の蜂起も促して日本軍の前線はほぼ機能しなくなった。首都陥落までもう秒読みとなり、日本は滅亡するかに思われた。
しかし、そこで救いの手を差し伸べた国が居た。
1941年7月20日 在米日本大使館
(え、貴国が?)
(もちろん、条件付きです。ミスターノムラ)
(....その条件をお聞きしてもよろしいでしょうか?)
(この用紙をご覧下さい。)
そう言って、ハル大使から用紙が手渡される。
(ん....。)
野村は、険しい表情になった。主要な条件を抜粋するとこうなる。
・南洋諸島を全てアメリカに引渡すこと
・朝鮮半島の領有権の放棄
・台湾、澎湖諸島の中華民国への返還
・満州国の正式な放棄
・日独伊三国同盟の脱退
日本本土に影響する条件はなかったが、軍部の反対は必ず予想される。この時点でも、既に徹底抗戦を唱える軍人は一定数いるのだ。特に、三国同盟の脱退には根強く反対するだろう。だが、その見返りとして日本政府の受け入れがあった。
(どうですか?我が国としては、かなり譲歩しましたぞ?)
(うー...。一旦持ち帰ってもよろしいでしょうか?私的には、受け入れられるとは思いますが。)
(いいでしょう。良いご返事をお待ちしております。)
そして、持ち帰った結果やはりというか案の定賛成意見と反対意見が出た。
(亡命政権の受け入れにしては条件が厳しすぎる!やはり徹底抗戦あるのみ!)
(しかし、このまま抗戦しても我が国の負けは必須です。そうなれば、皇室も危うくなってしまいます。ここは、受け入れるべきでは?)
会議は3日間続いたが、ついに抗戦派が折れて条件を受け入れることになった。
独伊に同盟脱退を打診すると、今度は連合国に加わらないことが条件に入れられた。これを受け入れて、ようやく亡命政権成立の目処がたったのだ。
そして、脱出するために有力な艦全てを連れていきたかったが備蓄燃料の関係から特定の大型艦を連れていくことになったのだ。
現在 戦艦大和
連合艦隊司令長官山本五十六は、海軍参謀らと会話していた。
(近衛師団の積み込みも完了しました。皇室の方々も、既に大和の中に入っております。)
(分かった。置いていく友軍には申し訳ないな...。まさか、ソ連海軍がここまで強いとは私にも不覚があった...。)
(致し方ありません。海軍上層部のほとんどがそう思っていたのですから。)
赤城の轟沈に際して、脱出できず亡くなったと思われる南雲忠一中将に代わって機動部隊指揮官に就任した小澤治三郎中将が山本に返答する。
(まだ、各地で日本軍がゲリラ化して戦闘しています。いつか、彼らの頑張りに報いましょう。)
(うん。)
脱出する艦艇は、
戦艦大和
戦艦長門
戦艦陸奥
戦艦金剛
戦艦榛名
空母飛龍
空母翔鶴
空母瑞鶴
である。これらで、一気に横須賀を脱出。敵機、敵潜水艦を避けつつグアムを目指す。
(一応、気がかりなことがあります。佐世保では、戦艦武蔵が艤装中でした。あれが、敵に奪われて使われるようなことがあれば...。)
戦艦武蔵は、大和型の2番艦で佐世保で建造されていた。しかし、ソ連の突如の侵攻に充分な破壊工作もできずに撤退せざるを得なかった。
(解析される危険はあるかもしれんが、使用するには壁が多すぎる。あの艦の主砲は46cm、ソ連海軍の戦艦主砲は40.6cmだから彼らはその口径の主砲弾は持っていない。つまり、日本国内に備蓄されている大和型主砲弾を使い切ってしまえば終わりだ。それに、完成は42年8月予定だ。1年もあるから、建造が上手くいくとは思えない。)
(ならよいのですが...。)
(まぁ、私にとっても悪夢のような出来事だ。我が国の最新鋭戦艦が敵に使われるなどあってはならない事だ。)
こうして、艦隊は8時30分に出港した。横須賀では、艦隊脱出を知るものたち全員が陸海軍工廠員問わず帽子を振っていた。艦隊の上空も航続距離の続く限り、陸海軍が共同で守る。
(必ず戻ってくるぞ...。)
艦隊各艦の乗員らも家族を置いて出ていくことに耐えられず甲板上に出て涙を流しながら帽子を力の限りぶん回したり敬礼をした。10時5分には、艦隊最後尾の瑞鶴からも横須賀は視界の外へ消えた。
10時41分 戦艦大和
(翔鶴偵察機2番機、敵攻撃隊ラシキモノ見ユ。その後の電信がありません。撃墜されたものかと。)
(艦上機だな...。奴らめ、わざと出てくるのを待っていたのか。)
(対空火力の不足する本艦隊でどこまで耐え切れるか...。)
(やってみなくてはわからん。直掩機を向かわせるぞ。全艦、対空戦闘用意!)
各艦で対空戦闘ラッパが鳴らされる。ここは何としても切り抜けなくてはならない。
直掩機 零戦18機
(あれか...。)
敵機は、yakー9戦闘機とSuー2C急降下爆撃機、Suー2D雷撃機だ。
(いいか、攻撃機を狙え。格闘戦はするな。一撃離脱を徹底し、艦隊防空の負担を減らすんだ。)
そう言って、直掩機は太陽を背にして降下していく。狙うは爆撃機だ。ソ連軍も空母の重要性を知っているから、空母を集中攻撃してくるに決まっている。
(ここっ!)
機体が振動し20mm弾が撃ち出される。急な攻撃に対応できず、ソ連軍爆撃機に20mmが吸い込まれていく。降下して後ろを見ると、視界内には6機が火を噴いているのが見える。あとは2機がコクピットに弾丸を食らったのか、黒煙も吹くことなく落ちていく。視界にないだけで、まだ落ちている機体があるはずだ。降下することで稼いだエネルギーを使って、敵戦闘機が向かってくる前のもう一撃を加える。今度は4機が火を噴いていた。敵戦闘機が追いついてくる。だが、今回は敵攻撃機優先だ。敵戦闘機はなるべく無視する。
(零戦の運動性に勝てると思うなよ!)
零戦は右へ左へと軽業師のように、機体を振り回す。yakー9も、軽快な方ではあるが零戦にはなかなかついていけないようだ。
(うおっ!なかなかやる...。)
後方から赤い火箭が延びてくる。とっさに、レバーを左に倒す。
(しつこいな...。仕方ない、よいっしょ!くうっ!)
零戦のフットバーを右におしこみつつレバーを右前に倒す。そうして、敵機の後ろに上昇してつく。
(今度はこっちの番だ!喰らえ!)
20mmと7.7mmを叩き込む。エンジンをやられたのか、黒煙を吹きながら落ちていった。空戦は、日本有利で進んでいた。
戦艦大和
(主砲三式弾、発射よぉい!)
戦艦大和、長門、陸奥、金剛、榛名の各艦が主砲の発射体制を取る。
(新鋭戦艦の力を見ろ!てっ!)
主砲発射ブザーが3回鳴って発射される。これが、戦艦大和の実戦による初めての主砲発射だ。実は、大和は正式にはまだ就役していない。本来は12月の就役予定であった。しかし、その前に戦争が始まってしまい海軍はせめて1番艦だけでも完成させようと工事を急いだ。その結果、艤装はほぼ完了し自走も可能になったものの公試がほとんど行えていないのだ。つまり、この脱出が公試になるのだ。
(腹に響くな...。)
防空指揮所の1人が小声で言う。世界最大の艦載砲だ。頼もしい音ではあるが、自分の腹がえぐられるような音と衝撃波だった。
(だーーーんちゃく!)
黒い粒の周りで次々と砲弾が炸裂する。敵機がバタバタと落ちていく...わけではないが、少なくとも10機以上が火を噴いている。中には、主翼破断で錐揉み状態になりながら落ちる敵機もいる。それでも、残る敵機は何事も無かったかのように突っ込んでくる。
大和艦橋
(射撃指揮所へ、只今の射撃見事なり。)
艦長の有賀耕作が、射撃指揮所へ繋がる伝声管に自らの声で発した。初実戦で敵機を多数撃墜したことは、誇るべきことであると言いたいようだった。
(しかし、やはり外郭阻止はなりませんな。)
(あとは各艦の回避にかかっている。敵は空母を集中攻撃するだろう。本艦に向かってくる敵機が少ない場合は、近くの空母に対空火力を集中しろ。多少の被弾で本艦が沈むことは無い。)
(了解。)
現在、大和は空母3隻を中心にした輪形陣を組んでいる。右翼と左翼のど真ん中にそれぞれ榛名、金剛。前方に長門、陸奥。後方に大和、となっている。空母に関しては、逆三角形のような形で右に翔鶴、左に瑞鶴、そして頂点、つまり後方に飛龍がいるのだ。敵機は左舷前方から迫っているから、瑞鶴や金剛、陸奥が狙われやすい位置にいることになる。
もちろん、大物を狙いたいという欲から空母から大和に狙いを移す隊がいる可能性は充分に有り得る。
(敵機複数、瑞鶴に急降下!)
(高角砲、撃ち方始めました!)
左舷に3基ある大和の高角砲が射撃を始める。瑞鶴も己の対空火器を全力投入して、敵機を落とさんとする。
(敵機1、いや2機撃墜!)
大和と瑞鶴どちらの戦果か分からないが、敵機の数を減らしたのだ。
空母瑞鶴も、大和と同じく正式にはまだ公試中の艦だ。呉空襲の際は、偶然にも蒼龍と加賀を囮にして自分だけ助かるという皮肉な結果となった。しかし、未完成の瑞鶴が何とか逃げ延びることが出来たというのは奇跡に等しく竣工してもいないのに工廠員や乗員らに(幸運艦)と呼ばれることになった。脱出後は、横須賀で艤装工事を継続し一応の完成にはこぎ着けた。しかし、大和と同じような理由で公試中なのだ。
(幸運艦よ、頼むぞ!)
瑞鶴防空指揮所の人員が思わず叫ぶ。敵機は、急上昇をかけて離れていく。瑞鶴の速力34ノットを超えている。呉空襲時には発揮できなかった速力をここで全力発揮しているのだ。瑞鶴の右舷前方に水柱がそそり立つ。続いて左舷中部と連続して水柱がそそり立つ。まるで、瑞鶴を捕らえんとしているかのようだ。
(被弾なし!敵爆撃機の攻撃を切り抜けました!)
(よし!)
やはり瑞鶴は幸運艦だ。敵爆撃機8機の攻撃を切り抜けたのだ。
空母飛龍
(敵降爆8機、雷撃機8機、本艦に向かって来ます。)
(1番効果のある攻撃をしてきたか...。)
飛龍艦長、加来止男が唸る。飛龍は日ソ戦争が始まって佐世保に空襲が来る直前に就役していた。つまり出来たてホヤホヤの空母で、日本の新戦力だったわけだ。佐世保空襲の際は、佐世保を母港とする唯一の空母だったため目立ち集中攻撃を受けたがこちらも無傷で佐世保からの脱出に成功している。脱出後、横須賀に逃げ延びたが共に第二航空戦隊を組む予定だった蒼龍が撃沈されてしまい単艦で二航戦となった。司令官である山口多聞は健在で飛龍を旗艦としている。
(避けられそうか?)
(お任せ下さい。ちと厳しいですが、全て避けきってご覧に入れます。)
(頼もしい。では、任せた。)
飛龍の対空機銃はほぼ同時に迫ってくる艦爆と艦攻に射撃しており中途半端な弾幕になっている。ここで、加来は対空機銃を雷撃機に集中することにした。飛龍は、全体的にダメコン能力が低めで特に水雷防御には不安がある。爆弾の1、2発なら食らっても航行に支障をきたす可能性は低い。しかし、魚雷を1発でも喰らえば大型の飛龍といえどむつかしいところがある。それに、急降下爆撃機は一度急降下に転じると進路を変更するのが難しくなる。そのため、雷撃機よりは遥かに避けやすいのだ。
(取舵いっぱい!砲雷長、対空火力を雷撃機に集中するように。)
(了解、左舷対空砲、雷撃機に集中。右舷対空砲は引き続き敵降爆へ射撃!)
対空砲座
(撃てー!)
25mm三連装機銃を必死に撃ち続ける。12.7cm連装高角砲の砲声も止むことは無い。
(弾ー!弾もってこい!)
(右よし!左よし!中よし!)
(撃てー!)
艦橋
(敵雷撃機3機撃墜!あっ1機撃墜!)
(よしっ、うおっ!)
山口が拳を握りしめた直後、艦橋のすぐ横で水柱が立つ。敵爆撃機が上昇に移っている。紙一重で避けたのだ。数mずれていたら艦橋に直撃を食らっていたところだ。
(敵雷撃機、魚雷投下!)
既に飛龍は取舵を取っている。魚雷に当たらないことを祈るしかない。
(1発、前方抜けた!続いて2発!)
(いいぞ...。)
(2発艦首近い!)
(うわっ、当たるぞ!)
(衝撃備え!)
艦橋要員が、全員伏せる。しかし、何も起こらなかった。
(避けた...か。)
飛龍は、爆撃と雷撃を避けきったのだ。空襲の結果、空母に被弾はなし。戦艦を狙おうとした編隊の爆撃によって陸奥が2発被弾したのみだった。その後、艦隊は針路を敵艦隊から遠ざかる方向に向けて20ノットで航行した。目的地はグアムだ。小笠原の硫黄島の航空隊の支援を受けねばならない。2度目の空襲があるかと思われたが、それはなかった。見失ったか、それとも指揮官がこれ以上外海に出て交戦するべきではないと判断したのか。それは分からない。
13時45分
ソ連海軍潜水艦Lー12
(こりゃあ大物だ...。機動部隊から報告があったやつらか。)
(他の潜水艦も狙いたくてうずうずしてる頃です。)
(うん。やってやろう。俺たちはあのアカギを仕留めたんだ。俺たちにもできる。)
潜水艦Lー12の艦長、アレクセイ・ヴォロノフは開戦初期に横須賀から出港した赤城に魚雷4発を撃ち込み撃沈。スターリン直々に英雄海軍兵士賞を授与された。今また、空母撃沈のチャンスが巡ってきたのだ。彼の戦隊は、潜水艦4隻で編成されている。
(よし、発射管1~4番注水。今回は位置関係が悪い。前方の大型艦を狙うことにしよう。戦艦な気がするが、大物なことに変わりは無い。)
(艦長!右舷で注水音!あっ、魚雷発射音確認!)
(なにっ!)
どうやら功を焦って魚雷を発射してしまったらしい。
(敵艦隊に動きあり!ん、本艦目標が取舵を取りました。本艦が雷撃するのに絶好な位置につきそうです!)
(よしっ!絶好の機会だ!よく狙うぞ。深さ3、発射角2度、雷速42ノット!)
そして、敵艦がここぞと言うところに...
(発射!)
船体が僅かに震えた。533mm魚雷が発射されたのだ。
(命中まで約40秒です。)
10秒、15秒と経過していく。40秒は短いが、ヴォロノフにはそれが3分にも5分にも感じられた。40秒がすぎた時、駄目か。と思ったが
(炸裂音、艦体破壊音確認!これは...動きを停めました!)
(よしっ!)
勝手に魚雷を発射したことは後で咎めねばならないが、そのおかげで敵大型艦1隻を少なくとも大破に持っていくことが出来た。怪我の功名だ。その後、ソ連潜水艦隊は直ちに現海域を離れた。
(陸奥が...。)
左舷に布陣していた陸奥は敵潜水艦の魚雷をいち早く見つけて回避行動を取ったものの、別の潜水艦からの雷撃を受けて魚雷4発を左舷艦首付近に集中して受けた。既に艦体は海に沈みつつあり沈没までそう長くはなさそうだ。艦橋要員は脱出出来ないかもしれない。
救助は長門に任せて他艦は一挙中継地点の硫黄島を目指した。
7月13日 20時16分 グアム
日本艦隊は、ようやくグアムに到着した。グアムでは、歓迎...ほどではないが待っていたというように米海軍の艦艇が停泊していた。1940年までは仮想敵国だった国どうしだ。島に上陸しても日米兵士の関係はぎこちなくギスギスしていた。もちろん、すぐに打ち解ける兵士らもいた。グアムでは、米海軍太平洋艦隊司令官のハズバンド・E・キンケイドやアジア艦隊司令官のチェスター・ニミッツと日本政府首脳らが挨拶を交わした。
グアム基地 来賓室
(つまり、受け入れて支援はするがアメリカが参戦する可能性は低いと?)
(はい、残念ながらそうなります。ルーズベルト大統領は、国際協調を重視し反共という点では貴国と同じで本人はソ連と事を構えたがっています。しかし、我が国の政治体制は世論に左右されやすく今の我が国の世論的には直ぐに参戦することは無いかと。)
(もし、参戦するとしたらどのようなケースなのでしょう。)
(おそらく、我が国の国民がソ連軍に殺傷された場合、もしくはソ連軍がなんらかの影響で不利になった場合...でしょうか。)
(しかし、そんな要素はどこにもありませんぞ。ドイツもソ連と不可侵を締結しており英国を陥落させようとしているのでしょう?)
(えぇ。ですが、ない訳ではありません。我が国の諜報機関によれば、ドイツ軍は空軍の疲弊から英国と講和する用意があり水面下でその話が進んでいるということです。また、ドイツ軍が講和を結べた暁にはソ連を侵攻するという見立てがあります。不確定要素ですが、これらのドイツの攻撃が上手くいった場合は我が国が便乗して参戦する可能性があるでしょう。)
(それが無ければ、我が国は永遠に共産主義の支配下なのでしょうか。)
(そうなる可能性は高いと思われます。私としても、貴官らほどでは無いかもしれませんが歯がゆい思いなのです。どうかご理解いただきたい。)
翌日、陸奥の数少ない生存者を乗せた戦艦長門が到着した。
1942年3月25日 ソ連 モスクワ
指導者スターリンの顔は青ざめていた。病などではない。次々と寄せられるドイツ軍侵攻に関連するニュースだ。最初は、スターリンも真に受けていなかった。なにしろ、独ソ不可侵条約があるのだ。しかし、最初の報告を受けてから3分か5分おきに報告を受けている。ドイツは、11月頃に英国と講和したばかりだ。そんなに早く、侵攻できると思わなかった。
3月27日 グアム
(本当なのですな?)
日本政府がグアムに亡命してから半年、現地の日米軍はすっかり打ち解けて外では元気よくスポーツで交流していた。
(はい。25日からドイツは突如ソ連に侵攻。破竹の進軍を続けているとのことです。)
人の不幸をあまり喜ぶものでは無いとは知っているが、近衛文麿首相は内心ドイツに期待していた。
(今後の進軍次第ですが、今のままで行けば我が国が参戦する可能性は充分にあるかと。英独も講和しましたし。)
1941年11月には、英独の講和がアメリカ仲介の元行われお互いに条件なしで白紙講和となった。ヒトラーも、ソ連侵攻に備えたかった節があったのだろう。そこまで強く求めることは無かった。今、日本軍の反撃の狼煙が上がろうとしていた。日本軍は、あの後アメリカからレキシントン級空母2隻を供与されており重巡や軽巡、駆逐艦も供与され一定数の艦を保有するようになっていた。また、航空機も補充の効かない国産ではなくアメリカ軍機に切り替えて運用していた。日本国内でいまだ日本としての体裁を保っているのは小笠原のみであった。今、日米両兵士はラジオにかじりついてニュースを聞いていた。
どうでしたでしょうか。感想は受け付けていますので、ぜひ書いてください。今後の参考にしようと思っています。なれない初めての作品でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。